Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●<金口木舌>《コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず、米兵は基地の街をマスクをせず闊歩している。これが復帰から半世紀の沖縄》

2022年01月07日 00時00分53秒 | Weblog

[※ ↑ 【「空からの写真は一目瞭然」埋め立て進む辺野古の海 ドローンで監視する技術者の思い】(沖縄タイムス21.12.14、https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/879026)]


(2022年01月04日[火])
沖縄タイムスの記事【「基地由来のオミクロン株、かなり速いスピードで地域に拡大」沖縄3カ月ぶり100人超感染】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/889064)によると、《沖縄県は3日、新たに130人の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。1日当たりの新規感染者数が100人を超えるのは、115人だった昨年9月25日以来、約3カ月ぶり。先週月曜日の5人から26倍増で、年明け3日間の合計は233人となり、爆発的な増加となっている。…県の糸数公医療技監は、米軍基地と無関係のオミクロン株陽性者が増えているとして、「基地由来のオミクロン株がかなり速いスピードで地域に拡大している」と話し、市中感染が広がっているとの認識を示した》。
 琉球新報の記事【全国最多…沖縄でコロナ130人感染 前週比26倍 オミクロン株が急拡大】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1448856.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel)によると、《オミクロン株感染の疑いがある人も含めると、合計332人に上る。糸数氏は「米軍由来のオミクロン株が、速いペースで地域に拡大している」と警戒感を示した。(知念征尚)》。

 とうとう、6日(木) 時点では981人と、1千人間近だ。もちろん過去最多。岩国や三沢でも同様なことが起きている模様…。

 「思いやり」した末の非道…番犬様には《水際作戦》関係なし…またしても番犬様が《震源地》化。

   『●番犬様が《震源地》化…《ところで外務省沖縄事務所と沖縄防衛局は
     何をしているのだろう》、そして、アベ様や最低の官房長官らは何を?

 琉球新報のコラム【<金口木舌>基地と宣撫工作】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1448854.html)によると、《▼基地との「共存」を強いられた沖縄。「銃剣とブルドーザー」で接収された軍用地を巡る56年の島ぐるみ闘争95年の少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会。沖縄は不合理にあらがい続けた ▼コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず米兵は基地の街をマスクをせず闊歩(かっぽ)しているこれが復帰から半世紀の沖縄。だが、あらがった歴史をしっかり受け継ぎたい》。
 琉球新報の【<社説>新年を迎えて 民意と自己決定権貫こう】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1447745.html)によると、《2022年を迎えた。今年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目に当たる。半世紀前に琉球政府が日本政府と国会に求めたのは、自己決定権の確立であり、民意を尊重することであった》。

   『●今月で《25年…国策に翻弄され続けた四半世紀》…米軍普天間
     飛行場は返還されず、一方、辺野古は破壊され続け、単なる破壊「損」
   『●《1995年9月4日…あれから25年…沖縄の「負担軽減」といい
     ながら、日本政府は事件が起こった沖縄島北部東海岸に新たな基地…》
    《日本への施政権返還後に発生した米軍関係者の犯罪は昨年末までに
     県警が摘発しただけでも6029件に上る。うち580件が殺人や
     性的暴行、強盗などの凶悪犯だ。米軍人、軍属の犯罪はいまだに
     根絶には至っていない。最近の事件でも2016年に元海兵隊員で
     米軍属の男が女性を殺害昨年4月には海兵隊所属の海軍兵が女性を
     殺害した。こうした米軍関係者の犯罪は起訴に至らなければ、容疑者の
     身柄を米側は日本の警察に引き渡さなくてもいい。そう定めるのが
     地位協定だ。少女乱暴事件後の日米合同委員会では地位協定の
     「運用改善」が合意されたが、「改善」は法的拘束力がない
     字句修正に終始したと言うほかない》

   『●来年の「5・15」で50年…屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての
        復帰」を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…
    「半世紀経っても、《屋良朝苗氏は「基地のない平和の島としての復帰」
     を望んだ…モノクロから「天然色」に変わっても現実は…》何も
     変わらない沖縄。《施政権返還後も沖縄が抱える最大の課題は
     基地問題だ日本政府が沖縄に米軍基地の負担を押し付ける結果、
     米兵が引き起こす事件や事故、騒音被害、環境汚染、人権侵害が続く
     沖縄に矛盾をしわ寄せする仕組みは「構造的差別」に他ならない》。
     特に、元最低の官房長官=現首相の沖縄イジメは目を覆うばかりだ。
     典型が高江や辺野古。」

   『●《権力欲に駆られた政治家》アベ様やカースーオジサンによる《含羞》
      なき、《廉恥》欠く、破廉恥な政権が8年8カ月も続いてしまった…
    《来年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目を迎える。
     50年前の「沖縄国会」で、衆議院は在沖米軍基地の縮小決議を
     全会一致で決議したが、いまだに実現していない。岸田首相に
     国会決議を実現し、繰り返し民意が示された名護市辺野古の
     新基地建設見直しを求める》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1448854.html

<金口木舌>基地と宣撫工作
2022年1月4日 05:00
金口木舌 宜野座高校 島ぐるみ闘争

 1962年の宜野座高校の卒業アルバムに、校庭を重機でならす米兵の写真がある。写真説明は「仕事熱心なアメリカさん」

▼「あの時代ならでは」と振り返るのは同校出身で、元大分県弁護士会会長の岡村正淳さん。野球部を立ち上げるため役所や米軍キャンプ・ハンセンに協力をお願いしたら、米軍は資金援助こそしなかったがグラウンドの整地を買って出たという

米国民政府USCAR)は復帰前、基地の安定的な運用のため学校に楽器やスポーツ用品を寄付したり、運動場のフェンスを整備したりした。米軍が沖縄に駐留し続けるための、あからさまな宣撫工作だった

基地との「共存」を強いられた沖縄。「銃剣とブルドーザー」で接収された軍用地を巡る56年の島ぐるみ闘争95年の少女乱暴事件に抗議する県民総決起大会。沖縄は不合理にあらがい続けた 

▼コロナ感染再拡大後も米軍は詳細を説明せず米兵は基地の街をマスクをせず闊歩(かっぽ)しているこれが復帰から半世紀の沖縄。だが、あらがった歴史をしっかり受け継ぎたい。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1447745.html

<社説>新年を迎えて 民意と自己決定権貫こう
2022年1月1日 05:00

 2022年を迎えた。今年は沖縄の施政権返還日本復帰)から50年の節目に当たる。半世紀前に琉球政府が日本政府と国会に求めたのは、自己決定権の確立であり、民意を尊重することであった。

 県民が求めた新生沖縄県は復帰によって実現しただろうか。残念ながら「」であろう。では先達が示した原点に立ち返り、その意思を実現しなければなるまい。

 思い起こすのは、復帰後の沖縄の将来像を示した「屋良建議書」である。建議書の「はじめに」は、沖縄戦や米国統治など日米両政府の「犠牲」になり「手段」にされた構図からの脱却を強調基地撤去を前提に日本国憲法下で基本的人権が保障され、県民本位の経済開発など自己決定権の確立を基本理念に据えた中央と地方は対等であるという、後の地方分権一括法(2000年)を先取りしている。

 ところが、米国は日本に沖縄の施政権を返したが基地の自由使用権は手放さなかった。このため復帰前と変わらず米兵による事件・事故や、環境汚染などの基地問題が繰り返されている

 一方、日本政府は安全保障と外交の政策決定について国家の専権事項と主張し沖縄側を排除してきた。不平等な日米地位協定の抜本的な見直しを拒み、名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄の民意に向き合おうとしない

 日米は沖縄の地理的優位性を強調する。在沖海兵隊幹部は、沖縄を起点に半径2000キロの円を示してこう説明する。「世界最大の武力が集中し、特に中国は軍事力を増大している。沖縄の基地の存在が抑止力になっている」

 視点を変えてみよう。国土事務次官を務め戦後の全国総合開発計画を牽引(けんいん)した下河辺淳という人物がいた。屋良主席時代から沖縄振興計画に関わり、米兵による少女乱暴事件をきっかけに県民の怒りが爆発し大田県政と橋本政権が厳しく対立したとき、両者を仲介した。その時、下河辺氏は「沖縄3000キロ構想」を提言した。

 米軍と同様に沖縄を起点に半径3000キロの円を描き、軍事面の安全保障に偏らず、経済交流・文化学術交流を通して域内の総合的な安全保障につなげようという構想だ。

 下河辺氏の構想は、沖縄の民意を尊重して、米軍普天間飛行場を閉鎖し辺野古新基地計画を撤回した上で、国連平和機関を誘致することにもつながる。そのほうが「基地のない平和の島」(「屋良建議書」)に近づくだろう。

 問題は沖縄の主体性だ。この50年間、あらかじめ基地問題の解決を排除した沖縄振興計画、他県と異なる一括計上方式による県予算編成が、自立の気構えと県の政策立案能力を弱体化させていないか。

 玉城デニー知事は復帰50年式典で新たな建議を発信する意向だが、むしろ未達の「屋良建議書」に一歩も二歩も近づくことこそ優先すべきだ
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●『標的の村』三上智恵さんインタビュー

2013年09月18日 00時00分41秒 | Weblog


magazine9に出ていた長編インタビュー【三上智恵さんに聞いた 日本国憲法に守られてこなかった沖縄】(http://magazine9.jp/interv/mikami/)。

 あの『標的の村』を監督した三上智恵さんのインタビュー。米軍による事件や事故が頻発する沖縄。それに対して、我国は、易々と米軍基地やオスプレイを受け入れ、ましてや、子供にまでスラップSLAPPSLAPP)する始末である。

   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●SLAPPと原発、沖縄

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http://magazine9.jp/interv/mikami/

この人に聞きたい
三上智恵さんに聞いた
日本国憲法に守られてこなかった沖縄

今月から全国各地で公開される映画『標的の村』は、沖縄・普天間基地の周辺で、本島北部の高江で、米軍施設の建設やオスプレイ配備に反対する人たちの「闘い」を追ったドキュメンタリー。そこには、人々が警察によって強制排除され、メディアの立ち入りさえも阻止されるなど、県外にはほとんど伝えられない衝撃的な場面がいくつも収められています。人々は、どんな思いで闘いを続けてきたのか。『標的の村』が初監督作品となる、琉球朝日放送キャスターの三上智恵さんに伺いました。


みかみ・ちえ
琉球朝日放送キャスター、ディレクター。東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる~沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945~島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会放送ウーマン賞を受賞した。まもなく公開の初監督映画『標的の村』は、QABで放映された番組をもとにしたドキュメンタリー


普天間基地封鎖の大闘争を
伝えなかった本土メディア


編集部
 映画『標的の村』を観させてもらいました。本当に、胸が詰まって目頭が熱くなるようなシーンがたくさんありました。対象に寄り添い、その人たちの心の中に入り込みながら撮影している…、そういう感じが強くしましたね。

三上
 そうですか、ありがとうございます。
 あの映画は、最初は30分の番組としてQAB(琉球朝日放送)で流したものです。そこで伝え切れなかった部分を補足して倍の時間のものを作りました。
 でも残念ながら、テレビのドキュメンタリー番組を全国で流せる枠って、ものすごく狭いんですよ。これをどうしても全国に伝えたい、広めていきたい。そのためにはどんな方法があるか? そこでたどり着いたのが、映画にして全国で上映してもらう、という方法だったんです。91分に編集しなおして、テレビ番組では泣く泣く削らざるを得なかった部分もとり込んで映画化したんです。
 QABは、ずーっと普天間飛行場の辺野古移設、オスプレイの問題に密着して取材してきました。その中で、沖縄県東村の高江地区というところに建設が進んでいるヘリパッド(ヘリコプターの発着場)が、オスプレイの訓練基地になるということがはっきりしてきたのです。この映画は、辺野古から高江へつながる基地反対運動、そして普天間へのオスプレイ搬入阻止の住民の闘いを追い続けた記録です。

編集部
 映画の中では、普天間飛行場の住民による封鎖のシーンがものすごく印象的でしたね。

三上
 オスプレイ配備に反対する住民たちの普天間基地封鎖闘争は、沖縄県史上でも初めての出来事でした。普天間基地の3ヵ所のゲート(野嵩・大山・佐真下)すべてがオスプレイ配備反対を訴える住民たちによって封鎖されたんです。
 こんなことは、もちろん今までにありませんでした。米兵は、まったく基地の外へ出られなくなったんですよ。ほんとうに前代未聞の大闘争だったんです。それに怒った米兵たちと座り込み住民たちとの小競り合いも起きました。
 次々に警官隊によって引き抜かれ、泣きながら連れ去られる座り込みの住民たち。「同じウチナー同士がなんで争わなくちゃいかんのか! お前らも一緒に座り込めーっ!」と叫びながら引っこ抜かれるおじいやおばあ。それをすべて撮影していたのは、残念ながら沖縄のメディアでもQABだけだったんですね。

編集部
 ほんとうに熾烈な闘いの模様でした。たくさんの涙が流されました。車の中に立てこもり、涙を堪えながら歌う女性の『安里屋ユンタ』は、胸をかきむしられるようでしたね。でもなぜこれが、ほとんど一般には伝えられなかったんでしょう? 他のメディアはあまり現場にはいなかったんですか?

三上
 沖縄の政治家たちも参加した野嵩ゲート前には、他のメディアもいたんですが、彼らが午前中で引き上げると、一緒にメディアも引き上げて行きました。だから、すべての模様を撮影していたのはQABだけだったんです。そんな行事のような抗議行動で何ができるか、と憤る人たちが大山ゲート前に集結していました。でも、そちらにはほとんどメディアは記者を配置しなかったんです。全部のゲートに記者を送ったのはQABだけだったんです。
 しかも、こんな未曾有の大闘争が起きていたにもかかわらず、本土の大きなメディアはまったくといっていいほど伝えなかった。座り込みの模様をほんの少し流したテレビ局はありましたが、それもサラリと「オスプレイ配備に反対する沖縄の住民たちの抗議行動がありました」という程度。テレビ朝日が夕方のニュースで2分ほどの特集を組んでくれましたが、本土での扱いはそれが最大です。
 なぜなんだろう、というのが私たちの本当に大きな疑問でした。それなら、その疑問をすべて画面にぶつけてみようと…。


「沖縄にオスプレイが来る」ことは
15年以上前から分かっていた


編集部
 その想いが結実したのが、この『標的の村』なんですね。

三上
 そうです。高江のヘリパッドが、実はオスプレイの沖縄配備と密接に関連しているという事実は、沖縄の記者たちの間ではもう常識でした。でも、防衛局はずっと「ヘリパッドとオスプレイは関係ない」と言い続けました。
 取材していくと、すぐに分かることなんですが、オスプレイにとって高江のヘリパッドはどうしても必要なものでした。まず辺野古をオスプレイのホームグラウンドにし、高江を訓練地にするという計画。つまり、海からやんばるの森(高江地区を含む)へ向かってきて、高江のヘリパッドを目指す、というルートです。だから新しいヘリパッドが必要なんだ、ということです。
 結局、オスプレイが高江に来ることは、96年のSACO合意のときから分かっていたことなんですね。ただ、ヘリパッドの位置が本当に高江の集落を囲むように6ヵ所も造られると分かったのは、2006年くらいでした。

編集部
 すべては米軍と日本政府の了解の上だったんですね。

三上
 そうです、すべては分かっていたことなんです。そのことを取材していくと、なんと「ベトナム戦争当時、あそこには『ベトナム村』があったんだよ」という話が出てきました。
 最初は「えっ、何それ?」って感じでしたけど、調べてみたら、県の公文書館に「USCAR(ユースカー・琉球列島米国民政府)」が撮った写真が整理されていて、私たちもびっくりしたんです。映画にも出てきますけど、高台から米国高等弁務官が訓練を笑いながら見下ろしている写真があるんですが、ベトナム人の村人の役で配置させられているのが沖縄の住民、それを標的に米兵が訓練をしているわけです。

編集部
 それが『標的の村』というタイトルに結びつくわけですね。

三上
 ええそうです。でもね、それでこの地区の住民たちが怒っていたかというと、それは違うんです。
 その当時、遥か遠い那覇にあった沖縄民政府なんて、山奥の高江に何もしてくれない、何の恩恵も与えてくれなかった。逆に、米軍は近くにいて住民を雇ってくれて、毛布や食べ物もくれたし、学校を作るときにはジャングルジムも寄付してくれた。怖いことなんてなんにもなかった、とおばあたちがみんな言うんです。そんな中で、私たちが取材とはいえ「ベトナム村で、ベトナム人役をさせられていたんですね」なんて訊いて回るのは、とても辛かったですね。


国に訴えられた
高江の住民たち


編集部
 なるほど、そういう歴史がこの高江という集落にも隠されていたんですね。そして、この映画のもうひとつの側面は「スラップSLAPP)訴訟」です。

三上
 それがこの高江では、本当に大きな問題なんです。あまり聞きなれない言葉ですけど、スラップ訴訟というのは、大きな権力を持った側、例えば政府や行政、大企業などが恫喝的に住民や個人を訴えるというもので、アメリカなどでは禁止している州(カリフォルニア州など)もあるという、問題のある訴訟です。
 今回、高江では通行妨害という名目で、たくさんの住民が防衛局から訴えられました。なんとその中には、当時たった7歳の女の子まで入っていた。しかも調べてみると、訴えられた日の現場に、その女の子はいなかったということも分かった。つまり、何でもいいから反対するヤツは裁判にするぞ、という脅しなんです。
 普通の人が裁判に訴えられる。こんな怖いことがありますか。裁判に呼び出されて時間もとられる。生活の破壊にもつながります。結局、ほとんどの訴えは取り下げられて、仮処分から本裁判にされたのはおふたりだけですが、それでも「恫喝」という防衛局(日本政府)側の目論みは成功したわけです。もっとも、住民側はまったくへこたれてはいないので、完全な成功というわけでもないですけど。

編集部
 その訴えられた海月ちゃんという女の子は、この映画の中でも印象的でしたね。

三上
 海月ちゃんは映画の最後では、小学6年生になっています。彼女は6歳のとき「オスプレイが来たら逃げる」って言っていたんですね。でも今は、「お父さんやお母さんがやってきたことを、今度は私が引き受けるんだ」と言っています。
 小学6年生の女の子にそう言わせてしまったことに対し、沖縄のメディア関係者は総懺悔しなければいけない。だからこの映画は、海月ちゃんに象徴される次の世代に対する懺悔で作ったような気もするんですよ。私たちメディアは、結局世の中を変えられなかった、という…。

編集部
 映画では最後に「(沖縄に)刃をふるっているのはいったい誰なのか…」というナレーションが入ります。沖縄の問題というのは、誰が敵なのか、分かりづらい面もありますね。

三上
 大きな何かじゃないと思うんです。小さな無関心、小さな責任転嫁というか、小さな狡さの集積でこんな国になっちゃったんですよね。
 米軍を歓迎したことはない。無理やり共存させられた基地と折り合って生きてきたところに、外から「それは問題でしょう」と言われても、「ほっといてほしい」という感覚は、確かに沖縄の中にもあります。自分たちなりに納得して乗り越えようとしてきたものを、内地から波風立てて、実は不幸なんでしょ? って言われても、大きなお世話だって。
 ほんとうは現実にちゃんと向き合って、何かをやらなければいけないんですが、やっていない自分を弁護する論理として「傷つく人がいるから」とか「家族が基地で働いているから」ということで終わらせようとしてきたから、それじゃ沖縄は変われない。
 そこへ投げ込まれた石として、オスプレイの普天間配備、辺野古移設、そして高江ヘリパッドの問題があったんだと思うんです。だから、沖縄へ捧げる私たちの想いがこの映画には詰まっている…。


憲法はまだ、沖縄では
きちんと適用さえされていない


編集部
 その沖縄からは「日本国憲法なんて、これまで我々には関係なかったし、これからだって米軍基地が押し付けられている限り関係ないだろう」という声が挙がっています。やっぱり、沖縄から見える日本国憲法の姿って、我々本土の人間が認識するものとは違って見えますか?

三上
 そりゃあねえ…(苦笑)。27年間のアメリカ統治時代の苦しみは、日本国憲法さえあれば全部終わるんだ、というイメージで、沖縄の人たちはずっと片思いしてきたわけですからね。
 「憲法手帳」というのがあって、保革を問わず、沖縄の議員さんたちはいつも胸ポケットにその手帳を入れている、という話がありました。それほど、沖縄の人たちは焼け付くように日本国憲法の下への復帰を望んでいたということなんです。
 でも、片思いのままにもう40年も過ぎてしまいました憲法で保障されていることが、日本国内でさえきちんと行われていないという実態はあったかもしれませんが、でも沖縄では、教育の自由さえなかったわけですからね。日本の歴史を教えていいのかどうかさえ、アメリカの顔色を伺ってでなければ判断できなかった。教育基本法さえなかったんです。
 思想信条の自由表現の自由教育の自由何もなかったんですよ。日本に復帰した今、その自由を手に入れたかと言われれば、やっぱり実感はない。
 日本人は憲法の下で、基本的人権は国家によって保障されるし、武器は持たないと言っている。しかし、沖縄は武器だらけです。戦争に巻き込まれた状態のままで、教育も平和的生存権も人格権も、そして何より財産権も保障なんかされていない。沖縄県民の財産権は、今も米軍基地というもので蹂躙されている
 『標的の村』も、最初の30分番組のときには、これが大きなテーマでした。もともとの自分たちの土地に入ったら、米兵に銃で追いかけ回されて日本へ復帰したら「日本国の法律によって罰せられる」という看板で土地から追い出されたという状態は、今も続いています。
 しかも、少女暴行事件のあとの97年には、軍用地特措法が改定されて、どんなに首長が反対したって「あんたの土地が必要だよ」と日本政府に言われたら取り上げられてしまう。だから、財産権なんて、いまだかつて沖縄では保障されたことなんかないんですからね

編集部
 それは、日本政府に対してだけではなく、「内地」で普通に暮らす一般の日本人に対しても鋭い批判になっています。

三上
 何も日本人総体を批判するつもりはないんです。
 でもね、日本国憲法で権利が保障されていない復帰前の沖縄から見ると、保障されている日本国の人はほんとうに羨ましかっただろうし、憧れという簡単な言葉ではなく、のどから手が出るほど日本国憲法がほしかったんです。ところが、日本国憲法がある日本国へ復帰すれば、その憲法によって沖縄県民の生活も一変するだろうと思っていたにもかかわらず、まったく何も変わらなかった。そのことへの恨み、というより哀しみは強いですね。
 しかも、今度の参院選で、憲法を変えようという勢力が大勝してしまった。沖縄では今も、憲法を沖縄できちんと機能させよう、という運動を頑張ってやっているというのに、その憲法が沖縄できちんと適用される前に、「もう憲法が変えられちゃうんだってよ」と、沖縄の人たちは自嘲気味に、でも普通に言っていますよ。

編集部
 適用されなかったからこそ、その意味がよく分かる。もらえなかったからこそ、その価値が見える。日本国憲法とは、沖縄にとってそんなものだったのかもしれませんね。日本国民に、憲法はきちんと機能しているかといえば、最近はことに怪しくなってきてもいますが。

三上
 そういう意味では「日本国憲法を変えてしまうというのなら、まずその前に一度、沖縄でその憲法をきちんと施行してみてからにしてください」と、私は言いたいですね。

編集部
 この映画もつきつめれば、「日本国憲法の保障がない沖縄」という現実を照射した作品といえるかもしれませんね。
 ただ、そんな言葉の軽さではとうてい表現できない現実です。東村の明るい陽光と木々の葉のそよぎ、住民たちの普通の生活などが極めて美しく描かれているだけに、それらを踏みにじる理不尽さに体が震えました
 今日は、ありがとうございました。映画の成功を期待します。

三上
 こちらこそありがとうございました。
 映画は8月10日(土)から、東京・東中野の「ポレポレ東中野」を皮切りに、順次全国でロードショーです。沖縄の現実を、少しでもお伝えできればと思っています。
 ぜひ、よろしくお願いいたします。

(構成/鈴木耕 写真/吉崎貴幸)
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