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横溝正史を読むなら その1

2006年08月10日 | ミステリ
戦後では「悪魔の手毬唄」(昭和30年)まで、というのが個人的な意見です。カーにも言えるんですが、ストーリーテラーが高齢になると老人性饒舌体が炸裂する確立が大きいですね。「悪魔の手毬唄」にも饒舌体が見え隠れしていますが、緊迫した構成でなんとかバランスをとっている、という感じです。

でも、ケチつけているんじゃないですよ。「悪魔の手毬唄」はロウソクの炎が消える寸前に明るく燃え上がるように、探偵小説作家横溝正史最後の大作として読まれるべきでしょう。これ以降は風俗小説作家横溝正史となってフェードアウトするのですが。

「悪魔の手毬唄」は自作「獄門島」とヴァン・ダイン「僧正殺人事件」への再挑戦だと本人が書いています。「童謡による見立て殺人」というマニアが歓喜しそうなメインプロットに、戦前から影響を受けてきた新感覚派へのオマージュをミスディレクションに使い、横溝正史畢竟の傑作になっています。

クイーンで言えばライツヴィルものにあたる(と個人的に思う)「岡山もの」の集大成、および磯川警部の幕引きとして予定されたと思われます。この作品以降に岡山をメイン舞台にした作品はありませんし(未確認です。あるかも)。磯川警部の行く末は「病院坂の首括りの家」で書かれていましたが、とって付けたようでしたでしょ?

角川で復活したときに書かれた「悪霊島」「病院坂の首括りの家」は、「悪魔の手毬唄」をもう一度ということだと思うのですが、成功しているとは思えません。「悪霊島」なんて老人性饒舌体が暴走して、いったい誰が話しているのか混乱していませんでしたか。横溝正史一人語り、っていうのがぴったりでしたね。
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