エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

1つの見識

2015-10-27 07:26:18 | アイデンティティの根源

 

 ルターは素直じゃ、ありませんでしたね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.236の第2パラグラフ、6行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターのやりすぎの言葉がいつでもわざとする反抗であれば、ルターの影響が心地よいものになる訳ではなくても、ルターはもっと分かり易くなります。さもなければ、ルターは全く寛容ですし、率直で自由な意見を口にすることもできました。ルターは諸侯らに嘆願して、各宗派が自由に議論が出来る様に取り計らいました。また、ルターが聖職者の対して打ち立てた原則は、「どんな犠牲を払おうとも、沈黙はしてはならないし、不正に与することはあってはならない」ということでした。ルターが重すぎる負担を求める預言者にになったのならば、それは、ルターが政治的な歴史を新たなものにしようとしなかったからです。ルターにそうして欲しいと、指導者のいない熱狂的になった人々は、ルターに願ったのですがね。長い目で見れば、この反動の故に、個人主義的にして、平等主義のイメージがいつくかできたと言ってもいいでしょう。また、革命に置いては、右派にとっても、左派にとっても、価値の問題が問題になることになりました。

 

 

 

 

 

 ルターは政治の革新には関心がなかったのかもしれませんね。スピリチュアルな革新の方に関心があったからです。それでも、中世カトリックの聖職者が、次から次へとウソとゴマカシ、それから、不正に与していったことを考えたら、ルターはそれを許さなかったのは、やはり、1つの見識とすべきでしょう。「どんな犠牲を払おうとも、沈黙はしてはならないし、不正に与することはあってはならない」は、1つの見識です。

 今の日本では、このルターが示した見識は、スピリチュアルな改革のために役立ちます。しかし、それだけじゃぁ、ない。この見識は、政治的な改革にも、経済的な改革にも、組織の改革にも、役立ちますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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フロイトが選んだ、陽気で楽しい、時空を自由自在に動く方法

2015-10-27 06:12:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
キリストに対する信頼 < 人間を上下2つに分けるウソ ?
  イエスは、自分を見失っている者に対して、自分を取り戻す力を与えてくれるばかりではなく、自分を、より「その人ならでは」に磨きをかける際にも、全身全霊で、力づけて...
 

 

 

 フロイトは無意識に至る道である自覚を、避けたい気持ちでいっぱいでした、

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p86の第2パラグラフ、下から11行目途中から。

 

 

 

 

自分自身の美的気付き、道徳的な気付き、科学的な気付き、その深さ、その情熱を考えれば、無意識やイドに脇目も振らず集中することが、人の動機の中で、最もあいまいで、しかも、最も根っこにあることを研究する研究に、苦行僧みたいに献身することになると考えなくてはなりません。しかし、フロイトの方法は、無意識に何らかのものを生み出してもらうために、陽気で楽しい、時空を自由自在に動く方法、たとえば、「自由」連想だとか、夢だとか、遊びそのものだとか、全てが特殊な気付きの方法を択ばなくてはならなかった、ということを心に留めておくべきでしょう。一方で、体系的な解釈をすることが、意識を拡大するために役立ちます。フロイトは意識を、die Leuchte「輝く光」と翻訳するしかないものに擬えています(フロイト、1933)。

 

 

 

 

 

 光は普通、見上げるもの、ハッキリと見えるものですね。しかし、意識は「輝く光」なのに、見上げることも、ハッキリ見ることもできません。意識が意識そのものを捉えなくてはならないからですね。自分に顔を直接見た人が、未だかつて一人もいないのと同じです。無意識を見ることはもっと困難ですね。それで、その無意識に至る方法を苦心の末に考え出したんですね。でも、その道は1つしかないんですね。

 それは、陽気で楽しい、ということなんですね。

 

 

 

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心優しい関わりと、バカな関わり

2015-10-27 02:05:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 マインドフルネスの効果は、息を意識して、自分が生かされていることに気付くことから生まれるんですね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.209の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 気持ちの整理をすることが、トラウマとネグレクトの影響をコントロールする時の要ですから、教員らが、軍曹らが、養父母らが、心理の専門家らが、気持ちの整理をする術を徹底的に訓練しているかどうかで、大きな差が出ますよね。いま、保育所や幼稚園の教員らの業界は、いっそう このことが当てはまりますでしょ。この教員と保育士らは、毎日、未熟な脳(の子どもたち)を相手にして、衝動的な行動に向き合っていますから、気持ちを整理することに長けている場合が多いからです。

 

 

 

 

 

 羨ましいですね。アメリカはなんだかんだと言われても、優れているところは非常に優れてますね。学齢前の幼稚園・保育所の教員・保育士は、子どもの気持ちを整理する術に長けている、と言うんですからね。それは、心優しい関わりです。

 私も、長年保育所に関わってきた経験から申し上げるのですが、日本にもそういう保育士がいることも知っています。でもね、大きな声で子どもを怒鳴りつけるような保育士も少なからずいることもまた確かですね。「決まりです」と強い口調で言う人も少なくありません。そうすると気持ちを整理することになんないですね。むしろ、気持ちを抑え込むことになっちゃいます。気持ちを抑え込むことが習慣になった時の、激しい怒りや憎しみが、後々になって、いろんな害悪を、その子にも周りにも及ぼすことになる、と言う見通しがないから、こんなバカにな関わりが出来るんですね。

 

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日本人の組織の無責任構造:日本軍の抑圧移譲とゼネコンの下請け構造

2015-10-27 00:31:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
真理に対する畏敬
  真理に対する畏敬。ヒューマンサービスを生業にしている人はもちろん、学問の世界や法と関わる仕事でも、非常に重要な態度、人品ということですね。 学問を生業とし...
 

 

 横浜市の傾いちゃったマンション、一部上場の大企業 三井不動産レジデンシャルが
販売したものです。三井不動産レジデンシャルのホームページ(http://www.mfr.co.jp/philosophy/quality/)を見ていると、三井不動産レジデンシャルは、「徹底的な品質管理」をうたい文句にしています。そして、「多くの人の手で膨大な作業を経て建てられるマンション。三井不動産レジデンシャルでは、長年のノウハウを結集し、独自の設計標準を定め、建設における全ての工程において、施工会社などの検査だけにたよることのない、社員自らによる徹底したチェックを行っています。」と会社の高い品質管理と高いモラルがあるやのようにおっしゃいます。この≪話し言葉≫を≪出来事≫にしていれば、マンションが傾くはずがありませんよね。傾いちゃった横浜のマンションに住んでいる方が、この、三井不動産レジデンシャルの≪話し言葉≫を眼にしたら、どんな気持ちになることでしょうか? 「言ってることとやってることが真逆で、頭に来ちゃうよ!」、「呆れちゃうわ」…。

 ところが、消息筋によりますと(「ゼネコンは全部知っている」~専門家が語る旭化成建材のデータ偽装(前)http://www.data-max.co.jp/271023_dm1345/、「ゼネコンは全部知っている」~専門家が語る旭化成建材のデータ偽装(後)http://www.data-max.co.jp/271026_dm1345_02/)、実態は、三井不動産レジデンシャルの謳い文句とは、全くの別物のようです。マンションの杭が強固な地盤に届くか届かないかは、「掘ってみなくちゃぁ分からない」みたい。想定よりも、地盤が浅ければ、杭を切って使うこともできます。しかし、問題になるのは、想定よりも地盤が深い場合です。現場に持ってきた杭では、地盤に届かないのであれば、「届く杭を持ってくればいいじゃないか?」と、思うはずですね。しかし、そう思い、それを≪話し言葉≫にし、それを≪出来事≫にすべく実行しようとすれば、販売会社の三井不動産レジデンシャルや施行受注会社の三井住友建設にも、嫌われて、仕事を干されてしまうと言いますね。消息筋は次のように語ります。

「私の主観ですが、「ゼネコンは全て知っています」。そのうえで、旭化成に責任を押し付けている。旭化成は重機を持ちません。管理しなければならないのは当然ですが、ほぼ工事を受けた地場の下請業者に外注しているはずです。しかし杭のほとんどが受注品なのです。もし下請が杭の長さが想定よりも短いと気づいて、「もっと杭の長さが必要だ」と訴えそれが例えゼネコン側の耳に届いたとしても、ゼネコンの監督は聞かないふりをします。聞けば長さの合わなかった杭を持って帰らないといけない、そして適切な長さの杭を作り直さなければならない。そんなことをしていては1週間、10日かかり、お金もかかります。

 さらに今回は既成コンクリート杭。杭打ちしている時には、もう横に生コン車が来ている。打ち直しになると、生コン車も無駄になる。それをしないように、岩盤まで届かない杭のまま、工事を終わらせてしまった。それが今回の誤魔化しの真相だと思います。杭の短さを真面目に訴えた下請は嫌われてしまうし、追加の費用はもらえない。
真面目なほど、下請は仕事で干される。ゼネコンの監督は現場の諸事情を全部知っています。でも都合の悪いことは知りたくない、知らされて自分で判断したくないから、聞かぬふりをする。
 当件の場合、ゼネコンですが、報道中に三井住友建設(株)の名前があまり出てこないのは、おかしい。どうも口裏を合わせて、会社にとってのダメージを最小限にとどめるシナリオを作っているように感じます」

 責任を下請け企業に押し付けて、利益を一部上場の企業がせしめる構造があります。これって、イジメとカツアゲでしょ。しかも、このイジメとカツアゲを、その無責任体制を、国が「建築確認」制度という、「無責任な『傾いちゃうようなマンション』を正々堂々と作っていいですよ」無謀な制度をつくって、お墨付きを与えてる訳ですね。「一部上場企業が無責任を堂々とやっても、自分らに献金してもらって、選挙に勝ちゃぁ、それでいい」と、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは考える訳ですね。

 かたや、日本軍。日本軍のイジメ体質、無責任体質も有名です。なんの理由もなく、上官が兵隊を殴る訳ですね。イジメが日常化してんですね。下士官が古参兵を、何の理由もなく殴る。殴られた方はたまんないですけれども、上官を殴り返す訳にも行きません。当然不満が募りますよね。古参兵は、その不満を上官にぶつける代わりに、初年兵にぶつけるようになります。こうして、古参兵は、何の理由もなく、初年兵を殴るようになります。これを丸山眞男教授は「抑圧移譲」と呼んだんですね。イジメが、日本軍の序列の上から下へと、次から次へと移っていくんです。簡単に言えば、「イジメの連鎖」ですね。「イジメの連鎖」のある日本軍は、「無責任の組織」であったことは、いまや常識でしたね(こちら http://d.hatena.ne.jp/cangael/20140805/1407191322をご参照ください)。

 ゼネコンと下請け企業の、傾いちゃうマンションでも平気で作る 「NO」と言えない、無責任構造が、「NO」と言えない、日本軍の「イジメ連鎖」の無責任構造と全く同じですね。

 この解決策は、丸山眞男教授が、また教えてくれてますね。

 それは、「NO」と、損は覚悟で、ハッキリと、パレーシアに言うことですね(あなたは、間違いに対して、ハッキリ「NO」が言えますか?)。

 

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