東京新聞の二つの社説【フクシマは“人災”か 東電元幹部を強制起訴へ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080102000137.html)、
【原発再稼働 安全とは言わぬまま】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080802000130.html)。
「福島第一原発事故は東京電力が津波対策を怠ったため起きた-。それが検察審査会の結論だった。“人災”だったのか、公の裁判の場で決着をつけたい」。
明らかに「原発人災」である。しかも、津波の前に既に破壊・破断が起こっていたのではないか?
『●予想された東京電力原発人災と裁判官の責任』
『●様々な意味で人災である』
『●東京電力原発人災:
津波による天災ではなく、地震で破断していた?』
『●醜悪な構図2:
原発人災・汚染の原因者が「公的支援1兆円 裏で税逃れ」』
『●東電原発人災の3.11を再び目前に:
「原発事故調書 原因不明、責任不在」でも再稼働できる神経を疑う』
「四国電力 伊方原発が原子力規制委員会の規制基準に適合し、九州電力 川内原発の再稼働は迫る。多くの不安をのこしたままで、適合すなわち再稼働という短絡を、定着させてもいいのだろうか。川内原発(鹿児島県)、関西電力 高浜原発(福井県)に続いて伊方(愛媛県)は「適合」三件目。ここでもやはり、避難計画の実効性や、地震に対する備えの甘さが不安視されている。にもかかわらず、政府や電力事業者は、それで再稼働の“お墨付き”を得たという」。
さらに東京電力柏崎刈羽原発を優先審査だそうです・・・・・・あまりの愚行。
『●東京電力柏崎刈羽原発を優先審査:
原子力「ムラ寄生」委員会は「規制」のお仕事をしてくれ!』
『●原子力「寄生」委員会の審査に通ったからといって何だというのでしょう?』
『●原子力「ムラ寄生」委員会の机上の空論:
「大幅に下回」るように計算すれば下回る』
『●東京電力原発人災での「想定不適当事故」を
想定しなかった教訓が全く活かされていない』
『●原子力「ムラ寄生」員会ではなく、
「風船爆弾」が語ることにこそ真実はある ~川内原発再稼働問題~』
『●火山の巨大噴火時の緊急核燃料輸送に
何時間、何日間? 答えは「2年以上」!』
『●九州電力川内原発を再稼働させてはイケナイ:
何のための専門家会合? 市民の意見提出??』
『●「今後の運転期間はせいぜい三十年間。
その間の噴火はないだろう」との推測下、川内原発規準OK』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080102000137.html】
【社説】
フクシマは“人災”か 東電元幹部を強制起訴へ
2015年8月1日
福島第一原発事故は東京電力が津波対策を怠ったため起きた-。それが検察審査会の結論だった。“人災”だったのか、公の裁判の場で決着をつけたい。
自然現象に不確実性はある。しかし、原発事故という大災害を招きかねないケースにおいては、「万が一」の事態も事前に想定しておかねばならない。
十一人の市民で構成する東京第五検察審査会は、そのような極めて常識的な立場にたって、福島第一原発事故を検討したといえよう。検察が「不起訴」判断だったのに、東電元幹部らに刑事責任が問えると、ぎりぎりの判断をしたのも、そうした常識観の反映だとみることができる。
◆大津波の試算があった
もちろん、「想定外」の事態を扱う場合、その安全対策をどこまで考えておけばいいのか、どのような具体的な条件設定をすればいいのか、難しいポイントは数々ある。検察審査会の市民が重視したのは政府の地震調査研究推進本部の長期評価である。
二〇〇二年の段階で、マグニチュード(M)8・2クラスの津波地震が発生する可能性があると指摘されていた。〇八年の段階では、長期評価を用い、東電側で明治三陸地震をモデルに試算すると、一五・七メートルもの大津波が押し寄せる-。そんな結果も出していた。巨大津波が来れば、原発は水に覆われてしまう。
「十メートルの敷地高を超える津波がひとたび来襲した場合には、
電源喪失による重大事故が発生する可能性があることは、
そのとき既に明らかになっていた」
検察審査会の議決書では、そう記している。東電元幹部の刑事責任を問うには、まず注意義務違反があったかどうか、重大な事故となる予見可能性があったかどうか、などが焦点になる。市民の感覚は、そのいずれも「あった」と断じるものだった。
◆安全だと「思い込み」が
そもそも一五・七メートルもの大津波が来るという重大な指摘があったのに、東電側はまるで時間稼ぎをするかのように土木学会に検討を委ね、対策を先送りしていた。
その点について、検察審査会は「最悪の場合、原発の運転を停止せざるを得ない事態に至り、東電の収支を悪化させることを危惧した」と述べている。
東電は津波によって非常用海水ポンプが機能を失い、炉心損傷に至る危険性があることや、全電源喪失の危険性があることも分かっていたのではなかろうか。
「検察審査会は素人判断だ」などと侮ってはならない。国際原子力機関(IAEA)が作成した福島第一原発事故の最終報告書でも、巨大地震や大津波は「想定外」とする東電と国の主張を真っ向から否定しているからだ。
その報告書では、「『日本の原発は安全』との思い込みにより、関係機関には、安全レベル(向上)に挑もうとしない傾向があった」と明確に記しているのだ。しかも、約二百四十ページにも及ぶ報告書には「思い込み」という言葉を何度も刻み、国や東電の対応のまずさを指摘している。
原発運転では核分裂を伴う以上、機器の故障や運転ミスだけではなく、地震や津波、洪水などに対しても万全の対策が求められる。それでも対策は突破され、重大事故は起きるものだ。IAEAの報告書はそのような観点にたっている。東電はまさに「思い込み」に陥っていたのではないか。
ただし、今回の「強制起訴」議決によって、東電元幹部を有罪視するようなことがあってはならない。白黒をはっきりさせるのは、あくまで裁判の場である。
〇九年に新しい検察審査会の仕組みが出来上がってから、初の強制起訴となった兵庫県明石市の花火大会で起きた歩道橋事故のケースは、時効成立による「免訴」の判決が出た。尼崎JR脱線事故では、JR西日本の歴代三社長は「無罪」判決で、両事件とも最高裁に係属中だ。政治資金規正法をめぐる陸山会事件では、小沢一郎元民主党代表は「無罪」が確定している。
◆法廷で真相に肉薄を
むしろ、福島第一原発事故のケースでは、当時の東電の幹部たちが、原発事故とどう向き合っていたのか、公の法廷で肉声を聞くことができる。証言や証拠が開示され、われわれ国民の前で明らかにされる意義が極めて大きい。
少なくとも検察は強制捜査に踏み切ることもなく、業務上過失致死傷罪での刑事訴追について、「想定外だから罪は問えない」と一蹴してしまった。
「レベル7」の過酷事故は本当に防げなかったのか。天災なのか、人災なのか-、被災者も注視している。真相に肉薄することが、今後の裁判に期待される。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015080802000130.html】
【社説】
原発再稼働 安全とは言わぬまま
2015年8月8日
四国電力 伊方原発が原子力規制委員会の規制基準に適合し、九州電力 川内原発の再稼働は迫る。多くの不安をのこしたままで、適合すなわち再稼働という短絡を、定着させてもいいのだろうか。
川内原発(鹿児島県)、関西電力 高浜原発(福井県)に続いて伊方(愛媛県)は「適合」三件目。ここでもやはり、避難計画の実効性や、地震に対する備えの甘さが不安視されている。
にもかかわらず、政府や電力事業者は、それで再稼働の“お墨付き”を得たという。
規制委の「適合」判断は、再稼働の必要条件ではあるだろう。だが、十分条件とは言いがたい。
多くの原発は半島に立地する。特に伊方原発は、日本一細長いという佐田岬半島の付け根にあり、その西の海側には約五千人が暮らしている。
愛媛県が策定した事故時の広域避難計画では、原発前の国道を通って松山市などに向かう陸路と、フェリーに乗って大分などに逃れる海路が想定されている。
だが、南海トラフ地震と原発事故の複合災害が発生すれば、道路は寸断、港が荒れて船も使えず、孤立化する恐れは強い。
共同通信が六月中旬に実施した調査では、伊方原発から半径三十キロ圏内十二万三千人の避難先になる六県十九市町のうち、受け入れ態勢が「整っている」「どちらかというと整っている」と答えた自治体は一県七市町にとどまった。
大分県と愛媛県は、愛媛県側住民を船に乗せ、大分県側に運ぶ避難訓練を、秋に実施するという。
順序が逆だ。こんな大事な訓練をする前に、再稼働の“許可”が出されて、いいのだろうか。
福島第一原発事故をめぐる検察審査会の起訴議決にも「原発に関する責任者は『万が一』の災害にも備えなければならない義務を負う」とあるではないか。
そもそも数千人が船で海上に逃れなければならないような大事故は、万が一にもあってはならないことではないか。
「適合」判定第一号の川内原発は、十一日にも再稼働第一号になるという。だが、規制委も政府も自治体も、誰も「安全」を保証していない。
事故発生時の責任を、誰が、どう取るのかも、あいまいなままではないか。
このような状態で、規制基準「適合」=「再稼働」という図式を定着させてしまってもいいものか。もう一度よく考えたい。
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