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●1959年6月30日、戦後最悪の米軍機事故・宮森小米軍ジェット機墜落事故…今も変わらず? 番犬様にとっては「普通の出来事」との認識

2022年07月12日 00時00分58秒 | Weblog

[↑ 命どぅ宝沖縄を再び戦場にするな! (2022年05月15日、朝日新聞)]


(2022年07月02日[土])
1959年6月30日、戦後最悪の米軍機事故宮森小米軍ジェット機墜落事故…今も変わらず? 番犬様にとっては「普通の出来事」との認識だった。

 沖縄タイムスの記事【給食の時間に飛行機が… 恐怖がフラッシュバック 18人犠牲、あえて残した悲劇の「証人」】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/983393)によると、《うるま市石川に住む伊波章夫さん(72)の実家には、井戸から水をくむポンプの跡が残っている。痛ましい事故の記憶を伝える「証人」だ。1959年6月30日。石川市(現うるま市)の宮森小学校と周辺住宅地に墜落し、児童11人を含む18人の命を奪った米軍の戦闘機は、伊波さんの自宅の敷地にも落ちてきた。あれから63年。「ここに落ちた証しを残しておきたかった」。あえて整地していないポンプ跡に立ち、事故を振り返った》。

 琉球新報の記事【宮森小の墜落は「普通の出来事」 米軍、ジェット機事故を矮小化 内部文書に記述 きょう63年】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1541523.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel)によると、《1959年6月30日に沖縄県うるま市石川(旧石川市)で発生した宮森小学校米軍米軍ジェット機墜落事故で、被害者の賠償を巡る米軍の内部文書に「不慮の事故死は有史以来全く普通に起きている出来事だ石川の悲劇は何も目新しい要素があるわけではない」などと事故を矮小(わいしょう)する記述があることが29日までに分かった。事故から30日で63年となる》。
 番犬様にとっては《普通に起きている出来事》《何も目新しい要素があるわけではない》そうだ。その認識は今の番犬様や自公政権、お維やコミといった議員にとっても大差ないはず。にもかかわらず、自公お維コミに投票し、選挙に行かないことで間接的に自公お維コミを支持するわけだから、全くオメデタイ国だ。《事故を矮小化犠牲者を冒瀆している》ことに賛意を示すようなものだ。自分が何に手を貸しているのか理解できているのか? あなたにも《パラシュートはない》こと、理解できてます?
 阿部岳さん《宮森小学校…▼児童ら18人が亡くなった戦後最悪の米軍機事故パイロットは脱出していた。それでも、遺族は怒りをぶつけることさえできなかった。米軍に差し出した沖縄の要塞(ようさい)化と本土の経済発展を引き換えにする日米安保体制が、犠牲と沈黙を強いた》。沖縄では、いまも《不条理の連鎖》は続いています。それを見て見ぬふりの卑怯さ。

 琉球新報の【<社説>宮森小米軍機墜落63年 米国の核戦略の犠牲だ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1541287.html)によると、《死者18人、重軽傷者210人を出した石川市(現うるま市)の宮森小学校米軍ジェット機墜落から63年を迎えた。米軍は当時、事故について「石川の悲劇は何も目新しい要素があるわけではない」と事故を矮小(わいしょう)犠牲者を冒瀆(ぼうとく)している。宮森小の児童らは、当時の米核戦略の犠牲になったともいえるだろう》。

   『●平和憲法・専守防衛の下で、愚かしい過剰な「思いやり」や
      在日米軍特権を差し出してまで…そんな「不公平」は不要
   『●消された放射能汚染: 米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●「日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性を
        そのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり…」
   『●高江ヘリ「墜落」、何時もの如く「見え透いた
      “茶番劇”が再び繰り返されるようなら、事故はまた起きる」
   『●「在日米軍特権」…《事故の検証すらできない日本は
         むしろ、法的従属を“放置”した国家》<金口木舌>
   『●横浜米軍機墜落事件: 「米軍が現場を占拠し、
       警察は蚊帳の外。被害者のための救急車は一番最後に…」
    《▼墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけ自衛隊ヘリは出動した。
     米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外被害者のための救急車は
     一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわに
     なった不条理さと変わらない》。
    「《不条理の連鎖》は、今もなお沖縄では続く。《米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。
       「在日米軍特権」も、「日米共犯」も、何も変わらない沖縄。
     《沖縄の人たちは逃げられない》《墜落であらわになった不条理さ》…
     今もなお、何も変わらない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ狂気性」
         (高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
   『●「まるで空襲に襲われた戦時下のような異常な訓練」に加えて、
                     アベ様は沖縄にさらなる「我慢」を強いる
    《頻発するヘリの墜落に、突如、凶器と化した落下物が子どもたちの頭上に
     降って落ちてくる恐怖。2016年には米軍属による強かん殺人事件
     起こった。それでも平然と、自分たちの植民地であるかのように横柄な
     態度をとりつづける米軍──この暴力を許しているのは、言うまでもなく
     日本政府、安倍政権だ

   『●「米軍機接近による児童の避難は…39日間に合計242回」、
                   「最も多い日は一日に29回」…異常な現実
   『●安仁屋眞昭さん《沖縄では民意よりも米軍が優先。
      沖縄の戦後は終わっていない》…何度事故・事件が起きようとも
    「琉球新報の高田佳典記者の記事【「沖縄、民意より米軍」 戦後の重荷、
     74年変わらず】…。宮森小ジェット機墜落事故(1959)、
     沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故(2004)、オスプレイ墜落……
     何が起ころうとも、何も変わらない沖縄。今も《不条理の連鎖》が続く。
     《一方、沖縄では何度事故が起きようとも主要な基地は撤去されない》。
     安仁屋眞昭さんは、《沖縄では民意よりも米軍が優先沖縄の戦後は
     終わっていない》《戦後74年がたっても沖縄は重荷を背負っている

   『●自公政権やお維に壊され行く沖縄: 沖縄「屈辱の日」を「主権回復の
     日」と言う元首相、沖縄の戦後史を知らないという元最低の官房長官…
    《▼「琉大文学」同人で、宮森小米軍ジェット機墜落事故を取材した
     作品「恐怖と血の代償」を残した。子どもの命を奪った墜落機から
     操縦者がパラシュートで脱出していた。詩人は悲痛な叫びを刻す。
     「われわれには、パラシュートはない!」…▼太平洋戦争の末期、
     日本は沖縄を捨て石にし、サンフランシスコ講和条約で米国に
     差し出した。「屈辱の日」の4・28から69年。今も続く閉塞感の
     で県民は自問する。「われわれにパラシュートはあるのか」》

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宮森小の墜落は「普通の出来事」 米軍、ジェット機事故を矮小化 内部文書に記述 きょう63年
2022年6月30日 07:00

     (宮森小米軍ジェット機墜落事故=1959年6月30日)

 1959年6月30日に沖縄県うるま市石川(旧石川市)で発生した宮森小学校米軍米軍ジェット機墜落事故で、被害者の賠償を巡る米軍の内部文書に「不慮の事故死は有史以来全く普通に起きている出来事だ石川の悲劇は何も目新しい要素があるわけではない」などと事故を矮小(わいしょう)する記述があることが29日までに分かった。事故から30日で63年となる。

 文書は1960年4月18日付の「ISHIKAWA CLAIMS TALKING PAPER(石川賠償を巡る討議用文書)」と題された米軍の内部文書。米国立公文書記録管理局(NARA)に保管されていた補償や治療の経緯が記録された資料に書かれていた。

 翻訳した長嶺將春さんは「この日付の前後に賠償を巡る被害者の抗議文や要請文が出てくる。これらに対応するために米軍内部で話された内容ではないか」と推測した。

 文書の中にはそのほか「去年は石川事故の犠牲者以外にも、アメリカ人であれ、琉球人であれ、100人以上の人がさまざまな事故で命を落とした」などと記されている。

 別の文書では、米空軍司令部司令官のスミス少将が米統治下の最高責任者である高等弁務官に宛てた1960年2月25日付の書簡で「永久的な傷痕を抱えた被害者の姿が、琉球における米軍の存在の悪い結果の見本になってしまう可能性がある」と記されていた。また「琉球における米国の立場と利益のために、患者の継続的治療を必要に応じて陸軍病院が提供できるようにしてもらう」などと書かれていた。

 NARAの資料は計2千ページ以上あり、すでに数百ページ分が翻訳されて資料集「石川・宮森の惨劇」として2019年に発刊されている。今回、残りの資料の翻訳が今年4月に完了し、新たな内容が明らかになった。(古川峻)
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1541287.html

<社説>宮森小米軍機墜落63年 米国の核戦略の犠牲だ
2022年6月30日 05:00

 死者18人、重軽傷者210人を出した石川市(現うるま市)の宮森小学校米軍ジェット機墜落から63年を迎えた。

 米軍は当時、事故について「石川の悲劇は何も目新しい要素があるわけではない」と事故を矮小(わいしょう)犠牲者を冒瀆(ぼうとく)している。宮森小の児童らは、当時の米核戦略の犠牲になったともいえるだろう。

 施政権返還日本復帰)から50年を迎えた現在も、米軍機の事故は減らず県民の命は今も危険にさらされている日米地位協定によって米軍は日本の航空法が適用されない。沖縄の空の安全を実現するためには、不平等な地位協定を抜本的に改定し、国内法を適用させなければならない

 宮森小学校に墜落したF100は、嘉手納基地に配備されていた。同型機の事故が多発していたことは当時、知られていない。米空軍のまとめによると、事故の前年にF100の重大事故(クラスA)は168件、47人のパイロットが死亡している。

 米軍は宮森小に墜落した原因を「エンジン故障による不可抗力の事故」と発表した。しかし、最大の原因は「整備ミス」だった本来なら飛ばしてはいけないはずだ。事故後の賠償も不十分だった。

 米軍は事故によって反米感情が広がり米国統治に悪影響を及ばさないよう注意を払った。石川・宮森630会が入手した米軍の内部文書によると、当時の米軍は「不慮の事故死は有史以来全く普通に起きている出来事事故を矮小化していた。

 米国のアイゼンハワー政権下の1950年代半ばから沖縄に大量の核兵器が持ち込まれ、約1300発の核が置かれていた非核三原則によって日本に核を持ち込めないが、サンフランシスコ講和条約によって日本から切り離された沖縄は可能だった明らかに二重基準である。宮森小に墜落したF100は、水爆「マーク28」を搭載できる機種だった。

 密かに核兵器が持ち込まれた沖縄で、住民は破滅と隣合わせの生活を強いられていた。宮森小に米軍機が墜落する直前の6月19日、那覇空軍基地(現那覇空港)に配備されていたナイキが核核弾を頭搭したまま誤って発射され、海に落下した。

 墜落事故の知らせを聞いた沖縄教職員会の屋良朝苗会長(当時)は、事故現場の惨状を日記に残している。

 「基地なればこそ起る事だ哀れな沖縄、悲しい被害者等よ。余りにも残念。そして痛ましい。(中略)歴史上かつてない事が起きた六月三十日、今日の日忘れる事の出来ない不幸の日だ」(1959年6月30日付「屋良日記」)

 県によると、日本復帰後、墜落や部品落下、不時着など米軍機による事故は826件(2020年12月末現在)発生している。米軍の駐留によって県民の暮らしと命が危険にさらされ、脅かされることは許されない。
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