阿賀野市 境塚遺跡と隣接の山口野中遺跡の説明図 下手な手書きの図面で字も下手ですが、何とか読めると思うのですが・・・
この遺跡、平成21・26・27年度の3ケ年にわたる調査を総合すると、南北に360m以上伸びる幅6mの幹線道路を基軸として、東西約400mの幅で町場エリア・流通エリア・居館エリアの存在が想定されるそうです。居館には有力者が住んでいたようで町が形成されていたようです。遺跡は阿賀野川の旧河道である百津潟(上の地図の下、月崎集落や六日野集落の南側に百津潟がありました)の川湊(かわみなと)と幹線道路を中心に築かれた町と推定されるようです。 この遺跡、中世の荘園「白河荘」に位置し、阿賀野川の旧河道のほとりにあることから、幹線道路と合わせて陸と川の交通の結節点だったとみられるそうです。
この文章は遺跡現地説明会で貰ったパンフレットの文と、6月26日発行の新潟日報・16面の記事を参考に書きました。
この遺跡、苦労して発掘しているのに最後は国道49号バイパスの道路下に埋められてしまいます。なにか人生を感じる行為だなぁと感じました。いつか道路が完成したときは遺跡のことを忘れて車を運転しているのでしょうが、時々、この遺跡を思い出してあげようと思います。 ところで、道路(バイパス)は、何年ごろ完成でしょうか? 遺跡の件、今回で終了します。 管理人