Cool Japan Academy&ACE KIDS ACADEMY

主として、学習塾「岡村ゼミナール㈱」・日本語教師養成講座「CJA」に関することについて、気ままに書いています。

長崎県・壱岐の国 訪問から学んだこと

2019年05月02日 | 日記
5月1日(曇り)~2日(晴れ))、長崎県・壱岐の国を訪問

《ここでの印象》

➀発展をし続けている九州・・・その博多港を、時速80キロで進む高速船(ジェットフォイル)で出発し、1時間後に島の港についてからは、レンタカーで島内巡りをしたが、海の碧さに緑の清松、そして豊かな漁村の風景などなど・・・

島内のどこに行っても、海岸沿いに曲がりくねってはいても、概ね平坦で、ほぼ完ぺきに整備された道路が続き、街道沿いの民家も、家々の豊かさがしのばれるかのごとくに整っていて、本州などでは頻繁に見かける「人が住まず、今にも潰れかけているかのような古びた民家」などは、全くと言っていいほどに見かけなかった。

全てが美しく整備された日本の豊かさを象徴するかのような島内風景でした。

②その理由は、この島が、その位置関係として、大陸・朝鮮半島と九州・瀬戸内海航路との中継点で、原始の昔から、縄文時代・弥生時代・飛鳥時代・平安時代・・・と続いた長い時代を通じ、交易の重要拠点として栄え続けたその特徴・長所が、今の時代にも生き続けているのではないかと推測します。

その長く栄えた交易の歴史を如実に物語る「壱岐の国博物館」は、これまた豊かな日本を体現するかのような、ユニークで立派な4階建てで、中には大きな円形のシアタールームがあるばかりか、観客達にサプライズ:驚きを提供する趣向で、スクリーン全体が次第に降りていくや、丘の下に広々と広がる緑の農地の一部に、2,000年前近い原始時代の高床式の住まいが点々と広がる様子が見える・・・と言ったものでした。

③この島の位置関係のみならず、更には、島周辺の玄界灘という豊かな漁場関連の産業から得られる多くの収穫が、この島民を豊かなものにしているのではないかと思われます。

④以上のことから、交易の重要性が改めて認識され、そのための異民族・異文化間の平和な交流がいかに大切かということを再認識しました。

CJA日本語学校・理事長 岡村寛三郎
政府2省認可:協同組合クラブ・メデカルツーリズム・ジャパン





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