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Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●《どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》(東京新聞社説)…下足番新聞やアベ様広報紙に言っても詮無いこと

2022年09月30日 00時00分58秒 | Weblog

(2022年09月15日[木])
どんな政権であろうと、新聞は権力監視の役割を放棄してはならない》…下足番新聞アベ様広報紙に言っても詮無いこと。毎日新聞や朝日新聞には《権力監視の役割を放棄》しないでもらいたい。

   『●桐生悠々に《ちなんだ社説の掲載に至ったのも、どんな政権であろうと、
       新聞は権力監視の役割を放棄してはならないという決意を》読者に
    《社説「桐生悠々を偲(しの)んで」…。安倍、菅両政権の九年近くの
     間、独善的な政治運営が続き、政治は私たちの望む、あるべき方向とは
     全く違う道を進んでしまいました。でも、それを止める力が新聞には
     まだある、義務を履行せずしてどうするのか、と読者の皆さんに
     教えられた思いです。きのう始まった自民党総裁選後には衆院選が
     あります。どんな政権ができようとも、私たちは
     「言わねばならないこと」を堂々と言う新聞でありたいと考えます》

 東京新聞の【<社説>桐生悠々を偲んで 言論の覚悟を新たに】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/202017?rct=editorial)によると、《新聞が言わなくなった先にあるのは、内外で多大な犠牲者を出した戦争であり、それが歴史の教訓です言論や報道に携わる私たちに「言わねばならないこと」を言い続ける覚悟があるのか悠々の生き方は、そう問い掛けます》。

   『●『学校が教えないほんとうの政治の話』(斎藤美奈子著)読了
                …《あなたの政治的ポジションを見つけて…》
    《だいたいみんな、このごろ、まちがえてんのよね。
     「偏らないことがいいことだ」「メディアは中立公正、
     不偏不党であるべきだ」「両論を併記しないのは
     不公平だ」。そういう寝言をいっているから、
     政治音痴になるのよ、みんな。》
    《あのね、政治を考えるのに「中立」はないの。メディアの役目は
     「中立公正、不偏不党な報道」ではなく「権力の監視」なんです。
     それ、常識。》
    《党派性をもたずに政治参加は無理である。》

   『●『国民のしつけ方』(斎藤貴男著)読了…
      《それは調査報道…「番犬(ウォッチ・ドッグ)」としての役割》

    《ジャーナリズムの最大の存在意義は「権力のチェック機能」である。
     …専門的には「番犬ウォッチ・ドッグジャーナリズム」理論という》
    《「番犬ジャーナリズム」は、純粋培養の環境下にあるよりも、
     一人ひとりのジャーナリストがもがき、苦悩しながら遂行していってこそ
     成長し、民主主義社会に貢献できる
のではないか》

 1年前、… ―――――― 「自民党総裁選を嗤 (わら) 」新聞求む…アベ様およびカースーオジサンによる9年近くの《メディアコントロール》の頚木の打破を。―――――― と訴えたのですが、結果は惨憺たるものでした。それを継いだキシダメ氏の酷いこと…。
 これも1年前…(東京新聞)《新聞などメディアは社会に寄り添い、世論を代表しているか政府の言い分を垂れ流し、報道を規制されても公益のためと思考停止に陥っていないか》。…桐生《悠々は個人誌「他山の石」の発行で糊口(ここう)をしのぎます》…箕部幹事長の言う「他山の石」ならぬ、「自」山での「石」だらけ。例えば、腐敗した政権や数多のアベ様案件の責任をとらせてほしい。また、《平和憲法の下、歴代内閣が憲法違反としてきた「集団的自衛権の行使」は、安倍晋三前政権によって容認に転じました。防衛費の増額も続きます。新聞などのメディアが声を上げ続けなければ、平和主義は一瞬にして骨抜きにされるのは歴史の教訓です》…。状況は悪化しています。

   『●政権交代の意義が完全に消えた日
    《▼「听う」は口を大きく開けてわらうことで、「莞う」は感じよく
     ほほえむこと、「嗤う」はあざけりわらうことだ。軍国主義が台頭し、
     言論弾圧が厳しさを増していた一九三三年、軍の空襲への備えを
     嗤った新聞人がいた▼その人、桐生悠々が書いた
     「関東防空大演習を嗤ふは日本の新聞史上、特筆すべき名論説
     として、記憶される。首都上空で敵機を迎え撃つ作戦など滑稽極まる。
     数機撃ち漏らせば、木造家屋の多い東京は炎上すると、彼は書いた
     ▼<阿鼻叫喚(あびきょうかん)の一大修羅場を演じ、
     関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだらう…しかも、
     かうした空撃は幾たびも繰返へされる可能性がある>。
     この指摘が現実のものとなり、大空襲で東京の下町が壊滅、
     十万の犠牲者を出したのは、四五年三月十日のことだ》

   『●自公支持者を「嗤う」、あれで「採決」「可決」!?: 
       自公支持者も「听う」ことが出来なくなる日は近い
    「先の『読売』や『産経』、『アベ様の犬HK』などの
     「アベ様の広報機関」とは違う、『東京新聞』の新聞人の矜持
     示す社説をご覧ください。2番目の記事の、つまり、
      《桐生悠々の言葉。…「言いたい事」と「言わねばならない事」は
       区別すべきだとし「言いたい事を言うのは権利の行使」だが、
       「言わねばならない事を言うのは義務の履行」で「多くの場合、
       犠牲を伴う」と書き残している》
     ……の部分を受け、社説の末尾には、《憲法を再び国民の手に
     取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を
     自らに課したい。それは私たちの新聞にとって
     「権利の行使」ではなく義務の履行」だからである》と
     〆ています」

   『●阿部岳記者「桐生悠々は訓練よりも
     「実戦が、将来決してあってはならない」ことを訴えた…先見の明は…」
    「《桐生悠々訓練よりも「実戦が、将来決してあってはならない」ことを
     訴えた。…先見の明は、その後の空襲被害が証明している》訳です。
       壊憲が進み、戦争できる国、戦争したい国へとひた走るニッポン。
     ジャーナリズムの劣化もそれに拍車をかける」

   『●Jアラート狂想曲: 「かつて関東上空での防空演習を
           嗤った桐生悠々なら何と評するでしょうか」
    《北朝鮮が弾道ミサイル発射を繰り返し、国内では避難訓練
     行われています。かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った
     桐生悠々
なら何と評するでしょうか》

   『●阿部岳さん、《基地問題への見解の違いも…
     デマで攻撃された因縁も関係ない。今回は…産経の側に立つ》
    「東京新聞の社説【週のはじめに考える 権力と向き合う覚悟】…
     によると、《全米の新聞、一斉に社説言論の自由への危機感
     …桐生悠々の奮闘を偲ぶ…あす九月十日は、四一年に亡くなった
     悠々を偲(しの)ぶ命日です。百年という時を隔て、また日米という
     太平洋を挟んだ国で同じように、新聞が連帯して時の政権に毅然(きぜん)
     と向き合ったことは、民主主義社会の中で新聞が果たすべき使命を
     あらためて教えてくれます。私たちは今、政権に批判的な新聞との
     対決姿勢を強める安倍晋三政権と向き合います。悠々ら先輩記者や
     米国の新聞社で働く仲間たちの奮闘は、私たちを奮い立たせ、
     権力と向き合う覚悟を問い掛けているのです》。
     《権力と向き合う覚悟》…無しなニッポンのマスコミではなかろうか…」

   『●東京新聞《桐生悠々…にとって一連の言論は、
     犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う義務の履行だった》
    「《「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが
     「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり、
     「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」》と。《桐生悠々…に
     とって一連の言論は、犠牲も覚悟の上で、言うべきことを言う
     義務の履行だった》。この度、アノ高市早苗氏が総務相に復活。
     アベ様の政で〝唯一うまく行っている〟メディアコントロールの下、
     《権力と向き合う覚悟》がマスメディアにはあるのだろうか? 
     《義務の履行》を果たしているか?」

   『●《国会を開かなければ、それもできない。これを政治空白と言わず
     して、何と言う。…国権の最高機関である国会の軽視も甚だしい》…
   『●「自民党総裁選を嗤(わら)う」新聞求む…《明治から大正、戦前期の
     昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を筆鋒鋭く批判し続けました》
   『●武田砂鉄さん《忘却に加担するのか、しっかり掘り返して問うのか、
        メディアが問われている。またいつもの感じでやっているの…》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/202017?rct=editorial

<社説>桐生悠々を偲んで 言論の覚悟を新たに
2022年9月14日 06時56分

     (桐生悠々)

 九月十日は私たち記者の大先輩で反軍、抵抗のジャーナリスト、桐生悠々(きりゅうゆうゆう)=写真=を偲(しの)ぶ命日でした。世界を見回すと、悠々が活動していた時代同様、戦禍が絶えず、新たな戦争も始まりました。戦争の犠牲者はいつも、何の罪もない「無辜(むこ)の民」です。こんな時代だからこそ、悠々の命懸けの警鐘に耳を傾け、言論の覚悟を新たにしなければなりません。

      ◇

 本紙読者にはおなじみだと思いますが、桐生悠々について、おさらいをしてみます。

 悠々は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つ「新愛知」新聞や長野県の「信濃毎日新聞」などで編集、論説の総責任者である主筆を務めた言論人です。

 明治から大正、戦前期の昭和まで、藩閥政治家や官僚、軍部の横暴を痛烈に批判し続けました

 新愛知時代の一九一八(大正七)年に起きた米騒動では、米価暴騰という政府の無策を新聞に責任転嫁し、騒動の報道を禁じた寺内正毅内閣を厳しく批判。社説「新聞紙の食糧攻め 起(た)てよ全国の新聞紙!」の筆を執り、内閣打倒、言論擁護運動の先頭に立ち、寺内内閣を総辞職に追い込みました。

 信毎時代の三三(昭和八)年の論説「関東防空大演習を嗤(わら)」では、敵機を東京上空で迎え撃つ想定の無意味さを指摘しました。日本全国が焦土と化した歴史を振り返れば正鵠(せいこく)を射たものですが、在郷軍人会の抵抗に新聞社が抗しきれず、悠々は信州を離れます。

     (桐生悠々の遺族から寄託された「他山の石」
      =金沢市の金沢ふるさと偉人館で)


◆発禁処分を乗り越えて

 それでも悠々は、新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区に移り、三四(同九)年から個人誌「他山の石」=写真=を月二回発行します。当局からたびたび発売禁止や削除の処分を受けながらも、四一(同十六)年に病で亡くなる直前まで、軍部や政権への厳しい批判を続けたのです。

 他山の石が最初に発禁となったのは三五(同十)年の「広田外相の平和保障」という論文です。

 当時の広田弘毅外相による「我在任中には戦争なし」との議会答弁を「私たちの意見が裏書きされた」と評価しつつ、アメリカやロシアとの戦争は「国運を賭する戦争」であり「一部階級の職業意識や、名誉心のため」「一大戦争を敢(あ)えてすることは、暴虎馮河(ぼうこひょうが)(無謀な行為)の類である」「戦争の馬鹿(ばか)も、休み休み言ってもらいたいものだ」と軍部の好戦論を批判しました。

 これが反戦を宣伝扇動したとして発禁処分になったのです。

 悠々の研究者、太田雅夫さんの著書によると他山の石の発禁・削除処分は二十七回に上ります。このうち二十五回は三五〜三八年の四年間ですから、この間に発行された四分の一以上が発禁・削除処分を受けたことになります。

 その後、悠々は発行継続のため不本意ながらも愛知県特高課による「事前検閲」を受ける方針に切り替え、指摘された箇所を自主的に削除することで発禁を免れました。ただ、その筆勢は衰えず、政権や軍部批判を続けました


◆言わねばならないこと

 それらは悠々にとって「言いたいこと」ではなく「言わねばならないこと」でした。他山の石にはこう書き残しています。

 「私は言いたいことを言っているのではない」「この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ」

 そして「言いたいことを言うのは、権利の行使」だが「言わねばならないことを言うのは、義務の履行」であり「義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う」とも。

 悠々が残した記者としての心構えは古びるどころか、今の時代にも通じる、いや、今だからこそ胸に刻むべき至言なのです。

 今、新聞にとって「言わねばならないこと」があふれています

 法的根拠を欠く国葬実施旧統一教会と政治との深い関係平和憲法を軽視する安全保障政策への転換防衛費の増額などです。

 国外に目を転じれば、国際法無視のロシアの振る舞いや、核兵器使用の可能性も看過できません。

 新聞が言わなくなった先にあるのは、内外で多大な犠牲者を出した戦争であり、それが歴史の教訓です言論や報道に携わる私たちに「言わねばならないこと」を言い続ける覚悟があるのか悠々の生き方は、そう問い掛けます
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●『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217)についてのつぶやき

2014年07月07日 00時00分40秒 | Weblog


自然と人間』(2014年7月号、Vol.217)の最新号について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge。

 最も注目の記事は、山口正紀さん【北陵クリニック事件飯塚事件など請求棄却 相次ぐ再審開始の流れに逆流】。

******************************************************************************
■①『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 表紙「「TPPは日本を米国の植民地にする道だ(TPP will make Japan a colony of USA)」と訴えるデモ隊。ロイター提供」。「歴史的判決! 大飯原発運転差し止め」。それを何とか活かしたい(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/bbc4219e4b63bf26f0a3e9c4423f9060

■②『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 森達也さん【第100回つぶやくニッポンの街角 誰が誰に何を言ってんの?】、「文民としては唯一A級戦犯で処刑された広田弘毅・・人は愚かだ。でも同じ過ちをくりかえしてはならない。でも同時に思う。人は愚かだ。だって同じ過ちをくりかえす」

■③『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 森田実さん【戦後日本の平和と民主主義の危機】、「日本は戦争してはいけない国・・従米軍国主義国家・日本・・米政府にバックアップされる安倍首相の暴走を止めることができるか?」。自公支持者の罪は重い(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/6f3c4e2885089ef30c7b89f3fe9febf5

■④『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 鈴木宣弘氏【富の独占をねらう暴走に終止符を! TPPと農業「改革」】、「なぜ奪う側がレフリー役か・・どこが官邸をコントロールしているか・・地域社会が崩壊していいのか・・約束した「国益」はほとんど差し出した・・暴走に終止符を打つとき」

■⑤『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 鴨桃代氏【労働法制の改悪はすべての労働者の働き方を変える 労働規制緩和は秋の通常国会が焦点】、「働き方を変える改悪案・・派遣労働者に何のメリットもない・・雇用のルールを崩す「限定正社員」とホワイトカラー・エグゼンプション」

■⑥『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 志葉玲氏【集団的自衛権行使 国民安保法制懇を結成 「解釈による容認は憲法のハイジャックだ」】、「二人の元法制局長官も異議・・大森雅輔氏・・阪田雅裕氏・・「自衛隊が米兵の傭兵となるシステム」・・安倍政権の情緒的な主張には騙されない」

■⑦『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 山口正紀さん【北陵クリニック事件飯塚事件など請求棄却 相次ぐ再審開始の流れに逆流】、「突然の「北陵」再審請求棄却決定・・支離滅裂な仙台地裁の棄却決定・・飯塚事件でも不可解な裁判長交代」。かなり厳しいと思われる飯塚事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8492ad01cd3e46f7c0a27003b02c785c

■⑧『自然と人間』(2014年7月号、Vol.217) / 【大谷昭宏の言いたい放題/福井地裁の大飯原発運転差し止め判決 原発は人格権より劣位にある 横浜地裁の厚木基地自衛隊機飛行判断とあわせ国家の根幹に関わるテーマで画期的判断】、「三権分立の原則を地裁が示す・・「吉田調書」報道の衝撃」
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●炭坑王一族の末裔による凄まじいまでの暴言・差別意識

2013年08月08日 00時00分50秒 | Weblog


CMLの記事(http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025626.html)。

 ナチスの「あの手口を学んではどうか」の麻生太郎氏。極めつけの暴言・差別意識について以下に再掲。

●『創 (12月号)』読了 (2/2)
   
   「雨宮処凛さん、「45年間にわたり一着45万円のスーツを年間10着仕立てる
    おしゃれな首相。・・・敷地だけで6200000000円。・・・『華麗なる一族』の
    東京宅を見に行きましょう」。で、ゆでダコ坊主主導によるコウボウ
     (「防」でなく「暴」)。」

●『追われゆく坑夫たち』読了(2/3)
   
   「『日刊ゲンダイ = 連日の高級ホテル通いが非難を浴び、
    「私は幸い、お金があります」と言い放った麻生首相。なるほど
    福岡の炭鉱王と呼ばれた一族で、公開された資産は歴代首相では
    ダントツだ。それにしたって財力を鼻にかけて自慢するなんて、一国の
    トップがやることか。成り金じゃあるまいし、本当の金持ちはもっと謙虚だし、
    人前では金のことを話さないのが大人のたしなみというものだ。昔、
    大コンツェルンの御曹司から自民党の代議士に担ぎ出され、財産すべてを
    政治につぎ込んで「井戸塀」と呼ばれても国家のために働いた藤山愛一郎
    という政治家がいた。麻生マンガ太郎首相は同じ御曹司でもこの人物とは
    品格が違う。「ボクは金持ちです。だから嫌われます」と吹聴する人物が
    最高指導者では国中のモラルが乱れるのも当然。』(赤太字はブログ主)
    (「井戸」か・・・。)
   「・・・北部を縦走して玄海灘にそそぐ遠賀川の流域一帯、七市四郡にわたる
    筑豊炭田は、ほぼ一世紀にちかい年月にわたって全国総出炭量の
    おおよそ半分におよぶ量の石炭を産出しつづけ、日本最大の火床として
    繁栄をほこってきた。・・・資本主義化と軍国主義化を推し進め
    ・・・三井・三菱・・・財閥がこの地底から富をすくいあげ・・・」(p.iii)。
    「・・・麻生・伊藤とともに「筑豊御三家」のひとつに数えられる貝島・・・」(p.2)。
   「・・・ヤマのつぶれるまで労働者を奴隷としてつないでおくための鎖が、
    ほかならぬ肩入れ金である・・・」(p.49)。」

●『差別と日本人』読了(3/4)
   
   「やはり〝メインイベント〟は麻生太郎のすさまじいまでの暴言・
    差別意識でしょう。「麻生氏は、植民地支配で財を築いた麻生財閥
    中でぬくぬく育って、首相にまで上り詰めた。/・・・麻生鉱業は、
    ・・・消耗品の労働力として、その命を紙くずのように扱った。一九四五年まで
    に麻生系の炭鉱に連行された朝鮮人は一万人を超える・・・。また、
    ・・・民を・・・奴隷のように酷使した」(pp.162-163)。
     「 私は麻生さんの顔を見ると背筋が寒くなるんです。/とくに彼の中に
    あるひどい差別意識には、ぞっとさせられる。/野中 ・・・ある新聞社の記者が
    僕に手紙をくれたんです。・・・〈麻生太郎が、・・・「野中やら・・・の人間だ。
    だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」と笑っていた。
    これは聞き捨てならん話だ・・・〉/・・・を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた
    人間だから。/・・・不幸な人だ。一国のトップに立つべき人じゃない
    /・・・/ 麻生さんは差別意識が体の中に染み込んでるんだと思う」
    (pp.163-165)。
     「彼には、吉田茂の孫であり、また麻生セメントに代表される麻生財閥の
    末裔ということ以外に、政治的資源は何もない。能力もない。
    だから出自で人を見下す」(p.166)。「「麻生太郎」とは、日本社会が
    生み出した差別の結晶であり、差別による旨みが骨の髄まで染み付いた
    人間の典型
なのだろう」(p。169)。」

●『野中広務 差別と権力』読了(2/3)
   
   「「永田町ほど差別意識の強い世界」(※2) はなく、「総裁選の最中に
    ある有力代議士は・・・「・・・総理になれるような種類の人間じゃないんだ」
     (p.385) と言ったそう。さらに、最近、ネット上で話題になっていた部分。
    当時、「総裁選に立候補した元経企庁長官」 (であり現総理) の
    「麻生太郎は・・・「あんな・・・を日本の総理にはできないわなあ」と言い放った」
    (p.385) そうである。2003年9月、野中は、最後の自民党総務会に臨み、
    当時の小泉総裁や麻生政調会長を前に発言を求めた。「・・・私の最後の発言と
    肝に銘じて申し上げます・・・政調会長。あなたは『野中のような・・・を総理には
    できないわなあ』とおっしゃった。君のような人間がわが党の政策をやり、
    これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできよう
    はずがないんだ。私は絶対に許さん!」、野中の激しい言葉に総務会の空気は
    凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった
    (pp.391-392)。」

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http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025626.html

[CML 025706] 麻生はいかにしてセレブになったか
・・・・・・・・・
2013年 8月 2日 (金) 15:58:12 JST



 ・・・・・・です。

 麻生太郎財務大臣のナチス発言が大きな波紋を呼んでいます。

 これは失言や誤解ではありません

 日本には、ヒトラーやナチスを高く評価する人が大勢います。ヒトラーの著書
『我が闘争』を人生や経営の指南書として熱心に読む人がたくさんういます。

 麻生はヒトラーやナチスの「やり口」を高く評価していることは明らかです。
彼は歴史を学んでいない、学ぼうとはしない政治家です。

 これは今から十年前、の2005年10月、麻生太郎財務大臣が小泉純一郎内
閣の外務大臣に就任した時に、私が[aml]というメーリングリストに送った文章で
す。

 当時、多くの福岡県民が麻生の外相就任を祝いました。それで私も福岡県民の
一人として以下の文を書いて「祝い」ました

 元々は福岡の豪農地主に過ぎなかった麻生家が、どうやってセレブになったの
を書きました。

 彼の足下には、韓国・朝鮮人と被差別の人々の屍があります。


(ここから)

 昨日(10月31日)の内閣改造で、
麻生太郎氏(福岡8区)http://www.aso-taro.jp/index2.html
が、外務大臣に就任しました。ポスト小泉の一人として将来の首相候補になった
とマスコミから大きく取り上げれられています。

 福岡県内からは、将来の首相候補として、そして冷え切った日韓・日中関係の
改善に手腕を発揮すると期待の声が上がっています。

 福岡県内のテレビニュースの街頭インタビューでは、麻生外相就任を祝う声が
数多く聞かれました。もちろん、広田弘毅(1978年~1948年)以来の福
岡県出身の首相誕生を期待する声もです。

 (広田弘毅は外交官として活躍し、外相も務めました。そしてA級戦犯として東
京裁判にかけられ、処刑されました)

 福岡県民の一人として、私は外相就任おめでとうございますと言うべきでしょ
うが、そのかわり、次のことを言います

 麻生外相は、韓国・朝鮮人と被差別の人々の生き血をすすってのし上がっ
た一族の出身です、と。

 麻生外相は、政界に入る前は麻生セメント(現在は麻生ラファージュセメント)
の社長でした。この会社の前身は、かつて福岡県・筑豊地方に数多くあった炭鉱
を経営していた麻生鉱業です。この麻生鉱業(創立当初は麻生商店)は、福岡県
のみならず日本有数の石炭産業会社として「日本の近代化・産業化に貢献した」
と評されています。炭鉱経営で得た利益をもとに鉄道・電力・病院、そしてセメ
ント会社を設立し、財閥を形成しました。麻生外相は、その麻生グループの3代
目後継者です。麻生グループは今も福岡県有数の企業グループとして大きな力を
持っています。

 麻生一族は炭鉱経営で得た富と影響力で政界にも進出しました。

 麻生外相の父、麻生多賀吉(1891年~1980年)は吉田茂首相の3女・
和子と結婚し、衆議院選挙に立候補し当選しました。自民党の実力者として活躍
しました。麻生外相はその政治的地盤を引き継ぎました。

 麻生外相は吉田茂の孫です。高祖父は「明治維新の三傑」大久保利通、曾祖父
は昭和天皇の重臣だった牧野伸顕、義父は鈴木善幸首相です。妹・信子は三笠宮
寛仁親王妃です。まさに華麗なる一族です。

 さて、もともとは農村の豪農地主にすぎなかった麻生家が、日本有数の名家
(今流行りの言葉で言えばセレブ)になったのは、炭鉱経営で得た富でした。そ
の富は、韓国・朝鮮人労働者と、被差別の人々を搾取することで得たもの
した。

 私の手元には、消滅した筑豊の炭鉱の全貌をモノクロ写真で記録した写真集
写真万葉録筑豊』(全10巻 上野英信・趙根在監修 葦書房 1986年
  http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/
があります。経営する側ではなく、そこで働く労働者と地域の人々の視点で炭鉱
を捉えた記念碑的写真集です。その写真集の第9巻「アリラン峠」は、韓国・朝
鮮人炭鉱労働者とその家族の姿が納められています。

 この本の53,54ページにハングルで書かれたビラの写真があります。私は
ハングルが読めないので内容が分かりません。しかし、ガリ版刷りで印刷された
ビラの文字から、ただならぬ緊張感が感じられます。「労働者諸君!」・「内地
労働者」・「東京労働総同盟」・「世界労働者」と書かれた漢字から、労働争議
に関する呼びかけであることが推測されます。「麻生」の文字もあります。

 ビラの最後には漢字で一回り大きく書いてあります。

 「打倒暴力搾取之巨魁麻生財閥 民族的差別待遇絶対反対」

 これは、1932年8月14日から9月3日の約1ヶ月間に渡って、韓国・朝
鮮人労働者が戦った麻生炭鉱争議のビラです。日本人労働者よりも2割安い賃金
(この時期は輸入石炭との価格競争を理由に3割値下げ)、首切り、長時間労働、
リンチ、侮辱、厳しい監視に対しての怒りが爆発したものでした。

 麻生鉱業は日韓併合以前から、いち早く韓国・朝鮮人労働者を雇用していまし
た。その待遇は上記の通りでした。当時、日本の炭鉱の韓国・朝鮮人労働者に対
する労働条件はどこも劣悪でしたけれども、麻生鉱業が経営する炭鉱は、ひとき
わ悪いものでした。「圧制ヤマ」としてその名をとどろかせていました。

 立ち上がった韓国・朝鮮人労働者に対して、麻生鉱業は警察とヤクザを使って
潰しにかかりました。多くの血が流されました。その韓国・朝鮮人労働者ととも
に立ち上がって戦ったのが、被差別出身の日本人労働者でした。

 豪農地主として、多くの被差別の小作人を支配下においていた麻生家は、
被差別の人々を、経営する炭鉱に送り込みました。また、九州各地や中国・
四国地方から生活の場を求めて流入してきた被差別出身の人々を、積極的に
雇用しました。差別を恐れて声を上げないことにつけ込み、低賃金と劣悪な労働
条件のもとで酷使したのです。人々は「ゲザイニン」と軽蔑され、職種・住居
(炭住)・風呂に至るまで差別されました。しかし、米不足から起こった191
8年の「米騒動」を機に、被差別の人々は立ち上がるようになり、1922
年の全国を結成しました。翌1923年に、九州が結成され、差別
撤廃闘争を展開しました。被差別の人々の多くが炭鉱労働者とその家族であ
った筑豊においては、差別撤廃闘争は労働運動を意味しました。そして、麻生争
議では、同じように差別に苦しんでいた朝鮮人労働者と連帯して、戦いました。
被差別の人々はカンパを集め、米を朝鮮人労働者に送りました。(『日本民
衆の歴史 地域編9 赤いボタ山の火 筑豊三池の人びと』66ページ 新藤東
洋男編 三省堂 1985年)。韓国・朝鮮人と日本人の民衆が連帯した数少な
い例です。

 この麻生鉱業争議は、スト参加者263人が解雇されたことで労働者側の敗北
に終わりました。

 その後、韓国・朝鮮人の労働運動は厳しい取り締まりで壊滅に追い込まれ、日
本への絶対的服従を強制される協和会運動に飲み込まれました。

 運動も、同じように軍国主義体制の強化で、沈黙と政府と政府への協力
を余儀なくされました。

 その後麻生鉱業は、賃金や労働条件の改善をあまりしないまま、韓国・朝鮮人
と被差別部出身者を炭鉱に送り続けました。火災や落盤、出水、ガス爆発などの
事故で、多くの人びとが犠牲になりました。それは日中戦争激化と太平洋戦争開
始でさらにひどくなりました。物資不足と人員不足で安全対策がおろそかになっ
たこと、安全を無視した採炭が原因でした。そして、いわば移住で渡ってきた人
びととは別に、強制的に連れられてきた韓国・朝鮮人や中国人も、麻生が経営す
る炭鉱に送り込まれました。その人びとが、どのような運命をたどったのかは多
くの書物に述べられています。また、本土へ疎開した沖縄県出身者も炭鉱に入り
ました。

 太平洋戦争敗北後、労働運動が自由になったことで、炭鉱労働者は激しい労働
運動を行い、めざましい成果を上げました。韓国・朝鮮人労働者も祖国分断の苦
難にあいながらも、活発な運動を展開しました。被差別解放運動も活発に行
われました。

 しかし、1950年代半ばから始まった石炭から石油への「エネルギー革命」
によって、石炭産業は崩壊しました。生活の基盤であった炭鉱は次々に閉山した
ました。廃墟が広がり、多くの人びとが筑豊から去りました。その多くが高度経
済成長に沸く太平洋ベルト地帯に移りましたけれども、中には農業移民としてブ
ラジルやアルゼンチンなどの南米に移住した人もいました。また、北朝鮮に「帰
国」した韓国・朝鮮人労働者とその家族もかなりいました。

 筑豊に残った人びとは、その多くが失業に苦しみ、生活保護と失業対策事業、
日雇いの仕事でかろうじて生活しました。

 一方、麻生家は2代目総帥麻生多賀吉が、吉田茂首相の娘婿になったことで政
界に進出し、「華麗なる一族」への道を進みました。グループの主力事業を石炭
からセメントに転換したことで、生き残ることができました。

 麻生太郎氏外相就任おめでとう、次は首相か、という声があふれています。

 しかし私は、政界で華麗な活躍をしている麻生氏の足下には、踏みつけにされ
た韓国・朝鮮人と被差別の人びとの屍があることを指摘します。そして彼は
踏みつけにされた人びとの叫びが、全く聞こえていないことが、「創氏改名」や
「一民族」発言で明らかです。

 ですから私は祝いません

(ここまで)

・・・

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「郵政民営化は構造改革の本丸」(小泉純一郎前首相)
その現実がここに書かれています・
『伝送便』
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●『石原莞爾/その虚飾』読了 (2/2)

2009年04月13日 07時55分41秒 | Weblog

『石原莞爾/その虚飾』、佐高信著】
 「 手と足をもいだ丸太にしてかへし
     万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた
/・・・鶴彬は、こうした刺し貫くような反戦川柳をつくって逮捕され、赤痢にかかって、手錠をかけられたまま、二十九歳で病死した」(p.78)

 「のちに筑豊の炭鉱に入った記録文学作家の上野英信 (本名、鋭之進) も建大に学んだ一人・・・/・・・上野の小伝を書いている川原一之は、・・・/上野は建大時代のことを黙して語らなかった。・・・/・・・石原は「・・・、さっさと満州を去った」・・・。残された力なき若者たちは・・・、その精神に手ひどい傷を負った」(pp.153-155)

 退官してもどこへも天下らなかった」〝異色官僚〟佐橋滋さん (pp.188-191)

 
「留学生の父」と慕われた穂積五一さん (p.261)

 
「尋問を受けたほとんど全員が「自分は戦争に反対だった」と言って責任をの免れようとする中で・・・」、ただ一人「・・・他人の戦争責任を語らず、尋ねられても「私は知らない」と詳述を拒んだ」広田弘毅、その広田の絞首刑の判決に下された時、首席検察官キーナンは「何と馬鹿げた判決か。広田の絞首刑は不当だ」 (p.305)

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