お金を創る事は難しくない。
”その結果を”上手く制御出来ているか?が、或いは、問題だ。
要するに「お金を得る」事による格差の発生は、当たり前に邪を呼びやすく、それを避けるなら?お金は得ない方が良い、のだけども。
現在の社会では、「それじゃ生活できない」のだった。
適当な換金、というのは、果たして如何なる。
「創る」事は意外と容易い。結論で「±0」を形成すれば、それはそこに「有る」と言う認識に成る、”物理的に”だ。要するに、必要性に対する「存在する負荷」と言うモノが同時に絶対に有る訳で、”それ”を設定し得るなら、それはそこに”存在”する。逆にそれを導入すると?「絶対はない」優位が有れば不利がある、そう言う意味でもそれはある訳だ。
不利は無しに。
創作での最大の問題は”この衝動”ではあるかもしれない。この需要だけは、どうしても埋める事は出来ないのだが…絶対に消えない需要では、ある。
そしてまた、或いは「反逆者」の足場でもある、のかも。
ともかく、そのプラスとマイナスを上手く調整する結果で、「有る」と言う状態を創れば、それは価値になり、換金の足場にし得る。「幾ら?」と言うのが、そこに対して「好ましい」或いは必要、そう集中する意識だ、一人1円。「価値算出法」は、”それ”が集う程に面倒を増していく、それが存在する結果としてもプラスもマイナスもある訳だ。最終的に残った数値が、”その”価値の値段、担保的価値、という事には成る。
この時点で、この「価値」は経済を支える土台、その砂粒の一つには成った訳だが。
このスキルは、ある程度の理解と訓練で直ぐに身に付く。物語で言えばあの「起承転結」だ。形式を創るだけで、それは一つの存在を確約はし得る。後はそれを、「対価変換法」価値として形成されたのが1000万円で、一つ5000円、という事なら?価値を形成した、「それは良いモノだ」とした人々の、お金を持ってる人から順に買っていくだけ、2万本売れる、という話に。換金が終了した時点で購入する必要もなくなる、同意は有っても、お金が無いのなら、それは無理して買う必要はないし?要求もされない。先日も書いたが、価値は毎日目減りしていく、ので。「創作」その需要は、常に発生する。自身の領域内で喪失するモノを、探して創っていけば、その環境は理屈の上では永遠にその領域を、自給自足的に維持し得る訳だが。
理想論、と言えば、そう。
また、先に出た「プラスには比するマイナスがある」この原理を超える事も出来ない。
むしろ、”この”衝動をどうやって抑えるか?にこそ創作の需要は有ったりする訳で。
壊滅的な悪夢はある。
相手に貸した金が、回収出来ない。
そして相手は、それを踏み倒したまま?平気な顔で暮しているのだ。
更に、或いは重い犯罪を犯した罪人でさえ有る。
この事例への対処は、「諦めろ」貸した側にも責任がある、という所に帰結するのだが。感情論はそれで納得する程、複雑な道理?を持ってない。高まる剣呑の、是非ではある。
対価を支払え。
それは今も、むしろ凶悪な魔竜と化しつつ。
逆に、反逆者の笑みを呼ぶのだ。