あげちうのブロマガ

老いた理想と無知な蛮行

現状を固定しているのは、今も神、「大衆」では、ある。

その思惑は、結果が出ても、いまいちよく解らない事は多い。

 

ちょっと自分も今、余計な衝動?そう言うのが出てる気は、する。「具現性がある」とは言っても、「やらねば成らない事か?」と、そう言う境目で、世代か或いは、違う何かとの対立をしている様な。ともかく地元の衰退は火急の案件である、とは常々思うがしかし。

整備された、ある意味で清涼なる街並みに、これは妥当なのか?だ。

「長野県中野市」その、かつての賑わいというか・・・そう言うのからすると、今の街はちょっとあまりにも”老人”ではあり。何かの余生を静かに謳歌している、様な。ともかく割と整備されているのに、グーグルアースの写真にしろ人通りが殆ど、無い。少し前にあった「ションション祭り」と言うそれの賑わいは、久々に感じた「人通り」ではあって。常にああである必要は無いにしろ・・・せめてこんな晴天の日は人通りがある、様な・・・そう言う様はどうしても、思う。

ガタガタはしている。vtuberが居たり、アニメ化してるような漫画家が実は居たり。街の方向性に対して対立は有るのかもしれない、そして今、良くも悪くも今までの重鎮、それは居なくなっている。

という訳で。

だからと言って、この町は地方の秋葉原な感じへと、変貌していっていいのだろうか。本来は文化と農業の街なのだ。”これ”は単に、自身の趣味でしかないのでは。

自分の感覚はこの「想定図」を、妙に気に入ってしまう・・・そんな病の中には居る。

常々、一般的な感覚とは会話が合わないので、会議などで自身の意向が通る、様な事は今もほぼ、無い。要求に対して応じる、「監督」と言うそれに対しては今、漸く「悪くなかった」と思う所には至るが。”要求”その物を出す、というそれは、どうもズレがある。何処かで自分の知らない成功例でもあるのだろうか、それを、或いは地元で再現したいだけ?

ともかく未来への対立は、殺人事件が起きる程に、どうも深刻さは有るのだ。

「広告代理店」の話も、実際にどう変化するのか?は重い。責任者にはどれだけの過失があるのか、或いは変質したとしてもそれは切り捨てに成らないのか?神のみぞ知る、という時、最後の神判は出せない、そう言う感じには成ってしまう。推測では、「売れない編集長」は、広告代理店との関係が切れる事でその呪いも切れる・・・

か?

ともかくその時、それは今までの機会損失や自身らの夢を破壊された苦痛、それを一身に受ける事には成る訳だが。そして、”それ”に協力してきた、という事もその時、重い問題には成るのでは。

信仰の問題ではある。

今の自分の状況は、それでも「最善」なのか?

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