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●軍事費倍増、43兆円…バカげている ――― 中村哲さん「治安を良くするのは武力ではない」、《武器で平和つくれない》を思い出そう

2023年01月02日 00時00分03秒 | Weblog

(2022年12月18日[日])
今こそ、思い出しましょう。中村哲さん「治安を良くするのは武力ではない」、《武器で平和つくれない》。
 「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」《伊江島の土地闘争のリーダー、故・阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ》、《生き方は…中村哲さんに重なる。…「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」》。
 沖縄タイムスの記事【「武器で平和つくれない」中村哲さんとパキスタンで働いた技師、遺志胸に新基地建設に抗議】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1073689)によると、《沖縄県名護市辺野古の新基地建設のため、本部港塩川地区が使用されるようになって5年。那覇市の坂尾美知子さん(71)は、「ペシャワール会」で共に活動した故中村哲さんの遺志を胸に、抗議行動に通い続ける。「命を大切にすること、武器で平和はつくれないこと。先生が常に抱えていた思いです」(北部報道部・西倉悟朗) 中村さんは戦乱のアフガニスタンやパキスタンで医療や用水路建設に尽力した。共感した坂尾さんは2002年から6年間、ペシャワール会の検査技師としてパキスタンの病院で働いた。「戦争で一番苦労しているのは沖縄だ」。中村医師が食事の席でぽつりとつぶやいた言葉が、強く胸に刻まれている》。

 さて、軍事費倍増が既成事実化、国会で議論することも無く、閣議決定で軍事独裁化を推進…市民の生活はズタボロで、その上、《標的》の島を目指すバカらしさ。自民党内部から、あるいは、閣内から「増税反対」の声は上がっても、「軍事費倍増」などとんでもない!、敵基地攻撃は違憲だ!、といった声は決して上がらない。FMSによる兵器ローンのが苦しく、軍事費を増やそうとしているのではないか(【<防衛費43兆、なぜ?>【山田厚史の週ナカ生ニュース】】、https://www.youtube.com/watch?v=SarNn-09Rj4)。
 武蔵坊五郎さんによる、長周新聞のコラム【コラム 狙撃兵/米軍需産業へのおべんちゃら】(https://www.chosyu-journal.jp/column/25210)によると、《43兆円ものカネがあるのなら、円安と物価高、コロナ禍で翻弄されている国民生活に回すなり、潰れかかっている生産現場のテコ入れに回すなり、いくらでも有効な使い道はあるはずだ戦争狂いに媚びを売って、おかげでミサイル攻撃の標的に名乗りを上げる(反撃能力を備える以上、軍事的には攻撃の標的になる)ための43兆円など、バカげているといわなければならない》。
 武蔵坊五郎さんの仰ること、本当に素晴らしい。ズブズブ壺壺ヅボヅボな自民党議員やその直接的・間接的支持者の皆さんが、以下を理解できないことが不思議でならない……《安倍晋三からこの方、執拗に「戦争ができる国」作りに邁進してきたが、現実的には「戦争などできない国」であり、邦人の生命を脅威にさらさないためには「戦争などやるもんじゃないの一言に尽きる非戦の誓いを貫くことこそが、最大の防衛策なのである。それを粋がって、カモネギがたくさん武器を買い集めたからといってマッチョになったような勘違いをするというのは悲劇的である。戦争の脅威を抱えないためには、東アジアのなかで友好平和の力を強め、いかなる国であっても不断に平和外交に努めるほかないことは、火を見るよりも明らかなのである》。

 そもそも、なぜ軍事費倍増? 勝手に財源の話に移らないでほしい。《43兆円など、バカげている》。
 週刊朝日のコラム【室井佑月「守れ、人々を」】(https://dot.asahi.com/wa/2022121400014.html)によると、《今、日本で、ギリギリの生活を強いられている無貯金世帯は、4世帯に1世帯。東京の住民税非課税世帯約170万世帯とほぼ割合は一緒だ。困窮者には米の給付で濁し、高額な武器などを買う。日本は、ここに来て独裁国家の北朝鮮の真似をするのか? どこを目指しているのか? 政治が守る対象は、真っ先に、困ってる人や弱い人であるべきだ》。

 そんなに敵基地攻撃したいものかね? 戦争したい? 外交努力はどこ行った? そもそも、なぜ軍事費倍増なのか? キシダメ首相曰く、「国民が自らの責任」として軍事費のための増税を甘受せよ、とのことだ。
 沖縄タイムスの【社説[安保大変容:「防衛増税」迷走]議論の進め方が乱暴だ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1073594)によると、《何ともお粗末な話だ。岸田文雄首相は、13日の自民党役員会で、防衛費増額の財源の一部を増税で賄う方針を示した際、「今を生きる国民が自らの責任として、しっかりその重みを背負って対応すべきだ」と語った。自民幹部が役員会の後に会見し、首相発言をそのように紹介した。発言を巡ってはツイッターで批判的な意見が相次いだ。14日になって自民党はホームページで「国民の責任」とあるのは「われわれの責任」だったと発言の一部を修正した。自民党の参院選公約には、増税で対応するとの記載はない。発言の事実関係ははっきりしないが、物価高騰のこのご時世に、防衛費増税を打ち出すこと自体、国民不在と言われても仕方がない》。

 東京新聞の記事【「戦争する覚悟、国民と共有できているのか」 伊藤真弁護士、敵基地攻撃能力保有のリスクを語る】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/219688)によると、《政府・与党は「抑止力を高め日本を守る」と主張し、「使わないなら保有ぐらいはいいのでは」と思う人がいるかもしれない。だが、抑止力は能力を持つだけでなく、使う意思を相手に見せ、理解させないと効果がない。使う前提でなければ抑止できないのだから、保有と行使は一体だ。政治家は戦争する覚悟を、国民と共有できているのか。敵基地攻撃能力の保有は憲法9条に違反する》。

   『●「君はドアホノミクスを信奉するのか」、キシダメ君? 軍事費倍増=
       《赤字国債の乱発、社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》
   『●斎藤貴男さん《政府と自民党は何がなんでも消費税率を引き上げたい…
     増税を甘受しなければ財政を破綻させるゾと国民を恐喝する目的で…》
   『●《消費税などの値上げを防衛費に転嫁する》気満々…軍事費倍増の
     ために《赤字国債の乱発、社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》
   『●城山三郎さん《平和の有難さは失ってみないとわからない》、
     菅原文太さん《政治の役割は二つあります…絶対に戦争をしないこと!》
   『●そんなに殺し合いをしたいものかね? 《一体何のために防衛費の
     増額が必要なのか。…冷静にその意味を問い直さなければならない…》
   『●なんの外交努力もしない、軍事費倍増についてなんの説明もしないし、
     できないキシダメ政権…自公お維を直接的・間接的に支持した重いツケ
   『●《大収奪が必至》な軍事費倍増…《大メディアが脅威を煽り「戦争増税
            必至」の流れ》《北朝鮮にも似た「先軍政治」と言うべきか。》
   『●《攻撃的兵器…他国領域も攻撃できると声高に宣言するような国を「平和
     国家」とはとても呼べない。戦後日本の平和を築いてきた先人への背信》
   『●増税して、軍事費倍増? 「平和主義」「財政民主主義」はどこに?
     自民党の〝下駄の雪〟が《雪崩を打つように崩壊》する「子育ての党」
   『●《専守防衛…「国土防衛に徹し、相手の本土に被害を与えるような脅威に
      ならないと伝え、相手に日本を攻撃する口実を与えない防衛戦略だ」》

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https://www.chosyu-journal.jp/column/25210

米軍需産業へのおべんちゃら
コラム 狙撃兵 2022年12月10日

 混迷著しい自民党暫定政権のトップである岸田文雄が、権力ポスト維持のため背後勢力におべんちゃらをしているのか、来年度から5年間の防衛費の総額として43兆円を確保するよう防衛大臣と財務大臣に指示した。ところが財源は増税で補うのか、はたまた国債発行なのか曖昧である。それが「ボクのお小遣い」ならどうぞご勝手に…で済む話だが、国家財政は岸田文雄のお小遣いでもないし、打ち出の小槌でもない。ましてや現行の中期防衛力整備計画の27兆4700億円ですら巨額なのに、さらに1・5倍に跳ね上がった規模であり、回り回って国民負担に転嫁して増税で補うといってもとてつもない額である。このようなことが内閣支持率もダダ下がりの最中に、首相の一声によって最後っ屁みたく既成事実化されるわけにはいかない。

 それにしても、なぜ政権末期にも関わらず世論の反発も強いであろう「軍事大国化」を打ち出したのか? 円安に物価高、コロナ禍、統一教会問題等等で政権が死に体と化し、永田町で年明けの解散総選挙なんて話も出回っているといわれるなかで、まるで追い込まれた権力者が横田幕府なり米軍需産業にメッセージを送っているような光景にも見える。土下座してでも、国家財政をスッカラカンにしてでも忠誠を尽くし、見返りとして権力ポストの維持を請い願っているかのようなのだ。国民的反発を承知で、それでも「千万人といえども我行かん」をやるのは、相応の理由があると見なすのが自然だ。客観的に見て、43兆円で潤うのは米軍需産業であり、これらを大喜びさせるだけの話なのである。そのために国家財政がたかられ、むしりとられていく構図は歴然としている。これまでも米軍の二軍と化している自衛隊に装備するとして、途方もない金額のミサイルや戦車、戦闘機を買わされ、十二分にカモにされてきたが、海の向こうの遠慮なきおかわり君たちに大盤振る舞いしているだけなのである。

 ウクライナ戦争でも大量の兵器をウクライナに持ち込んで長期化を煽っているのはアメリカである。在庫処分の一掃セールかと思うほど沸き立っている様がありありである。軍需産業にとっては定期的にくり返される戦争・武力紛争こそが稼ぎのネタであり、その利益は人間が血を流すことによって稼ぎ出される関係にほかならない。アフガン戦争イラク戦争、古くはベトナム戦争朝鮮戦争だって、彼らにとってはいつも稼ぎ時である戦争がないと息ができずに窒息するほど戦争を欲し、そのために世界を股にかけて戦争ビジネスを仕掛けている連中である。

 目下、北朝鮮のミサイル発射や台湾有事を一方で煽り上げて「危機」を演出しつつ、それをもっけの幸いにして軍事大国化の道を進み、強面の武力装備こそが防衛につながるのだといって43兆円の軍事費を正当化しようとしている。しかし、冷静かつ真面目に考えてみて、ミサイルや兵器を身にまとったからといって、果たして日本列島が戦争の脅威から守られるのか? である。国土の状況を考えてみると、原発を54基も全国津々浦々に抱え、それだけでも核爆発の起爆装置になり得る。実際にミサイル攻撃で報復しあうような事態になった場合、被害は77年前の空襲の比ではない物流がストップすれば食料自給率も30%台のくせに、たちまち地方も都市も食べることすらままならないだろうし、ライフラインとてしかり。電気、ガス、水道がストップすれば、これまた自然災害の比ではない。

 安倍晋三からこの方、執拗に「戦争ができる国」作りに邁進してきたが、現実的には「戦争などできない国」であり、邦人の生命を脅威にさらさないためには「戦争などやるもんじゃないの一言に尽きる非戦の誓いを貫くことこそが、最大の防衛策なのである。それを粋がって、カモネギがたくさん武器を買い集めたからといってマッチョになったような勘違いをするというのは悲劇的である。戦争の脅威を抱えないためには、東アジアのなかで友好平和の力を強め、いかなる国であっても不断に平和外交に努めるほかないことは、火を見るよりも明らかなのである。

 43兆円ものカネがあるのなら、円安と物価高、コロナ禍で翻弄されている国民生活に回すなり、潰れかかっている生産現場のテコ入れに回すなり、いくらでも有効な使い道はあるはずだ戦争狂いに媚びを売って、おかげでミサイル攻撃の標的に名乗りを上げる(反撃能力を備える以上、軍事的には攻撃の標的になる)ための43兆円など、バカげているといわなければならない。

                          武蔵坊五郎
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/219688

「戦争する覚悟、国民と共有できているのか」 伊藤真弁護士、敵基地攻撃能力保有のリスクを語る
2022年12月14日 06時00分

     (敵基地攻撃能力の保有の是非について語る
      伊藤真弁護士=東京都渋谷区で)

安保政策大転換 私はこう考える

 敵基地攻撃能力を言い換えた「反撃能力」という言葉は、相手国の領域内で戦う意味をごまかしている。自民党と公明党は、国民に本質を伝えないようにしていて不誠実だ

 政府・与党は「抑止力を高め日本を守る」と主張し、「使わないなら保有ぐらいはいいのでは」と思う人がいるかもしれない。だが、抑止力は能力を持つだけでなく、使う意思を相手に見せ、理解させないと効果がない。使う前提でなければ抑止できないのだから、保有と行使は一体だ。政治家は戦争する覚悟を、国民と共有できているのか。

 敵基地攻撃能力の保有は憲法9条に違反する

 敵基地攻撃は憲法上可能とした1950年代の政府答弁があるが、中国や北朝鮮のミサイルが日本に届かず核兵器も持っていなかった時代の、起こり得ない仮定での話だった。軍事情勢の変化で現在の中国、北朝鮮は核兵器を保有し、日本に届くミサイルも何百発も持つ。敵基地攻撃した時には、とてつもなく大きな惨禍が起こり得るこれは9条が許すところではない

 さらに日本が相手国領域に攻撃すればそこで終わらず、相手も反撃してミサイル攻撃の応酬になり、相手を殲滅せんめつするまで止められなくなるこれでは憲法のもとで許される「自衛のための必要最小限度の武力行使」とは言えないし、決着がつくまで止められない全面戦争を行うことは、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄することをうたった9条1項に反する

 日本には多数の原発がある。反撃すれば原発が攻撃され、もっと被害が拡大してしまう時に相手国領域に攻撃するのか。政治家は国民の命を守り、犠牲が少なくなる判断をすべきだ

 他国に脅威を与えず、先に絶対手を出さないとの安心感を与えるのが、9条に基づく従来の専守防衛だった。今は集団的自衛権行使も容認し、米国が攻撃されそうな時に日本が相手国領域に攻撃せざるを得なくなる。日本が全面戦争に入っていくリスクがさらに増す。(聞き手・金杉貴雄


いとう・まこと 日弁連憲法問題対策本部副本部長。法律家の育成を目指す「伊藤塾」塾長。「一人一票実現国民会議」の発起人、「安保法制違憲訴訟の会」の共同代表。東京都出身。東大卒。64歳。


   ◇  ◇ 

 岸田政権が敵基地攻撃能力保有や防衛費の大幅増を進めようとしていることについて、識者や与党の協議に加わっていない野党議員らに意見を聞いていく。(随時掲載します)

【関連記事】【関連記事】「敵基地攻撃能力を持てば抑止力、は楽観的すぎる」 流通経済大・植村秀樹教授が語る戦争への危惧
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●アベ様に白紙委任を勘違いさせてはいけない:「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数に…

2015年11月29日 00時00分56秒 | Weblog


東京新聞の社説【週のはじめに考える 多数決がのし歩いては】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html)と、
LITERA 本と雑誌の知を再発見』(http://lite-ra.com/)の、ちょっと昔の記事【安倍晋三と橋下徹の“独裁者コンビ”が持ち出す「民意」「多数決」の論理を疑え!】(http://lite-ra.com/2015/05/post-1104.html)。
 

 《安全保障関連法の強行可決にみられるように、国会ではますます「数の論理」が幅をきかせていますでも、多数決は本当に万能なのでしょうか……みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をする」という案が過半数になってしまいました……実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」に出てきます》。
 《戦後日本の国家のありようを180度転換する集団的自衛権の容認を閣議で決定し、さらに安全保障関連法案(戦争法案)を数に任せてゴリ押し可決しようとしている安倍晋三。そして、阪都構想という何の具体性もないデタラメな計画を住民投票にかけて、大阪市民から白紙委任を引き出そうとしている橋下徹──。二人に共通しているのは「選挙に勝ち、多数決で『民意』を得た者がすべてを白紙委任され、独裁的に物事を進められる」というきわめて単純かつ一面的な、民主主義理解だ》。


 アベ様は「白紙委任」だと誤解している。多くの心ある市民はアベ様に「白紙委任」など託すわけがないし、絶対得票率からも、二重の意味でアベ様は誤解している。《絶対得票率小選挙区で24・4%、比例代表では16・9%にしかすぎない……全有権者の二割程度しか支持していない》にもかかわらず、「白紙委任」と嘯く。あるいは、誤解したフリをしている。それを許した、自民党支持者や、「積極的平和主義」を愛する公明党支持者たちの罪もあまりに深い。
 《弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」》……「白紙委任」と憲法と、そして、「憲法くん」。

   『●松元ヒロさん「憲法くん」は語る
    《「だけど丸投げで頼むわけじゃない。
     頼まれたから何でもできると思って
     戦争なんか始めちゃダメだよ。そのために、
     憲法にしっかりと9条を書いてこれをわたす。
     この憲法に書いてあることをしっかり守って、
     頼まれごとをやってくれ、と」・・・・・・
     松本ヒロさんの「憲法くん」は語る。
     アベ様をはじめとした自公議員、翼賛野党の
     壊憲派には理解できまい》

   『●死にゆく平和憲法: 伊藤真さんの憲法の絵本
     『あなたこそ たからもの』と松本ヒロさんの「憲法くん」

    《面倒な掃除当番をある子どもにずっと押しつけた-。
     不当なことだ。このエピソードをてこにして話は続く。
     みんなが賛成したことだからといって、正しいとは限らない
     権力が好き勝手に法律をつくって、国民の自由や権利が
     不当に害されてはならない

      <わたしたちが、えらんだだいひょうも、いつも、
        ただしいことをするとは、かぎらない。だから、
        ほんとうにたいせつなことを けんぽうに、
        かいておくことにしたんだ>》

 アベ様に「白紙委任」と嘯かせないような選挙結果が求められる。

   『●「政権にとって「白紙委任状」ほど好都合なものはありません」: 
                       2014年12月衆院選に是非行こう!
   『●小選挙区制は欠陥品だし、
      自公政権という「驕るもの」に「謙虚」さを求めても仕方ない

   『●いい加減に学ぼう: 「白紙委任状をもらった」
       とアベ様に勘違いさせるようなことをやってはいけない


 ただ、面倒なのは大阪……。最近の歎きのつぶやき。


   「■心ある大阪の皆さん、お気の毒。哀しい二択、大阪「ト」知事派か
    自民「ト」派か。「罰ゲーム」との声あり。稲田朋美氏降臨…
    ヘイトクライム 団体シンパがねぇ~
    (http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/57741322ad2096ed1361fbd0e884b59b
    …」

 つまり、アベ様同様、大阪元「ト」知事も、「俺様王国」で王様になりたい人です。同類。強権的政治手法好きな二人。余所事とは言え、ため息が出てしまいます。

   『●「俺様王国」ニッポン、「俺様王国」大阪「ト」を
             造りたい強権的政治手法好きな二人

   『●ご冗談を橋下さん:「泣き落とし」の一環、「やめたらアカン」・・
                    なんて許されない、すっぱり政界引退を

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015110102000159.html

【社説】
週のはじめに考える 多数決がのし歩いては
2015年11月1日

 安全保障関連法の強行可決にみられるように、国会ではますます「数の論理」が幅をきかせています。でも、多数決は本当に万能なのでしょうか

 掃除当番は面倒なものです。誰も進んでやりたくない仕事です。でも、毎日、誰かが引き受けなければなりません。そこで、こんな提案がありました。

   「誰か一人にやってもらおう」

 そうして、「誰か」にA君が指名されてしまいました。来る日も、来る日もA君が一人で掃除当番を引き受けるという案です。

 みんなで多数決をした結果、「A君が毎日、一人で掃除当番をするという案が過半数になってしまいました。


◆掃除当番の押しつけは

 さて、こんな投票は許されることなのでしょうか。こんな多数決は有効なのでしょうか。

 実は掃除当番のエピソードは、弁護士の伊藤真さんが書いた憲法の絵本「あなたこそ たからもの」に出てきます。絵本には、こんな説明があります。

   <たとえ、たくさんのひとがさんせいしても、ただしくないことも
     あるんだ。わたしたちは、ぜったいまちがえない、とはいえない。
     わたしたちが、えらんだだいひょうも、いつも、ただしいことを
     するとは、かぎらない>

 確かに面倒だからといって、A君に掃除当番を押しつけたことは正しくありません。提案自体も多数決の結果も間違っているわけです。では、なぜ間違いだといえるのでしょうか。

 ずばり、A君の人権が侵されているからでしょう。毎日、苦痛な掃除当番を一人に背負わせるのは、基本的人権の観点から許されませんA君という「個人の尊重」からも問題でしょう。絵本の文章はこう続きます。

   <だから、ほんとうにたいせつなことをけんぽうに
     かいておくことにしたんだ


◆民主政治の落とし穴は

 日本国憲法の三大柱は、基本的人権と国民主権、そして平和主義です。憲法前文にはとりわけ基本的人権が優先する形で書かれています。しばしば国民の間で行われた多数決の結果を「民意」と呼んだりしますが、たとえ民意が過半数であっても、基本的人権は奪うことができません。

 「A君に毎日、掃除当番をさせる」という多数決の結論は、「多数の横暴」そのものです。立憲主義憲法では、それを許しません。立憲主義は暴走しかねない権力に対する鎖であると同時に、民意さえ絶対視しない考え方です。いかなる絶対主義も排するわけです。民意もまた正しくないことがあるからです。ナチス・ドイツのときが典型例でしょう。

 初めはわずか七人だったナチス党は国民の人気を得て、民主的な手続きによって、一九三三年にドイツ国会の第一党となりました。内閣を組閣したヒトラーは議会の多数決を利用しました。そして、政府に行政権ばかりでなく立法権をも与える法律をつくりました。「全権委任法」です。

 議会は無用の存在となり、完全な独裁主義の国となりました。戦後間もないころ、旧文部省がつくった高校生向けの「民主主義」という教科書では、このテーマを「民主政治の落とし穴」というタイトルで描いています。

   <多数決という方法は、用い方によっては、多数党の
     横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの
     根底を破壊するような結果に陥ることがある>
   <多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということに
     なると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に
     正しいものにまでまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ
     去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができる>

 旧文部省の教科書は何とうまく「多数の横暴」の危うさを指摘していることでしょう。多数決を制したからといって、正しいとは限りません。それどころか、多数決を乱発して、独裁政治に至る危険性もあるわけです。

 確かに多数決は民主的手続きの一つの方法には違いありません。しかし、少数派の意見にも十分耳を傾けることや、多数決による結論に対する検証作業も同時に欠かせない手続きといえます。


◆「4分の1」の尊重を

 臨時国会の召集を野党が憲法五三条の規定に基づいて求めましたが、政府は「首相の外交日程」などを理由に拒みました。議員の四分の一の要求があれば、召集を決めねばならないという規定です。

 「四分の一」という数字は、むろん少数派の意向を尊重する意味を含んでいます。多数決論理ばかりが横行して、「四分の一」という少数派の「数の論理」を無視しては、民主主義がうまく機能するはずがありません。
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http://lite-ra.com/2015/05/post-1104.html

安倍晋三と橋下徹の“独裁者コンビ”が持ち出す「民意」「多数決」の論理を疑え!
【この記事のキーワード】安倍晋三, 松本滋, 橋下徹, 選挙 2015.05.17

     (“ゴリ押し独裁者コンビ”(左・自由民主党公式サイトより
      /右・橋下徹公式サイトより))

 戦後日本の国家のありようを180度転換する集団的自衛権の容認を閣議で決定し、さらに安全保障関連法案(戦争法案)を数に任せてゴリ押し可決しようとしている安倍晋三。そして、大阪都構想という何の具体性もないデタラメな計画を住民投票にかけて、大阪市民から白紙委任を引き出そうとしている橋下徹──。二人に共通しているのは「選挙に勝ち、多数決で『民意』を得た者がすべてを白紙委任され、独裁的に物事を進められる」というきわめて単純かつ一面的な、民主主義理解だ。

 実際、国民の側もそう考えている人が多いかもしれない。個人としては反対でも、多数決で決まったら従うのが民主主義のルールだ、と。

 たしかに、投票のない民主主義はない以上、民主主義を実質化するためには、何かのルールが必要だ。しかし、多数決はけっして最良の方法ではない。それどころか民主主義という観点から見れば欠陥だらけの方法だと教えてくれるのが、『多数決を疑う』(坂井豊貴/岩波新書)だ。

 では、具体的に多数決のどこが問題なのか。

 我が国の選挙制度は、国政選挙でも地方選挙でも、それぞれ選挙制度などに違いはあれど、一人一票による多数決方式が採用されている。この方式のもとでは有権者は「一番に支持する候補者」を選ぶことしかできず、二番目や三番目への支持表明はできない。仮に全有権者から二番目に支持を受けている候補者がいたとしても投票されることはなく、したがって彼・彼女が当選することも絶対にない。

 また、多数決は「票の割れ」に弱い。たとえば2000年のアメリカ大統領選では、当初ゴア優勢だったにも関わらず、途中から似たような政策を掲げる泡沫候補ネーダーが立候補したために、2人のあいだで票を食い合い、結果的に漁夫の利を得たブッシュが当選してしまった(その結果があのアフガン戦争、イラク侵攻であり、ひいては現在の「イスラム国」の隆盛につながっているのだから、多数決のもたらした影響は大きい)。

 加えて、多数決は少数の意見を切り捨ててしまうという欠点があるのは、中学校の公民の授業で習ったとおりだ。

 このように多数決は、適切に人々の意見を集約するルールとしては穴だらけだ。しかも、なぜそんな欠陥品が長らく採用されてきたかといえば、たんなる文化的な慣習からでしかないのだという。

   〈もし「一人一票でルールに従い決めたから民主的だ」
    とでもいうのなら、形式の抜け殻だけが残り、民主的
    という言葉の中身は消え失せてしまうだろう。投票には
    儀式性が伴えども、それは単なる儀式ではない。
    聞きたいのは信託ではなく人々の声なのだ。〉

 だからこそ、多数決に代わる「性能のよい集約ルール」が必要だ。本書の副題は「社会選択理論とは何か」であるが、社会選択理論こそ、そうした可能性を探る学問分野である。

 本書ではいくつもの集約ルールを平易に紹介し、比較検討している。そのなかでとくに有効なものとして挙げられているのが、スロヴェニアの国政選挙やFIFAワールドカップの予選でも採用されている、ボルダルールという方式だ。

 これは、たとえば選択肢が3つあるとしたら、投票者は支持する順番に1位は3点、2位は2点、3位は1点とポイントをつけ、その総和が多い選択肢から勝利するというやり方である。

 ボルダルールでは、各選択肢を1対1で対決させたときに他のあらゆる選択肢に負ける選択肢、つまり先述の大統領選の例でいえば、ブッシュのような実質的には弱いのに、全体の多数決では勝者に見えてしまう候補者を排除できるメリットがある。

 細かく見ればボルダルールにも難点はあるのだという。だが、実は完全に合理的で民主的な集約ルールなどありえないのだ! そのことは、ノーベル賞経済学者ケネス・アローを筆頭とする論者たちが「不可能性定理」で数学的に証明しているのである。

 とはいえ、ボルダルールが多数決より圧倒的にマシであることには変わりない。ボルダルールでなくともいい。いますぐにでも公職選挙法を改正し、少しでも民意が反映される多数決以外の方法を導入すべきだ。

 ところで、本書は公職選挙法にからんで、きわめて重要な指摘をしている。

   〈本来なら憲法は法律を上位から縛るものだが、
    公職選挙法が小選挙区制を通じて、下から第96条の
    実質を変えてしまっている〉

 現行の選挙制度では、小選挙区制(ないしは小選挙区寄りの区分け)の割合が大きいせいで、得票率が低くとも簡単に圧勝できてしまう。

 それをふまえると、憲法改正のための条件として衆議院と参議院のそれぞれで3分の2以上の賛成が必要だとしている憲法96条の縛りは「見かけ以上に弱い」。実際、自民党は直近の国政選挙で衆議院、参議院ともに半数以下の支持だったのも関わらず、それぞれ約76%、約54%の議席を獲得してしまった。

 憲法改正に必要なハードルは実質的には3分の2ではなく、せいぜいが半数以下で十分なのだ。このように法の抜け穴を利用して自分に都合のいいようにコトをすすめるのを脱法行為、もしくは詐欺というのではないか?

 人民主権を唱え、民主主義思想の礎を築いたルソーは、自由や権利が侵害される場合には多数決を適用してはならないとした。そして、それを実現する仕組みとして、たとえば多数派が少数派を抑圧する法律をつくらないよう、上位の憲法が禁止する立憲主義が生まれた。だから憲法が単なる多数決で簡単に改正されるなどあってはならないのだ。

 ちなみに民主制を徹底的に考えぬいたルソーにとって主権とは立法権に他ならず、そうした立法権を一部の代議士だけが独占する代表制民主制は原理的に否定されている。本サイトの過去記事でも紹介されているが、ルソーによれば代表制民主制は奴隷制と同じである。

 本書の著者もそんなルソーに依拠し、たんなる形式主義が民主制にすり替えられた現状に憤りをぶつけている。

   〈現実には主権者は、立法にも執行にもほとんどまったく
    関われない。しかし先ほどの形式の確保(引用者註:
    主権者である国民が国会議員を選出し、国会議員が法を
    定め、内閣の一員がそれを行政処分によって執行すること)
    を民主制の成立と錯視すると、現行制度は「民主的」と
    目に映ることになる。人々が声をあげたとしても、
    すでに制度を民主的だと思い込んでいる者は、
    そのような声をノイズとしてしか受け付けないだろう。〉

 結局のところ、たんなる多数決の結果を笠に着た「民主制」なぞペテンでしかない。著者はさらにペテンに加担する者がいかにも言いそうなことにたいして痛快な批判を浴びせる。

   〈「政治に文句があるなら自分が選挙して立候補して勝て」
    といった物の言い方がある。何を根拠としているか不明だが、
    それを口にする者の頭のなかでは、それが「ゲームの
    ルール」なのだろう。だが、わざわざ政治家にならねば文句を
    言えないルールのゲームは、あまりにプレイの費用が高いもので、
    それは事実上「黙っていろ」というようなものだ人々に沈黙を
    求める仕組みはまったくもって民主的でない。〉

 私たちには“クソゲー”をプレイしない権利がある。一票の格差とか投票率についてグチグチ言うのも結構。だが、真の民主主義は選挙=多数決がひからびたクソだという認識をもつところからしか始まらない。

(松本滋)
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●東京新聞の心に沁みた記事【園長から平和の伝言 保育者の思い】

2014年07月30日 00時00分18秒 | Weblog


東京新聞の記事【園長から平和の伝言 保育者の思い 小冊子に反響】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014072690070115.html)。

 「黙っていては いけないのだと思う あきらめては いけないのだと思う」。安倍晋三首相が決めた集団的自衛権の行使容認について、こんな言葉で始まる・・・・・・」・・・・・・ブログ主は、「人殺し」に行かせてはいけないと思う。人の親として、子どもが殺されるような悲惨を、平和憲法を持つ我国がやってはいけない。アベ様や公明党の大好きな「積極的平和主義」の行きつく先を想像すべきだ。「死の商人に成り下がってはいけない

   『●戦争屋による憲法違反の「集団的自衛権」閣議決定・・・ 
                 「やめろと言わないのは“許した”のと同意」
    「「▼「明日戦争がはじまる」という詩を人に教えられた。
     <まいにち満員電車に乗って/人を人とも思わなくなった/
     インターネットの掲示板のカキコミで/心を心とも思わなくなった/
     虐待死や自殺のひんぱつに/
命を命と思わなくなった
     じゅんびはばっちりだ/
戦争を戦争と思わなくなるために
     
いよいよ明日戦争がはじまる>▼宮尾節子さんという詩人が
     書いた」・・・・・・
ニーメラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき
     を思い出した。


   『●憲法違反を犯しつつ壊憲する愚な・・・・・・
                       「原理原則の無い国」「悪魔の島」
   『●野中広務氏「憲法があり、9条があったからだ」・・・・・・
                   自公議員や翼賛野党議員への痛烈批判
   『●戦争できる国にしたくてしょうがないらしい・・・アベ様に一番に戦場へ
   『●「人殺し」なんぞには行かせたくない


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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014072690070115.html

園長から平和の伝言 保育者の思い 小冊子に反響
2014年7月26日 07時01分

   (ひらお保育園の職員に集団的自衛権について話す
    田中雄二園長(中)=東京都稲城市で)

 「黙っていては いけないのだと思う あきらめては いけないのだと思う」。安倍晋三首相が決めた集団的自衛権の行使容認について、こんな言葉で始まる小冊子を東京都稲城市にある「ひらお保育園」園長の田中雄二さん(62)が作った。平和憲法の根幹を閣議決定だけで変えたことへの危機感を分かりやすく、詩のような言葉で表現した。反響も大きい。田中さんは「多くの人に声を上げていくことの大切さを伝えたい」と呼び掛けている。 (宇田薫)


 田中さんは、与党間などの憲法解釈見直しをめぐる議論を注意深く見守ってきた。行使容認が閣議決定された七月一日には「安倍さんは力ずくでここまでやってしまうのか」と危機感を持った。翌二日の朝、十ページにわたる文章を一気に書き上げた。

    「私になにができるか 考えました そして ここにみなさんに
     伝える言葉を 記すことにしました」

 田中さんは大学を卒業後、一九七七年に同園に就職。約四十年間で送り出した園児の中には、自衛隊のパイロットになり、最近結婚した男性もいる。「政治信条は人それぞれだし、自分の思いを押しつけるつもりはない。でも、子どもたちが他国の人を殺し、殺されるようなことはしてほしくない」。保育者としての思いが、メッセージの原動力になった。

 メッセージはピンク色のA4用紙を二つ折りにしたもので、三百部を手作りで仕上げた。第二次世界大戦で数え切れない人が亡くなったこと、憲法は時の政権が戦争を繰り返さないために生まれたことを、できるだけやさしい言葉でつづった。「知っていますか 安倍総理大臣にも 小野寺防衛大臣にも 憲法を擁護する 義務があることを」と諭すように訴える。

 書き上げた次の日の三日、園で職員と保護者全員に配った。若い職員からは「政治の話は難しい」との声も聞かれた。

 しばらくすると、小冊子を送ったほかの保育園の関係者や地域住民から「うちでも配りたい」と頼まれるようになった。保護者らから「大事なことを言ってくれてありがとう」「高校生です。俺たちのことを考えてくれる先生がいる」などと返事が寄せられ、共感の広がりを感じた。

 田中さんにとって小冊子は「保育園長からの伝言」。「今後も国の動きをしっかり注視していきたい」と話している。

◆田中保育園長からの伝言 全文

 ひらお保育園の田中雄二園長のメッセージの全文は以下の通り。

 

 寝ていては いけないのだと思う 黙っていては いけないのだと思う あきらめては いけないのだと思う

 昨日、安倍内閣は臨時閣議で 憲法の解釈を変えるという 途方もない手段で 日本の平和憲法の柱 「戦争の放棄が変えられた

 みなさん 知っていますか

 二年前 自民党が政権に復帰した 総選挙の得票率を

 わずかに24% 全国民の民意の四分の一 それで国会の議席 過半数を占めるという 小選挙区制度の不思議さ その不当さ

 みなさん 知っていますか

 第二次世界大戦の中で 日本軍として参戦した 兵隊二百四十万人が死んだこと

 そして 日本軍によって アジア全体で殺された人たちは二千万人ということを なかでも 中国では 一千万人もの 多くの命が 奪われたこと

 みなさん 知っていますか

 戦争が終えた一九四五年の 日本の平均寿命を 男性二十三・九歳 女性三十七・五歳 信じられない この年齢 そのもつ意味 そのもつ重み

 一九四五年三月 東京下町への大空襲 八月六日 広島への 原爆の投下 八月九日 さらに 長崎へも…

 累々(るいるい)として おびただしい 死者の叫び 命の訴え

 けっして 取り戻すことのできない 命の代償 家族の無念さ

 そして 戦争が終えた そして 憲法が産まれた

 時の権力によって 時の政権によって 二度と再び 戦争が 起こされることがないように 事情や状況を問わず 外交問題の解決に 武力を行使することが けっしてないように 私たちの 日本国憲法が 産まれた

 その後 六十七年間 朝鮮戦争でも ベトナム戦争でも 湾岸戦争でも また イラク戦争でも アフガン戦争でも 日本が直接に 戦争を起こすことは なかった 日本が直接に 戦争に巻き込まれることは なかった

 いま 寝ていてはいけないと思う いま 黙っていてはいけないと思う いま あきらめてはいけないと思う

 子どもたちが そのまた子どもたちが 建物を くらしを 地域を破壊し ひとのいのちを 奪わないため ひとにいのちを 奪われないため

 くらしや文化 言葉や習慣は違っても 地球に住む さまざまな世界の人たちと ともに手をつないで生きるため

 知っていますか 安倍総理大臣にも 小野寺防衛大臣にも 国務大臣には 憲法を擁護する 義務があることを

 知っていますか 私たち 日本の国民には 二度と戦争を起こさないために 憲法を守り 育てる 不断の努力が 求められていること

 寝ていては いけないと思う 黙っていては いけないと思う あきらめては いけないと思う いま このときに

 不戦の誓いのもと 憲法の骨格に 第九条「戦争放棄」を 明確にもつこの日本の国で

 憲法改正の手続きも 議論も経ず 閣議で解釈の変更を 了承する形で

 これまで六十七年間 現在の憲法下では法的にできないと すべての政権が公言していた 集団的自衛権

 これを「解釈改憲」として 閣議で決定した「現政権」

 この事態に 一人の保育者として 一人の日本人として 私になにができるか 考えました

 そして ここにみなさんに 伝える言葉を 記すことにしました

 子どもの命を守りはぐくむこと これを阻む 理不尽な動きには 学び 訴え 協同し 行動していく

 このことを理念としてもつ 我が社会福祉法人「厚生館」の 職員として 施設長として

 また これまで 多くの保護者と たくさんの子どもたちに

 輝くいのちのすばらしさを 日々の中で 教えてもらった 一人の保育者として

 あらためて訴えたい 伝えたい

 憲法を守ろう いのちをはぐくもう

 戦争につながる動きに ノーの行動を示そうと

  七月二日 ひらお保育園 園長 田中雄二

(東京新聞)
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●『自民党の終焉』読了(3/4)

2010年04月18日 02時28分02秒 | Weblog

森田実、『自民党の終焉 ~民主党が政権をとる日~

 アジアとの関係の悪化。「小泉首相は靖国神社への参拝を繰り返し、中国韓国両国民の神経を逆なでした。小泉首相のやり方は挑発的だった。これに対して小泉首相は、状況をあたかも楽しむがごとく、不真面目な態度をとりつづけた。この結果、日本はアジアで孤立状況に追い込まれた。/・・・日本のマスコミは支持した。マスコミの驚くべき頽廃である。政府もマスコミも「まとも」な感覚を失っていた」(p.83)。

 傲慢になり、不真面目になった政治家たち。「第1は、・・・謙虚だった。もちろん吉田茂岸信介のように傲慢で権力をふりかざす政治家もいたが、多くの政治家は一般国民に対して謙虚だった。・・・/第2は、ものの見方が変わった。・・・/第3は、人間の社会や人生に対する態度において不真面目な人間が増えてきた。小泉純一郎元首相や麻生太郎元外相に、精神の不真面目さを私は感じている。・・・「強気にゴマをすり、弱きを見捨てる」タイプの軽薄な政治家ばかりが目立つようになった。/第4は、エゴイストの増加である。・・・」(pp.91-93)。

 はぐらかしと秘密主義・隠蔽。「郵政民営化をめぐる国会議論の中で、何人かの議員が「年次改革要望書の存在について小泉首相竹中平蔵郵政担当相に質問したが、二人は質問者をはぐらかし、無関係なことを答弁し、質問に真面目に正面から答えようとしなかった。2人はとぼけつづけたのである。小泉首相と竹中郵政担当相は、郵政民営化が米国政府の長年にわたる強い要求であるという事実を隠し続けた、/・・・大マスコミは小泉政権と一体化していた。マスコミ自信が情報隠しに協力するのは異常である。マスコミは戦時中と同じことをしたのだ。マスコミの自殺行為であった。/国民は、・・・知らないまま、2005年9月の総選挙において、・・・。米国保険業界の日本への進出の狙いがあることも知らないまま、・・・。大多数の国民は郵政民営化の本質を知らないまま郵政民営化に賛成した」(pp.122-123)。

 愚かな政治家。「・・・前原誠司前代表のように、安倍自公連立政権のエピゴーネンで、テレビ局、テレビ番組からおだてられた、・・・安倍自公連立政権を喜ばせた愚かな政治家もいた。だが、前原氏は孤立した。」(p.131)。

 日米関係と自民党の二つの政治路線。「一つは保守中道路線と云うべきもので、外交政策においては国連中心主義をとりつつ米国とも中国、韓国などアジア諸国とも友好関係を維持し、国内政策においては国民生活を重視し、・・・。・・・石橋湛山、池田隼人、田中角栄三木武夫、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一、・・・細川護煕、村山富市らであった。/もう一つは、・・・従米路線である。・・・岸信介中曽根康弘小泉純一郎であった。安倍晋三もこの路線の政治家である。/・・・両者の中間路線である。・・・佐藤栄作、福田赳夫、海部俊樹、橋本龍太郎らであった」(pp.134-135)。
 ミルトン・フリードマン学派と宗教政治。「小泉・安倍政治は「アメリカのブッシュ主義」という一種のイデオロギーを重視する政治である。小泉構造改革の経済理論は新古典主義であり、フリードマン理論・・・であった。・・・。/小泉・安倍両政権が忠誠をつくしたブッシュ米国大統領が行ってきた政治は本質的には宗教政治であった。ブッシュ政権は、大統領が信ずるキリスト教原理主義の理念に従ってというより、神の予言を聞いたように感じてアフガン戦争イラク戦争を行った。・・・米国のフリードマンに引き継がれてきた特殊な経済理論である。・・・というより強者のためのイデオロギーとでもいってよいものである。/・・・アメリカ政府崇拝イデオロギーに基づく政治だった。安倍政治は初めに憲法改正ありきであり、また、教育基本法改正ありきであった。これも右翼主義に立つ一種のイデオロギー政治である」(pp.145-146)。
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