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あげちうのブロマガ

とある夢の後に有る物

間違いなく言える事としては。

「カール・マルクス」の時代に人力発電機がもしあったら、依存してくる彼に対して「自分で稼げ!」そう、切り捨てる事は出来たろう、そう言う事ではある。


今も、ここには微妙な否定感は、ある。何かの無念かそれとも、ではある、自分の傑作が評価されないのはおかしい、自分が下賤な、本来なら使われる側の人間と同じ事をせねばならないなんて耐えられない、等々、しかし。正しくない、と思いつつも、それに対して突っぱねる事は…微妙に出来ていない。

自身も今、何かの特権だから?だろうか。ともかく人力発電機があるなら、恐らくカールマルクスの恐慌”それ”は、シンプルな断言で消えては行く。

働けば?

システムか、認識の不足ではある、だろうか。


ともかくイギリスは特に、植民地支配により発展し、そして産業革命を起こして世界のトップリーダーになった、時代が結構、無視出来ない期間として有る。”その”原理となったのが「資本論」ではあり、”それ”をそのまま、結論では日本さえ肯定し、それは太平洋戦争を起こしても、今もまだ、「民主主義」と言う壁の後ろで存在し続けては居る。「国の発展の為には!」渋沢栄一氏も、当時は並み居る列強を前にその感覚を否定は出来なかった、それが国の為である、それは9割以上正しい事だったが、しかし。

最終的にはそれは、戦争、それをむしろ必要とし、そこに依存を持っていた訳だが。

現状、それは何とか抑えては居る。「解った、戦争をしよう」その先に有る仮想の戦場は、一応は今の所、想定する大きな問題は起こしていない、道理は何とか維持されている、気はする。が、それだけに、「認識」もやっぱり、パワーバランスの問題でしかなく、「人力発電機」それは、どうも表には、置ける場所が無い。

問題は無い。

ただ、「今まで」に対して存在そのモノが罵倒それである事も、間違いはないのかも。


この出来損ないのゴミが。

増幅してる結果の「台詞」でもあるだろう、単に”これ”を導入すれば済む問題を、彼らは或いは今も、認める事が出来ていないし、それに多くの人々は支持もしているのだ。

自分らの身内を生贄にするとしても。


戦争物の漫画のネタが有って良い、と見るべきか、とは言え当事者にするとどうにもこうにもだ。「戦争」そう言う視点では、或いは今も日常的に続けては居る、”それ”は主にかテレビゲーム、”それ”の場で結果を出し、その集約が「大賀さん」その場にて発露し、状況は変化していく、訳だがしかし。

相手は、その結果その物を、平成の始まりかで否定したのだ、最深部かに居る存在は、殺人まで犯しても、”それ”を罪には問われなかった。「大賀さんに逆らったら最後は死ぬ」のに、それはそこまでの大罪を犯しても今も存在し続けている…そこに、何かの脅威、それはある。

結果でしか解らないし、二択の狭間は、神だって知らないのだ。

”そこ”に残り続けたモノがある。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10757690
https://publicdomainq.net/takahashi-shotei-0048275/

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