医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

若き田辺朔郎の美意識6

2008年01月29日 12時45分13秒 | Weblog
 他にもアカンサスで彩られた柱や、取水口前面にはレンガ・・・と

 田邊朔郎氏個人のセンスの問題だけかなあ・・・?



 また当初はこの疎水、大津・京都間の輸送力増強と京都の水不足解消のためだったものが、世界最新の水力発電施設を伴い、その電力で市電を走らせるという巨大プロジェクトに成長したそうです。

 つまり、この田辺は、若干23歳にして、一大プロジェクトを成功させたばかりか、水のある風景に貢献し、近江と京の風情を失うこともなく、しかも造成物の端々に意匠を凝らし、美をも徹底的に追求した上に、市電まで走らせてしまってるんですね。



 なるほど明治・大正の時代の建築物や建造物には、ここかしこに細かい意匠が施され・・・

 これはアールヌーボーの流れなのでしょうか?

 そしていつの日から、そういう意匠を僕たちは忘れ去り・・・

 面白くもなんともない歩道橋のようなただの鉄の塊のような建造物が、わが愛する日本の街を占拠するようになったのでしょうか?

 鉄の塊と、コンクリートとガラスの塊による灰色の街・・・。

 街が雨に打たれても、ヨーロッパのような色っぽさも何もない。

 どうなのでしょうか、建築専門の方、どうして鉄とコンクリート、最近ではガラスの塊ばかりあふれさせてしまい、なぜ明治の時代には確かにあったのに、美しさへの配慮やディテールに意匠を凝らすことができないのでしょうか?

 『意匠』とは工業製品などの形・色・模様などをさまざまに「工夫」すること。また、その結果できた装飾。デザイン。とあります。

 つまり、「工夫」なんです。

 できないのは単にコストの問題ですか?

 工法や建築期日の問題なのかな?

 それとも設計家の質やセンスのレベルの問題ですか?

 発注主の問題でしょうか?

 僕たち一般市民の民度の問題ですか?

 なぜなんだろう?????

 明治において23歳の一人の若者にできたことが、なぜ現代にできないのだろう?

 嫌味ではなく、純粋に疑問だ・・・。