医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

百年の孤独な南米美感8

2007年02月06日 10時50分20秒 | Weblog
 「百年の孤独」は要約のしようもないですから、近年のハリウッド映画をはじめとする、軽薄短小文化に小説というスローライフが完全勝利し、したがって最近では最初から映画の台本のような安易な小説が多い中、アメリカ商業主義とは対極に位置するという、その点でも誠に稀有な小説といえるでしょう。

 革命の大量虐殺やら、おびただしい流血の記録だって、「そうそうよくある話さ」と笑いとばして読んでしまうのだから(きっと)、ラテンアメリカの人々のメンタリティはウェットな日本人には到底理解できないものがあります。

 さすが100ボリバル。

 以前書きましたが、南米には「ボリバル」以外にも、医師にして革命家の英雄、アルゼンチン生まれの「チェ・ゲバラ」もおりますので、日常的に果たしてそうなのかもはしれません。

 非常に申し訳ないですが、ラテンアメリカが現代日本ほど教育が行き届いているとも思えないし、平均知性において著しく中南米スペイン語圏が日本より勝っているとも思えませんが・・・。

 これがソーセージ並・・・大部分の日本人は受け入れないし、なにより読みきれないんじゃないかなあと思います。

 日本でも一時期ラテンアメリカ文学の流行の兆しがありましたが、これをwelcomeと受け入れるのは一部のマニアか、アレハンドロ・ホドロフスキーやデレク・ジャーマンにレオス・カラックスを敬愛する僕のようなカルト好きな変わりものか、ほんとに完読したのか疑問の残るような単なるあたらしモノ好きのエセ・インテリか・・・。




 そしてマルケスの「予告された殺人の記録」という本もあります。

 こちらの方が、ページ数も少ないし「百年の孤独」にくらべ読みやすいので、マジックリアリズムの導入にはおすすめではあります(到底「百年の孤独」には及びませんが、秀逸です)。

 ある殺人事件・・・。

 殺人事件は明確に起きました。

 確かに起きたし、加害者もいるし、被害者もいます。

 しかしここからが問題で、被害者以外は街の住人全員が、そして警察までもがその殺人事件の起こる事と犯人を知っており、町長が犯人からナイフを一時的に取り上げたりもしたのですが、結局はしかしそれを誰一人として止めることもできず、やはり殺人は街中の人の目の前で行われてしまうのです。

 しかも被害者が本当に殺されてもしかるべきなのかどうかも不明のままに。

 そしてこの明確な殺人事件において、「では誰が悪いのか?」というと、とたんに話が難しくなるのです。