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あげちうのブロマガ

ホテルという異空間はすぐ終わる

理解として「萌えキャラはあなたを見ている」と言う感覚は、まあちょと倫理の範疇だろうか。

人が漫画のキャラを見る様に、人もまた、”何処か”から常に、見られているのだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

コスプレイヤー?にはつらい季節か否か

「動物に意識は有るのか?」と言う命題と、それを殺して食べていいのか?という話は常にある命題?で、返答もまあ、個人の主観には依存してしまう。「大衆は神である」と言う理屈では、世界とは人間の共有感の帰結として存在する。「人々の意識の総意」として目の前の足場はある訳だ、存在全ては人の夢の合算で有る。更にこの宇宙だけ、じゃなくて、別の世界にある人の視線もまたそれに類する、多次元宇宙論。鏡に映る自分の姿はしかし、間違いなくか、無限の異世界の中の一つしてそれは”ある”訳だ。

はい。

というわけで?その理解で言えば動物もまた「人の意識の中の一部」でしか、無い。霊長類、それのみが言えば創造主、”神”に隣接した存在で、他は全て「それ以下」では、ある。故にそれらの生殺与奪権を持つ、訳だが逆に言えば、「それは共有物」でもある、訳だ。勝手に、一般的な感覚を無視して殺したり苦痛を与えたりする行為は、何処か誰かの生命や財産を脅かしている、そう考えてもいい、故に許された存在にしか、それは許されない。

そして逆に言えば?「許された存在なら食べてもいい」訳だ。

なんで許されるのか?というとそれは、言えば「漫画を見てる人々の意識の総意」でしかない、からで。動物、人間以下の「意識」は、そう言う感じで構成されている、人々が注目しているモノに「魂」が発生し、”それ”が別の世界で動物となっている。普通だってどれだけの与太話を作って、笑って捨てているのか解らないのだ。そう言うのが結局、その動物の一生、ではある。人間が意識を集中していく先に、魂は発生してる、そう言うのが「価値」ではある訳だが。

故に、創作への意識もまた、そう言う感じで考える必要は、ある。

ある程度「人気が出た」時点で、それはもう個人の所有物、とは言いがたく成る。うっかりしたら未発表でも、だ。もちろんそこには倫理の適用は出る、野生動物の多くも、無事に成長するのは数パーセントだ。ともかく漫画もまた、面白いそれは読んでいる間は快楽ではあるが、終わらんとする時、そこには寂しさや悲しさはある。動物にしろ家畜にしろ、ともかく終わりはあるモノだ。しかし、飼っている側の要求からしたら、そこはまあ、「代金」を徴収しないと次が維持できない。言えばホテルの様な物、だ。チェックインした後は、日常を離れて快適な環境が続くが、それは長くは続かない訳で。

ともかく飼う側としては、”それ”がまた来てくれるように、滞在中は存分にもてなす、それが道理である。

価値を、換金し得るモノを形成する、のは。或いはホテル業とか、当然かサービス業?そう言うそれに似ている。解りやすいのが映画館、だろうか。そこに人々が2時間ほど拘束されている”だけ”のそこには何があり、何が形成されているのかだ。理解では最終的に数万人が来場した、時、数万羽の家畜の鶏辺りが、一生を謳歌しつつ終えているのかもしれない。もちろんこう言うのは自然界に散見されるモノではあるのだが。人間の増大は、必然として「効率的な価値の生成」それを要求した、そう言う経緯だとは多分言える。

なので、家畜は生きている間は大切にし、その滞在期間の代金を徴収する時にはさっぱりと、が妥当だと。

この理解は逆に言えば、「動物はあなたを見ている」うっかりしたら萌えキャラさえも、だ。そう言う事には成る。そしてそれは「向こう」の読者に報告され、その要求で作家は或いは、貴方に何かを望む事に成る、という事かもしれない。不運や幸運は、最終的には等価かもしれないが、苦痛か否かはその人によるだろう。

苦痛を与えれば、苦痛が帰ってくるのは、或いは道理かもしれない。

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