性格の問題、という絵もある。
「無理です」で散弾銃を持ち出すか、「何故やらないんだ」と圧して撃たれるか、正解は。
私見でwindows11が前者、windows10が後者、ではあり。「頑張れば何とか」と、言っちゃうのがwindows8.1、という感じは私見ではある。その先はその態度に晒されるとストレスを受ける、11は否定する、10は「それ以上」に踏み込もうとする。10は、上司としてはちょっと面倒なタイプかもしれない。時代背景を背に、OSが”性格”を持ってしまっている、という事態は果たしてではあり。
切り捨てが決まってしまっている、windows8.1に、相変わらず望郷と言うか、無念さはちょっと。
かなり、状況は変わっている筈、ではある。アメリカはディフォルトを回避した、その回避する際に選択がある、アメリカを護る為に負けを認めるか?或いは。負け、侵略、そう言うのを「認める」時、アメリカはアメリカのまま「罪」が清算される、白人らはアメリカ大陸を侵略したかもしれないが、今、その白人らの世界は侵略されてしまった。今後は「少し違う世界」だ、より民主的で、より或いはシンプルな、神の国としての。
・・・と言う、「最善」の帰結は果たして、何処まで神の意向と合致しているのだろうか?
状況的に、「法」その支配、という事ではあるのだけど、それだけにその「法」の根幹、それは何処?と言う点で、「パソコンのOS」それは、無視出来ない何か、なのかもしれない。100%法に支配された環境の、その意向。王として適当は何処か?ともかく、散弾銃発砲事件は「無理」への返答だった、自衛官射殺事件は「要求」への現場の返答だった?そう言う視点では両者とも、法の王としては否定されてしまった、そう言うのは…あるのかもしれない。
この帰結で、windows8.1に復権、みたいな話は無いだろうか?
相変わらずと言うか、馴染んだ環境への執着が捨てられない自分では、ある。
ただもちろん?つまり常に「もうちょっと」それを呟き続けている、のも現実ではあって。勿論か、発売された当初から「他要らないのでは」と言う位に、同梱されたアプリに安定感があったのは問題の一つではあり。その後、色々と削られてしまった、その状態が一番安定してる?現状はある。勿論何かの欠損は認められる事無く、サポートは切られ続けていく、訳だが。
安定しているか?と言うと、現状では突然の再起動が頻発する状況では、ある。
Wifiの不安定さと共に、おすすめは出来ない、それもまた現実ではあるのだが。
役割分担が分散しない、そんな過重の中には有るのかもしれない?