医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

ボヘミアとガラスの美-2

2006年04月09日 10時01分43秒 | Weblog
 チェコには世界遺産が現在12件あります。

 特にプラハは、第二次世界大戦中に戦火に遭わなかったこと、共産圏支配により変に資本主義に毒されることなく古い街並みが残されたこと・・・のせいか中世の美しい街並みをそのまま目にできる、現代の「奇跡」だとも思います。

 14世紀にボヘミア王のカレルがローマ皇帝に選出されカレル(カール)4世となり、プラハが神聖ローマ帝国の首都となります。 コンスタンティノープルやローマと並ぶヨーロッパ最大の都市となり「黄金のプラハ」と呼ばれます。

 カール4世は市内を流れる「ヴルタヴァ川」にかかる有名な「カレル橋」(ヨーロッパに現存する最古の石橋)や「カレル大学」を設立し、「プラハ城」を広げて「聖ヴィート大聖堂」を作ります。 

 市内を流れるヴルタヴァ川を中心にその街並みの美しさは世界随一といっても過言ではないでしょう。 夜景もとっても美しいんですよねえ・・・

 2002年に襲った水害でのヴルタヴァ川の氾濫はみなさんも記憶に新しいのではないでしょうか?

 カレル4世の次の皇帝の時代に、カレル大学の学長ヤン・フスはカソリックの教皇を批判し、宗教革命を起こそうとしますが、異端者として火刑になってしまいます。 これはマルチン・ルターが宗教革命を起こす、なんと100年も前のことです。それを見てもプラハが当時のヨーロッパの都市として、いかに文化的・知的・学問的レベルの高い街であったかが想像に難くありません。

 世界遺産として現在に残された奇跡の街、プラハ。 

 プラハ城の王宮や、バラのステンドグラスの窓でも有名なプラハ城内の聖ヴィート大聖堂は息を呑むほど美しい・・・。 ここは他のステンドグラスも有名で、アールデコの巨匠、アルフォンス・ミュシャ作「聖キリルと聖メトディウス」があります。 目が眩むほど美しい・・

 プラハといえばそのシンボルのひとつ、旧市庁舎の時計塔があります。 この時計の3段式の文字盤はみなさんも目にしたことがあると思います。一番上が12使途が出てくるカラクリ、真ん中が天動説に基づいた時計、一番下がカレンダー。これもまたとっても美しい。

 その他にもプラハには、ティーン教会、市庁舎塔、国立博物館、市民会館、国民劇場、火薬塔、ゴルツ・キンスキー宮殿、聖ミクラーシュ教会、石の鐘の家・・・等々。

 まったく行ったこともないのに申し訳ございませんが、憧れだけは強いので・・・。

 城下町であるマラー・ストラナの聖ミクラーシュ教会は美しく、またその街並みやレリーフなどは「バイオハザード」さながらです。 下記をご覧ください。
http://p4room.mda.or.jp/~pon/viennaczech/ms1/ms1.html

 プラハの町並みは
http://www.abaxjp.com/praha-twr/praha-twr.htmlをご覧ください。

ちなみにチェコの世界遺産12箇所は、

①プラハ歴史地区
②チェスキー・クルムロフ歴史地区
③テルチ歴史地区
④ゼレナー・ホラにあるネポムクの聖ヨハネ巡礼教会
⑤クトナー・ホラ:聖バーバラ教会がある歴史都市地区ならびにセドレッツの聖母マリア大聖堂
⑥レドニツェ=ヴァルティツェの文化的景観
⑦クロメージシュ庭園群と城
⑧ホラショヴィツェ歴史的集落保存地区
⑨リトミシュル城
⑩オロモウツの聖三位一体柱
⑪ブルノのチューゲンハット邸
⑫トゥシェビチのユダヤ人地区と聖プロコピウス教会

 ②のチェスキー・クルムロフは、プラハから南へ180km離れた、中世の町並みがそのまま残る美しい街です。 下記を参照してください。
http://www.tabibito.de/czech/jceskykrumlov.shtml
 
 ⑧のホラショヴィツェのとってもメルヘンチックな家々も、まるで時間が止まったようです。

 チェコの文化遺産は
http://www.mufti.cz/anone/zobraz.php?id=A
http://www.yvicky.com/czech/010praha.htmlなどをご覧ください。

 いつの日か訪れたい、夢にまで見る美しい街、プラハ・・

 またまた次回に続くのです・・

ボヘミアとガラスの美-1

2006年04月08日 22時37分59秒 | Weblog
 実際に訪れたこともないのに主張するのははなはだ恐縮ですが・・・ 現時点の僕の貧弱な知識では、およそ世界中で最も美しい都市は以前書いた「サンクトペテルスブルク」と「プラハ」だと思います。
 
 もちろんプラハはチェコの首都ですが、「北のローマ」「百塔の都」と呼ばれます。 地理的にはドイツの東、オーストリアの北といえば頭に思い描けると思います。

 プラハは僕の中でサンクトペテルスブルクとともに、一度訪れてみたい憧れの都市です。

 この地域はボヘミア地方と呼ばれますが、その由来はもともと住んでいたケルト民族のボーヨ人からボヘミアとなったそうです。

 その後スラブ人が移住し、ボヘミア王国が建立されます。ハプスブルグ家やオーストリア・ハンガリー帝国の支配を経て、ナチスドイツによる占領も経験します。 第二次世界大戦後にはチェコ・スロバキアという社会主義国家誕生します。

 1968年、有名な「プラハの春」という革命の機会がありましたが、ワルシャワ条約機構軍の侵入を受けます。そのときの体験談のもとのラブロマンス「プラハの春」は確か宝塚でも上演されていたと記憶しているのですが・・。

 1989年、大きな流血の惨事とはならずに民主化が行われました。その際にはヴェルヴェットのように柔らかい革命であったとのことから「ビロード革命」と呼ばれます。1993年にはチェコとスロバキアに分離しますが、このときもユーゴスラビアのような内戦に発展しないで分離できたことから「ビロード離婚」と呼ばれることもあります。

 チェコの歴史に関しては下記を参考にされてください。
http://www.czexplorer.jp/czexplorer/history/index.html

 チェコ出身の著名人は「新世界より」で有名な作曲家のドヴォルザークがいます。 この「新世界より」というのは、ドヴォルザークがアメリカに在住中に「新世界アメリカ」から祖国チェコに向けて作ったと言われておりますよね。 

 また同性愛者で有名な(?)女子プロテニス選手のマルチナ・ナブラチロア選手もおります。彼女はクリス・エバート・ロイドの好敵手でも有名ですが、グラフにグランドスラム達成を譲るまでは、彼女の強さは抜きん出ておりました。 ちなみに同じく女子テニス界の美系ハンチュコワと最近復活の兆しのヒンギスはお隣のスロバキア出身です。 そのまたちなみにヒンギスはナブラチロアにあやかってマルチナと名づけられたそうです。

 次回に続きます・・・

日本の新しい美術

2006年04月05日 12時37分07秒 | Weblog
 「バイオハザード」というテレビゲームがあります。 

 4作目だけで300万本の売り上げだそうです。 

 シリーズ全体では、な、なんと2000万本も売り上げているのですから驚きです。 

 世界の人口が65億人ですから、全世界でなんと325人に一人がこのソフトを持っている計算です。 

 驚異的だ

 これはもう世界に誇るべき立派な日本文化といえると思います・・ 

 新しい美術・芸術と呼んでも過言ではないと思うのですがいかがでしょうか? 

 実は僕も1日5分~10分と時間をちょこちょこ作り、やっとクリアできました。 

 ゲームは所詮ゲームです。 

 またゲームは魔物ですからハマると仕事に差し支えるほど離脱するのが大変なことも十分理解しております。 

 実際「テトリス」などはロシアの発明家が、資本主義社会の時間を奪うために発明したとも言われております(ほんまかいな?)。 

 でも僕はハマりませんでしたが、世の中を見渡せば目論見どおり「テトリス」によって奪われた日本の経済的損失は計り知れないでしょう。

 僕の場合活字を刷り込まないと禁断症状が出てしまうし・・他にもやるべきことややりたいことが多いため、幸いながらなかなかゲームに集中はできませんが、経験なされているみなさまはご存知のとおり、「バイオハザード」はすごすぎです。 

 初めてやったときの臨場感と震えと感動は、これ・・やった人にしか伝えようがありませんよね。 

 夜中一人でこれをやっていると、大人(のはず)の僕も鳥肌が立ち、身の毛もよだち、ケンシロウにやられたように「オギョワ」などと思わず訳のわからない言葉を発してしまいます。 

 この体験をこの値段でというのは、価値を感じる僕にはまあ妥当な気がします。

 ゲームなど子供のやるものじゃないか、というのにも一理あると思いますが、どうか決めつけること無かれ!触れたことがない方は下記を参照されてください。

http://www.softimage.jp/user_case/biohazard4/index.html
http://www3.capcom.co.jp/ps2_bio4/main.html

 またゲーム界の巨匠小島秀夫が監督する「メタルギア」シリーズもたまりませんよね。 

 敵に見つからないように、隠れながら謎解きをしたり戦いつつミッションをこなしていくゲームです。 

 この隠れながら敵と戦うことをなるべく避けるというコンセプトは、開発当時のコンピュータの処理能力の低さによる副産物だそうです。 

 特に第3作として発売されたメタルギアソリッドは、な、なんと全世界で600万本を売り上げる人気作となっております。 

 こちらも次回作が待ち遠しい。

 この両作品はところどころユーモアもちりばめられ、それがまた四角四面ではなくくすぐったくて良い。

 しかし本や映画の方でこなせない新作や新刊が山積みになっており、日々相当効率よく時間をさばいているつもりですが、ゲームもこなすには後は睡眠を削るしかなさそうです。

 他にも「鬼武者」やら、それからこれまた逃げる少女が主人公なのですが、本人が直接戦うのではなく、本人は武器を持たないためあくまで逃げながら、室内にトラップを仕掛けつつうまく敵をそこに誘導して倒していく「影牢」というゲームも面白いです。 

 どうも正面切って反射神経のみで一生懸命戦ってバトルするよりも、逃げたり謎を解いたりするものが好きなようです。 

 しかも漫画チック、アニメチックなものよりも、徹底してリアルな方が好みみたいです。

 逃げるものにハマるだなんて自虐的なのかMっぽいのでしょうか? 

 深層心理を見抜くのが得意な方、どうなのでしょうか?? 

 見つかったときの「ドキリ」感がたまりません。

続・続男女別学の美徳

2006年04月04日 13時12分25秒 | Weblog
 他人の思い出話ほど退屈なものはありませんので、ご迷惑をおかけいたしました。

 で、何がいいたいかと申しますと・・・

 いまどきは公平性の名の下に順位をつけないことが「美徳」という風潮だそうです。

 徒競走も順位はつけず、学芸会でも主役を主役とは呼ばないように配慮するらしいです。 

 通知表にも点数がつかないところもあるらしい・・。

 一体誰が考えたのでしょう?? 

 そういう考えはどうなのでしょうか・・・

 明らかに社会に競争は存在します。 

 それをオブラートに包んでごまかすほうが良いのか、それとも将来ちゃんと生き抜いていけるように順序があることを教えるべきか。

 勉強だって名前が張り出されたくらいの方が、僕の経験ではむしろやる気が出るものでした。 

 今だと個人情報保護法には抵触してしまうのかもしれませんが、僕の母校でもぜひその伝統は阿る(おもねる)ことなく継続していて欲しいものです。

 また授業科目別の成績順のクラスも、AクラスからBクラスに落ちると「都落ち」などと冷やかされたものですが、その制度に関し生徒から別段不満もありませんでした。

 世の中に順列はあるけれども別に勉強や運動だけが人生のすべてではなく、点数では表せない「人間性」や「人徳」の方がもっともっと大切なんだよ ということを同時に強く教える方がよっぽど良くないですか?

 お金よりも大切なものを学校でも家庭でも教え、同時に子供たちにばかりか僕たち大人たちさえもこの際学んで、教えた子供たちにそういうものを尊ぶ社会を実際に見せることができるように、僕たち大人と社会が実践して造り上げなくてはなりません。 

 そういう社会作りのためにも、分別の優れたマスコミの背負う責務は大きいと思います。

 母校はまた、生徒の自主性が重んじられ、高校だというのに生徒が自主的に管理していて先生が入って来れない自習室みたいな建物がありました。 

 高校生にもなれば大人から信頼され任されたほうが、かえって悪いことを自浄作用でしなくなる場合もあるのだなあと学びました。 

 もし生徒が悪いことをして始末におえない場合には、遠慮なく司直の手に委ねていいのではないでしょうか? 

 妙に学校で抱え込んでしまって対処しなくても、もはや中学生や高校生にもなれば事の善悪が分からない方が悪いと思います。 

 ここまでなら大丈夫という打算が働いていたり、あるいは甘えがあることもあるでしょう。 

 改善の余地があれば学校や先生が守ってあげることももちろん大切ですが、そうでない場合もあるでしょう。

 以前学校で暴れてみんなに迷惑をかける不良を学校側が警察に知らせたのですが、証拠が無いと警察が取り合ってくれないものだから、学校側が証拠を撮影したところ、ある新聞が大問題にしておりました。 

 教育者ともあろう者が生徒をこそこそ隠し撮りして、しかもあろうことかその情報を警察に提供したことは人権擁護の見地からけしからん、ということです。 

 取り合わない警察も警察ですが、それを問題視する新聞はもっと問題だと思いませんか? 

 学校側のとった態度はもっともです。 

 他の多数が迷惑するのですから、迷惑を起こすものの人権もへったくれもありません。

 何かあればすぐ他人のせいにして、何でもかんでもやたらに学校のせいにしたり、責任を求めたり、謝罪させたがる、謝罪させることにすべてのエネルギーをつぎこみ、他人をやっつけることで溜飲を下げるという、昨今の新聞や僕たち一般市民の風潮が目立つように思いませんか? 

 もちろん非難を受けてもやむを得ないケースもあるとは思いますが。

 子供の責任はあくまで親と社会だと思うのですが、この感覚は間違っていますでしょうか・・・ 

 僕も注意しなくては・・

 僕は大いに未熟で不完全な人間なので、誰にでも失敗はあるのだから、そのことを責めることよりもおおらかに許すことができるようになりたいと思います。

続男女別学の美徳

2006年04月03日 12時38分57秒 | Weblog
 他人の思い出話など退屈だと思いますが、もう少し辛抱してください。

 毎年春になるとクラス替えですが、その後すぐクラス全員で朝や放課後の部活前など空いた時間に、男声四部合唱の練習に入ります。 

 というのも秋の文化祭でクラス対抗の合唱コンクールに入賞すると、当時レコードに録音してくれたのでみな本気です。

 体育祭や球技大会、相撲大会でも、体育教師を中心に先生たちも職員チームで参加しますから、先生や先輩をやっつけるべく(案外オヤジたちが強敵)みなが熱くなり本気モードのため、「だるい」などといってサボる人もあまり見かけませんでした。

 とにかくちょっとした勝負事でも、しっかりと順位がつけられ、クラスを挙げて熱くなるのでとっても面白かった記憶があります。 

 当然生徒もユニークで、同学年では理系と文系に一人ずつ、全国の成績上位者にランクされ、当時の共通一次試験(今で言うセンター試験?)では2人とも1000点満点を取るのではないか、と真剣に思えてしまう怪物が一人ずつ君臨し、同級生からも「さん」付けで呼ばれて尊敬されておりました。 

 彼らは決して単なるガリ勉君ではなく、文系は運動部、理系はピアニストで、しっかりとクラスに溶け込み、僕たちが授業中騒いで授業を妨害しても別段怒ったりはしませんでした。

 現民主党の若手論客E議員のように、ガキのくせにその頃からとっても舌鋒鋭いものもおりました。

 また同じクラスのT君も相当ユニークで、僕たちが幼稚に先生の似顔絵などを黒板に描いて喜んでいると、やおら後方の黒板に歴代天皇の名を列挙し、「誰が書いたのか?」と先生からお咎めが出ると「私は日教組反対です」と16~17歳のくせに、教師と思想について授業そっちのけで本気モードでバトルしあっておりました。 

 彼は普段アイロンパーマでビチっとオールバックにしていたのですが、ある日パンチパーマをかけてきて、担任に「なんだその頭は?」と問い詰められ、「家が火事になりまして・・」と真顔で答え、担任も苦笑しておりました。 

 彼は体育祭でムカデ競争のとき、先輩のクラスの走行終了者達が僕たちのクラスの自走者の前でわざと転倒して妨害した際には、いち早くどこかから姿を現し、「恥を知れ!」と先輩に怒鳴りつけておりました。

 また、JRの路線に天皇陛下がお乗りになられているのを、一体どうやって調べるのかそれをいつも知っており、「おい、一緒にお見送りに行こう」とよく僕を誘うので困りつつ、面白そうなので授業中抜け出してお見送りにつきあったものです。 

 彼は卒後左系で有名な西日本の一流大学に合格しましたが、「学内を改革する」と言い残して去って行きました。 とってもユニークな友人でした。

 時代に逆行するようですが、異性の目を意識すれば、微妙な年頃ですからつい学業や鍛錬の本質を見失い、新たな争いやスケープゴート、虚勢や見栄、違う価値観が生まれたり、のめりこんでしまったりすることもあるので、高校くらいは勉強や自己鍛錬に集中するために、案外男子校や女子高の存在意義がもっともっと見直されてもいいんじゃないかなあ・・・いじめもないし・・と思うのです。 

 男女平等を盲目的に信仰して思考を停止させず、良いところもあれば無理なところもあるので、冷静に考えればよいと思います。 

 また共学でなくとも、学外に求めれば別に出会いやロマンスがまったくないわけでもないし・・・。 

 次回にもまたまた続きます。

男女別学の美徳

2006年04月02日 18時03分06秒 | Weblog
 どなたにでも学校の思い出はあることでしょう。

 僕の出身高校は今思うと、なんともユニークでした。

 公立の男子校なのですが、校風と伝統が強く反映されておりました。

 まず、相手が例え校長先生でも、もしくだらない演説を生徒の前で行ってしまうと、あろうことかやじってもよいことになっておりました。

 生徒が校長先生をやじるのですから、最初新入生で入ってきたときには面食らいました。 

 ところがむしろ他の先生のほうから「くだらないからやじれ」と生徒である僕たちに言ってきたものでした。

 ですから無論、たとえ校長や教育主任といえども、生徒を集め生徒の時間を拘束するのですから、生徒に対し気が抜けません。

 つまり生徒を教師の方が偉いんだと上から抑圧だけするのではなく、高校生にもなれば元服も済んだ大人なのだから個人としては対等だ、という愛情を逆に感じました。 

 それに案外やじられるのを先生たちも楽しんでいたようにも映りました。

 その理由のひとつに、先生方はほとんどが同校の卒業生のため、生徒から見れば先輩でもありますから、先生のことは○○先生ではなく、○○さんと呼んでいいことになっておりました。 

 先輩である教師が、後輩を育む愛情が感じられました。

 当然男子校の卒業生ですから、教師も全員男性のためとってもむさくるしかったですが、女子の目を意識しないですむし、また自由な校風がとても居心地のいいものでした。

 校則はあるにはありましたが、基本的に勉強さえしておればあってないようなもの。 

 一応タバコとバイクだけは注意していましたが、かなり自由でした。

 だからといってどうしようもないほど不健全ではありませんでした。

 制服は学ランでしたが、なぜか下駄履きが制服として認可されておりました。 

 基本的にはズボンが黒で、シャツが白なら(誇りを持たせるため校章さえついていれば)あまりうるさいことは言われませんでした。

 挨拶は業界でもないのになぜか一日中「おはようございます」です。

 質実剛健とやらのため、関東でも寒いところなのに冬でも暖房施設が無いのには閉口しました。

 ただし高校・大学は自らの意思で臨む自己鍛錬の場ですから、母校の場合は勉強には厳しく、テストが終わると成績の上位者は職員室の前に科目ごとに何が何点と詳しく張り出され、さらにその結果をご丁寧にプリントで刷って全員に渡されました。

 こと数学の試験は必ず翌日には採点が終了して、順位カードとともに答案用紙が返却されていましたから、先生にも情熱を感じましたし、自分がどの順位にいるのか楽しみでもあり励みになりました。

 授業は科目によっては成績順でしたから、ホームルームとは別に教室を移動します。

 校庭がだだっぴろいのが自慢で、敷地内にJRの電車が走っているのですが踏み切りも無く、その線の向こう側の第二グラウンドに行く際には、電車が通るときに教師含め全員で手を振るという、なんとも粋な伝統がありました。

 僕は運動部でしたが、教師も勉強以外には適当で指導も無く、そのため弱いのですがその分自由にやっていました。

 校歌は必ず全力で大声で歌うのもまた伝統で、みんな歌詞の記憶がいい加減のくせに遮二無二大声を上げるので、むにゃむにゃとなってしまうところがいつも一緒でした。

 体育の教師はなぜだかプールでは意味も無く「赤ふん」でした。 
 お祭り騒ぎが好きだったのか、学内の祭りのあとに酔っ払って(?いたように思う)は全校生の前で歌を歌い、だからといって僕たちはそれが決して嫌ではありませんでした。

 次回に続きます・・・。

絵になる「美」

2006年04月01日 19時46分56秒 | Weblog
 またまた男性の話題で恐縮です。

 世の中に「絵になる男」という人が実在します。 

 本当に絵になる男は、決めのポーズだけではなく(これは決め、なのである程度決まる)、本来ならかっこ悪いところを撮られても絵になってしまいます。

 この力はどこから出てくるのでしょうか?

 ローリングストーンズのギタリストにキース・リチャードがいます。 

 彼ほどギターが下手で、世界中の男から好かれる人はいません。 

 というとお叱りを受けそうですが・・。 

 世界の三大ギタリストに、以前に書いているクラプトンとペイジ、それからベックがいます。

 それ以外にも、リッチー・ブラックモアやジミヘン、イングベイ・マルムスティーン、エディ・ヴァンヘイレン、サンタナ・・等々、ギターのうまいギタリストには枚挙に暇がありません。 

 そうそうたる中、どうしてキースがかくも皆に愛されるか・・・。 
 これは女性には分かりにくいかもしれませんが・・。

 以前彼のギターの絶妙な「間(ま)」について書きました。 

 その上彼の「洗練された悪趣味」についても書きました。 

 さらに彼の行動の「いちいち」も本当に格好がいいのです。 

 ひざを曲げながらぶきっちょそうにピックを下から上にかき鳴らすさま、これはもはや芸術的です。 

 ぶきっちょそうで硬い感じがまたなんとも言えない。 

 理解してくださる方がいらっしゃればいいんですが。 

 人間世界遺産といっても過言ではないでしょう。

 とにかく5弦オープンGのテレキャスターを弾いているキースには惚れ惚れです。

 ライブでも演奏の途中で座り込んでもぞもぞと何をしているのかと思うと、ジャックダニエルをラッパ飲みです。

 単なるアル中じゃねえかって批判も聞こえそうですが、これがまたえらくカッコイイんです。 

 東京ドームは禁煙なのに、特別ストーンズだけは許可をもらってステージでくわえタバコ。 

 これまたカッコがいい。 

 笑ってもあんなにしわくちゃなのにやっぱりカッコイイ。 

 キース本人は不良を意識して演出して作っているのではなく(ミックは頭がいいので、ある程度自覚して演出している)、自然体が「不良」で完成されている。 

 昔、「ヤク」でさんざんお世話になった刑務所でもギターを弾きまくっていたそうな。 

 悪意もなく(今はきっと)真面目に誠実なんだけど、精神が不良なんです。

 ロックバカといったら叱られそうですが、生き方そのものがロックなんです。 

 歩き方もタバコの吸い方も、ぼさぼさの頭をかいていてもかっこいい。



 イギリスにキースなら、日本には長嶋茂雄氏がいます。

 長嶋さんを嫌いだという人をまず見ません。

 彼の誰にでも愛される明るいキャラクターと、「スターならここで答えてくれ、頼む!」という庶民の願望を次々に叶えてきた類稀な強運の星。 

 本当に日本のひまわりですね。

 長嶋さんの逸話こそ枚挙に暇がありませんが・・・

 試合前どうしてもスイングに迷いがあり、球場のロッカールームで一生懸命素振りを繰り返し、「これだ!」とひらめいて開眼!!

 本人はそれに満足してしまい、思わず試合を忘れてそのまま帰宅してしまったそうです。

 本当??

 それから、幼い長男一茂を球場に忘れたり、は有名ですよね。

 上野の駅に自分の車のエンジンをかけたまま記者をともない電車に乗り込んだら、つい自分の車を忘れてあとで車がなくなったと大変なことになったとか。

 平凡なショートゴロ(ショートは名手広岡)を横から思いっきり回転して捕球しファインプレーにしてみたり・・。 

 ファンは大拍手、広岡氏苦笑い・・・。

 引退後のインタビュアーとしてもカール=ルイスが世界記録を出したときに、初対面なのに「ヘイ、カール!」と思いっきり親しげに呼びかけ、興奮冷めやらぬカールは当然知り合いなんだろうと思ったのか、歴史的な記録直後にもかかわらず世界的超大物の世紀のコメントをいとも簡単に応じさせてしまったり・・・。

 カール・ルイスの隣で英語はわからなくても、満足そうにニコニコしていた長嶋さんの姿にはこちらも微笑んでしまいます。

 それに長嶋さんがいらだってマスコミに当り散らす行為を見たことがありません。 

 もちろん国民的英雄ですから、(でも人間なので)そういうシーンは仮にあったとしても放送されないだけかもしれませんが。 

 人間的にもとってもほほ笑ましく、憎めないキャラクターなんでしょう。

 とにかく、あの方があくびをしていても、鼻をほじっていても「絵」になるんですよね、これが。 

 本人もプロ意識とは何たるかを心得たもので、たとえ空振り三振してしまっても、いかにかっこよくヘルメットを落とせるかを練習していたといいます。 

 守備では歌舞伎を研究して、一塁にボールを投げ終わっているのに手首をひらひらさせながら見得を切るポーズの練習をしていたというのですから、やはり一流は違いますね。



 この二人は何なんでしょうね?

 かたや野球に対して純粋、そして音楽(ロック)に対してあまりに純粋なところが、共感を呼び「絵」を作るのでしょうか?