エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターも詩人

2015-10-13 08:00:52 | アイデンティティの根源

 

 ルターのドイツ語訳聖書を読むと、当時のドイツ人は、聖書は自分のことを言ってるんだ、と分かりました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.233の第1パラグラフ、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

聖歌を歌ってる時、(訳注:雷にあって)ビックリして、この男は、「主の祈り」を翻訳しましたね。それでドイツ人たちは、「キリストさんって、ドイツ語でものを考えてたんだ」と感じるようになったんですね。ルターは、憎しみに満ちた言葉や、神を冒涜するほどの卑猥な言葉で、激しく非難したかと思えば、みんなのうたの力となり、みなんの歌の素朴な感じを抱かせる、いろんな詩も書いてたんですね。

 

 

 

 

 これだけ振れ幅があると、ルターも誤解されることが多かっただろうと思います。それは内村鑑三と同じです。

 でも、ルターはドイツ人の心をわしづかみにするほどの詩も書いているんですね。これも、内村鑑三と同じです。

 

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日毎に真実の関係で生きること =個人と社会を結び付けるもの

2015-10-13 07:22:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 人の心には、人様の真実がなくてはなりませんね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.81の最後の行から。

 

 

 

 

 

 こういったことすべてを見てくると、私どもは、ここまでは見て来なかった、もう1つの現代的な研究の最前線を見ることになります。それは、町の政治に役立つ「制度システムと制度の活用法」を含むことでしょう。私どもは、毎日真実の関係の中に生きる、という毎日の礼拝について、説明しようとしてきたのは、本当です。毎日の真実の関係の中で生きる、という日毎の礼拝は、ひとりびとりが発達することと、社会の構造を結びつけます。ですから、人々の「駆け引き」は、親密な人と人のやり取りを記録したケース記録を研究したり、事例研究をしたら、すぐに分かります。ついでに申し上げれば、信頼と希望から生まれる特別な人間力と宗教を結び付けてきましたし、困難があっても、人とのやり取りの中で自分の感じを行動する際の指針とするオートノミーと意志を、ルールに結び付けてきましたし、困難があっても、人とのやり取りの中で自分の感じから行動を始める自主性と目的を、芸術に結び付けてきましたし、困難があっても自分の感じをやり取りの中で、キチンと示すことができることと有能感を、科学技術に、自分を確かにする感じと忠誠心を、価値の秩序に、それぞれ結び付けてきたところです。

 

 

 

 

 

 ひとりびとりが発達することは、社会の仕組みができていくことと、結び付いています。ひとりびとりが発達しないと、社会の仕組みがおかしくなって、さまざまな社会病理が生じるのと同じです。

 

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月遅れで、高橋源一郎さんの『論壇時評』を読んで

2015-10-13 06:32:29 | エリクソンの発達臨床心理

 

 9月24日の論壇時評のタイトルは「2015年「安保」のことば 「わたし」が主語になった」でした。

 私は「私」という言葉が大好きです。特に主語の「私」が好きなんですね。でも、それは私が自己中心だからではありません。日本では「無私」で「会社のため」「アメリカのため」と言ってる人が、一番のジコチュー自己中であることは、皆さんもよくよくお分かりのことと思います。

 高橋源一郎さんによれば、敗戦後、「安保」絡みのデモは、3回あったってんですね。前2回と比べて、今年のデモの特色の第1は「非暴力」だった、という訳です。それから、もう1つの新しさがあると感じると高橋源一郎さんは言いますね。それは「内面」「価値観」だと言います。

 「私」「非暴力」「内面」・「価値観」と並べると、私は、エリクソンを思い出します。この3つは、深く結びついていることを思います。どういうことだと思いますか?

 エリクソンは「私」=「本当の自分」の発達を、具体的な人間関係の中で、自分も実験台にしながら、試行錯誤、考え、臨床で役立てた人なんですね。「組織のため」を装って、我慢して生きて、結局は我利我利亡者になってる人とは対極的。「私」を生きると、その「私」がいかに大事かが分かるから、他者の「私」も大事にせずにはおけません。当然その関わりは「非暴力」になりますね。エリクソンは、ガンディーやイエス・キリストを研究してますが、それは非暴力研究でもありましたね。

 それから、「内面」「価値観」との結びつき。エリクソンは、「価値」「ヴィジョン」「オリエンテーション」「エートス・人品」と言いますね。それは、ですから、単なる「内面」ではなくて、雰囲気、立ち居振る舞い、態度、行動になって現れる「内面」「価値」になります。大江健三郎さんや、フラナリー・オコーナーの言葉で言えば「人生の習慣」「生き方」the habit of beingになります。同じことです。

 このように考えますと、今回の国会前のデモは、新たなヴィジョンを、私どもにもたらしてくれているのだと感じますね。それを今後の私どもの生活の中で、ハッキリした形で具体化し、さらに、それを言葉にして、人々に伝えていくこと、それが、この新しいヴィジョンを展開させていくうえで、非常に大事だ、と私は考えます。

 

  実りの秋…

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トラウマからの快復  トラウマこそ、現代の最大の公衆衛生上の課題

2015-10-13 01:08:07 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 今日から、ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」の翻訳を始めます。

 愛着障害。一番の専門家と思われがちで、それなりの大学や病院にお勤めの児童精神科医でさえ、愛着障害を知らないために、愛着障害の子どもたちが捨て置かれている現状に、心が痛むからですね。もっと広くは、日本の多くの人も、愛着障害を知らないために、アメリカ精神医学界やアメリカ児童虐待専門家協会が「やってはならない」=「禁忌」としていることを、税金を使って、「正々堂々と」=イケシャァシャァと、行っている現状を、少しでも打開し、愛着障害の子どもが、これ以上、傷に塩を塗り込まれるような虐待を、税金を使って行うことを防ぐためです。極めて消極的な理由から、この翻訳を思い立ったわけですね。

 今日から訳す所のタイトルからして、とても大事ですね。愛着障害の子どもは、本当の自分を生きられない、最も重症な子どもです。しかし、本当の自分を生きてないのは、愛着障害の子どもだけではありません。おしなべて日本人は、同調主義にドップリ漬かっていることが実に多い。同調主義の良いヌカミソになっちゃってる訳ですね。そうすると、本当の自分は死んじゃってることも、必然的に、多くなるわけですね。そういう人は、愛着障害の子どもの支援は無理ですね。自分もできてないことで、人を支援するのは、きわめて困難だからです。

 それでは、ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p205~

 

 

 

 

 

   第13章

   トラウマから癒されること :

   本当の自分を生きること

 

   

 

 

   僕がセラピーに行くのは、自分が変わり者だと分かるためじゃない。

   僕が毎週、セラピーに行って分かるのは、たった一つの答え。

   セラピーのことを話す時はね、人がどう思うかって分かってる。

   セラピーをすれば、自己中になるし、セラピストが好きになる、ってね。

   でも、あぁ、人は誰でも大好きだったことも分かる。

   それは、最後にたくさん話し出すのは、自分のことなのにね。

           ― ダル・ウィリアムズ『心の声は、何て言ってますか?』

 (訳注:https://www.youtube.com/watch?v=LwrQXI4_mgoで、この曲が聴けます)

 

 

 誰もが「治療」できないもの。それは、争い事、虐待、レイプ、性的いたずら(痴漢)、それから、恐ろしい出来事。こういうことは、いったん起ったら、元に戻すことなどできません。でもね、そのトラウマが体や心や魂に刻み込んだ傷跡に、何か「できる」ことはないのかなぁ? 五感が滅茶苦茶にされたら、不安だとか、憂鬱だとかいうかもしれません。自分のコントロールが出来なければ、「危ない」「怒られる」、と警戒するのが当たり前です。自己嫌悪、悪夢、フラッシュバックがあれば、それが暗中模索の霧となって、仕事も手に付かなくなりますし、今やってることに身が入らなくなります。心を開いて、他の人と関われなくなりますね。

 

 

 

 

 

 発達トラウマがあると、自分とも、他の人とも、関わることができません。魂も人間関係も育ちませんから、社会の中で生きていくことが非常に困難ですね。引きこもり、非行、怠学、少年犯罪、いじめなどの背景に、発達トラウマ、愛着障害あり、ですね。

 

   

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