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あげちうのブロマガ

その時、独り言が五月蠅い

「面白い」がそこに有る事が、「そこにお金がある」という事には成る。

問題は”それ”が、統一的な価値観で数値化される事の是非、だ。

それでも、”その”世界は数千年を、ある意味で平和、そんな環境として…過ごしたのだ。人間が増えてきた事が、否定出来ない”不満”を増大させ、それが世界を滅ぼす悪魔を産む、原理と化した。それは、それまでの”神”、仕えるべき存在、その否定を世界に求める、”それ”が求めているのは信仰を捨てろ、我を神と崇めろ、そんな要求ではあるにしろ…そこにはその数千年を奴隷として過ごした、そんな憤怒がある。

「神」その物を、世界は否定せねば世界は続かない、そんな事態を前に、選択とは。


”この”価値感の是非、ではある。

何となく、費用対効果が悪い、そんな感覚も何故か、ある。

否定する道理が、多数決を前にちょっと弱いと言うか、物語的には世界の破綻を食い止める為にはやむを得ない、としても、その現実へのフィードバックは、ぶっちゃけ世界が安定した時に”それ”を要求する様な、そんな無意味さはある。今は神が必要だ、神が居なければ世界はまた、戦いの中に陥る。

”それ”は或いは、世界が滅びそうな、そんな状況でなければ意味を持たないのかも。


人は、仕える神の為に、その世界を、その理想を護る為に奔走する事になる、が。その悉くは結局上手く行かず、神々同士の対立は、その足元の人間らの対立になり、騒乱は防ぎようも無くなり、どっちにしろ、負けた神は「喰われる」感じで、その環境は蹂躙されて行く。生き残らんとするそれは、世界をより深い戦乱へと加速していく事になる。


今はそう言う状況か?

それは、物語として面白い、と言う評価になるのか。

個人的な衝動は、そこに有るにしろ。

ゲームとしては、”そこ”に「ヴリトラ・ヘキサ」として、一つの結実は見せているのだ。

結局、意外と、既存の世界vs新しい倫理、その対立、というニュアンスはある。


利益化する為には、そこに価値を見出し、それを支払う人々に、その負担金を要求する、と言う事には成る訳だが。

その本人さえもまた、その、何かの統一した査定、それを前に、納得せねばならない事に成る、その時。

自身の価値観と、その数値が一致しない、それを納得するべきか、或いは。


一人で世界を救う為に奔走し、しかし、結局自身の手により最悪の悪魔を蘇らせ、そして守らんとしたか、神の世界その物を、人々を残す為に自身の手で破壊していく、そんな「英雄」の話。

それでもそれは、残すべき物語か、否か。

 



使用イメージ
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