医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識11

2007年01月26日 10時15分06秒 | Weblog
 さあみなさんは、よわい90歳にしてものすごい迫力である大審問官に対し、再来したキリストは無言を貫いておりましたが、ラストではどのように対処すると思いますか??

 イワンの叙事詩においてラストは、自らを否定された再来したイエスが、な、なんと大審問官の老人を無言のまま抱きしめて、キスをして包み込んでしまって、無言で立ち去るのです。

 イワンの根拠は、人間は弱く、自由を与えられても真の自由は使いこなせず、結局自由などと言うものは地上のパンと引き換えに権威に返すものだ、という理屈があります。

 と、同時にイエスは大審問官をも抱擁し赦しているのです。


 つまり、キリストは人間の自主性や自由を尊重し、奇蹟と神秘と権威を拒否することにより、人間に自由を与えました。

 ところが、人間は弱いものですから、大審問官も結局のところ弱い人間に代わって自らその<自由という十字架>をキリストに代わって、支配という方法論で背負ったのです。

 そして、それによって今現在、ある程度の調和が保たれている以上、保たれていたとは思えませんが大審問官の立場からすれば、かといって壊せば滅茶苦茶になりますので、その支配を変えることもできません。

 キリストは、大審問官の苦しくも、かつ支配的にならざるを得ない、苦悩に包まれた本当の心のことまでも、すべてを理解し、無言のまま抱擁し、去っていくのです。

 

 キリストが大審問官を抱擁するシーンと、叙事詩を聞き終えてイワンから感想を求められたアリョーシャが、イワンを包み込んで抱擁しキスをするシーンが印象的です。

 これは教皇至上主義や教皇無誤謬(ごびゅう)主義を唱えた、ローマカトリックに対するドストエフスキーのアンチテーゼだと思います。

 またこれを批評家風に社会と、支配階級と、労働者階級と、革命と・・・になぞらえることも可能です。

 そしてそのようなイワンの考えと振る舞いは、神を否定することによって、だから逆に人間のすべてを肯定してしまった(とされる)イワンと、それをもって殺人まで肯定したとするスメルジャコフへと飛躍します。

 それは神を否定し、人間が自由のためという大義名分があれば、革命によって古いものを打倒するためなら流血の事態も免れない、という当時のヨーロッパでの風潮を批判するものではないでしょうか?

 悪魔の幻覚と、軽蔑する(知能に劣る)スメルジャコフとに自分を見つけてしまい、葛藤し精神の病に侵されてしまうイワン。

 神を否定するならば、悪魔も否定しなければならないのに、その悪魔の幻影に付きまとわれるのです。

 誰よりも理性的であるがゆえに、神を否定したいのだが、殺人は否定したい、ということは神を信じるということなのかと、人間的な悩みにさいなまれるのです。

 イワンが影の主人公と感じるゆえんです。

 ロシアの理性的な知的リーダーになってほしい現代人を代表しているのかな??

最新の画像もっと見る