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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第11回市民講座の報告(2-1)

2017-07-02 08:30:58 | 集会・学習会の報告
第11回市民講座の報告(2-1)
 
 
 2017年3月4日、第11回市民講座を行いました。講師は大分市の医療法人財団天心堂の会長である松本文六医師、講演タイトルは「医療制度“改革”と、いのちの切り捨て」です。
 40名ほどの参加でしたが、会場は熱気でいっぱいでした。78コマもあるパワーポイント資料には、天心堂の理念や歩み、地域包括医療にかける思い、そして核心は2006年の医療制度「改革」から始まった「医療崩壊」と国民のいのちの切り捨てについての具体的な数字や状況が、提示されます。この膨大な内容を、力を込めて講演して頂きました。
 なおパワーポイント資料は抜粋して一部のみ掲載いたします。
 
 
 
講演録
 
 
脳死移植法を問い直す市民ネットワーク 第11回市民講座 2017年3月4日 東京
医療制度「改革」といのちの切り捨て
 
 
 始めたいと思います。
 医療制度改革、川見さんの提案では、「 」(括弧)がなかったのですが、改悪ですよね、それで括弧をつけました。いのちの切り捨て、医療制度改革といわれるものが全て、いのちの切り捨てに繋がっていると思います。
 皆さん方、医療制度についてはなかなか目に入らない、新聞報道でもよくわからないことがいっぱいあると思います。概略お話したいと思います。
 ここ10年間の医療制度「改革」、皆保険制度の大きな問題点、適正化などは、要するに医療費の抑制という意味です。本来ならば、社会保障制度はどうあるべきかということ。それから、“脳死”臓器移植と医療費の問題。最近、特に国の方から終末期医療をめぐってのいろいろな問題が出されております。又、尊厳死法案が出て、それが駄目になったわけですけれども、その当りについて触れたいと思っております。
 
 
Ⅰ 自己紹介
 
 病院と診療所と、老健、在宅総合ケアセンター(訪問看護・訪問介護)、健診センター、有料老人ホームをつくっています。職員数600名を超してます。
 これが現在の病院です。病院らしくない病院ですが、そういうつもりで造りました。右の写真は、最初の病院で、今診療所になっています。これは従来の病院と変わらないですね。私は新病院を造る時に、病院というのは収容所だなと思って、そうでないような病院にしたいということで、《病院らしくない病院》という建築コンセプトで造りました。
 左下が老健陽光苑、又右下の写真は、へつぎ病院から36キロぐらい離れた所の診療所と老健です。ここの地区に医者が少ないので、ぜひ来てくれと、町長・助役・収入役の3人が来て、診療所をつくってくれと要請されました。天心堂はお金がないからどうしようかと迷っていましたら、一人の医者が「俺がここでやってもいいよ」というのが出たので、役場の傍のタバコの乾燥場を取り壊すというので、そこを借りて診療所を始めました。だんだん雨漏りがするので止めようかということになっていたのですが、また一人、「やってもいいよ」という医者が出てきたので、2006年にここを改装して新しくしました。
 天心堂は社会医療法人です。医療法人というのは、要するに医療機関の会社組織です。日本全体の病院というのは、だいたい8500あります。1990年頃には1万ぐらいあったのですが、ずいぶん減りました。社会医療法人はより公益性の高い医療機関として認定され、現在全国で約300病院あります。私どもはすべてを地域に寄付しました。 
  
 大雑把に言いますと地域包括医療ケア、病院・外来・サテライト診療所・老健・在宅医療があるので保健医療福祉複合体の少なくともゆりかごから墓場まで診れる医療機関です。天心堂にかかっておれば、何とかなるだろうという安心感を地域に提供するということです。基本理念としては、患者さんのいのちと人権を尊重し、ぬくもりのある医療・介護・福祉を提供するということでやってきております。
 大分県大分市の南西、中心街から13キロにあります。患者さんの殆どはこの地域の方々で50%くらいを占めています。
 
 

Ⅱ ここ10年間の医療制度「改革」の流れ
 
 日本の医療制度の最大の改悪の最初は小泉政権時代です。小泉政権が「骨太方針2005」を閣議決定して、具体的に2006年度より5年間に亘り医療費総額を1.1兆円圧縮するということをやりました。この頃までは自然増が年間1兆円ぐらいありました。それを5年間に1.1兆円、1年間に2,200億円に圧縮するという方針を出しました。
 これが医療界には大変な負担になってきて、医療崩壊を起こしました。基本的には医療費を抑制するということです。介護報酬は4.7%大幅に切り下げ、診療報酬は3.16%切り下げたわけです。健康保険制度ができて一番の大胆な切り下げです。こういうことで医療崩壊が起こったわけです。もちろん、医療崩壊の理由は他もありますけれども。
基本的には医療政策の朝令暮改的な、マスメディアの過度にして不正確な医療事故報道などによって、勤務の過酷さに耐えきれず、マイペースで私生活と診療が選択できる開業医へと。この年に2006、07、08年ぐらいに、勤務医を辞めて、開業した人が多かった。そのために、病院が一部閉鎖されたり、診療科の縮小、閉科が起こったわけです。これが全国的に起こった医療崩壊です。
 とりわけ地方の中小病院が一番打撃を受けたわけです。まず絶え間のない医療費の適正化政策、第二に医師数の制限でした。後者は1983年に厚労省の局長が言い始めて、それから医療制度の改悪が始まったと言っていいと思います。
 市場経済原理の導入というのは、骨太方針2005、2006で医療費を減らし、しかも診療報酬に市場原理を導入したということです。
 具体的には、入院一日当りの費用を看護師の数を基準に決められたことです。いわゆる7対1看護です。そのため大病院から中小病院の看護師の引き抜きがあって、看護師さんが現場からいなくなります。医者の過重労働が起ります。それで病院を辞めて、開業する。中小病院から医者がいなくなったのです。こういう形で医療崩壊が起こったことになります。
 地域の病院が閉鎖されると、地域の崩壊になります。現実的に少しずつ進行しました。
他方、卒業した医者の臨床研修制度が2004年から始まりましたが、このことも関連します。医学生は医者になりたいということで医学部に来ています。ところが約半世紀前から大学医学部は、研究至上主義なんです。具体的に言えば、インパクトファクターと言って、英語論文で、サイエンス、ランセット、ニューイングランドジャーナルメディスンといった有名な医学雑誌に載ると10点ぐらいあげるとすれば、日本語は1点しかやらないという形の教授選考システムです。教授になりたい人は、そういう論文が必要なのです。インパクトファクター、点数が高くなるのは、動物実験が中心ですね、臨床じゃなくて。そういうことが、40~50年続いています。私が学生の時、九大の一外科の教授選があって、新しい教授ができました。その教授は13年間手術をしたことがないと。それが外科の教授になるということです。そういう意味での学生の教育は本当にいい加減です。
 2004年の卒後臨床研修が始まった時に、大分大学は、大学で研修するのは100人のうち3割。弘前大学は11%だったです。これまでは、教授・助教授は若手に下請けの研究と臨床をさせるわけです。だから2年間の研修医がいなくなると、大学の診療が困るわけで、中小病院から医師を引き揚げるわけです。そうすると医師が偏在して、中小病院の診療科の閉科、偏在が起こってきたわけです。
 
 92年に、私は4メールぐらい高い所から落ちて、事故に遭いました。その時に、もしかしたら開胸しなければいけないと大学病院へ送られました。そこで、肋骨数本と心臓周辺の血腫、左の膝蓋骨、右の踵骨を折って大学病院へ運ばれました。肋骨数本折っていますから、笑っても咳をしてもものすごく痛い。最初、酸素の血中濃度が半分くらい下がっていたので、酸素を入れながら行ったわけです。当然酸素濃度が上っていたわけです。しかし、着いたとたんに血中の酸素濃度をみて、抜いていいということになり、抜かれました。そうしたら次の日苦しくてしょうがない。看護師さんが来たので、酸素つないでくれませんか、と言ったら、「私どもにはそんな権限はありません」と。だって大学だから医師はいっぱいいるでしょ?と言ったら、「知らないんですか? 大学病院は無医村です」と。みんなアルバイトに出ていないと。笑うにも笑えないようなことを体験しました。
 研修医が大学から6~7割いなくなれば大学病院は困る訳です。江戸時代に農民が“逃散”したという言葉がありましたが、それと類したことがこの時起こったと思います。大都市に集中して若手が行ったということですね。そのため、中小病院に派遣していていた若手医師を引き揚げたために医療崩壊が起こった訳です。
 第二に絶え間ない医療費適正化政策です。つまり、社会保障費の圧縮、医療費の適正化政策が2005年、06年、07年に起こった。それ以前、2000年頃に、急性期特定加算というので、特別な条件が揃えば診療報酬をあげるというのがありました。ところが4年後ぐらいで、それがバサッと止められました。その途端に、天心堂へつぎ病院は年間5400万円マイナスです。それだけで。そういう乱暴なことが次々と現実的に起こっている。それが医療崩壊の基盤となっていたわけです。
 三つ目に医師数の制限。83年に厚生省がそういう方針を出しました。医師を増やさないという。結局地域の病院が疲弊してきたということで、2000年代になって医学部の定員増をしました。しかし、大学は臓器別医療が進んでいる。循環器の教授、腎臓内科の教授、というふうになっていますから。
 私どもの病院に若い医者が赴任した直後に救急を断るんです。なぜかというと、例えば腎臓内科の医師が大学からアルバイトに行くとすれば、腎臓に関係する所にしか行かないわけです。10年、15年経っても自分の専門領域は詳しいけれども、ちょっと外れると診れないということです。
 私どもは、いろいろなことを診てきて内科も小外科も整形外科も少々出来るようになったわけですが、今の若い医師は、専門領域しか診ようとしない。それが全国的に今、問題になっています。私は2400ぐらいの病院を組織している日本病院会の理事をしているのですが、理事会に出ればそういう話がたくさんあります。だから、病院の中で総合診療医を養成すべきだという意見が出されています。今、専門医制度が検討されていますが、どういう形になるのでしょうか? 地域医療が崩壊しない仕組みを組み込んで欲しいと思います。

 7対1看護という診療報酬制度ができました。一人の看護師が24時間の間に7人の患者を看護するということ。10対1は一人で10人。13対1は一人で13人。7対1だったら、10対1と比べると100床当り年間1億円ぐらい収入が変わります。そういうことで、これに最初に気づいたのは、東大、京大。一番激しかったのは東大で、全国1千ぐらいある看護学校の中で500ぐらい回って、東大に来ませんかと。北海道の田舎の看護学校に行って来ませんかと言ったら、北海道で看護学校に行っていますと、東京に行くことだってかなわない、あるいは公務員になることにもかなわないということですから、誘いに乗ってすっーと行くわけです。そういうわけで全国的に中小病院の看護師が少なくなった。新卒看護師の引き抜き合戦ですね。これはすさまじかったですね。
 
 私どもの一つの病棟の例です。ピンクのところが正看護師で、黄色のところが准看護師、ブルーのところが新卒看護師。7対1看護、看護師が何人いるかによって、一日の入院基本料が決まります。7対1が始まる前は、天心堂は全員正看護師だったんです。これが始まって看護師が大学とか、県立病院、大きな病院から引き抜かれました。しかも中堅クラスを引き抜かれた。だから、経験年数が少ないのがいっぱいです。指導クラスが引き抜かれたので、現場は混乱して、これから3年ぐらいは看護師の退職率は30%を超しました。

 こういうことを医療政策によってやられると地方の病院は大変です。収入を減りますし。最たるものが7対1入院基本料。今になって国は7対1を少なくしようとしています。

 介護保険にも市場原理が導入されました。入所者の食事費と居住費の自己負担。そしてマイナス評価する場合には10%の減算。要支援1・2、介護予防というところで、できるだけサービスを低下させろということが出たわけです。結論的には「軽度の傾斜化」、これは軽度の方にできるだけ介護認定をもっていけ、介護切りをするというのが、基本的な方針となったわけですが、審議会の中で大反対にあって、利用者目線の常識ある発言が国の決定を覆したそうです。
 
 2010年、民主党の政権の時に、政府与党社会保障改革検討本部というのをつくった。社会保障・税一体改革、社会保障制度改革推進法というのが、ここまで来ていた。ところが、この時に初めて、人の最終段階、終末期医療が初めて出てきました。それまでは終末期医療のことは審議会等ではほとんど問題にならなかった。というのは、審議会の先生方は大学の先生ばかりです。超高齢少子多死社会になっていることを理解できていないから。それで、一部の人からこの問題は大事だからしないといけないのではないかということで初めて、終末期医療の問題が2012年に出てきました。
 しかし、2012年12月から政権が代わりしました。そうすると民主党の時の社会保障・税一体改革が全く骨抜きになりました。そして2013年に社会保障制度改革国民会議報告書が出ました。内容としては、提供体制の改革。これは改悪ということですが。地域包括ケアシステムの構築。それから国保の都道府県化。都道府県で全部、今まで国がみていたのをやりなさいということになったわけです。

 その後、プログラム法、医療介護総合確保法ができました。プログラム法はほとんど説明のないまま来ていました。プログラム法は最初医療関係者もよくわからなかった。医療介護総合確保法というのができて、書いていることはまっとうなことを書いていますが、中身は改悪する方向です。
 それから2014年8月には、医療介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会ができて、医療機能別病床数の推計及び地域医療構想の策定、これが現在、去年、おととしから進んでおります。後で述べます。
 2015年6月30日は、経済・財政一体改革推進委員会がつくられました。これで完全に民主党の構想は骨抜きにされました。
 経済・財政諮問会議の議長は安倍首相です。経済・財政一体改革推進委員会の会長は新浪といってサントリーの社長。会長代理の伊藤元重は、東大経済学部の名誉教授。
 経済・財政一体改革推進委員会の中で4つのグループにわけて、社会保障ワーキングの主査は榊原定征といって経団連の会長。社会保障のところにこういう人を据えているということ自身が本質を現しています。経済・財政一体改革推進委員会の14名の委員の中で医者は一人です。松田晋哉さんは公衆衛生です。臨床家ではない。社会保障ワーキンググループは、経団連の会長、産業医科大学教授の松田さん。他には医者は入っていない。そういうところで医療を考えるというのは、見え見えですね。
 
 社会保障分野は、入院・外来医療、薬剤を検討することになっていますが。榊原主査は何と言っているかといいますと「2017年度予算の社会保障関係費の伸びは5000億円以内と抑制すべきである」と。これは去年の10月ですね。今、5000億円を、2016年から始まっている3年間、それぞれ1年間に5000億円を圧縮するという、3年間で1兆5000億円圧縮するということですね。これは小泉政権の1兆2000億に次いで大幅な社会保障費の圧縮。だいたい自然増は1兆円を毎年ちょっと超えていました。それを半分にするということですから、大変です。また医療崩壊が再来するのではないかという気がいたします。
 
 
 
Ⅲ 皆保険制度の大きな問題点
 
 これが、一人当たりの医療費が国保の中でもこんなに違う。一人当たりの保険料も高いところと低いところが4.8倍もある。医療費は3.6倍。国民健康保険は地域によって違うので格差が出ている。
 国保は、2008年のデータで、2000万世帯の20%が滞納世帯、5分の1が。だから、ちょっとした風邪では市販薬で済ませると。資格証明書世帯と短期被保険者証世帯。にっちもさっちもつかなくて肺炎がひどくなったという時に、資格証明書をもらうと、後で払い戻しがある。だから、滞納世帯が20%もあります。その中の人たちは生計が苦しい世帯なんです。
2001年から10年の間に給与所得が下がってきています。国保には、非正規とか無職とか高齢者が入ってくる。1965年度と2012年度を比べると無職・高齢者が増える、非正規も増えてくる。だから国保が破綻しつつあることは間違いない。収入が非常に少ないですから。そういう問題があります。
 大企業の健保組合をみますと、保険料率はこんなにばらつきがあります。私は、応能制にして、給与が同じであれば保険料率を一緒にすればいい。こういうところは企業も金を出さない。だから、そういうことも含めて健康保険制度全般を見直さないと。だけど、こういうことが病院団体で話されることはほとんどない。私はシンポジウムでこういう問題を出すのですが、ほとんど、他の理事さんは知らない人が多いですね。
 保険料率、下位10組合と上位10組合をみますと、被保険者の負担分、平均総報酬額、こういうふうに保険料率が低いところは、給料が高いと。こういう格差が歴然としている。
 2014年のデータで、国保の保険料は8万3千円ですけれど、一人当たりの医療費は31万円。協会けんぽの一人当りの医療費は16万円で、健保組合と共済組合のそれは14万円で、国保の一人当りの医療費の半分以下です。後期高齢者医療制度は、高齢化でいろいろな病気が出てきますけれど、約92万円です。保険料は6万7千円ですが。こういうバラツキが非常に大きい。これは社会保障の基本的な考え方が、小手先でいろいろなことをやっているからこういうことが起こってきています。
 協会けんぽは中小企業ですね。組合健保というのはトヨタとか日産とかそういうところですね。2003年頃は賃金格差が約150万円もあるが、保険料率は高い。2011年の時も給与の差がある。保険料率も1.5%も違う。したがって、中小企業の人は保険料をたくさん払っているということになります。
 
 日本の患者負担率が先進国で一番高い。むしろアメリカの方が低い。アメリカは公的保険で、低所得者と高齢者に、そこに公的保険が投入されている。アメリカの状態というのは「シッコ」という映画があるのですが、観るとよくわかります。普通の人たちは民間の保険です。保険料がAからZまであるとすると、Zの人は入院3日で追い出される。「シッコ」では、カリフォルニア州立病院に入ったお年よりが強制退院で、行き先がどこかといいますと、慈善団体の前で降ろされるというような状態です。「シッコ」を観るとアメリカの医療の実態が非常によくわかります。
 それから国民負担率、税と社会保障の負担割合ですね。資産とか全部足したものを先進国で比べると、アメリカは民間保険が中心ですから比較しようがないですが、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンを比べると圧倒的に少ない。資産課税、法人所得課税、個人所得課税は、先進国に比べて非常に低いですね。民主党の時は、所得税の累進課税を見直すという方針が出ていましたが、2012年の安倍政権になって、とたんに抹消された。
 それから、消費税の本質は低所得者ほど負担が大きいわけです。消費税を社会保障の目的税にすること自身は、貧乏人が貧乏人をみるシステムにつくっているのと変わらないと思います。
 1989年に消費税が導入され、1997年に5%上った。ところが他方で法人税と所得税の率を下げたわけです。消費税の税収は、法人税と所得税の減税に全部使われてしまったということです。からくりとしてはそうなっています。現在もそうなっている。この間消費税が8%に上がって、法人税は下げられました。大企業重視ですね。そういう意味では、私は消費税を社会保障目的税とすることは凍結して、所得の再分配を行い、持続可能な制度を創造することが必要だろうと思います。
 それから、同一賃金、同一保険料にしないと破綻しますね、皆保険といわれるものが。国民負担率をEU諸国とフランス、イギリス、スウェーデン、ドイツと同じレベルにする必要があるのではないかと思います。
 
 

Ⅳ 最近の医療・介護費 適正化(抑制!)の具体例
 
 とにかく、抑制、抑制、抑制になっています。悪名高い7対1をみてみます。
 左端が平成16年です。2004年です。病床はこうなっています。平成18年の改定率を計算する際に、暫定的に病床の転換、7対1が導入されました。10対1から7対1になれば、100床当たり年収1億プラスになるということが、あちこちで検討された。特に東大なんかの大学病院や大病院で7対1が増えた。そうしますと、平成22年、2010年の急性期病床はぐんと増え、受け皿病院の病床数は、ここのところがぐっと細くなりました。ワイングラス。受け皿病床が急減して、急性期の病院だけが増えています。7対1であれば、看護師を増やして人件費を払っても利益が出ます。一気に急性期病床が急増しました。急性期はこんなに要らない。
 だから、「単に診療報酬の配分によって対応するということでは行き過ぎた医療提供体制の変化をもたらす可能性があり、まず、医療法改正による病床の適切な区分の設定などによる実効的な規制手法を講じることが不可欠。」であるというのが財政制度審議会、2013年にそうなった。
 7対1が増えた。だから減らそうということになった。それで出てきたのは、地域医療ビジョンということですね。
 
 
 これは大分県のケースです。大分県は18,855床あるわけです。それを2025年は14,568床に減らせというのが、新しく地域医療ビジョンということで、法律でそういうことを出してきたわけです。そうすると高度急性期はこれくらいで、急性期、回復期というのはリハビリとかですね。特に大腿骨頚部骨折とか、整形外科、あるいは脳卒中のリハビリ。そういう意味で現在大分県でも回復期が少ない。7対1で病床が増えたというのは、それで利益を上げるために、急性期が増えた。現実的にはそこまで要らないだろう、これくらいでいいだろうと、国の方針で計算するとこれくらいになりますよということなんです。だから4200くらい削れということです。これは大変な数字になりますね。これは大分県だけでなくて。全国的に病床数を減らすということになっています。
 それで国は在宅医療の方にもっていこうとしています。在宅は税金をあまり使わなくていい、医療費が安く済むということで、そういう方向にもっていこうとしています。だから、2014年から10年の間に4,200床も減らせといっても、地域の病院というのは200床以下が多い。地域の200床以下の病院は全体の病院の7割を占める。審議会は大学の先生ばかりで地方のことを全く知らない人の中で議論をしていますから、こういうことが簡単に出てくる。
 これからの高齢社会とは、ということで、急性期医療を必要とする患者が増えて、がん、脳神経疾患、心臓病に対する、急性期病院においては何らかの確立が必要だと、そして、継続的な医療を必要とする患者、生活習慣病、看護ケア、リハケア、ADLケア、日常生活動作ですね、必要とする患者が増えると。在宅ケアを支える仕組みが重要となるということで、方針がガラッと変わったということですね。
2017年2月、介護保険関連法改正案が閣議決定されました。つい最近ですね。大企業の人はもうちょっと金を出していいのではないかということで、高くなります。年収340万円以上の高齢者の自己負担を、今2割ですか、それを3割にすると、それを完全にすると。2020年度には1300万人が対象となるということです。そういうふうに閣議決定に大幅に変わってきます。私どもは追いつかない、こういうのが次々と出てきて。
 療養病床の受け皿施設を新設、これはどういうことかというと、有床診療所を療養病床にしようということですね。そういうような新しい動きが出ています。
 
 

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第11回市民講座の報告(2-2)

2017-07-02 07:22:48 | 集会・学習会の報告
第11回市民講座の報告(2-2)
 
 
 
Ⅴ 本来の社会保障制度はどうあるべきか

 本来の社会保障はどうあるべきかということを考えておく必要があるのではないかと思います。
 日本がなぜ長寿世界一を達成できたのか、現在、女性が86歳、男性が80歳、平均寿命が。安い医療費でここまで達成できたというのは、国際的に評価されています。日本の皆保険制度。それができたのはなぜかということはマスメディアで取り上げられることはないのですが。要するに、診療所、中小病院、大病院というのが役割分担を自動的にしていたということ。例えば、診療所で診れないから、A病院で診てくれないかと、地域の。A病院はこちらで受けましょうということになる。ところが診療所から送られてきたがうちの病院では難しい、例えば、血液疾患などでA病院で受けるのは難しいということになったら、大病院に送りましょうということになる。地域のA病院の診療内容についてだいたい見当がつきますから、ここに送ってもしょうがないということになれば、大病院に直接送るということになる。
 中小病院がそういう意味で、トリアージ、災害医療の時に、助かる人を優先して、ちょっとこれは駄目だという人はすぐ手をそこにのばさないというのがトリアージですね。そういう機能をもっていた。そういうことが長寿世界一に達成できた要因だろうと思います。
 ところが今、中小病院をつぶそうというような形の政策がいっぱいとられています。先ほど言いましたように医療崩壊というのは中小病院ですよね。あるいは医療保険を3年間にわたって毎年5000億円圧縮するということになると、また中小病院が打撃を受ける。大病院は生き残らせるというのが基本です。
 大病院は医者が天から降ってくるようなものです。例えば、大病院の医者が一人辞めれば、大学から一人派遣すると。だけれど、中小病院が一人辞めても大学から全く派遣しないということですね。そういうような問題があって、国は大病院重視の方向で動いていますね。
 

 それから一般会計の歳出ですね、これはワニの口というんですね。これが益々開いている。だから、税金、所得税などを上げることによって、ここを狭めなければ財政的に破綻するというのが見えているわけです。下あご・税収が上がらず、上あご・歳出が開き続ければ生きていけない。下あごをあげ、上あごを押さえ閉じなければならないと生き続けられない。しかし、国は下あごをあげずに、税収をあげずに歳出を抑え続けることしか考えていない。歳出の目の仇にしているのが社会保障です。

 社会保障費に関する国民の意見をみてみます。これは、インターネットアンケート調査で、三菱総研がやっているものです。「社会保障の給付水準を維持するための負担増を容認するものが5割弱」、「ある程度の負担の増加はやむを得ない」と「大幅な負担の増加もやむを得ない」を合わせると50%です。「給付水準をある程度下げても従来どおりの負担とすべき」という意見が21.8%。給付水準をある程度下げるというのはどういうことはわかりませんけれども。「大幅に引き下げて、負担を減らすことを優先すべき」という意見が14.4%で合計36.2%です。
 やはり大多数は一定の負担はやむを得ないと言っているわけです。それを個人に負担させるのではなくて、国としてどうするのか考えてほしい。
 高齢者と現役世代のギャップ。よく国の審議会で、健保連がよく言うのは、若い世代が負担ばかりしてから、高齢者の負担までする必要がないというようなことがあるのですが、実際のアンケートでは、「高齢者と現役世代双方の負担の増加はやむを得ない」は約52%ある。「高齢者に現在以上の負担を求めるべきではなく、現役世代の負担の増加はやむを得ない」という意見が15%、計67%です。しかし、「高齢者の負担増加はやむを得ない」という意見の人が22.3%あります。世間の人はそういうふうに考えて、高齢者に対してきちっとしなければいけないと思っている方が結構多い。国は67%に対して全く正反対の22.3%の方のことを言っています。安倍政権なんか特にそうです。
 「今の社会保障制度が安心できますか?」というのは、あまり安心できないが44.6%。安心できないが28.0%。完全に70%を超えています。安心できない社会保障というのは、意味がない。

 在宅医療、在宅医療ということを言っていますが、「在宅での医療・介護に賛成する最も大きな理由は何ですか」というのは、住み慣れた自宅や地域で生活する方が安心だからと半数を超しています。医療や介護の財政を維持する必要があるからという意見が30.5%あり、そう意味で国がやっているんだろうと理解を示しています。
 「在宅での医療・介護に反対する最も大きな理由」は、家族に過重な負担がかかるから、確かに共働き家庭だったら、在宅介護をしようとすれば一人が仕事を辞めるというケースも結構あります。家族に過重な負担がかかるからというのは50%を超えています。それから、在宅での治療、介護には不安がある。今、一人暮らしというのが非常に増えています。一人暮らしになると、在宅での治療、介護には不安があるということです。それから夫婦二人、今、老夫婦二人というのが増えています。家族構成が破綻してきていますから、時代的に。そうしますと、夫の方が調子が悪くなった時に、妻の方が大変不安になるということです。そういうようなことで、こういうデータが出ていると思います。それと、やっぱり、在宅医療の認識というのは確かに、病院や介護施設でのサービスというのを過度に期待しているというところもあると思います。それが結果としてはこうデータになっているということです。

 ところが社会保障の問題は、元財務省の役人だった武田知弘さんが「税金は金持ちから取れ」という本を出しています。その本を見ますと、所得が1億円の人の1980年と2010年の税率の違いですね、所得税は75%だったのが、今は40%、住民税も低くなっています。合計の負担額は金持ちは88%負担しなければならなかったのが、今は50%なんです。相続税の最高税率は、だんだん下がってきています。そういうような現実があるわけです。
 武田知弘さんは、1億円以上の資産に1%の富裕税をかけた場合には、少なくとも年間20兆円税収は増えるというのです。消費に与える影響は全くないわけですね。だって、1億円以上の資産を持っている人は裕福ですから、ほとんど消費には影響ないと。格差の改善には役立つ。消費税を10%に引き上げた場合には10兆円しか税収は増えない。今の健康保険制度を消費税で賄うとすれば、20%から23%に上げないと賄えないというのです。だから、社会保障目的税にするということ自身は破綻しているわけです。消費税率10%、格差の拡大という問題が起こると。武田知弘さんは、そういう意味では富裕税を設けたらどうかと、戦前には富裕税があったらしいですね。
 
 大きく時代が変わってきているのは、90年の人口ピラミッド、こういうことです。90年頃は、医療機関も治すこと、救うこと、そこに主眼の医療でした。ところが、現在の人口構成はこういうふうに変わってきています。そうすると、高齢者に対しては癒すこと、抱えて生きること、支えること、看取ることです。治すこと、救うことが非常に少ない。むしろこちらの方が大事な医療になってきています。多くの病気を治せなくなっているわけです。こういうふうに人口構造も大幅に変わってきている。2050年ですけれども。医療機関も発想を転換しないと生きていけないような時代になっています。
 
 
 国際経済学者の宇沢さんは、『医療という人間の営みの中で最も神聖にして、最も人間的な行いに対して、利潤追求動機に基づく市場原理の適用ということは、経済学の中ですら論外。』『社会的共通資本としての医療を考える基本的視点は、医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせることである。』、こういうことを言っています。今の経済界は、経済に医療に合わせるということですね。先ほど、経団連の会長が、社会保障ワーキンググループの主査になっていること自身、象徴的ですね。
 東大の名誉教授になりましたけれど、神野さんが『人間の欲求には、NeedsとWantsがあり、医療はNeeds、後者は市場原理主義や“自己責任”主義が入ります。本来本質的に異なる。』と。「人間回復の経済学」の中で、『人間のために社会があり、経済があるのであって、経済のために社会があり人間があるのではない』というふうにも言っていますが、こういう考え方が、もうちょっと拡がらないことには、今の安倍政権で3分の2ですね、何でもかんでも法案を出せば全部通すと。この構造を変えないことには、この神野さんが言われている『人間のために社会があり、経済がある』という時代が来ないと思う。

 私はこういうふうに考えています。医療を社会的共通資本として位置づけて、評価する。累進課税の税率の見直し、その一部を医療・介護に投入する。医師の数を人口10万人当たり400人以上に増員する。専門医制度を見直す。今、専門医制度が見直されていますけれど、大学の復権を目指すような専門医制度では駄目です。新卒の卒後臨床医制度の中で新卒の医学生が大学から逃げ出したというのは、病気を治す医者になりたいのに、研究の下請けをするのが嫌だということですよ。その大学が復権を目指しています。大学もずいぶん後れているようです。専門医制度というのは、先進国の中で日本が一番後れているようです。専門医の数を日本の疾病構造に合わせてそれぞれの専門医領域の医者の数に定数を設ければ、まず質が上がります。例えば、脳外科300人とすれば、そこに500人応募すれば、みんな勉強しなければならないですよね。そういう意味で定数を設ける必要があると思います。
 私は、医療機関を適正配置する。適正配置のことについては、結局、憲法第13条の職業選択の自由だから駄目だと言うお偉方がたくさんいるのですが、よくよく第13条を見ると、“公共の社会福祉に反しない限り”という但し書がちゃんとついています。小中学校の先生はどんな僻地にも行っています。医者も適正配置をしないと、医療費も抑えられないです。

 表の中の7は補助金を公的病院だけでなく、民間病院にも出しなさいということです。公的病院は統廃合していいのではないですか。公的病院の方が非効率、そういう問題点はあります。
 先ほど言った高度急性期、急性期、回復期、慢性期というのは、こういう分け方は単純ですが、すっきりすると思うんですよ。高度急性期というのは三次救急救命センターで、心筋梗塞、脳卒中、重度の交通外傷、職人的技術が非常に高い分野です。がんはすぐにしないといけないということではなくて、何日か置いても構いません。心筋梗塞は即、心臓カテーテル検査とかをしなくてはならない。こちらはそこまでの迅速性はない。500床以上の大病院は、こういう役割をもたせたらどうかと。地域の一般病院には、急性期ですね、比較的重症度と職員的技術度が低い。回復期、慢性期と、こういう分け方をして。
 先ほどの病床数を減らすということですけれども、70%は民間なんですよね。民間は、自ら銀行から借りて、投資してやっているのですから、病床数を減らすというのは、強制的に減らそうというのは問題があるのですね。資産を国が取り上げるというのは。そういう意味では、もう少し地域の実情に見合った分類の仕方の方が良いです。
 
 表の左側は総合診療医、専門医主体。専門医教育が過度になっているので、非常に問題です。この間、若い医者に言ったのですが、「あなたたちこの病院に残っていても管理者になれるのは一人しかいない」と。「あとは定年が来たらどうするのですか」と、「開業しなければいかんですよ」と。「人生長いのだから、65で定年になっても、一般の病気を診れるようになっていないと。俺は消化器しか診ないと、腎臓しか診ないと言ったら、患者さんは来ないよ」と。今の開業医の先生は、内視鏡と超音波ができるようになっています。だから、専門医教育の弊害というのは大きいですね。
 
 “オレゴンルール”というのがあります。アメリカの衛生局の玄関にこういうことが掲げられています。「いつでもすぐ診てもらえる。質の高い医療が受けられる。安価な医療。」。これはまさに日本の健康保険制度と言えるのですが。「人々は以下の3つのことのうち2つは自由に選択できるが、3つとも求めることは不可能である。」と衛生局に掲げられているそうです。今の日本の状態から言いますと、今まで認められていた3つの要件が日本の保険制度ではなくなってくるだろうと。安価な医療といわれるのは、最近、皆さん方、新聞で見たと思うのですが、オプシーポという薬を一年間を続けると3500万円ぐらいかかる。こんな薬が出てくると医療保険が破綻するということで、1g72万円を半額に、36万円まで厚生省は下げたと出ていましたけれども。
 2005年くらい、小泉政権ができた頃から、とにかく医学というものが急速に変わって来ています。そういう点もありますし、オプシーボという高い薬が出て、これが使えなくなるという問題が、日本の社会保障制度につきつけられていると言えると思います。
 
 

Ⅵ “脳死”臓器移植と医療費の問題
 
 “脳死”を前提とした臓器移植は13年間で86例、不適が2例あったと思います。移植に適さなかったと。改正法実施後、2月22日まで、先ほど川見さんが言われていたいろいろな合計ではなくて、これは臓器提供は434例で、改正前と改正後で4倍に増えています。移植件数が1896件、心臓が324、こういうふうになって、生存率が92%ですね。こういうデータが日本臓器移植ネットワークのホームページに載っていました。
 今、保険の適用になっていますよね、保険の適用になる前に“脳死”下の臓器移植医療の医療費総額を厚労省に聞きましたが、あまり詳しく教えてくれませんでした。阿部知子さんの事務所を通して聞いてもらったけれど、詳しく教えないです。手術の費用というのは、一人当り2億円を超していた。これは保険に適用されていないからそういう額になっただろうと思う。今はチャーター機の費用は療養費から出るそうです。チャーター機の費用は200万から500万ぐらいらしいです。これも療養費払いで患者負担は少ないです。それぞれ移植術、それから摘出術、摘出して移植するということになりますから、こういう形で値段が決まっています。
 心臓移植だったら、約250万円です。腎臓移植は約140万円。ところが心停止の方が高いのです。心停止後の腎臓移植は約180万円と高いです。心停止後の腎臓移植が少ないので多くしようということを腎臓の専門家が言っているのですが。なぜ心停止の方が高いのか、よくわかりません。
 心肺同時移植が一番高くて約380万円です。移植費と摘出費、それ以外に当然、治療費、その後のフォローがありますから、一人当り、チャーター機を入れると1千万円ぐらいは確実にかかっていると思います。
 
 私が外来で6~7年前に、開業医から心電図がおかしいから診てくれと患者さんを送ってきました。来られてすぐに心電図と胸の写真を撮ったのですが、そんなにおかしいことはなかったので、24時間の心電図をとりましょうと言いました。24時間の心電図をとると何か出てくるかなと思って。その患者さんは言いました、その時は6月だったのですが、「先生、11月まで待ってくれ」と。最初意味がわからなかったですね。どうしてなのと聞いたら、「ふところが寂しいのです」と。24時間心電図は1万5千円かかる。1割負担だったら1500円、3割負担だったら4,500円。「11月になれば70歳になる。そうすれば1割負担になるのです」と言われた時はびっくりしました。そうかと思って。その間におかしくなったらどうするかと思って患者さんに言いました。胸の違和感があったら、もう救急車で来なさいと、金の問題はどうかするからということで帰したのですが、幸いなことに11月まで何もなくて、その後の24時間心電図でも異常はなかったです。
 患者さんの懐具合はますます厳しくなってきています。非正規という形で所得が少なくなってきている。時々、外来で、高齢者が「この薬、もういいかな」と言うんですよね。必要な薬と思うのですが、そういう時に、後で気がつくのですが、懐が寂しいのだなと。そういう人は結構最近出てきていますよね。うちの病院で診療していると。
 だから、私はこれだけの金をかける必要ないと思うんですよね。

 新しい臓器移植法ですね、最初1997年の臓器移植法の時は、阿部知子さんと一緒に一生懸命にやったのですが、まさか改正臓器移植法で根本から覆されるとは思ってもみなかったです。脳死判定で、臨床的な判定で可と言うのです。これであなたのだんなさんは、これ以上の治療は出来ませんよと言った時に、その後にどう言うかというと、臓器移植ネットワークの方を呼びましょう、説明を受けますかと聞くわけですよ。だいたい愛する人がそういう状態になったら、奥さんは頭真っ白ですよね、そういう時に医者が臓器移植ネットワークの話を聞きますかと聞いたら、自動的に「はい」と答えます。間違いない。頭が真っ白くなるという意味は、経験がないのでわかりませんが、うちの職員の結婚式の時に、新郎の上司が挨拶に立った。最初だからみんな注目していた。2分ぐらいだったかな、一言も発せずに席に着いた。それで宴たけなわの時に、どうかされましたか、と聞いたら、「いや、頭が真っ白で何もわからなくなった」と言っていました。
 
 だから、お宅のだんなさんは脳死でからこれ以上の治療はできません、臓器移植ネットワークの人の話を聞きますかと言われれば、「はい」と自動的に答えるのではないかと思うんですよね。医者と患者さんは、100倍以上の情報格差がありますよね。医者の言ったことについては、「はい」と言いますよ。そして、あなたのだんなさんの心臓は、世の中で生きることになりますよと説得の仕方でやられるとそういうことが起こると思います。だから、臓器移植ネットワークの説明を聞きますかと言えば、ここで医者は免責される。前の臓器移植法では、医者の責任がものすごく大きいわけです。脳死判定が間違っていなかどうかとか。臨床的な判定でこれだけのことを言っても、相手は頭が真っ白になってから、思わず「はい」と答えますね。
 高齢者の臓器は移植に不適であるということを知らない人が結構います。政治家は特にそうです。私は、人間は必ず死ぬのだから、といことが一つありますし、他人の死を期待する医療はすべきではないと思います。脳死は概念死であって、人の死ではない。脳死状態の妊婦からこどもが生まれた例が多くの国で認められています。グラスゴーコーマスケール(GCS)という意識レベルの評価方式があります。林教授は、GCS6点(最重症は3点)未満の重症頭部外傷患者48例、脳虚血患者17例、くも膜下出血患者10例、計75例に対して脳低温療法を施行し、56例(74.7%)が意識を回復し、47例が日常生活に復帰した、と報告されています。脳低温療法は、ビニールシートに氷をいっぱい入れて脳内の温度を32度にするということです。初期の頃は。札幌医大の脳外科の教授は、今は、人工心肺で、血液を外に出して32度にして戻すから成績はずいぶん上がったと言われていました。
 だから、“脳死”を前提とした臓器移植は、医療保険の対象とすべきではないと、この考え方から言うと当然そういうことになります。
 
 

Ⅶ 終末期医療をめぐっての方向性
 
 尊厳死法案というのが国会に提案されました。上程される前になくなったので、正確には知らないのですが。終末期医療というのを考えないといけないのですが、高齢者のことになりがちですが、若い人もいます。国会に出されようとした尊厳死法案は、私は、若い人の臓器を移植に使う危険性があるというふうに前から思っていました。
 終末期医療というのは、救急医学会が、『突然発症した重篤な疾病や不慮の事故などに対して適切な医療の継続にもかかわらず死が間近に迫っている状態』と定義しています。終末期は『救命不可能と判断され、その時点で行っている治療行為に加えて更に行うべき治療法がなく、死を予期した臨床上の意思決定が考慮されるとき』だと。延命治療は『上記状態にあって、生存期間の延長を目的として行われる医療行為』ということで、東大の会田さんがまとめていました。
 延命処置の諸層というのは、心臓マッサージ、人工呼吸器、抗生物質の強力な使用、胃ろうによる栄養補給。胃ろうというのは一時的に造って、経口ができるような補助手段としての胃ろうということを考えていたのですが、自動的に胃ろうにする医者が結構出てきた。そういう点で社会的に問題になった。鼻チューブによる栄養補給、点滴による水分補給、人工透析、これらが延命処置の諸層です。
 これは私どもの病院で、延命治療を希望しますか、希望しませんかという延命治療の項目をあげて、一応の意見を聞きます。医者2人と看護師2人が同席して確認をするというのをしていました。
 これは、ある人の遺言書です。遺言書で通用するのは、公証人役場で確認をしないといけませんが、こういうのがあった時にどうするか。医学的延命処置は断る、葬儀無用、葬式は身内だけ、写真は用意してある。大和山というところの信者さんで、93歳で亡くなった時に家から出て来たといいます。それで、この通りにやりましょうということになりました。遺言書にある「生者は死者のために煩わされるべからず」ということを書いてありました。これは本物の遺言書だったのですね。問題は、兄弟が多いとか、東京とか大阪に住んでいて、亡くなったとかには、距離の遠い人の文句というのは非常に多い。そういう場合を想定して、公証人役場で遺言書を承認してもらったらいいのではないかと思います。
 尊厳死というのは、日本尊厳死協会の『尊厳死の宣言書』に由来します。だから、尊厳死という言葉を使いたくないという人もいます。登録商標的にひとり歩きしています。動けなくなった人間には生きる価値がないという思想が、私は根底にあると思います。積極的な安楽死は、一部の外国では認められています。
 尊厳死のある死を迎えたいと考えている人々と、尊厳死協会の尊厳死とは差異があると思います。“平穏死”というのは石飛さんが言った言葉ですね。
 尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」を調べたところ、改訂の改訂で。改訂前は一番上の行に「かつ死が迫っている場合に備えて」とありますが、2011年に改訂されたものには「生命維持装置無しでは生存できない状態に陥った場合に備えて」というのがあった。えっーと思った。これはなんだと思った。「(3)私が数ヵ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は」が、「私が回復不能の遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は」に変わっています。会長さんが代わる度に内容がコロコロ変わる気がして、あんまり信用できないと思います。
 私は最初の「尊厳死の宣言書」は、こうしなさい、という上から目線でから言われているような気がして納得できなかったです。
 尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」に沿った形で、民主党から尊厳死法案が出てきたので問題が大きいと思います。
 
 終末期の患者に対する医師と患者家族の想いの各層は、医師は、救命不可能であれば延命措置を中止したいと。治療が無意味とわかっていても永遠に続くわけではないから、現状を維持する。だから人工呼吸器をつけて、救命が不可能と判っていても、延命措置は絶対に中止できない。中止したら、殺人罪で訴えられるからです。だから、救命不可能であれば、患者さんの家族にきちっと話していく必要があると思います。
 患者家族は、無意味な延命は希望しない。しかし医師が意図を持って死期を早めることは、そもそも“医の倫理”に反すると。死は医師が操作するものではなく、又、家族が決めるものでもなく、自然な死期を迎えさせるべきと。
 医師と患者家族がこういうふうに乖離しています。死期を早めることが日常化すれば、弱者切り捨てにつながるのではないかというふうに思います。
 
 厚労省が終末期医療についての基本的考え方を整理したイメージ図です。こういう形で考えたらどうでしょうかという提案をした。これは特に大きな問題はないだろうと思います。
 尊厳死、終末期医療に関しては、家族とじっくり話して、同意して、決めた方がよいと思います。
 脳死状態に陥った場合には、大人の場合は早く諦めるのではなく、いい先生がいれば最低2週間はきちっとやってもらった方がよいと思います。データ的には。こどもは30日ぐらい。こどもで一番長いのは23歳まで生きた。4歳の時に、化膿性髄膜炎になって植物状態になって、亡くなる23歳の頃は身長は170センチを越して、第二次性徴も出ていたということです。やはり、脳死というのは相当問題があると思います。
 最近は、イギリスでは臓器にメスを入れるとピクッと動くと。だから、臓器摘出する時には麻酔をかけてやる。これがイギリスでは常態化しているそうです。
 私は、脳死は人の死ではないと思っています。他人の死を期待する医療はすべきではないと思います。カンパ集めてアメリカに行きますね、札束で臓器を買うのと変わらないですね。やっぱり、毎日誰か提供してくれないかなと、誰か死んでくれないかなということですから。考える必要があると思います。
 脳死は人の死ではありません。精一杯生きて自然死がいいと私は思います。
 
 以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 

質疑
 
質問)私の子どもは1歳2カ月の時、高熱で救急入院し、入院時は呼吸もあったのに、夜中に呼吸が止まりました。医師の診断は、ライ症候群とかインフルエンザとかくるくる変わり、脳死診断となりました。医師はともかく受け入れてくれと言います。私は家に帰れる状態にして欲しいと懇願し、4年後に自宅に帰りました。この救急医は、小児科で働きながら最終的には精神科医になって大学教授になった人ですが、こういう先生は救急にいてほしくないと思います。息子はその後9年間人工呼吸で意識もなかったけれども生活できました。息子が亡くなってから私はヘルパーをしています。息子は後天性でしたが、見ている子はみな先天性の病気で呼吸器をつけている子どもです。年齢が大きくなり小児科で切り捨てられるのではと困っています。18歳を過ぎると小児科では見てもらえないのでしょうか。重度の障害の子は臓器別でなく全体を見てくれる小児科医がいいと思いますがどうでしょうか。
松本)成育医療は小児科から始まりました。心ある医師がいればいいのですが。私は小児科医を13年やり、その後郷里で病院を開きました。小児科救急マニュアルも作り断ることもなかったです。今の医療は臓器別です。19領域あります。幅広く対応できる医師を作ろうと総合医制度が出てきましたが、臨床医をどう作るかの視点がないのです。それを根本的に変えないと、対応できないでしょう。
質問)息子の往診の先生は、何でも対応してくれてとても頼もしかった。出来ない時は回せばいい訳だから、そういう医師がいてほしい。
松本)そういう医者を作らないといけないですね。政治的にもそういう方向になっていないのです。
 
質問)先ほどの7対1の問題について教えて頂きたい。昔看護師として就職した時に、「何もできないが」というと、病院はあなたの資格が欲しいと言いました。実質的な仕事でなく、看護師資格だけで見るのは問題だと思います。
松本)一人の看護師が24時間通して患者7人を見るのが7対1、10人を見るのが10対1です。入院基本料が7対1の場合、10対1の場合いくらと決まります。正看護師の頭数をそろえて条件が整えば高い入院基本料を取れるわけです。東大病院は500の看護学校を回り勧誘して収益をあげたといいます。京大病院も30種類の看護師募集の広告を出しました。能力でなく頭数だけ揃えれば高い入院基本料を取れる、医療崩壊のもう一方の要因でした。

質問)脳死を前提とした移植で、移植後の生存率が92%とあるが、何年の生存という意味ですか。移植後は新たな闘病生活になると思います。精神的な問題もあると思うし生存率のみで評価はできないのではないでしょうか。
松本)移植して死ななかった、という数字ですね。日本臓器移植ネットワークが公表している数字です。
 
質問)インフォームド・コンセントについて質問します。私は6年前に心筋梗塞になり、命拾いをしました。手術の前に「血栓が飛んで亡くなる場合がないことはない」と説明を受けました。そういう説明なしで手術に入ることはできないのかと聞いたらできないと言われました。インフォームド・コンセントとは万が一のことに同意を取るということでしょうか。医療側の都合で行う儀式だと思いました。先生は患者のための医療を大切にする立場だと思いますが、インフォームド・コンセントをめぐる考えを聞かせて下さい。
松本)アメリカは司法制度が違います。日本は司法試験に合格しなければなれないが、アメリカではロースクールを出たら比較的短期間で弁護士事務所を開けます。それも成功報酬。若い弁護士は、弁護士を開業するとまず病院の待合室に行き、裁判しないかと持ちかけるそうです。勝ったら費用を、負けたらいらないと、だからアメリカは医療裁判が多い。そういう中で医療の質が上がったという側面もあります。私の上司がアメリカに留学した時に、患者に手術する際に同意のサインをもらえと言われたといいます。その経験から、日本でも手術をする時に患者さんから同意書をもらうべきだとしきりに主張していました。当時日本ではサイン(同意書)を取ることなどありませんでしたが、今は内視鏡をやるときにも形だけのサインをもらう。私はインフォームド・コンセントという言葉は嫌いです。医者がある意味で自らの責任を放棄する道具ですから。患者が共感して同意する、医者・患者の信頼関係が重要です。私の病院は、「見ざる言わざる聞かざる医療はしない、出かける医療、何とかする医療」の三つのスローガンを掲げ実践しています。患者さんの話をよく聞いてよく診察してよく説明する、これをやれば大きなトラブルは起こらないと思います。アメリカの医療システムは裁判を抱えながらやっているということがあると思います。
 溶連菌感染症という病気があります。40数年前のアメリカの教科書にはペニシリンGを10日間やれば溶連菌感染後の腎炎はどうも(・・・)おこらない、と書いてある。
 実際私の病院でも溶連菌感染症で腎炎に罹患した事例が1例ありました。そのケースのカルテを見たら、医師は薬を10日分処方していたのに患者は3日で熱が下がって薬をやめたと言う。日本の教科書にはそういう記述はなく、臨床医学はアメリカの方が進んでいます。医療裁判はこういうところで役に立っているといえます。どこの病院でも形式的にサインをもらっていますが、日本では法的には通用しないようです。アメリカではサインが決定的だそうですが。
 
質問)スライドの57,58番の図について。1990年では治せたが2050年は治せなくなるとあるが、これはどういう意味ですか。
松本)治せないというのは、加齢で戻らないという意味です。脊柱管狭窄症や加齢黄班変性症、骨粗鬆症など加齢に伴う疾患は100%戻せない、治せないという意味です。人工呼吸器をつける時、家族と話して判断する時に、年齢的要素を考慮してもやらなくてはという医者もいる。それがいいことなのか、尊厳のある死を迎えることができるのだろうかということがある。癒すとか支える医療が重要になっている。超高齢社会ということで寄り添い支える医療がないとよくないと受け止めて下さい。

質問)急性期病棟では14日で退院させられ、転院後すぐに死んでしまったという話を聞きます。悪い状態の人を14日経ったからと転院させるのは悪い制度ではないでしょうか。もう一つ、人生の最終章に当たっての医療について。99歳で亡くなった母も鼻からの経管栄養をしていました。施設入所時に、人工呼吸器、心臓マッサージ、人工透析、胃ろう・・などについて、家族の「事前指定書」を求められたのですが、私には抵抗がありました。家族も迷うことで責任を押し付けられるようでとても重いのです。胃ろうをしている人も何人もいたが、その状態で長生きするのが悪いことではないし、私は母が経管栄養で長生きしてくれてよかったと思っています。
松本)14日以内は点数が高い。それを過ぎると他にまわせと上から言われると、主治医はあるいは退院業務に関わる職員はそうする。このようなことが全国的にあると思います。医療費抑制のための制度ですね。慢性期の病院に転院すると医療費は下がる仕組みになっています。臓器別になって人間をトータルに診ない医療が多くなっています。又、精神的余裕のない医者が量産されています。医療が崩壊しつつあるのは、システムに原因があると思います。病院団体の幹部は500床~1000床の大病院の院長が多く患者さんとの接点がありません。厚労省の出す案に医療的問題があるという発想そのものが思いつかないというのが実情です。専門医制度も将来的な医療提供体制をどうするかと言う視点が欠落しています。医の倫理にしても、昔に比して落ちていると感じます。専門医教育と現在の専門医制度の中で、大学の復権が叫ばれ、研究の教授ばかりで臨床系の教授はいない状況です。財政諮問会議で医療のことを決めるといってもその委員の中には臨床系の医者は一人もおらず、経済界の意見だけが重視され意見が偏っていて、このシステムでは今後の医療界がどうなるかが心配です。
 施設が同意をとるのは、医者が説明していない状況があり、「説明せよ」という意味合いもあると思われます。同意書は「途中で変更できます」という一行を入れるべきです。患者と医師の関係ができていれば同意書などは取らなくてもいいと私は思うのですが。
 
質問)身寄りも金もなく、知識もない、しかし、明らかに医療が必要という状況になった時に、ちゃんとした医療を受けられるシステムを今後作れないものか。
松本)そういうシステムが出来ると良いのですが、今の政治では、弱いものを切り捨てることが常態化しているので、極めて難しいと思います。
意見)困った人が地域で相談できる医療機関や体制があればと診療所を作りました。弁護士事務所があり、MSWがいて、安全センターがあり・・。そういう機関が各地域にあるといいなと思いました。

質問)尊厳死、終末期などの言葉自体に鳥肌が立ちます。延命処置ってだれが決定するのか。食べ物を取れなくなったら昔は点滴を受けてきました。延命治療はしないという病院に転院した友人は10日後に、麻薬だけ打って、点滴もされずに亡くなりました。
松本)延命処置をしないそんな病院があるというのは初めて聞きましたが、疼痛緩和に麻薬を使うことはありますが、水分補給を全くしないのは殺人だと思います。大変な話です。

意見)医療が経済合理的に扱われ、医療の質が変わっていくのではないか、科学技術が戦争と関連している状況になっていて危機感を覚えています。今後会のあり方として、大事な医療を守っていく応援していくそういう運動も必要になっていくのではないかと考えています。
松本)現在の医療の事態は戦争に向かっている政策故だと思います。本来のあり様についての志を持った人が集まってやるしかないでしょう。特定秘密保護法の制定からそうだと思っており、危険な状況ですね。阻止するのは自公に多数を取らせない、それしかないと思ってしまう。私自身は伊方原発の再稼働阻止の裁判闘争や、安保法制違憲訴訟などに関わっています。何のための誰のための医療か、という観点から運動をやっていくしかないのではないでしょうか。

司会)まだまだ聞きたいことがあると思いますが、そろそろ終わりにしたいと思います。
 

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第10回市民講座の報告(2-1 山崎吾郎さんの講演)

2017-02-06 23:23:40 | 集会・学習会の報告

第10回市民講座の報告(2016年9月25日)

 

講演   山崎 吾郎さん

(大阪大学COデザインセンター特任准教授、『臓器移植の人類学-身体の贈与と情動の経済』著者)

 

臓器移植は人類に何を持たらしたか?

ドナーファミリー、レシピエントへの聞き取りを重ねて

 

<はじめに>
山崎 吾郎さん 私は文化人類学の研究をしています。文化人類学というのは、研究室の外に出て実際の社会の現場で何が起きているかを知るところから議論を組み立てていく、そういう手法で研究する学問です。私の場合は、主に2002年~2008年にかけて、日本の脳死・臓器移植についての調査をし、その結果をもとに博士論文を書きました。その後、法律が変わった後の動向なども加えて、2015年に『臓器移植の人類学-身体の贈与と情動の経済』を出版しました。これは博士論文をベースにして書いた本ですので、インタビューの内容や調査結果なども入っています。本日は、この本の内容にも触れながら、噛み砕いてお話をしたいと思います。

 

<授業でのエピソード>
 大学で講義をするときに、学生に臓器移植に関するアンケートをとったことがあります。脳死や臓器移植のテーマは、最近では高校の倫理の教科書でも扱われていますので、学生たちがどんな考え方をするのか関心があったからです。蓋を開けてみると、アンケート用紙には、死生観の問題(脳死は人の死か?)、身体の考え方(身体の売買は可能か?身体は自分の所有物であるか?)、意思表示の問題(提供者本人と家族の考え方の違い、提供の意思を表示していない人から臓器を摘出してよいか?)、どうやって提供先の公平性を確保するのか、日本では提供者数がすくなく患者が海外に渡っていること、また海外で移植をするために高額の医療費が必要となり、そのための募金活動がなされていることなど、多くの事柄が「疑問」として書かれていました。臓器移植に関する法律が成立してから20年がたちますが、臓器移植は、いまでも多くの疑問を投げかけ続けているテーマなのだと実感しました。

 

〇授業でのアンケート
 すこし具体的にみてみますと、たとえば、「脳死がどういう状態か説明できるか?」と訊ねてみると、「はい」と回答したのが34%、「いいえ」と回答したのが55%、そして「わからない」と回答したのが11%でした。2015年に授業で227名を対象に実施したアンケートです。
 次に「脳死臓器移植はもっと行われた方がよいと思う?」に対しては「はい」54%、「いいえ」14%「わからない」31%でした。
この結果をみて思ったことは、まず、脳死と臓器移植は別のものと考えられているのではないかということです。脳死という状態は半数以上が説明できないけれども、臓器移植は行われた方がよいと半数以上が回答しているというわけですので。歴史的に言えば、臓器移植という目的やそのための萌芽的な技術が先にあって、それを実際に行うためのルールや制度を整備する段階で脳死の概念が出てきたということが知られていますが、現在では両者が切り離して捉えられがちなのではないかと思います。

 

〇内閣府の世論調査(平成25年実施)
 補足として内閣府の世論調査もみてみますと、「臓器移植に関心があるか」の問いに、6割弱が「関心がある」と答えています。「家族と話したことがあるか」という問いには、3割が「ある」としています。そして、「提供の意思表示がなくても家族の同意で提供できることを知っているか」 については、「知っていた」が67%であるのに対して、提供意思を記載しているかとなると、「記入している」が13%となります。ここでは、「知っている」、「関心がある」ということと、実際に行動に移しているかどうかは、一致していないということが伺えます。

 

<経験の変化を考える>
 アンケートのコメント欄にあった記述で興味深かったのは、「既に法整備が行われた後だったので、授業で脳死の定義は理解したが、もし自分が法律の成立時に臓器移植について学んでいたら、法律の内容を受け入れられたかは分からない」というコメントでした。つまり、脳死がどういうものであり、法律がどういうものであるかは調べれば分かるが、その定義や知識がどういう文脈で登場し、どんな議論の末に成立したものであるのかはよく分からず、それを知れば知るほど考えることがたくさん出てくるということなのだろうと思います。
 この回答を目にしたときに、すでに成立している「知識」を既知のものとして伝える以上に、今ある法律や社会の秩序ができあがってきた背景やプロセスを知ること(教えること)が重要なのだろうと改めて思いました。

 

臓器移植の導入>
 脳死・臓器移植の歴史はそんなに古くありません。20世紀の初頭に動物実験が始まり、1950年代に一卵性双生児間に腎臓移植の実験が行われ、1960年代に免疫抑制剤の開発が始まり、肝臓移植が行われました。心臓移植が1967年、脳死の定義が登場するのが1968年です。その後、新たな免疫抑制剤が開発され、臓器移植が医療として定着していくことになりますが、実験段階を含めてもせいぜい100年の歴史です。1968年に脳死という言葉が出てきましたが、これは、心臓移植を実施するためのいわば必要条件として登場するものです。しかし現在では、臓器移植の方に注目が集まる一方で、脳死が歴史に登場することになった経緯への関心は後景に退いてしまっており、脳死と臓器移植を別々に考える(もしくは、一方は考えない)という姿勢が定着しつつあるのではないかと思います。このことについては、本のなかでも別の観点から詳しく論じていますが、脳死について説明はできないけれども臓器移植には肯定的であるというアンケートの結果は、こうした状況を反映しているように思います。
 日本では、1980年代から1997年までは脳死が盛んに議論され、新聞記事でもそういう報道記事が多くみられました。ところが、1997年に法律が施行されて以降は、次第に臓器移植を扱う記事が増えていき、2009年に法律が改定される頃には、「臓器移植をどのように増やすか」もしくは「臓器提供数が少ないことが問題ではないか」といったことが主な関心として扱われるようになります。臓器移植は、法律の成立前から現在にいたるまで、常に同じようにとらえられてきたわけではないということです。まずは、こうした医療に対する関心の変化が起きているということを確認しておきたいと思います。

 

<脳死の問い方>
 脳死を科学的にどう定義できるかという問いかけについては、これまで長い間、人間の死を(信仰も含めて)定義できるのかというかたちで議論が繰り返しなされてきました。もちろん、こうした議論は大変に重要なのですが、本日の話でむしろ強調したいのは、法律の施行から20年がたった現在問わなければならないのは、この医療が社会にどう普及しているか、またそのことでどういった価値観の変化が生じているかという点ではないかということです。
 私が調査を行うなかで何度も立ち返って考えることになったのは、結局この点であったと思います。いくら死の定義を法律の条文や科学知識として理解していても、実際にその場に居合わせた時には迷いが生じてしまうということは、往々にしてありうることです。それに加えて、法律を作った時と現在では、社会的な意味でも関心の移り変わりが見て取れるわけです。そうなのだとしたら、この医療が現在どのように普及し、どう受け取られ、現場で何が問題になっているのか、またどんな混乱がなぜ生じているのかを考えるということに、依然として関心を持ち続けるべきだろうと思います。

 

ドナー家族へのインタビュー>
 ドナー家族への調査は、2002年から行ってきました。ここでは、提供に際して少なからず躊躇し、また葛藤を感じつつも、最終的には提供に同意をしたというご家族の言葉を紹介してみたいと思います。たとえば、あるドナーの父親は、「最初私は、母親が提供に反対するだろうと思っていたのですよ。だから、彼女が提供に賛成していると言い出した時には、驚きました。そして、何度もこう確認したのです。『ここで臓器の提供をするということは、(娘の)死を認めるということなんだよ、いいんだね』。何度も、こう尋ねました。そして、私達は家族の総意をもって、臓器の提供をする判断を下したのです」、というふうに話してくれました。
 ここで、父親は「臓器の提供をするということは娘の死を認めること」と言っています。言い換えればこれは、「娘の死を認めないということは提供しないということ」です。これは、脳死を死とするかどうかという点で、微妙な認識を示しているといえます。死亡したから提供が可能になる、という順番ではないわけですね。ここでは、死んでいないから臓器の提供はしないという可能性が、同時にリアルなものとして語られている。これは日本における脳死の定義にも関わる問題ですが、こうした「ずれ」はさまざまなところで生じうるものだし、致し方ないことだとも思うわけですが、しかしそれによって混乱が出てくることは確かだと思います。
 たとえば、ここで登場する「母親」は、別のインタビューのなかで、「それでも、もしかしたら生き返るかもしれない、という思いはもちろんありました」と話しています。それで、汗ばんでいるではないか、熱があるではないか、体が動いているではないか、といった一つ一つの事柄に対して「生きているのではないか」という解釈しようとするわけです。もちろん、医者は、「あれはただ、機械でつながれて動かしているだけです。自分の力では動くことはできません」というふうに説明するわけですが、その説明を信じることはできなかった、という言い方をしています。それで、「いつか目を覚ますのではないか」といった感覚をもつわけです。
 この母親は、これは素人の知恵、当事者の知恵なのだと表現しています。専門的なことはわからないが、それでもその場で経験したリアリティというものがあるのだと。実際、現場において何かを判断するときに用いられるのは、圧倒的にこうした「素人の知恵」であることは間違いありません。ですから、それは正しいか正しくないかということとは別に、実践的には非常に重要な経験であり感覚であるといわなければなりません。文化人類学の研究としては、やはりそこに目を向けないといけないだろうと思います。父親もまた、「娘の状態を100%理解する事は出来なかった、当時のその場では整理できなかった」といっているわけですから、脳死の科学論争とは別の問題が、こうした現場の実践レベルで生じているということに目を向けなければならないと思います。意思決定に関する議論は、すぐにインフォームド・コンセントや自己決定ということに話が向かいがちですが、このケースでは、結局のところ決め手は本人の意思――意思表示カードがあったこと――であり、家族の判断ではなかったとも話しています。この意味をどう考えるかは、大きな課題だと思います。
 制度を作る側の想定としては、家族に正確な知識や情報を伝えた上で判断を求めるということになっているわけですが、現場の実践のレベルでは必ずしもそれだけではないということです。実際には、判断することと知っているということは別の位相にある出来事です。用語の説明や経緯の説明をしたり、対立的な論点や科学的知見について説明するということは、たしかに重要なことですが、他方で、現状がどうなっているか、実践のレベルで何が問題になっているかということを常に考えておかなければならないのではないかと思います。

 

〇臓器の提供に応じた家族の話
 もう一つだけ、医者とコーディネーターから説明を聞いて、提供に同意をしたうえで息子の臓器を提供したという母親の声を例としてあげておきたいと思います。この方が病院にいたのは全部で5日間だったそうです。その間に、説明を受けて、提供に同意するという出来事を経験しています。そして、その後、6年間にわたって、自分自身の下した判断が本当に正しかったのかを問い直し続け、そのたびに息子に謝っていたということを話してくれました。というのも、この方の場合、提供すると判断をした時には知らなかったこと(たとえば長期脳死のケース)をその後に知ることになり、そうした新しい知識があとから追加されるたびに、あのときの自分の判断は本当に正しかったのかという疑念を払拭できなくなっていったといいます。
 もちろん、制度的に言えば、いずれも正規の手続きを踏み、インフォームド・コンセントの後に同意をして提供に至っているケースなのですが、それでもドナー家族が感じる苦悩が確かに存在するということが、ここでの問題だろうと思います。これは、現実には非常に難しい問題を含んでいるわけですが、ここでは、少なくともドナー家族に対する提供後のきめ細かい精神的なケアがまったく存在していない現状が大変に問題だということを指摘しておきたいと思います。そして同時に、きちんと説明したら正しい判断ができるのだという想定は、問い直さなければいけないだろうとも思います。

 

<欠如モデル>
 欠如モデルというのは、科学的知識を持っているのは専門家で、知らないのは一般市民という構図を指す用語です。これは、知識が欠如している市民に対して、知識をもつ専門家が啓蒙すべきだ(十分に啓蒙すれば物事はうまくいくはずだ)といった主張を導くような想定ともいえます。インフォームド・コンセントは、こうした想定に基づくものといえるでしょう。
 この欠如モデルは、現在の科学のあり方を理解するうえで必ずしも有効なモデルでないのではないかということが、広く知られるようになってきています。というのも、このモデルが成り立つ前提には、科学は首尾一貫しており客観性が高く、正しい知識や指針を与えてくれる、中立的なものであるという想定があるわけですが、実際には、社会のなかで実装され、多様な人びとによって実践される科学の応用の場面では、そうした想定にそぐわない例が多々出てくるからです。科学が「純粋な自然の探求」であるうちはこうした想定も成り立ちやすいのですが、さまざまな社会的利害や政治的な思惑が絡み合った科学技術政策の現場になると、専門家が判断を誘導し、一般市民はその教えを請い、判断を一部の専門家に委任するといったやり方がうまく機能するとは限りません。それは、たとえば原発事故の事例に関しても如実に現れていることだと思います。実験室で行われるような、比較的確実性が高く、科学者だけが関与して知りうるというような知は、確かに存在します。しかし、それが一端社会の中に広がるフェーズになると、不確実性は一気に高まります。臓器移植や原発のような例は、まさに不確実性が非常に高い科学的実践の例であるといえると思います。

 

<科学と社会の関係、相互作用>
 この欠如モデルとは別の考え方をしようと思えば、社会の側から科学に対して相互作用を起こすような仕組みを考えていかざるを得ません。そうでないと、先程挙げたような現場レベルでの混乱はなくならないだろうと思います。
 では、社会の側からの相互作用をどう形にしていけばいいのか。まずは、情報発信ができるような、専門家でない人たちが社会ののなかで一定の役割を果たすことが重要です。科学技術政策に対して一般市民が関わることができるような、そうした科学のあり方を模索していかなければいけないのではないかと思います。医療の世界についても、そういう組織ができることが非常に重要であると思います。このネットワークもその一つかもしれませんが、法律ができるプロセスや実施例について批判的に検討し、フィードバックを発信していくこと常に必要です。
 世界的には――もちろん日本でも――そうした新しい科学のガバナンスのあり方が、すでに多数試みられています。例えば、医療の分野でいえば、患者会やセルフ・ヘルプ・グループのような自助組織が活発に活動し、独自の情報発信をしている例があげられます。そうした活動の例として、たとえばオンライン上に掲示版を作り、患者会がそれを主催し、医療者がそこに参画しているような、新しい医療空間が新たに生み出されているといったことをあげることができるでしょう。ついつい、医者は専門家であり、患者よりも病気についてよく知っていると考えてしまいがちですが、事例の少ない難病患者の集まりといった場になると、むしろ患者やその家族の貴重な経験こそが重要な情報源であり、日常生活にまでおよぶような病気とのつき合い方の総体を考えようとするときには、医者よりもむしろ患者会のほうがはるかに多くの確かな情報をもっているということがあるわけです。イギリスやフランスでは、こうした組織が独自に基金を作って特定の医療研究や治療薬の開発のための投資をして医療政策の後押しをするといったことも、すでに現実に起こっています。社会の側から科学を先導するモデルというのは、何も科学に対して批判的な視線を向けるということだけではなくて、よりよい科学政策やガバナンスの仕組みを考えるということなのです。臓器移植医療に関しても、そうした動きを後押しすることが非常に重要になるだろうと思います。

科学と社会の相互作用

 <まとめ>
 最後に二点ほどまとめとして申し上げます。
一つは、自分が意図することと行為の結果は別だということです。また、客観的と考えられる知識と、何かをするときに役立つ知識というのも別です。ですから、科学的議論だけではなく、むしろ現場での不具合や混乱がどのように生み出されているのかを、きちんと議論として形にしていかなければいけない。これは、私が脳死臓器移植の調査研究をはじめようと考えた理由でもあります。法律がすでにあり、日々臓器移植が実施されている現在において、なお臓器移植について何かを考えようとするのであれば、実践に目を向けないでいることは難しいでしょう。
 もう一つは、医療システムの中での提供者の位置づけの問題です。話のなかでも少し触れましたが、ドナーとレシピエントの間には、現状の医療システムにおいて大きな差があります。現在でも、この医療に関するメディア報道のほとんどはレシピエントに関するもので、ドナー側の情報はほとんどありません。このアンバランスを是正していく必要があると思います。レシピエントは、病気になった後は患者として医療システムの一部に入るのですが、ドナーやその家族は、臓器移植においてなくてはならない存在であるにも関わらず、医療システムに包摂されているわけではありません。もちろん治療の対象でもないわけで、それゆえに、ドナーやドナー家族に対するケアは軽視されているのだと思います。ドナー家族が提供の場面で何を考えたのか、その後に何を思っているのかを理解することは、今後必要になる作業だと思います。
 残念ながら、実際にはそうした調査することは極めて難しいという現状もあります。医療システムの外にいるということは、その姿が見えづらい、アクセスしづらいということだからです。日本臓器移植ネットワークはドナーやドナー家族のケアをこれまで殆どしてきていません。私がアメリカで調査を行った際には、臓器移植に関わる機関が、ドナー家族の集まる場を組織して活動するといったことは、当然のこととして行われていました。日本の臓器移植医療は、その実施に際して技術の面でも法律の面でもアメリカの医療から多く学んでいるわけですが、この点に関しては大きな違いがあり、それがさまざまなところに影響を及ぼしているのではないかと思います。
 日本は世界でもまれにみるほど臓器提供が少ないと言われていますが、その理由の一つとして、ドナー家族へのケアが軽視されていることが挙げられるのではないかとさえ思います。提供をした人がその後にどうしているのかについて情報がないということは、将来提供者になるかもしれない人たち(つまりわれわれ全員のことですが)にとっては、この医療について積極的に考えるための機会を奪われているということでもあります。ましてや、そうした状況で、この医療について不穏なニュースがメディアに出たりすると、提供意思が相対的に低くなることも容易に想像できます。
 一方で、臓器の提供数が少ない現状は、移植を希望する患者が国外に渡航する要因にもなりますので、それは医療全体にとって新たなリスクを招き入れることにもなっています。それは、倫理的に許容できない医療行為に日本の患者を巻き込むことになるとか、医者が本来助けられる人を助けていないという批判を招くことにもなります。その意味でも、ドナー家族の調査というのは、誰かがやらなければいけないことだと思います。私自身の研究は、アクセスの難しさもあって、決して網羅的にドナー家族の調査ができているというわけではありませんので、改めてこの場で問題提起をしておきたいと思います。提供者に関するまとまった調査がなされれば、家族に対するケアが必要だという認識も広まるでしょうし、また一方で、提供や提供しないという判断がどのようなプロセスにおいて生じているのかをより正確に知ることもできるだろうと思います。提供に至らなかった理由や、提供後の心境の変化など、そうした調査からわかることは非常に多くあると思います。臓器移植医療がはじまって20年が経つというのに、いまなおこうした側面がほとんど手つかずであるということが、この医療の最大の課題なのではないかという問題提起をして、本日の話を終わりにしたいと思います。

 


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第10回市民講座の報告(2-2 質疑応答要約)

2017-02-06 22:27:16 | 集会・学習会の報告

第10回市民講座の報告(質疑応答要約)

 

発言者1:本日のお話では、専門家が科学的に正しい知識を持っており、それを受容する市民が対局にいるという関係が語られたような気がしました。でも、私はむしろ、科学者ないしは専門家とされる人達の知識や言説に大きな問題があると思っています。実際に移植学会や厚労省の臓器移植委員会などに参加してみても、学者と言われる人たちが持つ知識や言説が、既知の事実から論理的に追及していくのではなく、自分の価値観や依拠することから展開してしまっているように思います。そういう科学者と言われる人たちの文化人類学なり、社会学なり、心理学なりが必要なんじゃないかと思うことがありました。その辺、山崎さんとしては、どう思われているか、お聞きしたいと思います。

A(山崎):実は、科学の人類学というものがあるのですが、そこでは科学者がどのように科学的な知識を生み出しているかが研究されていたりします。今日の発表との関わりでまず重要なことは、科学者が生み出した知識は、なによりこの社会で非常に強い力を持っているという事実であり、またその理由です。科学者は経験的にデータを集めて、そこから論文という形で知識をまとめ上げて、その論文を参照して次の知識を作り上げています。そういう知識の積み重ねをネットワーク状に張り巡らせる中で、新しい知識に対する正当性を高め、また体系的に蓄積していく知の文法を持っているわけですね。一方で、たとえばドナー家族が語る言葉にも、その人の個人の人生に即していえば疑いなく真理であるといったことが、もちろん多くあります。しかし、その後本人の話された言葉は、そのまま社会に流通して一般的な正当性を持ちうるかというと、そこには非常に大きなギャップがあるわけです。それは、科学的な知識と、我々一人一人が正しいと思って口にする言葉との決定的な違いです。そう考えると、一人一人の経験やリアリティを言葉にして社会に伝えるためには、ただそれを大声で叫べばいいというものでもなくて、それが(科学とはまた)別のタイプの「知」として正当なものになるように、固有のネットワークを作っていかなければいけないということではないかと思っています。そうした実践や経験に即した知の文法は、この社会においては未整備ですし、どうしたら対抗言説のような形で組織できるのかということは、誰にも分かっていないことだと思います。繰り返しになりますが、現状、科学というのは非常に強力な知識の体系であり、それに一個人が経験に即した反論しても太刀打ちができない。その事実を、私は飲み込まなければいけないと思っています。

 

発言者2:現実の医療現場において、日本臓器移植ネットワークや移植医たちは、移植用臓器を獲得するという利益目標に基づいて動く利益集団だと思います。例えば、ドナーファミリーが、ドナーが麻酔をかけられていたことを臓器提供後に知って可哀想なことをしたと後悔している。他にも、心臓が停止するまでに長時間かかる場合もあるし、脳機能を復活させる人もいる。つまり、脳死と科学的に判定したことの意味が分からなくなってきている。それなのに、そういうことは、実際の現場で伝えられずに臓器摘出が行われている訳です。今日のお話はインフォームド・コンセントとか欠如モデルに関係することだったと思いますが、いわば、盗み、殺し、騙す、これをやってきている人が沢山いるとすると、そこらへんが変だと思います。もう一つ、科学と社会の相互作用とお書きになっていますけれど、もう科学というのは止めたほうがいいんじゃないかと思うんです。脳死と判定しても心臓の拍動が必ず止まるわけじゃないし、脳の機能はあるかもしれない。あるいは、心停止しても自然に心臓の拍動が再開する人います。ですから、科学では死というのは分からないということを前提にした上で考える方がいいし、科学というのは止めた方がいいのではないかと思いますが、どうでしょうか。

A(山崎):一つ目のご意見についてですが、例えば、臓器移植に関して言うと、脳外科医と移植医では、関心が明確に異なっていると思います。つまり、脳外科医にとっては、脳死と宣告すること、それが死であることを認めることは、自分の患者が死んだことを認めることに結びつくわけです。治療ができなかったという意味で、真剣に自分たちの力が及ばなかったと言うのを私自身も聞いたことがあります。一方で、移植医はそれとは違う視点をもっている。それは、移植の件数や実績が増えるということであったり、自分が診ている(別の)患者が助かるといったことです。ですから、一口に医者といっても、誰を相手にしているのか、何を治療しようとしているのかによって、見方や言動が異なるということはあると思います。 私の知る限り、特に1997年から2000年くらいまでの間は、「そんな説明はうけなかった」とか、「周りから変な噂を立てられた」とか、本来であれば起こらなくて済んだことが色々と起こっていました。そういう部分については、移植医なりコーディネーターの方が日々の実践のなかに取り入れているということはあると思います。例えば、インフォームド・コンセントの仕方ひとつとっても、実務的にはさまざまな改善がなされてきているわけですから。ただ、だから素晴らしいというのではなくて、どういう説明をどこまでしたら、その人が理解したと言えるのかということは、マニュアルだけではできないことであって、個々人の人柄なり経験、その人の生き方に依存することが沢山あると思うのです。なので、いくら経験値を積んでも、「このことは説明してほしかったのに説明してもらえなかった」「聞いていなかった」みたいなことは必ず出てきます。納得する、理解する、ということが必要十分になされるということは、やっぱり難しいと思います。そのこと分かった上で、インフォームド・コンセントとは、そういう制度的な手続きのことを指していると理解したほうがいいのではないでしょうか。利益集団というのはかなり強い意味をもちうるので、そこまで言うつもりもないのですけれど、関心が違うということはあるだろうと思います。
 それともう一つは、科学を止めるという話ですが、この場合問題は、止めるのであればどうやって止めるかということが語られなければならないと思います。私自身の個人的な感想ですが、おそらく、止められないのではないかとも思うのですね。このことを認めるかどうかは、大きな分かれ目だと思います。ただ、現代の科学技術と一切無関係な生活を「個人」で選択することはできるかもしれないですが、「社会」から、あるいはこの地球上から科学を無くしていくようなロードマップを描くということは、現実には極めて困難だと思います。科学を止めるという話は、少なくとも現実的なロードマップを描いた上でしないといけないかなと感じます。

発言者2:医師はドナーファミリーにちゃんと説明をしていない。ドナーに投与されている抗血栓剤の副作用について、厚労省が作成した「ドナー家族の皆様へ」と題する説明文の書き改めを要望し、国会議員の質問主意書への回答には「検討する」とありました。しかし、臓器を新鮮に保ち血液の流れをよくするためにドナーに投与されるヘパリン(抗血栓剤)は脳溢血などの患者には禁忌であるのに、そういう説明がいまだない。それはドナー家族をだますということ、それはいいのでしょうか。

A(山崎):医者は、明確な間違いやウソを自分の職務の中ですることがリスクであることをよく分かっていると思います。説明しなければいけないことは、本当は沢山あるはずですが、混乱した状況で説明しても、たいていの人は理解できないということも一方ではあります。脳死の理解ですらそうなのですから。「脳幹が生きているというのはどういう意味ですか」とか「脳細胞が生きていることは、この人が生きていることとどういう違いがあるんですか」ということをその場で納得がいくように説明するというのは、場合によって非常に難しいと思います。それでもきちんと手続きができるように色んな仕組みが入れられているわけです。制度的にはやるべき手続きをとって同意を得ていることになっていて、実践のレベルでは不確実性を想定せざるをえない、その二つの間に物凄い齟齬があるのだと思います。そういう意味では、やっぱり両方の説明が必要だと思いますね。

 

発言者3:授業内アンケートの2番目、「脳死臓器移植はもっと行われてほしい」という質問は、一つの誘導になっているのではないかと思うのです。例えば、「脳死臓器移植は生命に関することだから、もっと慎重に行うべきだ」と聞けば、同じような結論が出てくるでしょうか。それで、中立という言葉を使われていますが、中立というのはそもそもありえるのかという議論があります。インタビューをされて、質問しても出てこない答えがあると思うし、〔インタビューによって〕心理的にどういう方向へ誘導されていくのかという問題をおさえておく必要があるんじゃないでしょうか。

A(山崎):この質問だと、その誘導はあり得るかもしれないですね。ちょっとそれは反省するところもあります。それとは別に、人類学の方法論に関わることを少し説明させていただきます。今回、便宜上「インタビュー」という言葉を使っていますが、これはまったく構造化されたものではありません。つまり、質問項目はほとんど用意しておらず、お会いしたときにはだいたい私の頭の中は真っ白の状態に近いです。そういう状態で、ひたすら雑談をするのが人類学における調査の手法なのだとまでいうとかなり語弊もあるのですが、なぜそういうやり方をするかというと、それこそまさに質問をすることによる誘導を極力さけるためです。
 例えば、お会いして2時間とか4時間とか話をすることがありますが、こちらから何かを尋ねるよりは、聞いていることのほうが多いように思います。もしくは全然関係ない話をふってみたりとか。こちらからあらかじめテーマを持ち込まないほうが、面白い話が聞けたりします。そういうやり取りのなかで出てきたのが、今日ご紹介したような発言です。ですので、逆にいえば、言いたくないことは言わないということはもちろんあると思います。4時間話しても10時間話しても出てこない内容については、こちらから詮索して聞くということはありません。
 もう一つ言うと、そういう雑談の場は1回でおしまいというわけでもなくて、時と場所を変えて何度も話をすることもあります。そうして拾った声からノートを起こして、記録をしていくということになります。もちろん、記録にとることはあらかじめ許可をいただいています。ですから、「しゃべりにくいことがしゃべられていないのではないか」というご質問については、そういうことは間違いなくあると思っています。ただ、どうしたって何もかもを聞くことはできないので、何かが語られるタイミングを待つ以外に、詮索のしようがないのではないかと思います。
 ではそれが中立か、という問題ですが、私はそこまで「中立」であることを意識して議論しているつもりはないです。偶然の要素に左右されるというのも間違いないです。お会いできた人の話しか聞けてないという時点で、すでにバイアスも相当かかっています。調査エリアや人数の制限も、時代的な制約もあると思います。それをもう少し更新していくために必要なことは、継続的にこういう調査をするということ以外には方法としてありえないので、その意味で、全然中立ではないと思います。ただ、じゃあ絶対中立な調査の方法があるかというと、方法論としてそれはないだろうと私は思っています。

 

発言者4:先ほど、科学が持っている力は、それまでの知識体系から組み立てられたというより、私は、もっと世俗的な、権力の力関係のなかに位置づく話のような気がします。原発問題を例にとれば、原発を肯定する科学者もいれば、原発に反対する科学者もいるけれども、原発を肯定する科学者の方が権力に近い位置にいる。単にそういうことではと。市民の側は、相手に対して批判もするし、直面して論争しあえば「たいしたことねえなあ」と実感するけれども、それでも必ずしも〔市民側が〕力を持てないのは、そういう権力構造に乗っていないだけではないかと。その辺の、もうちょっと世俗的な意味、あるいは、今の消費社会を成り立たせている権力構造、あるいは、そこに働いている論理みたいなものを前提にしたところで考えた方がいいんじゃないか、という気がするのですが、その辺はいかがでしょうか。
 それともう一つ、先ほどの「科学はもう止めた方がいい」という意見について、先ほどの方は、死というものを科学的に規定できるのかということに限定して語られたと思います。私もそこは同感です。科学的という言葉と権威という言葉が、現代社会ではほぼ同じものとして機能している様子がありますので、それらは慎重な使い方をしていかなければいけないと思います。市民の側は、科学的だろうと俺にとっての真実とは関係ない、と思ったら、そこを貫くということ。そして、研究者側からは、市民の経験と発想に謙虚に向きあってほしい、そういう中で、科学というものを再検討するという構造にしかなりようがないと思ってます。

A(山崎):先ほどおっしゃられた話が死に限定しているのであれば、賛成します。現代の科学の水準で人間の意識を正確に評価できるとは思っていませんので。ただし、実務のレベルで法律を決めたりするときに、そういう知識が利用されることはあるだろうと思います。その点は批判的に考えなければならないと思います。
 科学者が権力を持っていると捉えなければならないのは、先ほどの発表の図でいうと、ポスト・ノーマルサイエンスという、社会の中に科学が入り込んでいる状況ですね。この状態では、科学者は権力を持っているというのは正しいと思います。それを政治的に利用する科学者がいることもあるでしょう。そこで、どういう対抗言説を作るのかを方法論として考えなければならないと思うんですね。個人的に科学者にノーと言うことはできます。けれども、それで社会が変わるかどうかはまた別の話です。ポスト・ノーマルサイエンスにおける市民の位置づけというのは、まさにそこにあって、なんらかの対抗言説なり、知識の別の生産の仕方を考えていかなければならない。それが、私にとっては、臓器移植について考えはじめたことで気がついた、今後の課題になっています。そういう意味でいうと、臓器移植は、やはり歴史的に重要な出来事だと思いますね。つまり、市民を巻き込んだ大きな対立点が科学実践のなかに現れて、非常に大きな論争を引き起こしている。こういう対立が社会の中に科学論争として現れてくるということの、非常に早い例の一つだと思っています。

 

 

発言者5:バクバクの会という、人工呼吸器をつけた子どもたちを持つ親の会の者です。お話にあったドナーに近い子どもたちが沢山いるような家族会をやっています。先生の本の第一部では、移植に関する経済論的なところがありますが、私は、実際に、経済の中に臓器が取り込まれていると思っています。今日のテーマ「臓器移植は人類に何をもたらしたか」ですが。日本にドナーを待っているレシピエントがいっぱいいますが、臓器が足りないからと、我々の子どもたちのような存在に対して、「何であなたたちは臓器提供しないの」「何であの人たちが生きようとしているのに、死んでいるような、役にも立たない人たちの臓器をあげないの」というような社会的な見えない圧力を、感じるんですね。社会自体が不寛容な時代になっていると思います。その極端な例として起こったのが、この間の津久井やまゆり園での障碍者の大量殺人であると思います。19人も殺されたのに、世の中、障碍者が殺されたことにそんなに騒がない。これ、一般の人たちが19人いっぺんに殺されたら、ものすごく大変なことだったと思います。国も精神障碍者一人が起こした事件のようにして、社会の不寛容さから起きた事件とは思っていないようです。政府も声明も出していない。そういう障碍者不要論、優生思想が、この脳死・臓器移植からどんどん世の中に広がっているんじゃないかと思います。「臓器移植が人類に何をもたらしたか」というテーマに対して、私はそんなふうに思いましたが、先生のお考えをお聞かせ下さい。

A(山崎):今日詳しく触れられなかったことで最大の変化だと思っていることは、1960年代から1980年代前半までは、人の死をどのように決めるかというところで争われていた議論が、この数年の間に、どうやったら沢山の臓器を集めて無駄なく分配することができて、それを倫理的にも社会的にも法的にも許容できるかという方向に議論が動いてきているということです。そのことについては本の後半部分に書いています。そうすると、結局は「臓器の数をどう増やすか」というような話になりますし、「提供臓器の数が減るとどのような社会的リスクが生じるか」という議論をすることになります。そのことが、目の前にいる人をどう捉えるかという話にオーバーラップしてきているということは、覚えておかなければいけないと思います。ただ、困ったことは、現状の日本で臓器移植を一切やらないことになった場合に何が起こるかというと、問題をすり替えることにしかならないということです。つまり、日本人が他の国に行くこと、そのことを黙認することになる。そこがすごく悩ましいところです。明確な結論は言えませんが、そういう状況に置かれているということは認識しなければいけない。
 経済論に関して言うと、人類学における経済の捉え方は、経済学者の経済の捉え方と違うところがあると思います。まさに先程出てきたモースの議論なのですが、お金であろうが体であろうが、物を渡すということが何かの関係を生み出すということははっきりしている。その限りで、そうしたやり取りを広義の経済活動と捉えるのが、人類学における経済の捉え方です。ですから人類学者は貨幣を介さない経済が成立すると当然のように考える。たとえば、モラル経済(モラル・エコノミー)という言い方もあります。実際、人類の歴史上、威信や信念で駆動する経済は多くあったわけで、そういうものに臓器移植を近づけて理解するということもあり得るでしょう。一方、経済学者の中には、体にいくら値段をつけたら最も合理的な分配が成立するかという計算をするような人達もいます。そこで語られる経済は、同じ言葉であっても全くニュアンスが異なっているわけです。

発言者5:私は、本来、臓器移植医療は過渡期の医療であって、人工臓器のような誰にも迷惑をかけず、人の命をあてにしない医療が、行き着く先ではないかと思っています。

科学と社会の相互作用発言者6:12頁目の下の図に自然と純粋科学と社会の三者の関係図(左図)がありますが、この図でいうと、人文社会学系の研究者はどういう位置づけなのかが気になっています。先ほど科学者は一枚岩ではないとおっしゃいましたが、私は、ここでいう社会、あるいは市民というものも一枚岩ではなく、政府と市民で対峙したり分けられたりするところはあると思います。そこに権力関係とか政治的な関係も勿論含みこまれていると思います。そういう権力関係を含む形で考察をしていくとか、サイエンス・コミュニケーションのような自然科学者と市民側との相互作用を促進することも、人文社会学系の研究者に期待される役割の一つではないかと思うんです。先生はその辺りをどう考えていらっしゃるかお聞きしたいと思います。

A(山崎):この図の中に人文学者を位置づけるとしたら、全てに位置づくということになるでしょうね。例えば、研究室や実験室に入り込んで、科学者が何を考えて研究テーマを決め、どこからお金を引っ張ってきて、どういう方向に科学を推進しようとしているのかも含めて科学の活動を捉えようとする研究があります。それはもう、俯瞰的な位置にある、あるいはすべてを横断的にとらえようとしているわけです。
 もう一つは、図の中にトランスレーション1、2、3とあって、自然から社会に伸びている点線がありますが、人類学者にとっては、ここの動きも凄く関心のある部分です。例えば、気候変動や偶然の事故などが唐突に現れて社会を大きく変化させることがあります。津波なんて、まさにそうした例の一つでしょう。さらに認識のレベルでは、星座を見て占いをすることも含めて、人間は、自然を通して社会的な知識を作り出してきたわけですね。動物を見て、この動物は我々の祖先であると考えるような、これはトーテミズムと言いますが、それがある種の社会形態の母体になるといった人類の歴史もあるわけです。そういう意味で、人間が持っている知識は科学的知識だけでは全くなくて、自然からダイレクトに直感される知識が沢山あります。現代の日本でもそれは無数にあると思っています。例えば、臓器移植や脳死のような科学の先端と思われている領域でも、ある種の信仰のようなものが強い力を持つことがあります。それが何に依拠した知識なのかというと、たいていは経験とか直感から来ているわけです。あの時に物事がこういうふうになったんだから、こうに違いないというタイプの知識が、実践のレベルで物凄く沢山あるわけですね。それにも関わらず、公の、高校の倫理の教科書みたいなレベルでは、法律や科学の知識が優先されて教えられているので、当然その部分のアンバランスが出てきてしまう。そこをきちんと見ていく必要があるのだとすれば、それは人類学者なり人文学者の役割だと思います。
〔翻訳の図を説明すると〕例えば、科学者が森で動物の糞を採集して実験室に持ってくる。そこで糞の分析をして、その動物が何を食べているのかを研究して、それを、この動物の生態に関する知識として社会に還元する。これが、翻訳1から2を経て3に移行していくという科学の活動です。対して、それとは異なる知識の動き方は無数にあるはずです。日本の都市で生活していると理解しにくいかもしれませんが、例えば、アマゾンの世界では動物と人間の関係は非常に密接で、人間が動物の足跡や社会性から読み取っていることが、科学とは別のルートで社会に還元されるという知識の成り立ちがあるのです。そういうニュアンスですね。

 

発言者7:ドナーの家族の語りから「臓器移植は人類に何をもたらしたか」を考えていくと、人間が生きていくときに、「ああすればよかった、こうすればよかった」という思いがいつもあると思うんです。ドナー家族の方、あるいは、レシピエントの方に重ね合わせると、自らの決定を正当化する論理というか、「あの時はあれでしょうがなかった」「こうもできたけど、まあいいじゃないか」という慰められ方、あるいは、責められ方があると思うんです。他のことなら、みんなが互いに慰め合えるわけですよね、「俺のときもそうだったしね」って。でもドナーの場合は、経験しない上に1回限りです。臓器移植の場合は、その点で違うところがあるのではないでしょうか。

A(山崎):その点で決定的に大事なことは、相談できる相手がいないということです。私がこの調査をしたときに受け入れて頂いた組織の一つに「日本ドナー家族クラブ」がありますが、そこに参加しているドナー家族の方々にとっては、そこで定期的に相談会をやったりお互いに話し合うことで、さまざまな思いを共有したり昇華させているという機能があったと思います。
 一方、レシピエントの組織もあって、これは数からいうと比較にならない大きさです。そして、製薬会社や医療系の学会がサポートして患者会の運営を支援しています。レシピエントは、その意味でも移植医療における中心に位置しているわけです。
 でも、ドナー家族の方は、資金的な意味でもサポートされることはなく、組織の規模も小さい。私が関わった時でも、せいぜい10~20家族ぐらいの集まりでした。それ以上は増えていく様子でもなかったし、増やすための手段を持っていなかったようにもみえました。それが大きいと思いますね。そういう場所に行けば、似たような経験をした人がいて、「ああやっぱり貴方も」という話ができる。そういう場所がないと、変に話をしても逆に傷つくだけで自己防衛してしまうということを話していた方も多くいました。その意味でも、広い意味でのドナー家族のケアは、個々人の救済を目的とするというだけではなくて、医療システムとして考え直さなければいけないことではないかと思っています。患者ではないけれども、関わる以上はそうしたケアが必要になるはずで、そこが決定的に抜けている。だから、一度後悔をし始めるとそれを止めることができなくなったり、一度何かの疑念を抱いてしまうと、なかなかその迷いから抜け出せないということになる。普通であれば、色々としゃべっていくなかで納得して、落としどころをつけていけるということもあると思うんです。そうでないと、やっぱり本人が一人で抱えてものすごく大変になってくるのだと思います。

 

発言者8: 山崎先生の3ページの〔学生向け〕アンケート調査ですが、やっぱり知識がない段階でアンケートをとって、その後に、臓器移植の現状や脳死とは何かを教えた上で、再びアンケートをとり、集計するともっと違った結果になっただろうと思うんですね。
 1997年〔臓器移植法成立時〕と2009年〔同法改定時〕とを比べて、根本的な移植に対する考え方の違いは、97年には脳死を真剣に検討したが、2009年の方は、脳死は傍に置いて、臓器移植を中心にして政治家が動いていったという決定的な違いがあります。
 私自身はやっぱり、臓器移植は、命の格差、差別を増強するようなことでしかないと思います。脳死とは何かということを中心にした議論のときには、〔医者は〕患者と真正面に向いて、やっぱり命の問題を検討したんです。でも、2009年の改定の中では、「脳死状態でもうあなたの命は助かりません」「ところで、臓器移植ネットワークの方のお話を聞きますか」という形にすると。頭が真っ白になっている患者さんらにとってみれば、医者と素人の患者さん、あるいは家族とは、情報のものすごい格差があるんですね。そういう中では、医者が言ったら「はい」と答えてしまうというのは一般的だと思うんです。もうそこで、医者は免責されるのです。実際の命に、どう自分たちが関わりを持つかという考えを、そこで捨てちゃってもいいような。そういう意味では、医者の劣化をますます増強させる形になっているのが現実です。そういう意味で、人類にとって、〔臓器移植は〕命の格差と差別を増長させるもの以外の何物でもないと思っています。先生、せっかくここまでやられてきたので、もう一歩踏み込んだ調査と分析をやっていただきたいと思います。

A(山崎):この本を書いた後に、いくつかやっていることもありますが、やり方として難しいというのが今感じていることです。特にドナーに関して、どういうやり方をすると、もっと突っ込んだ話が聞けるのか、あるいは、もっと色んな人に会えるのか。色々画策をしていますが、なかなか難しい現状です。今ここで私が申し上げているような問題意識にまともに取り合ってくれる人が何人か出てきて、そういう方を通じてさらに調査ができないか、と日々思ってはいます。その成果をきちんとまとめるにはもう少し時間かかりそうです。

 

発言者9:私は、臓器移植に関する、二人の情報を得たことがあります。一人はドナー家族の方で、触れられたくないので話したくないという方。もう一人は、中国の死刑囚からの臓器提供を受けて10日後に中国で亡くなった方のご家族でした。掘り下げるお話はできなかったのですが、経験していろいろなことを知ればそれだけ臓器の提供も移植もいやだという気持ちになると言っていました。患者団体も移植を望む立場の人、意思を明確に出せない脳を損傷している人、様々です。双方の要望があるけれど、この“医療技術”は命を天秤にかけること、どちらかを犠牲にしないと成り立たないことが問題ですよね。

発言者10:遷延性意識障害、いわゆる植物状態の家族を介護している家族会を運営しております。先日、やまゆり園の問題を毎日新聞から取材を受けました。その時に、命の尊さというものが日本中でかなり軽くなっているんじゃないか。また、脳死が本当に人の死なのかという議論が、日本中でコンセンサスを取れていないんじゃないか。さらには、出生前診断をして中絶する方が増えているという報道。これらも含めて、もちろん犯人に対する怒りは全く別のところに置いたうえ、話をさせていただきました。もう一つ、安倍政権が言う「一億総活躍社会」について。家の子は、いわゆる、社会的な生産性を求める活躍ができるかというと、できないです。今生きている、それ自体が活躍なんじゃないのかと考えています。一つ気になるのが、日本の人口は1億3千万人位いるのに、1億って、ずいぶん大胆に四捨五入されちゃって。3千万人切り捨てじゃないかと。今の風潮は、どっちかっていうと全体主義的で、マイノリティがどんどん疎んじられている。メジャー指向のような流れで、この「1億総活躍社会」にも、もうちょっと目を向けていかないとと、そういうようなことを、記者と話しました。

A(山崎):以前、遷延性意識障害の状態の方がいらっしゃる施設で調査をしたことがあり、看護師と医者とご家族の方に先ほど言ったような「インタビュー」をして、それをまとめて2014年に論文にしました。その中で焦点をあてたことの一つは、言語以外のコミュニケーションの方法です。人と人とがしゃべっているときのコミュニケーションとは違うタイプではあるけれども、明確に分節化がなされていて、例えば、イエス、ノーみたいなことを何かのサインとして用いて意思疎通をするといったようなコミュニケーションが豊かに現場で行われているということが分かったので、そういうことを少し書いている論文があるんです。よろしければぜひ、読んでご感想いただけたらと思いました。
 もう一つ、命の捉え方が変わっているというテーマは、研究者としてはきちんと向き合わなければいけないテーマだと思います。先程申しましたように、その意味では、臓器移植は日本における非常に重要なテーマであると思います。これまで人の命を語るときに用いられていたいくつかの言葉のセットがあると思うんですね。それは、家族の言葉であったり、社会との関係も当然あったと思うんです。それらが色んなところで変化していて、例えば、子供の将来とかリスクとか、あるいは人口単位で見た場合の生産性などの言説が、医療以外のところから沢山でてきている。それは大きな時代の変化とも関わるのだと思いますが、それをトータルで捉えておかないと医療の現場で起きている変化を読み解けない。医療現場で起きていることが、実は全然違う労働政策と関わっているということは、大いにあると思います。それがもう少しはっきり言えるようになれば、また違う議論の組み立て方ができるのではないかと思っています。

 

(テープ起こし:川見公子/小宮山陽子)


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第9回市民講座(2016年3月6日)の報告

2016-06-19 07:05:57 | 集会・学習会の報告

第9回市民講座(2016年3月6日)の報告

 

会場写真 第9回市民講座では、バクバクの会会員のお二人に講演して頂きました。お二人のお子さんは、一時は脳死に近い状態と診断されましたが、その後状態が安定し、自宅療養生活を開始、現在は小学生です。お子さんの病気とこれまでの経緯、自宅生活、学校生活、生活や医療の中で感じてきたことをお話して頂きました。
 脳死からの臓器移植が行われる度、「命のリレー」「誰かの体で生きる」といった言葉が飛び交います。「本人同意、患者の選択」の元で進行する生命軽視の流れが強くなる中、お二人のお話は私たちにたくさんのことを考えさせてくれました。
 会場にはバクバクの会(人工呼吸器をつけた子の親の会)の会員の皆様をはじめ、約50名が参加し、巽さんと永瀬さんのお話に聞き入りました。以下の講演録をお読みください。

 

講演1<たった一つの大切ないのち>
 巽 奈歩さん(巽 康裕くんの母、バクバクの会会員)

講演2<命の境界線-そんなものはあるのか>
 永瀬 哲也さん (永瀬 遙ちゃんの父、バクバクの会会員)

 

たったひとつの大切な命

巽 奈歩

 皆さんこんにちは。巽 奈歩です。
巽 康裕さん 我が家には、呼吸器と共に暮らす、重度脳性まひと言われる10歳の息子〈康裕〉がおります。一時は脳死に近い状態と言われ、もう眼を開けることはないのではないかと言われましたが、少しずつですがいろんな成長を見せてくれています。笑う事や泣くこと、動くこと、人が当たり前にできるほとんどのことができませんが、でも彼の周りにはたくさんの笑顔があり、その中で私は康裕と一緒に生きています。この子からたくさんの大切なもの、そして“ただいること”その存在の尊さを教えられました。何もできなくても、今心臓が動いて生きていること、これほど価値のある命はないと思います。だからこそ私は怖いです。何かができないと除外されてしまう、生きる道を閉ざされる、誘導もある「臓器移植法」は怖いと思います。
 康裕の危篤時、ただ、心臓の「とくんとくん」という鼓動を聞きながら、私は康裕と約束しました。「何もできなくてもいいよ、一緒にお家に帰ろう。思いっきり生きようね!」と。そして奇跡的に命を取り留めた康裕と今を生きています。たとえ明日の命と告げられても、心臓が止まるまでの1分1秒まで大切にしたいと思います。
 でも私は昔からこうじゃなかったのです。毎日泣いてばかりでした。痛々しい康裕を見て、「もうやめて」とあきらめかけ弱音を吐き、受け入れるまでに時間がかかりました。だからこそ今の状況、怖いです。パッと決めろと言われても…。前の私ならどうしていただろう?もしあの時が今だったら、私はもしかしたら、一生後悔する選択をしていたのかもしれない…。すごく怖いです。その頃の思いや葛藤、少し振り返り、話していきたいと思います。

≪康裕の生い立ち≫
 康裕は、2005年4月5日、実家のある広島の病院で出産しました。生まれる前は病気だとは分かりませんでした。逆子で小さかったので、念のためNICUのある広島市民病院から来てくれた新生児科の先生の立ち会いのもと、帝王切開での出産でした。私は元気でオギャ-と生まれると思っていました。でもね、赤ちゃん泣かなかったんです。一気に先生たちがバタバタ~と、いろいろ叫んでるんです。「お母さん、赤ちゃんが息をしていない。すぐに大きな病院いきますね。」そう言って、人工呼吸をされながら、あっという間に救急車で出て行っちゃいました。
  何が何だかわかりませんでした。わたしの赤ちゃんどうなったの?と。
 広島市民病院のNICUでやっと会えた時、生きていたことに感謝しました。たくさん管をつけていたけど、生きていた、良かった!と思いました。その後、横隔膜挙上症と診断され、すぐに手術をしないといけないと言われました。本当に辛かったです。なんでこうなったの?神様助けて!涙が後から後から出てくるんです。健康に産んであげられなくてごめんねと、泣きながら康ちゃんに謝りました。とりあえず手術は成功し、1か月後に呼吸器を外し自分で呼吸できるようになりました。この時初めて小さな声だったけど康ちゃんの声を聞くことができました。嬉しかったです。このまま元気になって帰れるものだと思っていました。しかし先生は、退院は難しいかもしれないと言うのです。呼吸器に戻るかもしれないと。その時は、ペナショッカ―1型と言われました。当時、まだこの病気は良くわからない病気で、長期生存例が少ない。この病気だと思うが断言できないと言われました。でも、この頃の私は病名なんてどうでもよかった。将来どうなるのか、生きられるのかどうか、治るのかどうかが知りたかった。私は、普通じゃなかったらどうしようと思った。普通ってなんですか?私にとっての普通は、みんなが当たり前にできることだった。息をすること、歩けること、食べられることでした。出来ないことがあるということに、私は不安を感じていました。
 息を吸えたと思ったら3日後に挿管、その繰り返しでした。毎日毎日、病院からの電話が怖かった。もしも間に合わずに、死んだらどうしよう、会えない時間が不安で不安で仕方ありませんでした。この頃、NICUの面会時間は一日30分だけ。急変しても駆けつけられるように、1日中病院の待合室にいました。電話ばかり握りしめ、心配と不安でもう限界でした。
 夫のいる大阪に帰れば、康ちゃんも家にも近づくことができる。それに、この病院で難しいことも、病院を変わればなにか分かるかもしれない。そう思い、先生に相談しました。
 先生も賛成してくれて転院先を探してくれました。すぐに見つかると思っていたのですが、どこもダメでした。気がつくと大阪中のほとんどの病院に断られていました。NICU不足とは聞いていましたが自分の身に降りかかるとは思ってもいませんでした。誰も助けてくれない、断られる度に泣いていました。今なら納得はいかないけど理由はわかります。長期入院がネックです。助けられる命が優先、医療費の削減です。
 もうこうなったら、自分で探そうと思いました。新大阪に行き、飛び込みで病院に当たりました。でもやはり、どこも駄目。門前払いでした。どうしたらいいか分からなくなり茨木市役所に行きました。ここは障害手帳を持っている人の受付と断られた。保健師さんを訪ねたらよかったのかもしれないけど、なんも知らなかったし、精神的にそれどころではなかったのです。そんなとき康裕が重責発作を起こしたのです。
 何度もの重責発作から呼吸停止。康裕は筋緊張が始まり、しゃちほこみたいに曲がって、呼吸が止まり熱もある。できることは睡眠薬か筋弛緩剤の投与。折れた骨に力が入って固定もできない、薬も吐いて痙攣もおさまらない。胃ろうの手術もした。腸まで管を延ばしてもだめ。
 「こんな痛い思いばかりで、1歳まで生きれないなら、何もこの先できないなら、今ここで呼吸器を外した方が、この子は楽になるのでは?」この頃の私は、そんなバカな事を考えるようになっていました。
 7か月の時、大阪府立急性期医療センターに転院できることになりました。新しい病院で1歳の誕生日を迎えましたが、1歳まで生きられるかどうかと言われていたので、私は嬉しさよりこわさがありました。それに転院したけれど状況は何も変わらなかったのです。

≪心の変化≫
 「苦しい?痛い?」答えられない我が子に、泣きながら問いかける葛藤の日々。そんな中、康裕は危篤状態に陥りました。管だらけの康裕。主治医が見せた心臓の画像は、説明が要らないほど大きくなっていました。それは、最後の力を振り絞り、それでも生きようとする心臓だと言われました。
巽 奈歩さん 「蘇生どうしますか?心臓に注射打つならサインして!」そう言われ、「お願いします。」と言った私には、今までの迷いは全て吹っ切れていました。死にたい子どもなんている訳じゃない。何もできないなら幸せじゃないというのは親のエゴだと思った。見えなくても、聞こえなくてもいい。出来ない事はママが補うから。一緒にいようよ。楽しいこといっぱいしよう。友達100人作ろうよ。と約束しました。この時の約束が、私と康裕の原点です。あの時、康裕は奇跡的に命を取りとめました。もう眼を覚ますことはないだろうと言われましたが、命に感謝しました。心臓の音を毎日聞いていました。「とくんとくん」と聞こえるんです。身体も温かい、今日も生きていてくれている、それだけでよかったのです。
 そして、この時に気管切開をしました。気管切開、喉頭分離。実はだいぶ前から、言われてました。口からの挿管は、時間もかかるし、本人の負担も大きいと、言われていました。けど、私は、康ちゃんから声を奪いたくなかった。喉頭を取ったら、一生話せなくなる。私は、どうしても決断できずにいたんです。でも、たとえ、声をなくしても一番大切な命がある。やっと、この時に手術をして下さい。ということができました。
 受け入れに時間がかかりましたが、命に感謝し、たとえ目を覚まさなくても今日も生きている、傍にいる、それだけで良かったのです。
 だけどこんな痛々しい姿を見ると、もうどうか、これ以上苦しませないでと思ってしまう。医者の言葉が全てだった。そんな時に、どうせ助からない命とされ、楽にしてあげようや、命のリレーでずっと生き続けるなどと言われたら、私はその時、もしかしたら、とんでもない過ちを犯してたんではないだろうか?そう今は思います。命のリレーなんてない。一生懸命生きようとする子供を殺すことだと思っている。何かできないから死にたいなんて子供はいません。

≪かけがえのない命に教わったこと≫
 急性期病院の『重症部屋』と呼ばれているところに入院していた3年間。辛く悲しい別れがたくさんありました。それでも、みんな病気と闘い、頑張っていました。痛く苦しくても、「帰りたいから頑張る。」「また学校へ行きたいから。」そう言っていました。「死んでもいい」なんて言う子どもは、誰ひとりいなかった。私自身、この子たちに‘かけがえのない命’を教わりました。この子ども達の声を、しっかりと聞いて欲しいと思っています。死ぬための医療なんて存在しない、生きるため、助けるのが医療だと思います。

≪なにも出来ないと、生きる価値がないの?≫
 病室の白い天井、白い壁が康裕の家じゃない。たとえ同じベッドの上だとしても、絶対に病院では感じられない生活の音。家族の声が肌で感じられ、安心できる家に帰りたい。そう思い、準備を進めようとしたら数々の法制度の壁にぶつかりました。小児慢性特定疾患は取れない。脳性まひは病気じゃないからと。そして障害者手帳3級。まだ1級は取れませんでした。一歩進みたいだけなのにと歯がゆい思いをした3年間でした。それでも一緒に過ごすことを目標に歩み、3歳で在宅の道を歩み出しました。
 あたり前の生活。その当たり前のことが、康裕には一番遠かった。
 近所の車の排気音や電車の警笛を聞きながら、暑さ寒さも肌で感じ、日々成長し強くなった康裕から、当たり前の生活を共に過ごすことの大切さを教えてもらいました。夏は花火にプール、冬はマフラーをして帽子をかぶる。知らなかった世界を一緒に見ていきました。
 こうやってたくさん出かけていると、良いこともたくさんあったけど、そうでないこともありました。バスの乗車拒否や、新幹線にも、呼吸器を乗せないでくれと言われたり。ちょっとエレベーターに乗ろうとしても、皆が我さきに乗るので何度も待つなど。療育園の送迎バスでさえ、呼吸器は責任持てないからと言われ、康裕だけ乗せてもらえませんでした。遠い療育園から帰り、近くの公園へ行っても、だれも康裕の事は知らない。みんな、怖がっちゃうんです。たくさん機械つけて、寝てるような康裕を見て、「あの子怖い。」って泣きだす子もいました。そして、一番嫌だったのは、「みちゃだめよ」って言う親の言葉。見ていいんだよ。お友達になってね。分けてしまうから、知らない。知らないから怖がる。障害は別世界の話になる。友達100人作ると約束したのに、まだ康裕には、同年代の近くのお友達がいなかった。康裕の事を知ってほしい。この時、地域の小学校へ行くという!新たな目標が出来ました。
小学校のお友達とともに そして今、康裕は地域の小学校4年生になりました。朝「行ってらっしゃい」と送り出し、夕方「お帰り。」と、帰ってくるまで、子どもの世界にいます。
 毎日たくさんの友達に囲まれています。1年生から一緒にいるみんなは、康裕がいることが当たり前です。確かに康裕は、話すことや笑うこと、歩くことや食べること、出来ないことはたくさんあります。でも、たったひとつの大切な命を、精一杯生きています。そして、その大切なものをみんなに教えています。
 私がまだ付き添いをしている時の話ですが、他のクラスの子が「この子どうしたの?何で目開けないの?なんで車椅子なの?」と聞くんです。(あ、なんて答えようかな?)と思ったと同時に、横にいたお友達がすぐに「康ちゃんはね、自分では話せないけどちゃんと聞こえてるんだからね。優しくしないとだめなんだからね。」と言ってくれた。今までは、私が康ちゃんを守ると必死でやってきました。でも、お友達が守ってくれたんです。とっても感動しました。
 懇談日に担任が話してくれました。その頃康裕は、電気係をやっていました。棒を使って電気をつけるという康ちゃんにもできる係です。ある雨の日、先生が教室へ入ると、みんな真っ暗い中でいたそうです。先生が、ふと電気をつけようとすると、みんなが「先生着けたらあかん。電気係は巽くんやで!さっき廊下通ってたから、もう来るから、先生がつけたらいかん!」って先生が怒られて、「康ちゃんが遅れたら、今大変なんですよ~。」と、話して下さいました。でもそれは、みんなの中に康裕がいて、ちゃんとクラスの一員であること。そしてちゃんと役割があるってことです。「康ちゃんの存在は、みんなにいろんなことを教えている。これが、ともに学び、ともに育つことなのですね。」そう担任が言ってくれました。
 この子たちは優しい人に成長するだろうなと思いました。康裕は大切なことを伝えているのです。

≪この子たちが生きられない社会にしないで下さい≫
 昨年、学校の人権講演会で、“命の大切さや障害のこと、地域で一緒に生きる大切さ”などを話してきました。
 みんなに「康裕のようになったら、何もできないなら、もういいや」と思うかと、子どもたちに質問しました。みんな首を横に振っていました。命の大切さ、それは、どんな命も、みんなと一緒のかけがえのない、たったひとつの命。

この講演の後、子どもたちから感想が届きました。その一部を紹介します。
 「この世で一番大切なのは命で当り前のことができることが幸せなんだと思いました。」「これからは一つしかない命を自分にも他人にも大切にしたい。」「体が不自由でも懸命に生きているんだ。頑張ってもできない人の力になりたい。」「いつも私たちがしてることができない人がいる、僕も結婚して子どもができても康ちゃんママのようにします。」「辛い思いを乗り越えて生きているんだと思いました。見かけたら声をかけます。」などなど、600枚の感想文をもらいました。
 康裕が生きていることによって、康裕はこれだけの大切なことを伝えています。生きている命、存在が何より尊いものなのだと思いました。
 臓器は、一人にひとつずつ、その子本人のものです。それは、親のものでもありません。どこの世界に「臓器あげてもいいよ。死んでもいいよ。」なんて言う子どもがいますか?それを言わせるのは虐待じゃないの?「寝てても離れないでね。傍にいてね。」それが子どもです。命に向き合い、本当の大切さが分かった今だからこそ…そう確信をもって言えます。
 祖父が数年前にALS(筋委縮塞索硬化症)になった時のことです。義父を励ましていましたが、進行が早く、呼吸に支障が出るようになりました。義父は「呼吸器つけない。わしは尊厳死する」というのです。何があったかと聞くと、病院で年を取ってからの呼吸器は「痛い辛い、先進国では呼吸器なんてつけません。」と言われたそうです。義父の思いは、私に迷惑をかけたくない、というものでした。それより誘導した医者に腹がたちました。医師に会いに行くと「小さい子と大人は違います。」というのです。何が違うの?それって命を序列化していない? 65年生きたからもう本望だろうと言いたいのか?家族にとって何歳であっても大切な人。ほんと、こんなところまで選択というより誘導になっていると思うと悲しかったです。結局、義父は呼吸器をつけると言ってくれ、最後まで生きてくれました。一年半前に亡くなりましたが、夢は呼吸器つけて沖縄に行くことでした。最期まで生き抜いてくれた義父。だから見送れたと思います。
 どうか、命を序列化しないでください。そしてどうか、この子たちや、病気で苦しんでいる人達が、生きられない社会にしないでください。どんな命も平等に、救うための医療であってほしい。誰かが死ぬのを待つのは医療ではないです。そんな社会を心から願います。
私は、今この時この瞬間を大切に、康裕と生きています。たとえ限られた命であったとしても、心臓が止まるまでの1分、1秒まで、みんなと精一杯生きていきます。

 

 

 

命の境界線~そんなものはあるのか~

永瀬 哲也


 娘の遙は8歳です。生まれた時の事故で心肺停止になり、その時脳死に近い状態と言われましたが、その後も成長し、家でも穏やかに学校でも楽しく過ごしています。

「命の境界線~そんなものはあるのか~」
 これは、立岩真也先生の「人間条件―そんなものはない」という本を読み、その本の題名の付け方から本日の講演タイトルをつけさせてもらいました。

娘は13トリソミー
 13番目の染色体が3本になるという病気です。染色体は人間を作る設計図なので、分裂する全てに情報が移っていきます。世の中に13トリソミーの子は余りいません。なぜかというと、生まれてこないのです。13トリソミーだと思われる胎児の2%くらいしか生まれないと言われています。そういう病気です。
 娘は13トリソミーの他に口唇口蓋裂がありました。医師に派比較的症状が軽いと言われましたが、おっぱいを飲みたい欲望は強いのに吸えないのです。どうするかというと、おっぱいをなめる、しかしそれでは飲める量は少ないので鼻からのチューブでミルクをのんでいました。生まれてきても1年まで生きられる子は10%だと言われたので、在宅にさせてやりたかった、私たちは慎重に在宅に移行しましたが、しばらくしてから、戻したミルクが肺に入り心肺停止となり、その時に頭に酸素がいかなくなって脳死に近いと診断されました。

13トリソミー、18トリソミー、21トリソミー(ダウン症)って?
 これらには共通点もあるし違う点もあります。染色体に番号がついているのは意味があり、数字が小さいほどより多くの情報を持っているという訳です。染色体の数字が低い方に異常があるというのはより重いということになります。ダウン症の子どもは沢山おり、13トリソミーの子が少ないのは、生まれてこなかったり生まれてもすぐに亡くなる子が多いからです。設計図に異常があるので、いろんな異常が出てきます。

13・18と21の間に分ける線が引かれる
 いつだれがどんな理由で分けるのでしょうか?13と18は治療しても助からないという医療者がいます。ある意味正しく、ある意味で正しくないでしょう。妻は出生前診断を受け、私たちは遙が生まれる前に13トリソミーだと分かっていました。
 医師から口唇裂はあるがそれ以外にも成長が遅いから専門病院に行った方がいいと言われました。それで日本を代表する小児専門病院に行きました。医師に染色体の異常がある確率が高いと言われ、染色体検査を受けるように勧められたのです。きちんと迎え入れる体制を取らなければいけないけれど、リスクもある羊水検査を悩みながら受けました。医師は「生まれてくるかどうかわかりません。生まれても一年以上生きられることはないと思って下さい」といいます。何も希望が持てない状態を説明され、最後に「生まれてきたらどうしますか、治療しますか?呼吸器つけますか?」と聞くのです。まだ生まれてもいないのに聞くのです。「子どもが苦しむのでなければ治療して下さい」と話すと、うちの病院じゃない方がいいという。検査をするのは体制を整えて受け入れ準備をするということなのに、この病院では治療しないという。ダウン症なら受け入れ準備をするのに、13.18トリソミーは治療しない、と。
 それで私たちは元の産婦人科に戻って、「この子を受け入れてくれる病院がない、捜せないなら私は生きている意味がありません」と言ってしまったのです。先生も「良くわかります。全力で捜します」と、問い合わせてくれたら、手をあげてくれたのが、東京医療センターと慶應病院でした。すぐに会いに行ったら、理解して頂いたので、東京医療センターにお世話になることにしました。その医師は18と21の間に線を引いていなかったのです。そのおかげで娘は今も生活出来ていると思っています。学校でもプールに入ったり水族館に遊びに行ったりして日々を過ごしています。

 21と18の間、21と健常者の間に線を引くこともあります。いつ誰がどんな理由で分けるかということですが、数年前に、新型出生前診断が日本でも出きるようになりました。これは妊婦さんの血液を取って染色体を並べて異状があるかどうかをチェックする検査です。この検査は容易に受けられると言われています。そのあと確定検査を受けて、13.18.21が疑われると90%以上の親が妊娠中絶するという現実があります。命の線引きがそこでされているのです。妊娠中絶は経済的理由や身体的理由がある場合に行われていますが、それ以外にも命の境界線が引かれているということです。

他に境界線はどんなところに引かれるのだろうか
 他にも脳死と植物状態の間に命の境界線が引かれる? 植物状態は自発呼吸が残っているので、自力で呼吸できるが、脳死の患者さんは脳幹がダメージを受けていて自力で呼吸ができないといわれます。脳死は法律上の検査を受けると死んでいると線を引かれて臓器提供に使われる。臓器が欲しいという人がいて線を引かれることになったわけですね。臓器を提供するということは、美談に見えますが、引く必要のなかった所に線が引かれるようになったことから、シンプルに考えればどうかなと疑問もわきます。
 脳死の患者を人の死とすることには問題があるのに、植物状態の患者さんにまで死の境界線を下げるのではないでしょうか。移植用の臓器が少ない、足りないと欲しくなる、境界線を下げて、植物状態の患者も提供者に含めていいんじゃないか、その動きが私が考えていたよりも早く現実味を帯びてくると思います。
 それは長期間意識がない患者さんも提供者にしていいのではないかという論文が出てきているのです。範囲を広げて人の死にしてしまう考えは「意識がないのは死んだも同然でしょ。いても迷惑をかけるだけ」「臓器をもらって普通に生きられる人がいたらあげればいい」と。話せる、働ける、何かをできる、という人と比較されて、境界線は手前に寄ってきています。

 受精胚は受精2週間で扱いを変えています。ES細胞の研究で受精胚を使うのですが、。受精胚はおなかで育てば人になるものですが、核の分化の始まりと言われる14日以前なら取り出して、研究にしようしてもいいという訳です。神経もなく痛みもないからいいでしょと、育てば人になるものをこういう形で使っていいか議論もない。これも一つのいのちの境界線だと考えています。
 
 不治かつ生命の末期状態で尊厳死を望む人は線が手前に来ます。これには、誰の役に立たない、死んだも同然、何も作れないという考えが大きく影響しているのではないかと思います。
 認知症はどうでしょうか。認知症になったら死にたい、迷惑かけたくないから死にたい。そういう考えがが広まるのは命の境界線が手前に来ている現れだと思います。認知症になった時に周りの人がどう接するかが問題です。人は一人で生きていけないのに、認知症だけが迷惑をかける訳ではないのに、急に放り出される感じがします。支え合うのは順番なのにそういう風潮にならない。迷惑をかけるべきでない、死んだも同然という考え方が影響しているのではないでしょうか。境界線がどんどん手前にきていると感じます。脳死だけだったのが、意識がない人にまで広げていくという速度はは恐ろしく早いと思います。

境界線を引くのは誰か、なぜ引くのか、
 境界線を引くのは、今生きている人みんなだと思います。価値観を見直さないと知らない間に自分も境界線を引いてしまうという警戒心を自分は持っています。いい人でありたい、迷惑をかけたくないという考えが、境界線が手前にくる一因にもなる。そういう動きに対して怖いという声を出せない人が一番怖いのではないか。
永瀬 哲也さん 意識がないように見える娘を持って、手前に来る境界線に気づいてしまった以上は、声を出すようにするしかない。万一、娘が親よりも長生きした時、どういう時代になっているのか?生活できるそんな社会になっているだろうか、と考えています。
 命の境界線が手前に来るという圧力には闘っていきたいと思っています。正直勝つのは難しいだろうと思いますが、自分のできる範囲で頑張っていきたい。心が折れることもありますが、私は次の二つの言葉を支えにしています。
 一つは先日の小松美彦さんの講演の中で教えて頂いた辺見庸のことばです。
「例外はありつづけ、悩み、敗北を覚悟して闘い続けること、これがじつは深い自由だと私は思わざるをえません」(辺見庸)
 もう一つは、娘の出生前の確定診断が出た時に支えられた言葉です。
「絶望してはいけない。だが、もし絶望してしまったら、絶望の中、進み続けるのだ」(エドマンド・バーク)

 なかなか勝てない時にこの闘いの意味はあるのか、闘いぶりはどうなのか、自分が死んで「向こう」へ行ってからの娘との会話で分かるのではないかと思っています。
 私は、娘が生まれる前は、臓器提供を受けたいという人に寄付したこともあります。。かわいそうと思って。もし、自分が動けない、意識がない状態となった場合には、自分は生きていていいのだろうかと思ったこともあります。娘が2か月の時、心肺停止になり脳死に近い状態と言われた時、脳が真っ白で脳幹もやられていると言われた時、「娘は臓器提供の対象になりますか」と聞きました。医師は「15歳未満なので提供できません。子どもの場合は大人と違って脳死というのはありません。そんなことを考えずに遙ちゃんが穏やかに過ごせるように一緒に頑張りましょう」と言われました。だから私は娘がいなかったら、こういう医師と出会わなかったら、こういう考え方にならなかったかもしれません。娘が社会のいう「生産」に貢献しなくても、娘は私にいろいろと教えてくれています。

 

 

質疑、発言


●娘は障害を持って生まれ、呼吸器をつけています。今の病院では呼吸器をつけて退院する前例がないと言われ、手探り状態です。心停止を起こしながらも頑張っている娘を見ると、生きてほしい、自宅に連れて帰ってやりたいと思います。先日中学生の姉が「ドナーカードへの登録」という手紙を持って帰ってきました。私はこれまで軽い気持ちで「脳死になったら臓器提供していいかな」と思っていましたが、今日のお話を聞いて簡単に決めてはいけないと思いました。でもあの登録は簡単にできる感じでした。改めて命の大切さを勉強しないとカードで提供となってしまうので、考え直したいと思いました。お話聞けて良かったです。

 

●呼吸器をつけた息子を自宅に連れて帰り24時間介護をしていました。浅い睡眠の日々を繰り返し3年、先日、息子が亡くなりました。今日、巽さんや永瀬さんのお話を聞いて同じことを考えていた人がいたんだとほっとしました。病院の先生や地域の小児科の先生の協力で、3年間の貴重な時間を得られました。今私は、恩を社会に還元したい、役に立てることがあるなら何かしたいと思っています。呼吸器をつけた子どもたちが健気に生きていることを知って頂ければ、臓器移植についても考えていただけるのではないかと思いました。

 

●特別支援学校の訪問藉で、4年生の息子がいます。重症新生児仮死で生まれ、呼吸器を使って生活しています。11か月で在宅になりましたが身体だけでなく心も成長しているのを感じます。兄弟に囲まれて、そこにいることに意義があると感じています。体調が整えば外に連れて行くこともあります。「気持ち悪い」とか言われることもありますが、「お兄ちゃん元気?」とか「折り紙ベッドに置いて」など、小さい子どもはすぐに存在を認めてくれます。

永瀬)みなさんからお話をお聞きして、実は我が家はそんなに困っていないと思うこともあります。学校にも通っているし、在宅もできたし、小児の訪問看護も見つかり、綱渡り的にラッキーだった、比較的に恵まれていると思います。サービスのあり方が地域によって違い、自宅で過ごしたくても過ごせない人もいるのではないか?大都市ではできても地方では無理という知人もいます。家族が倒れてしまうから病院から出せないという医師もいます。今日もここで話ができる体制があるということです。参考になるかどうか、ピアサポーターという制度があります。先輩の親が、現在困っている親の相談を受ける活動です。どれだけ貢献できたか分かりませんが、自分の体験からできる一つの方法かなと思っています。成育医療センター、神奈川の県立こども病院、多摩医療センターが一緒にやっています。活動が自分の学びの場にもなりました。

)私も恵まれていたかもしれません。ヘルパーステーションや訪問看護はなく、はじめは大変だったけれど、今振り返ると、希望する地域の学校に行けている。今悩んでいる人に何をしてあげたらいいのか、アドバイスはないかと考えてしまうことがあります。康裕が学校に行けば私はいろいろなことができます。朝行ってらっしゃいと送り出し、夕方お帰りと迎える。それができない人がたくさんいる。365日付きっきりという人、身体を壊して見ている人もいること、考えさせられました。先ほどのお母さんのお話を聞いて、お子さんはすごく幸せだったと思います。

 

●巽さんと永瀬さんのお話に励まされました。僕は5年前に心筋梗塞をやって元気がなく、死んだらどんなに楽だろうと思うことがありました。一方であれを書きたいとか読みたいという気持ちもある。死にたいと思いながらこうしたいという気持ちが同居するのです。他人に迷惑をかけたくないから尊厳死という論理は本人の論理ではないと感じます。巽さんのお子さんが普通学級に行っている、世間的にいえば珍しい話ですが、教育委員会とけんかはしていないのか、聞きたい。それから、「認知症」という言葉について。昔は「ボケる」という言葉がありました。「認知症」と病気で括って大騒ぎすることに乗ってはいけないのではないかと思うのです。「認知症」という言葉は「ボケる」よりも人間を分類して差別的でないかと思い、そういう言葉にのらないでおきませんかと提案したい。

)療育園でも最初は訪問籍にしてくれと言われました。月1から通わせてくれというところからのスタートでした。でも卒園する頃にはみんな慣れ、普通に通えていました。だからこそ、私は小学校は絶対に地域に行くと、最初からがちがちに構えていました。小学校の受け入れ態勢は良かったですが、当初は看護師は一人体制だったり、呼吸器の子は初めてだからこれはダメあれはダメと言われたりしました。壁を崩すのは担任とか周りの先生でした。それから校長先生を説得してくれました。はじめは親が付き添うこともありましたが、先生がケアをやってくれるようになり、4年間かけて少しずつ今の体制が出来上がり、朝から夕方まで離れていられるようになりました。

 

●学校から迎えに来てくれるのですか?

)箕面市に「ゆずるタクシー」というのがあります。以前は介護タクシーが先生を乗せて家に迎えに来てくれていましたが、昨年からシルバーセンターの人を使って「ゆずるタクシー」(体の不自由な人が使えるタクシー)が、同じように学校から先生を迎えてから家に来てくれるようになりました。

永瀬)尊厳死に関しては、深い議論があると思います。尊厳死を制度化したり法制化して「尊厳死はいいもの」と、押し進めるのはダメと言いたかったのです。「認知症」について、義母を見ていると言葉で括ることは家族にとってはどうでもいいことと感じますが、医療にとっては治療に結びつくとか説明に使うなら必要かなと思いました。「ぼけている人」の方が自然だと、私も思います。

)尊厳死という言葉について、義父の時に本人が生きられないような言い方で「尊厳死」が使われました。本人が生きられないようなことは言わないでほしいのです。

 

●死にたいという人に、あなたホントは生きたいんでしょ。そんなこと言わないでよ、という返し方はある。一人の気持ちの中に、生きたいと死にたいと二つあって、最期まで生きたい、それを周りが理解するということではないか。

永瀬)ほぼ同感です。私は安楽死を扱うドキュメントを前に見ました。協会から人が来て本人や家族を納得させて薬を飲ませるんです。しかし飲んだ本人が「水が欲しい」というのに家族はあげない、「水を飲みたい」というのは生きたいということではないかと思いました。私は未経験ですが、今言われたことがスッと入ってくる思いがしました。

 

●容態の悪くなった母(99歳)を看病して、苦しい時でも身体が生きよう生きようと必死で呼吸をするんだ、人は死ぬその瞬間まで身体が頑張るんだと思いました。

 

●障害者総合支援法案の中に、外出できない人の為に人を派遣するというのがあるのですが、ヘルパーやレスパイトを充実させる方がいいのではと思いますがどうでしょうか。

永瀬)訪問を充実させ、選択肢が増えること自体は良いがその背景にあるものは何かと考えてしまうと、一概には言えない。訪問しているから他のサービスはいらないというのでは困りますが。

)私も同じです。ヘルパー支援や移動支援が減らされたらどうしようと思います。訪問発達支援で、家から出ないお子さんに支援があることはいいことだと思います。背景に何がと考えると、ちょっと怖い。私たちも支援の時間を増やしてほしいと要望しています。

 

●医療の現場で、命を操作するとか、医療現場の変化を感じたという事例はありますか?

永瀬)長期入院で人工呼吸器の子を受け入れないという話がありましたが、特に公立の病院では、ベッドを他の子に譲った方がいいとトリアージしていると感じます。病院の看護師さんに話すと、予算管理が厳しく専門病院でないと扱わないという事情があると。

 

●最近、事前指示書を取る病院が増えています。先のことは分からない、最後に「助けて」となる人もいるのに、意志ということで入所の時に書かされてしまう現状があります。

 

●総合病院で看護師をやり、現在は看護学校で教えています。患者の回転が速く長く入院できない現状です。学生一名を5日間一人の患者につき添わせて欲しいと希望すると、5日間入院している患者を見つけるのは難しいということがありました。別の病棟やリハビリ施設に移り、長く入院して出ていく患者は非常に少ない。その辺変化が激しいと感じます。

 

●バクバクのメンバーです。永瀬さんのお話は何度聞いても勉強になります。巽君のヘルパーは私もできます。彼は若いお姉さんが好みのようで、おばちゃんは好まれないかもしれないのですが・・。人工呼吸器をつけて地域の学校に行くのは、私の息子(現在26歳)も子ども時代普通学校に通いました。30年前から地域の中で学び育つということが行われてきた歴史があります。大阪は人工呼吸器を付けた子は地域の学校に行っている子の方が多いのです。少しずつ変わってきているし、差別解消法で弾みがつくのかもしれません。呼吸器を着けている子はとても面白いです。命の塊なので、接していると自分も元気になるし、何かをしなくてはと考えるようになるのです。

 

●巽さんは小学校でお話されてきたということですが、どんなお話をされていますか?永瀬さんには、本日のパワポを紙芝居にするつもりはないかお聞きしたい。

)低学年には人工呼吸器の絵を描いてどこで息をするかなど説明しています。友達を大事にしようと。中学年は、苦手なことがあってもスタート地点はどこからでもよいと話しました。高学年には、命を大切にしない子がいる。私は二度と笑えないと思ったが、今楽しいし希望を持っている。いつか必ず雨は止むんだよと話しました。

永瀬)私は人に伝えるというより、個人的経験で感じたことを出した時に、皆さんの表情やご意見で気づくことが沢山ある。自分のために話させて頂きました。

 

●尊厳死法案が上程されるのではと言われています。法律ができるということは国策として尊厳死を推進することになります。「死に方は自分で決めてよい」と言いながら、早く死ぬ方向性を国が示すことになります。国が決めることではないし、国会上程となったら私たちも反対の輪の中に入っていきたいと思います。

 

 

 


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