それでも・・

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2016年の4月現在の考え

2016-04-13 16:31:26 | においのこと


しばらく本題のネタにも関わらず
一切の更新をしてこなかったんだけど

久しぶりに一回まとめて書いてみたいと思う。

何年か前に某SNSを追い出されてから
俺はこっち関係の人と関わるのを
ほぼやめた、

まぁそこまでに相談関係だったり友達関係になっている人には
こちらからも相談したり
相談されたり、遊びに行ったりと
プライベートな付き合いもしているが
それ以外の人との
接触はほとんど絶ってしまった、

自分自身としては
誰かのためになりたいという
気持ちがなくなったわけではないんだが

それよりも自分自身が完全に回復した?わけでもなく
解決法が見つかったわけでもないので
そんな俺が関わったところで
いい方向へは行かないかもなって
思ったこともあり、
それと
こちらもあまり嬉しくない影響を受けるのも
嫌だったというのもあり

接触を断っていたということもある。

それでも、
完全に情報を遮断していたというわけでもなく、
俺は暇だから
時間があれば
ちょこちょこ掲示板を覗いたりとかはしていた、

袋小路に迷い込んでいる人が
毎年のように現れは消えていくという
どこまでも変わらない日常が
繰り返されていたけど


とりあえず、
この身体の問題が起こってから
既に28年
初の手術から、はや27年くらいかな

本当にあれこれと
思いはあるけど

今更ながらに、今の俺の心境とか考えを
少し真面目に書いてみたいと思う。

まず、初めに
やっぱりココからだけど

手術についてね、

俺の現状での賛否としては
それでもやっぱり
手術はしてよかった、と思う。

たまに本編の日記でも書くことがあるけど
初期の段階の俺の身体で
今の世の中で暮らしていくと考えたら
スタート時点で破綻しているだろうって
思えるから、

そのくらい、初期値の俺は酷かった。

かと言って今が酷くないかと言えば
それは違うんだが・・


だからと言って
人に手術を勧めるか、と言われれば
それはイエスとは言えない。

これはケースバイケースだし
完全ではない、と
俺自身は自覚しているから

それを承知でもやる意味があると思える人は
やればいいと思うし、
そうでない人はやらない方がいいと思うし。


次にオフについて、というか
人との関わり方とか
その辺のことなんだけど

俺がしばらくこの問題について
深く書かなかったことに

勿論、それほど深く悩んでいなかったというのも
あるにはあるんだけど
それ以外にも、もうこれ以上悩んだところで
どうにもならないっていうのもあった、

過去、何度も同じ悩みの人と思う人にも会ったけど
俺自身が
これ以上は無理だって思うことも
あったのは事実、

よくこの文章を書いていたと思うんだけど

ミイラ取りがミイラになる。

集団の論理ではないが
Aの意見が強ければ強いほど
Bの人の意見は飲まれてしまうというか、
それが正しい論理でなかったとしても
そっちに傾いてしまう、ということは
往々にしてあるもので

この話を書くと
批判的に見られる方が
多数出てくるかもしれないが

俺自身、関わってきた経験で言うと

この問題の難しいところは

3つのタイプの人が居る、
そしてそれが交錯していて
どこが本当の主原因であるのかが
分からなくなっているという部分だと思うんだ。

1つ目は
純粋なわきがの人

手術もしていない、
本気でにおいがしている、
自他ともに認める、確実な人

勿論手術をすれば変化を認められるだろう、
でも、それに踏み切れないか
しないと決めているか
いずれにせよ、そういう形で生活に困難を極めている。

2つ目は俺と同じタイプの人
手術をしたが改善しない、

この人たちからが結構ややこしい
一度目、二度目、三度目、それ以上
どこで手術をしたとか、
あれこれの経歴を持っている、
ただ、俺自身が持っている記憶と
似通っている症状の人が多数いるのは知っている、
それもあって、これを書く気になった、とも言えるんだが

3つ目の人
ハッキリ書いてしまうが
精神疾患方面の人

まったくにおいはしないんだけど
している、と頑なに信じている人、
もしくは
主因が精神疾患からきている、

この3タイプが混在していて
更に2と3を複合的に持っている人も結構いる、

これは自惚れか、
勝手な仮定と捉えてもらっても構わないが

俺自身は現在、精神薬も飲んでいない、
精神はクリアな状態だと
思っているが、
まぁ多少のバイアスはかかっているのかもしれないが

その俺から言わせてもらえば

1、2の人の事実はあるが
3の人の事実はない。

これはハッキリしている、

しかし、2から3になってしまった人は
残念ながら
事実とは違うことを言い出してしまう人もいる、

俺はこの部分だけは意識して
おかしくならないように心掛けてはきたつもり、

別にそれが悪いとは言わない、

ただ、過去の記事を読んでもらえばわかるが

俺は一時期、薬を飲んだりもした、
でも、
まったく効果がなかった、

そこで精神薬を飲むことを拒否して
その後、大学に行ったり
あれこれあり

自身の中ではある程度、自分で認知行動療法はセルフで出来るように
なっているとは思う、

心理療法は意味があるのか
とか
そんなの意味がないとか

それをあれこれ言う前に

俺は前に書いたと思うんだが

清原被告が捕まった時に
麻薬を抜くのは一人じゃ難しいって
あれこれテレビで言っているのを見て
書いたと思うんだけど

本当の一人になったら勝手に抜けるだろ、って

日本っていうのは本当の一人にはなれないから
誰かが薬を与える結果になって
止められないんであって

無人島に一人なら
どうやったって薬は抜かざるを得ないんだから
物理的にないものは
自分で精製できなければ止めるしかないだろう。

それと同じ論理かなって
思ったりもする、

くさい、
と悩む人は

自分がにおいがしているのを認知して嫌な気分になるのか

それとも周りの人間の反応に悩むのか

大きく分けてこの二種類がある、

そして
周りの反応に悩む人は
誰とも接しなければ基本、治る筈なんだ、

治らないにしても
誰とも接していない時間が増えれば増えるほど
回復するというか
気持ちは堕ちなくなる筈なんだ、

だって原因にさらされないわけだから

まぁ現実的にはそれを
可能にすることはかなり難しいのは確かなんだが


ただ、俺の考えというか
この先の未来を考えた時に
一番の問題は
2と3の切り分けが出来ないことなんだと思う。

少なくとも俺は困っている、
俺以外にも困っている人は沢山いると思う、

でも、俺らの言い分は
ほとんどが3の精神疾患だと扱われて
まともに声としては
聞いてもらえていないと思う。

それがこの状態の人をどんどん闇に落として行っている、というか
解決の方向へは
一向に進まないものにしているんだと思う。



まず、社会情勢的に言えること

においを許容しない世の中になっている、
レベルの低いにおいでも不快だとして
排除しようとしている風潮がある、

とりあえず言えることだけど
体臭を嫌っている人レベルの人だと
腋臭の人なんて生存できないレベルだと思う、

俺から言わせれば
食べ物のにおい、
ハンバーガーとか、あのレベルで嫌だとか言われたら
ほとんど無臭以外許容されない世界なんだろうと思うが・・・

そのレベルに合わせようと必死になる人は
ほぼ3のタイプになっていく、

俺は世の中が行き過ぎていると思います、
まぁ反論しても構いませんよ、
常に書いてますが
デジタル脳、1か0の判断に繋がるような
思考は俺はなるべく持たないようにしていますから

少なくとも
手術を経験した人間のほとんどは
最初は誰しもが気が付くくらいの
酷い腋臭だった、
という仮定で言うなら

手術をしても
まだあの酷い状況が存在しているから
反応される、と認識するわけでね、

更に言うなら
術後臭っていう造語も生まれましたが
俺はそれに関しては否定的です。
それを言う人はどちらかというと
3の方面に行きつつある人か
きちんと認識をしていない人かなとは思います、
でも、それに関しては
未知な部分がないとは言えません、
否定できない部分があるのは事実です。

それは、俺も前から書いているけど
俺アレルギーと仮定して定義しているやつです。

つまり、俺自身がアレルゲンなんだろうという仮定です。

俺が接近すると異様にくしゃみをする、鼻水が出る、
そういう人が数多く俺の周りでは見られます、

これは事実です。

でも、そこから何かしらの飛躍的な論理展開を
する気はありません、

大事なことなんです。

これを読んでいる人が
それに該当する人かどうか

それは分かりません。

ただ、これだけは言えます。

大学であれ、それなりの医療機関であれ、
世の中であれ

データと現実に起こっている証言、もしくは
きちんとした裏打ちされた論文、

そういうものでなければ
周りは納得しないんです、

いくら感情で訴えても
何も物事は変わらないんです、

ただの精神を病んでいる患者さんにしか
ならないんです。

それに気がついてください。



俺は認知行動療法は必ず意味があると思います。
少なくとも
3の傾向の人は
これがきちんと出来れば
何らかの変化は起きます、

100%の改善となるとは言えないかも
しれないですが
少なくとも思考の歪みを
自分で矯正できることで
ある程度の緩和は望めると思う、

でも、これが重要なんですが
1と2の人は
治りません。

これは間違いないんです、

認知行動療法は決してポジティブな考えにしていくという
技法ではありません、

現実を直視する、
思考の歪みを修正する方法なので

本来の原因が身体にある人には
ある意味では残酷な方法とも言えるかもしれないです。

ある意味では見ないようにしていた現実を直視する必要が
出てくるから


少し前に
ほんまでっかTVで

有名な心理研究家の人も
言ってましたが

人のにおいのことを指摘すること
その作業は
どの悩みを扱うよりも大変でハードルが
高いと言っていたと思うんだけど

まさにその通りだと思う、

指摘されるのも指摘するのも
物凄い苦しい、そしてエネルギーがいる、

出来るなら避けて通りたい。


そして、人は嘘をつける生き物である。

正確なデータが知りたいと
こちらが願っても
実際に正しい答えが返ってくる可能性が
100ではない、

その中には優しさ、と陥れたいというマイナスな感情、

そのどちらもあっては
正確な答えは得られない。

そもそもがそれを聞いたところで、その人の感覚であって
それが万人の感覚ではないから

一体誰の基準に合わせているんだ、っていう
話になってくる。


上でも書きましたが
今の世の中は許容範囲が
とても狭くなっています。

少しでも0でないものは
否定する、排除する、という
風潮にあります。

この傾向はにおいの話だけではないです。
全てにおいて言えると思います。

この中で生きていくのは凄く大変だと
自分は実感しています。

だからどうしろ、と言われても
それに対しての答えを書くことは
できないんですが・・・

ただ、少なくともそれを認識して欲しい、
とは思います。

これも俺はたまに書いていますが
右からきたものを左に流す、

上から受けたストレスをただ下に流す、
それは
一番下の人が、一番端の人がただ壊れていくだけなんだ、ということ

誰かがそれに気が付いて少し止めるなり
緩和するだけで
物事は変わっていくかもしれないということ、

だから、少しでもこの流れを認識して欲しいということを
願っているという感じですかね。



俺が新しく人と関わらないことに
少し触れますが、

1,2,3のタイプの人によって
俺自身が接し方を変えないといけないから、
というのがあります。

少なくともオフでこの3つのタイプの人が混在すると

想像してもらえばわかるんですが
1と2の人が3の人に引っ張られます、
もしくは
2の人の(俺もそういう感じかもしれないが)
論理に引っ張られる、

1の人に関しては
一番重要なのは
本人の意思である、
現実問題で存在している、においをどうしたらいいか、と言うことなんだと思う、

でも、2の人は
どちらかと言うと
理解できない現実と戦っているので
状況が知りたい、と思っていたり
どちらかと言うとこれからどうやって
生きて行ったらいいのか、と言う部分で悩んでいる、

3の人は現実を見失ってしまっているので
それを取り戻す作業をしないとならない、

この3タイプの人に同じ場所で
同じことを語ったところで
効果は全然違う、

だから俺はあまり多くの人数で集まることに
意味を見いだせなくなった、というのは確か。
勿論ネット上の掲示板等も含めて

個別で付き合いのある人には
その人に合った
話をしているし

結局のところ、抱えている背景とか
進みたい道とか考え方が違うので
全ての人が同じ回答にはならないと
俺は思っているから

そしてもちろん、それは
俺自身にも同じことが言えるわけで

だからこそ
これは常々意識しているが

俺の生き方は俺が作って行かないとならない、
そしてそれは
誰も参考には出来ない、

初めての道を進んでいるんだろうから・・


ちっとも嬉しくないけどね。

誰か参考に出来ればどれだけ楽か
って
よく思うよ。



・打算的な話

俺は自分の人生をここに記すことで
後から来る人に少しでも参考になればと思って
ほぼ毎日更新をし続けてはいるけど

どこかで打算的な考えがないわけではない、

それは誰かがこの問題を解決してくれないかな、
っていう打算をどこかに持っているのは
事実、

つまり、それを自分がやろう、とは思っていない。
と言う部分が打算的なんだろうね、

それは上でも書いたけど
自分でやることになるということは
あれこれ傷つかないと
先へ進めない部分が多分にあるからであって

そこを超えられる精神力だったり
協力を得られる環境が揃っていないから
というのが
大きいんだと思う。


たとえ話で言うなら

80年生きられれば幸せだと言っている人間が
不老不死の研究をするか?といえば

それはしないだろう、っていうのと
似ているかな

この悩みを抱えている人は
結構居るだろうが
結局のところ
自分が悩むことがなければ
別にそれを完全に治す必要なんかないっていう
考えになると思うんだよね、

においを無くすという方向性自体が
既にデジタル理論なわけで
つまり
1を0にするって話なわけだから

それを願っている時点で
既にその人もデジタル思考なんだよね。


そう突き詰めていくと

俺の理想は
俺が許される社会であるならば
俺はこの悩みを考えることは減るんだ、と
思っているし

それを願っているんだってことかな

俺を許容してくれる人と付き合っていければ
それでいい、

そういう考えで暮らしてきたから
今までやってこれたんだと思う、

それは確かに環境依存なんだろうけどね、



長々と書いてしまったけど
今の時点での俺の
考えはこんな感じかな、

勿論、時間が経過することで
またあれこれ変わって行ったりも
するのかもしれないけど

また夏がくる、
同じことが繰り返されるんだろう

俺にあとどれくらい
命があるのかわからないが

俺はある時点からは
本当にやりたいようにやってきたから
悔いはほとんどない、

いつ終わってもそれほど問題はない、

残りの時間で
何か楽しい事でもあればなぁ
くらいに思って生きているわけで

生きている間に
この問題に大きな変化があれば
それはそれで
そういう世界で生きてみたいっていうのも
あるかもね。

でも、わざわざ辛い思いをしてまでそうなりたいかと言えば
決してそうではないってことなんだろう

まぁ満足したってことなのかもね

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