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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

信頼の課題が未解決だったからこそ、信頼が厚くなったんですね。

2015-10-09 08:02:24 | アイデンティティの根源

 

 

 ルターにとって、悪魔は安全に投影できる相手でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.232の第2パラグラフの、下から6行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターは、ヴァルドブルグでは、拘禁反応のようなものに、時々苦しんでいたのは、明らかです。この拘禁反応のようなものは、ハッキリした形で、赤ちゃんの頃の未解決な課題を明らかにしましたね。ルターは「悪魔」に触れると言って、牢獄の壁に難癖をつけられなくなったときに、何度も、血塗りの憂鬱の時期を過ごすことになりました。

 

 

 

 

 ルターでさえ、赤ちゃんの時の課題が、未解決だったんですね。つまり、修道士になっても、民族の指導者になった後も、ルターの魂は赤ちゃんだった、ということですね。それは信頼の課題です。

 信頼の課題が、未解決だったからこそ、ルターは宗教改革を導くことになった、と私は考えますね。

 

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日本に、心の病が多い訳

2015-10-09 06:48:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.80のブランク後の、3行目途中から。

 

 

 

 

 

この、自分と人を大事にする生まれながらの反応パターンと、自分と人を攻撃する生まれながらの反応パターンは、様々な文化的な環境が、技術の面でも、生活の仕方においても、世の中をどう見るかという点においても、実に多様であること合わせて、纏まりあるものに発達させることができます。ただし、それぞれ技術や生活の仕方や世界の見方は、ハルトマン(1939)が「平均期待値」と名付けた状態を下支えすることになります。しかし、心と心が響き合わない傾向と共感できない傾向が、心と心が響き合う傾向や共感する傾向よりも、強まれば、それに見合った中核的な心の病(心を病んで引きこもることから、高齢者の鬱まで)になりますね。

 

 

 

 

 みすず版は、muster「まとめる」と、master「コントロールする」を読み間違えています。

 さて、ここでは、心と心が響き合うパターンも心と心か響き合わないパターンも、共感する傾向や共感できない傾向が、発達の中でまとまっていくことが語られます。しかし、その際に、心と心が響き合うパターンと共感する傾向よりも、心と心が響き合わないパターンと共感できない傾向に勝ってしまうと、その年代特有の、心の病になっちゃうことがハッキリと示されます。

 今の日本に、心の病が多いことの背景も、ここから、ハッキリと分かりますね。

 

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打つ子はダメな子?

2015-10-09 03:29:26 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
見失ったものが見つかるとき
  「アッバ」(父ちゃん)には、親しみがあんですね。 p352下から2行目から。     ...
 

 

 今晩は、「陰になった私」の第3夜。

 「陰になった私」は様々な問題を起こすというお話です。

 じゃぁ、どういう問題があるの? ということがお分かりになると、「あぁ、なるほどね」「それは大変なわけだ」と分かりますし、「こうすれば、問題がなくなる訳ねぇ」となれば、対処法も分かりますよね。

 問題となることのひとつについて、私は、エリクソンに教えられたことがあります。それは臨床でも、繰り返し、出合い、繰り返し、エリクソンの受け売りをしていることがあります。それはお友達を打ったり、チョッカイを出すような場合ですね。

 親や教員が一番問題にするものの一つは、お友達を打つことかもしれませんね。実際、心理面接に回ってくる場合が少なくありません。なぜなら、大人がいくら「お友達を打ったらダメでしょ」と繰り返し言っても、なかなか打つことを止められないからですね。大人は「何度言っても分からんチン」などと、恨み言を言いがちになります。それで心理面接、ということのなりますね。

 その際、そのお母さんなり、教育の皆さんに、機会かあれば、するお話です。

 「赤ちゃんで、周りの人を打つ赤ちゃんって、居ませんでしょ。赤ちゃんは、力がそれほどありませんし、うまく体を動かすこともできませんから、打つことはありません。優しく触れる程度ですね。赤ちゃんが次第に力がついてきても、子どもが優しく触れる程度の関わりで、周りの大人がその子どもに向かい合う、という反応を示せば、その子は、優しく触れる程度以上に力む必要がありません。われわれ大人でも、背中をチョンチョンと、触った程度で、相手が振り向いてくれないときには、もう少し強い力で、チョンチョンと背中に触れますよね。それでも振り向いてくれなければ、さらにもう少し強い力で、今度は、パンパンと背中に触れることになりますね。相手が振り向いてくれないことが増えれば増えるほど、相手の背中に触れる力も増し加わって、どこかで「触る」が「打つ」に変わってしまいます。子どもが打つことも、おなじなんですよ」と。

 こう考えると、「子どもが打つ」ことにどう対処すればいいのかも、自ずから分かりますもんね。すなわち、こうです。

 「いまは力んで、『打つ』ことがないと、大人は振り向いてくれないことが習慣になっているのですから、この子が「優しく触れる」程度でも、大人が振り向いてくれるんだ、と学習できるように、子どもが静かな関わりをしている時にも、必ず大人が振り向く、という関わりを意識してやればいいんですね」

 大人でも同じです。

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