あげちうのブロマガ

救えなかった救いの手

好意的に見すぎる、気はする。

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「ゼビウス」は、或いはそんな「軽犯罪の負債」付いてしまった不良の”汚れ”それを、軽減する事を目的にしていた、のかもしれない。企画原案、王の権威その意向に逆らっても目指すべき道、世間の、不良らの汚れその除去。このまま不良らは、単なる社会の汚物と化していくのか?それは忍びない、或いは。

しかし、結論的には不可能だった、訳だ。一千万円程度、では。

「裏切られた」と言うより、「それは教育上問題がある」そう言うべきではある。「それ以上罪を重ねると、死ぬぞ?」それがリアルである方が、「汚れは幾らでも落とせる!」それよりも、実際は抑止効果がある。彼らの加害の蓄積を止める為には、「それを続けると死ぬ」必要があって、しかし。或いはゼビウスは、それを打開しようとしてしまった。本来なら、「続けると死ぬ」ルールを規定化するべきだったが?それはしなかった。

…結論で、どれだけ頑張ろうと一千万円程度しか補填は出来なかった訳だが。

そのスコア分、その人の「負債」は軽くなる。「自身の負債を埋める価値ある技術を持っていれば、補填できる」訳だ。100円で20万円分軽くなる、なら?負債を持った人々には、有り難い話だろう、ある程度救われた人々が、ゼビウスの重い信者と化した訳だが。しかし、実際には最高得点は一千万点で、それ以上は、無い。「出来ない」訳だ、しかし。円の万引きを数カ月続けるだけで軽犯罪の負債は、減滅可能な一千万円を簡単に超える。世の「不良」の多くは、実際にはより重い負債を背負っていて、軽くなった後、彼らはやっぱり続ける訳で、”それ”を打開は出来なかった、訳だ。要するに、戻れる所で止めて、二度とやらなければ良いのだが。ゼビウスはゲームオーバーを創らなかった、「何とかなる筈だ!」それを、今も捨てられずに?

「だったら?彼らはどうしようもないのか?クズのままか?」

何かの執着として、つい食いついてしまう。この「軽犯罪の負債は蓄積する」それは、概念に無かったそれは多分、有る。ここで「それは出来ません」彼らは一生成功者になる事は出来ないでしょう?それでいいのか?が、しかし。

「軽犯罪の蓄積でも死刑になる」方が、実際には、彼らを救う事になる、”止めるから”だ。軽犯罪なら「気づく所で止めてしまえば良い」先に行ったら死ぬしか無くなる?なら、ゲームオーバーを避ける為、彼らはそれ以上をしない。本当はやっぱり、”そう言うゲームで有るべきだった”のだ、ろうが。

ともかく現在のゼビウスに軽減できる金額は一千万円が上限で、”それ”は非常に難しい。「それでは意味がない!」一億とか!それは出来ない。「使えない」そう、だから。

「そんな要求、どうやって満たせって言うんだよ」

「ゼビウスは、失敗作だった」訳だ。



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