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●野中広務氏、《保守政治家の本来の姿》からすれば、《自公議員や翼賛野党議員への痛烈批判》は当然

2018年02月16日 00時00分22秒 | Weblog


リテラの記事【野中広務が語っていた安倍政権への怒り!「安倍首相は東條英機と変わらない」「麻生太郎の差別発言は絶対許さん」】(http://lite-ra.com/2018/01/post-3766.html)。

 《この明らかな無視の理由はやはり、野中氏が後年、安倍首相と安倍政権、自民党主流派にとって、煙たい存在だったからだろう。その利権や恫喝的な政治手法への批判が絶えなかった野中氏だが、一方で徹底した護憲の姿勢を貫き、第二次安倍政権以降は、安倍首相の歴史修正主義や平和主義を脅かす戦争政策を徹底的に批判してきた》

 リテラの記事タイトルにあるように…いまも国会議員でいることが不思議であり、飯塚というか、ニッポンの恥である、強烈な差別主義者・麻生太郎殿は、野中広務氏の葬儀に焼香に行ったのだろうか?

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]第2次世界大戦中のポーランドで、将校1万5千人が…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/202397)によると、《▼晩年は保守リベラル派として、安倍政権を「沖縄の痛みを知らない」と批判。だがアメとムチで揺さぶり、基地容認を迫る手法を始めたのは野中氏らだった ▼それでも野中氏がかつて国会で訴えた「県民を軍靴で踏みにじる結果にならないように」との言葉は生き続けなければならぬ。戦争の痛みを知らない政治はやはり恐ろしい。(磯野直)》。
野中広務氏については、国旗国歌法など、批判も多ったのも事実。

 日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/野中広務の魂継ぐ声出ない自民党】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201801300000150.html)によると、《さて問題は、自民党議員から野中のスピリッツを引き継ぐという声が出てこないことだ。反戦を貫き平和を希求し、弱者に寄り添う。保守政治家の本来の姿だろうと思うが、今の自民党に期待するのは無理なようだ》…本当に。
 《保守政治家の本来の姿》からすれば、《自公議員や翼賛野党議員への痛烈批判》するのは当然。

 マガジン9のコラム【言葉の海へ 第22回:戦争を生き延びた人たちが去って行く(鈴木耕)】(http://maga9.jp/180214-2/)によると、《戦争を知る者が、次々にこの世から退場していく。野中広務さんのような「反戦保守」もほとんど姿を消した。かつての「戦争を知らない子どもたち」は、戦争を知らないがゆえに「平和の歌を口ずさみながら」歩き続けた。しかし、今の「戦争を知らない政治家たち」は、戦争を知らないがゆえに「戦争こそが平和」だと、あの『1984』の世界を現前させようとしている。これから、ぼくらの国はどこへ向かうのだろう?》…想像するだに恐ろしい。

   『●『差別と日本人』読了(1/4)
   『●『差別と日本人』読了(2/4)
   『●『差別と日本人』読了(3/4)
   『●『差別と日本人』読了(4/4)
   『●『野中広務 差別と権力』読了(1/3)
   『●『野中広務 差別と権力』読了(2/3)
   『●『野中広務 差別と権力』読了(3/3)
   『●野中氏の爆弾発言
   『●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了
   『●炭坑王一族の末裔による凄まじいまでの暴言・差別意識
   『●呼ぶべき講師は野中広務氏だった・・・
      「憲法学者達<<百田尚樹氏」な自民党には無理というもの

    「(江戸川区選出)大西英男衆院議員(比例近畿)長尾敬衆院議員らは
     勉強会に招くべき講師を誤っていた、という指摘。百田尚樹氏ではなく
     野中広務氏であるべきだったようだ。今からでも遅くないでしょうが、
     ま~、実現することはないでしょう。「憲法学者達<<百田尚樹氏」な
     自民党には、無理な話です。脳内の回路が完全に壊れている方々だから」

   『●確信犯なナチス擁護…ウルトラ差別主義者・
      麻生太郎殿のその体質は野中広務氏による大叱責でも変わらず
   『●野中広務氏「憲法があり、9条があったからだ」・・・・・・
               自公議員や翼賛野党議員への痛烈批判

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http://lite-ra.com/2018/01/post-3766.html

野中広務が語っていた安倍政権への怒り!「安倍首相は東條英機と変わらない」「麻生太郎の差別発言は絶対許さん」
2018.01.29

     (『野中広務 差別と権力』(講談社文庫))

 元衆院議員の野中広務氏が26日、92歳で逝去した。野中氏といえば、小渕、森内閣で官房長官や自民党幹事長などを歴任、その情報収集力や剛腕ぶりから影の総理”“キングメーカーとまで称された政治家だ。そのため野党や各界からもその死を惜しむ声が寄せられている。しかし肝心の自民党は元重鎮の死にもかかわらず、ほとんど誰もコメントを発していない

 普通なら真っ先に弔意を表わす立場であるはずの安倍首相や菅義偉官房長官もなぜか、きちんと公に弔意を表した形跡はまったくない

 この明らかな無視の理由はやはり、野中氏が後年、安倍首相と安倍政権、自民党主流派にとって、煙たい存在だったからだろう。

その利権や恫喝的な政治手法への批判が絶えなかった野中氏だが、一方で徹底した護憲の姿勢を貫き、第二次安倍政権以降は、安倍首相の歴史修正主義平和主義を脅かす戦争政策徹底的に批判してきた。

 たとえば、安倍政権が集団的自衛権容認を閣議決定した2014年、朝日新聞(7月18日)のインタビューで、野中氏は「内閣の解釈で憲法の基本を変えるなんて本末転倒でしょう。絶対にやってはいけない」として、憲法9条堅持と、戦争反対、そして安倍政権がもたらした害悪”をこう切り捨てている。


「(「自主憲法制定は自民党の党是。手続きを踏めば憲法改正していいという考えか」と問われ)憲法を常に見直す態度は変えてはならない。ただ、すべての条文を同じように扱うべきではない。9条があり、武力行使をしてこなかったから、戦後70年近く平和でおれた。9条は変えてはならないと思う」

「戦争がどれだけ深い傷痕を国内外に残したか、もっと謙虚にあの時代を検証してほしい。『戦後レジームからの脱却』いうてね、歴史を消してしまうようなやり方は間違っている。それは国際社会への復帰につながった東京裁判も否定する。だから安倍さんはA級戦犯が祀られている靖国神社に参るんですよ」

「自衛隊は戦争にいかない前提で入隊した人たちが多いから、実際に行けといわれたら辞める人も多いはず。その次に何がおきるか。国防軍ですよ。いずれ必ず徴兵制がやってくる」


「安倍首相の姿を見ると死んでも死にきれない」と歴史修正主義を批判

 こうした危機感の背景には、1925年生まれの野中氏自身の戦争体験があった。戦争の悲惨さを痛感し、その記憶を語り継ぐ重要性を訴えてきた野中氏にとって、先の戦争を肯定し、戦前戦中の再現を狙っている安倍首相の姿勢が我慢できなかったのだろう。

 実際、『時事放談』(TBS)2015年2月15日放送では、安倍首相の施政方針演説について、東条英機の類似性まで指摘していた。


「私にしたら私が中学生のころ、昭和16年に東条英機首相が、大政翼賛会の国会で施政方針演説をやっている、あのラジオ放送を耳にしたときの感じと、まったくかわらないんじゃないかという心配を、私は感じました」

「(安倍首相は)重要な部分には触れないで、非常に勇ましいような感じで発言をされますと、国民はついそういう発言に十分な理解ができないまま、支持率に結びついたんじゃないかと考えております」


 また、2015年5月24日のやはり『時事放談』に出演した際には、党首討論での安倍首相の発言について「志位さんは過去の戦争のいかに愚かであったかという責任を国民の前でお尋ねになりましたが、安倍総理は具体的に答えようとせず、しかもポツダム宣言すら読んだことのないような」印象だったと批判。「わずかでもあの戦争に参加したことのある経験のある私があの姿を見ておって、死んでも死に切れない気持ち」とまで発言していたのだ。

 さらに、野中氏はもうひとつ、安倍政権の差別問題に対する姿勢にも激しい怒りを抱いていた。野中氏が自ら被差別出身であることを公言し、“差別をなくすことが私の政治生命であり使命”との旨をことあるごとに語ってきたのは有名な話だが、安倍政権はまったく逆。むしろ、在日差別や被差別への差別を煽ってきたからだ。

 しかも、野中氏は安倍政権の中枢人物から直接、差別発言を受けたことがあった。

 2001年の総裁選前、出馬を狙っていた安倍首相の盟友、麻生太郎財務相が所属派閥である大勇会の会合で、やはり出馬の動きのあった野中氏に対して、「野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したことが明らかになったのだ。


「野中のような出身者を総理にできない」と発言した麻生に野中は…

 この麻生氏の差別発言は会合に出席した複数の議員から野中氏自身の耳に入り、激怒した野中氏が直接、麻生氏に詰め寄るという事件も起きている。

 野中氏の実像を追ったルポ『野中広務 差別と権力』(魚住昭/講談社)によれば、事件が起きたのは、麻生の差別発言から約2年が経った2003年9月11日の自民党総務会。この総務会に出席した野中氏がいきなり立ち上がり、当時、政調会長としてこの会合に参加していた麻生氏に向かってこう怒鳴ったという。


「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ私は絶対に許さん!


 しかし、これはけっして、野中氏の被害妄想でも思い込みでもなかった。実際、2009年になって、米紙ニューヨークタイムズ(1月16日)がアメリカ史上初めてアフリカ系のオバマ大統領が誕生した米国と対比する形で、日本の差別問題を特集したのだが、そこに当時、首相だった麻生氏による野中氏への差別発言の一部始終を掲載している。しかも、NYタイムズ記事には、会合の出席者である亀井久興衆院議員(当時)が実名で登場し、実際に麻生氏が差別発言をしたことを証言していた。

ところが、それでも日本の新聞やテレビは、一切報道しようとしなかった。理由はマスコミが当時、総理だった麻生氏に遠慮したこと、そして差別問題に触れることを恐れたためだった。

 しかし、野中氏本人はその後も、講演などでこの麻生の差別発言のことを度々取り上げ、徹底的に批判し続けた。麻生氏については、ヒトラー発言に代表されるように、その後も度々舌禍事件を起こしており、そうした安倍政権に通底する “差別”や“弱者”に対する不認識、いや逆にそれを増長させるような姿勢野中氏が最後まで声をあげ続けた要因だろう。

 そして、こうしたまさに安倍政権の本質をつく野中氏の発言に、安倍首相も麻生財務相も一言も反論できず、沈黙を守るしかなかった。野中氏の死に際して、いまだに大人気ない対応をとっているのも、それだけ安倍首相らが野中氏のことを恐れてきた裏返しだろう。

 野中氏の政治手法には批判すべき点もたくさんもあったが、しかし、この政治状況をみていると、野中氏にもっと鋭い安倍批判を続けてもらいたかった、と思わずにはいられない。

(編集部)
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