エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

無意識が仕掛けた歴史の皮肉

2015-10-18 11:16:34 | アイデンティティの根源

 

 本当に正しいことは、良い方も控えめになりやすいから、意識しないと聞き逃しちゃうものです。本当に正しいことは、はじめは、囁きだからです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.234の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 一方で、ルターの人格と田舎暮らしの展開、他方で、世間の社会的な混乱、反抗、進歩は、世間知らずの熱心さ、無意識の皮肉、それに、正義のお面を被った恐怖が一緒になって、バーナード・ショーのドラマみたいになってきました。ヴィッテンベルグのアウグスティヌス修道会は、修道士らは立ち去ったので、ザクセン選帝侯がルター専用にしました。ルターは結婚した後で、以前は修道女であった妻と子どもと一緒に、その修道会を使っていたのですが、皮肉なことに、それが最初のルーテル派の人々の建物になったわけですね。それで、ルターは落ち着こうとした矢先に、ルターが(カトリックに反対して)謳っていた革命詩が、自分に向けて跳ね返ってきました。

 

 

 

 歴史の皮肉とはこのことでしょう。最初は自分は告発する者、抵抗するものとして立ったのに、気付けば、告発されるもの、抵抗されるものに変わってしまったのですから。

 

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心の防衛の仕方は、人類共通の不思議

2015-10-18 09:34:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
愛着セラピーの友(手引き)
             バーンズ・アンド・ノーブル書店アラモアナ支店にて                        バーンズ・アンド・ノーブル...
 

 自分が怖い存在になるのは、自分が怖い思いをした時の不安や恐怖心への対処法の1つだ、ということを知っていることは、子どもを相手にする人にとっても、大事ですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p84の第2パラグラフです。

 

 

 

 

 アンナ・フロイトは、とある学校での観察について報告しています。その報告では、近代性を追い求めて、学校でのいろんな在り方が、新たな礼拝、すなわち、新たなやり取りに変わりました。それは、「クラスでの一斉授業よりも、子どもが自分で選んだ学びを大事にする、ということです」(1936, p.95)。すぐに、怖がったり、縮こまるような、新しくて範囲が決まった防衛的な行動が、それまでは、出来がよくて、評判も良かった子どもたちに現われたのでした。こういった子どもたちの適応そのものが、求められることが変わったために、危機にさらされたわけですね。アンナ・フロイトによれば、こういった、人々に共通する防衛機制は、ひとりびとりの子どもがしでかしたことでしたが、学校がこの気まぐれな礼拝、すなわち、気まぐれなやり取りを止めたら、すぐに解消してしまいました。しかし、このようなひとりびとりに共通する、対人関係に関する防衛機制をどのように考えたらいいのでしょうか? こういったひとりびとりに共通する防衛機制は、長い目で見れば、習慣的になりますし、そうなれば、人格や仕事、それから、集団生活の中の人品までが、限りなく変わってしまうのですからね。

 

 

 

 

 

 防衛機制の基本は、ひとりびとりがやることなのに、ひとりびとりに共通します。考えてみれば不思議です。人間の心は眼には見えないけれども、手や足のように、同じ形をしているからではないですか?

 

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マインド・コントロール 改訂版

2015-10-18 07:35:10 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分自身に出会う時
  神様はいついかなる時も≪いまここ≫に私どもひとりびとりと≪共にある≫存在なんですね。これを、良い知らせ=福音と呼ばない手はありません。 p356の3行目か...
 

 

 Facebookで、はるか遊さんが、浜矩子さん、柳澤協二さん、内橋克人さんの『民主主義をあきらめない』(岩波ブックレット937)の一読を薦めておられたので、Amazonに注文しました。今日がやっとAmazonから届きました。この本は、「鎌倉・九条の会」の結成十年を記念して、この5月に行われた講演会を文書にしたもののようです。お三人の講演が、掲載されています。

 

 

 私はまず最後の内橋克人さんのご講演の部分を読みました。この内橋克人さんの講演を手掛かりに、今の日本を考えてみたいと考えました。今晩は、2点を取り上げます。

 1つは、コンフォーミズム。内橋克人さんによれば、「丸山眞男の”コンフォーミズム”を哲学者の久野収は「頂上同調主義」と呼びました。常にてっぺんの顔色を窺いながら自分の行動を決める。”コンフォーミズム”が権力者によっていつも利用されてきた。安倍政権またしかり、です」(p.64)。これは日本人の行動様式を見事に言い表していますよね。学校で言えば、校長の顔色、◎◎課であれば、課長の顔色、が気になって、その意を汲む様な行動が、一番大事になっちゃうことですね。これは、校長が何10000000円もの学校のお金を、海外旅行や化粧品に流用しているのに、それに対して「何も言えなかった」西武学園、東芝の粉飾決済でも、社長が10000000000円単位の利益を出すように言えば、在庫操作と会計操作で、10000000000円単位に利益が出たようにウソとゴマカシをやって、「そういうやり方はだめですよ」、ということを社長にパレーシアに「言うことはできなかった」。これは、あの日本軍での行動様式と全く変わりがありません。上官の命令は、頂上の天皇の命令だとされたので、その命令に「異を唱えることは出来なかった」。しかし、それは「出来ない」と思いこんだ人が「出来なかった」だけのことで、渡辺良三さんのように、文字通り、命がけで異を唱えることが「出来た」人もいたわけですね。今も同じです。しかし、「出来ない」と人に思わせて、奴隷に様に隷従させるのが、権力のやり方であることを、民主化を願うすべての人は、覚えておいた方が良いでしょう。

 もう1つは、「3つのM」。すなわち、media メディア, money マネー, mind マインド。権力はこの「3つのM」を支配しようとする、と内橋克人さんはおっしゃいます。メディアは「忖度(そんたく)報道」をしている。忖度報道の2種類。1つは、権力に都合の良いことを報道する。たとえば、あの夜に、参議院の委員会で、議事録もない形で、強硬採決が行われ、本会議で可決された戦争法案は、NHKのニュースで、「~法案が可決されました」と繰り返されたのが、この例ですね。もう1つは、権力に都合の悪いことは、言わないこと。一番の好例は、東北から関東の放射能汚染の実態、太平洋の放射能汚染の実態を全く報道しないことですね。放射能汚染の実態を報道することかあれば「風評被害」と言ってしまう。それで、ますます、放射能汚染の実態を隠ぺいする方向にメディアを誘導しています。マネー。年金基金の何10000000000000円、何十兆円のお金を突っ込んで、株価を釣り上げている。それは、「景気の良さ」を演出、ウソとゴマカシをやるためです。そして、マインド。ウソとゴマカシの「景気のよさ」の便乗させられて、株に手を出していく…。私どもは、メディアとマネーはアンダーコントロールされても、マインドだけはアンダーコントロールされてはなりません。すなわち、自分を売ってはいけませんね。

 民主化は、いつでも、自分の頭で考えて、立場の異なる人と誠実に粘り強く話し合う中から、育っていくものだ、という基本を大事に生きたいものです。

 

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無意識の圧倒的な暴力にさらされ続ける愛着障害の子どもたち

2015-10-18 02:35:15 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 トラウマは、昔話ではない。トラウマは、無意識の暴力の最大級のものですから、いまここで非常に苦しい苦しみです。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.206のブランク後の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 自分自身をコントロールすることを再び取り戻すためには、そのトラウマに立ち帰らなくちゃなりませんね。遅かれ早かれ、自分の身に起きたことにキチンと向き合う必要があります。でもね、それは、安全・安心を感じてからじゃぁなければいけませんし、そのトラウマでまた心の傷をつけられない様にした後じゃぁなければいけません。まず初めにしなくてはならないのは、いろんな感覚刺激に圧倒される気持ちと、トラウマの過去から連想する気持ちに、向き合う術を見つけることです。

 この本ですでに申し上げましたように、トラウマ反応を引き起こす原動力は、感情脳にあります。合理的な脳とは対照的に、合理的な脳はいろんな考えで自己表現するのに対して、感情脳は、いろんな身体反応で自己表現します。すなわち、はらわたが千切れるほどのいろんな感覚、動機、呼吸が早く浅くなる、胸が張り裂けるような感じ、緊張して甲高い声でしゃべる、そしてまた、気分の落ち込み、こわばり、激しい怒り、自分を守りたい気持ちを示す特徴的な身体の動きです。

 

 

 

 

 

 よっぼとの想像力があっても、こういった身体反応のある人の気持ちは理解できませんね。発達トラウマに苦しんでいる愛着障害の子どもたちは、こんな状態なんですね。

 

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