spin out

チラシの裏

災厄の町 その2 フォックス家の殺人

2015年01月28日 | Eクイーン
「災厄の町」がおもしろかったので、
昔一度読んだだけの「フォックス家の殺人」も続けて読んでしまいました(ミステリ文庫昭和56年版)。

廃家で頭をブン殴られたり、喫茶店でゴシップ好きのオバサマたちに茶代を押し付けられたりと、
颯爽とライツヴィルへ登場したわりにどこか間のぬけたエラリイが人間くさくて楽しいですね。

過去の殺人を再捜査するという話はクイーンには珍しい設定ですが、
(クリスティ「五匹の子豚」「象は忘れない」「スリーピングマーダー」、カー「眠れるスフィンクス」など)、
夫が妻を毒殺した(とされる)事件にクイーンが挑戦するストーリーは「災厄の町」とほぼ同じ。
「災厄の町」と3年後の「フォックス家の殺人」の近似値はどうしたわけか。
(その間に「生者と死者と」を発表しているにしても)
「生者と死者と」はクイーンA氏の成分が多いとすると、
クイーンB氏にとって続けて同じプロットの作品を発表することには、
なにか特別な理由があるからでしょうか。


「Yの悲劇」「ニッポン樫鳥」「災厄の町」、
どれもエラリイ(とレーン)が暴いた真相は救いようがなく、
探偵は暴いてしまったこと自体に苦悩します。
しかし前述しましたが「災厄の町」のラストには小さな救いが用意されて、
エラリイも「母の日だ」といつもの軽口で祝福しています。

この「母の日」という言葉で祝福、救済されたのは誰だったのか。
ノーラか、赤ん坊のノーラか、パット(とカート)か。
誰にしても救えたことがエラリイの探偵としての存在意義に大きな理由を与えた、と思われます。

「フォックス家の殺人」では、
毒殺事件の影に悩む若い夫婦を助けるため神のごとく颯爽とライツヴィルに登場、
事件を見事にときあかします。
「災厄の町」と異なり四方円く収まってはっぴいえんど、ではあるのですが、
どこかに「災厄の町」とジム・ハイトの影がちらつく。
実際にエラリイはジム・ハイトの姿を幻視してしまう(P124)。
「災厄の町」でジム・ハイトの頑なな沈黙の謎を解けなかったエラリイは、
「フォックス家の殺人」で「無実でありながら12年も殺人者として服役してきた」
ベイアード・フォックスを理解できたことで、「なぜ」の謎を解くことができました。
殺人自体の謎はあっけないほど拍子抜けしたもので、唖然とします。
が、「災厄の町」では出来なかった「なぜ」の謎を解くことで
関係者を救済するエラリイの成長ぶりと、登場人物の救済、が著者の目的だったのではないでしょうか。
続く
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 災厄の町 その1 | トップ | 災厄の町 その3 »

コメントを投稿

Eクイーン」カテゴリの最新記事