医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

ちょらちょらな美作9

2008年10月26日 15時18分06秒 | Weblog
 町田氏のある一編に・・・

 会社でも評判のぼんくらがいて、そいつの口癖が上司にしかられている際であっても「あ~、そうだったんですか」って設定があり、この言葉が「そうなんですか」ではなく、なぜ「そうだったんですか」と過去形になっているのか?

 という一点にくどくどと長々と、そのぼんくらがもしそうであったと事前に知っていたならば、あたかもそうはならなかった、知らさぬ他人が悪いという本人の自己防衛と、小賢しさが隠れていると、説明するというくだりがあるのですが・・・。

 うなずける、うなずける。





 というのも・・・・

 俺の後輩も、先輩から「○○先生ね、こないだ言ったあれ、ちゃんとやっておいた?」と口元のぎこちなく硬い笑みで十分に察せられる、後輩がやってないのを承知で、半分キレながらの甲高い詰問に対し、「あっ、まだやれてません」と答えていたのを思い出すのであった・・・。

 ちょっとドスの利いた低音で早口なのですが、若干「やれてまへん」風なニュアンスが微妙に入り混じっていて、ここは東京なのに関西弁で多少威嚇的なのである。

 関西弁といえば、芦屋出身の大学の先輩がよく「茶ぁしばこけ?」と俺を喫茶に誘ったのだが、「しばくど」というのは彼ら流には、縛ってどついて泣かしちゃうぞ、かように理解していたのに、ただ飲むだけのコーヒーなどを痛い目に遭わす、というのはどういう了見か?

 というようなプチ混乱を思い起こさせるその後輩は、自分の心の中はぐんぐん暴風雨が吹き荒れ、ぼかぁ半ばパニックにもなっちゃってる、かのごとくのふるまいなのである。

 だからといって威嚇風なのはまったくもってお門違いなのであるが、その際に、表情としては、眉間に軽くしわを寄せ、下唇を若干かみつつ、一見して焦点の合っていないような伏し目がちが故に上まぶたがかぶって思惟風だがキモチ悪い表情を本能的につくり・・・

 今俺はこれだけ猛烈に自分を責めているのだから、これ以上つけいると、こちらもキレちゃうぞ的な、まるで理解に苦しむような、しかられているのにちょっと脅すという、どっちつかずの中途半端な。

 だけれども中途半端であるということに関しては、実に見事なホレボレするほどの中途半端振りなのである。

 そのような感嘆すべく中途半端ぶりのために、相手は一瞬であるがひるみ、だけれどもよく考えれば不当ないい訳であることはすぐ露見し、というように威勢、攻勢、優位性のせめぎ合いが運動会の間抜けな綱引きのように目に見えるほどで、傍での滑稽さはより一層につのるのである。

 やってないなら、やってない、と言えばいいのに・・・・。

 「やってない」だとやる意思も感じられず、ダメダメ人間かのごとく思われるが、「やれてない」と言うと、そこには主体たる自分しか本来おりゃせんくせに、さも架空の第三者が介在しているがごときである。

 あたかもやる意思はあったのだが、意思とは別に単にやるという行為のみが偶発的に為されていないに過ぎないのだ、的であって、意思の自分と為す自分は別人格のようでもあり、だから結果としてやってはないが、為されていない責任は50%なわけよ、的な実にわけのわからない言い回しである。

 為すべきも同じ自分である上に、そもそもやる意思もハナからなかったくせに、である。

 「あんたの要求は、実にばかばかしくて無意味だから、やれるわけないっしょ? ってゆーか俺、ゲーマーっしょ?それに子どもにトーマス描いてあげたり、忙しいし」的にしかホントは感じていないことが伝わる俺は、「やれてまへん」による爆笑をかみ殺すために、ぷるぷるしちゃうのであった。

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