臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第12回市民講座の報告(2-1)

2018-03-18 11:21:49 | 集会・学習会の報告
第12回市民講座講演録(要旨)
日時:2017年10月1日(日)午後1時30分~5時
会場:江東区総合区民センター第2研修室
 
講演  斎藤 義彦さん(毎日新聞記者)
≪広がる「尊厳死・安楽死」-オランダの状況を中心に≫
 


【斎藤義彦さんのプロフィール】
 1965年滋賀県生まれ。1989年毎日新聞入社。岡山支局、大阪本社特別報道部、社会部で臓器移植、安楽死、障害者の権利擁護など医療や福祉問題を主に取材。その後、ベルリン特派員として戦争後のイラクなどを取材。2011年~ブリュッセル特派員。フランスのシャルリーエブド事件などのテロの現場取材なども行う。現在、毎日新聞本社生活報道部。
 
【斎藤義彦さんの著書】
『死は誰のものかー高齢者の安楽死とターミナルケア』(2002年/ミネルヴァ書房)
 高齢者の「終末期医療」の状況を取材、「尊厳死」・「安楽死」・「脳死」をめぐる議論を包括的に紹介し、重要な論点を提示している。
「アメリカ 置き去りにされる高齢者福祉」(2004年/ミネルヴァ書房)
 家族に捨てられる高齢者の状況、ナーシングホームでの虐待、「安楽死」などの問題を紹介している。 
『ドイツと日本「介護」の力と危機―介護保険制度改革とその挑戦』(2012年、ミネルヴァ書房)
 
 
 
 
 
 
 
 広がる「尊厳死・安楽死」-オランダの状況を中心に
 
 最初に自己紹介をします。1989年に毎日新聞社に入り、大阪社会部、東京本社外信部を経て、ドイツ・ベルリンとベルギー・ブリュッセルに赴任しました。ブリュッセルでの取材対象は安全保障、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)が主でしたが、時々、介護保険や安楽死についても取材していました。これまで、安楽死や介護保険に関する本も出版しています。

                            

安楽死とは?
 最近、脚本家の橋田寿賀子さんの安楽死に関する発言が話題になっています。彼女の認識が正しいかどうかはわかりませんが、著書「安楽死で死なせて下さい」(文春新書)の中で、「周りの人に迷惑をかける認知症になったら安らかに殺して下さい」、スイスに行って安楽死したいと言っています。
 安楽死は三つに分けられますが、橋田さんが思い浮かべているのは「積極的安楽死」です。医師が致死薬を処方、あるいは注射するものです。安楽死にはこのほかにも、人工呼吸や人工栄養などの延命措置を中止する「消極的安楽死」、モルヒネを大量に与えるなど過度の鎮静によって死なせる「間接的安楽死」があります。
(記事を示して)1996年、京都の老人ホームで植物状態だった女性(83)の人工栄養を止めて死なせたことを記事にしました。「消極的安楽死」ではないかと報道したところ、当時大議論になりました。
 安楽死は違法行為ではありません。ある一定の条件下で合法と認められるものです。最近は、自然死とか平穏死とか、呼び方を変えようとしていますが、物事の本質をゆがめようとする言い換えだと思います。安楽死は他人が殺すということが基本であり、安楽死という言葉を使った方がいいのではないかと思います。
 
安楽死が認められる条件とは?
 安楽死が認められる条件とは何か。日本では1995年の横浜地裁の東海大病院事件判決で示された条件しかありません。この裁判は多発性骨髄腫の男性(78)の家族が、見ているのがつらいから何とかしてくれと医師に頼んだら治療をやめた。医師は家族にもっと楽にしてくれと言われて、鎮痛剤や向精神薬を大量に打ったが死なないので、最後は塩化カリウム製剤を打ってしまったというものでした。この行為は殺人罪で懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けています。この判決の中で、積極的安楽死が認められる条件が示されました。
●横浜地裁判決で示された積極的安楽死が認められる条件
①患者が絶えがたい肉体的苦痛で苦しむ
②死が避けられず死期が迫っている
③肉体的苦痛を除去・緩和する代替手段がない
④本人の意思表示
(1995年横浜地裁判決 東海大病院事件)
 こうした条件が示されて、安楽死が社会から認められているかというと必ずしもそうとは言えません。「積極的安楽死」については実際には行われていないのではないかとみられます。
 積極的安楽死と殺人を混同した事件も起きています。1998年に川崎市の病院であった事件では、患者本人も家族も要請していないのに、主治医が勝手に患者に筋弛緩剤を投与して死亡させました。殺人罪で有罪となっています。これは、殺人であって積極的安楽死ではありません。殺人と積極的安楽死は似ているので手が出しにくい状況です。
 一方で、消極的安楽死は治療中止の形をとったり、「看取り」と呼ばれて行われるようになっています。日本老年学会の学会員(医師)へのアンケートでは4割くらいが人工栄養や点滴を中止したと回答しています。
 間接的安楽死の実態はよく分かっていません。
 結論的に言うと、橋田さんが望むような安楽死は日本では行われていないのです。
 
 
オランダで行われている積極的安楽死
 私はベルギーに赴任してオランダへもよく行って取材していました。その実態を話すのは初めてです。まず積極的安楽死とはどういうものか、4,5分の映像を見て下さい。63歳の男性です。難病で13~14年くらい闘病生活をしている。昔は世界を飛び回るビジネスマンで働いていたが、この状態になって死なせて欲しいと、2012年8月です、シャンパンを開けて家族と過ごし、医師が来て30分で死にました。
 その時の映像をながします。
 奥さんがお別れをしています。これがお姉さんです。本人はしゃべれない状況ですが、意識はしっかりしています。これが医師です。お医者さんが作ったシャント、注射しています。致死薬ですね。肩で息をしています。間もなく呼吸が止まります。このあともう一度注射して終わりです。
 日本でオランダの安楽死を目撃されたのは皆さんが初めてだと思いますが、とても静かです。
 (別の例)この人も2006年に安楽死した人です。71歳。ビール会社に勤める優秀な人だったが物忘れが激しく、その状況を受け入れられない。生きたくないと、車椅子は嫌だと、死ぬ1年前に安楽死すると決意表明して、家族も受け入れた。ドキュメンタリーになっていますが、死の数週間前にはパーティを開いている。息子さんからお話を聞きましたが、父の意志を讃えると言っていました。左が息子です、奥さんと娘さんと共にワインを飲み、お別れして、翌日に致死薬を自分で飲んで死んでいます。
 いろんな議論がありますが、橋田さんが言うように自分の死ぬ日を自分で決めるというのはそれはそれでいいかなという気もします。一方で、認知症の人が安楽死していいかはオランダでも議論になっています。
 積極的安楽死はオランダでも刑法上は違法です。自殺ほう助も違法です。しかし2002年に安楽死法が施行され、ある条件が満たされれば違法の扱いはしない(違法性を阻却)とすることになりました。
 

●オランダで安楽死が認められる条件は
医師が
a患者の要請が自発的で熟慮されていると確信
b苦しみが耐え難く、改善の見込みがないと確信
c患者に現状と展望をよく伝えた
d患者とともに、患者の状況に関して、合理的な代替手段がない、との結論に達した
e少なくとも一人の独立した医師が患者を見る。その医師と相談、上記a-dにつき書面で意見を得る
f生命を終わらせるか自殺を支援する
 ということでないと違法になります。医師に任せるというのが条件です。横浜地裁と比べると、「肉体的苦痛」がオランダにはない。「死期が迫っている」という条件もない。そこは大きな違いです。
 
オランダで行われている安楽死は少数(全体の5%以下)だが近年増えている
 安楽死がオランダで行われている数は少数で、死者全体の5%以下です(2015年4.6%)。限られた人だけが行っています。すごくたくさんやっているようなイメージがありますがそんなことはありません。しかし今、すごい勢いで増えていて年間6000件を越えています。以前は2000件以下だったのです。その理由は法律ができる前から闇で2000件ぐらい行われていたと推定されていて、それが報告されるようになったからではないかといわれています。高齢化で死亡数が増えたのと関心が高まったとこともあります。

 安楽死には二つ方法があります。医師が致死薬を注射するか、あるいは医師が致死薬を処方して、それを本人自ら服用するかです。95,7%が医師が自宅で注射して安楽死させます。自分で薬を飲むのは少ない。場所はほとんどが自宅です。
 安楽死にはチェックシステムがあります。まず、医師は地域の検視官に通報しなければなりません。検察当局は問題があれば捜査し、刑事訴追するのですが、開始以来刑事訴追された例はありません。また全国の5地域に「地域再検討委員会」が設置されています。委員会は医師、法律家、倫理の専門家で構成されています。そこで「問題あり」とされたのは0.1%以下ということです。問題ありとされた事例は例えば30代の精神障害者が安楽死した時、子供同伴で説明した事例などです。また、腰痛で安楽死した女性がなお治療の余地があったとも指摘されました。再検討委員会は、報告を受けて問題をあれば調べるというやり方で、委員会自ら調査して実態を把握している訳ではありません。
 
認知症と安楽死
 安楽死は簡単には実行できないというのが私の取材実感です。先ほど紹介したパーティやった男性の場合、最初の医師は認知症だからと、安楽死への協力を拒否しました。この男性は結局、自分で致死薬を集めて服用しました。しかし、すぐに死ねずに3日後に亡くなった。美しく死のうと思ったのに、実情はそうではなかったという皮肉なものでした。医師の3分の2は安楽死への協力を拒否をしているのではないかとも言われています。
 なぜ認知症の安楽死が難しいのか、というと、患者の要請が自発的かどうか確信できず医師は反対する。法律上は意思表示できなくなれば安楽死したいという書面があればできることになっていますが、たいていは書いてないし、現在の本人の意思と書面との関係が不明の場合が多いからです。

 認知症の安楽死はわずか、2.3%位です。認知症の安楽死は困難だということは世界共通の問題です。スイスでは嘱託殺人は違法ですが、自殺ほう助は利己的目的でなければOKです。橋田さんが選んだディグニタスという団体は判断能力があることを条件にしています。認知症は突き返されたりする。「認知症が出たら教えて下さい。私はすぐに行くから。」と橋田さんは言っているが、難しいのではないかと思います。

●認知症が進行した女性を安楽死させたケース
 オランダで、かなり認知症が進行した女性を安楽死させたケースを取材しました。
 女性は2004年、57歳の時にアルツハイマー病と診断され、家事をやるのも大変になってくる。てんかん発作後、05年、安楽死を望む宣言書を書くことを決意。「私はアルツハイマーだが老人ホームには行きたくない」と話していたといいます。かかりつけ医は将来、安楽死することでは同意。家族がかかりつけ医と面談し、宣言書にサインした。09年に宣言書は再確認されています。しかし、2010年に認知能力が急激に低下します。かかりつけ医が驚くほどでした。かかりつけ医が訪れると女性は安楽死宣言のことは何も覚えていない。かかりつけ医は安楽死をためらいました。親族一同がかかりつけ医に面会して実行を要求しました。かかりつけ医は、別の医師が同意するなら、という条件で安楽死実行に同意した。しかし別の医師は安楽死に同意しませんでした。夫と弁護士は「宣言書があるならできるはずだ」と主張したが、事態は進みません。2011年3月、「オランダ安楽死協会」で活動する医師が同意する文書を書き、安楽死は実行されました。最初に睡眠させ、致死薬を徐々に投与したといいます。
 実行時には女性は家族のこともほとんど認識できないほど認知症が進行していました。会話も出来ない状況だった。安楽死の予定日の前日にかかりつけ医が訪れて「安楽死をやりたいのか」と聞いても「何かやってくれ」「助けてくれ」というだけでした。安楽死への協力を断った医師は「認知症でよくわかっていなかった」と話します。一方で同意した医師は「長年の経験で、患者が安楽死を望んでいたことはわかった」といいます。
 夫によると、妻は老人ホームに働きに行っていたことがあり、「老人ホームに入りたくない」 「たとえ良いケアを受けていても、自分で自分のことができなくなったら私も生きていたくない」と強く望んでいました。普通に暮らせなくなった状態は「人間的でない」と話していたそうです。夫は「(命の)保護と、自己決定のバランスを取らなければならない。自己決定は私と妻が最も重要と思うものだ」と話します。また「動物でも安楽死を受けことができる。なぜ人間は受けることができないのか」と問題提起しています。

●「死のクリニック」に協力要請したローレンスさん
 先ほど映像を見せた「ローレンス」さんという人のケースでも、なかなか安楽死できなかったのが実情です。2007年に安楽死の意思表示をしましたが、主治医に断わられました。心臓発作を起こした後、老人ホームに3ヵ所入所。いずれの施設も安楽死の実施を断りました。合計10人の医師が断ったといいます。ローレンスさんは難病の「多発性硬化症」でした。肉体的な「痛み」はなく、あるのは精神的苦痛だけです。安楽死が認められる条件にある「耐えがたい苦しみ」にあたるかどうかは議論がある。
 そこでローレンスさんは「死のクリニック」に協力を要請しました。オランダで主に安楽死運動を進めているのは「安楽死協会」(自発的な生命の終わりのための協会。英訳は「オランダ尊厳ある死」16万5000人)なのですが、そこが2012年に「死のクリニック」を設立しました。
 ローレンスさんは2012年4月に申し込み書送りました。順番は当時、51番目でした。2カ月後の6月末に看護師が来ました。主治医と別の独立した医師(SCAN医師と呼びます)、さらに精神科医も来てOKを出しました。入所先の老人ホームは安楽死実行への協力は断ったのですが、部屋だけ貸すことで折り合いがつきました。全体で30分間で実行されたそうです。
 
死のクリニック
 「死のクリニック」は、いわば安楽死を出前する組織です。安楽死を良く知る医師や看護師のネットワークです。「安楽死協会」は「安楽死のリクエストの4~5割は実施されていない」と主張しています。安楽死に反対する医師から同意を得られなかったり、条件に満たないケースがあるためです。それを「補助的に」解決するためにクリニックを設立したといいます。50チーム、各10人が活動しています。
 「死のクリニック」へのリクエストの3分の1が精神障害によって行われています。次に筋萎縮性側索硬化症(ALS)、多発性硬化症(MS)などの難病が3分の1、3番目のグループが認知症です。リクエスト数は2016年には1796件になり、うち498件で安楽死を実行しています。2013年にはリクエスト749件、実施133件で、リクエスト数は2.3倍、実施数は3.7倍になっています。全安楽死に占める、死のクリニックが実行した安楽死の割合は2013年3%から2016年8.1%と増えています。全安楽死に占める認知症、精神障害の実施率と比較すると、認知症、精神障害の安楽死ケースに占める死のクリニックの実施率は高いと言えます。安楽死に手馴れた医師や看護師が「死の出前」をやっています。ただし、安楽死の用件では、必ず、別の独立した医師(SCAN医師)に意見を聞かなければいけません。参考意見を聞く別の医師は、医師会のシステムでランダムに選ばれているため、「死のクリニック」が易々と安楽死を実行できるわけではありません。リクエストが多すぎて実現は3割程度になっています。

 死のクリニックとは

・市民団体「安楽死協会(自発的な生命の終わりのための協会)が設立

・安楽死を良く知る医師や看護師のネットワーク

・医師が拒否して安楽死が「4~5割が実行されていない」事態を解決するため

・医師、看護師ら10人でチーム。50チームが活動

 
 
 
 
 
 
 
●法廷闘争の末に安楽死した女性のケース
 「死のクリニック」の利用者で、法廷闘争の末に安楽死を実行した女性(80)の例を取材しました。2015年4月に安楽死しています。2013年10月に脳内出血を起こして2014年に老人ホームに入所しました。安楽死を希望したのですが、老人ホームから拒否されました。2014年8月、親族が「死のクリニック」に連絡。2015年2月に「死のクリニック」の医師と、精神科医が計5時間ほどみて、女性の安楽死は可能と結論付けました。担当弁護士によると女性は「こんな弱った状態では生きたくはない」と話したといいます。ところが老人ホームの施設長によると、安楽死を宣言した文書はありません。また自由に動けず、話せないのですが、生活を楽しみ、笑っている。苦しんでいることはない、といいます。ホームの主治医は「安楽死を納得できない」としています。ホーム側は「入居者のために最善を尽くすのが責務。退所は認めない」と、あくまで退所を認めなかったため、女性の弁護士は2015年3月退所を認めるよう求めて提訴します。4月に裁判所が退所を認めたのですが、ホーム側は認めないよう仮処分求めて提訴。審理がまとめられて、上級裁が退所認めました。ホームが彼女の利益を十分に判断できていない、というのが理由。結局、4月22日、女性は退所し自宅で致死薬を自ら飲む自殺の形で安楽死が実行されました。
 女性に本当に能力があったのか、議論は尽くされたとは言いがたいのが実情です。女性の弁護士は「彼女は当時の国王がだれかもわからなかった。読む事もできない。だが彼女は能力があった。彼女の権利を守った」と主張しています。これに対して施設長は「理解できない」と話します。例えば、「朝食で次にバターかお茶か、それは彼女もよく判断できた」しかし「認識能力はいろいろ。死ぬ選択は究極のものだ。だれが彼女が安楽死を望むとわかるのか? 私は間違いを犯したと思う」と話します。
この一件では、オランダのマスコミはホームを「監獄」にたとえるなど、攻撃しました。これも裁判に影響したかもしれません。
 オランダには「どうしても死にたい」というグループが存在しています。それを支えるような弁護士や政治家もいます。普通に「生きたい」「生かしたい」と考える大多数の人たちと鋭く対立している面があると思います。
 
オランダの長期介護の支出は世界でトップクラスだが・・
 介護の話をしますと、おばあさんの入所していた老人ホームは非常にきれいです。複合的な施設で、日本で言うところのサービス付き高齢者住宅(サ高住)があり、屋根つきの中庭でつながった向かい側にナーシングホームがあります。吹き抜けは非常にいい感じです。サ高住で容態が悪くなるとナーシングホームに移ります。「ナーシングホームに入りたくない」ことを理由に安楽死を望む例を紹介しました。ここに入りたくないというのはどういうことなのだろうかと考えるとなかなか理解はできません。
 経済協力開発機構(OECD)のデータによると、長期介護(障害者なども含む、一部医療含む)では、オランダがダントツの一番です。公的介護保険を世界で初めて1968年に導入しました。長期療養の費用が非常に高い。例えば日本は国民医療費が41兆円、介護保険が10兆円で、介護が4分の1。オランダは短期医療保険が400億ユーロ(5兆4000億円)、1年以上の入院など長期医療介護は200億ユーロ(2兆7000億円)と半分。かなり重視している。オランダは施設介護が中心です。自宅を売り、ケア付き住宅へ入り、重度化すれば同じ施設のナーシングホームへ-が一般的なパターンです。全く不安がない。介護が悲惨だからと日本で言うのは分かるが、オランダはそうではない。ということは…。安楽死は介護の悲惨さを理由にしていない。自分で自分の事をコントロールできないのは嫌だから死にたいという抽象的なもの。自分が自己決定できなくなったことへのいらだち、後悔が老人を安楽死へ追い立てていると言えるでしょう。
 
 
●100歳になりたくないと安楽死した女性のケース
 人生に疲れたら安楽死させてくれという動きがある。オランダ北部に住むモーク・ヘーリンハさんは99歳で、「100歳になりたくない」と安楽死を望みました。人生が完結したと考えたといいます。しかし、病気もなく痛みもないため主治医は協力を拒否。08年、ヘーリンハさんが熱帯地帯の旅行用にためていたマラリアの薬や睡眠薬約100錠を息子のアルバートさん(68)が渡した。ヘーリンハさんはそれを摂取して死亡しました。
 オランダでは自殺幇助は罪で、安楽死の条件を満たした場合のみ違法とされない。検察は息子のアルバートさんを自殺幇助で起訴。一審は有罪、二審は「安楽死の条件を考慮して行った」として無罪だった。しかし2017年3月、最高裁は「医者以外が安楽死を行う場合は、厳格な条件を満たすべきだ」として、別の地裁に審理を差し戻した。
 アルバートさんは、「人生が終わった」人は安楽死をさせるべきだと主張。安楽死協会も支持しています。しかし、安楽死の要件である「耐え難い苦しみ」があるかどうかさえわからない、死にたくなったから死なせるべきなのか議論になっています。
 
●自殺する薬を配布する運動?
 自殺する薬を配布する運動というのがあります。安楽死協会の場合は75歳以上の人で安楽死を断られた人に死ねる薬を配るべきだと主張しています。安楽死推進の別の団体は18歳以上全員に配るよう要求しています。
 実際に安楽死を自由に実践すべきだと主張する団体から薬を入手して、死んだケースも出ています。苦しみがあった訳ではないが自分で薬を入手して死ぬのです。いつでも自死できるよう、致死薬入手を支援する「地平線」がその団体のひとつです。この団体は安楽死協会の活動を「甘い」と批判しています。「地平線」は、致死薬を入手できるという電話番号を会員に教える、電話してお金を振り込むと死ぬ薬が届けられるという仕組みです。お守り代わりに致死薬を手に入れる人もいる。「自由に死ぬ権利を手に入れたい」というわけです。例えば、認知症で主治医に安楽死実施を断られ、「地平線」の支援で致死薬を入手、服用して死んだ男性(81)もいました。
 
●2016年の「安楽死法」の“改正”は棚上げになっている
 こうした流れを受けたためか2016年、当時のオランダ政府が、安楽死法の改正の意思を議会に通告しました。「熟慮の末に自分の人生が完了したと結論付けた人に対して、厳格な条件で生命を終結させることを認める」といった改正です。現行法は、苦しみが医学的でない人には安楽死を認めていない。「自分の人生が終わった」と思った人に応えていません。当時の政府の案によると、耐え難い苦しみが医学的なものでない人の要請を合法化するとしていました。要点は
・医学的な経歴を持った「生命終結カウンセラー」を創設し、特別な訓練を受けさせる。
・カウンセラーが他の医学的な手段でも本人の死ぬ意思を変えられない事を確認する。
・こうした要請は普通高齢者から来るので高齢者に限る
・第3者がチェックする
というものです。
 ところが総選挙で立ち消えになりました。4党が連立を組んだのですがキリスト教政党が2党入ることで、安楽死法改正は棚上げになりました。
 戦後、ほとんどの内閣にキリスト教系政党が入っていたが、2期間だけ例外があります。94年~2002年の第1、2次コック内閣、そして12~17年の第2次ルッテ内閣。安楽死法は第2次コック内閣で成立、施行された。前内閣もチャンスだったが、実現できなかった。
 オランダの議会は完全比例代表制なので現在の議会は13もの政党で構成されています。動物愛護党とか、50歳以上のための党、移民出身者の党などいろいろあります。極右は伸長しているが、なお寛容さは残っていると思います。カトリックが人口の3割ですが無宗教という人も42%います。
 
 取材をして、なぜそんなに死にたいのか?私は理解に苦しみました。介護にも医療にも不安はない高福祉の国なのにです。自己決定―自分で決めたいという欲望が安楽死を生んでいると思います。元々ある文化というよりは、60年代に学生運動が活発になり、キリスト教の支配をこえて自分のことは自分で決めたいという主張が活発になったという研究者もいます。
 

安楽死より多い延命措置中止
 次に消極的安楽死の話をします。医師会の示した推計によると、安楽死は全死亡の4.6%。一方で、苦痛や症状を集中的に治療したために結果的に死亡したケースが36%、緩和のための過鎮静は18%、延命措置中止が17%となっています。つまり積極的安楽死は少なく、鎮静のやり過ぎで死ぬ間接的安楽死、延命措置停止による消極的安楽死、がむしろ主役なのです。実際に消極的安楽死をどう実行しているのか、を取材すると、本人の意思が不明でも家族にも同意をとらずに医師の裁量で実行している。かなり医師の独断で行われている。おれにまかせておけ、というのは「パターナリズム」と呼びますが、それが強い。積極的安楽死が自己決定を重視するのとは対照的です。どうして医師が独断でやるのか。フィヌカーンという米国の医師がまとめた「重度の認知症の末期では人工栄養・水分補給が医学的意味があるとの証拠はない」という論文の影響があるのかもしれません。
 
「消極的安楽死」の延長にある心停止後臓器移植の増加
 こうした延命措置の停止、「消極的安楽死」の延長線上にあるのが心臓停止後の移植の増加です。移植というのは心臓停止後だと、臓器への血流が止まり、臓器が傷む。だから腎臓とか角膜、皮膚しかできない、といわれてきました。それでかなりの大議論の末、日本は脳死での移植を導入しています。ところが、欧米では心臓停止後に、肝臓や肺を移植する方法が2000年ごろから定着してきた。常識を覆す、ちゃぶ台をひっくり返すような事態です。これが消極的安楽死と臓器移植をドッキングさせた手法で、医師が判断するとできるのですね。
 
 NHB(non-heart-beating心臓が鼓動しないていない)移植とされる新たなカテゴリーです。臓器を提供する人のことをドナー(donor)と呼びますがこれまでの脳死後のドナーDBD(donor after brain death)に加えて DCD(Donor after cardiopulmonary death、心肺死後のドナー)が加わりました。
どのような手法か。流れを見ると以下のようになります
① 医師が延命措置を「無益な治療」と判断
② 延命措置停止で家族の了解を得る
③ 臓器提供の可能性を家族と話す
④ 臓器提供チームに連絡
⑤ 延命措置停止。10~50分で停止へ
⑥ 心臓停止。2~5分はそのまま
⑦ 3医師で心停止を確認
⑧ 別の部屋で待機するチームが臓器摘出
 となります。
 
 実際に取材した例を紹介します。2011年12月16日、ベルギー東部リエージュの中央大学病院に、首つり自殺をはかった男性(28)が運び込まれました。心停止後に蘇生したが脳に大きなダメージを受けています。主治医は脳死までは至らないが、健康な状態には回復しないと診断。家族に治療中止を提案した。家族は承諾。その後、医師から臓器提供の提案を受け、家族は受け入れました。20日午後3時50分、人工呼吸器など治療がすべて中止され、午後4時に心臓が停止。3人の医師が死亡を確認した。5分間の待機後、別の移植チームが作業を開始、肺、肝臓、腎臓などが摘出されました。
 取材した移植医、モーリスさんによると、「本当は脳死の方が成績が良いが心停止移植で提供数が非常に多くなった。100万人で40人になる」と話します。例えば自殺、ガス中毒、溺死などのケースで行われるといいます。また救急医のレドゥ医師によると、治療の中止は医師による決定で決まるといいます。多くのケースで本人の意思は不明で、家族に意向を聞くそうです。これで法律上は問題ないとのことです。例えば兵士の男性(30)が自殺したケースでは、集中治療室(ICU)で3週間過ごしたが、脳に血が回りにくくなっており家族に説明して治療を中止、臓器提供したそうです。レドゥ医師は「これは私たちの責務だ」と話しました。
 こうした心停止後移植は右肩上がりで増加しています。オランダは現在5-6割、英国は4割、ベルギー3割、米国16%。スペインも17%とかなりの割合を占めるようになっています。オランダを見ると心停止肺も心停止肝臓もかなりあります。肝臓で心停止は脳死例の36~60%、肺では28~76%となっています。

 心停止後移植が積極的に導入された背景には、大量の移植待機者があります。欧州最大の臓器提供ネットワーク「ユーロトランスプラント」(オーストリア、ベルギー、クロアチア、ドイツ、ハンガリー、オランダ、ルクセンブルク、スロベニア)で1万5000人の待機者がいます。つまり、臓器不足の中で消極的安楽死と移植が結びついたわけです。
 理論的な基礎になったのはオランダ・マーストリヒト医大のコーツトラ教授が95年に発表した臓器提供の新分類です。その分類によると①病院に着いたときに心停止している ②予期せぬ心停止③延命措置中止による心停止③心停止と脳死が同時に起こる-4ドナーに分けています。延命措置停止はどのように進むかというと、ベルギーの移植協会が作ったプロトコールによると、まず「医療チームで同意する」その後、「家族と相談」するが「法的な義務はない」といいます。医師の判断材料は①治療の「無益さ」②リスク、コスト、実施可能性、期待される結果、(医療)資源の「バランス」-で「治療の延長は、役に立たないだけでなく、患者に有害でさえある。治療の中止がベストの選択」と判断するそうです。
 とはいえバラ色というわけではありません。国によって考え方に大きな差があります。例えばドイツはユーロトランスプラントに参加はしていますが、心停止後移植を実施もしないし、提供も受けません。また本人の臓器提供の意思は無関係で患者の自己決定権は欠落しています。各国には患者の権利法はありますが、延命措置停止は医師の医学的判断の領域とされています。パターナリズムに陥る可能性あると言えるでしょう。また心停止後移植が多くなる事で、脳死は伸び悩む傾向にあります。心停止後移植では心臓が取れないのは最大の欠点です。成績は肺は心停止後と脳死移植で似たような結果ですが、肝臓では脳死に比べ心停止はやや定着率が悪い結果が出ています。
 
心停止後移植増加も解消しない臓器不足対策強化とは?
●オプトアウト方式導入
 心停止後移植がこれだけ増えても各国は臓器不足対策に躍起になっています。臓器提供の同意を得るのには大きく分けて二つの方法があります。特に拒否していなかったら同意したと認めるオプトアウト(opt-out)方式。逆に登録していないと同意したとは認めないオプトイン(opt-in)方式があります。ベルギーはオプトアウトで、オランダも2016年に法改正して拒否権付オプトアウト方式を採用しました。拒否する人だけ登録しておく方式です。英国ではウェールズ地域が2015年からオプトアウトを採用、スコットランドは家族の拒否権付きのオプトアウトを導入します。イングランド、北アイルランドはオプトインのままです。米国はオプトイン方式です。国・地域により大きく違う。ちなみにですが生命倫理について「欧米」のくくりですべて同じように言う人がいるが、ほとんど間違いです。

●安楽死から臓器摘出、「死のクリニック」安楽死からも
 臓器不足の中で、安楽死した人から臓器を取る試みが2005年から始まっています。延命措置停止後で移植できるなら安楽死する人からもできるはず、との考え方です。ベルギーでは05年から心停止移植として安楽死者からの移植が報告され始めました。2016年までに30件。現在では移植の4~7%を占めるまでになっています。オランダでは公式な統計はないですが、地域再検討委員会の報告書によると2012年から15年まで15件の安楽死後の移植があり、うち9件は15年とのことです。2012年から16年まで28件の移植が「死のクリニック」の安楽死後に行われたということです。「死のクリニック」が結構、担っている。安楽死で摘出した臓器は、他の心停止後の移植と同様、8カ国で作る臓器提供ネットワーク「ユーロトランスプラント」を通じて適合を調べ、配分される。しかしドイツのように受け入れない国もあります。                    
 
 
日本での安楽死は・・
 日本では安楽死はどうなのかという話をします。
 冒頭に紹介した脚本家の橋田寿賀子さんはかなり勉強されている。例えば消極的安楽死の問題では「家族のいない私が昏睡状態にでもなったら〝最善の措置〟をされてしまう」と延命措置を拒否しています。延命措置をやめても「ひと月ぐらい生きているとしたらその間がしんどい」「やっぱり私は安楽死がいいです」と積極的安楽死を望んでいる。バランス感覚もあると思います。「『高齢者の社会保障費や医療費を削減するため、安楽死を認めるべきだ』という主張は『姥捨て』につながってしまう」と指摘しています「戦争に負けて何もかもなくしたこの国に現在のような豊かさと平和をもたらしたのは一所懸命に働き続けた高齢者ですよ。苦労してきた分、国から守られ報われるのは当然です。国やお金や貴重な人手を自分のために使ってほしくないというのはあくまで私の考えです。そういう私のために『安楽死』という死に方の選択を与えて欲しい。生きるべき人と死ぬべき人を選別するなどとんでもない話です。安楽死の意思を示していない人は認知症の老人だろうと障害者だろうと生きる権利を大切にされなければなりません。私が主張している安楽死はあくまで本人が希望して家族が納得して医師や弁護士など第3者の専門家が認めれば叶えられるという制度です」。これはとても大切な考え方です。あくまで自分ひとりの選択。他人の生命を侵してはいけない。またしばしば議論に老人へのリスペクトがないのもご指摘のとおりです。橋田さんといえば、家族内の葛藤をいくつもドラマ化してきました。「家族だけに判断をまかせるとそれこそ医療費がもったいないとか早く遺産が欲しいとか別の思惑で制度を悪用される心配があります。本人の意思と家族の意思が食い違うことはしばしばあるからです。きちんとしたルールを作り、シビアな線引きをしなければなりません」。さすがこのあたりはお手のものですね。あくまで本人の意思が大事です。「迷惑をかけないためには元気なうちにはっきりと意思表示しておかなければなりません」と記しています。
 オランダの安楽死をする人たちはこんな雰囲気です。意思がとても強い。死への意思が明確で、覚悟がないと安楽死などできません
 ですが、こういう意思が貫ける人はまれです。橋田さん自身も書いていたが条件が恵まれている(夫は早くに死亡、子供なし、親戚なし、お金あり)。たいていの日本人は強い意思が持てない。人間関係も複雑だし、死への恐怖感もある。橋田さんも「薬、お医者様で出ているでしょ。飲まなきゃいいんですよね。でも、やめる勇気ないんですよ。やめたら病気になっちゃうんじゃないか。これ矛盾してますよね。やめて、もういつ死んでもいいならやめたらいいのに、苦しんで病気になって死ぬのが怖いから、一生懸命まだ飲んでるんです、常に。十何種類なんですよ、案外100まで生きてたりして」と語っています。
 オランダでもそうですが、安楽死への思いは結構身勝手なものです。自分では死ねないからだれかに手を下してほしい。しかも医者にやってほしい。というちょっと他人まかせなところもある。だからあつれきを産む。だから致死薬を配るような議論も出てくる。
 
●日本の医療界の動きー日本臨床救急医学会の「提言」
 日本では医療の動きはどうなのか。日本臨床救急医学会は2017年3月に「人生の最終段階にある傷病者の意思に沿った救急現場での心肺蘇生等のあり方に関する提言」をまとめています。それによると
① 心肺蘇生等を希望しない旨が医師の指示書等の書面で提示されても、まずは心肺蘇生等を開始
② かかりつけ医に直接連絡
③ 心肺蘇生等の中止の具体的指示をかかりつけ医等から直接確認できれば、その指示に基づいて心肺蘇生等を中止
※心肺蘇生等を望まないのであれば、119番通報に至らないのが理想
としています。あくまで医師の判断が優先されて、本人の意思は不明です。結局医師のパターナリズムで解決するということなのでしょうか。

●日本老年医学会の「立場表明」
 救急はわかりやすいが、むしろ長期医療・介護では話が複雑です。
 日本老年医学会が2012年、「『高齢者の終末期の医療およびケア』に関する日本老年医学会の『立場表明』」というのを出しています。その中で「高齢者の終末期の医療およびケアは、わが国特有の家族観や倫理観に十分配慮しつつ、患者個々の死生観、価値観および思想・信条・信仰を十分に尊重しておこなわなければならない」と日本の独自性を強調、「わが国には、専門家を信頼してすべてを委ねるという考え方や、何事も運命として受け入れるという考え方など、『自律性』を最重要視する欧米文化とは異なる『死生観』を生み出した文化的背景がある」と述べています。
 そのうえで「全身状態の悪化により延命効果が見込まれない、ないしは必要なQOL(生活・生命の質)が保てなくなるなどの理由で、本人にとって益とならなくなった場合、益となるかどうか疑わしくなった場合、AHN(胃ろうなど人工的水分・栄養補給法)の中止ないし減量を検討し、従来のやり方を継続するよりも本人の人生により益となる(ましである)と見込まれる場合は、中止ないし減量を選択する」としています。
 本人の意思確認ができる時には本人を中心に話し合って合意を目指す、とはしているものの、「本人が希望する医療・介護行為であっても、医学的観点でも人生全体を評価する観点でも無益であると判断される場合、もしくは益をもたらす可能性もあるが、重大な害をもたらすことを余儀なくされるというリスクもある場合、相手の意向であるからといって応じなければならないわけではない」と医師の判断の優先権を確保しています。
 
●無益と誰が判断するのか?中止・手控えだけに力点がおかれる現状は問題
 ただ益とは何か、だれがどう判断できるのか。必ずしも明確にはなっていません。医師や家族の一方的な生命観に基づいて必要な医療が手控えられている可能性もあります。なぜなら本人の意思が最優先にはなっていないからです。
 欧米流の個人主義を導入してもう150年以上がたっています。民法上も刑法上もあらゆる場面で個人の意思が基本とされている。医療の現場でも、いまさらインフォームドコンセントや、患者本人の意思の尊重を否定するような人はいないでしょう。ところが老年医学では突如、日本の文化が強調される。これは明らかに変で、老人だけを差別することにつながりかねません。
 欧州でみた本人の意思があいまいなままの延命措置中止の前提には、患者の権利の法制化、意思表示書の法制化、代理決定の法制化があります。たとえばドイツでは、患者の権利強化法が制定されている。成年後見人は医療の代理もできる。日本は何もない。患者の権利や患者の意思を守る努力がないまま、ただ中止・手控えだけに力点を置くのはとても奇妙です。延命措置中止の普及をする同じエネルギーで本人の意思を推し量り、尊重する努力がなされないと、バランスを欠きます
 安楽死の議論は患者の自己決定の議論として進めてみてもいいかもしれません。あいまいなパターナリスティックな消極的安楽死がある現状を変える可能性もあります。
 
 
第12回市民講座の報告2-2に質疑を掲載しています。

この記事をはてなブックマークに追加