第6回市民講座の報告(講演録)
【質疑応答】
質問:田中さんに、今回は主に意識不明の方の尊厳をどう考えるかというお話だったと思いますが、当事者の事前指示書や尊厳死協会への登録で尊厳死を求めていることはどう考えたらいいか。また尊厳という言葉で語られる幅はもっと広いと思うが、尊厳について、ごっちゃに言われていることを整理していただけたらと思います。
MOTOKOさんに、ドナーとされた方が臓器提供後に帰られて、脳死判定時は「死んでなかった」と思われたのは具体的にドナーの方のどういう身体状態を見て感じたのか。それからMOTOKOさんが看取りに葛藤を持たれたのは、脳死判定基準を満たしても生きていることを分かっているが、社会としてはそうではない。看護師さんの生命観では、体の温かい人を死と思っていないのではと思うのですがご意見を。
田中:事前指示書によって過去のある時点でその人はそう意思表示をしたのだから、その人がたとえば実際に意識不明になってしまった今この場面で、あらためてその人がどう考えるかはわからないけれども、過去の事前指示書がある以上それを使うことは許されるのだ、というロジック自体を考え直した方がいいでしょう。そういう視点で今日はお話ししたつもりです。意識のない人についてだけ話したわけではありません。死者の話をしたのも、究極の「他者」として考えた場合という意味です。他人との関係の中に「他者性」を見出す必要があるのです。同時に、一人一人の人間の中にも、言ってみればさまざまな「他者」がいます。自分のことは必ずしも自分が一番わかっているわけではない。そうすると、意思表示や事前指示という形で表明された「私の意思」は、はたしてどこまで「私の意思」と言えるのか。そうしたことについて、私たちはもっと丁寧に考えた方がよいのではないでしょうか。
それから、尊厳の幅はもっと広い、整理せよとのことですが、今日お話ししましたように、尊厳というものを厳密に定義しようとした途端に始まる議論の進み方があると思うんです。そうして私たちは、理性の有無とか意識の有無とかいった形で、判定基準の議論へと引きずり込まれてしまう。定義をすることによって何をやっているのか、あるいは何を失っているのかに関して、あまりにも無頓着なまま議論が進んでいることについても、一度立ち止まって考えた方がよいのではないでしょうか。
他方で、誰しもに尊厳を認めたら経済が成り立たないという話も出てくるでしょう。でもそこが考えどころのはずなのです。「いのちの灯が消えるのを待つこと」ができる社会にすることで、なるほど、かつてのような経済成長は望めなくなるだろうけれども、しかし、そういう社会の方がよほど人間的でいいじゃないか。そういう考えだってありです。たしかに医療なしにはいられないとしても、それを人間的なものにしていこうとするなら、経済優先の今の社会のありかた自体を変えなければならないのではないか。そういう話にだってなるでしょう。何を目指して来るべき社会のあり方を考えていくのか。私からしますと、そういったヴィジョンをめぐる議論が欠けていることも、また一つの問題であるように思われます。
現実問題として、これ以上はもう生かし続けることができなくて、苦渋の選択をする局面はあるだろうと推察はします。そのこと自体を責めるわけにもいかないとも思います。ただ、そのときに誰かがそれを引き受けないといけない。つまり、一つのいのちを諦める、終らせる、そのことの罪深さ――この言葉はちょっと酷かもしれませんが――を引き受ける。法律や国に引き受けさせるのではなくて、「人間」として誰かがそれを引き受けないと、もはや「人間」的な社会とは言えなくなってしまう。この話は、突きつめれば宗教の話にもなるでしょう。ところが近代社会は、宗教の話が通じない社会になっている。そこにもう一つの問題がある。とりわけ医学・医療も生命倫理も、宗教とは切れた形で議論されている。ではどういう形でつなげばいいのか、というのはたしかに難問です。その問題は、いわゆる近代化、世俗化によって宗教との接点を失ったこの社会において、人間の尊厳をどう語ったらいいのかということに帰着するのではないかと思います。
MOTOKO:どういう身体状況を見て「死んでいない」と感じたか、ということですね。まず一つは、ドナーの方のご遺体は、普通に亡くなった人のご遺体とは違うということです。普通亡くなるとすぐに体の下の方に血が沈殿して紫斑になって出てきますが、それがないのです。本当に紙切れのようなご遺体で、しかも臓器はすべてごっそりないので、とても軽い。多分中には綿とかが詰めてあると思いますが、本当に軽いご遺体なんですね。先ほども言いましたが、私はタイムテーブルをこなすのに必死だったのです。この時間帯にはこうなって、次のときには移植医が診察して、どういう経路を通って手術室に運び、ご遺体が帰ってきたときには家族にどういうふうに会ってもらうかとか、そういうことをスタッフに指示することに必死でした。で、最終的にご遺体に会ったときに、「あっ、こんなことになってしまった。」と、本当に衝撃だったんです。それはもう、冷たいんですね。もちろん亡くなっているから冷たいんですが、その冷たさが尋常ではないのです。色は蒼白にもならない、真っ白けです。軽い軽いご遺体で、本当に、ああ亡くなってしまったんだって思ったんです。
そこから思い起こしてみると、2回目の脳死判定後、法律的にはご遺体になってしまいますが、看護師にとっては全然違っていました。具体的なケアはたくさんしました。ご家族の方にシャンプーや散髪をしてもらったり、その方が好きだったジャズの音楽をかけながら、ビールもよう飲んでいたというので綿にビールを浸して口の中に湿らせてあげたりとか、そういう発想は、自分たちが亡くなっていかれる人をどう見送ろうかという、それまでの経験の中から出てきたのですが、そういうことが、白々しくなってしまって。結局私らは殺してしまったんじゃないのか。そういう思いがバーっとご遺体に対面したときに起こってきたのです。
私は〔手術室に〕行く前と帰ってきた時だけ見てるのですが、手術室の看護師はとんでもないショックを受けていました。手術室の看護師は、普段はその患者さんを治すために手術の介助につくのに、まず心臓を取るために大動脈をクランプし、クランプするやいなや、心臓に血流が行かなくなるので心停止になる。で、チョキチョキっと切って持っていってしまう。心臓チームさようなら。腎臓チーム〔臓器を〕とった。さようなら。という感じで。それを目の当たりにした手術室の看護師は大変なショックを受けていました。その方は、レシピエントのことを救いにする以外には、自分を立ち直らせられないと言っていました。
脳死体と法的には定義されたといっても、やっぱりそこで生きて生活する人なんです。朝になったら「おはよう」と言って部屋に電気をつけて顔を拭いたりしますし、寝る前には「おやすみ」と言って電気をちょっと薄暗くしたり、全くふつうに接していました。ですから手術室から〔患者を連れてくるように〕呼出しがあったときには、みんなどう言っていいか分からないという気持ちになったのです。
質問:田中さんの話を共感しながら聞きました。人間は共に人間として生きていると。そこをひっくり返して、生き物同志の関係、つまり、人が人らしく生きるという言い方ではなくて、人が生き物同志として生きるという受け止め方はどうだろうか。このことを田中さんと一緒に考えてみたいと思いました。
それから、MOTOKOさんに2つ伺いたい。僕は心筋梗塞で入院したときの体験を思い出しながら聞いていました。看護とは、相互的なものだと、そうだと共感しつつ一方で、ニヤニヤして聞いたところがあるんです。〔病状の変化に応じて〕手でつかむ食事、その次は箸を使う食事に変わるのですが、それが一向に変わらない。それを看護婦さんに訴える。看護婦さんは分かりましたと言うけど変わらない。どうもコンピューターの指示がずれていたそうです。看護する関係は、実はかなり複雑な構造をもっているのではということについてご意見を伺いたい。
それからもう一つ、病気をどのように考えるのかということです。医療は、いつも元気になること、健康になることに全力を注ぐ。そういう生かす医療の徹底という言い方を僕自身も発言してきましたが、病み老いていくわが身を肌身で体験している昨今、医療の真の目的は違うんのではと、僕自身考え続けているのです。
田中:尊厳の話を私のような形で組み立てていったときに、人間以外の生き物はどうなるのかということは当然出てくるわけですね。私自身は、それは同じように成り立つのではないかと考えています。とはいえ人間は他の生き物を食べないと生きていけないわけで、その意味では、殺生しないといのちを繋げないというある種の原罪みたいなものがあるわけです。そのことを倫理においてどう考えるというのが、一つの大きなポイントだと思っています。人間と他の動物との間では人間を優先せざるをえない。それはやむをえないことだとしても、だからといって他の生き物のいのちを人間が勝手にしていいのだ、ということではない。だからこそ昔の人たちは、生きるために奪った他のいのちに対して、食べるときには「いただきます」と感謝し、あるいは塚を立てて殺生を悔いる、いのちを悼むということをやってきた。それは迷信でもなければただのしきたりでもなく、たんなる感情の問題でもなく、まさに「人間の知恵」としてあったと思うんですね。そしてそれがあればこそ、人間同士の間ではそこまではできない、やってはならないという話にもなってくる。
けれども今日では、他のいのちを奪うことの罪深さのような感覚が希薄になってきているように思われます。そのことと、「人間同士の間でなぜここまでのことができてしまうのか」ということとは、実は根っこで繋がっているのかもしれません。たとえば福島の農家の方が、原発事故で放射能を浴びた「売れない」牛たちでもこのまま死なせるのは何とも忍びないので、放射能に汚染された干し草でいいから送ってくれと呼びかけていました。ところがそういう汚染された飼料を移動させること自体、政府が禁じてしまったので、牛たちに食べさせるものがなくなっていく。農家の方は途方にくれておられた。その方にとっては、もはや「商品」としての価値がなくなったから生かす必要はない、とは考えられなかった。私はそういう話を聞いて、むしろそれこそが私たちのあるべき姿ではないのかと思ったりします。
しかるに鳥インフルエンザにかかった鳥を何十万羽も殺処分する話を、私たちは酷いと感じる感覚をもたなくなってきている。そのことと人間の社会での出来事とはどこかで繋がっているようにも思われます。実際、日本のハンセン病患者に対する絶滅政策のことを医学生に話して、学生の感想に引き合いに出される例が、鳥インフルエンザに罹って殺処分される鳥だったりするのです。つまり、ハンセン病に関する医学的な知識がなかった時代に患者を強制隔離したのは、社会を守るためには必要なこと、やむをえないことだったというのです。そこには、殺処分される鳥に対しても、絶滅政策にさらされた患者に対しても、等しくひどく醒めた視点があります。そして、そういう視点に自分が立てる、立ってよいのだという前提があります。そのような前提や視点を、当たり前のこととして疑わないというのではなく、反省的に考えられるようにするにはどうしたらよいのか。そのための一つの道として、他のいのちを奪わなければ生きていけないという原罪のようなものを考えていかなければならないと、そう考えています。
言葉とはそもそも「分ける」ものですから、私たちが言葉を使って思考する以上は、いろんなものを「分けて」考えるようにならざるをえません。その意味では、尊厳についての問いが今日お話ししたような仕組みをもってしまうのにも、いわば仕方のない面があります。しかしながら、言葉のもつそうした危うさをきちんと押さえた上でものを考えていかないと、私たちの思考は「分けて」出てきたものが世界の真実だという錯誤に陥る。そこを何とか踏みとどまりたい。たとえば赤ん坊の場合はどうか。赤ん坊と一緒に生きようとすると、赤ん坊が生きる時間やリズムに合わせてこちらが生きざるをえなくなります。そうすると、実社会の時間やリズムがいかに異様かということに気づかされます。それがいかに偏っていて、いかに効率中心に組み立てられていて、いかにいのちの時間に抗う形で組織化されているかということが見えてきます。おそらく、そういうものとは違う時間の流れが、本来のいのちの時間の流れなのでしょう。
ただ、社会が社会として成り立つためには、まさにそういういのちの時間を排除する形でないと成り立たない仕組みになっているのかもしれませんし、それがかなりの程度まで進んできてしまっているのが現代社会なのでしょう。もちろん実社会の時間やリズムを全部否定するわけにはいかない。でもその一方で、やはりどこかでそれを押しとどめる必要がある。私たちが当たり前のこととしている時間のありようが、いのちの時間からすれば非常に歪んだものなのだと自覚したうえで、それをできる限りしつらえ直していかなければいけない。ですから医学・医療や生命倫理の話というのは、突きつめていくと、そういう今の社会の制度化された時間の組み換えをも迫るものにならざるをえないと思います。
MOTOKO:心筋梗塞で入院された時の食事の形態に行き違いがあったというお話を聞いて思ったのですが、今、日本中の病院がコンピューターシステム化されてきていますね。で、看護師が患者さんを見て食事を判断せず、コンピューターのオーダーを見て判断してしまう。患者さんを見ないでシステムを見て看護をした気になっているのです。そういうことって多々あると思いました。看護師は、医療機器を使いこなせるようになったり、病態の説明ができるようになったりすると、看護師としての格が上がったような気がしてしまうのです。でも、実際は、そういう看護師に看護されている人が、ちょっとここが痛い、腰の位置をずらしてほしいと思っても、人工呼吸器に繋がれているから言えない。そういうところに目がいかなくなってしまうのです。それはもう看護じゃないというか、ダメですよね。
今は医療の新技術がものすごいスピードで入ってきています。それに、医療費の改定の度に病院の利益を保つための対応をさせられます。だから、看護管理者には、看護の管理と病院が損をしない管理という両方が求められるのです。その中で弱い者にしわ寄せがいく。そういうことが起こらないようにしないといけないと思いました。
病気と医療についてですが、確かにナイチンゲールの回復過程とか、よくなってくれたら自分も幸せになるという話をしました。一方で、病院での死がほとんどを占めている今、死を考えることは欠かせないことです。看護師自身が自分や家族の死も含めて捉えていかないと、他人の死、患者さんの死は、なかなか考えにくいというのはあります。とはいえ、私自身も、病院で患者さんの死に出会うまでは、身近な人の死に接したことはありませんでした。看護学生や医学生になる方も、たとえ身近な人の死を経験したとしても、家でだんだん衰えていく人を看取ったというより、病院に入院して亡くなったところに呼ばれていった経験の方が多いんじゃないかと推測します。
それから、死ぬことは生まれることとセットになっていて、両方揃って初めて命について考えることになると思います。昔は自宅でお産があったりしましたが、今は殆どありません。そういう意味では、命がどうやって生まれ、人が衰えてどうなっていくのかを、人の一生として通して見つめることができなくなっている。病院の中でしか見られないからこそ、そういう体験をさせてもらえるのが、やっぱり医療を務める者だと思います。ですから、答えが出ないことではありますが、個々の方々が生きてきたことについて、ご家族とその方のお話をしたりして一緒に考えていかなければいけないことかなと思っています。
田中:医療と「元気になること」に関して簡単に二つだけ申し上げます。一つは、今の医学自体が、近代国家が人間を国力の基礎とみなして、それをコントロールするために医学を制度化してきたという歴史と表裏一体になっている点です。おそらくはそのために、傷ついた兵士を治してまた前線へ送り返すという発想から脱しきれていないところがあるのでしょう。日本でしたら1960年代頃には、医者は市場経済で傷ついて病んだ人間(患者)を治して、また資本主義市場に送り返すことだけをやっていればいいのか、それが本当に医療なのかという問いがありました。けれどもそうした問いは、その後の生命倫理には全く引き継がれませんでした。あるいは、医療資源をどうやって有効に配分するかという場合に、助かると思われる人に資源を集中してそうでない人は切り捨てるという「戦場でのトリアージの論理」が、救急医療の現場だけでなく、一般の医療にまで広げられている。今は「平時」であるのに、そこで持ち出される論理は「戦時」の論理と変わらない。それを医学・医療自体が自分たちの問題として問い返してこなかった。そういうことが、元通りになればよし、さもなければ仕方がないと放り出してしまう現状と、たぶん繋がっているのだろうと思います。
もう一つは、その医学・医療自体が、自分たちに何ができて何ができないのかということに関して節度を失ってはいないか、もしくは考えてこなかったのではないかという点です。たとえば長期脳死のお子さんの場合、人工呼吸器の助けは必要だけれども、しかし心臓が自分で動いていなかったら、たとえ人工呼吸器をつけてもいのちをながらえることはできないわけです。極端な事例かもしれませんが、やはり当の患者の生命力というものがまずあって、それに対して医学・医療がサポートをしているのであって、医学・医療が患者を「生かす」というようなことではないのではないか。でも往々にして医学・医療の側では、まさに医学・医療があって人間は生かされているのだという発想が、暗黙のうちに前提にされているように感じられます。しかしそこはむしろ逆で、人間の生きる力がまずあって、それを支えにして医学・医療が初めて成り立つという関係として捉えるべきものではないかと、そう思っています。
質問:お二方に対して、感想ないしは考えを申し上げます。まず、田中さんに対しては、この十数年間付き合ってきて、不遜ながら私は最も考え方が近いと思ってきたんですね。今日お話を伺っていて、改めてそれを体感しました。それからMOTOKOさんには、ぜひとも申し上げたいことが二つあります。一つは、こういう場で現場のことをお話なさることは、誠に勇気あることで、まずそれに敬意を表したいと思います。それからお話の一番最後の部分の、現在の尊厳、QOLというものを生きることのかけがえのなさに読み替えていくというところに、私は共感いたしました。ただし、またお考えいただきたいことも批判的な意味をこめてあるので、それを申し上げます。
MOTOKOさんが脳死・臓器移植の現場に関わって心が引き裂かれて、その葛藤とともにずっと生きてこられたということは、脳死・臓器移植そのものに構造的な問題があるということが一番ですよね。今回MOTOKOさんは、尊厳をめぐって問いなおしをされているんですが、その問いなおしをされているMOTOKOさんご自身が、従来の看護教育の中に足を置いているところに無理があるのではないかと、私自身は思うんです。というのは、たとえば先ほど、QOLをかけがえのなさに置き換えて考えたところに共感しました。けれど、その一方では、「その人らしさ」を繰り返し原点に置かれている。ホスピスの創始者のシシリー・ソンダースの「その人らしさ」というのを取り入れてらっしゃっていますし、今日の講演にもまさに出ていました。
ところが「その人らしさ」というのが、実は一番の曲者であって、現在の尊厳死の思想が、「その人らしく」なくなることによって、尊厳が失われたから死を迎えていきましょうという思想になっている。このように、いくらでも反転が可能なわけです。それから、歴史的において見ると、ご存知のようにヒトラーが1930年代から40年代にかけて、7万人とも10万人とも言われる知的障がい者、精神障がい者を安楽死させました。その引き金の一つになったのが、重度の障がいを抱えた子どもを持つ母親の手紙でした。その母親は、この子が苦しんでいて将来にも展望がないので殺してやりたいが、現在の法律では殺すことはできない。何とかこの子を死なせることで救ってもらいたいと、ヒトラーに手紙で訴えたわけです。ヒトラーは非常に感動して、『私は訴える』という映画を作るんです。それは、愛し合って結婚した若い男女がいたが、女性の方が進行性の神経難病を発症して、だんだん体も精神も侵されていく。
女性は、「あなたの中で私らしい私がいなくなっていくことが耐えられない。」と訴える。そこで、夫に自分を殺すことを依頼して、その夫は彼女を殺し、裁判で無実を訴える。ちなみにこれは、ドイツでは封印されていた映画だったはずですが、半年ぐらい前から、なぜかユーチューブというサイトで見られるようになっています。ヒトラーはそういう映画を作って全国キャンペーンをして十数万人を安楽死させていったわけです。このような形で、「私らしくあった」、「私らしくなくなる」ということから生じる反転は起こるわけです。そういうところで、看護の原点の一つである「その人らしく」ということを、我々はもう一度考え直さなければならないのではないかと思いました。
(テープ起こし&要約:天野陽子/川見公子)