ラスコーリニコフは、マリアのような純粋な妹ドゥーニャと、自らが気がふれるまでに息子を思うわが母としてのもう一人のマリアを愛し、マグダラのマリアのような、「聖なる娼婦」ソーニャの愛に屈する・・・
ラスコーリニコフは他にもこの世のすべての虐げられた、か弱き女性や弱者たちとユーロジィ(聖愚者)に、ひざまづき、母なる大地に包まれるのです。
そしてドストエフスキーがラスコーリニコフを通じて書きたかったのは、カラマーゾフでもそうなのですが、ヨーロッパ型近代化や無神論的革命・・・
そしてやがては現実にロシアに訪れてしまうこととなった、無神論的共産主義と戦う姿勢、ロシア正教およびアニミズムとしての大地思想に基づく「愛」の懐の深さ、といったところに通じる気がしました。
ドストエフスキーにはこれらの晩年の著書を通して、たとえキリスト教が科学で否定されても、自分は神を、イエスを、ロシアを信じて生きたいという、堅牢な意志を見ることができます。
やはり翻って現代、神を棄て、宗教を棄てつつある人類は、再び獣と化していっている気がしてなりません。
自分の利益、自分のためだけの主張、自分の家族、自分の信仰、自分の国益ばかりに執着し、広く人間愛に満ちている世の中だとは思えないばかりか、時間とともに日々深刻度が増しているとさえ感じます。
自分が得をすれば、誰かが損をしているのに。
エルサレムがあのていであれば、やがて火種は飛び火して、全世界に民族的対立が起こり、第二、第三のエルサレムやバルカンが誕生するでしょう。
もちろん、わが東アジアとて、例外ではありません。
結局今度の選挙も、年金に政治と金・・・金、金、金・・目先の卑近な利益・・・日本人はいつからそんなに卑しくなってしまったのでしょうか?
いつも言いますが、日本のマスコミよ、ジャーナリズムよ、もう少ししっかりしてくれ!!
ではラスコーリニコフの立てた命題、非凡人ならば大儀のため限定付の犯罪、換言すれば、ドス氏が言いたかったのであろう、すなわち革命のためならば殺人が是認されるのでしょうか?
ラスコーリニコフは他にもこの世のすべての虐げられた、か弱き女性や弱者たちとユーロジィ(聖愚者)に、ひざまづき、母なる大地に包まれるのです。
そしてドストエフスキーがラスコーリニコフを通じて書きたかったのは、カラマーゾフでもそうなのですが、ヨーロッパ型近代化や無神論的革命・・・
そしてやがては現実にロシアに訪れてしまうこととなった、無神論的共産主義と戦う姿勢、ロシア正教およびアニミズムとしての大地思想に基づく「愛」の懐の深さ、といったところに通じる気がしました。
ドストエフスキーにはこれらの晩年の著書を通して、たとえキリスト教が科学で否定されても、自分は神を、イエスを、ロシアを信じて生きたいという、堅牢な意志を見ることができます。
やはり翻って現代、神を棄て、宗教を棄てつつある人類は、再び獣と化していっている気がしてなりません。
自分の利益、自分のためだけの主張、自分の家族、自分の信仰、自分の国益ばかりに執着し、広く人間愛に満ちている世の中だとは思えないばかりか、時間とともに日々深刻度が増しているとさえ感じます。
自分が得をすれば、誰かが損をしているのに。
エルサレムがあのていであれば、やがて火種は飛び火して、全世界に民族的対立が起こり、第二、第三のエルサレムやバルカンが誕生するでしょう。
もちろん、わが東アジアとて、例外ではありません。
結局今度の選挙も、年金に政治と金・・・金、金、金・・目先の卑近な利益・・・日本人はいつからそんなに卑しくなってしまったのでしょうか?
いつも言いますが、日本のマスコミよ、ジャーナリズムよ、もう少ししっかりしてくれ!!
ではラスコーリニコフの立てた命題、非凡人ならば大儀のため限定付の犯罪、換言すれば、ドス氏が言いたかったのであろう、すなわち革命のためならば殺人が是認されるのでしょうか?