医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

「菜の花の沖」の美学2

2006年06月14日 13時01分49秒 | Weblog
 クロアチアも強いっす 韓国おめでとう

 今夜のスペインウクライナも楽しみです。

 さて最初にお断りいたしますが、これから書くことはあくまで、「菜の花の沖」からの引用がほとんどです。

 許可を得ているわけではありませんが(当然ですけど)、勝手な本の解説というか、紹介というか、読書感想文というか・・・。

 嘉兵衛は江戸後期、1769年生まれ、ナポレオンと誕生日が一緒です。

 時代はアメリカが独立戦争を始め、イギリスで産業革命があり、重商主義が発展し、イギリスとフランスが植民地戦争を繰り広げる頃です。フランスでは啓蒙主義が起こり、フランス革命があり、その後をナポレオンが引き継ぎます。

 本によれば、嘉兵衛は少年時代、故郷淡路島では大人顔の悪童で、腕白が過ぎ、自分の尺度で悪だと思えば気が狂ったように相手を殴り、大人にも会釈すらしないため、近所の厄介者でした。

 彼は11歳で、食い扶持(ぶち)を減らしたいわが家の事情を察し、家を出て川ひとつ隔てた隣の集落の親戚、商人和田屋の奉公人としてわが身を売ります。

 ところが日本では男子が13~15歳頃になると、必ず若衆宿(わかしゅうやど)という大人社会に出て行くための準備と訓練を行うための組織に入らねばなりませんでした。

 彼はその際に、日ごろからよそ者扱いを受けた和田屋のある宿を選ばず、あえて自分の出身の宿を選びました。

 自分が今住んでいる場所の宿を選ばない、それはひとつ間違えれば、当時では殺されてしまうこともあるという重い選択であり、昼間の居づらさは異国以上のことであったそうです。

 嘉兵衛は少年時代、路上の記憶で楽しかったことは一度も無かったそうです。

 地元の若衆から理不尽ないじめを受け、村八分という不条理な嫌がらせをいやというほど経験しました。

 この「いじめ」という文化に対し司馬遼太郎氏は興味深い分析をしております。

 作者によれば、「いじめ」は日本独特の習慣であり、(「もったいない」ではないですが、)中国語にも英語圏でも「いじめる」という単語は無いのではないかと。

 なるほど「イジメ」という日本語は英語版wikipediaでは「日本の社会現象」と解説されております。

 英語では乱暴者的な意味合いで「bully」という英単語はありますが、同じ「いじめる」にしても、脅すとか威張るという意味合いを帯びます。

 ただ近年、ヨーロッパでもこの「いじめ」という現象が、社会問題化してきているそうです。

 確かに日本では現代でも、「いじめ」という陰湿な文化は、僕たちの生活のはざ間にも見え隠れしながら残存しております。

 逆に悲しいことですが冷静に観察すると、この「いじめ」の文化を理解しない限り、外国人が日本を理解することも難しいかもしれません。