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あげちうのブロマガ

期待も理想も現実も映す鏡

そこに、失望はある。

ショートサーキット出張版読み上げ動画6691

一応「独裁創作を換金する」そう言う構造を、「アーティファクトゲート」その絵画評点方式は具現化し得る?感覚もある、しかし。その時換金される創作、それを創った人々、それは”それ”を求めて創ったのか?と言う時、実際には感覚論で、お金に困っている?彼らに、その雰囲気は無い。彼らはもう、とうの昔に認められる成りして、相応の、問題もある様な無い様な職場で、”それ”をスキルとして用いて働いているのだ、その余暇を利用した、ちょっとした余興に過ぎない。自身の独裁創作が換金されない?にしろ、それは、理解していた事でさえ有る。

文句を言っているのは誰か?と言えば、この環境での30点以下、「それは買えない」その人々でしかない。つまり、この「アーティファクトゲート」それは、そこに有る不満?を改善し得る、そう言うモノでは無い訳だ。

結局と言うか、かつて昭和の頃に有った「不良」と言う層を、これは現状で明確化しているに過ぎない、感じはある。彼らの創作は買えない、クオリティが低いからだ、彼らを雇うと言う選択もまた、その時有り得ない。

唯一か、「なんで?」に対して、その10項目は相手からも反論し難い防壁には成る。結果に文句を言うのは理解も無いし、「使えない」その証明でしかない。アーティスティック?彼らの”それ”は単に、暇つぶしのらんちきに過ぎないのだ。それは明言し、理論武装かで断罪してしまえる、そこに安定はある。

求めた絵では、無い。

そもそも「大衆は神である」その思想?にしろ、人間的には大きな矛盾の前に居る。「大衆の意思は神の意思の如く絶対である」それが正しい、”それ”を抑止する制御する、それは間違いだ。と言う時、しかし、そこに「カウンタ制御」それは何故か不動なる何かとして存在し続けている。それを不動にしているのは?結局は神様、「大衆」である、彼らはその存在を認めているし?その数値による影響を、許容している。その信者である?自分がまた、こういう立場であり続ける事も、だ。維持はされているが、幸福とか?そう言うのには程遠い現状として、個人的把握の範囲では少なくとも、好ましい状態では無い。そしてその前に有るのが、「自分の創作が売れない」そう言う人々の不満であり、そして、打開を目指して?か提案するそれは?むしろ彼らを否定し、断罪する。

新型コロナウイルスにしろ、それはそう言う視点では「神の意思」だ。神は何故か、これを存在させ続けている。ちなみに、経緯かでこの思想?を言い出したのも自分である。要するにウケれば良い!と言う解りやすいだろうそれは、今までも、かなり大きく問題を残しては居る。

本来なら、それは、「理想の神様」その筈だったのだが。”正しく”評価し神判し、そして救済してくれる、そう言う”いわゆる神様”。屁理屈や矛盾の無い、状況を問題ない物へと導いてくれる、そう言う先導。キリストも釈迦も、ともかく「大衆」に支持されてこそ、その権威と成果を残している。認められるそれは全て、「大衆」それを起点にする、そこに神は居るのだ。

居ましたか?

ともかく自分で「お金」にまつわるシステムを構築し、「お金を創る」システムを創案した、その状況で。「不幸なんですけど」それらが集う時、”自分にその責任が廻ってこない様にする”には、今は「大賀さん」その、”神の意思”決定、それへ責任を向けねばならない、という事態はある。自分は今、その決定に反して動こうとすれば?その時点で殺意さえ内包する剣呑に晒されるのだ。この時自分に発生したかもしれない独裁性、それもまた消える。全ては神の意思に寄る物だ、そう言う時、それは自身にもまた、向く。

最下層かに、居る。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im7772914
https://publicdomainq.net/mountain-range-landscape-0055176/

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