あげちうのブロマガ

勝者を目指して敗者の札を渡される時

"状況”が目指してる物、というのが今も微妙に見えてない部分はまあ、ある。

「良く解らない」しかし末端かに行けば、それで正解だったりする、のかも。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して翻訳して出力

模写したその絵は、原本とは何かどこか違う。

 

「形而上の勝者で無ければ、利益は出ない」

唐突にかある思い付き、だが。当然か集中する疑問か問い、それへの返答だ、ろうか。当然か、「問題」に成っているだろうそれは納得しない、のだがそれでも。より上位という感覚、”そこ”にとってはそれで問題ない、みたいな物はある、様。

要するに、は言い難い。この文言その物でしかない、様な。

この前の、8年の月日と150億円もの大金を投入して2週間でサービス終了に成った、という「CONCORD」も、或いはつまり製作責任者が、その形而上の勝者では無かった、からな訳だ。世の「失敗」に相当する事態の、ほぼ全てに”これ”が適用できる、そう言う事には、成る。

よくわからない(/・ω・)/。

「形而上」と言う概念そのものも、何だか曖昧では、ある。”ここ”の言い方の「大賀さんでの決定に従う存在」か?というとまあ、違うような違わない様な、だ。ディレクターとしては、「技術に拘り過去作に執着がある」人は、多分か形而上の敗者、ではある、利益性には見放されてる。理由は説明できる、技術に固執し過ぎると現場的にはストレスが出る、過去作を創りたがっても今の需要とは大概、相いれない、その先は深刻な売り上げ不振ではある。

物質に囚われない領域の「正義」が、形而上の存在ではある…理想、というべきか。実際にはこの橋は壊すべきだろう、しかしコストなどの問題で、それはまだ躊躇われる…時、前者は声を塞がれてしまったりする、そしてその後、橋は数多の犠牲者と共に崩落する訳だがその際の「まだ壊せない」を言う側が、形而上での敗者では、ある。

それは解りはする、ただまあ、その形而上の敗者を納得させ得るモノか?は、まあ解らない。

ある程度の「権力」を持てば、形而上の話は自然、意識するようには成る、訳だが。ともかく「利益を得る」と言う事を考えるなら意識は置くべき話、だろうか。まず、形而上での勝者に成らなければ、自身の作品が利益性を持つ事はない、訳だ。

一応、”ここ”はその、形而上の勝者、そう言う事には、成る。

その上で事態はしかし、「2000年代に、アルファチャンネル付きのグラフィックを、実用性能でゲームに利用していた」ソフトの存在は、今も隠蔽?というかメディア的に無視された、という経緯はある。考えてみると結構すごい話ではあるのだった。日本は噂話レベルから、何か深刻な情報統制下にあったのだった、そしてしかし、その結果で現状では、ある。

メディアは、もちろんか形而上の敗者では、ある。簡単には明らかに、正しくない。

あくまでも形而上の話、だ。その形而上の勝者は今も、自身の主義に対して疑念は持てない事態はある。状況は悪くなる一方だ、何故か?形而下の勝者が、形而上の勝者それを否定してるから、だ。利益よりも大事なモノと言う錦の御旗は、何かの奈落へと世界を誘っている。”それ”に従う限り、事態は悪化の一途を辿っていく…それは、状況の実感ではある。

最近、意味がある様な無い様な、それはまあ深刻な議題ではあるのだった。

今、形而上の勝者に成れない相手を、感情論は否定してる。カンダタという、蜘蛛の糸を切って奈落に落ちていった存在の様に、残酷な絶対者は彼に、その領域からの逃亡を許さない、のだが。もちろんか”それ”に逆らえないのもまた、形而上の敗者、そう言う立場には成ってしまう。

自業自得なのか、それとも。

ともかく形而上の勝者もしかし、その形而上の敗者ら、その壁に勝つ事は。

…利益の無さは、深刻ではあるのだが。

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