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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第8回市民講座のご案内(2015年5月9日)

2015-03-25 08:14:55 | 活動予定

脳死・臓器移植について考える第8回市民講座

≪国策と犠牲 医療現場から見える現代医療のゆくえ≫


講師:山口研一郎さん(脳外科医/『国策と犠牲ー原爆・原発 そして現代医療のゆくえ』編著者)
■日時:2015年5月9日(土)13:30~16:45
■会場:豊島区勤労福祉会館6階大会議室
■交通:JR池袋駅(南口・西口 メトロポリタン口)徒歩7分/池袋消防署となり
      地図 http://members.jcom.home.ne.jp/s_tamaya/kuro/ikebukuro.htm
■資料代:500円
■共催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク、脳死・臓器移植に反対する市民会議
 
 山口研一郎さんは、脳神経外科医。
 やまぐちクリニック院長として、高次脳機能障害の患者さんの治療等にあたっておられます。
 昨年10月、『国策と犠牲  原爆・原発そして現代医療のゆくえ』を社会評論社から出版されました。
「アベノミクスの第三の矢」として「先端医療開発特区建設、海外からの患者誘致」「混合診療の自由化」等が強力に推進されようとしています。こうした動きはどのような未来に繋がるのでしょうか?

 この本の中で、山口さんは、戦中・戦後と連綿と続けられてきた「国策」が多くの人々に多大な被害や被災をもたらし、その連鎖をどこかで断ち切らなければ私たちの「いのち」や「くらし」はますます追い詰められていく、と論じておられます。
 “国策”として推進される「脳死・臓器移植」が医療現場にどのような矛盾をもたらし“犠牲”を強いているのか。市民講座では、具体的な事例を交えながらお話して頂きます。ぜひご参加ください。


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第7回市民講座の報告

2015-03-16 13:59:09 | 集会・学習会の報告

第7回市民講座(2014年11月30日)講演録

 

講師:山崎光祥さん(読売新聞記者)
講演タイトル:沈黙の命に寄り添って―日々のなか、見えてきたもの―

山崎光祥さん みなさん、こんにちは。私の長女、愛実が出産事故から意識も自発呼吸もない状態になり、1年半後に亡くなりました。その数年後に臓器移植法を改正して子どもからの移植を可能にしようという動きがあり、当時は大阪本社の科学部に所属していたので取材をするようになりました。本日お招きいただいたきっかけになった本は、1年かけて、体験と過去の取材をまとめたもので、今日の話には最近の新しい情報は拾えていないことをお断りしておきます。


■出産/緊急手術/蘇生
 これが長女・愛実です。2003年7月22日に生まれ、翌年の12月30日に亡くなりました。今年は亡くなって10年目になります。7月21日に陣痛が始まり、その知らせを受けて私は当時赴任していた鳥取から駆けつけました。しかしずっと出てこなくて、翌午前4時過ぎにアラームが鳴ったのです。心拍数が100を下回った段階でアラームが鳴るように設定されていました。ドクターが診察して「赤ちゃん危ないな。帝王切開しよう」と言い、そして緊急の帝王切開が始まりました。廊下で待っていたのですが、明け方「お父さん呼んで」という声が聞こえたので、「ああ、これはダメかな」と覚悟しながら中に入りました。娘は蝋人形のように真っ白でひとめ見てダメだと思う状態でした。医師は心臓マッサージをしながら「さっきからやっているんですが戻ってきませんわ、もうよろしいでしょうか」といって、再度心拍を確認したら、「あれ?いけるんちゃうか」と、また心臓マッサージを続け、そして大きな病院に搬送されました。救急車の中で先生になぜこうなったのかと聞いたら、「臍帯脱出です」と言われました。赤ちゃんの頭より先にへその緒が産道から出てへその緒を圧迫してしまうのだそうです。珍しい症例で、医師に「ひとたまりもありません」と言われ、相当厳しい状況であることを覚悟しました。


■集中治療/長女の状態
 新生児集中治療室(NICU)では、循環を安定させる集中治療を受けましたが低酸素性虚血性脳症となり、脳がダメージを受けている状態でした。加えて新生児特有の危険性(新生児遷延性肺高血圧症)もありました。脳を保護する低体温療法を受けましたが、この治療が新生児に対して行われるようになったのは2000年頃で、当時はまだ3年目。搬送先の病院にとっても初めてだったそうです。この時はアイスノンで脳を中心に全体を冷やし、脳に近い鼓膜の温度が直腸温より1度くらい低くなるのがいいと考えられていて、それを目指していました。現在は体全体を33度から34度に冷やすか、頭だけを冷やして体はヒーターなどで暖める方法があります。冷却は72時間、その後少しずつ体温を戻します。この治療を始めたときは「きっと良くなってくれる」と信じていましたが、低体温療法で体が冷えると肺高血圧症が進むというジレンマにも陥るのです。抱っこも神経を遣い看護婦さん3人がかりで抱っこさせてもらうという状況でした。
 愛実の状態は、意識も自発呼吸もない、反応がない状態でした。手足もだらんとしているし動かない状態でしたが、循環(血圧や心拍数)は安定していました。奇跡を待つだけという思いでした。(誕生の)1カ月後の8月20日の脳波は、少し活動して休んでまた少し活動して休むというものでした。CTを見ながら、脳が委縮して神経細胞は死んでしまっていると説明されました。脳が溶けていくということを実感する所見でした。脳幹の機能検査として、ヘッドホンで大きな音を聞かせて反応を見る「ABR」というのがありましたが、まったく反応はありませんでした。脳幹が機能しておらず自発呼吸もない、体温も調節できない。脳波はあるので脳死ではないが、自発呼吸がないので植物状態でもない状態でした。
 脳死と遷延性意識障害の間は広く、一人ひとり症状が違うようです。脳幹が機能しないのが脳死と言われますが、愛実は弱い脳派があり表層の神経細胞は生きている状態です。医師は私たちを別室に呼んで「愛ちゃんに自発呼吸が出てくるのは非常に厳しい」「心臓はしっかり動いていて感染症にならなければある程度の期間は生きられる」と言いました。私は低体温療法も受けたし、よくなると信じていたので非常に辛く感じました。


■ 「生きたい」という意志
 私はこういう状態が存在する事が信じられなかったのです。脳死がどんな状態かは知識として何となく知っていましたが、意識も自発呼吸もない子が生き続けられる事が信じられなかったのです。
 NICUに帰って、妻に「愛ちゃんはどうしたいのだろう」と問いかけました。生まれてきてお母さんの顔を見ることもできないし、おっぱいも飲めない、こんな生き方に意味があるのだろうかとさえ思いました。当時は脳が機能しない状態で生きていても価値はないのではないかと考えていたので、蘇生の段階で、障害が残るより天国に行った方がいいのではないかと瞬間思ったりもしました。人工呼吸器によって酸素が送られ、母乳は鼻からチューブを通して送りこまれれば、からくり人形のように自動的に代謝して生き続ける肉の塊なのかなと考えたり、しんどい思いをさせて惨めじゃないか、生かしているのは親のエゴではないかと考えたり、親もさまざまな制限を受けるので厳しいなあ、早く死なせてあげた方がいいのかなあと考えたりしました。しかし次の瞬間、いや待てよ、死んでしまうことは簡単なのに本人は踏み留まって生きてきた。低体温療法で寒い思いもさせられながら乗り切ってきている。肺炎も数日後にはよくなり安定した。身長も8㎝大きくなった。この子は生きたいのではないか、死んでしまう方が楽なのに、生きてきたのはパパやママと一緒にいたいからではないか。惨めと考えたが、よくよく考えると、生まれた状態から歩くことも食べることもできない状態で、自由に動ける状態を知らないから私たちが思うほど惨めではないかもしれない。この子が一生懸命生きているその姿は神々しい、早く楽にしてあげたいと一瞬でも考えたのは、自分が介護から逃れたいという思いから、自分の価値観を娘に押し付けていたのではないか。何と思いあがった上から目線のいやな考え方かと思いました。


■見えてくる“違った意識”
 また、意識がないと言いながら、違った形の意識があるのではないかと感じることもありました。似たような子どもを持つ親皆同じような事を言います。例えば入院当初、私がNICUのインターホンを鳴らし、主治医が「お父さん来たよ」と娘に声をかけると、少し体温があがったと聞かされることが数回ありました。かすかに表情が変化し、体調がいい時はピンク色のいい顔をするし、しんどい時は肌が赤くまだら色になるのです。実は7つ下の妹が、2~3歳の時にむせて苦しくなった時に全く同じ表情を見せ、「ああやっぱりお姉ちゃんはあの時は苦しかったのだ」と確認できたのです。ある日長女の抱っこを早めに切り上げると表情がすごくさびしそうに見えたり、気管切開の手術をする前日に主治医が「採血しようか」と言ったら、顔が真っ赤になって、主治医も「分かった、わかった、ごめんね」と退散するほどはっきりわかる変化をしたこともありました。この時は少し離れた場所にいた看護師さんが「愛ちゃんどうしたん?!」というほどでした。別の日に私が「帰るね」というと首を振っていやいやという表情を見せたこともあります。偶然かも知れないけれど、一つ一つのエピソードが積み重なって、私たちが長女のような子と同じ目線に立ってその子のことを考えてあげたらいろいろなことが見えてくるのではないかと思ったものです。
 

■一般病棟へ、そして在宅へ
 娘は一般病棟の個室に移り、そして在宅へ移行しました。一般病棟では歌を歌ってあげ、スキンシップが取れたし、個室でプライバシーを保つこともできました。誕生日も祝うことができました。制度上、病院側が家族に付き添いを求めてはいけないのですが、この病棟では妻が泊まり込みで付き添いをしました。2時間おきに、痰などの吸引をしなければいけないので、看護師さんが2人で来ますが、処置で音がしますので、妻は寝ている訳にはいかず、気が安まることがありません。病院は親が生活する場所ではないので、お風呂も使えません。妻は私が仕事帰りに面会に寄っている間に自宅に帰り短時間でお風呂に入り、病院に帰ってくるという生活をしていました。こういう生活は大変で、早く自宅に連れて帰りたい、子どもの寿命を縮めてしまうかもしれないが、生きられる間は家族で過ごしたいと在宅療養を決心しました。病院なら看護師が3シフト制でケアにあたりますが、自宅ではほぼ全てを妻がやることになります。当時のケアは吸引、床ずれ防止の体位変換、母乳と栄養剤を混ぜたものを温めて送り込む経管栄養、備品の交換、消毒・殺菌、洗濯などが必要で、命を一人で背負う重圧も相当なものでした。訪問看護や訪問診療をお願いしても当時はやってくれるステーションがありませんでした。「呼吸器つけている子には対応できません」と言われて・・。そのままスタートした結果、妻は極度の睡眠不足になったのです。
 愛実は12月30日に亡くなりました。亡くなる前は、大きな誘拐殺人事件があり、私は朝から深夜まで取材に出ることが続きました。妻は完全に消耗してしまい、亡くなった当初は「ママが限界だと分かって身を引いたのではないか」と言うほどでした。ただ、悲しみはあっても、「やりきった」という満足感があり、娘を失った傷をその後の生活や仕事にいかせる原動力になっているのではないかと考えています。

 

<神戸の翔太郎君一家を取材して>
 法改正の動きがあり、脳死のお子さんも私の娘に似ているのではないかと思い、自分の経験を踏まえて取材したいと医師やバクバクの会に連絡を取りました。そして兵庫医科大学から紹介して頂いた神戸の翔太郎くんを取材しました。彼は2003年10月に超低出生体重児として生まれ、2年後の4月に誤嚥による呼吸困難で心肺停止状態に陥り、低酸素状態になりました。無呼吸テスト以外の検査(脳血流の検査も含め)をして、臨床的脳死と診断されたそうです。
 私は脳死のお子さんはどういう状態かを知りたかったのですが、お会いすると、体温調節は苦手だが毛布をめくった時に、左腕、左脚、右脚、右腕と順番に曲げていく一連の動きを見せてくれました。うちの子どもは全く動かなかったからうらやましかったです。涙を流す、汗をかくなどの反応も、退院してから強くなったそうです。
 自宅に帰ると反応が良くなるということを他の家族からも聞きました。そうしたことは訪問する医師や看護師しか知らない訳です。臓器移植や脳死を論じているドクターは病院内での様子しか見ていないので、自宅での様子を知らないまま論じていていいのかと感じました。翔太郎君は身長も体重も増えるし、存在感のある、たくましい子どもでした。天気が良い日は車椅子に乗せて人工呼吸器も載せて買い物に行ったそうです。お姉ちゃんは弟のことが大好きで、一緒に散歩に行くと友達を見つけては連れて来て「この子、私の弟なのよ」とアイドルを紹介するように話していたと聞いて、子ども同士は心と心で繋がるのだとお姉ちゃんから教わる思いでした。
 翔太郎君は、脳死のお子さんである前に幼稚園児です。養護学校の幼稚部に在籍し、肢体不自由児のお子さんと一緒に通学していました。先生が翔太郎君をバランスボールの上に乗っけて、ゆっさゆっさとバランスを取って動かすのを見た時はとても驚きました。体を動かしてもらううちに関節が柔らかくなって動きが良くなったそうです。
 医療的ケアはフルコース。脳の機能が停止しているので、ホルモンが分泌できません。重要な抗利尿ホルモン、甲状腺ホルモン、副腎皮質ホルモンを翔太郎君は投与されていました。そうしたホルモン補充に対して、「医療費の無駄」という意見もあります。

 翔太郎君は「人の死」なのでしょうか?彼のような臨床的脳死を「死」と仮定します。うちの子は脳死ではないので「生きている」として二人を比較して整理してみました。
脳死は人の死ではない 翔太郎くんは脳の検査に反応せず、脳の血流もない。うちの子は弱い脳波があり、脳は萎縮しているが脳波やABRに若干の回復が見られました。翔太郎君よりいい状態だが愛実には体の動きはない。吸引の頻度は翔太郎君より多い。生存期間は、翔太郎君は脳死になってから3年4カ月、それに対し、うちの子は1年半で亡くなってしまった。共通点は「生きたい」という意志を家族が感じていたこと、成長するし、家の中の主役だったこと。結論として人の生死は脳の検査結果だけでは測れないと思いました。
 その後の取材で感じたことは、「脳死は人の死」と思っていない医療者は小児科を中心に意外とたくさんいるということです。ただ、私の前で「脳死は人の死だとは思っていませんよ」と言っていた先生がある学会で「脳死は人の死だと思うか」と聞かれ、「学会では人の死とされています」と答える場面を見ました。「人の死」と言わなければいけないような雰囲気が医者の世界にはあるのかなと思ったものです。メディアの中にも「脳死は人の死」と思って取材を始めた記者が、脳死の患者を取材して「死とは思えない」というスタンスに転じた例も多かったです。しかし、そのようなスタンスで記事を書くと移植医から激しいバッシングを受け、「この子たちは無呼吸テストを受けていないから脳死ではない」「検査が間違っていたのではないか」「偏った報道だ」と言われることもありました。確かに無呼吸テストは受けていませんが、親は自発呼吸の兆候が出てくるのを一日千秋の思いで待つものです。にもかかわらず、それを何年間も見落とし、「自発呼吸がない」と言い続けることはあり得ないと思っています。自発呼吸が出るか出ないかは、その子の予後や家族全体の生活を大きく左右します。微弱な呼気を感知する機能を備えた人工呼吸器もあります。

 

<のんちゃんのこと>
 臓器移植法が改正された後に臓器提供のオプション提示を受けて提供しなかったお子さんを取材することができました。名前をのんちゃんと言います。改正臓器移植法が施行されたあとの2010年8月、食べ物がのどに詰まって、一時的に心停止を起こしてしまいました。
 臓器提供となると虐待の話がありますね。一番腹立たしいのは乳児ゆさぶられ症候群(SBS)。見た目には跡が残りにくいのです。子どもが泣きやまない時などに前後に激しく揺さぶる親がいるのです。赤ちゃんの首は座ってないのでバネのような状態になってしまう。何度も前後に振っている間に加速度がついて、頭蓋骨が動く方向と脳が動く方向が乖離して、静脈が切れて大量出血してしまう。お子さんが運ばれてきた時になぜか分からないが頭蓋内で大量出血している状態で、SBSの存在が知られていないときは、乳幼児突然死症候群として処理されていた可能性があります。しかし、赤ちゃんの胴体を両手で持った時、大人の人さし指や中指が当たる赤ちゃんの背中側の肋骨が折れるなどいくつか特徴があるので、法施行前に作られた虐待発見のマニュアルに盛り込まれています。
 話をのんちゃんに戻します。彼女は最終的に虐待は受けていないと判断され、医師から「臓器移植法の改正で確認しなければいけなくなったのでお聞きします。臓器を提供されますか」と聞かれました。両親は即座に「考えていません」と答えたそうです。
 この写真は脳死判定のシュミレーションをやった時のものです。瞳孔に光を当てる、角膜に綿棒をあてる、耳の穴に水を入れてみるといった脳幹反射の検査に加え、脳波は30分以上、5倍の感度で測る。最後は無呼吸テスト、やり方は酸素を10分間吸わせたうえで呼吸器を止めてみてから、血液検査で二酸化炭素がどれだけ含まれているかを調べます。血中の二酸化炭素濃度が一定レベルを超えると、呼吸中枢が刺激されて自発呼吸が出てくるはずなのですが、それを胸やおなかの動きの有無で確認します。「最初に酸素をたくさん吸わせるから大丈夫」という医師と、「呼吸を止めるから危険だ」という医師、双方います。脳死判定は6歳以上は12時間、6歳未満は24時間以上の間隔をあけて2回行うことになっています。
 
 のんちゃんはオプション提示後、在宅療養を目指すことになり、障害者手帳1級を取得しました。ご両親は、在宅に向けて車椅子を買ったり医療的ケアの練習をしたりしました。のんちゃんのお祖母ちゃんや叔母さんも練習しているので、ケアができるとのことです。訪問看護の派遣は受けていましたが、お父さんはシフト制の仕事をされていたので家にいる時間が少なく、お母さんが仮眠をとりながら連続してケアしていました。お母さんは保育士さんで、休職して介護されていましたが、ベッドの周辺にぬいぐるみなどを置いて、見ているだけで楽しい部屋でした。おしゃれを楽しみ、BGMを鳴らしながら指に絵の具をつけて紙に描くなど、限られた中で、楽しく過ごす工夫をされていました。またのんちゃんはダンスが好きだったので、よく音楽に合わせて体を動かしてあげたそうです。お母さんの話によると、体の動きがあり、鼻から栄養剤を入れると左腕をあげ右もあげ波打つ動きを見せるといいます。気持ちがいい時はポカーンと口を開け、もうおなかいっぱいというときは歯を食いしばるそうです。信じられないエピソードですが、のんちゃんは男性が苦手だったそうで、リハビリのために男性が初めて自宅に来たとき歯を食いしばりハの字の眉毛が一文字になったそうです。怒ったように見えたとお母さんは言っていました。在宅してからは、入院中よりもコンディションがいいし、小さいのに頑張って生きようとしているので、「自慢したいです」とも言っていました。そして「“脳死は人の死”と言う方は、そういう子どもと一緒に暮らしてみてはどうですか。私は長くたくさんの思い出を作ってあげたいです。それが願いです」と。お父さんは「娘は生きていますよ。表情があるし。もしあの時、そのまま亡くなっていたらきつかったなあ。いずれは心臓が止まることを覚悟しているが、それまで一緒に過ごせることを感謝している」と話してくれました。その後、3歳の誕生日にはディズニーランドにも行ったそうです。ディズニーランドは彼女のような患者の来場には慣れていて、連絡すると個室を用意するなど、至れり尽くせりだそうで、アトラクションには乗れなくても十分楽しめたそうです。のんちゃんは、妹が生まれたあと、敗血症で亡くなりました。脳死になって1年9カ月生きました。
 臓器提供についても聞いてみました。お父さんは、「実際に提供した親が他の人の体で生きてほしいとコメントしているのを聞いて、そういう考え方もあるのかなと思うが、私の場合は違います」と言っておられました。私の妻は、自分の子がメスで切り刻まれるのは絶対にイヤだと言いました。のんちゃんのお母さんは「移植を受けて走っている子がなんで自分の子ではないんだ、と思ってしまうかもしれません」と言われました。

 子どもが脳死状態になった時、在宅を選ぶか重症心身障害児施設に入れるという選択肢以外に、臓器提供がオプションとして加わりました。栄養剤を減らし看取るという選択もある。正直、我が家は「脳死は人の死」と思ってないし、生きてくれた形は一番良かったと思っていますが、本人に聞いた訳ではないので、それが普遍的なものかどうかはわかりません。しかし、どの選択肢を選んでもいいよというようになってほしいですね。在宅療養の負担が大きいから選べないという状況はおかしいと思っています。
 そもそも論ですが、脳死に至らない治療がどこでも受けられる様にしてほしい。子どものバイタルの正常値や治療の仕方は発達段階に応じて少しずつ違います。長野県立こども病院の小児集中治療室(PICU)では専門の看護師、医師がモニタリングして、急変する前に先回りして治療できるそうです。PICUは統計上は全国に32施設238床あることになっていますが、心臓病のお子さんや手術直後の管理のために主に使われている病床もそこに含まれるので、院外で重篤な状態になった子どもを受け入れられるPICUのある病院は大変少ないのです。そういう場を増やし、専門の医者が脳死にしない治療を行うことが最底限必要だと思っています。
 また、情報は隠さずに提示してほしいと思います。治療方針を決めるための判断材料として、長期脳死の子の生活実態やホルモンを補充する方法がることとかも医療者は家族に伝えるべきです。訪問看護や在宅を支えるシステムも必要不可欠です。ヘルパーも不足しているし、レスパイトができる施設もまだまだ未整備です。医療費、資源の問題もあるかもしれませんが、社会が許容して重症の子どもを支えて欲しいと思います。

 

質疑応答要約

●この前、6歳未満の女児に脳死判定(第2例目の)がされて、両親のコメントが出ていました。
「私どもはこれまで娘の回復を期待し見守って参りましたが、辛(つら)く長い時間を経て、残念ながら脳死状態であり、回復の見込みがもはや無いことを受け入れるに至りました。向かう先は死、という状況の中、臓器提供という道を選択した理由は以下の通りです。
 娘は進んでお手伝いをしたり、困っている子がいれば寄り添って声をかけてあげるような、とても心の優しい子でした。臓器提供という形で病気に苦しむお子さんを助けることに、娘はきっと賛同してくれると信じています。こうして娘が短い人生の最期に他のお子さんの命を救うことになれば、残された私どもにとっても大きな慰めとなります。」と、仰っています。親御さんのコメントは、ほぼ同じことが語られますが、これ以上の言葉がないからなのか、あるいは、移植ネット的には、こういう言葉なら世の中から責められることはない、立派な親御さんでしたと言われるだろうからなのか。マスコミは関わっているのか?難しいとは思いますが、こういうコメントについて山崎さんはどう感じられますか。

山崎:私は、誰かが家族に恣意的に言わせているとは疑ってないです。やはり我が子を失うという局限の状況になった親御さんは、どこかに救いを求めると思うんです。臓器提供を考える親御さんもいるでしょうし、私どものように、力尽きるまで支えることに重きを置く親御さんも沢山いらっしゃいます。そのどっちが正しいとかは勿論いえません。みなさんを疑心暗鬼にさせてしまうのは、移植ネットワークからの情報は、例えばつい最近の臓器提供でいいますと、〔順天堂大医学部附属病院で、6歳未満の女児、低酸素脳症〕としか書いていないのです。記者会見でもそれ以上のことはほぼ発表しないですね。プライバシーを守るためかもしれませんが、私は人の生死を社会的に完全に受け入れられている訳ではない基準で線引きしてしまうことになるので、脳死に至った状況などは詳らかにされるべきだと思うんです。殆ど情報が出てこない中で、家族の思いの部分だけが突出して出てくる、そういう情報提供のあり方はどうなのかと思います。おそらく臓器提供をされたお子さんのご家族は、過去に臓器提供されたご家族がどうお考えになっていたのかを聞いておられたりして、同じ考え方だから臓器提供されたのでしょうし、結果的に同じ発言になることもあるのかもしれないので、私自身は誘導されているとは思いません。
 また、今のマスコミに臓器提供や臓器移植に対する関心は殆どないと思います。一例目は大きなニュース性があるので、どうしても報道合戦になります。6歳未満のお子さんの1例目が発生する前は、わが社でも臓器提供についてみんなで勉強したりしました。変な話ですけれど、「1例目、提供へ」っていうのをスクープしたいなあ、というのが会社や新聞記者の一般的な考えですし、そういう関心が強い間はみんな勉強しますが、2例目以降になるとそこまでのニュースバリューはなくなってしまいます。マスコミが恣意的に情報を変えようということは、多分ないんじゃないかと思います。

 

●山崎さんは、脳死概念を前提としてその子供たちとともに生きている、とお話しをお聞きしました。そこで、脳死概念そのものを、一緒に生きている側から解体して、使わないようにしてはどうかと考えましたが、いかがでしょうか。

山崎:脳死が人の死であるかどうかは別として、脳の細胞の殆どが機能していない状態は、医学的に捉えなければならないと思います。個人的には、脳死に近い状態の子が、脳死であるかどうかと厳密に線引きをすることには、興味がないというか、生活する上では変わりません。けれども、脳死という概念自体は必要だと思いますし概念がないことには、そういう子たちのQOLを上げていくための研究などもターゲットが絞れない状況になるから、それ自体はあって然るべきじゃないかと私自身は思います。

 

●三つ質問させていただきます。まず在宅医療と臓器提供の選択肢は、同じ重さであるべきと仰いましたが、それはどうかなという気がします。というのは、のんちゃんの場合、薬物投与は整腸剤と甲状腺ホルモンだけだったのですね。そうなると、脳から分泌されるホルモンは分泌されていた。脳はある程度生きていたと考えられ、場合によっては臓器摘出する時に痛みを感じるかもしれない。昔は臓器摘出する時に麻酔をかけていましたが、今はかけていませんから、全く生きたまま切り刻まれ、命果てるという事態が起こるんですね。そこまで考えると、在宅療養、臓器提供、看取り、それぞれ同等として考えるのでいいのかと思います。
 2番目は、マスメディアの報道の傾向として、臓器提供に関わる情報を報道してこなかった点です。例えば先ほどの臓器摘出時に麻酔をかけたという情報も報道してないし、さらには、アメリカでザック・ダンラップさんという方が臓器摘出直前に脳死でないことが分かり、今は社会復帰していること。あるいは、一番直近では、ジャハイ・マクマスという方は、脳死ではないと思われる状態だったために、脳死による死亡宣告の取り消しを裁判所に申請していること。そういう報道していない。ということは、臓器提供に迎合するというのが、主な潮流であって、それが現在のマスメディアの行動ではないかと思うんです。その辺は不信をもっている訳です。
 3番目です。先ほど、愛実さんの状態は脳死と遷延性意識障害の間の状態だと言われましたが、私は、医学的にはそこまで言う必要はないんじゃないかなと思います。というのは、植物状態と遷延性意識障害について自発呼吸の有無は特に言及していないのが本当だと思うんですね。ですから、遷延性意識障害と言えば、いいのではと思います。ただもちろん社会生活を送るにあたって、重症で意識がなくて人工呼吸器をつけていたから訪問看護を受けられないとか、社会生活を送る上で自発呼吸のある意識障害の方と状態が違うのは分かります。そういう面では分かりますが、医学的な脳死と意識障害の状態を言う必要はないのではないかと思いました。

山崎:沢山ご質問ありがとうございます。まず1点目ですけれども、同じ重さと言った大前提は、現在同じ重さじゃないからです。在宅を考えた時の、壁の高さというか、精神的な圧迫感はすごく大きなものがありました。我が家はたった数ヶ月で終わってしまいましたが、それが2年、3年、10年続いたらどんな生活になるんだろう。未だに考えてもやはり答えは出ないです。今の状況は、積極的に、皆さん在宅しましょうと言えるほど、甘くないです。妻は本当に疲弊していました。在宅を選択するというのは、社会的な支援が十分に受けられるならばまだましだとは思いますが、現状はそうなっていない。そういう方向に行ってほしいという願いを込めて話しました。長期脳死のことも在宅をした場合の情報も十分知らされず、すごく不利な状況にあります。我が子については臓器提供はしたくないと、本音ではそう思いつつ、対外的にやるべきじゃないという考えを押し付けるつもりも私にはありません。そういう意味で、それぞれの家族がしっかりと選べる状態、在宅を選んでも過度な負担がない状態になってほしいし、情報はしっかりと家族に伝えてほしいと思います。そういう意味合いで、同じ重さであってほしいと話しました。
 マスコミがなぜ書いてないか、なぜ報道してないか。簡単な話です。知らないからです。知らない、もしくは、そこまで書いても、というところがあると思います。新聞は医学専門誌ではないので、一般の人に分かりやすく書くという基準でやっていることを、ご理解いただきたい。
 最後のご質問について。私は親であり、新聞記者でもあるという立場です。親の視点では、長女が脳死か脳死じゃないのかなんてはっきり言って生活上は全然関係ないのですが、新聞記者としてこの問題を突き詰めていこう、あるいは皆さんに知ってもらおうと思った時に、脳の状態を一言で言い表せなければ原稿を書きにくいものがあるんです。名前がないものは書きにくいんです。報道する立場では、概念がはっきりと決まっていて、それについて論じますよと明示しないと、新聞記事は成立しないし、取材する上でも何を取材しているのか分からなくなってしまうので、そういう意味でも、私自身は、概念が必要だと思うのです。

 

●私の息子は、現在生きていれば30歳になります。8歳のときに心停止を起こして、それから2年半ぐらい、全く体を動かさず、脳波もほとんどないという状況でした。病気はミオチューブミオパチーという筋肉の病気です。この病気は随意筋が動かないんです。ですから、無呼吸テストをやっても、自分で肺を動かすことができませんので、この子どもが脳死状態になったとして無呼吸テストをやっても、全く反応はしません。脳死判定をクリアしてしまうわけです。病気によってはそういう状態もあることを、知っていただきたいと思います。

 

●山崎さんの本の反響というか、同じ状況で生きておられる方からの反応―自信になったとか、勇気をもらったとかっていうことはあるんでしょうか。

山崎:正直、本に対しては反応ないですね。反応を聞くような場面もないです。過去の記事では「生きることについて考えさせられた」ということを仰って下さった方もいました。本の中にも書きましたが、やはり「生きるって何だろう」ってことを考えるわけです。こういう子たちを見ていると。ある救急の有名な先生が、「実は、若い頃、抗利尿ホルモンを患者さんに投与したことがあります。そしたら、本当だったらそのまま脱水状態になって亡くなるところが、結構長いこと生きて、それを見ていた周りの先輩からは、おまえ何やってんだって滅茶苦茶言われた」「そういう体験を通して“生きるって何だろうな”と、私自身も考えました」とメールを下さいました。医療ルネッサンスで娘について書いた時は、たくさん、涙が止まりませんでしたというお葉書をいただいたりしました。概ねお母さん方は、自分の子だったらどうだろうなと考えられる人が多いようで、「そういう生き方があることを初めて知りました」というお声も頂戴しています。

 

●私は大学4年生で、脳死・臓器移植について卒業論文を執筆中です。論文のテーマは、臓器移植法が2009年に改定されましたが、なぜ、移植拡大の方に法が改定されたのか、その要因を明らかにする、ということです。先ほど脳外科の先生や移植を推進する立場の方が議論の中心にいたということで、そういう流れはあったと思いますが、その一方で、山崎さんの報道であったり、長期脳死の子供たちの実態を伝える報道があったりとか、脳死に対する科学的な疑いが持たれたりとか、少なからず、疑問を呈するような動きもあったと私は思っていて、それを踏まえて、なぜ、移植拡大の方に法が改定されたのか、山崎さんはどのように考えておられますか。

山崎:当時の雰囲気は、臓器が必要だというお子さんが前面に出てくるわけですね、海外渡航しないと助かりませんと。そういうお子さんが記者会見を開くとみんな注目して、「かわいそうだ」「どうにかしてあげて」というレシピエントの側に立つ記事が出ます。それ自体はしょうがないことで、間違っているとは思わないけれど、それと脳死の問題がどうして一緒なのって問いたいんです。片方では、死んでいると考えられる状態の患者に無駄な治療が行われている、その一方で、臓器を欲しい子がいる。そこを繋いで何が悪いんだというのが、根底にある考え方です。それはヒシヒシ感じました。本当は別次元の話として切り離して議論してほしいのです。
 脳死状態のお子さんはテレビに出てこないじゃないですか、ほとんど。その時点ですでに一般の人にとっては情報量に格差があるんです。臓器がほしいお子さんは、何度もテレビに出て取り上げられるけど、脳死状態のお子さんは、自分でしゃべるわけじゃないし動き回るわけでもないので、目立たないんです。メディアというのは、露出度、どれだけ目立ったかがどうしても力を持ってしまうのです。
 片方の力が弱かった一方で、移植学会の先生方が定期的に新聞記者を集めてメディア向けの勉強会を開いていました。メディア戦略はしっかり整っていたのです。偉いお医者さんが、こうと言ったら、医療の知識がない記者は、そうなんだと思い、それに反論できる情報は何もないんです。私自身は、脳死ではないけど似た状態の子を育てた実体験があり、本人やご家族に取材もしていたし、それなりに知ってるつもりでいますけれども、そういう記者はほとんどいない。新聞記者はいくつもの担当テーマを抱えていて、臓器提供というのはその中の一つに過ぎません。時流で注目されているから頑張ろうという記者は、多少その瞬間は頑張る。勉強しようと思うと、メディア向けセミナーへいくわけですね。結果、メディアの受け止め方は、その方向性が強くなるのです。そういう流れにはどうしても抗えないものがあります。翔太郎君や他のお子さんを何度か記事で取り上げたこともありましたし、同じ志を持った他紙の記者と情報交換もしましたが・・・。実際に、移植受けてよくなったという患者さんが出てくると、社会としてもそういうところを支えてあげたらいいんじゃないかという意見が強くなるんだと思います。


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第6回市民講座の報告(3-1)

2015-03-16 12:10:47 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

 2014年7月12日、豊島区勤労福祉会館で第6回市民講座を行いました。講師は東京医科歯科大学准教授の田中智彦さんと看護師のMOTOKOさん。
 田中智彦さんの講演タイトルは<「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために>、MOTOKOさんの講演タイトルは<看護と尊厳―その人らしく生きることを支える>です。
 「人間の尊厳とは何か?」。お二人の講演は胸にしみ、大変考えさせられました。以下、計3ページにわたり講演録および質疑応答を掲載いたします。

 

【田中智彦さんのお話】


■「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために
 今日は「尊厳への問いを問い直す」というタイトルでお話しをさせていただきます。
 私たちはさまざまな問いを立てて議論をしますが、問いの立て方にはあまり注意をはらいません。そうした場合、問いの立て方自体に問題があっても、そのことには気づかれないまま議論が進められてしまいます。これは「尊厳をめぐる問い」にも当てはまります。
 そこで「尊厳をめぐる問い」のしくみについて、1)何を問うのか、2)誰が誰にどのように問うのか、の二つの観点から考えてみることにします。

 

1.「尊厳をめぐる問い」のしくみ
1)何を問うのか?
 私たちはある存在――例えば脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者――を目の前にして、その存在に「尊厳はあるのかないのか」という問いを立てますが、こうした問いには往々にして、暗黙の前提としてもうひとつの問いが潜んでいます。つまり、そのような存在は「尊厳を認めるに値するのかしないのか」という問いです。
 具体例として文献資料1をご覧ください。1939-41年にナチス支配下のドイツで、公立の精神病院に入院していた精神病患者や精神障害者が「安楽死」の名の下にガス室等で殺害され、死体は焼却炉で灰にされました。その数は10万人を超えるとされます(T4作戦)。周知のユダヤ人大虐殺は41年からですので、T4作戦はいわばその原型であり、しかしその対象は同じドイツ人だったわけです。
 T4作戦はミュンスターの司教によって41年に問題化され、やがて打ち切られることになるのですが、資料1でその司教が述べていることは事態の本質をついていると言ってよいでしょう。「生産性」や「国家・社会への貢献度」をものさしにして「生きるに値するのかしないのか」が問われ、「値しない」と判定された者には「安楽死」の名の下に死が与えられたのです。
 具体例をもう一つ。これは2005年に医学誌『移植』に掲載された論文で、「与死(死を与える)許容の原則」を提案するものです。そこでは「意識」や「人格」がものさしにされ、「意識がない」「人格がない」と判定された者には死を与えてもよい――違法ではない――とされます。今日の「尊厳死法案」と同じく、「こういう人には死を与えても合法である」とする論理です。
 サブタイトルが「人体組織等の取り扱いルールのたたき台提案」であることにも注意してください。ナチスドイツでも死体の利用が行われましたが、今日ではバイオテクノロジーによって人体の利用可能性は当時よりもはるかに広くなりました。その意味でこの提案は、ナチスドイツをも超えるような内容をもっていると言えます。

2)誰が/誰に/どのように問うのか?
 私たち問う側は「意識」や「人格」、あるいは「理性」を具えていると当然のように前提にし、そこから脳死患者や植物状態の患者、障害者を当然のように排除しています。コミュニケーションできる人たちが集まって、自分たちと同じようにはコミュニケーションできない人たちについて、その人たちを抜きにして、その人たちに「尊厳はあるのかないのか」を論じ、判定を下すという仕組みになっています。
 尊厳について議論するわけですから、問う側の人たちは自分たちは真面目でありよいことをしていると思っているでしょう。しかし実際には、「生産性」や「国家・社会への貢献度」、「人格」や「意識」「理性」といったものさしを持ちこんで、そうしたものさしを共有する人たちだけで、言い換えれば、そのものさしではそもそも「尊厳はない」「生きるに値しない」とは判定されないことがわかっている人たちだけで議論を進め、合意を形成し、法律を作り、実施するということをしている。そして問われる側は一方的に、「反論」など想定外であるかのように、ただ「判定」されるだけである。そういうしくみになっていることを押さえておきたいと思います。

 

2.「他者」を尊重する/「他者」に礼を尽くす、ということ
1)前提――忘れられがちな、いくつかの
 こういうしくみを仕方がないと片づけてしまうこともできますが、ここではそうではなく、そもそも「他者を尊重する」とか「他者に礼を尽くす」とはどういうことなのかにまでさかのぼって考えてみたい。そこであらためて確認しておきたいことは、コミュニケーションは言葉だけで交わすものでないということ、その本質は身体性を抜きにしては捉えられないということです。
 例えば「馬鹿だなあ」という言葉。怒って言っているのか、一種の愛情表現として言っているのか、顔を見ればわかります。言葉は同じでも、身体性が介在することによって、意味は違ってきます。ですから逆に、身体性が介在しないメールなどでは、意味を取り違えて喧嘩になるようなことが起こるのでしょう。ですからまた、言葉がなくてもただ身体があるだけで、コミュニケーションが成り立つということも起こるのでしょう。恋人や家族の間がそうですし、乳幼児や病人との間でもそうです。
 私たちは泣いている子供、まだ言葉を話せない子供に対して、何が理由なのかと問い質したりはしません。お腹がすいているのか、暑いのか寒いのか、それともおもちゃが欲しいのか、子供の様子からあれこれと推論して試してみる。病人に対しても、すべてを言葉にして説明するように求めたりはしません。その身体が発するサインやシグナル、徴候に目を凝らし、耳を澄ませて、病人の具合や苦しさ、求めているであろうことを何とかわかろうとします。
 いずれにしてもコミュニケーションは言葉だけで成り立っているわけではない。むしろ言葉よりも手前のところに身体があって、その身体によって、言葉によるものをも含めたコミュニケーションの全体が支えられている。あるいはこう言ってもよいかもしれません。口から発せられ耳で聴かれる言葉だけが言葉なのではない。身体から発せられ身体で聴かれる言葉もあり、しかもそうした言葉の方がコミュニケーションにとってより根本的なのだと。そのことはまた、前者の狭い意味での言葉だけで「わかる」「わかった」としてしまうことの皮相さ、危うさを示してもいます。
 もう一つ確認しておきたいことは、「他者」は「他人」とは違うということです。「他者」とは「理解も共感も絶する相手」、もう少し平たく言うなら「自分のものさしでは測ることのできない相手」のことです。
 私たちはよく「他人(ひと)の身になって」と言いますが、それは「私」がその「他人」の立場に「立てる」ことを前提にしている。言い換えれば、「他人」は「私」と互換可能であること、両者の間にはある種の共通性、一般性のあることが前提にされている。もちろんそうして「他人(ひと)の身になる」のは大事なことですし、そうできるのは人として重要な能力でしょう。しかし同時に、今見たような前提のゆえに、「他人(ひと)の身になって」はいても「自分のものさし」自体はそのままであり、少しも疑わないで終わるということが起こりえます。そこにもやはり先に見たような「わかる」「わかった」としてしまうことの皮相さ、危うさがあります。
 これに対して「他者」の場合に前提とされなければならないのは、共通性ではなく異質性であり、こう言ってよければその相手の「わからなさ」です。ではどうすればこの「わからなさ」ときちんと向き合うことになるのか――それが「他者を尊重する」「他者に礼を尽くす」とはどういうことか、につながってきます。

2)他者とのコミュニケーションの要諦
 そこで考えてみたいのが、死者とのコミュニケーションについてです。なぜなら、死者は上の意味での「他者」の最たるものだからです。文献資料3をご覧ください。
 内田樹さんは人類学上の定説として、「人間が人間になったのは、生者と自然物の中間に“死者”という第三のカテゴリーを創出したことによる」と述べます。人間が猿から分岐した地点として「火を使う」「道具を使う」「言葉を使う」などが挙げられますが、もう一つ「埋葬をする」ということがあります。そしてそこには二つの感情が示されています。一つは死体を花などで飾ることに表されるように「死者を悼む」こと、もう一つは死体を折り曲げる、死体の上に石を積むといったことに表されるように「死者を恐れる」ことです。一見、相反する感情に思われますが、その二つの間には共通するものがあります。それは、「死者は生者に影響を及ぼしうる」という信憑です。またこの信憑のゆえに、死体はもはやたんなる自然物ではなくなります。
 内田さんも指摘するように、これは霊魂が実在するといったオカルトの話ではありません。鍵となるのは「信憑」という言葉でしょう。「憑」とは「とり憑く」ことです。生者でも自然物でもない「死者」というものがいる、あると「思わずにはいられない」。死者を思い起こすこと、死者に問いかけることを「せずにはいられない」。この「そうせずにはいられない」というどうしようもなさ、それが「憑」であり、「第三のカテゴリーを創出した」ということであり、そしてまた、人間を猿から分け隔てて「人間」にしたものだということです。ですから、「正しい葬礼をしないと死者は災厄をもたらす」という信憑があらゆる人間集団に存在してきた客観的事実が意味するのは、人間が迷信の中に生き続けてきたということではなく、人間が「人間」であり続けてきたということなのです。
 したがって葬礼は、まさに生者が死者とコミュニケーションを交わす場であることになります。とはいえ、もちろん死者は語りません。生者が問いかけても答えてはくれません。その、けっして語らず答えてもくれない死者を「尊重する」、死者に「礼を尽くす」とはどういうことか。生者はいわば沈黙のうちに宙吊りにされるわけですからその状態は耐え難い。耐え難いから死者の思いを「わかったことにする」。本当は「わからない」のに「わかったことにする」。しかしそれは、死者の思いを理解しているようでいて実は「死者を厄介払いする」ことであり、死者に対してこの上なく「非礼な振る舞い」にほかならない。そうではなく、耐え難くとも「わかったことにしてしまわない」こと、帰ってくるはずのない答えをそれでも待ち続けること、それが死者を「尊重する」こと、死者に「礼を尽くす」ことである。内田さんはそう考えます。そして私もその通りだと思います。
 とりわけ医療に関してはそうですが、私たちは「わかる」こと、相手を理解し相手に共感することを、とにかく「よいこと」だと考えがちです。しかし「わかる」には、「わかったことにしてしまう」危うさが常につきまといます。「わかる」ことはコミュニケーションを断ち切ることにもなるのです。そのことは文献資料4にあるように、生者と生者の間にも当てはまります。そして死者が、生者をも含めた「他者」の最たるものであるとするなら、その「他者」を尊重する上で、「他者」に礼を尽くす上で私たちに求められること、最も大事なこととは、一方では「他者」の発するサインやシグナルに目を凝らし、耳を澄ませながらも、しかし同時に、「他者」の思いを「わかったことにしてしまわない」こと、「わかったとすることをためらう」こと、であることになるでしょう。
 とはいえ先の文献資料4が示すように、「言うは易く行うは難し」です。「待つ」ことは難しい。私たちは「待てない」。医療においてもそうでしょう。文献資料5と6は尊厳死と脳死の場合ですが、いずれも医療の、また今の社会の待てなさが浮き彫りになっています。尊厳死の名の下に「わかった」ことにして呼吸器を止め、生命を終わらせてしまう。脳死の名の下に「わかった」ことにして臓器を取り出し、生命を終わらせてしまう。なぜ心臓が止まるまで待てないのか。脳死の場合であれば、心臓が止まってからでは臓器を移植に使えないからで、一人の「他者」として脳死患者を尊重する、脳死患者に礼を尽くすことは考えられていません。優先されているのは「私たち」の都合です。

 

3.「尊厳をめぐる問い」の再考、そして転回
1)問いの「しくみ」自体が抱えこむ「他者への非礼」
 このように見てくると、「尊厳をめぐる問い」自体が他者への非礼を抱えこんでいることが明らかになります。「人間の価値」をめぐる自分たちのものさしを一方的に「他者」に当てて、それで「他者」の思いを「わかった」ことにして、その「他者」に「尊厳はない」「生きるに値しない」という判定を下している。そうした議論のしくみ自体が、「他者」への非礼となっている。ここで先の内田さんの話に立ち返るなら、私たちがそうした議論のしくみを疑わないことは、私たちにおいて人間を「人間」にしているコミュニケーション能力が欠如していること、あるいは不調をきたしていることを示していると言えるかもしれません。その意味では、「人間」の名に値するのかどうかと問われるべきはむしろ、脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者を目の前にして、「尊厳はあるのかないのか」という問いを立てる私たち自身ではないのか、ということにもなります。
 このことは、今日の生命倫理に対する批判にもつながってくるでしょう。今日の生命倫理はいわば「自己決定権と同意のシステム」です。あらゆる場面で自己決定をし、意思表示をし、同意をすることが求められる。本人ができなければ家族がしなければならない。「わからない」では許されない。どんな形であれ「わかった」ことにしなければならない。なるほど現実にはそうしないとものごとが先に進まないということはあるでしょう。ですが、曲がりなりにも倫理として「他者」を尊重する、「他者」に礼を尽くすことを本義とするなら、「わかった」ことにするのはあくまでも「便法」であるとわきまえるべきではないでしょうか。しかるに今日の生命倫理では、その「便法」であるべきはずのものが「原則」にされている。手続きを明文化して法律にすればよいとされている。本末転倒になっているのに、そのことに気づいていないのです。

2)問いの逆転――「問われている」のは誰/何なのか?
 さて、それでは私たちは「人間の尊厳」「いのちの尊厳」について、いったいどのように考えればよいのでしょうか。最後にこのことをめぐって、一つの視点を提示しておきたいと思います。
 手がかりになるのは文献資料7に引用しました聖書の「善いサマリア人」のたとえ話です。イエスが説教をしていると、それを快く思わない律法の専門家が議論を仕掛けて、「私の隣人とは誰ですか」と問いかける。この問いをこれまでの話の文脈に置いてみるなら、「私が尊厳を認めるべき人は誰ですか」という問いに言い換えられるでしょう。すると律法の専門家がイエスに示すよう求めているのは、尊厳を認めるべき人とそうではない人とを区別するものさしは何か、ということになります。そのものさしに当てはまる人なら尊厳を認めようじゃありませんか、というわけです。
 そうした問いにイエスは「善いサマリア人」のたとえ話で答えます。半殺しにされて沈黙のうちに横たわるユダヤ人を、同胞(祭司・レビ人)たちは彼らなりの理由――それは教義上のタブー(血の穢れ)かもしれませんし、ただ急いでいたからかもしれません――で見捨てて立ち去ります。そこにサマリア人が来る。当時サマリア人はユダヤ教の教義解釈をめぐりユダヤ人と対立していたと言われます。いわば「敵」であり、ユダヤ人を見捨てる理由はその同胞たちよりも大きかったかもしれません。にもかかわらず、サマリア人はユダヤ人を助け、介抱します。そしてイエスは律法の専門家にこう問い返します――「傷ついたユダヤ人の隣人になったのは誰か」と。
 「隣人とは誰であるか」という問いに、「誰が隣人になったか」と問い返す。この問い返しが問題にしているのは、「隣人とは誰であるか」というまさにそうした問いの立て方自体です。「隣人」とははじめに何かものさしがあって、それを当てはめて「この人は隣人である」「あの人は隣人ではない」と定義されるようなものではない。そうではなく、「私」が誰かの「隣人」になろうとすることではじめて、「私」とその誰かとの間に「隣人」という関係性が生まれてくる。「隣人」はそうして生み出されるものである。それゆえ、「その人は私の「隣人」であるのか否か」と問うのは、事態をまったくの逆さまに理解していることになります。なぜなら問われるべきは、「私がその人の「隣人」になるのか否か」だからです。「隣人」とはただ「ある」のではなく「なる」ものであり、しかも問われているのは相手ではなく、ほかならならぬこの「私」なのです。
 これを再びここまでの話の文脈に置いてみるなら、「私が尊厳を認めるべき人は誰ですか」という問いの立て方自体が「人間の尊厳」「いのちの尊厳」の理解として逆立ちしている、と考えることができそうです。「尊厳」とはとははじめに何かものさしがあって、それを当てはめて「この人には尊厳がある」「あの人には尊厳はない」と定義されるようなものではない。そうではなく、「私」がその人に「尊厳」を認めようとすることではじめて、「私」とその誰かとの間に「人間の尊厳」「いのちの尊厳」にもとづくという関係性が生まれてくる。「尊厳」はそうして生み出されるものである。もちろん「私」にはその人に「尊厳」を認めることも認めないこともできます。その意味で「私」は自由です。しかしまさに自由であるからこそ、「あなたはどうするのか」という倫理的な問いが、ほかならぬこの「私」に差し向けられることにもなるのです。
 このたとえ話をめぐってシモーヌ・ヴェイユは、文献資料8にありますように、ただ見るだけでは見えない人間性、それゆえに「ない」で済まされてしまう人間性を、「ある」へと転換するより高次の「見る」という行為、そうして人間性を「あらしめる」ようにするより深い意味での「見る」という行為について語っています。ヴェイユによればそれが「創造的注意」であり、真の注意にほかならない。すなわち人間性とは、はじめにそれをはかるものさしがあって、そのものさしで「ある」「ない」と判定されるようなものではなく、この「私」が関与することによって創造されるものであり、そうしてはじめて「ある」ことができるようになるものなのです。こうしたヴェイユの見解は、これまでたどってきた尊厳の話ともコミュニケーションの話とも、深く通じ合うものと言えるでしょう。
 「他者」とコミュニケーションできる能力、「他者」のうちに尊厳を、人間性を「見る」ことのできる能力――それが人間を「人間」たらしめている。「人間」の名に値するものにしている。そうであるとするなら、「尊厳をめぐる問い」がまず差し向けられねばならないのは、目の前の脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者ではなく、私たち自身であることになります。まずもって「彼ら」に尊厳を、人間性を「見る」のではなく、またそうして尊厳や人間性を「あらしめよう」とするのではなく、自分たちだけに通用するものさしで「彼ら」をはかり、「わかったことにしてしまう」私たち、そうして「彼ら」に尊厳や人間性が「ある」とか「ない」とかを判定しようとする私たちに、はたして「人間」の名はふさわしいのだろうかと、むしろそうすることで私たちは、私たち自身の尊厳を損なっているのではないかと、まずそのように問うべきであることになります。
 「尊厳」という概念をめぐってはさまざまな議論があります。その概念自体にいろいろな問題があるという指摘があり、その中にはもっともだと思われるものもあります。ただ私としては、この「尊厳」という概念を手放してしまうのではなく、再生する道を探してみたい。今日の話はその一つの試みであったとご理解ください。長い時間ご清聴ありがとうございました。


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第6回市民講座の報告(3-2)

2015-03-16 11:42:42 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

【MOTOKOさんのお話】

 

■看護と尊厳 ―その人らしく生きることを支える―

Ⅰ.「脳死」と説明された方の看取りに関わって
 はじめまして。看護師のMOTOKOと申します。今日は、『看護と尊厳―その人らしく生きることを支える―』というテーマでお話しさせていただきます。前半は、私が脳死臓器移植のドナーとなる患者さんとかかわった経験をお話させていただきます。後半は、その経験から患者さんに尊厳をもって関わるということはどういうことなのか、ということについてお話したいと思います。

1.ドナーとなる患者さんの看取りにかかわって受けた衝撃
 まず臓器摘出に至った患者さんの経過を、簡単にお話します。臨床的な脳死であると医師の説明を聞いたご家族は、ドナーカードを持参され、話し合いのすえ、患者さんの臓器摘出に同意されました。一回目の脳死判定が開始されてから、臓器摘出のために手術室に向かうまでの時間は、わずか40時間にも満たない「あわただしい時間」でした。
 ドナーとなる患者さんの看取りにかかわって、私はこれまでにない衝撃を感じました。臓器摘出から病室に戻ってこられた患者さんの遺体と対面して、「死なはった」、「死んではらへんかった」、そして結果的には「この人を殺してしまったんちゃうやろか」、と感じたのです。なぜそう感じたのか。自分は看護したといえるのか。落ち度が無ければそれでよしとしていいのか。そういったことをずっと問われていると感じています。

2.臓器提供によって患者の死に意味を見出すことと、その死を悲しむこととは、同時に可能か?
 2013年、5月25日の朝日新聞によりますと、『脳死での臓器提供を家族が承諾する理由最多は、「誰かの役に立ちたい」などの「社会貢献」』とありました。一方、本人の提供意思が書面で残っていた事例では、すべての家族が「本人の意思だから」と答えたそうです。(今年6月末、法改正後の脳死臓器摘出189例中、家族が判断したケースは142例)
 ここで一つの疑問が生じます。まず、大切な家族の死を前にして、残された時間は患者と家族の為にあります。それは、亡くなっていかれる悲しみを悲しむ時間でもあります。家族の承諾によってドナーとなる患者さんとそのご家族にとっても、残された時間は共に生きる最後の時間です。「看取り」とは、「残された生を共に生きること、やがて鼓動を止めて冷たくなっていくいのちの傍で、見守り悲しむいとなみ」でもあります。しかし、報道が示すように社会貢献のために臓器提供をし、そのことによって患者の死に意味を見出すことと、その死を悲しむこととは、本当に同時に可能なのでしょうか。
 私がかかえている「しんどさ」は、「いのち」の看取りと脳死臓器移植のはざまで生じた葛藤だと考えています。看護師が「いのちと向き合う」、とか「いのちに寄り添う」と言うときの「いのち」とは、どういう意味で使っているのでしょうか。

3.関わりの中で生き続ける存在:「いのち」の看取り
 看護師は、病をもちながら生き、生活する人と関わります。そこにはその方の人生の歩みも見つめる目があります。ですから、看護師は病気の人とその人を取り巻く人々や環境にも眼差しを向けています。さらに、看護師でなくとも、亡くなられた方に想いを馳せるとき、私たちは死者とも会話出来るときがあると思うのです。このように、「世界の中で人々と共にさまざまな関わりをもちながら生活し、他者の記憶の中にも生き続け会話することもできる存在」を、私は「いのち」と呼びたいと思います。
 さて、「いのち」がこのような意味なのだとすると、人がこの世で生き切ろうとするのを看取ることと、その方に臓器摘出に向けた様々な処置やバイタルサインの調整を行うことは、異なった次元にあることになります。およそ操作できるとかできないとかいう次元にはない「いのち」の看取りと、操作そのものである臓器摘出術前の処置の対象としての身体。両者のはざまには、絶対的な断絶があります。私のかかえた「しんどさ」とは、この絶対的な断絶がある二つのことを、一人の人間に対して同時に行わなくてはならなかったことと関係していると考えています。
 誰かを「看取る」ということは、共に生きることだと言いました。そこでは、看護師も看取りの当事者の一人として関わります。私は看取ることは、「看取りの医療」を提供することと同義ではない と考えています。看護師は、患者と家族の傍らで、彼らの思い、語りを聴き取り、自らできることを考え家族と共に患者のケアを実践します。
 私は、臨床的な脳死状態と説明された方の看取りにも関わってきました。そのなかの印象的な患者さんの看取りについて、いくつかお話したいと思います。
 ある方のご家族は本人も希望していたので人工呼吸器をはずして欲しいと希望されました。医師、看護師、ご家族とで話し合いをし、必要最小限の呼吸と循環を確保しながら看取ろうということになりました。ご家族や恋人とできる限り自由に一緒に過ごしながらゆっくりと、静かで濃密な時間を過ごされてその方は逝かれました。
 また、出産後間もない女性の実のおかあさんは、一週間ほど面会に来ることが出来ませんでした。しかし、お母さんが娘さんのところに来ることが出来たのは、「娘は私に会いたがっているにちがいない」と思えるようになったからだったのではないかと思います。それからはずっと娘の傍で過ごされました。お母さんが娘さんと過ごしておられるのを、看護師は見守り、顔を拭くなどのケアに一緒に参加していただきました。
 青年のご家族は、微かでもいいから奇跡が起きて欲しいと、ずっと身体をさすり、声をかけておられました。医学的には「聞こえていない」「意識がない」「脳死状態である」といわれる人に、家族も看護師も声をかけます。それは人として当たり前の態度です。そして、声かけに何か返事を返してくれているような反応や変化を聴き取ろうとする行為でもあります。
 ある小学生のお子さんは、医師の手で人工呼吸をしながら、機械音の無い病室で母親の腕に抱かれて亡くなりました。また乳児の患者さんは、二ヶ月以上をICUで過ごし、1歳のお誕生会をしました。
 彼らに共通していたのは、様々な処置や検査、説明や自己決定をすることなどの、死に逝くことの外にある事柄に急かされることのない、家族だけの濃密な時間の過ごし方があったということです。こうした看取りにおいて、その人が最後の時間において社会貢献の行為をしたかどうかで、その生に価値のあるなしを見いだすような視線を向けることは、あたかも「いのちの値踏み」とさえ呼びうるものに陥りかねないのではないでしょうか。やはり、社会貢献とか死に意味を見出すことは、「いのち」を看取ることとは別の次元にあるのではないでしょうか。

4.「死へのカウントダウン」と悲しみの忘却
 人が死を迎えるとき、「予定時間が決まっている」死はありません。ドナーとなる患者さんと関わるなかで、この「予定時間が決まっている」ことを「死へのカウントダウン」と表現した看護師がいました。人が亡くなる場に居合わせ、「いのち」を看取るとき、そこには「あと何分で」とか、「何時頃には」とか、あらかじめ決まっている時間に向かって待つことができるような時間は流れていません。たとえその死を待っている人がいたとしても、その時間がどれだけあるのかは誰にも待てないもの、待つことがその人の生をないがしろにするように感じるものではないでしょうか。
 ところが脳死臓器移植のドナーとなる方の看取りは、幾重にも宣告がなされる過程が重ねられていきます。まず、法的脳死判定が終了し死亡時間が確定するとき、次に温かい身体で人工呼吸器の助けで息をしながら手術室に臓器摘出に向かうとき、そして摘出手術を終えて冷たく軽いご遺体となってご家族に再会されるとき、その都度、ご家族は患者さんの死に立ち会うことになるのです。そして、三回ともその予定時刻があらかじめ立てられているのです。
 看護師は身体ケアを通じて患者と語らいます。声をかけ、手を動かしながら、身体の向きを変え、家族や患者と語らいながら、家族のケアへの参加を促します。そのときに、家族は患者との思い出を聞かせてくださったり、心情を打ち明けてくださったりします。看護師は、患者と家族だけの静かな時間と空間を出来るだけ見守り、その時空に満ちている空気を共有します。看護師も彼らの「いのち」と共鳴し、悲しみ、泣き、つらいと感じます。それは、人が「生きてあること、死んでいくこと」への学びを深め、「いのち」のかけがえのなさを学ばせてもらう経験でもあります。
 臓器摘出を待つ患者とその家族の看護は、脳死状態に陥った人たちの看取りとは異なる決定的な困難をかかえます。一方では臓器摘出に向けての指示されたバイタルサインの維持管理、他方では家族と患者の時間を大切にし、家族と共に身体ケアを考え実践する。そこには「死体body」のバイタルサインの管理と、「いのち」に寄り添うこととの両方が求められます。
 私が臓器移植のドナーとなった患者の看取りに関わってショックを受けたときの、同僚看護師たちの言葉です。ある看護師は自らが抱く「思いや疑問なんて、患者やその家族から見たら関係ない」と否認し、「患者と家族が望むことを一生懸命やるだけ。それは他の患者家族と何ら変わりはないと結論を出し、私の想いは封じ込めることにした」と述べています。
 あるいは別の看護師は、「患者の意思を尊重する思いと、命を決めてしまうことに対する抵抗感」の間で「辛さ」を感じつつも、レシピエントが移植を待っていることに目をむけそれをのり越えようとします。ここでは、看護師自身が自らの辛さ、思い、疑問を棚上げにし、ドナーとなる患者と家族の意思や、レシピエントが待っていることに思いを向けて、「微妙な薬剤の調整」や「他の患者と何ら変わらない」看取りのケアを同時にやり遂げようとする姿が浮かんできます。
 私は管理者として、臓器摘出に向けての諸々の処置から退院されるまでのタイムテーブルを作って担当看護師たちに示す一方で、家族が患者との残された時間を悔いなく過ごせるように看取りのケアも出来る限りしていこうと、スタッフと共に自分もケアに参加しました。
 そのタイムテーブルを作り指示した私自身が、「予定時間の決まっている死」を迎えて病室に戻ってこられた患者さんを見て、大きな衝撃を受けました。「悲しみを悲しむこと」を棚上げし、いわば本来の看取りの重要な意味をあえて忘却したのです。そうすることなしに、死へのタイムテーブルは実行できなかったのです。
 バイタルサインを示す脳死の患者を、看護師は「死体」とみることは出来ません。ドナーとなる患者は、今、ここで、病をかかえながら家族と病院で生活している人です。操作の一対象ではなく、一ドナーでもなく、一人の生活者、ある人の子や父母や妻や夫です。その一人の人を、人工呼吸器を作動させながら臓器摘出に送り出さなくてはならない時、それまでにいくら「看取りの看護」を実践しても、「いのち」を操作しているという「疑問」や「抵抗感」はなくなりません。しかしこうした「疑問」や「抵抗感」を押し殺し、いわば意図的に忘却することなしには、手術に送り出すことはできません。
 手術室に向かう時間となったとき、看護師は家族にどのように声かけしていいかわからずにいました。ご家族の、「もういいです」に促され臓器摘出に向かいました。それがたとえば頭蓋内圧を下げるための手術であったなら、「さあ、行きましょう。がんばってね」と声をかけて送り出すこともできたでしょう。 しかし、この時担当した看護師はその言葉をかけられなかったのです。ある看護師は、「ごめんね」と「心の中で」患者に語りかけてケアしたと述べていました。

5.「問いかけ」に応えるために
 あのときから年数がたちました。今私は、患者さんは私に「問いかけていた」のだと受け取っています。 私が尊重したその方の「意志」は本当に「あの時の患者の意志」だったのか。それはもうこの世では確認できないことです。私は「いのち」に向き合ったつもりで「いのちの操作」を指示し、またそうしていただけなのではないか。あるいは、私が行ってきたこれまでの各種看護実践は単なるメニューの適用にすぎなかったのではないのか。看護とは何か、看護ではないものは何か。今も、そしてこれからも問い続けなくてはならない と思っています。それがあの「問いかけに応えること」だと思うのです。

 

 

Ⅱ.看護師の仕事
 それでは、後半はこうした経験を元に看護師にとって「尊厳」とはどういうことかについて私が考えていることをお話したいと思います。患者さんの尊厳を傷つけるようなことに、看護師は黙っていてはならないし、そういったことに無頓着に看護しているというのでは、それは看護とはいえないからです。
 最近新聞でも「尊厳死」が取り上げられていたのですが、この「尊厳」ということについて看護の立場から考えてみたいと思います。看護の現場では「尊厳」という言葉をほとんど使いません。看護師が患者さんの「尊厳」を意味することを語るときには、「尊厳が傷つけられる」危惧や、その状況が生じたときに、その危惧や状況を生じさせるものにたいして、危惧を回避したり状況を変化させたりするために何ができるかを考えるときではないかと思います。こうした場合に、よく用いる言葉は、「人間らしく」や、「その人らしさ」という言葉です。「尊厳」という言葉は抽象的で、これを発言する人、また受け取る人によって意味が異なるものではないでしょうか。今日は、「尊厳」に代わる言葉として「その人らしさ」について考えてみたいと思います。
 「その人らしさ」を大切にしてケアすることについて話し合うとき、その方が何を必要とされているのか、「その人らしく」生きる上でどのようなケアがふさわしいのか、病を抱えたその方がその病をどのように乗り越えて下さることを期待するのか等を、参加者が考えます。「その人らしさ」という言葉を使うことによって、より具体的に患者さん個々人をめぐって何をどのようにしたら良いかを、考えることができるように思います。そして、「その人らしさ」と他人が呼ぶものは、その人本人にとっては「自分らしさ」と同じではありませんが、「その人らしさ」を巡って話し合うときには、本人が「自分らしい」と感じて下さることをめざします。こうして話し合われたケアがされるとき、本人さんが、「自分が自分であっていいのだ」という自己肯定感へとつながることを期待します。
 日本看護協会の看護業務基準には「看護とは、対象の生涯を通してその最後まで、その人らしく生を全うできるように支援を行うこと」
と、かかれています。

1.初めて患者さんと接したときのこと
 私は看護教育を受けるまで、「看護師は注射したり、脈拍を測ったり、薬を飲ませたりする人」だと思っていました。看護学校に入学して1年目、前期の学科試験が終わると見学実習がありました。ナースキャップももらっていない高校卒業したてで、当時は見学とはいえいきなり臨床実習がありました。
 私が初めて患者さんに援助に行かせてもらったのは、忘れもしない高齢女性のベッド上排尿援助でした。ナースコールがあって、臨床実習指導者に「あなた行って来なさい」といわれ、病室に行くと「あんただれ?あっちいって」とおっしゃいました。患者さんにしてみれば、援助が必要だからコールしたのに、来たのはナースキャップもかぶっていない見ず知らずの女の子、しかも自己紹介もせずに、「あの・・何ですか?」と聞かれても、役に立たない見知らぬ子がきたと思われたことでしょう。私は患者さんという方に初めて接し、しかもその方から「あっちいって」といわれて、打ちひしがれて指導者の下へ帰り報告しました。そして指導者の方から、「なぜそういわれたのかわかる?あなたが患者さんの立場だったら、今のあなたの態度や言葉かけをされたらどう感じる?」と聞かれました。実は患者さんは排尿したくて、しかもそれをベッド上でしなくてはならなかったのでナースコールを押されたのでした。
 このことをきっかけに、同じ実習グループのメンバーで排尿にいたる動作と心理状況について夜を徹して話し合い考えました。
 たとえば、排尿についてです。尿意を感じる⇒排尿はトイレですることがわかる⇒トイレの場所を知っている⇒トイレでの作法を知っている⇒音を立てない・聞かれたくない(当時は音姫などありません)⇒臭いを消したい(当時は便座に消臭機能はありません)⇒拭く(当時はウォシュレットなどありません)⇒流す(さすがに水洗はありました)
 そして、トイレで排尿するという健康な人にはごく当たり前の行動が、実は社会的で心理的で、肉体的で、何より自尊心に関わる行動なのだということがわかったのです。このことは現代の高度で多機能な便器を思い起こせばなるほどと思われます。排尿という基本的な生理的欲求も、他者との関係で音や臭いが気になり、その行為を丸ごと他人に委ねなくてはならないとき、そこで生じる屈辱感や羞恥心、申し訳なさがおきます。そうした思いを抱いている方を共感的に受けとめられるような配慮が、看護には求められているのだということを、私たち看護学生は最初の実習で患者さんから学ばせていただいたのでした。
 私がこの経験を忘れないのは、初めてでしかも拒絶された経験ということもありますが、看護師が生活の援助をすることの核になる意味を教えていただいたからだと思います。

2.病とともに生きる人への援助
 看護師の業務を定めた保健師助産師看護師法、通称「保助看法」には看護師の仕事がさだめられています。レジュメをご参照ください。
 「療養上の世話」と「診療の補助」が看護師の業務、仕事であると定められています。「療養上の世話」は、たとえば、食事や排泄、身体の清潔、環境の調整など日常生活行動の援助や、患者や家族の悩みを聞き、相談に乗ること、他職種との連携調整などがあります。「診療の補助」は、注射や採血、診察や手術、処置の介助などがあります。しかし、この療養上の世話と診療の補助は、実は明確に切り分けることはできません。それは、同じ一人の人に関わることだからです。人は、あるときは療養上の世話を必要としているが、別の時には診療の補助を必要としているというように区切りをつけて生きているわけではありません。
 たとえば、食事療法。あるいは理学療法、作業療法。また、モーニングケアからイブニングケアまで。排泄の援助、清潔の援助。体位変換。安眠への援助。すべては、患者さんの生活そのものであり、またそれらが整えられるからこそ、治療の効果も高まるものです。
 療養上の世話と診療の補助は、実際一人の人において容易に分けられないところがあります。
 また、意識のない人にとって、すべては他者の支えがなくては生活できないのですが、そういったコミュニケーションのとれない人の代弁をすることが看護師に求められています。たった一筋のシーツのシワが痛みや違和感を自分で訴えることのできない人にとっては、褥瘡の元となったりします。
 一人の、生きて生活する人が病を抱えて治療を受けておられ、したくてもできない、できるけれどもしてはいけない、自分の苦痛や希望を他者に訴えることができない、という状況におかれてしまうのですから、看護師は病に対する知識だけでなくその方がこれまで生きてこられた歴史的背景や大切にしてこられたものを知って、その方にとって必要な援助がその人にとって適切な仕方で受けられるように援助しなくてはなりません。
 看護の主役はこうした病という状況に投げ込まれ、家族をはじめ他者とともに人生を紡いでこられたたった一人の「生活する人」なのです。

3.看護・世話・ケアcare
 「看護」を辞書で引くと、「世話すること」という意味が出てきます。
 次に「世話」を引いてみると、面倒をみること、取り持つこと、厄介であることなどあまりいい意味ではありません。同じ行為でも、「お世話になりました」と感謝されることもあれば、「大きなお世話や」と叱られることもあります。看護師の行為が看護であるかそうでないかは、看護師と患者さん(家族や周囲の環境)との相互関係に依存しているといえます。看護師だけが「私は看護している」と言っていても、患者さんや家族がそれを認めて下さらない限りは看護とは言えません。看護とは看護するものとその対象となる人との相互関係によって成り立ちます。
 ケアcareという言葉には、看護が相互関係によって成り立つことを、日本語よりもうまく表現しているように思います。careを辞書で引くと「気づかう」「心配する」「関心がある」という意味がのっています。他者のことを気づかうこと、先ほどの実習の話のように、排尿するというプライベートで基本的な生理的行為を他人に委ねなければならない人への配慮こそケアであり、それこそ看護における倫理そのものといえます。
 そして、看護の「看」という字。字義は、「手をかざして見る」とあります。看護の看は「手」と「目」でできているのです。看護は病気ではなくその患者さんをよく見ること、つまり観察と、そして援助の必要を満たすために手をさしのべること、つまり生活援助とでできているのだといえます。

 

 

Ⅲ.看護と尊厳
1.職業倫理に規定されている「尊厳」
 日本看護協会の『看護師の倫理綱領』には看護師の職業倫理が規定されています。レジュメをご参照ください。
 前文では、人々の「人間としての尊厳の維持と、健康、幸福」へのニーズは普遍的であること。看護師の使命はそれに応えて健康な生活の実現に貢献すること。さらに、看護の目的は「その人らしく生を全うできるように援助を行うこと」であること。最後に看護に求められるのは人権の尊重であると謳われています。
 条文では、「看護者の行動の基本は生命、尊厳、権利の尊重」と謳われています。つまり、人は看護師から生命、尊厳、権利を尊重されて援助されなくてはならない、ということです。「あなたのおむつを替えてあげる」ではなく、「私におむつを替えさせてください」という態度です。

2.受動態、完了形としての尊厳:「傷つけられ」「奪われた」ものとしての尊厳
 この文章には尊厳について二つの解釈ができるように見えます。一つは、人には尊厳があってそれが保障されなくてはならない、という意味。もう一つは、人には尊厳があるが、そのことを保障するのは他者(看護師)の尊厳を尊重した態度である、という意味です。前者の解釈の場合、どの人も尊厳を持っていることが前提です。
 ところで、私たちは日々「私には尊厳が備わっている」と自覚しながら生活しているでしょうか。「保障されなくてはならない」尊厳とは、保障する他人がいて初めて成立つことではないでしょうか。この尊厳が保障されなかったときには、尊厳は存在していないというよりもむしろ「尊厳が踏みにじられた」という思いを抱くのではないでしょうか。したがって、看護師の倫理綱領の言おうとしているところは、後者の意味での尊厳であるといえるでしょう。すなわち、尊厳とは「私は尊厳を持っている」というよりもむしろ、「私は尊厳を尊重されている」というように、受動態・完了形として備わっているのではないでしょうか。
 私たちは、普段自分の尊厳がどうであるか、守られているか、今日も尊厳をもって生活した、などと思って日々を生きていません。尊厳とは、今あると確認できるものではなく、むしろ他者によって「踏みにじられた」「辱められた」と感じるときに、尊厳が「傷つけられた」「奪われた」、と感じられるもの、常に他者によって尊重されてあるものなのではないでしょうか。

3.未来形としての尊厳:「尊厳」の反転
 では、このような場合はどうでしょう。「尊厳は現に備わっており、それが奪われる前に尊厳を確保しようとする」場合です。これは、現在「誰々の尊厳は傷つけられ、奪われている」と感じる状況にあって、「その状況で生き続けるくらいなら死んだほうがマシ」という本人以外の者の判断により、死に至らせるという場合が当てはまるのではないでしょうか。
 私が30年ほど前に看護師になったばかりの頃には、まだ従軍看護の経験のある方々が現役で働いておられました。その方の話によると、「満州から引き上げるときには、重症患者に青酸カリを飲ませておいてきたらしい」ということでした。当時は半信半疑だったのですが、最近ネット検索してみると同じような証言がありました。レジュメに参照例をのせていますが、
 ・重症患者に青酸カリを飲ませてソ連侵攻からのがれた看護師。
 ・婦長の指示で毒入りミルクを配られた患者たち、の証言をしたひめゆり隊の生き残り。
 
・ハリケーン・カトリーナのときのメモリアル病院での安楽死事件では、「もしも置き去りにするのなら、死なせてやるのが人間的」という判断のもとで死ぬまでモルヒネを投与した看護師。

 戦争や災害時には、見捨てるに忍びなく、人間的処置と称して、「死なせる」ことが尊厳を守る方法として選択されてきました。そこには、「傷つけられる前に殺す」ことによって守られる「尊厳」なるものが考えられているのではないでしょうか。殺人によって守られる「尊厳」などないと思いますが、歴史を振り返ると、「尊厳」という言葉は、周りの状況によっては生かせて守る「尊厳」から、死なせて守る「尊厳」という意味へと、容易に反転してしまうことがわかります。安藤泰至さんは現代医療に混在する「二つの方向性」、「不死のベクトル」と「死なせるベクトル」と述べておられますが、尊厳の意味が反転してしまうのは、この二つのベクトルのどちらにも、「尊厳」を対象化して、人為による「操作」が可能であるという視線が注がれているのではないでしょうか。しかし、「尊厳」とは、そのように扱うものの見方によっていかようにも操れるものではないはずです。そこには、かけがえのない現在を「生きていることの尊厳」はありません。

 

 

Ⅳ.現在としての尊厳:今ここで生きている人の「その人らしさ」を大切にする
 では、「尊厳」がそのように人為によって操れるようなものではないとしたら、私の尊厳が自分も含めて誰によっても損なわれてはならないものとしてみるなら、どのようにとらえたらいいのでしょう。看護師が患者さんの尊厳を守る、尊重するということはどういうことなのでしょう。

1. その人の「もてる力」への信頼
 ナイチンゲールは、一般的に「病気とは、毒されたり衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれであり」、「回復過程」であると考えました。それゆえ、「看護とは(…)患者の生命力の消耗を最小にするように」内的あるいは外的な環境を整えることであると述べています。彼女は、看護することを不可能にしているものに対して調整を図ることは、看護の技術であると述べています。
 ナイチンゲールが病気は「回復過程」であると述べていたことは、今日いわれる「自然治癒力」や「免疫力」という生命に備わる力すなわち、患者さんの「もてる力」への信頼があったということです。
 患者さんの「もてる力」を信頼し、その消耗を最小にし、それが最大限に発揮されるように働きかける。このことが看護の目的であり、その結果、患者さんが「その人らしく」生活できる力を取り戻されたとき、看護師はそのような活動に関わり、変化の過程に寄り添わせてもらえたことに幸福を感じることができるのです。

2.「生きること」の「かけがえのなさ」=QOL
 次に一般的には「生活の質」とか「生命の質」とも訳されるQOLについて看護の立場から考えてみたいと思います。
 まず看護師の大事な仕事である「生活援助」という言葉の「生活」にもかかわるlifeの意味です。辞書で調べるとlifeには主として三つの意味が書かれています。
 一つ目は「生活」、二つ目は「人生」、三つ目は「生命」という意味でのlifeです。
 ここで、医療者が大切にしている「その人らしさ」の内容について調査した研究をみてみますと、その人らしさとは、レジュメにありますような6つの意味で捉えられているのだという分析がなされていました。
 この研究で捉えられている「その人らしさ」も、その方が生きてこられた「人生」において築いてこられた「生活」のスタイル、嗜好、行動パターン、人生観や周囲の人との関係、役割、そしてその「生活」「人生」の土台となる「生命」の意味を含んでいるといえます。そして言い換えるなら、「その人らしさ」とは、その方の「もてる力」ということになるのではないでしょうか。「その人らしさ」がその人固有の「歴史を背負って病を生きている人」のそれである以上、一般的な言葉で言いつくせない「固有性」いいかえるなら「かけがえのなさ」としてとらえられなくてはなりません。このことが、「その人らしく生を全うすることを支援する」看護の使命だと考えます。
 「歴史を背負って病を生きている人」のlifeという意味で「life」を捉えるなら、lifeを「生きること」と訳してはどうかと考えます。そして、QOLのQ、すなわちQualityは「質」ではなく、その人の今を生きていることの固有性を表わす「かけがえのなさ」と訳したいと思います。QOLとは「生きることの」「かけがえのなさ」のことで、決して生活の質の「ものさし」ではないと思います。
 QOLを「ものさし」としての「生活の質」ととらえてしまうと、尊厳のように反転が起こってしまいます。たとえば、人工的な栄養補給を行えば体力が回復し、最終的には口から食事を摂ることができるかもしれないのに、そのような姿はみじめだ、尊厳がそこなわれるのではないかという声が聞かれます。「アンナンなってまで生きていたくないわ」とおっしゃる方もおられます。このようにおっしゃる方は、他人の姿をみて、そこに自分を重ねておられるのですが、実際に「胃瘻」や鼻腔栄養をされておられる方にとっては、周りの人が「かわいそうに」というほどには自分のことを「かわいそうだ」とは感じておられないのではないかと思います。それよりも、消化管を使うことによって、免疫力が保たれ、必要な栄養が摂取できることによって体力が増し、嚥下訓練に取り組めるようになり、生きる意欲につながっていく方々がたくさんおられます。
 一方では救命医療、移植医療といった高度な医療処置によって、「死なせない」医療がすすめられ、また一方では、回復期、慢性期における侵襲の少ない生命維持に欠かせない処置は「尊厳を損なう」「単なる延命処置」とみなし、尊厳を守るためにはそれらを拒否・中止して「死なせる」医療がすすめられようとしています。まさに「死」さえも「操作」の対象にされるのです。
 「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を大切にしようという視点で考えたとき、そこには、これまでの生き方や周囲の人々の思いを大切にして、その方が生きていくためには何をどのように整えていくのが良いかを考える視点が生まれるのではないでしょうか。その方が、ただ生きていてくれただけで、私は励まされたという方のお話を聞きます。言語的に会話が成り立たなくても、ただ顔をみて話しかけるだけで、聞いてもらっていると感じることのできる家族の間柄があります。そのときその方たちの間には、互いにその方たちにとってのかけがえのない場が共有されているのだと思います。
 私は、「尊厳」を保つこと、QOLを高めることは大切なことであると思います。でも、「今生きているその人」を飛び越えて、何か一般的な価値や真理としての「尊厳」や「QOL」があるとは思いません。尊厳とは今を生きる人に固有に見出されるべきものであり、QOLとは、「生きること」の「かけがえのなさ」という見方でとらえられるべきものだと思います。

 

 

Ⅴ.看護師が尊厳をもって看護するということ
1.「生きることのかけがえのなさ」を大事にする
 人にはその人固有の身体状況があります。「病や障害をもって生きる」人にとって、時に人工呼吸器はその方の鼻であり気管であり肺そのものです。胃ろうから食事を摂っておられる方にとって、胃瘻は食道であり、心臓ペースメーカーはその方の心臓の刺激伝道系です。人工呼吸器や胃瘻や心臓ペースメーカーは、その方の生きるための機能を担っている身体の一部、というより身体そのものです。ところが、身体を様々な機能の集合体ととらえると、その人が病や障害を持ちながら一人の人として生きていることが見えなくなり、いつのまにか喪失された機能にだけ目が行き、そこに、「生活の質」「生命の質」という「ものさし」をあてがうような、偏狭な見方に陥ってしまいます。尊厳死をめぐる議論はそういったことだと思います。

2.「尊厳ある死」への疑問
 私は、「尊厳」とは、「その人らしく生きることのかけがえのなさ」を自分からも他人からも大切にされることによって尊厳が尊厳として守られていくものだと思っています。自分が今あるままに生きていていいのだという自己肯定と、そうして生きるありのままのその人の生のかけがえのなさを周囲の人だけではなく社会の在り方として大切にされること、このいわば内と外からの肯定によって、たった一人のその人のかけがえのなさ、尊厳が尊重されていくものなのだと思います。
 安楽死・尊厳死についてホスピス医の山崎医師が述べておられることです。彼は、「間接的安楽死(消極的安楽死と同義)という用語や概念は不要」としたうえで、レジュメにあるように述べておられます。
 ここで述べておられるように、今ここで病とともに生きている人の苦痛を緩和し、よりその人らしい生を支援する適切な医療がなされるのであれば、尊厳ある生への努力はあっても、尊厳ある死を意図的にもたらすことなど、考えなくてもよいことなのです。尊厳ある生はあっても、尊厳ある死などありません。

3.「きいてください」の声に、声なき人の声に応えること
 最後に次の詩を、ご紹介します。

 「きいてください看護婦さん」  ルース・ジョンストン

ひもじくても、わたしは、自分で食事ができません。
あなたは、手の届かぬ床頭台の上に、わたしのお盆を置いたまま、去りました。
その上、看護のカンファレンスで、わたしの栄養不足を、議論したのです。
  
のどがカラカラで、困っていました。
でも、あなたは忘れていました。
付き添いさんに頼んで、水差しをみたしておくことを。
あとで、あなたは記録につけました。わたしが流動物を拒んでいます、と。 
  
わたしは、さびしくて、こわいのです。
でも、あなたは、わたしをひとりぼっちにして、去りました。
わたしが、とても協力的で、まったくなにも尋ねないものだから。 
  
わたしは、お金に困っていました。
あなたの心のなかで、わたしは、厄介ものになりました。 
  
わたしは、1件の看護的問題だったのです。
あなたが議論したのは、わたしの病気の理論的根拠です。
そして、わたしをみようとさえなさらずに。
  
わたしは死にそうだと思われていました。
わたしの耳が聞こえないと思って、あなたはしゃべりました。
今晩のデートの前に美容院を予約したので、 勤務のあいだに、死んでほしくはない、と。
  
あなたは、教育があり、りっぱに話し、純白のぴんとした白衣をまとって、ほんとにきちんとしています。わたしが話すと、聞いてくださるようですが、耳を傾けてはいないのです。 
  
助けてください。
わたしにおきていることを、心配してください。
わたしは、疲れきって、さびしくて、ほんとうにこわいのです。
  
話しかけてください。
手をさしのべて、わたしの手をとってください。
わたしにおきていることを、あなたにも、大事な問題にしてください。
どうか、聞いてください。看護婦さん。

 

 この声、声なき声にも耳を傾け、聞き取る努力、応える努力を、私はこれからも続けようと思います。


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第6回市民講座の報告(3-3)

2015-03-16 11:15:02 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

【質疑応答】
 

質問:田中さんに、今回は主に意識不明の方の尊厳をどう考えるかというお話だったと思いますが、当事者の事前指示書や尊厳死協会への登録で尊厳死を求めていることはどう考えたらいいか。また尊厳という言葉で語られる幅はもっと広いと思うが、尊厳について、ごっちゃに言われていることを整理していただけたらと思います。

 MOTOKOさんに、ドナーとされた方が臓器提供後に帰られて、脳死判定時は「死んでなかった」と思われたのは具体的にドナーの方のどういう身体状態を見て感じたのか。それからMOTOKOさんが看取りに葛藤を持たれたのは、脳死判定基準を満たしても生きていることを分かっているが、社会としてはそうではない。看護師さんの生命観では、体の温かい人を死と思っていないのではと思うのですがご意見を。

 

田中:事前指示書によって過去のある時点でその人はそう意思表示をしたのだから、その人がたとえば実際に意識不明になってしまった今この場面で、あらためてその人がどう考えるかはわからないけれども、過去の事前指示書がある以上それを使うことは許されるのだ、というロジック自体を考え直した方がいいでしょう。そういう視点で今日はお話ししたつもりです。意識のない人についてだけ話したわけではありません。死者の話をしたのも、究極の「他者」として考えた場合という意味です。他人との関係の中に「他者性」を見出す必要があるのです。同時に、一人一人の人間の中にも、言ってみればさまざまな「他者」がいます。自分のことは必ずしも自分が一番わかっているわけではない。そうすると、意思表示や事前指示という形で表明された「私の意思」は、はたしてどこまで「私の意思」と言えるのか。そうしたことについて、私たちはもっと丁寧に考えた方がよいのではないでしょうか。

 それから、尊厳の幅はもっと広い、整理せよとのことですが、今日お話ししましたように、尊厳というものを厳密に定義しようとした途端に始まる議論の進み方があると思うんです。そうして私たちは、理性の有無とか意識の有無とかいった形で、判定基準の議論へと引きずり込まれてしまう。定義をすることによって何をやっているのか、あるいは何を失っているのかに関して、あまりにも無頓着なまま議論が進んでいることについても、一度立ち止まって考えた方がよいのではないでしょうか。

 他方で、誰しもに尊厳を認めたら経済が成り立たないという話も出てくるでしょう。でもそこが考えどころのはずなのです。「いのちの灯が消えるのを待つこと」ができる社会にすることで、なるほど、かつてのような経済成長は望めなくなるだろうけれども、しかし、そういう社会の方がよほど人間的でいいじゃないか。そういう考えだってありです。たしかに医療なしにはいられないとしても、それを人間的なものにしていこうとするなら、経済優先の今の社会のありかた自体を変えなければならないのではないか。そういう話にだってなるでしょう。何を目指して来るべき社会のあり方を考えていくのか。私からしますと、そういったヴィジョンをめぐる議論が欠けていることも、また一つの問題であるように思われます。

 現実問題として、これ以上はもう生かし続けることができなくて、苦渋の選択をする局面はあるだろうと推察はします。そのこと自体を責めるわけにもいかないとも思います。ただ、そのときに誰かがそれを引き受けないといけない。つまり、一つのいのちを諦める、終らせる、そのことの罪深さ――この言葉はちょっと酷かもしれませんが――を引き受ける。法律や国に引き受けさせるのではなくて、「人間」として誰かがそれを引き受けないと、もはや「人間」的な社会とは言えなくなってしまう。この話は、突きつめれば宗教の話にもなるでしょう。ところが近代社会は、宗教の話が通じない社会になっている。そこにもう一つの問題がある。とりわけ医学・医療も生命倫理も、宗教とは切れた形で議論されている。ではどういう形でつなげばいいのか、というのはたしかに難問です。その問題は、いわゆる近代化、世俗化によって宗教との接点を失ったこの社会において、人間の尊厳をどう語ったらいいのかということに帰着するのではないかと思います。

 

MOTOKO:どういう身体状況を見て「死んでいない」と感じたか、ということですね。まず一つは、ドナーの方のご遺体は、普通に亡くなった人のご遺体とは違うということです。普通亡くなるとすぐに体の下の方に血が沈殿して紫斑になって出てきますが、それがないのです。本当に紙切れのようなご遺体で、しかも臓器はすべてごっそりないので、とても軽い。多分中には綿とかが詰めてあると思いますが、本当に軽いご遺体なんですね。先ほども言いましたが、私はタイムテーブルをこなすのに必死だったのです。この時間帯にはこうなって、次のときには移植医が診察して、どういう経路を通って手術室に運び、ご遺体が帰ってきたときには家族にどういうふうに会ってもらうかとか、そういうことをスタッフに指示することに必死でした。で、最終的にご遺体に会ったときに、「あっ、こんなことになってしまった。」と、本当に衝撃だったんです。それはもう、冷たいんですね。もちろん亡くなっているから冷たいんですが、その冷たさが尋常ではないのです。色は蒼白にもならない、真っ白けです。軽い軽いご遺体で、本当に、ああ亡くなってしまったんだって思ったんです。

 そこから思い起こしてみると、2回目の脳死判定後、法律的にはご遺体になってしまいますが、看護師にとっては全然違っていました。具体的なケアはたくさんしました。ご家族の方にシャンプーや散髪をしてもらったり、その方が好きだったジャズの音楽をかけながら、ビールもよう飲んでいたというので綿にビールを浸して口の中に湿らせてあげたりとか、そういう発想は、自分たちが亡くなっていかれる人をどう見送ろうかという、それまでの経験の中から出てきたのですが、そういうことが、白々しくなってしまって。結局私らは殺してしまったんじゃないのか。そういう思いがバーっとご遺体に対面したときに起こってきたのです。

 私は〔手術室に〕行く前と帰ってきた時だけ見てるのですが、手術室の看護師はとんでもないショックを受けていました。手術室の看護師は、普段はその患者さんを治すために手術の介助につくのに、まず心臓を取るために大動脈をクランプし、クランプするやいなや、心臓に血流が行かなくなるので心停止になる。で、チョキチョキっと切って持っていってしまう。心臓チームさようなら。腎臓チーム〔臓器を〕とった。さようなら。という感じで。それを目の当たりにした手術室の看護師は大変なショックを受けていました。その方は、レシピエントのことを救いにする以外には、自分を立ち直らせられないと言っていました。

 脳死体と法的には定義されたといっても、やっぱりそこで生きて生活する人なんです。朝になったら「おはよう」と言って部屋に電気をつけて顔を拭いたりしますし、寝る前には「おやすみ」と言って電気をちょっと薄暗くしたり、全くふつうに接していました。ですから手術室から〔患者を連れてくるように〕呼出しがあったときには、みんなどう言っていいか分からないという気持ちになったのです。

 

質問:田中さんの話を共感しながら聞きました。人間は共に人間として生きていると。そこをひっくり返して、生き物同志の関係、つまり、人が人らしく生きるという言い方ではなくて、人が生き物同志として生きるという受け止め方はどうだろうか。このことを田中さんと一緒に考えてみたいと思いました。

 それから、MOTOKOさんに2つ伺いたい。僕は心筋梗塞で入院したときの体験を思い出しながら聞いていました。看護とは、相互的なものだと、そうだと共感しつつ一方で、ニヤニヤして聞いたところがあるんです。〔病状の変化に応じて〕手でつかむ食事、その次は箸を使う食事に変わるのですが、それが一向に変わらない。それを看護婦さんに訴える。看護婦さんは分かりましたと言うけど変わらない。どうもコンピューターの指示がずれていたそうです。看護する関係は、実はかなり複雑な構造をもっているのではということについてご意見を伺いたい。

 それからもう一つ、病気をどのように考えるのかということです。医療は、いつも元気になること、健康になることに全力を注ぐ。そういう生かす医療の徹底という言い方を僕自身も発言してきましたが、病み老いていくわが身を肌身で体験している昨今、医療の真の目的は違うんのではと、僕自身考え続けているのです。

 

田中:尊厳の話を私のような形で組み立てていったときに、人間以外の生き物はどうなるのかということは当然出てくるわけですね。私自身は、それは同じように成り立つのではないかと考えています。とはいえ人間は他の生き物を食べないと生きていけないわけで、その意味では、殺生しないといのちを繋げないというある種の原罪みたいなものがあるわけです。そのことを倫理においてどう考えるというのが、一つの大きなポイントだと思っています。人間と他の動物との間では人間を優先せざるをえない。それはやむをえないことだとしても、だからといって他の生き物のいのちを人間が勝手にしていいのだ、ということではない。だからこそ昔の人たちは、生きるために奪った他のいのちに対して、食べるときには「いただきます」と感謝し、あるいは塚を立てて殺生を悔いる、いのちを悼むということをやってきた。それは迷信でもなければただのしきたりでもなく、たんなる感情の問題でもなく、まさに「人間の知恵」としてあったと思うんですね。そしてそれがあればこそ、人間同士の間ではそこまではできない、やってはならないという話にもなってくる。

 けれども今日では、他のいのちを奪うことの罪深さのような感覚が希薄になってきているように思われます。そのことと、「人間同士の間でなぜここまでのことができてしまうのか」ということとは、実は根っこで繋がっているのかもしれません。たとえば福島の農家の方が、原発事故で放射能を浴びた「売れない」牛たちでもこのまま死なせるのは何とも忍びないので、放射能に汚染された干し草でいいから送ってくれと呼びかけていました。ところがそういう汚染された飼料を移動させること自体、政府が禁じてしまったので、牛たちに食べさせるものがなくなっていく。農家の方は途方にくれておられた。その方にとっては、もはや「商品」としての価値がなくなったから生かす必要はない、とは考えられなかった。私はそういう話を聞いて、むしろそれこそが私たちのあるべき姿ではないのかと思ったりします。

 しかるに鳥インフルエンザにかかった鳥を何十万羽も殺処分する話を、私たちは酷いと感じる感覚をもたなくなってきている。そのことと人間の社会での出来事とはどこかで繋がっているようにも思われます。実際、日本のハンセン病患者に対する絶滅政策のことを医学生に話して、学生の感想に引き合いに出される例が、鳥インフルエンザに罹って殺処分される鳥だったりするのです。つまり、ハンセン病に関する医学的な知識がなかった時代に患者を強制隔離したのは、社会を守るためには必要なこと、やむをえないことだったというのです。そこには、殺処分される鳥に対しても、絶滅政策にさらされた患者に対しても、等しくひどく醒めた視点があります。そして、そういう視点に自分が立てる、立ってよいのだという前提があります。そのような前提や視点を、当たり前のこととして疑わないというのではなく、反省的に考えられるようにするにはどうしたらよいのか。そのための一つの道として、他のいのちを奪わなければ生きていけないという原罪のようなものを考えていかなければならないと、そう考えています。

 言葉とはそもそも「分ける」ものですから、私たちが言葉を使って思考する以上は、いろんなものを「分けて」考えるようにならざるをえません。その意味では、尊厳についての問いが今日お話ししたような仕組みをもってしまうのにも、いわば仕方のない面があります。しかしながら、言葉のもつそうした危うさをきちんと押さえた上でものを考えていかないと、私たちの思考は「分けて」出てきたものが世界の真実だという錯誤に陥る。そこを何とか踏みとどまりたい。たとえば赤ん坊の場合はどうか。赤ん坊と一緒に生きようとすると、赤ん坊が生きる時間やリズムに合わせてこちらが生きざるをえなくなります。そうすると、実社会の時間やリズムがいかに異様かということに気づかされます。それがいかに偏っていて、いかに効率中心に組み立てられていて、いかにいのちの時間に抗う形で組織化されているかということが見えてきます。おそらく、そういうものとは違う時間の流れが、本来のいのちの時間の流れなのでしょう。

 ただ、社会が社会として成り立つためには、まさにそういういのちの時間を排除する形でないと成り立たない仕組みになっているのかもしれませんし、それがかなりの程度まで進んできてしまっているのが現代社会なのでしょう。もちろん実社会の時間やリズムを全部否定するわけにはいかない。でもその一方で、やはりどこかでそれを押しとどめる必要がある。私たちが当たり前のこととしている時間のありようが、いのちの時間からすれば非常に歪んだものなのだと自覚したうえで、それをできる限りしつらえ直していかなければいけない。ですから医学・医療や生命倫理の話というのは、突きつめていくと、そういう今の社会の制度化された時間の組み換えをも迫るものにならざるをえないと思います。

 

MOTOKO:心筋梗塞で入院された時の食事の形態に行き違いがあったというお話を聞いて思ったのですが、今、日本中の病院がコンピューターシステム化されてきていますね。で、看護師が患者さんを見て食事を判断せず、コンピューターのオーダーを見て判断してしまう。患者さんを見ないでシステムを見て看護をした気になっているのです。そういうことって多々あると思いました。看護師は、医療機器を使いこなせるようになったり、病態の説明ができるようになったりすると、看護師としての格が上がったような気がしてしまうのです。でも、実際は、そういう看護師に看護されている人が、ちょっとここが痛い、腰の位置をずらしてほしいと思っても、人工呼吸器に繋がれているから言えない。そういうところに目がいかなくなってしまうのです。それはもう看護じゃないというか、ダメですよね。

 今は医療の新技術がものすごいスピードで入ってきています。それに、医療費の改定の度に病院の利益を保つための対応をさせられます。だから、看護管理者には、看護の管理と病院が損をしない管理という両方が求められるのです。その中で弱い者にしわ寄せがいく。そういうことが起こらないようにしないといけないと思いました。

 病気と医療についてですが、確かにナイチンゲールの回復過程とか、よくなってくれたら自分も幸せになるという話をしました。一方で、病院での死がほとんどを占めている今、死を考えることは欠かせないことです。看護師自身が自分や家族の死も含めて捉えていかないと、他人の死、患者さんの死は、なかなか考えにくいというのはあります。とはいえ、私自身も、病院で患者さんの死に出会うまでは、身近な人の死に接したことはありませんでした。看護学生や医学生になる方も、たとえ身近な人の死を経験したとしても、家でだんだん衰えていく人を看取ったというより、病院に入院して亡くなったところに呼ばれていった経験の方が多いんじゃないかと推測します。

 それから、死ぬことは生まれることとセットになっていて、両方揃って初めて命について考えることになると思います。昔は自宅でお産があったりしましたが、今は殆どありません。そういう意味では、命がどうやって生まれ、人が衰えてどうなっていくのかを、人の一生として通して見つめることができなくなっている。病院の中でしか見られないからこそ、そういう体験をさせてもらえるのが、やっぱり医療を務める者だと思います。ですから、答えが出ないことではありますが、個々の方々が生きてきたことについて、ご家族とその方のお話をしたりして一緒に考えていかなければいけないことかなと思っています。

 

田中:医療と「元気になること」に関して簡単に二つだけ申し上げます。一つは、今の医学自体が、近代国家が人間を国力の基礎とみなして、それをコントロールするために医学を制度化してきたという歴史と表裏一体になっている点です。おそらくはそのために、傷ついた兵士を治してまた前線へ送り返すという発想から脱しきれていないところがあるのでしょう。日本でしたら1960年代頃には、医者は市場経済で傷ついて病んだ人間(患者)を治して、また資本主義市場に送り返すことだけをやっていればいいのか、それが本当に医療なのかという問いがありました。けれどもそうした問いは、その後の生命倫理には全く引き継がれませんでした。あるいは、医療資源をどうやって有効に配分するかという場合に、助かると思われる人に資源を集中してそうでない人は切り捨てるという「戦場でのトリアージの論理」が、救急医療の現場だけでなく、一般の医療にまで広げられている。今は「平時」であるのに、そこで持ち出される論理は「戦時」の論理と変わらない。それを医学・医療自体が自分たちの問題として問い返してこなかった。そういうことが、元通りになればよし、さもなければ仕方がないと放り出してしまう現状と、たぶん繋がっているのだろうと思います。

 もう一つは、その医学・医療自体が、自分たちに何ができて何ができないのかということに関して節度を失ってはいないか、もしくは考えてこなかったのではないかという点です。たとえば長期脳死のお子さんの場合、人工呼吸器の助けは必要だけれども、しかし心臓が自分で動いていなかったら、たとえ人工呼吸器をつけてもいのちをながらえることはできないわけです。極端な事例かもしれませんが、やはり当の患者の生命力というものがまずあって、それに対して医学・医療がサポートをしているのであって、医学・医療が患者を「生かす」というようなことではないのではないか。でも往々にして医学・医療の側では、まさに医学・医療があって人間は生かされているのだという発想が、暗黙のうちに前提にされているように感じられます。しかしそこはむしろ逆で、人間の生きる力がまずあって、それを支えにして医学・医療が初めて成り立つという関係として捉えるべきものではないかと、そう思っています。

 

質問:お二方に対して、感想ないしは考えを申し上げます。まず、田中さんに対しては、この十数年間付き合ってきて、不遜ながら私は最も考え方が近いと思ってきたんですね。今日お話を伺っていて、改めてそれを体感しました。それからMOTOKOさんには、ぜひとも申し上げたいことが二つあります。一つは、こういう場で現場のことをお話なさることは、誠に勇気あることで、まずそれに敬意を表したいと思います。それからお話の一番最後の部分の、現在の尊厳、QOLというものを生きることのかけがえのなさに読み替えていくというところに、私は共感いたしました。ただし、またお考えいただきたいことも批判的な意味をこめてあるので、それを申し上げます。

 MOTOKOさんが脳死・臓器移植の現場に関わって心が引き裂かれて、その葛藤とともにずっと生きてこられたということは、脳死・臓器移植そのものに構造的な問題があるということが一番ですよね。今回MOTOKOさんは、尊厳をめぐって問いなおしをされているんですが、その問いなおしをされているMOTOKOさんご自身が、従来の看護教育の中に足を置いているところに無理があるのではないかと、私自身は思うんです。というのは、たとえば先ほど、QOLをかけがえのなさに置き換えて考えたところに共感しました。けれど、その一方では、「その人らしさ」を繰り返し原点に置かれている。ホスピスの創始者のシシリー・ソンダースの「その人らしさ」というのを取り入れてらっしゃっていますし、今日の講演にもまさに出ていました。

 ところが「その人らしさ」というのが、実は一番の曲者であって、現在の尊厳死の思想が、「その人らしく」なくなることによって、尊厳が失われたから死を迎えていきましょうという思想になっている。このように、いくらでも反転が可能なわけです。それから、歴史的において見ると、ご存知のようにヒトラーが1930年代から40年代にかけて、7万人とも10万人とも言われる知的障がい者、精神障がい者を安楽死させました。その引き金の一つになったのが、重度の障がいを抱えた子どもを持つ母親の手紙でした。その母親は、この子が苦しんでいて将来にも展望がないので殺してやりたいが、現在の法律では殺すことはできない。何とかこの子を死なせることで救ってもらいたいと、ヒトラーに手紙で訴えたわけです。ヒトラーは非常に感動して、『私は訴える』という映画を作るんです。それは、愛し合って結婚した若い男女がいたが、女性の方が進行性の神経難病を発症して、だんだん体も精神も侵されていく。

 女性は、「あなたの中で私らしい私がいなくなっていくことが耐えられない。」と訴える。そこで、夫に自分を殺すことを依頼して、その夫は彼女を殺し、裁判で無実を訴える。ちなみにこれは、ドイツでは封印されていた映画だったはずですが、半年ぐらい前から、なぜかユーチューブというサイトで見られるようになっています。ヒトラーはそういう映画を作って全国キャンペーンをして十数万人を安楽死させていったわけです。このような形で、「私らしくあった」、「私らしくなくなる」ということから生じる反転は起こるわけです。そういうところで、看護の原点の一つである「その人らしく」ということを、我々はもう一度考え直さなければならないのではないかと思いました。

(テープ起こし&要約:天野陽子/川見公子)


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