ロボティクス研究者の前野先生は、そのように厳密に、論理的に仮説の立証を行おうという、きわめて冷静で理系な態度に則(のっと)るわけです・・・
こうなったら破滅的に脇道にそれてまいりますけど・・・
もっともクールな証明といえば、数学としての証明・・・そこで僕の脳は「フェルマーの最終定理」という本を思い出します・・。
「フェルマーの最終定理」(本日の写真がフェルマー氏)、ご存知の方も多いでしょう。
サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」という本には、数学の面白さにあふれておりますので、分かりやすくいずれやりましょう。
今回は、数学と科学の厳格さの違いと、そしてまた「帰納法」について考える手段になれば。
「フェルマーの最終定理」によれば、音楽の和音から惑星の軌道にいたるまで、この世の中にはたとえ数学が好きだろうと嫌いだろうと、あらゆる事柄の背後に数が潜んでいるといいます。
数学の発展のおかげで、月に到達できたわけですし、メールができて、保険屋さんが成り立つわけです。
数学と科学で明らかに異なる点は、その「厳格さ」だそうです。
つまり、ピタゴラスで大きく発展した数学の世界は、人間の知覚だとか判定だとか実験だとか、人知によるあいまいさを一切含まず、つまり人間の手を完全に離れた絶対的な公理に基づいて証明して行くものです。
ここが非常に大切なのだ。
一方、科学は現時点で真実に限りなく近い、というようにでしか証明がなされず、後世、新事実が発見されれば、消しゴムで消して書き換えられて行くものだそうです。
量子物理学しかり、医学もしかり・・・確かに。
しかし数学の世界では、遠くピタゴラスの時代から現代に至るまで、直角三角形である限り、x²+y²=z²(直角三角形において、斜辺の二乗の和は他の二辺の二乗の和に等しい)は燦(さん)然と輝く公理・定理なのです。
以前に数式の持つ美しさに触れましたが、その毅然とした美しさには、人の手で変えようもなく、人間の価値観や人生観だとか思想や哲学、歴史や時代背景でも揺るぎません。
数学の定理には、科学における観測や理解などの人間の手によるあいまいさを一切含まない、どのような例外もそれを許さず、そういう普遍的で絶対的な美しさがあるわけです。
それはもはや「エレガントな調和」ともいわれます。
x²+y²=z²
こうなったら破滅的に脇道にそれてまいりますけど・・・
もっともクールな証明といえば、数学としての証明・・・そこで僕の脳は「フェルマーの最終定理」という本を思い出します・・。
「フェルマーの最終定理」(本日の写真がフェルマー氏)、ご存知の方も多いでしょう。
サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」という本には、数学の面白さにあふれておりますので、分かりやすくいずれやりましょう。
今回は、数学と科学の厳格さの違いと、そしてまた「帰納法」について考える手段になれば。
「フェルマーの最終定理」によれば、音楽の和音から惑星の軌道にいたるまで、この世の中にはたとえ数学が好きだろうと嫌いだろうと、あらゆる事柄の背後に数が潜んでいるといいます。
数学の発展のおかげで、月に到達できたわけですし、メールができて、保険屋さんが成り立つわけです。
数学と科学で明らかに異なる点は、その「厳格さ」だそうです。
つまり、ピタゴラスで大きく発展した数学の世界は、人間の知覚だとか判定だとか実験だとか、人知によるあいまいさを一切含まず、つまり人間の手を完全に離れた絶対的な公理に基づいて証明して行くものです。
ここが非常に大切なのだ。
一方、科学は現時点で真実に限りなく近い、というようにでしか証明がなされず、後世、新事実が発見されれば、消しゴムで消して書き換えられて行くものだそうです。
量子物理学しかり、医学もしかり・・・確かに。
しかし数学の世界では、遠くピタゴラスの時代から現代に至るまで、直角三角形である限り、x²+y²=z²(直角三角形において、斜辺の二乗の和は他の二辺の二乗の和に等しい)は燦(さん)然と輝く公理・定理なのです。
以前に数式の持つ美しさに触れましたが、その毅然とした美しさには、人の手で変えようもなく、人間の価値観や人生観だとか思想や哲学、歴史や時代背景でも揺るぎません。
数学の定理には、科学における観測や理解などの人間の手によるあいまいさを一切含まない、どのような例外もそれを許さず、そういう普遍的で絶対的な美しさがあるわけです。
それはもはや「エレガントな調和」ともいわれます。
x²+y²=z²