見出し画像

あげちうのブロマガ

お宝部屋というガラクタの山

一応、今の理解の創作は、「お金を創る」そこが主目的ではある。

だから以前の様に、「魂を揺さぶる様な、そして世界を」みたいなそれでは、無い。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

その部屋には、歴々の玩具その金型が眠っている?

 

その時、要求される創作は、「その辺の石ころ」に近い、そう言う物に成る必要が、ある。それは何も言わないし何も要求しない。自ら頭でもぶつけない限りは危険性もほぼ無い、そう言う物として、その上で。それは「必要である」と、お客?ともかくお金を払える人々に思わせるモノ、で無ければならない、訳だ。結果で、人々の一部はその石ころに”対価”を設定して集め、部屋の中に詰み上がるそれに対して満足げではある、訳で。

それが「そのまま」である限り、集める為に消費されたお金は、”そこ”にそのまま残って居る…或いは、逆に数値が上がっている、かもしれない。この時、この「石ころが詰み上がった部屋」は、何かの社会的な脅威の温床だったりするだろうか?ともかく集めた人は、その光景に満足げである、それが「ある」事で日々のストレスを耐えられたり、する。消費した筈のお金が「価値」としてそこにそのまま残って居る限り、支払ったお金は減った事に成らない。

これが100人、200人と増える事で、社会はお金を増やしていく事には成る、訳だが。

こういう結果を齎す創作なら?それはどれだけあっても良いのだがしかし。逆に”それ”を造れるのが一部に限定される、というのは社会的な脅威である、格差が深刻に発生する。故に、マクロな視点は”それ”に対して否定感を向け、是正する方向を肯定する時、ある意味で「刹那的な創作」それもまた、肯定されたりする。結果で発生するのが「独裁創作は利益に成りにくい」と言う深刻な枷、ではある訳で。特に作者の主観、衝動に過ぎない奴は、マクロの視点からすれば単なる示威行為でしかない場合が殆どで、それだけで他者にはストレスだったりする…事も多い。それはどんなに注意しても否定感を抱える事にはなる。これはしょうがない。

と、思うかどうか?が、現在の深刻な懸念ではある。衝動の赴くままに造った(自分的には)傑作が、お客から見向きもされない否定に沈没する、というのは有り触れた悲劇ではあるが。本人のその際の深刻は他者には解りにくくそれが、こじらせた面倒の元に成ったりする、事はままある。「アレがウケて自分のが否定された理由が解らないんだが」説明はこの視点では現状、幾らでも可能だがもちろん、それは相手の自由意思への侵害ではある。憤りは「わからせ」みたいな奴として、多くが自分より弱い立場へ向かっていく事には成る訳だが。

「人間性に深刻な疑問がある」事は多分、当人には否定された理由には成らないだろう。

平成のこの辺の深刻が、実際には文部科学省、その高官にも汚染を広げていた?可能性はちょっと思うが、それでも多少の打開もあった、様な気は、する。流石に警官が、自身に対して生意気な市民に発砲して損壊を起こした?とか言う話は重大な問題にはなるし、成るべきではある。発砲した警官にも言いたい事はあるだろう、それでも、その一線と言うのはまあ、ある訳で。一応、良くも悪くも「倫理」の主体を文部科学省に置く事は出来なくなった…それは、言えそう。表現的には警察が警察としての信用を持てなくなった、という事態ではあるが。それは元々国家元首か天皇陛下かに臣する組織で無ければならないとしたら、奇妙な「私が審判者だ」と言うさまは正しくない、それはそう。

「気づいたら変わっていた」と言う様を良い結果と見るなら、今はその過渡期ではある、あるべきかもしれない。

この先少し、創作への評価は変わっていく…

だろうか?

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事