あげちうのブロマガ

狐の尻尾は何故増える

「私がそう思ったらそれが現実なんだよ!」

要するに「王の権威」が言う事は”これ”で、この暴言をそうじゃない人がやると、「中華思想の皇帝」になる訳だが。

その時、「後者を否定する方法」それは何処に有るのだろう?

結局、「九尾の狐」も、この方向で発生する狂気ではある。お釈迦様の経典(要するに宗教的バイブル)その他を勉強し切った時、その人の曼荼羅はあらゆる否定?疑念その他を受け流す「9本の尻尾」になるのだが。根拠を「神」に依存する時、混沌の返答には”その人が”入ってしまう。殆ど誰も逆らえない主観が、暴走を始める事に。


高校野球で優勝したチームのバッターが、バッティング指導をするそれは意味がある。

しかし。

参加どころか見た事も無い奴が、或いはそれと同じ事?をしたとして、差はあるか。

前者には根拠がある、後者には無い。ともかく後者は或いは、身長180cmの人に対するアドバイスを、身長150cmの人にするかもしれない。それは、アドバイス通りにやっても良い結果は出ないのではないか、相手に取って最善かどうかはケースバイケースだ、杓子定規で決まる訳でもなく。もちろん、この例での優勝選手は”それ”を加味して指摘はするだろう、後者はしないし「出来ない」訳だ、そこには、明確な差は有る。


他者の「主観」は受け取る自分に対しては多かれ少なかれ混沌、間違い、不明瞭それを抱えていて…それは如何に「王の権威」で有ろうと”同じ”だ。結果、それは他人にとってはいささかの「間違い」を感じるが。相手に程度の権威?があると、だんだん、反論が許されなくなる。「逆らう気ですか?貴方如きが?」威圧し”矯正”する時、そこに破綻が発生し、それにより、相手の精神はだんだん歪んでしまう訳だが。

”これ”が女性に対して行われる時、「九尾の狐」それは発生する訳で。簡単な例でいくその「神に従え」この時、神様とは誰?ここには重大な混沌があり、その正体に関しては今も明確な規定?は無く、結局は「何となく」結果が出る所に神の意を感じる、位で。識者はそれを、他者に押し付けてしまう時、そこに歪みが始まり、やがては破綻を産む事になる訳だが。

「現実的事例を元に」その指摘がなされるなら?それは問題は、ない。それは現実に存在する「事実」だ、それは自分の足場を構成する、重大かつ堅牢な真理。だからこそ「硫黄島の決戦」を土台にする時、そこに「突然空から味方の空挺部隊が大量に!」とか、そう言う事は、”駄目”な訳で。「事実であれば良い」訳だ、”それ”は、何処かに事例があるのか?

「ジム・コマンド4機を相手にボール1機が生き延びる道は?」”この”ブロマガの導入で、テストに載せた「ガンダム」そのSS小説そこに、リアリティは有るのだろうか?そんな事実は有るんだろうか?根拠もなしに、勝手な事を言うのは好ましくないのでは。

良くも悪くもストリードも張ってないので、それは言えるのだが。ただ、実例の様なモノが一つある。



…割と、”似たシチュエーション”では、無かろうか。「出来る」と言えば、言える。”ここ”にもその、現実的事例がある、訳だが。

歴史的絵巻に関しても、或いは結論で「偶然の産物」ではあり。例が一回でも発生すればそれが事実ではあり、この動画が或いは数回の挑戦の末に成し得た物だ、としても。それはそれとして「凄い!」意味は有る、訳で。PUBGは特に、ゲームごとにシチュエーションが全く変わってくるので、何度目の、だろうと”初回の事例”には成る。適当なスキルさえ有れば、それは「事実」認定には成る訳だが。

現状、「事例は創れる」状況が、実はちょっと、ある。

逆に言えば、「それは無理だ」そう言われたら、自分でか、”それ”を創れなければいけない、訳だ。創れるのなら?それは事例が存在しなかろうと、事実としての可能性は有ると言う事には、成る。「ある!」と言い張っても、硫黄島の決戦時に空からUFOが現れたりはしない、それは無理だ。しかし、未来の話なら。

「売れる創作」を考える時、”ゲームでの実績”は、そのゲームのリアリティは、結構大事な話なのかもしれない。

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