臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第8回市民講座の報告(2-1)

2015-09-06 19:40:29 | 集会・学習会の報告

第8回市民講座の報告(前半)

脳死・臓器移植について考える第8回市民講座(2015年5月9日)講演録

国策と犠牲  医療現場から見える現代医療のゆくえ

 

 2015年5月9日に行いました第8回市民講座の講演録を報告します。
第8回市民講座では、脳外科医の山口研一郎さんに講演をお願いしました。山口研一郎さんは、脳神経外科医で山口クリニック院長として、高次脳機能障害の患者さんの治療等にあたっておられます。昨年10月、『国策と犠牲―原爆、原発そして現代医療のゆくえ』を社会評論社から出版されました。
 「アベノミクスの第三の矢」として「先端医療特区建設、海外からの患者誘致」「混合診療の自由化」等が強力に推進されようとしていますが、「国策」が歴史的にどのような犠牲を強い、現在に繋がっているのか?山口さんは、新聞や統計資料を基に作成されたレジュメに沿って、2時間半にわたり熱のこもったお話をして下さいました。以下、報告いたします。(川見公子)

 

山口研一郎さんのお話
山口研一郎さん 本日は、「医療現場から見える医療のゆくえ」と題し、特に先端医療に絞ってそれをめぐる医療・福祉の情況と、それによって私たちの何がどのように変わるのか、お話しさせていただきます。1990年代の初め(1992年1月)に脳死臨調最終答申があり、ちょうど同じ時期、脳死を経て亡くなった9歳・女児のことについて本を出版しました(『有紀ちゃんありがとう-「脳死」を看続けた母と医師の記録』社会評論社)。それをきっかけに医療や科学技術、その歴史的経過をひもとく活動を行い、高槻を中心に「現代医療を考える会」の活動を行っています。2013年7月、原発に伴う科学技術の問題を取り上げたシンポジウムを行いました。シンポでは、「戦中戦後を通して、科学技術の発展によって人々は幸せになれたのだろうか?一部を除いて多くの人に犠牲を強いたのではないか、犠牲を伴って科学技術はさらに発展してきたのではないか」と、議論になりました。そこで、シンポジウムの講演記録を編集して『国策と犠牲-原爆・原発 そして現代医療のゆくえ』を社会評論社より2014年年末出版したわけです。
 何が国策で何が犠牲なのか、パワーポイント・レジュメにそって話していきます(以下、太字、表、図はレジュメより引用)。

1)戦中・戦後における日本の科学技術は、「国策」(「国益」)の名の下に、国内外の人々に徹底して「犠牲」を強制しながら進められてきた。また、その「犠牲」によってさらに「国策」を推進させるという、負の連鎖の構図ができ上がった。

2)戦時中(1939~45年)、「関東軍防疫給水部」(七三一部隊)は中国侵略戦争において、生物・化学兵器を使用するため、その研究・開発を目的に、大陸に住む人々3000名余りを対象に人体実験・生体解剖を実施した。戦後それは、ワクチンや血液製剤の生産へと結びついた。
 
 戦時中の医学・医療で避けて通れないのが、731部隊(生物・化学兵器部隊)の存在です。そこに日本の科学技術が総動員され、3000名余りの中国人や朝鮮人を犠牲にして医学研究が進められました。無視できないのは、その医学研究が戦後の医療に反映されていることです。731部隊は「戦時下とは言え、医学の名による犯罪であった」と言いながら、一方で有効だったという人もいる。「医学の本質とは何か?医学としてどこまでが許されるのか?」を、ナチス・ドイツの医学同様根底から問うべき事実があるにもかかわらず、戦後日本の医学界は「731部隊」そのものを全く不問にしているのです。

 

3)戦後の科学技術による犠牲の数々(1) 
 広島・長崎への原爆投下(1945年8月)
→被爆者に対するABCC(原爆傷害調査委員会)による 治療なき被害実態・追跡調査
→冷戦下における 核兵器開発競争
→「原子エネルギーの平和利用」(1953年、アイゼンハワー米大統領の国連演説)、「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地」(手記集『原爆の子』序文より)のかけ声の下、原発の推進
 
 戦争末期に広島、長崎に原爆が落とされました。私は戦後の長崎出身で自宅は長崎市の郊外にありました。通っていた小・中学校が爆心地に近く、被害跡を間近に見て育ちました。1951年秋に広島で出版された『原爆の子』には「広島こそ原子力時代の誕生地」とあり、被害を逆手に利用しようとする形のエネルギーが生まれたのです。先ほどの731部隊の許しがたい犯罪が医療に反映され、戦後プラスに転化されていったことと同じ問題を孕んでいると思います。

 

4)戦後の科学技術による犠牲の数々(2)
 水俣(1956年5月発見、「チッソによる有機水銀中毒」の判明は1968年)や三池(1963年11月の炭じん大爆発)における 企業優先(地域住民や労働者の人命・人権無視)の策謀
「いわれなき差別や抑圧のある所に被害が起こる」(元熊本学園大学教授、故原田正純氏)
→石炭から石油、原子力への エネルギー転換

 戦後の科学技術上の問題として水俣・三池がありますが、これは公害ではなく人災です。故・原田正純さんは「言われなき差別や抑圧のあるところに被害が起きる」と、指摘されました。被害があったから差別が始まったのでなく、元々差別のあったところに被害が起きたというのです。
 長崎の浦上地区は元々隠れキリシタンが住んでいたところでした。原爆投下の本来の目標は三菱造船所だったと言われていますが、浦上まで風に流されて落下し、カトリック教徒の精神的支えであった天主堂が破壊されました。医師でカトリック教徒であった永井隆氏は被爆医療に携わりながら、自身も白血病になりました。浦上に原爆が落ちたことを嘆くカトリック教徒の人々を何とか慰めようと、これまで謂れなき差別を受けてきた自分たちの頭上になぜ原爆がという人々に、浦上の人たちは神に選ばれたのだと訴えました。篠原睦治さんが「なぜ、いま、永井隆を問うのか」(『社会臨床雑誌』第23巻第1号、2015年4月)を書かれていますが、私もロシナンテ社が本年春に発行した『むすぶ』に「余りにも似通ったナガサキとフクシマの実態」を書きました。そこで、被曝の象徴であった浦上天主堂がなぜ取り壊されたのか、どういう政策的な意図があったのかについて検証しています。

 

5)戦後の科学技術による犠牲の数々(3)
 エイズに汚染された非加熱製剤の使用による1800名の血友病患者のヒト免疫不全ウィルス(HIV)感染(1980年代)
→厚生省の「エイズ研究班」(1983年 6月発足)班長・安部英氏らによる研究論文(1988年)
→熊本大学内科学教室におけるエイズ治療薬の研究・開発
→第三世界における治療薬販売の独占
 
 かつて731部隊に参加していた人達がつくったミドリ十字(元日本ブラッドバンク)という製薬会社において、血液製剤が作られました。血液を成分化して輸血に使う、その手法を考案し取り入れたのは731部隊です(部隊では乾燥化させる技術も開発)。その成果を利用したミドリ十字で作られた血液製剤によって1800名が薬害エイズに感染しました。薬害エイズは80年代に大きな問題になり、血液製剤によって血友病の患者に感染が起きているのではないかということが分かった時に、厚生省のエイズ研究班の班長だった安部英が論文を書く。「血友病の患者に起きたHIV感染がどういう経過をたどるのか」という論文です。国立予防衛生研究所(予研)は薬剤としての使用の可否をチェックする機関ですが、予研からは日本の血液製剤はHIVに感染しているのではないかという論文が早い段階で出ていました(1983年)。ミドリ十字はそれを知りながら販売し、安部英は論文を書き、エイズの治療薬が開発されていくという過程がある訳です。これはあまりにも象徴的で、日本の科学技術が人々を犠牲にし、犠牲の上に成り立って、さらに科学技術が新たな発展を遂げていく。それを企業が利用して企業利益に転化していく。それが繰り返されてきたのではないかと思います。

 

6)戦後の科学技術による犠牲の数々(4)
福島第一原発爆発事故による放射能汚染
①小児甲状腺がんの多発(112人:2700人に1人)
②高汚染地域、汚染水問題
③廃炉作業(原発労働者の被曝)
④帰村困難(仮設住宅の長期化、孤独死)、 補償打ち切り
→「原子力というものはどんな悲惨な事故を起こしても誰も責任をとらない」「原発は差別 の上でなければ成り立たない」(2015年2月27日、小出裕章氏退職講演)
→「被曝治療薬」の研究・開発(「原発事故や核爆発だけでなく、がんの放射線治療による副作用にも効く可能性」2015.1.23付『朝日新聞』)
 
 4年前の福島原発事故によっていろんな問題が生じています。①②③④とあげましたが、これだけではありません。小出さんは「どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らない」と言っています。科学者‐専門家も、企業も、政治家もです。しかも「原発は差別の上でなければ成り立たない」と。薬害エイズでもそうですが、科学技術の発展の過程に、差別が内在していたことは現実です。原田さんも小出さんも言うように、専門家は誰も責任をとらなかった、それが連綿と続いているのです。
 2週間ほど前に第27回日本医学会総会が京都で開催されました。京都大学は、731部隊の石井四郎部隊長の母校で、731部隊の200名ほどの医師の多くが京大関連の大学出身です。いわば京都は731の発祥の地です。20数年前から私はこのことを言い続けてきました。私が大阪に来て3年後の1991年に、同じ京都で医学会総会がありました。当時は医学会総会の場で「戦争と医学」に関するパネル展示が行われました。今回はそれが実現できずに私たちだけで展示会を行いました。その中で問われたことは専門家の立場です。あれだけの戦争犯罪を犯しながら、だれも罪に問われなかった。医師・科学者の犯罪的な殺人行為は断罪されてしかるべきであって、ナチスの医師は処刑されましたが、石井隊長以下全ての隊員は免罪されました。免罪の歴史は、水俣・三池、薬害エイズ、フクシマ・・と、ずっと続いている。専門家の姿は戦時中の立場を引きずっている。日本の科学技術は、誰も責任を問われないから何でもやりましょうとなってしまうのではないか。これが現代でもまかり通っているのです。
 エイズ治療薬と同様に、原発の問題に関しても、被曝治療薬の開発が行われているのです。被曝治療薬が癌の放射線治療による副作用に対する薬として広がっていくのではないか、責任を取らずにプラスに転化しようとする構図が浮かび上がります。

 

7)日本の医療はどこに向かうのか(1)
 「社会保障としての医療」から「経済活性化のための医療」への変質
-「2025年問題」を背景に、日本の医療・福祉に徹底した質的変化、合理化が求められている
→人の存在意義の変更
①誕生の意味の変更
②人体の利用・商品化
③死生観の変貌
 
 ここからが本論です。この会では、脳死・臓器移植について2009年に改定された法律を問題にすると同時に、尊厳死法案が国会に上程されようとしている中で、どう考えるか問題提起されていますね。一方医療現場では、尊厳死法を先取りした事が行われています。人間の誕生の問題、死の問題、終末期の問題も山積みしていますが、ここでは今の医療や福祉の現状を見ておこうと思います。現在、社会保障としての医療から経済活性化のための医療へと変質しつつあります。キーワードは「2025年問題」です。その中で①②③の必要性が出てきています

 

8)日本の医療はどこに向かうのか(2)
戦後堅持されてきた「社会保障としての医療・福祉」
①憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(1947年5月施行)
②国民皆保険「いつでも、どこでも、誰でも」(1961年4月)
-「金の切れ目は命の切れ目」の解消、地域格差の解消(「フリーアクセス」)
③1973年、70歳以上医療費無料化(「福祉元年」)
④2000年、公的介護保険開始
-様々な矛盾も
 「悪徳病院」「待合室のサロン化」「コンビニ受診」「ハシゴ受診」「三時間待ち三分診療」「スパゲティ症候群」

 社会保障としての医療・福祉は、これまでは不完全ながらも堅持されてきました。問題もありましたが、社会保障が目的であることは医療の大前提であった訳です。ここで、元朝日新聞記者で現役時代医療関連の連載記事を担当されていた田辺功さんのお話をお聞きしたいと思います。「社会保障としての医療の現実と矛盾」について、メディアの立場でお話してください。

会場風景田辺さん:日本が誇る国民皆保険制度ができて医療を受けやすくなりましたが、供給過剰と需要の側の満足度の二つの問題が出てきました。量的に保障することが国民皆保険制度だったが、質が問われなかった。よい医療を医師は行わなければいけないという意識が薄いまま保険で支払われると、医療は必ずお金が取れるが良い製品か悪い製品かを誰もチェックしない。例えば「3時間待ちの3分診療」、検査や様々なデータがなければ分からないという医師が増えているのに、3分間話を聞いただけで分かるのでしょうか?どういう医療にも保険からお金が支払われ、良い医療を評価するシステムがないので、医師は良い医療をする意識がなくなってしまったのではないかと思います。今後は、良い医療が評価されるというふうに持って行かなければいけないと思っています。
 実施当初、それまで医療を受けることがほとんどできなかった(当時を知る人には、医師は最期の脈を確認するためだけに来ていた、僧侶と同じ役割だった、と言う人もいます)人々にとって大きな福音でした。それが時代の経過に従い様々な矛盾を生み出した、とも言えます。皆保険制度下において医療が理想的に行われた時代もありました。その時代の象徴が、京都・西陣の早川医師の実践です。娘の西沢さんが来ているので、後ほど早川医師の思いを紹介して頂きたいと思います。危機の現状をどう乗り越えるべきかを考えたいと思います。

 

9)日本の医療はどこに向かうのか(3)
台頭する「経済活性化のための医療」
①医療産業特区:2003年、小泉政権「先端医療開発特区(スーパー特区)」構想
-神戸における震災後「創造的復興」の一環としての「先端医療産業特区」(1998~99年)
②「メディカル・ツーリズム(医療観光)」(2009年12月管内閣「新成長戦略」の一環)
-神戸国際フロンティアメディカルセンター(2014年11月設立)における「生体肝移植」(「移植ツーリズム」)
③環太平洋経済連携協定(TPP)-株式会社による病院経営、自由診療の介入、医薬品・検査内容の特許化、生命保険企業・ヘルスケア産業の進出
④「患者申出療養」の制度化(「混合診療」の一般化)-国民皆保険制度の実質的崩壊
 
 社会保障としての医療が経済活性化のための手段として使われようとしています。読売新聞に掲載された記事(2013年5月8日付同紙)ですが、医療を産業化し国を動かす力にと提言し、それが進行しているのです。具体的には、神戸に作られた医療産業特区や医療観光、またTPPでも医療が取り沙汰され、来年からは保険対象でない医療内容を患者の希望にそって提供し保険診療と共存させる「申出療養」が始まろうとしているのです。
 神戸のフロンティアメディカルセンターの件をご存知でしょうか。4月12日に閉幕した日本医学会総会ですが、終わった途端に「生体肝移植で4人死亡」という記事が出ました。関西では毎日大きく報道されています。医学会総会の代表である三村裕夫さんが神戸の先端医療センター長もされているのです。メディカルセンターでの生体肝移植問題は、かつての731部隊の人体実験と構図的には似通っていると感じます。このセンターは設立過程で問題になり、当初はアラブ首長国連邦から資金を調達してセンターをつくると報道されました。アラブのお金持ちを引き寄せ、自由診療で行うと。これに地元の医師会が反対しました。アラブの人たちが生体肝移植をする時に「仮の家族」を連れてくる。「家族だ」という人から肝臓の一部を取って移植した後、偽りの家族へ謝礼として金品が渡され、その結果臓器売買にならないか、と言ったわけです。もう一つは自由診療なので、日本人で受けたいという人も自由診療になる。それは自費扱いとなり、皆保険制度を危うくする、だから反対だと。
 そんな経緯でメディカルセンターは日本の保険制度下で行うことになり、昨年11月に開院しました。つくった以上患者を集めて経済的にも成り立たせなくてはならない。重度な病態の患者に対して手術の適応や術後の管理を十分に検討しないまま行った結果が4名死亡となったのではないか、無理な手術をしたのではないか、と感じています。日本の医療現場が患者中心の医療ではないことの象徴であり、731部隊の考え方に通じます。医学会総会で日本の医師たちが討議すべき内容だったと思います。

 

10)2025年問題とは

(1)団塊の世代(1947~49年生まれ)
                   乳幼児期     70歳以上の時期    比較
総人口              8320万人     1億2410万人     1.5倍
70歳以上人口           234万人        2797万人           12倍
高齢化率(65歳以上)      4.9%      29.1%      24.2%増
社会保障給付費         1261億円            134.4兆円        1066倍
                                                              (2014年7月9日付『読売新聞』)

 (2)現在と2025年との比較
                          2010年               2025年         比較
75歳以上                     1419万人                 2179万人         1.54倍
15~64歳                    8174万人               7085万人         0.87倍
65歳以上の単身世帯    498万世帯                   701万世帯      1.41倍
認知
症                        280万人                      470万人          1.68倍
医療給付費                 37兆円(2014年度)         54兆円          1.46倍
介護費                        10兆円(2014年度)        21兆円           2.1倍
                                                           (2014年6月19日付『朝日新聞』)

(3)人口ピラミッドの変遷(高齢化する団塊世代)

人口ピラミッド1970年人口ピラミッド1950年



 

 

 

 

 

人工ピラミッド2020年人口ピラミッド2000年


 

 

 

 

 

(※1950、70、2000年は国勢調査。2020年は国立社会保障・人口問題研究所の推計)

 

(4)社会保障給付費の推移変遷(2014年7月9日付「読売新聞」)
 
 会場風景これは団塊の世代が70~75歳になる頃を示した表です。単身世帯が増え、つい最近の朝日の記事では認知症が700万人になるとありました。700万人だと65歳以上の人の5人に1人になる。65歳以上の5人に1人とか、いずれ3人に1人が認知症というのは、はたしてこれが病気と言えるのか。社会の中で認知症がこれだけ取り沙汰されなければならない理由は何だろうか。社会構造や人間関係、高齢者が置かれた立場を考えなければいけないと思います。
 しかし、実際の医療現場は無力です。認知症の治療は全て薬に頼り切っている。現在4つの治療薬が出ており、どれを使うのかという議論しか学会では行われない。一昔前なら環境的要因など違った見解もあったのですが。社会保障費は1950年当時の1000倍にもなると読売新聞の記事は紹介しています。現在の医療・福祉は、この「2025年問題」から出発していることを冷静に受け留めなければなりません。そこで取るべき方策とは何か?が、私たちに問われているのです。

 

第8回市民講座の報告(後半)は、次ページをご覧ください。


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第8回市民講座の報告(2-2)

2015-09-06 18:16:00 | 集会・学習会の報告

第8回市民講座の報告(後半)

 

11)2025年に向けた法・制度改定(1)会場風景
2012~15年の法律や制度改定の過程
・2012年8月、「社会保障制度改革推進法」成立
・同11月、社会保障制度改革国民会議がスタート
・同11月、日経連が「社会保障制度のあり方に関する提言」
・2013年5月8日、『読売新聞』が「医療改革に関する提言」を発表
・2014年4月、「平成26年度診療報酬改定」
・同4月9日~13日、『読売新聞』が「日本2020・人口減社会」 の連載記事
・同5月31日、NHKスペシャル
「日本の医療が危ない!?団塊の世代が高齢化-そのとき何が起こる?」
・同6月、「地域医療・介護推進法」成立
・同秋、「尊厳死法案」国会上程を準備
・2015年4月、介護保険制度大幅改定(介護報酬引き下げ)

 

12)2025年に向けた法・制度改定(2)
「社会保障制度改革推進法」
①公助→自助・自立、共助の考え方を基本
②民間サービスの積極的利用
③終末期医療の見直し
④社会保障制度改革国民会議がスタート
 →2013年8月、最終報告書
「2025年モデル」の下、 医療・介護・年金の社会保障三本柱

 

13)2025年に向けた法・制度改定(3)
「平成26年度診療報酬改定」
①7:1入院基本料:現在36万床→2025年度18万床に
そのために、90日を越えた入院は基本料を下げ、在宅復帰率を75%以上に
②胃瘻造設術の点数引き下げ
  -造設術件数50件以上ではさらに引き下げ
  -「胃瘻抜去料」の新設 (20000円)
 →1)平均在院日数の運用の厳格化
      2)医療・介護必要度や重症度の厳格化
      3)「病院から地域(在宅)へ」を促進

 

14)2025年に向けた法・制度改定(4)
「地域医療・介護推進法」の中身(医療)
①医療機関のベット数(特に急性期用)の削減
 →「高度急性期」(7:1)、「一般急性期」、「回復期」、「慢性期」に区分分け
②入院日数の制限
 →地域(在宅)復帰促進
 →「難民化」

 たくさんの法律や制度ができて今日に至りますが、2012年8月の社会保障制度改革推進法には「自助・自立、共助」が謳われています。この言葉を国が謳うのは矛盾していないでしょうか?人間関係が合理化され地域での付き合いが希薄になる中で、いくら「共助」を強調しても無理があります。現実にはやれないから民間サービスに頼るしかないのです。福祉が企業のドル箱になり、国民会議がスタートして「2025年モデル」を強調します。それに基いて診療報酬の改定があり、医療現場における方針は、急性期のベッド数を減らして早く家に帰す、「病院から地域へ」とするものです。
 もう一つは胃ろうを減らすこと。その方法として、「胃ろうは必要ない」とは言わずに造設術の点数を下げ、抜去料の点数を上げたのです。造設術は10万円が6万円になりました。抜去料は2秒か3秒で抜くだけなのに2万円差し上げますと。その結果、国が「胃ろうを減らしましょう」と言わなくても皆そのようにしてくれるわけです。最終的な集大成である地域医療・介護推進法は昨年の6月に成立しましたが、「集団的自衛権」行使容認の問題が出てきた時で、そちらに関心が向いている間に大変な法律が通ってしまったのです。その内容を一言でご紹介します。急性期のベッド数を半減するのです。そうすると急性期の段階で家に戻らざるを得ず、患者が難民化することになります。

 

15)2025年に向けた法・制度改定(5)
「地域医療・介護推進法」の中身(介護)
①特別養護老人(特養)ホームへの入所:「要介護3」以上
 -「単身世帯」や「老老介護」世帯の生活破綻
②「要支援者」は介護保険のサービスではなく、 市町村やボランティアによる支援
③年金、年収280万円以上なら、介護料の自己負担2割に

 

16)2025年に向けた法・制度改定(6)
「地域医療・介護推進法」の中身(「地域包括システム」への民間企業の参入)
① ヘルスケアサービス:予防、健康管理
② 医薬品販売:インターネットの利用
③ 医療機器・介護機器の貸し出し(リース)
④ 人材派遣:医師・看護師・ヘルパー
⑤ 健康産業:運動指導、食事提供
⑥ 各種保険サービス

 介護分野では、まず特養ホームの入所条件を要介護3以上にしています。単身世帯や老老介護が過半数を占める状況で、要介護度2以下の場合、行き場がなくなります。また、要支援は介護保険の対象から外されます。介護や医療を在宅で十分に受けられない状況が生じ、「地域包括システム」に民間業者を入れるというのがこの法律です。こうなると、お金がないとやっていけない。お金がない人は「早くお迎えが来てほしい」ということですよね。私も民間の医療機関で仕事をしていますと、お年寄りからそういう話をたびたび聞きます。そういう気持ちにならざるを得ない状況が生じているのです。
 江戸時代にもこういう問題はありました。福祉が十分であったわけではないが、お年寄りは守られていたのです。それは「近隣の協力が得られる」からだとされています。これが一つのヒント。もうひとつは早川先生の地域医療福祉、西陣の「行き往き」です。三つ目が千葉大学の広井良典さんの『コミュニティを取り戻す』。地域力を取り戻す必要がある、と書いています。地域にコミュニティーがないこと、繋がりないことで起きている問題がある、とされています。以上三つを紹介し、少子高齢化社会における処方箋として提示しました。
 それでは国は有効な処方箋を持っているのか?作ろうとしているシステムが有効ではないことを、厚労省も分かっているのではないかと思うのです。「70歳になったら死にましょう」という訳にはいかない。地域福祉に関する会議の場でも、「皆さん早めに死んでください、というのが厚労省の本音ではないか?」という話が出てくるほどです。今や、社会の状況を変える、あるいは人々の考え方を変えるしかないというのが、国の姿勢ではないでしょうか。そこで出されてきたのが、人間の存在意義の変更になります。誕生、人生、終焉の三つの過程をうまく操作していくのが最後の手段ではないか、ということなのです。以上について、医療・福祉の現場の状況は以下の通りです。

 Aさん(70代、男性)が、脳内出血で救急医療機関へ搬送。早い段階での治療により、大きな障害を残さず、一定の介護があれば日常生活ができる程度にまで回復。入院後1ヵ月になろうとしていた頃、家族(70代妻、リウマチ)が呼ばれ、「そろそろ退院を」との話あり。「私も高齢で、今夫を看るのは大変です。リハビリをかねて入院できませんか」と頼むも、「病院の規則(国の方針)ですから」との説明を受け退院。
 在宅に戻ると困難が山積みで、介護保険は「要介護2」。日中はディサービスやヘルパーの利用も可能だが、夜間は妻の介助が必要であり、「共倒れ」しかねない。特養ホームに登録するが、「要介護3」以上しか対象にならない。ケアマネージャーに相談すると、利用できる民間のヘルパー業者があり、介護付き有料ホームに入所する方法もあるとのこと。しかし公的補助が限られるため、手元のお金を崩し、いつまで生活可能なのか不安の日々。いっそのこと、二人一緒に「お迎え」がきたらと考えてしまう。

 

17)医療・医学における存在意義の変更(1)
誕生の意味の変更

生殖医療における新型出生前診断や着床前診断
①新型出生前診断(MDS法、妊娠10週の母体の血液検査):2011年10月、米バイオ企業が開始
 米国:妊婦の6割(260万人)が診断  →年間売上約600億円
 「数百万、数千万人が対象の新型検査は、ヒトゲノムがもたらした最初の『大鉱脈』だ」(検査会社社長)
②着床前診断
 (PGS、2014年11月、日本産婦人科学会臨床実施を了承):体外受精による受精卵の染色体を検査、
 従来のFISH法(目で確認)からアレイCGH法(DNA読み取り)へ
 →「命の選別」「デザイナーベビー」の誕生(優生思想)へ

 そこで、国は何を考えているのかをご紹介します。
 まずは誕生の問題。これには二つの流れがあります。新型出生前診断と着床前診断。日本では、2012年9月以降新型出生前診断が医療現場で急激に行われるようになって、2013年4月から2014年3月までの1年間で、7740人が診断を受け142人が陽性、うち113人に羊水検査で異状があり、100人が中絶したとのことです。実に97%が中絶しています。それに対してアメリカでは260万人が受診し、中絶率は75%です。その数字の違いは、日本における社会構造に由来するのでしょうか?それとも障害を持った方の生きづらさでしょうか?ここで私が強調したいのは、医療が経済活動の対象になっており、米国では既に新型出生前診断のみで約600億円の売り上げを上げていることです。
 もう一つは着床前診断。これは体外受精が前提です。受精卵の「異状」を調べるものですが、誕生が“授かる”ものではなく作る(いのちを選別し、「デザイナーベビー」を人工的に作る)ことに置き換わってしまったということを実感します。

 

18)医療(医学)による人の存在意義の変更(2)
「健康」「予防」に名をかりた集団管理-100万人ゲノムコホート(大規模調査)研究
①目的:「危機的な少子高齢化時代を迎える我が国にとって、病気の超早期発見と発症前の治療的介入による予防法の確立は、活力ある健康長寿社会を構築するために不可欠である。……。その成果は、疾患の原因解明と予防・治療法の開発を通した、世界に一歩先んじた高齢化社会の健康長寿モデルの構築につながる。加えて、人間の持つ健常形質の多様性の解明や、生物が共有する基本的生命現象を発見する大きな可能性を秘めた究極の“ヒト生物学”として生命科学分野に多大な貢献が期待される。また研究に必要な様々な先端解析技術の開発と実用化・汎用化は、我が国の科学技術全般や産業界に大きな技術革新をもたらす。超高齢化社会の我が国にとって、予防に関する情報を用いた新たな健康産業の創出や、保険医療情報の電子化による新時代の保健医療システムの構築も極めて重要である」(日本学術会議、2013年7月)
②予算:1000億円(300億円は民間企業より調達)
③「マイナンバー制」の導入と連動(固有IDの携帯)
④産官学連携:1)新しい創薬、疾病予防の健康産業 2)オーダーメイド医薬品 3)バイオマーカー(疾患の発症・増強に関与する因子)発見による診断薬の開発 4)精密機械・医療素材産業への情報提供 5)食品、健康食品などの食品関連産業 6)IT企業
⑤先行実施:東北メディカル・メガバンクなど
 
 日本人を対象にした遺伝子の大規模調査が始まっています。「ヒト生物学」という言葉はこの研究の性格を象徴し、「我が国の産業界に大きな技術の革新をもたらす」という言葉は100万人ゲノムコホート計画が産業界に多大な恩恵をもたらしますよというものです。1000億円のうち300億円は民間企業から出させ、マイナンバー制と連動することでIT企業にも莫大な利益をもたらします。

 

19)東北メディカル・メガバンク機構(TOMMO)2012年2月1日発足
目的・内容:
①宮城県(東北大学)、岩手県(岩手医科大学)の太平洋沿岸部被災者が対象
②地域住民(ゲノム)コホート(大規模疫学調査):20歳以上の成人8万人
③三世代コホート:子世代(新生児)、親世代(妊婦)、祖父母世代の7万人 
問題点:
①「創造的復興」の一環。特にゲノムの集積・研究は、被災者の生活の再建には無縁
②研究成果は研究者の業績に貢献し、挙句は製薬・医療機器・IT企業に恩恵をもたらす
③「社会的弱者」としての被災者を対象とした研究は、「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」を定めた“ヘルシンキ宣言”(1964年6月、世界医師会)に抵触

 東北のメディカル・メガバンクですが、15万人が対象になっています。機構主催の説明会でも、住民からの「恩恵は何か」という質問に、「あなたたちに恩恵がある訳ではないが、研究の意義が高く、子孫に恩恵があるかもしれない」と答えています。被災地の「社会的弱者」に対して、検査を受けてほしいと言ったとき、受けないと言えるかどうかです。言えない立場の人を対象とした検査は、ヘルシンキ宣言で禁止されているのです。それは元々ナチスの医学への反省から発したニュルンベルグ宣言(1947年)に基づく、世界の約束事であるのに、一大学の名でやってしまう。戦時中の医療を見つめ直す機会を持たない結果が、ここにも表れているのではないでしょうか。

 

20)医療(医学)による人の存在意義の変更(3)
人体部品資源化・商品化
① 遺伝子ビジネス
 1)遺伝子検査による将来のがん発生予防のための臓器・組織(乳房、卵巣)切除
 2)遺伝子解析サービス:体質、将来の病気の予測
 3)進学塾における差別化のための遺伝子検査
② 脳死・臓器移植
 「慎重」な「脳死判定」の下、「脳死体」より臓器・組織の提供
 →有効な臓器・組織の利用のために、「脳死判定」をいかにスムーズに進めていくか
③ 再生医療:ES細胞、iPS細胞
 -国や経済界・企業より多大な期待、莫大な研究費、特許獲得競争(STAP細胞事件)
 
 人生における日常生活の中に、現在遺伝子産業がはびこっています。『朝日新聞』に掲載された先端医療に関する記事を紹介します。遺伝子検査によって、癌の予防のために臓器を摘出する。人のDNAを東京大学で解析し、企業と大学が一体となって研究を行い、公然とビジネスにつなげる。塾の生き残り策として、「塾に来たら遺伝子検査をしてあげますよ。勉強に向く子どもかどうかをみてあげる」と、教育の中に遺伝子検査を取り入れる、こういうことが行われつつあるのです。
 脳死・臓器移植に関しては、現在の医療現場における具体的な実態について教えてほしいという質問が、本日の市民講座に際して来ています。現場の詳細は分かりませんが、流れとして、誰からも批判されない形で慎重にやろうというのではなく、どちらかというと臓器移植が目的になり、その為に判定を早く進めるという動きになっています。
 一方脳死移植は、他人を当てにした医療だから反対という人々の中に、再生医療は自分の体細胞を使って行うのでいいのではないか、という考え方を持った人がいますが、私には懸念があります。先日、神戸で網膜移植がありました。これは自家移植ですが、1年かけ1億円かかっている。1年もかかってしまうものを臨床に応用するのは難しいと、今後自家移植はすべてやめて他家移植に切り替えると、新聞報道されています。それだと1000万円でできる。それでも高額です。これは今後「申出療養」の対象になってくるのではないかと思います。他家移植になるとあらかじめ生産することになります。山中伸也さんはiPS細胞の研究にお金が足りないと言っている。国から年に20億円出ていますが、結局、武田薬品と提携して200億円出してもらうことになりました。武田と京大が共同で特許を持つことになったのです。今後iPS細胞の研究も企業のビジネスとして行われていくのではないかと考えられます。薬害エイズにおいて汚染された非加熱血液製剤を処分せずに使ったと同様に、企業主導となると、また同じ様な問題が生じてくるのではないかと懸念します。再生医療は脳死・臓器移植に代わる夢の医療ではない、と考えておかねばいけないでしょう。

 

21)医療(医学)による人の存在意義の変更(4)
脳死・臓器移植
 1997年10月の臓器移植法施行以来317例(2015年3月)の脳死移植の過程で、以下が進行
①本人意思の不明が増加:2010年7月の改定法施行後は、231例中172例(75%)
②原因が明らかにされていない事例が増加:多くが「低酸素脳症」であり、「自死」の例が多いと考えられる-「特定秘密保持法」下、どうなる?
④ 6歳未満の児童の脳死判定:3例(2014年12月の時点)-「虐待の有無の判断は不要」との論も!
④家族への選択肢(オプション)提示をマニュアル化-パンフレットの作成(福岡県など)
⑤ドナー家族への「グリーフワーク」「グリーフケア」の勧め
⑥脳死判定・臓器提供手順の簡略化、時間の短縮化
 (例:1回目の脳死判定後にレシピエント選定)-「検証会議」不要論

 脳死移植に関しては、今年の3月の時点で317例の移植が行われていますが、多くが本人の意思不明であり、また脳死に陥った原因が明らかでない。最近言われているのは低酸素脳症が多い。それは一般には自死行為の結果です。6歳未満の乳幼児からの提供が少なくあい変らず海外に行っているから、虐待の子からも提供を受けたらどうだろう、彼らは元々無権利状態であったのに、その上その子から提供の権利を奪うのか、というのです。
 脳死・脳蘇生学会という日本脳神経外科学会傘下の組織は、従来脳死状態の人をいかに助けるかと、脳低温療法が発表されたりしましたが、最初の臓器移植法が成立した97年を境に、移植をするためにどうしたらいいかというテーマに代わりました。今はスムーズに移植を進めるノウハウばかりで、語られることはオプション提示の話。その為にはパンフレットを作っていますよ、ドナー家族へのグリーフケアを進めましょう、と言うことです。最近は、看護師の中に悩んでいる人がいるから悩みの原因を分析しようとか、小児科の医師が物足りない、小児科医は臓器移植に対して消極的だ、医療者に対してもグリーフケアをしましょう、と言っている。これは本末転倒です。他人の臓器を取り出し移植する行為の中で生じる当り前の悩みや気持ちを、無理に押し殺し入れ替えさせようと、いろいろ行われている。
 また、移植までの時間がかかり過ぎだから、第1回目の判定でレシピエントの選定を、と言っている。本来は2回目の判定後に動き出すわけですが、結果的には2回目は関係ないということになります。検証会議はもういらないのではないかということになっています。特定秘密保護法ができた段階でさらに拍車がかかり、医学の情報を漏らすのは良くない、検証会議には医師以外の人はいない方がいい、廃止してもいいという主張がどんどん出てきています。厳密な判定という姿勢が失われている状況です。

 

22)医療(医学)による人の存在意義の変更(5)
会場風景3死生観の変貌
医師に関係する「尊厳死法案」条文の概略
第四条(医師の責務):医師は、延命措置の中止等をするに当たっては、診療上必要な注意を払うとともに、終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の中止等の方法、当該延命措置の中止等により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るようつとめなければならない。
第六条(終末期に係る判定):「終末期に係る判定」は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。
第九条(免責):第七条の規定(意思表示をした満十五歳以上の患者が終末期の判定を受けること)による延命措置の中止等については、民事上、刑事上及び行政上の責任を問われないものとする。

 尊厳死に関しては、法律案が既に発表されていますが、医師が数人集まってこれ以上の治療の継続は難しいと判断し死期を早めても、責任は問わないとしています。このように尊厳死法案は、一見医師を守る法律として作られていますが、その内容の一つひとつに様々な問題を含んでいます。実際の例を示すと以下のようなことがあります。

 担当している患者さん(七〇代・男性、脳損傷後で意思疎通不能)のお連れ合いより、夫の妹さん(七〇歳)のことで相談を受けました。脳内出血で重篤となり、入院して三ヵ月が経過。気管切開の上、人工呼吸器を装着。意識はあるが、声は出せません。元々独身であり、唯一の身内は八八歳になる姉だけです。もちろん「リビングウィル」なるものはありません。現在の状態がいつまで続くかの予想はつきません。病院にとっては、今後の入院期間が気になるはずです(今回の「診療報酬改定」がそれに拍車)。転院先は容易には見つからないでしょう。在宅生活へ戻ることも二四時間介護が必要なことから困難と思われます。もしここに「尊厳死法」という御墨付きが与えられればどうなるのでしょうか。医師たちは病院側の意向を受け、徐々に治療や栄養補給を削減し、最後は呼吸器を中止することになる可能性もあるのです。それは本人の死を意味します。そこでは本人や家族の気持ちが汲み取られる余地は少ないでしょう。

 この事例のようなとき、家族が治療の継続を望めるかというとできないと思います。意思を守るというが、現実には一方的な治療停止が行われるでしょう。

 

23)医療(医学)による人の存在意義の変更(6)
歴史的にみた医師(医療)の役割①
 ユゼフ・ボクシュ編『医学概論 アウシュビッツ』(日本医事新報社、1982年、絶版)から
 アウシュビッツやビルケナウ(第二アウシュビッツ)強制収容所における250万人から300万人とされるユダヤ人やシンチ・ローマ(「ジプシー」)あるいはソヴィエト人捕虜に対する生体実験や虐殺は、医師や看護婦の協力なしにはあり得なかった。医師や看護婦など医療専門職は、人権や人命にかかわる最前線に立たされており、人々の運命を左右する立場にあった。
-アメリカの精神分析学者ロバート・J・リフトン:「medicalized killing(医療の名による殺人)」

 

24)医療(医学)による人の存在意義の変更(7)
歴史的にみた医師(医療)の役割②
クリスチアン・プロス、ゲッツ・アリ編、林功三訳
『人間の価値-1918年から1945年までのドイツの医学』(風行社、1993年)より
「安楽死を実行するさいに必要な最も重要な条件のひとつは、できるだけ目立たない形をとることです。そのためには、なによりも目立たない環境が必要です。これを可能にするのは、治癒不可能な慢性病の患者、医者が見放した患者、安楽死を与えることが決定されるかもしくはすでに決定されている患者が、不穏患者収容病棟もしくは不治患者収容棟ないしは病舎に収容される、通常の医療施設であることは疑いの余地がありません。これらの施設は……、在来の治療施設と区別されてはなりません。安楽死の指令とその実施は、他の、通常の科でおこなわれる処置とまったく同じ枠内でおこなわれなければなりません。そうすれば、わずかの例外を除いて、安楽死は他の死とほとんど区別のつかないものになります。」
<「T4行動(1939年から45年に実施された20万人に及ぶ精神病患者などの国家的殺戮計画)」に関するある医師の意見>(80~91頁「生きるに値しない生命」より)

 歴史的に見て、ナチスのユダヤ人に対する強制的な殺人や、それ以前の精神障害者(児)に対する殺人は、医療職が運命を握っていました。そういう立場の人がいたからこそできたのです。アメリカの精神学者が「医療の名による殺人」と言いましたが、医療は合法的に殺人を行えるということなのです。ナチスはユダヤ人虐殺の前に精神障害者や難病患者を殺したが、それは目立たない形で行われたとあります。現在の医療現場でも目立たない形で尊厳死や安楽死の行為が既に行われているのです。慢性期病棟で行われる行為の一つひとつが結果的に安楽死や尊厳死に結び付き、法律の先取りをしてしまう、その担い手が医療者であるということを、歴史は教えているのです。尊厳死法案の中にある医師の責任を問わないという文言は、国がやろうとしていることを最前線で担うのは君たち医療者だと言っている、と考えざるを得ないのです。

 

25)医療(学)による人の存在意義の変更(8)
救急・集中治療における終末期医療に関する提言
(ガイドライン):2014.4.29案(概略)
①患者の意思あり→本人の意思に従い治療の開始・中止を決定
②患者の意思なし
 1)家族が治療を希望→「状態が重篤で救命が不可能」であることを伝え、再確認
 2)家族が中止を受け入れ→延命措置を中止
 3)家族が判断できない→医療チームが判断
 4)家族がいない→医療チームが判断
 ⇒終末期の過程がマニュアル化され、医療者はそれに従い機械的に対応

 終末期医療に関する提言のガイドラインでは、患者の意思がある場合には意思に従って治療を開始するか中止するか決める、意思がない時は医師がもう助からないことを説明して家族に判断を促すとなっています。こういうことがガイドラインとして作られたら、将来医師国家試験に選択肢から選ばせる問題として出るだろうと思います。人々の終末期が○×式の選択肢になっていくのです。

 

26)医療(医師)制度の再編
①2017年4月より、「新専門医制度」(各医学会より第三者機関による認定への移行)
-目玉は、「総合診療専門医」
-医師の管理統制の強化(現場の医師の統制を強化するための官僚機構としての第三者機関)
「徴医制」の復活によるナチスの医学や七三一部隊に象徴される医学への逆戻り(健保連大阪中央病院、平岡諦医師)
②看護師:41項目の特定医療行為を実施する実習制度(医師の下で忠実に医療行為を実践)

 現在専門医は各医学会が養成していますが、それを第三者機関に任せるとしました。国が働きかけ管理する機関になります。大阪中央病院の平岡医師は、国が専門医を管理することになるとそれは徴医制と同じではないかと警告しています。ここで、ナチスの医学や七三一部隊の医学への逆戻りではないかというのは、彼らは優秀な医師であり忠実に任務を果たした人だった、その人たちがなぜ非人道的なことをしてしまったのか、国のやり方に忠実に従うとこうなるのだと警告されています。私も同感です。看護師にも医療行為に類する実習を受けさせて、第二の医師に養成していくという国の流れがあるのです。

 

27)促進する医師の二分化
①国の医療政策(市場原理化のために人の存在意義を根本的に変更する)の一翼を担い、臨床や研究活動に従事
②「病気」の身体的要因のみならず、環境的、社会的、精神的要因を重視し、その根源的解決に向けて、患者・家族に寄り添い、共に行動し闘う
 
 今後国の政策においては、いのちをいのちと思わず人々の生死を決めていく、医療を経済活性化のための手段として利用する流れが作られていくでしょう。では、全ての医療者がそれに従うのか、そうではありません。国策に乗る人もいるだろうが、病気の真の解決に向かおうとして、患者に寄り添い、悪い環境や社会を変えていくための闘いに挑む医師や看護師も出てくるでしょう。その流れを市民共々作っていかなければならないと思います。
 ここで西沢さん、早川先生のお話をして頂けないでしょうか。60年近く実践されてきた医療活動の紹介をして頂きたいと思います。

西沢いづみさんのお話
 父・早川一光がやってきた運動についてお話します。
 京都の西陣は、一反の帯を織るのにいろんな職種の人たちが協力し合うところです。図案を書く人、横糸縦糸をよる人、紡ぐ人、たくさんの人が地域で一緒に過ごしている特異的な場所でした。隣人が何を食べているか、子どもがどこの学校に行っているかが分かる地域でした。そこで、1950年、若い医者が住民出資で診療所を建てました。それが後に堀川病院になります。西陣の人たちは、自分たちの体は自分たちで守る。自主・自立・自営の場で、その背景には社会保障としての医療が前提条件でした。1950年は社会保障制度ができる前で、父たちの運動は自主・自立・自営と共に社会保障制度の確立を掲げていました。生活の中に入り込んで、生活医療と呼ばれる細かな医療が始まりました。まずは量的な社会保障制度から始まりました。一方、生活の中で生活にあった医療を求めることになっていったのです。慢性疾患が増え病と共に生き、付き合う、認知症という自然な姿とどう付き合うかがクローズアップされたのが1970年でした。堀川病院に訪問看護の制度ができ始めました。あの頃は看護師の訪問は報酬にもなりませんでしたが、生活にあった医療、患者が求めるものを提供しようとやっていたのです。「行き往き」はコミュニケーション、生活の中から医療が生まれるというところからきていると思います。「認知症と家族の会」が1980年に京都から発生したのも、生活の中から探し出された家族、ボランティアの協力があって、全国に広がっていったのだと思います。家族や地域が安心して互いに支えあえるには社会保障制度のバックアップが必要で、訪問看護制度の確立を並行して求めてきました。
 父は今92歳で、癌で在宅療養をしていますが、病気になって「俺は病人の気持ちが初めて分かった」と言います。訪問看護を受けていますが、「俺たちが作りたかった訪問看護はこんなものでない」と文句を言っています。1960年代とは時代背景が違うし、社会保障としての医療が経済活性化のための医療へ移っているという変化もあるのだと思います。父は訪問看護を週に二度受けていますが、「訪問看護の時間は俺が決める」「いつ来てほしいかは患者が決める。しんどい時に呼ぶのが国民皆保険じゃないのか、俺たちが作りたかった社会保障制度じゃなかったのか」と、看護師さんを座らせて説教をしています。それもそうした歴史からきているのだと思います。
 私たちは兄弟が4人いて、交互に介護に入っていますが、介護保険の中で様々なサービスを受けられる中で、私たちは4人いたからラッキーと感じています。そうでない人はどうしているんだろうか?介護保険のパンフレットは、虫めがねがないと読めないし、若い人でないと理解できないものです。経済活性化のための医療の下に、高齢者や治らない重い病気にかかった人が犠牲になっていくんだという気がします。当事者に犠牲と思わせない巧みな国の方策があります。父は一変した自分を認められないところがあります。「こんな自分ならもういい」と一言いったことがありますが、「こんなことなら死んだ方がまし。お迎え、はよ来んかいな」と言わせる国のシステム、大きな落とし穴があることを、父を介護しながら実感しています。

山口さんの話
 当時早川先生と一緒にやっておられた患者さん方の宣言文がありますが、「老人に対する施策は、サービス内容だけではなく、家庭や近隣が中心になって、老人が一人の人格者として、社会に接触して生活していけるような環境にならなければ、老人に対する公的な支持が機能しない」(『助成会だより ほりかわ』143号、1978年)と書いています。高齢者医療は手厚い医療と言いながら、システム化された介護が行われているだけで、あくまで高齢者は守られる立場、受け身の立場ですね。それではダメだと、40年近く前に医療を受ける側の立場で表明されていたのは先駆的です。

 

28)私の医療姿勢
中国の故事
 「小医は病を治し、中医は病人を治し、大医は国を治す」
 今や一人でも多くの「国を治す医師」が必要とされている
「医療」をめぐる 民衆と国との「天下分け目の闘い」へ

 私が45年余り前に京都で浪人生活をしている時に、下宿の大学生が教えてくれたのが、「小医は病を治し、中医は病人を治し、大医は国を治す」という言葉です。医者になってからも、80代の患者さんで敗戦後中国の解放軍(八路軍)の獣医となって過ごした方からも同じ故事を聞きました。今まさしく国を治す医師が必要とされているのではないかと思います。私の医療姿勢として、国のあり方そのものを正していく、高齢者医療についても、今のやり方ではいけないと言っていかなければならない。今後、医療を受ける民衆の側と提供する国の側との激しい闘いが始まっていくのではないでしょうか。しかしその闘いは、かつての「関ヶ原の合戦」のように、西軍と東軍に分かれて闘うようなものではありません。いわば私たち自身の「内なる差別思想、内なる優生思想」との闘いでもあるのだ、ということを最後にお伝えし、話を終わらせていただきます。


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