エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「言ってること」と「やってること」が違うじゃいなか! と言われちゃうぞ

2015-10-21 08:32:03 | アイデンティティの根源

 

 ドイツ農民戦争の小作人たちは、単純にして威厳がありました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.235の第2パラグラフ、8行目途中から。

 

 

 

 

 

 聖書は、神が下さる、唯一の、最高法規なのです。さもなければ、小作人たちは、「いろんな必要性に従って」自分の仕事でも、それぞれが受け取ることを求めたのでした。小作人たちは、要求においては穏健であったけれども、暴力が起きた時にはいつでも、過激であったのは、今日では同意されやすい。ルターは、以前から暴動が起きるたびに警告してましたし、「全てのキリスト者に向けた、心からのお願いと、暴動や反乱に対する警告」でも、また警告しました。ルターが堂々とした口調で強調したのは、「いかなる暴動も正義ではありません。それは暴動の理由のいかんにかかわらず、暴動は正義ではないのです。私が心寄せるのは、今もこれからも、暴動を起こされた側に対してです」ということでした。

 

 

 

 

 

 ルターは暴動や反乱には反対でした。しかし、ルターが語った言葉は、中世世界の秩序を覆すものでしたから、実際には暴動や反乱を誘発していたのでした。ですから、ルターが実際には暴動や反乱に反対した行動、やってることは、ルターが従来言ってたことと、矛盾が生じていたわけです。

 「言ってること」と「やってること」が違うじゃいなか!! という、子どもからよく叱られるセリフで、ルターも、「ルターの子どもたち」(ドイツの小作たちや庶民)に叱られることのなりますね。

 

 

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防衛機制も、お役所仕事になる時

2015-10-21 06:54:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
謙遜と客観性
  自分を客観的に見ることは、非常に大事な視点ですが、それを実践するためには、大きなエネルギーが必要です。 p111第3パラグラフ。 &nb...
 

 

 

 知的に物事を捉えることは、思春期の人たちの特色らしい。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p85の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 それで、いろんな防衛機制は、それが抑え込むことができる、人それぞれの本能的な衝動に合わせて、形作られるだけではなくて、防衛機制が上手く働いているところでは、ひとりびとりとその家族やもっと大きな集団の間の、礼拝でするみたいな、真実なやり取りを分かち合い、あるいは、対照的になります。しかし、防衛機制が弱かったり、ねばならないが強かったり、全く孤立していたりする場合、防衛機制も、ひとりびとりの、心の、形ばかりのおざなり、になっちゃいます。

 

 

 

 

 

 防衛機制にも、お役所仕事があるとは知りませんでしたね。でもね、エリクソンは、そうハッキリ言ってますからね。それは、防衛機制が弱かったり、ねばならないが強かったり、孤立してたりする場合です。

 

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トラウマから快復する、その悦び

2015-10-21 02:13:32 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 発達トラウマがありますと、人生に真の喜びが見出せません。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.207のブランク後の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 人々が、テンションが高かったり、逆に、落ち込んだりしている限りは、経験から学ぶことなどできませんでしょ。たとえ、何とか自分で自分をコントロールできたとしても、イライラしてたら(断酒会の人たちは、「冷や汗ものの断酒」と呼びます)、頑固になったり、強情になったり、落ち込んだりしますよね。トラウマから快復することには、自分で自分をコントロールすることを快復することも含まれますし、それだけじゃぁなくて、自信を取り戻したり、陽気で楽しくできることや創造的にできることも含まれます。

 

 

 

 

 

 発達トラウマがありますと、イライラするのが基本形、強情になりやすいし、落ち込みやすい。とにかく、楽しくないんですね。ですから、トラウマから快復することは、人生を楽しみためですね。自分を生きることには必ず困難があります。でもね、自分を生きることは、それが叶わなかった頃には想像できないほどの悦びがあることも、また事実です。

 

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偽装マンション : ウソとゴマカシの真犯人は、誰だ?

2015-10-21 01:32:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
非暴力こそ、世代と世代を繋ぐ務め!
  嬉しい約束が、臨床でなぜ大事なのか? それは福音だからです。福音は信頼と希望の源なんですね。 p356第4パラグラフ。  ...
 

 

 また、マンション偽装が起きました。2006年のマンション偽装は、設計段階でのウソとゴマカシでした。思い出します、一級建築士だった姉歯秀次さんとデベロッパーのヒューザーが連日のようにテレビをにぎわしてしましたね。「耐震偽装事件」として、有名になりましたよね。当時私は、姉歯秀次さんやヒューザーのような「悪徳業者」がイケナイ、という印象操作、情報操作にマンマと乗らされてしまいました。

 9年後の今年2015年、三井不動産レジデンシャルが、また、マンション偽装をやっちゃいましたね。こんどは、設計ではなく、施工、つまり、工事をする際の、ウソとゴマカシです。「「地球への優しさ」と「人への優しさ」の双方を実現」が基本的な考え方だとおっしゃる、三井不動産レジデンシャルが、「人生最大の買い物」であるマンションが使い物にならない、という、人の人生を台無しにしかねないことをしでかしたわけでしょう。三井不動産レジデンシャルや、その下請け企業もいけないと思います。でも、今度は、9年前と違って、この人たちが「犯人」とは、私は考えません。真犯人は別のところにいると私は考えるからです。

 衣食住という言葉があるように、住むことは人間が生きていくときに、なくてはならない重要事項です。これに異論をさしはさむ人は、居ないだろうと思います。ですから、住むことに関するざまざまな条件を整えることは、「人間として正しいこと」(=基本的人権)です。したがって、安心・安全に住むことができるようにすることは、国の責務なわけですね。国がその責務を果たしていないから、また、マンション偽装が起こったのだ、と私は考えますね。

 今現在も、家やマンションを建てる時には、「建築確認」が必要です。この「建築確認」は、民間業者にも「開放」されていて、「安かろう、悪かろう」のいい加減な「建築確認」が横行しているようです。姉歯事件もその一つということです。この「建築確認」制度が、不十分極まりないのです。

 さすがは日弁連、姉歯事件の前の2005年に、「安全な住宅に居住する権利」が基本的人権であることを宣言しているそうですよ。しかし、現在の「建築確認」制度は、「性善説」に立っているために、審査が甘くなりやすい。しかも、審査件数に比べて、審査を担当する人が少なすぎるらしい。虐待の通告が増えているのに、虐待は実際の通告件数以上に多くて深刻なのに、児童相談所のスタッフが全く足りないのに、似ています。つまり、「安全な住宅に居住する権利」という生存権を保証する制度として、「建築確認」制度は、欠陥制度なわけですね。言葉を換えますれば、”「建築確認」制度という欠陥制度があるから、次から次へと、欠陥住宅、欠陥マンションが出来る” という訳ですね。

 こんな不完全な制度、欠陥制度を改めず、ホッタラカシにして、戦争法案と9条骨抜きを目論む、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが「真犯人」です。

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは「生存権」を守ることよりも、業者が儲かり、自分らに献金してくれたら、業者に有利な制度は変えない訳ですね。

 

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