あげちうのブロマガ

雪山で遭難した理由の是非

自衛隊で起きた銃乱射事件は、対立と結果への不服、その反動だったのだろうか。

状況を考えていく先で、それは話は太平洋戦争の結末へと巡っていったりはする。

 

「正義とは何か?」ではある。

上の言う事をただ聞いていれば問題は起きないのか?だ。

ただ、もちろんだが”これ”を言う人と言うのはまず、「上に逆らって?問題を起こした」そう言う場合ではあり。不満への懸念も有って、現場の意向を優先したい、しかしその結果、そう言う「理解の不足による失敗」が発生し、それの責任その所在があいまいになる。結果だけで言うと、「オーダーには逆らうな」現場として自己を護る事を考えるとそう言う話にはなる、が。ただ戦争中だ、「あゝ野麦峠」あれで、上官の言う事に反した方が良かったか否か、ではある。

まああの結果は、その戦争の結末への警告、そう言う感じには思ったりもするのだが。

もちろん、この場合現場の、ただ訓練で死んでいった人々には何の過失も無い、が。ただ結果は致命的だ、兵士の尊厳その他にも深刻な憤りが残ってしまう。彼らが死んでいく事になったのは、ただ上官の言う事に従ったから、だ。戦争、という極限状態で無くても、上の言う通りにして大失敗し重い損失を被る、それは少なからず発生する不幸ではあり。

だから?オーダーよりも自分の意向を優先するべきか?ではある。

話を自衛隊の乱射事件に戻すと、「理想的な」教官の自衛官に対して、何かの主義思想が衝突した結果、だったのだろうか?そんな風にも思った。つまり、18歳の自衛官候補生が目指した自衛隊員と、教官から要求される”それ”とが合致しなかった、相手の言う事を呑まされるのが何故か、相手を殺さねばならない!所まで許し難かった、そう言う感じだったのだろうか?そんな推測、ではある。

そこまで?

当人の陥るストレスは、意外な程に些細な狭間から致命的に拡大したりする物で。話は更に「ゼビウス」その話にまで遡る。自身の把握ではゼビウスは売れなかったが、「売れた」と言う数値を強引に創ってしまった、そんな作品だった、と考えていて。元々のオーダーは「潜水空母計画」の可能性、その時求められるのは「ちょっとでも失敗したら台無し」そう言う結果、ではある。が?現場はその時「3回までは復帰できる」そう書いてしまった、それは、有り得ない。

現場の「この方が良い」そう言う判断の結果、この作品は欠落を持ってしまった、という事にはなる。

ゼビウスの”作者”が本当は誰か?についてはちょっと混沌で、そこから先は推測には成る。ともかくその人物は、結果に大いに反発した、私は間違ってない、市場が要求する「ゲームとしての正しさ」を再現した筈だ、それが受けないと言うのは有り得ない、民主主義への否定でさえ有る。ただ、上記のオーダーだったとしたら?オーダーとしては全く逆走も良い所で、言葉が拡大すると、それは先人らへの冒涜にさえ成っていく、そんな出来に成っていく訳だが。しかし。

・・・この「作者」も、それはそれは膨大なコストを費やして反発した、のだ。”これ”と同じ感覚で、自衛官もまた自分の出来る範囲で反発した?と思うと、ちょっと状況の深刻さと根深さ、今後の懸念を少し意識はする。

「オーダーには逆らうな」それを強要するべきなのか?ではあり。

通常の「仕事」としては当然だ、客のオーダーを無視して現場の「こっちの方が良い」を選定する、そして或いは増加したコストを要求する、それは未来の喪失にさえ成りかねないそんな愚行である。ただその結果、「あゝ野麦峠」ああいう悲劇もまた発生した、のかもしれない訳で?

最後の「ケースバイケース」の、「どんなケース?」それが、ハッキリしない。

そもそも「仕事をする」と言う状態その物が、民主主義的には否定される事態かもしれないのだ。

それでしかお金は発生しない、生活費が無いと死んでしまう、生き残る為には。

しかし「あゝ野麦峠」の事態はそんな真摯さの先にこそある?

執着するモノ、それは何処なのだろう。

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