Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●《武藤類子さん…が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアによるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った》

2022年03月19日 00時00分41秒 | Weblog

[※ ↑「原発さえなければと思います」(週刊金曜日、2021年03月12日、1320号)]


(20220313[])
小田克也記者による、東京新聞の記事【<あの日から 東日本大震災11年>被害者団体連絡会代表・武藤さん 被害訴え「避難者切り捨て 明確に」 NGO開催のシンポジウムで講演】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/164313)。
東京新聞の【<社説>3・11から11年 避難者の人権は画餅か】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/164497?rct=editorial)。

 《東京電力福島第一原発事故の被害を見つめるシンポジウムが六日、北区の北とぴあドームホール(王子一)で開かれた。原発事故被害者団体連絡会代表の武藤類子さん=福島県三春町在住=が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアによるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った。(小田克也)》。
 《その理不尽さに十一年前の福島の人々の姿が重なるからです。根本さんは、東京電力福島第一原発から三十キロの福島県沿岸の地域に住んでいました。二〇一一年三月、爆発した原発建屋から煙がわき上がる瞬間を見た根本さんは放射能の恐怖におびえながら県境を越え、約二百五十キロ離れた新潟市に避難します。そこで立ち上げたのが、避難者を支援する団体「スマイルサポート新潟」です。支援対象は大半が自分と同じように母子だけで避難した自主避難者でした》。

   『●脱アクションウィーク、5万人集会
    「最後の福島の被災市民として武藤類子さんが
     訴えておられる映像がとても印象に残りました。
     その文章おこしされたものはCML
     (http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-September/011909.html
     にありますので、一読して頂きたいです」

   『●再稼働・輸出問題に続いて、東京電力原発人災下の
              五輪招致騒動: 「あろうことか」、の連続
    《団長を務める武藤類子さん(60)は「抜本的な対策を取らない
     と大量な汚染水が出ることは、東電にとって想定内だったはず
     文書はそれを示す証拠だ。これまでのずさんな汚染水対策を見ると、
     私たち被災者の犠牲はなんだったのかと思う」と憤る》

   『●「東電元幹部の罪と罰」
     『週刊金曜日』(2014年9月19日、1008号)についてのつぶやき
    《武藤類子氏【これでも罪を問わないのか】。
     明石昇二郎さん【東電関係者の「不起訴」理由 検察は、いかに
     原子力ムラに丸め込まれたか】、「告発人として主任検事から
     詳細な説明を受けていた筆者が、その詳細を暴露する……
     御用電力学者の言い訳を鵜呑み……原子力ムラにしてやられた検察」》

   『●原状回復が損害賠償の基本: 東京電力原発人災で
             「ふるさとをなくした痛み」は全く癒えていない
    《「東京電力福島第一原発事故で国と東電の刑事責任を
     追及している福島原発告訴団の武藤類子団長は「原発事故が
     解決していない中での再稼働は信じ難い」と強調。川内原発建設
     反対連絡協議会の鳥原良子会長は「民意を反映しない
     鹿児島県や薩摩川内市の再稼働同意に住民は大きな怒りを
     感じている」と述べた》
    《原発事故被害者団体連絡会が設立された。被災者の悲しみ、
     怒りは、激しく、深く。共に訴え、助け合うため団結した。
     それは私たちとも無関係ではあり得ない。福島が求めている
     のは、当然そうあるべきことだけだ。謝罪と被害の完全賠償、
     暮らしと生業の回復、詳細な健康診断と医療保障、
     および被曝(ひばく)低減策、そして、事故の責任解明-》

   『●東電核発電人災、「だれひとり刑事罰を問われなくて
           いいのか」? 「市民の正義」無き国ニッポン
    《長い困難な裁判になるのだろうが、みんな裁判にかけている。
     団長の前いわき市議佐藤和良さんは「有罪に持ち込むため、
     スクラムを組もう」と訴えた。副団長の武藤類子さんも
     「最悪の事故を経験した大人として、未来に対して何ができるか」
     と問うた。私も、市民の正義を求める人びととともに
     「われらゆるがず」の歌声に連なりたい。(佐藤直子)》

   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」
    《こういった人々の語りから「病めるフクシマ」という言葉がじわり
     と浮かんでくる。福島原発告訴団武藤類子団長が登場する章では、
     「自分たちは理不尽な被害者なのに、黙っていていいの?
     と問いかける武藤団長が、沖縄で闘っている人の言葉を紹介する。
     「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ。
     それが尊厳なんだ。プライドなんだ」 胸に響く。》

   『●武藤類子さん《本来ならその人たちにとってもこの10年、まったく
     違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》
    《「私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です」──
     2011年9月、福島第一原発事故から半年後の集会で読み上げられた
     武藤類子さんのスピーチは大きな反響を呼び、多くの人の心を
     揺さぶりました…》

 武藤類子さん《避難者の人たちだって、多分ほとんどの人は「叶うなら帰りたい」と思っているでしょう。でも、それはただ同じ場所に戻りたいということではなく、慣れ親しんだ、かつてのふるさとに帰りたいということ。「帰りなさい」と言いながら、復興予算がじゃぶじゃぶ投入されて知らない建物が次々に建ち、新しい住民ばかりが増えて、以前とはまったく違うふるさとになってしまっているというのは、大きな矛盾だと思います》。《本来ならその人たちにとっても…まったく違った時間があったはず…原発事故は、その時間を奪ってしまった》。
 東電や国はさっさと「原状回復」して見せてほしい…11年も経ってしまったではないですか。さらに、かつて、武藤類子さん《ひとりひとりの市民が… 国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です》とも。

 東電や自公お維コミ、《火事場ドロボー》の皆さんは、「原発さえなければと思います」…この〝声〟をどう思うのか? 《原発事故がなければ苦労することもなかった自主避難者に、日本社会は冷淡です。勝手に避難した。困窮は自己責任」「いやなら福島に帰れ」。心ない言葉がネット上にあふれます》。冷淡・冷酷な国・ニッポン。《避難するならご勝手にと言わんばかり自主避難者を顧みない政府の姿勢が、社会の冷たさを助長してはいないでしょうか。》

   『●台湾有事を煽り《ロシアのウクライナ侵攻のような軍事衝突にまで
     エスカレートさせてはならない…外交による対話を強めなければならない》
   『●誰が壊憲を望んでいる? COVID19禍のドサクサ、ロシア侵略の
     火事場ドロボー1号、2号、3号…らによる壊憲など許されるはずもない
   『●《思考力あるならば殺し合わずに済む方法…、政治力を持って開戦に
     至らない道を見つける事だ。ところがその政治家本人が核武装を…
   『●《当事者でない他の国が声をあげ、国際世論をつくり出すことが、理不尽
       な状況の抑止につながるというのは、国際社会の常識ではないか》!
   『●経済産業省資源エネルギー庁「復興のあと押しはまず知ることから」?
       「復興のあと押しはまず〝原状回復してみせる〟ことから」です
   『●東電核発電人災から11年: 《原発事故は終わっていません。
      政府が復興の名のもとに困難に陥った人たちをさらに追い詰める…》
   『●《やっぱりここさ帰りたい。親が開拓して受け継いだ土地。次の世代に
      残してやりたい。汚したら、きれいにして返すのが当然じゃないか》
   『●小出裕章さん《国と東電が策定したロードマップは「幻想」です…
     つまり、デブリの取り出しは100年たっても不可能》、石棺しかない
   『●《政府は過去に原発が武力攻撃を受けた際の被害予測を報告書に
     まとめていたからだ。しかも、その被害予測は凄まじい内容だった…》
   『●《【原発耕論…】福島事故で被ばくしたこどもたちに、不安なく過ごせる
         未来を!(311子ども甲状腺がん裁判)》(デモクラシータイムス)
   『●《政府機関の地震予測「長期評価」に基づく試算から原発への大津波の
      到来は予見できた…対策の先送りを許した国…国に重大な法的責任》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/164313

<あの日から 東日本大震災11年>被害者団体連絡会代表・武藤さん 被害訴え「避難者切り捨て 明確に」 NGO開催のシンポジウムで講演
2022年3月8日 08時36分

     (原発事故の被害を語る武藤さん
      =北区で(「FoE Japan」提供))

 東京電力福島第一原発事故の被害を見つめるシンポジウムが六日、北区の北とぴあドームホール(王子一)で開かれた。原発事故被害者団体連絡会代表の武藤類子さん=福島県三春町在住=が講演し、今も続く過酷な被害を訴えた。ロシアによるウクライナの原発攻撃にも触れ「胸がふさがれる思い」と語った。(小田克也

 武藤さんは原発事故を「終わってない原子炉で何が起きたか未解明な部分は多い東電は廃炉のロードマップを作っているが、どのような状態が廃炉なのか決まっていない原発作業員の被ばく労働が、さらに過酷になるとき防護措置や補償がきちんとされるのか心配」と語った。

 住宅などの避難者支援が打ち切られ国や福島県が避難者を切り捨てる方向が明確になってきている」と指摘。政府方針である汚染水を処理した水の海洋放出を「関係者の理解なしには、いかなる処分もしない、という漁連との約束を反故(ほご)にしたプロセスは、民主主義に反する」と批判した。

 福島県は事故当時の子どもたちを対象に甲状腺検査を実施。「これまでに二百二十一人のがんが確定している」と話し、検査を重ね、さらに解明していく必要性を強調した。国が汚染土の再利用計画を進めていることにも懸念を示した。

 ロシアによるザポロジエ原発攻撃には、「原発は事前配備された放射能兵器」という、チェルノブイリ原発がロシアに占拠されたときに知った専門家の言葉を紹介しながら「一刻も早く戦争を止めてほしい」と語った。

 シンポは、脱原発に取り組む国際環境NGO「FoE Japan」と、国際交流NGO「ピースボート」が催し、オンラインでも行われ、約三百人が参加した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/164497?rct=editorial

<社説>3・11から11年 避難者の人権は画餅か
2022年3月9日 07時09分

 ロシアがウクライナに侵攻し、多くの避難民が出ているというニュースは、根本久美子さん(44)=写真=にとって人ごとではありません。「自分ではどうしようもない大きな力に巻き込まれ、この戦争がいつ終わるとも、いつ故郷に帰れるとも分からない

 その理不尽さに十一年前の福島の人々の姿が重なるからです

 根本さんは、東京電力福島第一原発から三十キロの福島県沿岸の地域に住んでいました。二〇一一年三月、爆発した原発建屋から煙がわき上がる瞬間を見た根本さんは放射能の恐怖におびえながら県境を越え、約二百五十キロ離れた新潟市に避難します。

 そこで立ち上げたのが、避難者を支援する団体「スマイルサポート新潟」です。支援対象は大半が自分と同じように母子だけで避難した自主避難者でした。


◆コロナ禍、生活苦の悲鳴

 国が定めた避難指示区域外からの自主避難者には、原発周辺の双葉や大熊、浪江町など強制避難地域の人たちのような東電からの賠償はありません生活費は持ち出し。夫は妻子に仕送りするため福島に残って働く。切り詰めた二重生活に耐えてきた人たちも、コロナ禍で一気に困窮しました

 二十四時間対応の根本さんの相談電話には助けを求める連絡が頻繁に入ります。「食べるものがなくて」「仕事がなくなった」「コロナで陽性になった」。皆、身近に頼れる人がいないのです。

 寄付で集めた食糧を配ったり、送ったり。月数件だった相談は多い月で五十件以上に増えました。命が危ないと感じれば、根本さんは夜中の雪道でも駆けつけます。活動には福島県から助成を受けていますが、支援物資の送料も膨らんで資金難です。日本中がコロナ禍に苦しんでいますが、原発事故で壊された生活が、さらに追い詰められていることは分かってほしい、と根本さんは訴えます。

 福島県によると、原発避難者はピーク時に県内外で約十六万四千人いましたが、今年三月時点では約三万三千人です。新潟県への避難者も約七千人から約二千人に減りました。自主避難者の統計はありませんが、スマイルの支援先でも帰還する人が増えています。

 背景にあるのは、放射線量低下を理由に福島県が一七年三月、災害救助法に基づく借り上げ住宅無償提供を打ち切ったことです。生活費や教育費に加え、新たに家賃まで負担することは難しいとして、避難をあきらめたのです。

 自主避難者が古里を離れたのは放射能の影響を避けたかったからです。根本さんの故郷の家も、裏山が除染されず放射線量は高いまま。やむなく新潟に中古の家をローンを組んで買ったものの、その選択が正しかったのか。根本さんは「いつも先が見えなくて、手探りです」と苦笑します。


社会の冷淡、政治が助長

 原発事故がなければ苦労することもなかった自主避難者に、日本社会は冷淡です。勝手に避難した。困窮は自己責任」「いやなら福島に帰れ心ない言葉がネット上にあふれます

 避難するならご勝手にと言わんばかり自主避難者を顧みない政府の姿勢が、社会の冷たさを助長してはいないでしょうか。

 福島県は一部地域を残して避難区域を解除し帰還を促しています。撤去方針が示された放射線量測定のモニタリングポストは街中に存続することになりましたが、事故から十一年を経ても避難を続ける人は、「復興」を掲げる政府には不都合な存在なのでしょう。

 原発事故の翌一二年には、当時野党だった自民党も含む全会一致で「子ども・被災者支援法」が成立します。無用な被ばくを免れる「避難する権利」が明記された画期的な法律でしたが、政府は限られた支援策しか基本方針に盛り込まず、同法は骨抜きにされます。逃げる権利を担保する仕組みもつくられず、放置されたままです。

 人権は、それを守る仕組みが伴わなければ、絵に描いた餅にすぎません避難した選択を自己責任と片付け、何も公的に支援しないのでは、避難する権利が「ある」状態とは言えないのです。

 国連の人権機関も、古里から避難する、しないにかかわらず、民の被ばくを避ける方策をとるように日本政府に勧告しました。

 災害多発列島に住む私たちは、いつ避難者になってもおかしくありません。そのとき人権は守られるのか自主避難者の苦境は、私たちの行く末をも映し出しているように思えてならないのです
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●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』: 「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」

2013年03月04日 00時00分41秒 | Weblog


田中龍作ジャーナル』(http://tanakaryusaku.jp/)の記事http://tanakaryusaku.jp/2013/02/0006697)と東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013022702000161.html)。

 「・・・500万円の借金をして堆肥小屋を建てた。2011年1月のことだ。/2ヵ月後の2011年3月11日、原発事故が起きる。放射能を浴びた生乳は出荷停止となり、堆肥も売れなくなる。一家は収入の道を閉ざされた」・・・。「原子力郷土の発展豊かな未来」・「原子力明るい未来のエネルギー」・「原子力正しい理解で豊かなくらし」・・・果たして「豊かな未来」「豊かなくらし」をもたらし、人々が生きる「未来のエネルギー」足り得ただろうか? 日本は、「原子力を正しく理解」し、「安全神話」に再び騙されることなく正しい選択をしようとしているだろうか?

   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」

 2番目の記事の末尾、「都内で記者会見した酪農家の妻は「気持ちが苦しいです」と心境を述べた。作品は、酪農家の男性が堆肥小屋の壁に書き残した遺言をクローズアップし、震災の傷痕の深さを伝えている」のだろうか? 「原発さえなければ・・・」という遺言は「震災の傷痕の深さ」を伝えているのではなく、想定不適当事故であるとして「安全神話」で騙くらかし原発の暴走になにも対処できなかった「原発人災の傷痕の深さ」を伝えているのではないだろうか。「震災さえなければ・・・」ではないのだから。

   『●想定不適当事故: 1000万年に1回発生する事故どころか、発生確率は「ゼロ」
   『●原発人災の犯罪者デタラメ委員長が評価・審査するなどデタラメ過ぎる
   『●「想定不適当事故」と割り切ってきたくせに、いまさら遅いよっ!!
   『●FUKUSIMAでも変わらないNIPPON

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http://tanakaryusaku.jp/2013/02/0006697

原発事故苦に自死 酪農家の妻が東電に乗り込む
2013年2月20日 17:13

     (2人の息子の将来を思い東電に誠実な対応を求めるバネッサさん。
      =20日、東電本店 写真:田中撮影=)

 「原発さえなければ…」の遺書を残して自死した福島の酪農家の妻が、東電を相手取り1億円余りの損害賠償を求める裁判を起こす。提訴を来月に控えた妻の菅野バネッサさん(34歳)がきょう午前、東電本店を訪れ「誠実な対応」を求める申し入れ書を手渡した。

          ~     ~    ~ 

 2000年に相馬市の酪農家、菅野重清さん(享年54歳)と国際結婚したフィリピン人のバネッサさんは、牛と自然に囲まれ何ひとつ不自由のない生活を送っていた。重清さんとの間に2人の男の子(現在8歳と6歳)も授かった。
 生乳、育牛と堆肥で生計を立てていた菅野さんは、500万円の借金をして堆肥小屋を建てた。2011年1月のことだ。
 2ヵ月後の2011年3月11日、原発事故が起きる。放射能を浴びた生乳は出荷停止となり、堆肥も売れなくなる。一家は収入の道を閉ざされた
 4月17日、バネッサさんは2人の息子を連れてフィリピンに帰国する。28日、重清さんもフィリピンに。牛38頭の世話は知人、友人に頼んだ。
 5月4日、重清さん単身で日本に帰国する。
 6月10日、フィリピン時間の午前5時、日本の重清さんからバネッサさんに電話、「戻って来なくていいからね」。
 「借金を抱えているし、ストレスがたまっているのかなあ?と思いながらも悪い胸騒ぎがした」。バネッサさんは当時を振り返る。
 この日、重清さんは堆肥小屋で首を吊り自らの命を絶った。
 訃報を聞きすぐに日本に戻ったバネッサさんと2人の息子は、現在、伊達市の借り上げ住宅で暮らす。貯金を取り崩しながらの生活だが、蓄えは間もなく底を突く。途方に暮れる日々だ。

     (菅野さんが堆肥小屋の壁に残した遺書。=四ノ宮浩監督提供:
      映画「わすれないふくしま」画面より(c)2012 Office Four Production.Ltd.=)

 東電を訪れたバネッサさんと2人の息子は、本店1階の応接室に通された。東電側は補償相談室の向山稔浩副室長ら4人が対応した。
 「どうやって子供を育ててよいのか分からない。私の夢も子供の夢も全部原発(事故)で奪われた…」。バネッサさんはハンカチで涙を拭いながら、申し入れ書を向山副室長に手渡した。
 「亡くなられた菅野重清様に心からお悔やみを申しあげます。福島原発事故によりご迷惑、ご負担、ご心労をおかけしまして申しわけございません。申し入れを受けて真摯に対応させてもらいます」。向山副室長は判で押したようなセリフで答えた。
 メディアはここで退出となった。バネッサさんは東電に「子どもたちのために助けてほしい、と伝えた」という。「東電に対する憎しみは?」筆者が問うと「(東電には)怒っていますが、子どものことが重要です」と答えた。
 日本に住み続けたいというバネッサさんだが、「原発が危ないから福島には住みたくない。子どもたちの健康のために西の方に住みたい」。
 菅野さんのケースは氷山の一角に過ぎない。おびただしい数の人々が原発事故により人生を暗転させられている。損害賠償は遅々として進まない。にもかかわらず政府もマスコミも福島の惨劇などなかったかのように新しい話題作りに余念がない

    (申し入れを終え東電本店を出るバネッサさん。身長150センチ
          そこそこの小柄な彼女が巨大企業に挑む。=写真:諏訪撮影=)

《文・田中龍作 / 諏訪都》
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013022702000161.html

【放送芸能】
<3・11あの日を伝える> 変わるドキュメンタリー映画
2013年2月27日 朝刊

 東日本大震災を題材とするドキュメンタリー映画が三月十一日に合わせ、今年も相次いで劇場公開される。震災直後の被災地の状況を撮影して直ちに伝える速報性や記録性に重きが置かれた段階から一歩進んで、作り手の視点を掘り下げたドキュメンタリーへと、求められる作品像も変わりつつあるようだ。 (小田克也)

 「ドキュメンタリーでは今年上半期のナンバーワンだ」。ドキュメンタリーに詳しい映画評論家の村山匡一郎さんがこう評価するのは、東京・渋谷のイメージフォーラムで公開中の「先祖になる」(池谷薫監督)だ。
 津波で長男を亡くした岩手県陸前高田市の男性(78)が先祖の土地に根差して生きる姿を追い、ベルリン国際映画祭で十六日、コンペ部門以外の審査員が選ぶエキュメニカル賞の特別表彰を受けた。
 昨年の三月十一日の前後は、被災地の被害状況を片っ端から撮ったり、住民の悲しみや怒りの声をとにかく集めたドキュメンタリーの上映が目立った。「質より量」の感があったが、「先祖になる」は、男性の言動に焦点が絞り込まれている。カメラは彼の生活に入り込み、話を聞くため枕元まで接近する。中国の元残留日本兵の姿に迫った「蟻(あり)の兵隊」の池谷監督らしい作品だ。

      ■

 個人の生き方をクローズアップするのは、一九六〇年代以降、水俣病の問題を追い続けた土本典昭監督や、三里塚闘争をフィルムに収めた小川紳介監督ら先達が取ってきた手法、と村山さんは解説しており、こうした手法が東日本大震災を扱うドキュメンタリーでも今後は求められるのだろう。
 震災により廃虚と化した街並みの様子などはテレビでも繰り返し放送されており「その先を描かなければならない」と村山さんは指摘する。
 昨年の三月十一日前後に公開されたドキュメンタリーは十本程度。今年は、ほぼ半減している。震災発生時に比べると事態が落ち着いてきたこともあるが、ドキュメンタリーの作り手たちが、自らの視点について熟考を迫られていることが要因の一つとみられる。

      ■

 このほか今年は、阪神大震災を扱った作品で知られる青池憲司監督の「津波のあとの時間割~石巻・門脇小・1年の記録」が東京・中野のポレポレ東中野で、中田秀夫監督の「3・11後を生きる」がオーディトリウム渋谷で公開中。
 また「原発さえなければ」などと書き残して自殺した酪農家(福島県相馬市)の妻らを取材した「わすれない ふくしま」(四ノ宮浩監督)が三月二日から、東京・目黒の東京都写真美術館ホールで公開される。
 四ノ宮監督とともに二十日、都内で記者会見した酪農家の妻は「気持ちが苦しいです」と心境を述べた。作品は、酪農家の男性が堆肥小屋の壁に書き残した遺言をクローズアップし、震災の傷痕の深さを伝えている。
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