エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自覚から生まれる、あの光

2015-10-16 08:04:18 | アイデンティティの根源

 

 自分を確かにさせるのは、危機を乗り越えた時に初めてできることでしたね。「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.234の第2パラグラフから。

 

 

 

 ヴァルトブルグからのルターの何通かの手紙は、ルターのこれからの行動が心理的にどんな立ち位置にいたのかを示しています。すなわち、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝と、この両者が守ってきた世間の秩序に、公然と反抗し、この反抗を上手に表現するために、自分をそれまで抑え込んできたことに打ち勝って、ルターは心から分かったのでした。それはつまり、自分がいかにガツガツと喰らい、自分の正義感がいかに反抗的であり、ルターが他人の中に呼び覚ませた力が、いかに革命的なものであったか、ということでした。ルターはまたしても、1地方のいろんな出来事が、世界に広がる活動へと突き動かされました。ヴィッテンベルグとエルフルトは、壊滅しつつあると、ルターは聴かされていしまた。修道士たちは、解散し、結婚していました。さらに悪いことに、修道士たちも学生たちも、大衆に支持され、ルターの友達らの言いなりになって、計画も考えもなしに、おミサの流れを打つ壊し、聖像をあれもこれも破壊し、教会音楽を禁じてしまいました。

 

 

 

 

 ルターと修道士たちの行動は、対照的です。ルターは自分の役割に自覚的、修道士たちは、自分が何をしているのかも分からず、既存の秩序を打つ壊していました。これは、1968の日本の運動にも言えるかもしれませんね。山本義隆さんや最首悟さんなど、一部の人は自分達の活動に自覚的でしたが、多くは時代の熱に犯されたみたいに、既存の秩序を打つ壊しにしただけでした。その後は、「しらけ」の時代と言われましたが、それは権力の思う壺の始まりでしたからね。

 しかし、自覚的な山本義隆さん等の、しぶとい活動の中から、新たな光が、いま見えてきていると私は直感しますね。

 

 

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「やりすぎ」は禁物

2015-10-16 07:17:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第3章、「心理社会的発達の主たる舞台」、面白かったですね。当たり前のことですけれども、私どもひとりびとりは、社会の仕組みと深く結びついていることがハッキリ分かりましたよね。

 今日からThe lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p83です。

 

 

 

 

 

    自我の防衛と社会適応

 

 アンナ・フロイトは、『自我と防衛体制』(1936, p.5)の中で、「自我は、特定の問題に対して独占的に対処します。すなわち、自我は、好ましからざることやら不安やらを、何とかして取っ払うものですし、衝動的な行動や感情、それから、本能からの突き上げをコントロールします」と言ってますね。このように、どこにでもある様々な防衛が、たとえば、抑圧にしても、退行にしても、否認にしても、反動形成にしても、「心の経済」と言われる現象として、排他的に取り扱われます。フロイト(1973)は、フィラデルフィアで、アンナ・フロイトの本(世に出てから37年後ですが)を批評する講師陣の参加したときに、防衛機制が対人関係の中でどうな意味があるのか、社会的にはどんな意味があるのか、を話し合う機会に恵まれました。「防衛機制」は、果たして、他人と分かち合うことができるのか? 関わり合う人の中で、あるいは、社会的な暮らしの中で、「生態学的な値打ち」と考えられるのか、を私どもは問いました。

 

 

 

 

 防衛機制を、このように読んできますと、それはなくてはならないものだと分かりますね。でも、なんでも「やり過ぎ」は問題になります。防衛機制も「やり過ぎ」は、問題になります。

 

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日本の貧困の根本原因

2015-10-16 03:19:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 日本の貧困の根本原因は何でしょうか? 今晩は、これを考えてみたいと思います。

 識者は、いろいろ言うかもしれません。貧困対策が出来ていないからだ、だとか、生存権が蔑ろにされているからだ、だとか…。私は、そういう意見もそうなのだろうと、反対は致しません。しかし、ことはもっと単純だと思います。人が全うに働いて、たとえ大した贅沢はできなくても、人間らしい暮らしをすることができないからだと思います。それはすなわち、労働政策が貧困だから、日本のあらゆる貧困が導き出されている、と私は考えます。

 特に私の場合、子どもの心理臨床をしてますでしょ。ホントに多くの子どもが寂しい思いを抱えながら、暮らしているのが痛いほど分かります。どこの小学校に行っても、そうですからね。昼休みなどに校庭で遊んでますでしょ。すると、どこの小学校でも、「おじさん、おんぶして」「抱っこして」…。それが次から次でしょ。タッチ、スキンシップが全く足りてません。何故でしょうか? 昔は定時退勤が当たり前だった、市役所の職員でさえも、今は残業残業でしょ。民間企業はもっと残業してますでしょ。すると、お父さん、あ母さんは、なかなかお家に帰れません。それも、子どもが赤ちゃんの時からですからね。子どもはずっと寂しい思いをして生きてきたことになりませんか? 

 これは、法定労働時間を定めた法律を、守っていないからです。抜け道を作っているからです。「法の支配」が出来てないから。私は法定労働時間を守るだけでも、子どもの貧困は相当程度改善すると確信してます。

 また、最近は1人親が多いでしょ、特に母子家庭ですね。女性に対する社会的差別が日本ではまだ相当ありますから、女性が一端正規職員を辞めて、再就職する時には、低賃金の非正規の場合が少なくありませんから、勢い長時間労働になりやすい。子どもとゆっくり過ごす時間が一層取れない感じ。これなども、非正規が賃金・社会保障・福利厚生・休暇取得などの面で、差別されていることが背景をなしてますよね。

 それからついでに、ワークシェアリング。本来の意味は、仕事が1人の労働者が1日半の仕事に相当するとすれば、その仕事が2人分ある時に、2人が超過勤務をせずに、もう一人雇うことを、ワークシェアリングというのです。ですから、北欧などでは、それを超過勤務して仕事をすることは、一人の人が仕事をするチャンスを奪う行為ですから、裏切り行為ということになります。でもね、日本では逆でしょ。長時間労働をすることが、組織への忠誠と勘違いする人が圧倒的に多い。ですから、ワークシェアリングが日本に来ると、賃金を下げる口実になっちゃってますでしょ。企業が労働者に払う労働の対価の総量は変えないか、むしろ、少なくして、それをたくさんの労働者で分けることになっちゃう。ですから、これは、ワークシェアリングじゃぁなくて、ウェイジ・シェアリング(みんなで低賃金)ですね。

 ことほど左様に、自民党の労働政策は、働く者の権利を蔑ろにするものですから、労働する条件を人間らしく整えること、すなわち、長時間労働は止め、法定労働時間を守る、3週間以上の連続休暇を保証する(ILOがそうしなさいと主張)、賃金をまともな生活が出来る程度に上げる、非正規労働者に対す賃金、地位の補償、社会保障、福利厚生、休暇取得などでの差別を撤廃することを実現することが、日本の貧困を相当程度解消するものと確信します。

 

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繋ぎの段落

2015-10-16 01:42:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
毎日礼拝
  毎日礼拝。聴きなれない言葉ですよね。「日曜礼拝」なら、聞いたことがあるでしょう。でも、「日曜礼拝」だと、本当の「礼拝」になっているのかどうかが怪しいと私は考え...
 

 

 発達トラウマのある子どもは愛着障害の子どもです。そのセラピーにはいろんなやり方があるらしい。すべては本当の自分を取り戻すこと。そして、それには、陽気で楽しいが欠かせません。なぜなら、意識と無意識を繋げるのは、陽気で楽しいことですから。

  ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.206の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がここに載せたたくさんの治療法を、私は科学的に研究してまいりましたし、仲間らがレヴューした科学的な研修誌で研究成果を出版もしてきました。この章の私の目的は、いくつかの根本原理をざっと振り返り、後の章で触れるいろんなセラピーをあらかじめ見てから、後の章ではあまり触れられなかった治療法について、手短に触れます。

 

 

 

 

 

 つなぎの段落です。

 

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