第8回市民講座の報告(前半)
脳死・臓器移植について考える第8回市民講座(2015年5月9日)講演録
国策と犠牲 医療現場から見える現代医療のゆくえ
2015年5月9日に行いました第8回市民講座の講演録を報告します。
第8回市民講座では、脳外科医の山口研一郎さんに講演をお願いしました。山口研一郎さんは、脳神経外科医で山口クリニック院長として、高次脳機能障害の患者さんの治療等にあたっておられます。昨年10月、『国策と犠牲―原爆、原発そして現代医療のゆくえ』を社会評論社から出版されました。
「アベノミクスの第三の矢」として「先端医療特区建設、海外からの患者誘致」「混合診療の自由化」等が強力に推進されようとしていますが、「国策」が歴史的にどのような犠牲を強い、現在に繋がっているのか?山口さんは、新聞や統計資料を基に作成されたレジュメに沿って、2時間半にわたり熱のこもったお話をして下さいました。以下、報告いたします。(川見公子)
山口研一郎さんのお話
本日は、「医療現場から見える医療のゆくえ」と題し、特に先端医療に絞ってそれをめぐる医療・福祉の情況と、それによって私たちの何がどのように変わるのか、お話しさせていただきます。1990年代の初め(1992年1月)に脳死臨調最終答申があり、ちょうど同じ時期、脳死を経て亡くなった9歳・女児のことについて本を出版しました(『有紀ちゃんありがとう-「脳死」を看続けた母と医師の記録』社会評論社)。それをきっかけに医療や科学技術、その歴史的経過をひもとく活動を行い、高槻を中心に「現代医療を考える会」の活動を行っています。2013年7月、原発に伴う科学技術の問題を取り上げたシンポジウムを行いました。シンポでは、「戦中戦後を通して、科学技術の発展によって人々は幸せになれたのだろうか?一部を除いて多くの人に犠牲を強いたのではないか、犠牲を伴って科学技術はさらに発展してきたのではないか」と、議論になりました。そこで、シンポジウムの講演記録を編集して『国策と犠牲-原爆・原発 そして現代医療のゆくえ』を社会評論社より2014年年末出版したわけです。
何が国策で何が犠牲なのか、パワーポイント・レジュメにそって話していきます(以下、太字、表、図はレジュメより引用)。
1)戦中・戦後における日本の科学技術は、「国策」(「国益」)の名の下に、国内外の人々に徹底して「犠牲」を強制しながら進められてきた。また、その「犠牲」によってさらに「国策」を推進させるという、負の連鎖の構図ができ上がった。
2)戦時中(1939~45年)、「関東軍防疫給水部」(七三一部隊)は中国侵略戦争において、生物・化学兵器を使用するため、その研究・開発を目的に、大陸に住む人々3000名余りを対象に人体実験・生体解剖を実施した。戦後それは、ワクチンや血液製剤の生産へと結びついた。
戦時中の医学・医療で避けて通れないのが、731部隊(生物・化学兵器部隊)の存在です。そこに日本の科学技術が総動員され、3000名余りの中国人や朝鮮人を犠牲にして医学研究が進められました。無視できないのは、その医学研究が戦後の医療に反映されていることです。731部隊は「戦時下とは言え、医学の名による犯罪であった」と言いながら、一方で有効だったという人もいる。「医学の本質とは何か?医学としてどこまでが許されるのか?」を、ナチス・ドイツの医学同様根底から問うべき事実があるにもかかわらず、戦後日本の医学界は「731部隊」そのものを全く不問にしているのです。
3)戦後の科学技術による犠牲の数々(1)
広島・長崎への原爆投下(1945年8月)
→被爆者に対するABCC(原爆傷害調査委員会)による 治療なき被害実態・追跡調査
→冷戦下における 核兵器開発競争
→「原子エネルギーの平和利用」(1953年、アイゼンハワー米大統領の国連演説)、「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地」(手記集『原爆の子』序文より)のかけ声の下、原発の推進
戦争末期に広島、長崎に原爆が落とされました。私は戦後の長崎出身で自宅は長崎市の郊外にありました。通っていた小・中学校が爆心地に近く、被害跡を間近に見て育ちました。1951年秋に広島で出版された『原爆の子』には「広島こそ原子力時代の誕生地」とあり、被害を逆手に利用しようとする形のエネルギーが生まれたのです。先ほどの731部隊の許しがたい犯罪が医療に反映され、戦後プラスに転化されていったことと同じ問題を孕んでいると思います。
4)戦後の科学技術による犠牲の数々(2)
水俣(1956年5月発見、「チッソによる有機水銀中毒」の判明は1968年)や三池(1963年11月の炭じん大爆発)における 企業優先(地域住民や労働者の人命・人権無視)の策謀
「いわれなき差別や抑圧のある所に被害が起こる」(元熊本学園大学教授、故原田正純氏)
→石炭から石油、原子力への エネルギー転換
戦後の科学技術上の問題として水俣・三池がありますが、これは公害ではなく人災です。故・原田正純さんは「言われなき差別や抑圧のあるところに被害が起きる」と、指摘されました。被害があったから差別が始まったのでなく、元々差別のあったところに被害が起きたというのです。
長崎の浦上地区は元々隠れキリシタンが住んでいたところでした。原爆投下の本来の目標は三菱造船所だったと言われていますが、浦上まで風に流されて落下し、カトリック教徒の精神的支えであった天主堂が破壊されました。医師でカトリック教徒であった永井隆氏は被爆医療に携わりながら、自身も白血病になりました。浦上に原爆が落ちたことを嘆くカトリック教徒の人々を何とか慰めようと、これまで謂れなき差別を受けてきた自分たちの頭上になぜ原爆がという人々に、浦上の人たちは神に選ばれたのだと訴えました。篠原睦治さんが「なぜ、いま、永井隆を問うのか」(『社会臨床雑誌』第23巻第1号、2015年4月)を書かれていますが、私もロシナンテ社が本年春に発行した『むすぶ』に「余りにも似通ったナガサキとフクシマの実態」を書きました。そこで、被曝の象徴であった浦上天主堂がなぜ取り壊されたのか、どういう政策的な意図があったのかについて検証しています。
5)戦後の科学技術による犠牲の数々(3)
エイズに汚染された非加熱製剤の使用による1800名の血友病患者のヒト免疫不全ウィルス(HIV)感染(1980年代)
→厚生省の「エイズ研究班」(1983年 6月発足)班長・安部英氏らによる研究論文(1988年)
→熊本大学内科学教室におけるエイズ治療薬の研究・開発
→第三世界における治療薬販売の独占
かつて731部隊に参加していた人達がつくったミドリ十字(元日本ブラッドバンク)という製薬会社において、血液製剤が作られました。血液を成分化して輸血に使う、その手法を考案し取り入れたのは731部隊です(部隊では乾燥化させる技術も開発)。その成果を利用したミドリ十字で作られた血液製剤によって1800名が薬害エイズに感染しました。薬害エイズは80年代に大きな問題になり、血液製剤によって血友病の患者に感染が起きているのではないかということが分かった時に、厚生省のエイズ研究班の班長だった安部英が論文を書く。「血友病の患者に起きたHIV感染がどういう経過をたどるのか」という論文です。国立予防衛生研究所(予研)は薬剤としての使用の可否をチェックする機関ですが、予研からは日本の血液製剤はHIVに感染しているのではないかという論文が早い段階で出ていました(1983年)。ミドリ十字はそれを知りながら販売し、安部英は論文を書き、エイズの治療薬が開発されていくという過程がある訳です。これはあまりにも象徴的で、日本の科学技術が人々を犠牲にし、犠牲の上に成り立って、さらに科学技術が新たな発展を遂げていく。それを企業が利用して企業利益に転化していく。それが繰り返されてきたのではないかと思います。
6)戦後の科学技術による犠牲の数々(4)
福島第一原発爆発事故による放射能汚染
①小児甲状腺がんの多発(112人:2700人に1人)
②高汚染地域、汚染水問題
③廃炉作業(原発労働者の被曝)
④帰村困難(仮設住宅の長期化、孤独死)、 補償打ち切り
→「原子力というものはどんな悲惨な事故を起こしても誰も責任をとらない」「原発は差別 の上でなければ成り立たない」(2015年2月27日、小出裕章氏退職講演)
→「被曝治療薬」の研究・開発(「原発事故や核爆発だけでなく、がんの放射線治療による副作用にも効く可能性」2015.1.23付『朝日新聞』)
4年前の福島原発事故によっていろんな問題が生じています。①②③④とあげましたが、これだけではありません。小出さんは「どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らない」と言っています。科学者‐専門家も、企業も、政治家もです。しかも「原発は差別の上でなければ成り立たない」と。薬害エイズでもそうですが、科学技術の発展の過程に、差別が内在していたことは現実です。原田さんも小出さんも言うように、専門家は誰も責任をとらなかった、それが連綿と続いているのです。
2週間ほど前に第27回日本医学会総会が京都で開催されました。京都大学は、731部隊の石井四郎部隊長の母校で、731部隊の200名ほどの医師の多くが京大関連の大学出身です。いわば京都は731の発祥の地です。20数年前から私はこのことを言い続けてきました。私が大阪に来て3年後の1991年に、同じ京都で医学会総会がありました。当時は医学会総会の場で「戦争と医学」に関するパネル展示が行われました。今回はそれが実現できずに私たちだけで展示会を行いました。その中で問われたことは専門家の立場です。あれだけの戦争犯罪を犯しながら、だれも罪に問われなかった。医師・科学者の犯罪的な殺人行為は断罪されてしかるべきであって、ナチスの医師は処刑されましたが、石井隊長以下全ての隊員は免罪されました。免罪の歴史は、水俣・三池、薬害エイズ、フクシマ・・と、ずっと続いている。専門家の姿は戦時中の立場を引きずっている。日本の科学技術は、誰も責任を問われないから何でもやりましょうとなってしまうのではないか。これが現代でもまかり通っているのです。
エイズ治療薬と同様に、原発の問題に関しても、被曝治療薬の開発が行われているのです。被曝治療薬が癌の放射線治療による副作用に対する薬として広がっていくのではないか、責任を取らずにプラスに転化しようとする構図が浮かび上がります。
7)日本の医療はどこに向かうのか(1)
「社会保障としての医療」から「経済活性化のための医療」への変質
-「2025年問題」を背景に、日本の医療・福祉に徹底した質的変化、合理化が求められている
→人の存在意義の変更
①誕生の意味の変更
②人体の利用・商品化
③死生観の変貌
ここからが本論です。この会では、脳死・臓器移植について2009年に改定された法律を問題にすると同時に、尊厳死法案が国会に上程されようとしている中で、どう考えるか問題提起されていますね。一方医療現場では、尊厳死法を先取りした事が行われています。人間の誕生の問題、死の問題、終末期の問題も山積みしていますが、ここでは今の医療や福祉の現状を見ておこうと思います。現在、社会保障としての医療から経済活性化のための医療へと変質しつつあります。キーワードは「2025年問題」です。その中で①②③の必要性が出てきています。
8)日本の医療はどこに向かうのか(2)
戦後堅持されてきた「社会保障としての医療・福祉」
①憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(1947年5月施行)
②国民皆保険「いつでも、どこでも、誰でも」(1961年4月)
-「金の切れ目は命の切れ目」の解消、地域格差の解消(「フリーアクセス」)
③1973年、70歳以上医療費無料化(「福祉元年」)
④2000年、公的介護保険開始
-様々な矛盾も
「悪徳病院」「待合室のサロン化」「コンビニ受診」「ハシゴ受診」「三時間待ち三分診療」「スパゲティ症候群」
社会保障としての医療・福祉は、これまでは不完全ながらも堅持されてきました。問題もありましたが、社会保障が目的であることは医療の大前提であった訳です。ここで、元朝日新聞記者で現役時代医療関連の連載記事を担当されていた田辺功さんのお話をお聞きしたいと思います。「社会保障としての医療の現実と矛盾」について、メディアの立場でお話してください。
田辺さん:日本が誇る国民皆保険制度ができて医療を受けやすくなりましたが、供給過剰と需要の側の満足度の二つの問題が出てきました。量的に保障することが国民皆保険制度だったが、質が問われなかった。よい医療を医師は行わなければいけないという意識が薄いまま保険で支払われると、医療は必ずお金が取れるが良い製品か悪い製品かを誰もチェックしない。例えば「3時間待ちの3分診療」、検査や様々なデータがなければ分からないという医師が増えているのに、3分間話を聞いただけで分かるのでしょうか?どういう医療にも保険からお金が支払われ、良い医療を評価するシステムがないので、医師は良い医療をする意識がなくなってしまったのではないかと思います。今後は、良い医療が評価されるというふうに持って行かなければいけないと思っています。
実施当初、それまで医療を受けることがほとんどできなかった(当時を知る人には、医師は最期の脈を確認するためだけに来ていた、僧侶と同じ役割だった、と言う人もいます)人々にとって大きな福音でした。それが時代の経過に従い様々な矛盾を生み出した、とも言えます。皆保険制度下において医療が理想的に行われた時代もありました。その時代の象徴が、京都・西陣の早川医師の実践です。娘の西沢さんが来ているので、後ほど早川医師の思いを紹介して頂きたいと思います。危機の現状をどう乗り越えるべきかを考えたいと思います。
9)日本の医療はどこに向かうのか(3)
台頭する「経済活性化のための医療」
①医療産業特区:2003年、小泉政権「先端医療開発特区(スーパー特区)」構想
-神戸における震災後「創造的復興」の一環としての「先端医療産業特区」(1998~99年)
②「メディカル・ツーリズム(医療観光)」(2009年12月管内閣「新成長戦略」の一環)
-神戸国際フロンティアメディカルセンター(2014年11月設立)における「生体肝移植」(「移植ツーリズム」)
③環太平洋経済連携協定(TPP)-株式会社による病院経営、自由診療の介入、医薬品・検査内容の特許化、生命保険企業・ヘルスケア産業の進出
④「患者申出療養」の制度化(「混合診療」の一般化)-国民皆保険制度の実質的崩壊
社会保障としての医療が経済活性化のための手段として使われようとしています。読売新聞に掲載された記事(2013年5月8日付同紙)ですが、医療を産業化し国を動かす力にと提言し、それが進行しているのです。具体的には、神戸に作られた医療産業特区や医療観光、またTPPでも医療が取り沙汰され、来年からは保険対象でない医療内容を患者の希望にそって提供し保険診療と共存させる「申出療養」が始まろうとしているのです。
神戸のフロンティアメディカルセンターの件をご存知でしょうか。4月12日に閉幕した日本医学会総会ですが、終わった途端に「生体肝移植で4人死亡」という記事が出ました。関西では毎日大きく報道されています。医学会総会の代表である三村裕夫さんが神戸の先端医療センター長もされているのです。メディカルセンターでの生体肝移植問題は、かつての731部隊の人体実験と構図的には似通っていると感じます。このセンターは設立過程で問題になり、当初はアラブ首長国連邦から資金を調達してセンターをつくると報道されました。アラブのお金持ちを引き寄せ、自由診療で行うと。これに地元の医師会が反対しました。アラブの人たちが生体肝移植をする時に「仮の家族」を連れてくる。「家族だ」という人から肝臓の一部を取って移植した後、偽りの家族へ謝礼として金品が渡され、その結果臓器売買にならないか、と言ったわけです。もう一つは自由診療なので、日本人で受けたいという人も自由診療になる。それは自費扱いとなり、皆保険制度を危うくする、だから反対だと。
そんな経緯でメディカルセンターは日本の保険制度下で行うことになり、昨年11月に開院しました。つくった以上患者を集めて経済的にも成り立たせなくてはならない。重度な病態の患者に対して手術の適応や術後の管理を十分に検討しないまま行った結果が4名死亡となったのではないか、無理な手術をしたのではないか、と感じています。日本の医療現場が患者中心の医療ではないことの象徴であり、731部隊の考え方に通じます。医学会総会で日本の医師たちが討議すべき内容だったと思います。
10)2025年問題とは
(1)団塊の世代(1947~49年生まれ)
乳幼児期 70歳以上の時期 比較
総人口 8320万人 1億2410万人 1.5倍
70歳以上人口 234万人 2797万人 12倍
高齢化率(65歳以上) 4.9% 29.1% 24.2%増
社会保障給付費 1261億円 134.4兆円 1066倍
(2014年7月9日付『読売新聞』)
(2)現在と2025年との比較
2010年 2025年 比較
75歳以上 1419万人 2179万人 1.54倍
15~64歳 8174万人 7085万人 0.87倍
65歳以上の単身世帯 498万世帯 701万世帯 1.41倍
認知症 280万人 470万人 1.68倍
医療給付費 37兆円(2014年度) 54兆円 1.46倍
介護費 10兆円(2014年度) 21兆円 2.1倍
(2014年6月19日付『朝日新聞』)
(3)人口ピラミッドの変遷(高齢化する団塊世代)
(※1950、70、2000年は国勢調査。2020年は国立社会保障・人口問題研究所の推計)
(4)社会保障給付費の推移変遷(2014年7月9日付「読売新聞」)
これは団塊の世代が70~75歳になる頃を示した表です。単身世帯が増え、つい最近の朝日の記事では認知症が700万人になるとありました。700万人だと65歳以上の人の5人に1人になる。65歳以上の5人に1人とか、いずれ3人に1人が認知症というのは、はたしてこれが病気と言えるのか。社会の中で認知症がこれだけ取り沙汰されなければならない理由は何だろうか。社会構造や人間関係、高齢者が置かれた立場を考えなければいけないと思います。
しかし、実際の医療現場は無力です。認知症の治療は全て薬に頼り切っている。現在4つの治療薬が出ており、どれを使うのかという議論しか学会では行われない。一昔前なら環境的要因など違った見解もあったのですが。社会保障費は1950年当時の1000倍にもなると読売新聞の記事は紹介しています。現在の医療・福祉は、この「2025年問題」から出発していることを冷静に受け留めなければなりません。そこで取るべき方策とは何か?が、私たちに問われているのです。
第8回市民講座の報告(後半)は、次ページをご覧ください。