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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

結成5周年記念講演会の報告

2016-02-11 22:58:18 | 集会・学習会の報告

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク 結成5周年記念講演会の報告

 

 2015年10月25日に東京大学駒場キャンパス内のファカルティハウスで行いました市民ネットワーク結成5周年記念講演会の報告を致します。講師は武蔵野大学教授の小松美彦さん。講演タイトルは<“いのち”を考えるー科学的生命観と人生論的生命観>。参加者は約60名。講演では、前半に古代ギリシャ時代からの今日に至る科学的生命観の歴史的流れを、後半に、『あしたのジョー』と『それから』を題材にした人生論的生命観とは何かが興味深く語られました。講演概要を講師の小松さんご自身に執筆して頂きました。大変読み応えのある小論文になっています。ぜひお読みください。(k)

 

《いのち》を考える
科学的生命観と人生論的生命観

小松美彦(武蔵野大学)

はじめに
 本講演では、脳死・臓器移植の根底に横たわる生命観の問題、つまり、「そもそも生命・いのちとは何か」について考察した。洋の東西を問わず、文明の誕生とともに人間が追究してきた一大問題である。
 講演の前半では、ギリシア時代から科学や医学の中で「生命・いのち」がどのようにとらえられて今日に至るかをお話しした。いわば科学的生命観の歴史的な検討である。だが、生命・いのちは科学や医学だけによって探究されてきたわけではない。文芸、絵画、音楽などの中でも描かれてきたのである。例えば、「人間は一本の葦にすぎない。ただし考える葦である」(ブレーズ・パスカル)、「命短し恋せよ乙女」(吉井勇・松井須磨子)、今日のAKBの歌、といった具合にである。そのような生命観のことを、私の恩師・中村禎里のひそみにならって「人生論的生命観」と呼ぶ。
 そこで科学的生命観の問題性を総括した上で、講演の後半では、人生論的生命観について、高森朝雄(梶原一騎)・ちばてつやの『あしたのジョー』と、夏目漱石の『それから』の解釈を通じて考えた。『あしたのジョー』とは、1967年12月に『少年マガジン』で連載が開始され、1973年4月に主人公の矢吹丈が真っ白に燃えつきた場面で終わる、不朽の劇画である。他方の『それから』は、『三四郎』と『門』との間に位置する漱石三部作の要であり、森田芳光監督の映画版(1985年)では、松田優作、藤谷美和子、小林薫が三人の中心人物を演じ、ご存じの方も少なくないと思われる。

 

1 科学は生命をどう捉えてきたのか————科学的生命観の歴史
 まず、紀元前4世紀に活躍したアリストテレスの生命観について概説した。アリストテレスとは、古代ギリシアの最大の哲学者・科学者であり、話の要点は次である。アリストテレスは、生長や呼吸や消化や精神活動などのさまざまな生命現象を生み出す根本原因・原理を「霊魂(プシュケー)」と把握し、霊魂を何種類かに分類して各生命現象に関係づけた。ただし、着目すべきはその議論を支える基本的発想である。すなわち、人間の五感(視・聴・嗅・味・触)で知覚できる生命現象の背後には、人間の五感では知覚できないが、生命現象を生み出す「隠れた根本原理」が存在するはずであり、その「隠れた根本原理」を探究すべきだとする、基本的発想である。
 このように、生命の根源を隠れた原理ととらえ、それを探究するアリストテレス的生命観は、驚くことに18世紀終盤のフランス革命の頃まで続いた。少なくとも紀元前4世紀から2000年以上にわたって、西欧の科学思想の中で行われたのは、「隠れた根本原理」を霊魂から自然(ピュシス)、精気、熱、生命特性、生命力などへと置き換えたことにすぎず、生命観の基本的枠組は連綿と維持されたのである。
 しかし、18世紀終盤から、生命観はアリストテレス的なものから新たなものへと大きく様変わりする。つまり、「隠れた根本原理」の探究という基本姿勢を捨て去り、既に発展を遂げていた物理学と化学の「科学の目」も導入しつつ、人間に知覚できる「現象」に限定して生命を探究する、という基本姿勢に様変わりした。問題意識がいわば“Why”から“How”へと一変したのである。
 こうして登場した新たな生命観は、次の三種類に大別できる。1,生命現象を物質の性質や物質現象に帰着させる「唯物論的生命観」。2,生命現象を熱力学の理論に還元する「力学的生命観」。3,生命現象を身体の有機的構造(organization)の現れとして把握する「現象論的生命観」。この三種類である。あらためて注意すべきは、もはや霊魂や生命力などの「隠れた根本原理」の探究には関心が向かっていないということである。
 以降、約200年かけて、これら三種の生命観が相互に影響し合い、今日の科学的生命観に至った。主なものはやはり三種類ある。ⓐ人間の生命現象のうち特に精神現象に着目して、それをコンピューターの演算システムになぞらえる「人間=コンピューター論」、ⓑすべての生命現象は遺伝子によって運命づけられているとする「遺伝子決定論」、ⓒあらゆる生命現象を脳の働きに帰着させる「脳還元論」、である。脳死を死(の基準)とする今日の問題は、これらの現代的な科学的生命観のうち、ⓒ「脳還元論」に基づいているのである。講演では、例えばⓒの生命観は長期脳死者の存在によって論理的に破綻しているなど、一見説得的な三種類の生命観のおかしさを具体的に明らかにしたが、ここでは割愛する。

 

2 小括
 以上のように展開した科学的生命観を批判的に総括すると、次のことがいえるのではないだろうか。
 まず第1に、科学的生命観は18世紀の終盤から抜本的に変容したように見受けられるが、本質は全く変わっていないということである。つまり、探究の対象は、ギリシア時代から18世紀終盤までは人間の知覚には届かぬ「隠れた根本原理」であったのに対して、それ以降は近代的な物理学と化学の目をも擁した「人間の知覚で把握できる現象」に一変したのであるが、しかし、「隠れた何か」を探究するという点では同様であり、両者の違いは隠れた何かが「原理」か「現象」かにほかならない。探究の対象が「もの」から「こと」に移ったにすぎないのである。
 第2は、20世紀後半の世界的な哲学者ミシェル・フーコーが、「科学の役割は見えないものを見えるようにすることであり、それに対して、哲学の役割は見えているはずのものを見えるようにすることだ」と述べた点に関係する。たしかに、フーコーの名言どおり、ギリシア時代からこのかた、科学は見えないものを見えるようにしてきた。今日におけるⓐ〜ⓒの科学的生命観もそうだといえよう。しかし、例えば、私たちの喜怒哀楽が脳の中のこれこれの神経繊維の電気的な興奮や弛緩によることが明らかになって(脳還元主義)、喜怒哀楽をめぐる何か本質が実感をもって解ったのだろうか。ひいては、私たちが生きていることそれ自体をめぐる諸々の疑問や謎が、科学によって氷解したといえるのだろうか。すなわち、フーコーの格言に照らすなら、科学によって見えるようになったはずの事態を真に見えるようにする哲学の眼差しが必要なのではあるまいか。
 そして第3は、第2の点となかば重なるが、私たちが日常的に感じている生命・いのちの把握と科学による把握とが乖離(かいり)していることである。例えば、西欧の古代・中世社会において、人々は霊魂(魂)を支えに生きていた。それゆえ、科学・医学で霊魂を中心に論じられる生命観と、人々の日常的な生命観とは基本が共通するため、前者の生命観は一般の人々にも受け入れられやすいものだったはずである。ところが、科学が進展して議論がより専門的になるにつれて、科学が論じる生命把握は一般人の日常感覚からは次第に乖離してきたのではないだろうか。
 かくして、人生という視点からの生命把握、すなわち、人生論的生命観を考察する必要があるだろう。

 

3 私たちは《いのち》をどう感じているのか————人生論的生命観の多層
 そこで人生論的生命観を考えるにあたって、まず『あしたのジョー』を解読した。
 この物語は、地図にない実在の街・東京の山谷というドヤ街に流れ着いた不良少年の矢吹丈が、やがてプロボクサーとなり、ライバルたちと死闘を繰り広げ、最後に史上最強のチャンピオンのホセ・メンドーサに判定負けを喫するものの、かつての予告どおりに「真っ白」な姿になって幕を閉じるという、一見スポ根ものである。ただし、それは表層的な読みにすぎず、実体は「生命・いのちとは何か」を徹底的なまでに描き出した作品だといえる。ここでも詳細は割愛せざるをえないが、ライバルたちはそれぞれ人生における象徴的な意味を有しているのである。力石徹=真の友人、ハリマオ=野生、ホセ・メンドーサ=日常性という最大権力、等々である。
 こうしてジョーは、真の友人に、○○○に、△△△に、野生に、次々と挑み、そしてそれらを乗り越え、最後に日常性という最大権力に対して判定負けまでにもちこんだ。すなわち、生命・いのちとは、科学が追い求めてきたような生命現象の隠れた根本原理ではなく、生理現象でもない。「何かに向かって走りつづける過程」にほかならない。しかも、その核心は、「何か」にたどり着くことそれ自体ではなく、たどり着こうと走りつづける過程、つまりベクトルである。このベクトルのことを、私たちは生命・いのちと呼んできたのである。このように『あしたのジョー』は、生命・いのちの“正体”を一人の不良少年の半生を通じて解き明かしたのである。
 しかしながら、誰しもがジョーのようには格好よく生きられるわけではない。例えば、脳死者や尊厳死の対象者たち、「ただ生きているだけ」と見なされがちな人々である。たしかに、彼/彼女らはジョーのようにはいかないのだろう。だが、たとえそうではあっても、「自分の速さ」で走りつづけていることには相違ない。自己を圧倒せんとする死に日々抗して、そのつどの自己を乗り越えつづけているのである。ただし、この「自己」とは、はたして何か。そこで紐解くべきが、夏目漱石の『それから』である。
 『それから』は明治中期の日本を舞台とした物語であり、代助、三千代、平岡の三角関係を軸に話は展開する。代助は帝国大学(後の東京帝国大学)を出たものの、定職に就かず、日々気ままな生活に興じ、封建制を脱したはずの自由を謳歌して生きている。父親や兄に説教されても、真には聞く耳を持たない。だが、そのように自由に生きてはいても、言いしれぬ重圧感に日々さいなまれているのであった。そんな中、親友の平岡が事業に失敗して妻の三千代とともに東京に戻ってくる。実は、代助と三千代はかつて相思相愛の仲にあったが、代助は結婚という伝統制度を否定し自由に生きるべく、また平岡への友情から、三千代を平岡に譲ったのであった。
 かくて代助は、三千代の懇願を受け、二人の生活の工面に日夜奔走する。そしてある時、ふと気づく。いくら払拭しようとしても払拭できなかった重圧感が、自由に生きようとすればするほどのしかかる重圧感が、三千代のために奔走する渦中で消えているのである。代助はその意味を見つめ、ついに三千代に告白する。「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」、と。三千代は動揺の末、その言葉を受け入れる。こうして親友を裏切り不義をはたらいた代助は、父に勘当され、兄にも絶縁され、四面楚歌の身となり、炎天下の街に仕事を求めてさまよい出て行くところで物語は終わる。
 通常、この話は、イギリス留学で「自己本位」という理念を獲得して真に封建社会を脱した漱石が、その開明の感動を代助の生き様に託して描いたもの、と解釈される。いかに不義をはたらき四面楚歌になろうとも、自己本位を貫くことを賞讃する作品だと。しかし、決してそうではあるまい。そもそも代助は自己本位を貫こうとすればするほど重圧感にさいなまれていたのであり、三千代という他者のために生きた時、はじめて重圧感が消えていたのである。つまりは、自己本位の「自己」とは他者との関係によってしか成り立っておらず、そのことを置いて自己本位を貫徹しようとしても人は底なしの深みへ沈んで行く。人間はあらかじめそのようにできてしまっている。漱石はこの人間存在の大いなる理(ことわり)にただ代助を従わせたのである。だからこそ、代助の告白もいたって単純だったのだ。「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」。
 さて、私は先に、脳死者や尊厳死の対象者などの「ただ生きているだけ」と見なされがちな人々は、矢吹丈のようには格好よく生きてはいないだろうが、「自己を圧倒せんとする死に日々抗して、そのつどの自己を乗り越えつづけている」と述べた。しかし、『それから』の解釈から判るように、こうした人々の「自己」もまた、周囲の人々との関係ではじめて成立している。見つめる人々と見つめられる人々との間で、見つめられる人々の「自己」なるものは成り立っているのである。一切の他者を抜きにした「自己」などはありえないのだ。ちなみに、この大いなる理を省みずに人間の絆を引き裂く装置——「生きるに値する者/生きるに値しない者」を弁別する装置——が、アメリカ由来の「自己決定権」にほかならないだろう。
 話をもう少々進めよう。今述べてきたような人間存在の何たるかを突きとめようとした哲学者に、マルティン・ハイデガーがいる。第2次世界大戦までの前期ハイデガーが探究したことは、私見をまとめると、人間が存在することと、動物が存在することと、石が存在すること、これらの違いである。そのさいハイデガーは、死を基礎に三者の存在の仕方の違いを考えた。すなわち、石はそもそも死なず、動物は己の死すべき運命を自覚しない。それに対して人間だけは、決して他人に代わってもらうことのできない己の死を、己自身が覚悟し引き受けて生きることができる存在者である。換言するなら、人間が存在するとは、つまり「いる」とは、「いなくなる」をあらかじめ含んだ事態なのである。そして、このような存在の根本を了解できるところにこそ「人間の尊厳」がある、とハイデガーは考えたのである。
 だが、しかし、人間存在の深遠に迫ったハイデガーには、他者の存在が考慮されているとはいえまい。たしかにハイデガーは、「いる」には「いなくなる」が前提とされていることを突きとめた。だが、それは一人ひとりの「自己」にとってのことでしかない。そこで代助=漱石を顧みれば、その「自己」とは他者との関係によってはじめて成り立っていた。つまり、「いる/いなくなる」は常に他者との関係をめぐっているのである。
 かくして、ハイデガーの把握を推し進めるなら、実のところ「人間の尊厳」とは、「ただ生きているだけ」という事態をめぐって、その事態を眼差す者と眼差される者との間に成立する事柄のことだといえる。「人間の尊厳」とは、人間にもともと備わっているものではない。そうではなく、他者と「私」との間に浮かび上がる関係性にほかならない。尊厳とは、この関係性としての「ただ生きているだけ」の別名、すなわち、関係性としての《いのち》の別名なのである。そしてさらには、この別名は、人間に対してのみならず、一匹の動物、一個の石に対しても、あてがうことができるように思われるのである。
 以上、科学的生命観と人生論的生命観についてお話しした。しかし、私の話は、本当は皆さんには見えていることを、とりわけ脳死状態や植物状態の患者と共に生きている方々には見えていることを、単に言葉化したにすぎないのではないだろうか。

 

4 参考文献
 小松美彦『生権力の歴史——脳死・尊厳死・人間の尊厳をめぐって』(青土社、2012年)。
 ————『《いのち》は科学では分からない(仮)』(2016年刊行予定)。
 高森朝雄・ちばてつや『あしたのジョー』(講談社、1983—1986年)。
 瀧澤克己『瀧澤克己著作集』(法蔵館、1973—1981年)。
 中島みゆき『中島みゆき全歌集 1987—2003』(朝日文庫、2015年)。
 夏目漱石『それから』(新潮文庫、1948年)。
 ハイデガー、マルティン『形而上学の根本諸概念——世界—有限性—孤独』(『ハイデッガー
     全集 第29/30巻』)、川原栄峰/セヴェリン・ミュラー訳(創文社、1998年)。
 ————『存在と時間』、熊野純彦訳(岩波文庫、2013年)。
 フーコー、ミシェル・渡辺守章『哲学の舞台』(朝日出版社、1978年)。


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第8回市民講座の報告(2-1)

2015-09-06 19:40:29 | 集会・学習会の報告

第8回市民講座の報告(前半)

脳死・臓器移植について考える第8回市民講座(2015年5月9日)講演録

国策と犠牲  医療現場から見える現代医療のゆくえ

 

 2015年5月9日に行いました第8回市民講座の講演録を報告します。
第8回市民講座では、脳外科医の山口研一郎さんに講演をお願いしました。山口研一郎さんは、脳神経外科医で山口クリニック院長として、高次脳機能障害の患者さんの治療等にあたっておられます。昨年10月、『国策と犠牲―原爆、原発そして現代医療のゆくえ』を社会評論社から出版されました。
 「アベノミクスの第三の矢」として「先端医療特区建設、海外からの患者誘致」「混合診療の自由化」等が強力に推進されようとしていますが、「国策」が歴史的にどのような犠牲を強い、現在に繋がっているのか?山口さんは、新聞や統計資料を基に作成されたレジュメに沿って、2時間半にわたり熱のこもったお話をして下さいました。以下、報告いたします。(川見公子)

 

山口研一郎さんのお話
山口研一郎さん 本日は、「医療現場から見える医療のゆくえ」と題し、特に先端医療に絞ってそれをめぐる医療・福祉の情況と、それによって私たちの何がどのように変わるのか、お話しさせていただきます。1990年代の初め(1992年1月)に脳死臨調最終答申があり、ちょうど同じ時期、脳死を経て亡くなった9歳・女児のことについて本を出版しました(『有紀ちゃんありがとう-「脳死」を看続けた母と医師の記録』社会評論社)。それをきっかけに医療や科学技術、その歴史的経過をひもとく活動を行い、高槻を中心に「現代医療を考える会」の活動を行っています。2013年7月、原発に伴う科学技術の問題を取り上げたシンポジウムを行いました。シンポでは、「戦中戦後を通して、科学技術の発展によって人々は幸せになれたのだろうか?一部を除いて多くの人に犠牲を強いたのではないか、犠牲を伴って科学技術はさらに発展してきたのではないか」と、議論になりました。そこで、シンポジウムの講演記録を編集して『国策と犠牲-原爆・原発 そして現代医療のゆくえ』を社会評論社より2014年年末出版したわけです。
 何が国策で何が犠牲なのか、パワーポイント・レジュメにそって話していきます(以下、太字、表、図はレジュメより引用)。

1)戦中・戦後における日本の科学技術は、「国策」(「国益」)の名の下に、国内外の人々に徹底して「犠牲」を強制しながら進められてきた。また、その「犠牲」によってさらに「国策」を推進させるという、負の連鎖の構図ができ上がった。

2)戦時中(1939~45年)、「関東軍防疫給水部」(七三一部隊)は中国侵略戦争において、生物・化学兵器を使用するため、その研究・開発を目的に、大陸に住む人々3000名余りを対象に人体実験・生体解剖を実施した。戦後それは、ワクチンや血液製剤の生産へと結びついた。
 
 戦時中の医学・医療で避けて通れないのが、731部隊(生物・化学兵器部隊)の存在です。そこに日本の科学技術が総動員され、3000名余りの中国人や朝鮮人を犠牲にして医学研究が進められました。無視できないのは、その医学研究が戦後の医療に反映されていることです。731部隊は「戦時下とは言え、医学の名による犯罪であった」と言いながら、一方で有効だったという人もいる。「医学の本質とは何か?医学としてどこまでが許されるのか?」を、ナチス・ドイツの医学同様根底から問うべき事実があるにもかかわらず、戦後日本の医学界は「731部隊」そのものを全く不問にしているのです。

 

3)戦後の科学技術による犠牲の数々(1) 
 広島・長崎への原爆投下(1945年8月)
→被爆者に対するABCC(原爆傷害調査委員会)による 治療なき被害実態・追跡調査
→冷戦下における 核兵器開発競争
→「原子エネルギーの平和利用」(1953年、アイゼンハワー米大統領の国連演説)、「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地」(手記集『原爆の子』序文より)のかけ声の下、原発の推進
 
 戦争末期に広島、長崎に原爆が落とされました。私は戦後の長崎出身で自宅は長崎市の郊外にありました。通っていた小・中学校が爆心地に近く、被害跡を間近に見て育ちました。1951年秋に広島で出版された『原爆の子』には「広島こそ原子力時代の誕生地」とあり、被害を逆手に利用しようとする形のエネルギーが生まれたのです。先ほどの731部隊の許しがたい犯罪が医療に反映され、戦後プラスに転化されていったことと同じ問題を孕んでいると思います。

 

4)戦後の科学技術による犠牲の数々(2)
 水俣(1956年5月発見、「チッソによる有機水銀中毒」の判明は1968年)や三池(1963年11月の炭じん大爆発)における 企業優先(地域住民や労働者の人命・人権無視)の策謀
「いわれなき差別や抑圧のある所に被害が起こる」(元熊本学園大学教授、故原田正純氏)
→石炭から石油、原子力への エネルギー転換

 戦後の科学技術上の問題として水俣・三池がありますが、これは公害ではなく人災です。故・原田正純さんは「言われなき差別や抑圧のあるところに被害が起きる」と、指摘されました。被害があったから差別が始まったのでなく、元々差別のあったところに被害が起きたというのです。
 長崎の浦上地区は元々隠れキリシタンが住んでいたところでした。原爆投下の本来の目標は三菱造船所だったと言われていますが、浦上まで風に流されて落下し、カトリック教徒の精神的支えであった天主堂が破壊されました。医師でカトリック教徒であった永井隆氏は被爆医療に携わりながら、自身も白血病になりました。浦上に原爆が落ちたことを嘆くカトリック教徒の人々を何とか慰めようと、これまで謂れなき差別を受けてきた自分たちの頭上になぜ原爆がという人々に、浦上の人たちは神に選ばれたのだと訴えました。篠原睦治さんが「なぜ、いま、永井隆を問うのか」(『社会臨床雑誌』第23巻第1号、2015年4月)を書かれていますが、私もロシナンテ社が本年春に発行した『むすぶ』に「余りにも似通ったナガサキとフクシマの実態」を書きました。そこで、被曝の象徴であった浦上天主堂がなぜ取り壊されたのか、どういう政策的な意図があったのかについて検証しています。

 

5)戦後の科学技術による犠牲の数々(3)
 エイズに汚染された非加熱製剤の使用による1800名の血友病患者のヒト免疫不全ウィルス(HIV)感染(1980年代)
→厚生省の「エイズ研究班」(1983年 6月発足)班長・安部英氏らによる研究論文(1988年)
→熊本大学内科学教室におけるエイズ治療薬の研究・開発
→第三世界における治療薬販売の独占
 
 かつて731部隊に参加していた人達がつくったミドリ十字(元日本ブラッドバンク)という製薬会社において、血液製剤が作られました。血液を成分化して輸血に使う、その手法を考案し取り入れたのは731部隊です(部隊では乾燥化させる技術も開発)。その成果を利用したミドリ十字で作られた血液製剤によって1800名が薬害エイズに感染しました。薬害エイズは80年代に大きな問題になり、血液製剤によって血友病の患者に感染が起きているのではないかということが分かった時に、厚生省のエイズ研究班の班長だった安部英が論文を書く。「血友病の患者に起きたHIV感染がどういう経過をたどるのか」という論文です。国立予防衛生研究所(予研)は薬剤としての使用の可否をチェックする機関ですが、予研からは日本の血液製剤はHIVに感染しているのではないかという論文が早い段階で出ていました(1983年)。ミドリ十字はそれを知りながら販売し、安部英は論文を書き、エイズの治療薬が開発されていくという過程がある訳です。これはあまりにも象徴的で、日本の科学技術が人々を犠牲にし、犠牲の上に成り立って、さらに科学技術が新たな発展を遂げていく。それを企業が利用して企業利益に転化していく。それが繰り返されてきたのではないかと思います。

 

6)戦後の科学技術による犠牲の数々(4)
福島第一原発爆発事故による放射能汚染
①小児甲状腺がんの多発(112人:2700人に1人)
②高汚染地域、汚染水問題
③廃炉作業(原発労働者の被曝)
④帰村困難(仮設住宅の長期化、孤独死)、 補償打ち切り
→「原子力というものはどんな悲惨な事故を起こしても誰も責任をとらない」「原発は差別 の上でなければ成り立たない」(2015年2月27日、小出裕章氏退職講演)
→「被曝治療薬」の研究・開発(「原発事故や核爆発だけでなく、がんの放射線治療による副作用にも効く可能性」2015.1.23付『朝日新聞』)
 
 4年前の福島原発事故によっていろんな問題が生じています。①②③④とあげましたが、これだけではありません。小出さんは「どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らない」と言っています。科学者‐専門家も、企業も、政治家もです。しかも「原発は差別の上でなければ成り立たない」と。薬害エイズでもそうですが、科学技術の発展の過程に、差別が内在していたことは現実です。原田さんも小出さんも言うように、専門家は誰も責任をとらなかった、それが連綿と続いているのです。
 2週間ほど前に第27回日本医学会総会が京都で開催されました。京都大学は、731部隊の石井四郎部隊長の母校で、731部隊の200名ほどの医師の多くが京大関連の大学出身です。いわば京都は731の発祥の地です。20数年前から私はこのことを言い続けてきました。私が大阪に来て3年後の1991年に、同じ京都で医学会総会がありました。当時は医学会総会の場で「戦争と医学」に関するパネル展示が行われました。今回はそれが実現できずに私たちだけで展示会を行いました。その中で問われたことは専門家の立場です。あれだけの戦争犯罪を犯しながら、だれも罪に問われなかった。医師・科学者の犯罪的な殺人行為は断罪されてしかるべきであって、ナチスの医師は処刑されましたが、石井隊長以下全ての隊員は免罪されました。免罪の歴史は、水俣・三池、薬害エイズ、フクシマ・・と、ずっと続いている。専門家の姿は戦時中の立場を引きずっている。日本の科学技術は、誰も責任を問われないから何でもやりましょうとなってしまうのではないか。これが現代でもまかり通っているのです。
 エイズ治療薬と同様に、原発の問題に関しても、被曝治療薬の開発が行われているのです。被曝治療薬が癌の放射線治療による副作用に対する薬として広がっていくのではないか、責任を取らずにプラスに転化しようとする構図が浮かび上がります。

 

7)日本の医療はどこに向かうのか(1)
 「社会保障としての医療」から「経済活性化のための医療」への変質
-「2025年問題」を背景に、日本の医療・福祉に徹底した質的変化、合理化が求められている
→人の存在意義の変更
①誕生の意味の変更
②人体の利用・商品化
③死生観の変貌
 
 ここからが本論です。この会では、脳死・臓器移植について2009年に改定された法律を問題にすると同時に、尊厳死法案が国会に上程されようとしている中で、どう考えるか問題提起されていますね。一方医療現場では、尊厳死法を先取りした事が行われています。人間の誕生の問題、死の問題、終末期の問題も山積みしていますが、ここでは今の医療や福祉の現状を見ておこうと思います。現在、社会保障としての医療から経済活性化のための医療へと変質しつつあります。キーワードは「2025年問題」です。その中で①②③の必要性が出てきています

 

8)日本の医療はどこに向かうのか(2)
戦後堅持されてきた「社会保障としての医療・福祉」
①憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(1947年5月施行)
②国民皆保険「いつでも、どこでも、誰でも」(1961年4月)
-「金の切れ目は命の切れ目」の解消、地域格差の解消(「フリーアクセス」)
③1973年、70歳以上医療費無料化(「福祉元年」)
④2000年、公的介護保険開始
-様々な矛盾も
 「悪徳病院」「待合室のサロン化」「コンビニ受診」「ハシゴ受診」「三時間待ち三分診療」「スパゲティ症候群」

 社会保障としての医療・福祉は、これまでは不完全ながらも堅持されてきました。問題もありましたが、社会保障が目的であることは医療の大前提であった訳です。ここで、元朝日新聞記者で現役時代医療関連の連載記事を担当されていた田辺功さんのお話をお聞きしたいと思います。「社会保障としての医療の現実と矛盾」について、メディアの立場でお話してください。

会場風景田辺さん:日本が誇る国民皆保険制度ができて医療を受けやすくなりましたが、供給過剰と需要の側の満足度の二つの問題が出てきました。量的に保障することが国民皆保険制度だったが、質が問われなかった。よい医療を医師は行わなければいけないという意識が薄いまま保険で支払われると、医療は必ずお金が取れるが良い製品か悪い製品かを誰もチェックしない。例えば「3時間待ちの3分診療」、検査や様々なデータがなければ分からないという医師が増えているのに、3分間話を聞いただけで分かるのでしょうか?どういう医療にも保険からお金が支払われ、良い医療を評価するシステムがないので、医師は良い医療をする意識がなくなってしまったのではないかと思います。今後は、良い医療が評価されるというふうに持って行かなければいけないと思っています。
 実施当初、それまで医療を受けることがほとんどできなかった(当時を知る人には、医師は最期の脈を確認するためだけに来ていた、僧侶と同じ役割だった、と言う人もいます)人々にとって大きな福音でした。それが時代の経過に従い様々な矛盾を生み出した、とも言えます。皆保険制度下において医療が理想的に行われた時代もありました。その時代の象徴が、京都・西陣の早川医師の実践です。娘の西沢さんが来ているので、後ほど早川医師の思いを紹介して頂きたいと思います。危機の現状をどう乗り越えるべきかを考えたいと思います。

 

9)日本の医療はどこに向かうのか(3)
台頭する「経済活性化のための医療」
①医療産業特区:2003年、小泉政権「先端医療開発特区(スーパー特区)」構想
-神戸における震災後「創造的復興」の一環としての「先端医療産業特区」(1998~99年)
②「メディカル・ツーリズム(医療観光)」(2009年12月管内閣「新成長戦略」の一環)
-神戸国際フロンティアメディカルセンター(2014年11月設立)における「生体肝移植」(「移植ツーリズム」)
③環太平洋経済連携協定(TPP)-株式会社による病院経営、自由診療の介入、医薬品・検査内容の特許化、生命保険企業・ヘルスケア産業の進出
④「患者申出療養」の制度化(「混合診療」の一般化)-国民皆保険制度の実質的崩壊
 
 社会保障としての医療が経済活性化のための手段として使われようとしています。読売新聞に掲載された記事(2013年5月8日付同紙)ですが、医療を産業化し国を動かす力にと提言し、それが進行しているのです。具体的には、神戸に作られた医療産業特区や医療観光、またTPPでも医療が取り沙汰され、来年からは保険対象でない医療内容を患者の希望にそって提供し保険診療と共存させる「申出療養」が始まろうとしているのです。
 神戸のフロンティアメディカルセンターの件をご存知でしょうか。4月12日に閉幕した日本医学会総会ですが、終わった途端に「生体肝移植で4人死亡」という記事が出ました。関西では毎日大きく報道されています。医学会総会の代表である三村裕夫さんが神戸の先端医療センター長もされているのです。メディカルセンターでの生体肝移植問題は、かつての731部隊の人体実験と構図的には似通っていると感じます。このセンターは設立過程で問題になり、当初はアラブ首長国連邦から資金を調達してセンターをつくると報道されました。アラブのお金持ちを引き寄せ、自由診療で行うと。これに地元の医師会が反対しました。アラブの人たちが生体肝移植をする時に「仮の家族」を連れてくる。「家族だ」という人から肝臓の一部を取って移植した後、偽りの家族へ謝礼として金品が渡され、その結果臓器売買にならないか、と言ったわけです。もう一つは自由診療なので、日本人で受けたいという人も自由診療になる。それは自費扱いとなり、皆保険制度を危うくする、だから反対だと。
 そんな経緯でメディカルセンターは日本の保険制度下で行うことになり、昨年11月に開院しました。つくった以上患者を集めて経済的にも成り立たせなくてはならない。重度な病態の患者に対して手術の適応や術後の管理を十分に検討しないまま行った結果が4名死亡となったのではないか、無理な手術をしたのではないか、と感じています。日本の医療現場が患者中心の医療ではないことの象徴であり、731部隊の考え方に通じます。医学会総会で日本の医師たちが討議すべき内容だったと思います。

 

10)2025年問題とは

(1)団塊の世代(1947~49年生まれ)
                   乳幼児期     70歳以上の時期    比較
総人口              8320万人     1億2410万人     1.5倍
70歳以上人口           234万人        2797万人           12倍
高齢化率(65歳以上)      4.9%      29.1%      24.2%増
社会保障給付費         1261億円            134.4兆円        1066倍
                                                              (2014年7月9日付『読売新聞』)

 (2)現在と2025年との比較
                          2010年               2025年         比較
75歳以上                     1419万人                 2179万人         1.54倍
15~64歳                    8174万人               7085万人         0.87倍
65歳以上の単身世帯    498万世帯                   701万世帯      1.41倍
認知
症                        280万人                      470万人          1.68倍
医療給付費                 37兆円(2014年度)         54兆円          1.46倍
介護費                        10兆円(2014年度)        21兆円           2.1倍
                                                           (2014年6月19日付『朝日新聞』)

(3)人口ピラミッドの変遷(高齢化する団塊世代)

人口ピラミッド1970年人口ピラミッド1950年



 

 

 

 

 

人工ピラミッド2020年人口ピラミッド2000年


 

 

 

 

 

(※1950、70、2000年は国勢調査。2020年は国立社会保障・人口問題研究所の推計)

 

(4)社会保障給付費の推移変遷(2014年7月9日付「読売新聞」)
 
 会場風景これは団塊の世代が70~75歳になる頃を示した表です。単身世帯が増え、つい最近の朝日の記事では認知症が700万人になるとありました。700万人だと65歳以上の人の5人に1人になる。65歳以上の5人に1人とか、いずれ3人に1人が認知症というのは、はたしてこれが病気と言えるのか。社会の中で認知症がこれだけ取り沙汰されなければならない理由は何だろうか。社会構造や人間関係、高齢者が置かれた立場を考えなければいけないと思います。
 しかし、実際の医療現場は無力です。認知症の治療は全て薬に頼り切っている。現在4つの治療薬が出ており、どれを使うのかという議論しか学会では行われない。一昔前なら環境的要因など違った見解もあったのですが。社会保障費は1950年当時の1000倍にもなると読売新聞の記事は紹介しています。現在の医療・福祉は、この「2025年問題」から出発していることを冷静に受け留めなければなりません。そこで取るべき方策とは何か?が、私たちに問われているのです。

 

第8回市民講座の報告(後半)は、次ページをご覧ください。


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第8回市民講座の報告(2-2)

2015-09-06 18:16:00 | 集会・学習会の報告

第8回市民講座の報告(後半)

 

11)2025年に向けた法・制度改定(1)会場風景
2012~15年の法律や制度改定の過程
・2012年8月、「社会保障制度改革推進法」成立
・同11月、社会保障制度改革国民会議がスタート
・同11月、日経連が「社会保障制度のあり方に関する提言」
・2013年5月8日、『読売新聞』が「医療改革に関する提言」を発表
・2014年4月、「平成26年度診療報酬改定」
・同4月9日~13日、『読売新聞』が「日本2020・人口減社会」 の連載記事
・同5月31日、NHKスペシャル
「日本の医療が危ない!?団塊の世代が高齢化-そのとき何が起こる?」
・同6月、「地域医療・介護推進法」成立
・同秋、「尊厳死法案」国会上程を準備
・2015年4月、介護保険制度大幅改定(介護報酬引き下げ)

 

12)2025年に向けた法・制度改定(2)
「社会保障制度改革推進法」
①公助→自助・自立、共助の考え方を基本
②民間サービスの積極的利用
③終末期医療の見直し
④社会保障制度改革国民会議がスタート
 →2013年8月、最終報告書
「2025年モデル」の下、 医療・介護・年金の社会保障三本柱

 

13)2025年に向けた法・制度改定(3)
「平成26年度診療報酬改定」
①7:1入院基本料:現在36万床→2025年度18万床に
そのために、90日を越えた入院は基本料を下げ、在宅復帰率を75%以上に
②胃瘻造設術の点数引き下げ
  -造設術件数50件以上ではさらに引き下げ
  -「胃瘻抜去料」の新設 (20000円)
 →1)平均在院日数の運用の厳格化
      2)医療・介護必要度や重症度の厳格化
      3)「病院から地域(在宅)へ」を促進

 

14)2025年に向けた法・制度改定(4)
「地域医療・介護推進法」の中身(医療)
①医療機関のベット数(特に急性期用)の削減
 →「高度急性期」(7:1)、「一般急性期」、「回復期」、「慢性期」に区分分け
②入院日数の制限
 →地域(在宅)復帰促進
 →「難民化」

 たくさんの法律や制度ができて今日に至りますが、2012年8月の社会保障制度改革推進法には「自助・自立、共助」が謳われています。この言葉を国が謳うのは矛盾していないでしょうか?人間関係が合理化され地域での付き合いが希薄になる中で、いくら「共助」を強調しても無理があります。現実にはやれないから民間サービスに頼るしかないのです。福祉が企業のドル箱になり、国民会議がスタートして「2025年モデル」を強調します。それに基いて診療報酬の改定があり、医療現場における方針は、急性期のベッド数を減らして早く家に帰す、「病院から地域へ」とするものです。
 もう一つは胃ろうを減らすこと。その方法として、「胃ろうは必要ない」とは言わずに造設術の点数を下げ、抜去料の点数を上げたのです。造設術は10万円が6万円になりました。抜去料は2秒か3秒で抜くだけなのに2万円差し上げますと。その結果、国が「胃ろうを減らしましょう」と言わなくても皆そのようにしてくれるわけです。最終的な集大成である地域医療・介護推進法は昨年の6月に成立しましたが、「集団的自衛権」行使容認の問題が出てきた時で、そちらに関心が向いている間に大変な法律が通ってしまったのです。その内容を一言でご紹介します。急性期のベッド数を半減するのです。そうすると急性期の段階で家に戻らざるを得ず、患者が難民化することになります。

 

15)2025年に向けた法・制度改定(5)
「地域医療・介護推進法」の中身(介護)
①特別養護老人(特養)ホームへの入所:「要介護3」以上
 -「単身世帯」や「老老介護」世帯の生活破綻
②「要支援者」は介護保険のサービスではなく、 市町村やボランティアによる支援
③年金、年収280万円以上なら、介護料の自己負担2割に

 

16)2025年に向けた法・制度改定(6)
「地域医療・介護推進法」の中身(「地域包括システム」への民間企業の参入)
① ヘルスケアサービス:予防、健康管理
② 医薬品販売:インターネットの利用
③ 医療機器・介護機器の貸し出し(リース)
④ 人材派遣:医師・看護師・ヘルパー
⑤ 健康産業:運動指導、食事提供
⑥ 各種保険サービス

 介護分野では、まず特養ホームの入所条件を要介護3以上にしています。単身世帯や老老介護が過半数を占める状況で、要介護度2以下の場合、行き場がなくなります。また、要支援は介護保険の対象から外されます。介護や医療を在宅で十分に受けられない状況が生じ、「地域包括システム」に民間業者を入れるというのがこの法律です。こうなると、お金がないとやっていけない。お金がない人は「早くお迎えが来てほしい」ということですよね。私も民間の医療機関で仕事をしていますと、お年寄りからそういう話をたびたび聞きます。そういう気持ちにならざるを得ない状況が生じているのです。
 江戸時代にもこういう問題はありました。福祉が十分であったわけではないが、お年寄りは守られていたのです。それは「近隣の協力が得られる」からだとされています。これが一つのヒント。もうひとつは早川先生の地域医療福祉、西陣の「行き往き」です。三つ目が千葉大学の広井良典さんの『コミュニティを取り戻す』。地域力を取り戻す必要がある、と書いています。地域にコミュニティーがないこと、繋がりないことで起きている問題がある、とされています。以上三つを紹介し、少子高齢化社会における処方箋として提示しました。
 それでは国は有効な処方箋を持っているのか?作ろうとしているシステムが有効ではないことを、厚労省も分かっているのではないかと思うのです。「70歳になったら死にましょう」という訳にはいかない。地域福祉に関する会議の場でも、「皆さん早めに死んでください、というのが厚労省の本音ではないか?」という話が出てくるほどです。今や、社会の状況を変える、あるいは人々の考え方を変えるしかないというのが、国の姿勢ではないでしょうか。そこで出されてきたのが、人間の存在意義の変更になります。誕生、人生、終焉の三つの過程をうまく操作していくのが最後の手段ではないか、ということなのです。以上について、医療・福祉の現場の状況は以下の通りです。

 Aさん(70代、男性)が、脳内出血で救急医療機関へ搬送。早い段階での治療により、大きな障害を残さず、一定の介護があれば日常生活ができる程度にまで回復。入院後1ヵ月になろうとしていた頃、家族(70代妻、リウマチ)が呼ばれ、「そろそろ退院を」との話あり。「私も高齢で、今夫を看るのは大変です。リハビリをかねて入院できませんか」と頼むも、「病院の規則(国の方針)ですから」との説明を受け退院。
 在宅に戻ると困難が山積みで、介護保険は「要介護2」。日中はディサービスやヘルパーの利用も可能だが、夜間は妻の介助が必要であり、「共倒れ」しかねない。特養ホームに登録するが、「要介護3」以上しか対象にならない。ケアマネージャーに相談すると、利用できる民間のヘルパー業者があり、介護付き有料ホームに入所する方法もあるとのこと。しかし公的補助が限られるため、手元のお金を崩し、いつまで生活可能なのか不安の日々。いっそのこと、二人一緒に「お迎え」がきたらと考えてしまう。

 

17)医療・医学における存在意義の変更(1)
誕生の意味の変更

生殖医療における新型出生前診断や着床前診断
①新型出生前診断(MDS法、妊娠10週の母体の血液検査):2011年10月、米バイオ企業が開始
 米国:妊婦の6割(260万人)が診断  →年間売上約600億円
 「数百万、数千万人が対象の新型検査は、ヒトゲノムがもたらした最初の『大鉱脈』だ」(検査会社社長)
②着床前診断
 (PGS、2014年11月、日本産婦人科学会臨床実施を了承):体外受精による受精卵の染色体を検査、
 従来のFISH法(目で確認)からアレイCGH法(DNA読み取り)へ
 →「命の選別」「デザイナーベビー」の誕生(優生思想)へ

 そこで、国は何を考えているのかをご紹介します。
 まずは誕生の問題。これには二つの流れがあります。新型出生前診断と着床前診断。日本では、2012年9月以降新型出生前診断が医療現場で急激に行われるようになって、2013年4月から2014年3月までの1年間で、7740人が診断を受け142人が陽性、うち113人に羊水検査で異状があり、100人が中絶したとのことです。実に97%が中絶しています。それに対してアメリカでは260万人が受診し、中絶率は75%です。その数字の違いは、日本における社会構造に由来するのでしょうか?それとも障害を持った方の生きづらさでしょうか?ここで私が強調したいのは、医療が経済活動の対象になっており、米国では既に新型出生前診断のみで約600億円の売り上げを上げていることです。
 もう一つは着床前診断。これは体外受精が前提です。受精卵の「異状」を調べるものですが、誕生が“授かる”ものではなく作る(いのちを選別し、「デザイナーベビー」を人工的に作る)ことに置き換わってしまったということを実感します。

 

18)医療(医学)による人の存在意義の変更(2)
「健康」「予防」に名をかりた集団管理-100万人ゲノムコホート(大規模調査)研究
①目的:「危機的な少子高齢化時代を迎える我が国にとって、病気の超早期発見と発症前の治療的介入による予防法の確立は、活力ある健康長寿社会を構築するために不可欠である。……。その成果は、疾患の原因解明と予防・治療法の開発を通した、世界に一歩先んじた高齢化社会の健康長寿モデルの構築につながる。加えて、人間の持つ健常形質の多様性の解明や、生物が共有する基本的生命現象を発見する大きな可能性を秘めた究極の“ヒト生物学”として生命科学分野に多大な貢献が期待される。また研究に必要な様々な先端解析技術の開発と実用化・汎用化は、我が国の科学技術全般や産業界に大きな技術革新をもたらす。超高齢化社会の我が国にとって、予防に関する情報を用いた新たな健康産業の創出や、保険医療情報の電子化による新時代の保健医療システムの構築も極めて重要である」(日本学術会議、2013年7月)
②予算:1000億円(300億円は民間企業より調達)
③「マイナンバー制」の導入と連動(固有IDの携帯)
④産官学連携:1)新しい創薬、疾病予防の健康産業 2)オーダーメイド医薬品 3)バイオマーカー(疾患の発症・増強に関与する因子)発見による診断薬の開発 4)精密機械・医療素材産業への情報提供 5)食品、健康食品などの食品関連産業 6)IT企業
⑤先行実施:東北メディカル・メガバンクなど
 
 日本人を対象にした遺伝子の大規模調査が始まっています。「ヒト生物学」という言葉はこの研究の性格を象徴し、「我が国の産業界に大きな技術の革新をもたらす」という言葉は100万人ゲノムコホート計画が産業界に多大な恩恵をもたらしますよというものです。1000億円のうち300億円は民間企業から出させ、マイナンバー制と連動することでIT企業にも莫大な利益をもたらします。

 

19)東北メディカル・メガバンク機構(TOMMO)2012年2月1日発足
目的・内容:
①宮城県(東北大学)、岩手県(岩手医科大学)の太平洋沿岸部被災者が対象
②地域住民(ゲノム)コホート(大規模疫学調査):20歳以上の成人8万人
③三世代コホート:子世代(新生児)、親世代(妊婦)、祖父母世代の7万人 
問題点:
①「創造的復興」の一環。特にゲノムの集積・研究は、被災者の生活の再建には無縁
②研究成果は研究者の業績に貢献し、挙句は製薬・医療機器・IT企業に恩恵をもたらす
③「社会的弱者」としての被災者を対象とした研究は、「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」を定めた“ヘルシンキ宣言”(1964年6月、世界医師会)に抵触

 東北のメディカル・メガバンクですが、15万人が対象になっています。機構主催の説明会でも、住民からの「恩恵は何か」という質問に、「あなたたちに恩恵がある訳ではないが、研究の意義が高く、子孫に恩恵があるかもしれない」と答えています。被災地の「社会的弱者」に対して、検査を受けてほしいと言ったとき、受けないと言えるかどうかです。言えない立場の人を対象とした検査は、ヘルシンキ宣言で禁止されているのです。それは元々ナチスの医学への反省から発したニュルンベルグ宣言(1947年)に基づく、世界の約束事であるのに、一大学の名でやってしまう。戦時中の医療を見つめ直す機会を持たない結果が、ここにも表れているのではないでしょうか。

 

20)医療(医学)による人の存在意義の変更(3)
人体部品資源化・商品化
① 遺伝子ビジネス
 1)遺伝子検査による将来のがん発生予防のための臓器・組織(乳房、卵巣)切除
 2)遺伝子解析サービス:体質、将来の病気の予測
 3)進学塾における差別化のための遺伝子検査
② 脳死・臓器移植
 「慎重」な「脳死判定」の下、「脳死体」より臓器・組織の提供
 →有効な臓器・組織の利用のために、「脳死判定」をいかにスムーズに進めていくか
③ 再生医療:ES細胞、iPS細胞
 -国や経済界・企業より多大な期待、莫大な研究費、特許獲得競争(STAP細胞事件)
 
 人生における日常生活の中に、現在遺伝子産業がはびこっています。『朝日新聞』に掲載された先端医療に関する記事を紹介します。遺伝子検査によって、癌の予防のために臓器を摘出する。人のDNAを東京大学で解析し、企業と大学が一体となって研究を行い、公然とビジネスにつなげる。塾の生き残り策として、「塾に来たら遺伝子検査をしてあげますよ。勉強に向く子どもかどうかをみてあげる」と、教育の中に遺伝子検査を取り入れる、こういうことが行われつつあるのです。
 脳死・臓器移植に関しては、現在の医療現場における具体的な実態について教えてほしいという質問が、本日の市民講座に際して来ています。現場の詳細は分かりませんが、流れとして、誰からも批判されない形で慎重にやろうというのではなく、どちらかというと臓器移植が目的になり、その為に判定を早く進めるという動きになっています。
 一方脳死移植は、他人を当てにした医療だから反対という人々の中に、再生医療は自分の体細胞を使って行うのでいいのではないか、という考え方を持った人がいますが、私には懸念があります。先日、神戸で網膜移植がありました。これは自家移植ですが、1年かけ1億円かかっている。1年もかかってしまうものを臨床に応用するのは難しいと、今後自家移植はすべてやめて他家移植に切り替えると、新聞報道されています。それだと1000万円でできる。それでも高額です。これは今後「申出療養」の対象になってくるのではないかと思います。他家移植になるとあらかじめ生産することになります。山中伸也さんはiPS細胞の研究にお金が足りないと言っている。国から年に20億円出ていますが、結局、武田薬品と提携して200億円出してもらうことになりました。武田と京大が共同で特許を持つことになったのです。今後iPS細胞の研究も企業のビジネスとして行われていくのではないかと考えられます。薬害エイズにおいて汚染された非加熱血液製剤を処分せずに使ったと同様に、企業主導となると、また同じ様な問題が生じてくるのではないかと懸念します。再生医療は脳死・臓器移植に代わる夢の医療ではない、と考えておかねばいけないでしょう。

 

21)医療(医学)による人の存在意義の変更(4)
脳死・臓器移植
 1997年10月の臓器移植法施行以来317例(2015年3月)の脳死移植の過程で、以下が進行
①本人意思の不明が増加:2010年7月の改定法施行後は、231例中172例(75%)
②原因が明らかにされていない事例が増加:多くが「低酸素脳症」であり、「自死」の例が多いと考えられる-「特定秘密保持法」下、どうなる?
④ 6歳未満の児童の脳死判定:3例(2014年12月の時点)-「虐待の有無の判断は不要」との論も!
④家族への選択肢(オプション)提示をマニュアル化-パンフレットの作成(福岡県など)
⑤ドナー家族への「グリーフワーク」「グリーフケア」の勧め
⑥脳死判定・臓器提供手順の簡略化、時間の短縮化
 (例:1回目の脳死判定後にレシピエント選定)-「検証会議」不要論

 脳死移植に関しては、今年の3月の時点で317例の移植が行われていますが、多くが本人の意思不明であり、また脳死に陥った原因が明らかでない。最近言われているのは低酸素脳症が多い。それは一般には自死行為の結果です。6歳未満の乳幼児からの提供が少なくあい変らず海外に行っているから、虐待の子からも提供を受けたらどうだろう、彼らは元々無権利状態であったのに、その上その子から提供の権利を奪うのか、というのです。
 脳死・脳蘇生学会という日本脳神経外科学会傘下の組織は、従来脳死状態の人をいかに助けるかと、脳低温療法が発表されたりしましたが、最初の臓器移植法が成立した97年を境に、移植をするためにどうしたらいいかというテーマに代わりました。今はスムーズに移植を進めるノウハウばかりで、語られることはオプション提示の話。その為にはパンフレットを作っていますよ、ドナー家族へのグリーフケアを進めましょう、と言うことです。最近は、看護師の中に悩んでいる人がいるから悩みの原因を分析しようとか、小児科の医師が物足りない、小児科医は臓器移植に対して消極的だ、医療者に対してもグリーフケアをしましょう、と言っている。これは本末転倒です。他人の臓器を取り出し移植する行為の中で生じる当り前の悩みや気持ちを、無理に押し殺し入れ替えさせようと、いろいろ行われている。
 また、移植までの時間がかかり過ぎだから、第1回目の判定でレシピエントの選定を、と言っている。本来は2回目の判定後に動き出すわけですが、結果的には2回目は関係ないということになります。検証会議はもういらないのではないかということになっています。特定秘密保護法ができた段階でさらに拍車がかかり、医学の情報を漏らすのは良くない、検証会議には医師以外の人はいない方がいい、廃止してもいいという主張がどんどん出てきています。厳密な判定という姿勢が失われている状況です。

 

22)医療(医学)による人の存在意義の変更(5)
会場風景3死生観の変貌
医師に関係する「尊厳死法案」条文の概略
第四条(医師の責務):医師は、延命措置の中止等をするに当たっては、診療上必要な注意を払うとともに、終末期にある患者又はその家族に対し、当該延命措置の中止等の方法、当該延命措置の中止等により生ずる事態等について必要な説明を行い、その理解を得るようつとめなければならない。
第六条(終末期に係る判定):「終末期に係る判定」は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う判断の一致によって、行われるものとする。
第九条(免責):第七条の規定(意思表示をした満十五歳以上の患者が終末期の判定を受けること)による延命措置の中止等については、民事上、刑事上及び行政上の責任を問われないものとする。

 尊厳死に関しては、法律案が既に発表されていますが、医師が数人集まってこれ以上の治療の継続は難しいと判断し死期を早めても、責任は問わないとしています。このように尊厳死法案は、一見医師を守る法律として作られていますが、その内容の一つひとつに様々な問題を含んでいます。実際の例を示すと以下のようなことがあります。

 担当している患者さん(七〇代・男性、脳損傷後で意思疎通不能)のお連れ合いより、夫の妹さん(七〇歳)のことで相談を受けました。脳内出血で重篤となり、入院して三ヵ月が経過。気管切開の上、人工呼吸器を装着。意識はあるが、声は出せません。元々独身であり、唯一の身内は八八歳になる姉だけです。もちろん「リビングウィル」なるものはありません。現在の状態がいつまで続くかの予想はつきません。病院にとっては、今後の入院期間が気になるはずです(今回の「診療報酬改定」がそれに拍車)。転院先は容易には見つからないでしょう。在宅生活へ戻ることも二四時間介護が必要なことから困難と思われます。もしここに「尊厳死法」という御墨付きが与えられればどうなるのでしょうか。医師たちは病院側の意向を受け、徐々に治療や栄養補給を削減し、最後は呼吸器を中止することになる可能性もあるのです。それは本人の死を意味します。そこでは本人や家族の気持ちが汲み取られる余地は少ないでしょう。

 この事例のようなとき、家族が治療の継続を望めるかというとできないと思います。意思を守るというが、現実には一方的な治療停止が行われるでしょう。

 

23)医療(医学)による人の存在意義の変更(6)
歴史的にみた医師(医療)の役割①
 ユゼフ・ボクシュ編『医学概論 アウシュビッツ』(日本医事新報社、1982年、絶版)から
 アウシュビッツやビルケナウ(第二アウシュビッツ)強制収容所における250万人から300万人とされるユダヤ人やシンチ・ローマ(「ジプシー」)あるいはソヴィエト人捕虜に対する生体実験や虐殺は、医師や看護婦の協力なしにはあり得なかった。医師や看護婦など医療専門職は、人権や人命にかかわる最前線に立たされており、人々の運命を左右する立場にあった。
-アメリカの精神分析学者ロバート・J・リフトン:「medicalized killing(医療の名による殺人)」

 

24)医療(医学)による人の存在意義の変更(7)
歴史的にみた医師(医療)の役割②
クリスチアン・プロス、ゲッツ・アリ編、林功三訳
『人間の価値-1918年から1945年までのドイツの医学』(風行社、1993年)より
「安楽死を実行するさいに必要な最も重要な条件のひとつは、できるだけ目立たない形をとることです。そのためには、なによりも目立たない環境が必要です。これを可能にするのは、治癒不可能な慢性病の患者、医者が見放した患者、安楽死を与えることが決定されるかもしくはすでに決定されている患者が、不穏患者収容病棟もしくは不治患者収容棟ないしは病舎に収容される、通常の医療施設であることは疑いの余地がありません。これらの施設は……、在来の治療施設と区別されてはなりません。安楽死の指令とその実施は、他の、通常の科でおこなわれる処置とまったく同じ枠内でおこなわれなければなりません。そうすれば、わずかの例外を除いて、安楽死は他の死とほとんど区別のつかないものになります。」
<「T4行動(1939年から45年に実施された20万人に及ぶ精神病患者などの国家的殺戮計画)」に関するある医師の意見>(80~91頁「生きるに値しない生命」より)

 歴史的に見て、ナチスのユダヤ人に対する強制的な殺人や、それ以前の精神障害者(児)に対する殺人は、医療職が運命を握っていました。そういう立場の人がいたからこそできたのです。アメリカの精神学者が「医療の名による殺人」と言いましたが、医療は合法的に殺人を行えるということなのです。ナチスはユダヤ人虐殺の前に精神障害者や難病患者を殺したが、それは目立たない形で行われたとあります。現在の医療現場でも目立たない形で尊厳死や安楽死の行為が既に行われているのです。慢性期病棟で行われる行為の一つひとつが結果的に安楽死や尊厳死に結び付き、法律の先取りをしてしまう、その担い手が医療者であるということを、歴史は教えているのです。尊厳死法案の中にある医師の責任を問わないという文言は、国がやろうとしていることを最前線で担うのは君たち医療者だと言っている、と考えざるを得ないのです。

 

25)医療(学)による人の存在意義の変更(8)
救急・集中治療における終末期医療に関する提言
(ガイドライン):2014.4.29案(概略)
①患者の意思あり→本人の意思に従い治療の開始・中止を決定
②患者の意思なし
 1)家族が治療を希望→「状態が重篤で救命が不可能」であることを伝え、再確認
 2)家族が中止を受け入れ→延命措置を中止
 3)家族が判断できない→医療チームが判断
 4)家族がいない→医療チームが判断
 ⇒終末期の過程がマニュアル化され、医療者はそれに従い機械的に対応

 終末期医療に関する提言のガイドラインでは、患者の意思がある場合には意思に従って治療を開始するか中止するか決める、意思がない時は医師がもう助からないことを説明して家族に判断を促すとなっています。こういうことがガイドラインとして作られたら、将来医師国家試験に選択肢から選ばせる問題として出るだろうと思います。人々の終末期が○×式の選択肢になっていくのです。

 

26)医療(医師)制度の再編
①2017年4月より、「新専門医制度」(各医学会より第三者機関による認定への移行)
-目玉は、「総合診療専門医」
-医師の管理統制の強化(現場の医師の統制を強化するための官僚機構としての第三者機関)
「徴医制」の復活によるナチスの医学や七三一部隊に象徴される医学への逆戻り(健保連大阪中央病院、平岡諦医師)
②看護師:41項目の特定医療行為を実施する実習制度(医師の下で忠実に医療行為を実践)

 現在専門医は各医学会が養成していますが、それを第三者機関に任せるとしました。国が働きかけ管理する機関になります。大阪中央病院の平岡医師は、国が専門医を管理することになるとそれは徴医制と同じではないかと警告しています。ここで、ナチスの医学や七三一部隊の医学への逆戻りではないかというのは、彼らは優秀な医師であり忠実に任務を果たした人だった、その人たちがなぜ非人道的なことをしてしまったのか、国のやり方に忠実に従うとこうなるのだと警告されています。私も同感です。看護師にも医療行為に類する実習を受けさせて、第二の医師に養成していくという国の流れがあるのです。

 

27)促進する医師の二分化
①国の医療政策(市場原理化のために人の存在意義を根本的に変更する)の一翼を担い、臨床や研究活動に従事
②「病気」の身体的要因のみならず、環境的、社会的、精神的要因を重視し、その根源的解決に向けて、患者・家族に寄り添い、共に行動し闘う
 
 今後国の政策においては、いのちをいのちと思わず人々の生死を決めていく、医療を経済活性化のための手段として利用する流れが作られていくでしょう。では、全ての医療者がそれに従うのか、そうではありません。国策に乗る人もいるだろうが、病気の真の解決に向かおうとして、患者に寄り添い、悪い環境や社会を変えていくための闘いに挑む医師や看護師も出てくるでしょう。その流れを市民共々作っていかなければならないと思います。
 ここで西沢さん、早川先生のお話をして頂けないでしょうか。60年近く実践されてきた医療活動の紹介をして頂きたいと思います。

西沢いづみさんのお話
 父・早川一光がやってきた運動についてお話します。
 京都の西陣は、一反の帯を織るのにいろんな職種の人たちが協力し合うところです。図案を書く人、横糸縦糸をよる人、紡ぐ人、たくさんの人が地域で一緒に過ごしている特異的な場所でした。隣人が何を食べているか、子どもがどこの学校に行っているかが分かる地域でした。そこで、1950年、若い医者が住民出資で診療所を建てました。それが後に堀川病院になります。西陣の人たちは、自分たちの体は自分たちで守る。自主・自立・自営の場で、その背景には社会保障としての医療が前提条件でした。1950年は社会保障制度ができる前で、父たちの運動は自主・自立・自営と共に社会保障制度の確立を掲げていました。生活の中に入り込んで、生活医療と呼ばれる細かな医療が始まりました。まずは量的な社会保障制度から始まりました。一方、生活の中で生活にあった医療を求めることになっていったのです。慢性疾患が増え病と共に生き、付き合う、認知症という自然な姿とどう付き合うかがクローズアップされたのが1970年でした。堀川病院に訪問看護の制度ができ始めました。あの頃は看護師の訪問は報酬にもなりませんでしたが、生活にあった医療、患者が求めるものを提供しようとやっていたのです。「行き往き」はコミュニケーション、生活の中から医療が生まれるというところからきていると思います。「認知症と家族の会」が1980年に京都から発生したのも、生活の中から探し出された家族、ボランティアの協力があって、全国に広がっていったのだと思います。家族や地域が安心して互いに支えあえるには社会保障制度のバックアップが必要で、訪問看護制度の確立を並行して求めてきました。
 父は今92歳で、癌で在宅療養をしていますが、病気になって「俺は病人の気持ちが初めて分かった」と言います。訪問看護を受けていますが、「俺たちが作りたかった訪問看護はこんなものでない」と文句を言っています。1960年代とは時代背景が違うし、社会保障としての医療が経済活性化のための医療へ移っているという変化もあるのだと思います。父は訪問看護を週に二度受けていますが、「訪問看護の時間は俺が決める」「いつ来てほしいかは患者が決める。しんどい時に呼ぶのが国民皆保険じゃないのか、俺たちが作りたかった社会保障制度じゃなかったのか」と、看護師さんを座らせて説教をしています。それもそうした歴史からきているのだと思います。
 私たちは兄弟が4人いて、交互に介護に入っていますが、介護保険の中で様々なサービスを受けられる中で、私たちは4人いたからラッキーと感じています。そうでない人はどうしているんだろうか?介護保険のパンフレットは、虫めがねがないと読めないし、若い人でないと理解できないものです。経済活性化のための医療の下に、高齢者や治らない重い病気にかかった人が犠牲になっていくんだという気がします。当事者に犠牲と思わせない巧みな国の方策があります。父は一変した自分を認められないところがあります。「こんな自分ならもういい」と一言いったことがありますが、「こんなことなら死んだ方がまし。お迎え、はよ来んかいな」と言わせる国のシステム、大きな落とし穴があることを、父を介護しながら実感しています。

山口さんの話
 当時早川先生と一緒にやっておられた患者さん方の宣言文がありますが、「老人に対する施策は、サービス内容だけではなく、家庭や近隣が中心になって、老人が一人の人格者として、社会に接触して生活していけるような環境にならなければ、老人に対する公的な支持が機能しない」(『助成会だより ほりかわ』143号、1978年)と書いています。高齢者医療は手厚い医療と言いながら、システム化された介護が行われているだけで、あくまで高齢者は守られる立場、受け身の立場ですね。それではダメだと、40年近く前に医療を受ける側の立場で表明されていたのは先駆的です。

 

28)私の医療姿勢
中国の故事
 「小医は病を治し、中医は病人を治し、大医は国を治す」
 今や一人でも多くの「国を治す医師」が必要とされている
「医療」をめぐる 民衆と国との「天下分け目の闘い」へ

 私が45年余り前に京都で浪人生活をしている時に、下宿の大学生が教えてくれたのが、「小医は病を治し、中医は病人を治し、大医は国を治す」という言葉です。医者になってからも、80代の患者さんで敗戦後中国の解放軍(八路軍)の獣医となって過ごした方からも同じ故事を聞きました。今まさしく国を治す医師が必要とされているのではないかと思います。私の医療姿勢として、国のあり方そのものを正していく、高齢者医療についても、今のやり方ではいけないと言っていかなければならない。今後、医療を受ける民衆の側と提供する国の側との激しい闘いが始まっていくのではないでしょうか。しかしその闘いは、かつての「関ヶ原の合戦」のように、西軍と東軍に分かれて闘うようなものではありません。いわば私たち自身の「内なる差別思想、内なる優生思想」との闘いでもあるのだ、ということを最後にお伝えし、話を終わらせていただきます。


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第7回市民講座の報告

2015-03-16 13:59:09 | 集会・学習会の報告

第7回市民講座(2014年11月30日)講演録

 

講師:山崎光祥さん(読売新聞記者)
講演タイトル:沈黙の命に寄り添って―日々のなか、見えてきたもの―

山崎光祥さん みなさん、こんにちは。私の長女、愛実が出産事故から意識も自発呼吸もない状態になり、1年半後に亡くなりました。その数年後に臓器移植法を改正して子どもからの移植を可能にしようという動きがあり、当時は大阪本社の科学部に所属していたので取材をするようになりました。本日お招きいただいたきっかけになった本は、1年かけて、体験と過去の取材をまとめたもので、今日の話には最近の新しい情報は拾えていないことをお断りしておきます。


■出産/緊急手術/蘇生
 これが長女・愛実です。2003年7月22日に生まれ、翌年の12月30日に亡くなりました。今年は亡くなって10年目になります。7月21日に陣痛が始まり、その知らせを受けて私は当時赴任していた鳥取から駆けつけました。しかしずっと出てこなくて、翌午前4時過ぎにアラームが鳴ったのです。心拍数が100を下回った段階でアラームが鳴るように設定されていました。ドクターが診察して「赤ちゃん危ないな。帝王切開しよう」と言い、そして緊急の帝王切開が始まりました。廊下で待っていたのですが、明け方「お父さん呼んで」という声が聞こえたので、「ああ、これはダメかな」と覚悟しながら中に入りました。娘は蝋人形のように真っ白でひとめ見てダメだと思う状態でした。医師は心臓マッサージをしながら「さっきからやっているんですが戻ってきませんわ、もうよろしいでしょうか」といって、再度心拍を確認したら、「あれ?いけるんちゃうか」と、また心臓マッサージを続け、そして大きな病院に搬送されました。救急車の中で先生になぜこうなったのかと聞いたら、「臍帯脱出です」と言われました。赤ちゃんの頭より先にへその緒が産道から出てへその緒を圧迫してしまうのだそうです。珍しい症例で、医師に「ひとたまりもありません」と言われ、相当厳しい状況であることを覚悟しました。


■集中治療/長女の状態
 新生児集中治療室(NICU)では、循環を安定させる集中治療を受けましたが低酸素性虚血性脳症となり、脳がダメージを受けている状態でした。加えて新生児特有の危険性(新生児遷延性肺高血圧症)もありました。脳を保護する低体温療法を受けましたが、この治療が新生児に対して行われるようになったのは2000年頃で、当時はまだ3年目。搬送先の病院にとっても初めてだったそうです。この時はアイスノンで脳を中心に全体を冷やし、脳に近い鼓膜の温度が直腸温より1度くらい低くなるのがいいと考えられていて、それを目指していました。現在は体全体を33度から34度に冷やすか、頭だけを冷やして体はヒーターなどで暖める方法があります。冷却は72時間、その後少しずつ体温を戻します。この治療を始めたときは「きっと良くなってくれる」と信じていましたが、低体温療法で体が冷えると肺高血圧症が進むというジレンマにも陥るのです。抱っこも神経を遣い看護婦さん3人がかりで抱っこさせてもらうという状況でした。
 愛実の状態は、意識も自発呼吸もない、反応がない状態でした。手足もだらんとしているし動かない状態でしたが、循環(血圧や心拍数)は安定していました。奇跡を待つだけという思いでした。(誕生の)1カ月後の8月20日の脳波は、少し活動して休んでまた少し活動して休むというものでした。CTを見ながら、脳が委縮して神経細胞は死んでしまっていると説明されました。脳が溶けていくということを実感する所見でした。脳幹の機能検査として、ヘッドホンで大きな音を聞かせて反応を見る「ABR」というのがありましたが、まったく反応はありませんでした。脳幹が機能しておらず自発呼吸もない、体温も調節できない。脳波はあるので脳死ではないが、自発呼吸がないので植物状態でもない状態でした。
 脳死と遷延性意識障害の間は広く、一人ひとり症状が違うようです。脳幹が機能しないのが脳死と言われますが、愛実は弱い脳派があり表層の神経細胞は生きている状態です。医師は私たちを別室に呼んで「愛ちゃんに自発呼吸が出てくるのは非常に厳しい」「心臓はしっかり動いていて感染症にならなければある程度の期間は生きられる」と言いました。私は低体温療法も受けたし、よくなると信じていたので非常に辛く感じました。


■ 「生きたい」という意志
 私はこういう状態が存在する事が信じられなかったのです。脳死がどんな状態かは知識として何となく知っていましたが、意識も自発呼吸もない子が生き続けられる事が信じられなかったのです。
 NICUに帰って、妻に「愛ちゃんはどうしたいのだろう」と問いかけました。生まれてきてお母さんの顔を見ることもできないし、おっぱいも飲めない、こんな生き方に意味があるのだろうかとさえ思いました。当時は脳が機能しない状態で生きていても価値はないのではないかと考えていたので、蘇生の段階で、障害が残るより天国に行った方がいいのではないかと瞬間思ったりもしました。人工呼吸器によって酸素が送られ、母乳は鼻からチューブを通して送りこまれれば、からくり人形のように自動的に代謝して生き続ける肉の塊なのかなと考えたり、しんどい思いをさせて惨めじゃないか、生かしているのは親のエゴではないかと考えたり、親もさまざまな制限を受けるので厳しいなあ、早く死なせてあげた方がいいのかなあと考えたりしました。しかし次の瞬間、いや待てよ、死んでしまうことは簡単なのに本人は踏み留まって生きてきた。低体温療法で寒い思いもさせられながら乗り切ってきている。肺炎も数日後にはよくなり安定した。身長も8㎝大きくなった。この子は生きたいのではないか、死んでしまう方が楽なのに、生きてきたのはパパやママと一緒にいたいからではないか。惨めと考えたが、よくよく考えると、生まれた状態から歩くことも食べることもできない状態で、自由に動ける状態を知らないから私たちが思うほど惨めではないかもしれない。この子が一生懸命生きているその姿は神々しい、早く楽にしてあげたいと一瞬でも考えたのは、自分が介護から逃れたいという思いから、自分の価値観を娘に押し付けていたのではないか。何と思いあがった上から目線のいやな考え方かと思いました。


■見えてくる“違った意識”
 また、意識がないと言いながら、違った形の意識があるのではないかと感じることもありました。似たような子どもを持つ親皆同じような事を言います。例えば入院当初、私がNICUのインターホンを鳴らし、主治医が「お父さん来たよ」と娘に声をかけると、少し体温があがったと聞かされることが数回ありました。かすかに表情が変化し、体調がいい時はピンク色のいい顔をするし、しんどい時は肌が赤くまだら色になるのです。実は7つ下の妹が、2~3歳の時にむせて苦しくなった時に全く同じ表情を見せ、「ああやっぱりお姉ちゃんはあの時は苦しかったのだ」と確認できたのです。ある日長女の抱っこを早めに切り上げると表情がすごくさびしそうに見えたり、気管切開の手術をする前日に主治医が「採血しようか」と言ったら、顔が真っ赤になって、主治医も「分かった、わかった、ごめんね」と退散するほどはっきりわかる変化をしたこともありました。この時は少し離れた場所にいた看護師さんが「愛ちゃんどうしたん?!」というほどでした。別の日に私が「帰るね」というと首を振っていやいやという表情を見せたこともあります。偶然かも知れないけれど、一つ一つのエピソードが積み重なって、私たちが長女のような子と同じ目線に立ってその子のことを考えてあげたらいろいろなことが見えてくるのではないかと思ったものです。
 

■一般病棟へ、そして在宅へ
 娘は一般病棟の個室に移り、そして在宅へ移行しました。一般病棟では歌を歌ってあげ、スキンシップが取れたし、個室でプライバシーを保つこともできました。誕生日も祝うことができました。制度上、病院側が家族に付き添いを求めてはいけないのですが、この病棟では妻が泊まり込みで付き添いをしました。2時間おきに、痰などの吸引をしなければいけないので、看護師さんが2人で来ますが、処置で音がしますので、妻は寝ている訳にはいかず、気が安まることがありません。病院は親が生活する場所ではないので、お風呂も使えません。妻は私が仕事帰りに面会に寄っている間に自宅に帰り短時間でお風呂に入り、病院に帰ってくるという生活をしていました。こういう生活は大変で、早く自宅に連れて帰りたい、子どもの寿命を縮めてしまうかもしれないが、生きられる間は家族で過ごしたいと在宅療養を決心しました。病院なら看護師が3シフト制でケアにあたりますが、自宅ではほぼ全てを妻がやることになります。当時のケアは吸引、床ずれ防止の体位変換、母乳と栄養剤を混ぜたものを温めて送り込む経管栄養、備品の交換、消毒・殺菌、洗濯などが必要で、命を一人で背負う重圧も相当なものでした。訪問看護や訪問診療をお願いしても当時はやってくれるステーションがありませんでした。「呼吸器つけている子には対応できません」と言われて・・。そのままスタートした結果、妻は極度の睡眠不足になったのです。
 愛実は12月30日に亡くなりました。亡くなる前は、大きな誘拐殺人事件があり、私は朝から深夜まで取材に出ることが続きました。妻は完全に消耗してしまい、亡くなった当初は「ママが限界だと分かって身を引いたのではないか」と言うほどでした。ただ、悲しみはあっても、「やりきった」という満足感があり、娘を失った傷をその後の生活や仕事にいかせる原動力になっているのではないかと考えています。

 

<神戸の翔太郎君一家を取材して>
 法改正の動きがあり、脳死のお子さんも私の娘に似ているのではないかと思い、自分の経験を踏まえて取材したいと医師やバクバクの会に連絡を取りました。そして兵庫医科大学から紹介して頂いた神戸の翔太郎くんを取材しました。彼は2003年10月に超低出生体重児として生まれ、2年後の4月に誤嚥による呼吸困難で心肺停止状態に陥り、低酸素状態になりました。無呼吸テスト以外の検査(脳血流の検査も含め)をして、臨床的脳死と診断されたそうです。
 私は脳死のお子さんはどういう状態かを知りたかったのですが、お会いすると、体温調節は苦手だが毛布をめくった時に、左腕、左脚、右脚、右腕と順番に曲げていく一連の動きを見せてくれました。うちの子どもは全く動かなかったからうらやましかったです。涙を流す、汗をかくなどの反応も、退院してから強くなったそうです。
 自宅に帰ると反応が良くなるということを他の家族からも聞きました。そうしたことは訪問する医師や看護師しか知らない訳です。臓器移植や脳死を論じているドクターは病院内での様子しか見ていないので、自宅での様子を知らないまま論じていていいのかと感じました。翔太郎君は身長も体重も増えるし、存在感のある、たくましい子どもでした。天気が良い日は車椅子に乗せて人工呼吸器も載せて買い物に行ったそうです。お姉ちゃんは弟のことが大好きで、一緒に散歩に行くと友達を見つけては連れて来て「この子、私の弟なのよ」とアイドルを紹介するように話していたと聞いて、子ども同士は心と心で繋がるのだとお姉ちゃんから教わる思いでした。
 翔太郎君は、脳死のお子さんである前に幼稚園児です。養護学校の幼稚部に在籍し、肢体不自由児のお子さんと一緒に通学していました。先生が翔太郎君をバランスボールの上に乗っけて、ゆっさゆっさとバランスを取って動かすのを見た時はとても驚きました。体を動かしてもらううちに関節が柔らかくなって動きが良くなったそうです。
 医療的ケアはフルコース。脳の機能が停止しているので、ホルモンが分泌できません。重要な抗利尿ホルモン、甲状腺ホルモン、副腎皮質ホルモンを翔太郎君は投与されていました。そうしたホルモン補充に対して、「医療費の無駄」という意見もあります。

 翔太郎君は「人の死」なのでしょうか?彼のような臨床的脳死を「死」と仮定します。うちの子は脳死ではないので「生きている」として二人を比較して整理してみました。
脳死は人の死ではない 翔太郎くんは脳の検査に反応せず、脳の血流もない。うちの子は弱い脳波があり、脳は萎縮しているが脳波やABRに若干の回復が見られました。翔太郎君よりいい状態だが愛実には体の動きはない。吸引の頻度は翔太郎君より多い。生存期間は、翔太郎君は脳死になってから3年4カ月、それに対し、うちの子は1年半で亡くなってしまった。共通点は「生きたい」という意志を家族が感じていたこと、成長するし、家の中の主役だったこと。結論として人の生死は脳の検査結果だけでは測れないと思いました。
 その後の取材で感じたことは、「脳死は人の死」と思っていない医療者は小児科を中心に意外とたくさんいるということです。ただ、私の前で「脳死は人の死だとは思っていませんよ」と言っていた先生がある学会で「脳死は人の死だと思うか」と聞かれ、「学会では人の死とされています」と答える場面を見ました。「人の死」と言わなければいけないような雰囲気が医者の世界にはあるのかなと思ったものです。メディアの中にも「脳死は人の死」と思って取材を始めた記者が、脳死の患者を取材して「死とは思えない」というスタンスに転じた例も多かったです。しかし、そのようなスタンスで記事を書くと移植医から激しいバッシングを受け、「この子たちは無呼吸テストを受けていないから脳死ではない」「検査が間違っていたのではないか」「偏った報道だ」と言われることもありました。確かに無呼吸テストは受けていませんが、親は自発呼吸の兆候が出てくるのを一日千秋の思いで待つものです。にもかかわらず、それを何年間も見落とし、「自発呼吸がない」と言い続けることはあり得ないと思っています。自発呼吸が出るか出ないかは、その子の予後や家族全体の生活を大きく左右します。微弱な呼気を感知する機能を備えた人工呼吸器もあります。

 

<のんちゃんのこと>
 臓器移植法が改正された後に臓器提供のオプション提示を受けて提供しなかったお子さんを取材することができました。名前をのんちゃんと言います。改正臓器移植法が施行されたあとの2010年8月、食べ物がのどに詰まって、一時的に心停止を起こしてしまいました。
 臓器提供となると虐待の話がありますね。一番腹立たしいのは乳児ゆさぶられ症候群(SBS)。見た目には跡が残りにくいのです。子どもが泣きやまない時などに前後に激しく揺さぶる親がいるのです。赤ちゃんの首は座ってないのでバネのような状態になってしまう。何度も前後に振っている間に加速度がついて、頭蓋骨が動く方向と脳が動く方向が乖離して、静脈が切れて大量出血してしまう。お子さんが運ばれてきた時になぜか分からないが頭蓋内で大量出血している状態で、SBSの存在が知られていないときは、乳幼児突然死症候群として処理されていた可能性があります。しかし、赤ちゃんの胴体を両手で持った時、大人の人さし指や中指が当たる赤ちゃんの背中側の肋骨が折れるなどいくつか特徴があるので、法施行前に作られた虐待発見のマニュアルに盛り込まれています。
 話をのんちゃんに戻します。彼女は最終的に虐待は受けていないと判断され、医師から「臓器移植法の改正で確認しなければいけなくなったのでお聞きします。臓器を提供されますか」と聞かれました。両親は即座に「考えていません」と答えたそうです。
 この写真は脳死判定のシュミレーションをやった時のものです。瞳孔に光を当てる、角膜に綿棒をあてる、耳の穴に水を入れてみるといった脳幹反射の検査に加え、脳波は30分以上、5倍の感度で測る。最後は無呼吸テスト、やり方は酸素を10分間吸わせたうえで呼吸器を止めてみてから、血液検査で二酸化炭素がどれだけ含まれているかを調べます。血中の二酸化炭素濃度が一定レベルを超えると、呼吸中枢が刺激されて自発呼吸が出てくるはずなのですが、それを胸やおなかの動きの有無で確認します。「最初に酸素をたくさん吸わせるから大丈夫」という医師と、「呼吸を止めるから危険だ」という医師、双方います。脳死判定は6歳以上は12時間、6歳未満は24時間以上の間隔をあけて2回行うことになっています。
 
 のんちゃんはオプション提示後、在宅療養を目指すことになり、障害者手帳1級を取得しました。ご両親は、在宅に向けて車椅子を買ったり医療的ケアの練習をしたりしました。のんちゃんのお祖母ちゃんや叔母さんも練習しているので、ケアができるとのことです。訪問看護の派遣は受けていましたが、お父さんはシフト制の仕事をされていたので家にいる時間が少なく、お母さんが仮眠をとりながら連続してケアしていました。お母さんは保育士さんで、休職して介護されていましたが、ベッドの周辺にぬいぐるみなどを置いて、見ているだけで楽しい部屋でした。おしゃれを楽しみ、BGMを鳴らしながら指に絵の具をつけて紙に描くなど、限られた中で、楽しく過ごす工夫をされていました。またのんちゃんはダンスが好きだったので、よく音楽に合わせて体を動かしてあげたそうです。お母さんの話によると、体の動きがあり、鼻から栄養剤を入れると左腕をあげ右もあげ波打つ動きを見せるといいます。気持ちがいい時はポカーンと口を開け、もうおなかいっぱいというときは歯を食いしばるそうです。信じられないエピソードですが、のんちゃんは男性が苦手だったそうで、リハビリのために男性が初めて自宅に来たとき歯を食いしばりハの字の眉毛が一文字になったそうです。怒ったように見えたとお母さんは言っていました。在宅してからは、入院中よりもコンディションがいいし、小さいのに頑張って生きようとしているので、「自慢したいです」とも言っていました。そして「“脳死は人の死”と言う方は、そういう子どもと一緒に暮らしてみてはどうですか。私は長くたくさんの思い出を作ってあげたいです。それが願いです」と。お父さんは「娘は生きていますよ。表情があるし。もしあの時、そのまま亡くなっていたらきつかったなあ。いずれは心臓が止まることを覚悟しているが、それまで一緒に過ごせることを感謝している」と話してくれました。その後、3歳の誕生日にはディズニーランドにも行ったそうです。ディズニーランドは彼女のような患者の来場には慣れていて、連絡すると個室を用意するなど、至れり尽くせりだそうで、アトラクションには乗れなくても十分楽しめたそうです。のんちゃんは、妹が生まれたあと、敗血症で亡くなりました。脳死になって1年9カ月生きました。
 臓器提供についても聞いてみました。お父さんは、「実際に提供した親が他の人の体で生きてほしいとコメントしているのを聞いて、そういう考え方もあるのかなと思うが、私の場合は違います」と言っておられました。私の妻は、自分の子がメスで切り刻まれるのは絶対にイヤだと言いました。のんちゃんのお母さんは「移植を受けて走っている子がなんで自分の子ではないんだ、と思ってしまうかもしれません」と言われました。

 子どもが脳死状態になった時、在宅を選ぶか重症心身障害児施設に入れるという選択肢以外に、臓器提供がオプションとして加わりました。栄養剤を減らし看取るという選択もある。正直、我が家は「脳死は人の死」と思ってないし、生きてくれた形は一番良かったと思っていますが、本人に聞いた訳ではないので、それが普遍的なものかどうかはわかりません。しかし、どの選択肢を選んでもいいよというようになってほしいですね。在宅療養の負担が大きいから選べないという状況はおかしいと思っています。
 そもそも論ですが、脳死に至らない治療がどこでも受けられる様にしてほしい。子どものバイタルの正常値や治療の仕方は発達段階に応じて少しずつ違います。長野県立こども病院の小児集中治療室(PICU)では専門の看護師、医師がモニタリングして、急変する前に先回りして治療できるそうです。PICUは統計上は全国に32施設238床あることになっていますが、心臓病のお子さんや手術直後の管理のために主に使われている病床もそこに含まれるので、院外で重篤な状態になった子どもを受け入れられるPICUのある病院は大変少ないのです。そういう場を増やし、専門の医者が脳死にしない治療を行うことが最底限必要だと思っています。
 また、情報は隠さずに提示してほしいと思います。治療方針を決めるための判断材料として、長期脳死の子の生活実態やホルモンを補充する方法がることとかも医療者は家族に伝えるべきです。訪問看護や在宅を支えるシステムも必要不可欠です。ヘルパーも不足しているし、レスパイトができる施設もまだまだ未整備です。医療費、資源の問題もあるかもしれませんが、社会が許容して重症の子どもを支えて欲しいと思います。

 

質疑応答要約

●この前、6歳未満の女児に脳死判定(第2例目の)がされて、両親のコメントが出ていました。
「私どもはこれまで娘の回復を期待し見守って参りましたが、辛(つら)く長い時間を経て、残念ながら脳死状態であり、回復の見込みがもはや無いことを受け入れるに至りました。向かう先は死、という状況の中、臓器提供という道を選択した理由は以下の通りです。
 娘は進んでお手伝いをしたり、困っている子がいれば寄り添って声をかけてあげるような、とても心の優しい子でした。臓器提供という形で病気に苦しむお子さんを助けることに、娘はきっと賛同してくれると信じています。こうして娘が短い人生の最期に他のお子さんの命を救うことになれば、残された私どもにとっても大きな慰めとなります。」と、仰っています。親御さんのコメントは、ほぼ同じことが語られますが、これ以上の言葉がないからなのか、あるいは、移植ネット的には、こういう言葉なら世の中から責められることはない、立派な親御さんでしたと言われるだろうからなのか。マスコミは関わっているのか?難しいとは思いますが、こういうコメントについて山崎さんはどう感じられますか。

山崎:私は、誰かが家族に恣意的に言わせているとは疑ってないです。やはり我が子を失うという局限の状況になった親御さんは、どこかに救いを求めると思うんです。臓器提供を考える親御さんもいるでしょうし、私どものように、力尽きるまで支えることに重きを置く親御さんも沢山いらっしゃいます。そのどっちが正しいとかは勿論いえません。みなさんを疑心暗鬼にさせてしまうのは、移植ネットワークからの情報は、例えばつい最近の臓器提供でいいますと、〔順天堂大医学部附属病院で、6歳未満の女児、低酸素脳症〕としか書いていないのです。記者会見でもそれ以上のことはほぼ発表しないですね。プライバシーを守るためかもしれませんが、私は人の生死を社会的に完全に受け入れられている訳ではない基準で線引きしてしまうことになるので、脳死に至った状況などは詳らかにされるべきだと思うんです。殆ど情報が出てこない中で、家族の思いの部分だけが突出して出てくる、そういう情報提供のあり方はどうなのかと思います。おそらく臓器提供をされたお子さんのご家族は、過去に臓器提供されたご家族がどうお考えになっていたのかを聞いておられたりして、同じ考え方だから臓器提供されたのでしょうし、結果的に同じ発言になることもあるのかもしれないので、私自身は誘導されているとは思いません。
 また、今のマスコミに臓器提供や臓器移植に対する関心は殆どないと思います。一例目は大きなニュース性があるので、どうしても報道合戦になります。6歳未満のお子さんの1例目が発生する前は、わが社でも臓器提供についてみんなで勉強したりしました。変な話ですけれど、「1例目、提供へ」っていうのをスクープしたいなあ、というのが会社や新聞記者の一般的な考えですし、そういう関心が強い間はみんな勉強しますが、2例目以降になるとそこまでのニュースバリューはなくなってしまいます。マスコミが恣意的に情報を変えようということは、多分ないんじゃないかと思います。

 

●山崎さんは、脳死概念を前提としてその子供たちとともに生きている、とお話しをお聞きしました。そこで、脳死概念そのものを、一緒に生きている側から解体して、使わないようにしてはどうかと考えましたが、いかがでしょうか。

山崎:脳死が人の死であるかどうかは別として、脳の細胞の殆どが機能していない状態は、医学的に捉えなければならないと思います。個人的には、脳死に近い状態の子が、脳死であるかどうかと厳密に線引きをすることには、興味がないというか、生活する上では変わりません。けれども、脳死という概念自体は必要だと思いますし概念がないことには、そういう子たちのQOLを上げていくための研究などもターゲットが絞れない状況になるから、それ自体はあって然るべきじゃないかと私自身は思います。

 

●三つ質問させていただきます。まず在宅医療と臓器提供の選択肢は、同じ重さであるべきと仰いましたが、それはどうかなという気がします。というのは、のんちゃんの場合、薬物投与は整腸剤と甲状腺ホルモンだけだったのですね。そうなると、脳から分泌されるホルモンは分泌されていた。脳はある程度生きていたと考えられ、場合によっては臓器摘出する時に痛みを感じるかもしれない。昔は臓器摘出する時に麻酔をかけていましたが、今はかけていませんから、全く生きたまま切り刻まれ、命果てるという事態が起こるんですね。そこまで考えると、在宅療養、臓器提供、看取り、それぞれ同等として考えるのでいいのかと思います。
 2番目は、マスメディアの報道の傾向として、臓器提供に関わる情報を報道してこなかった点です。例えば先ほどの臓器摘出時に麻酔をかけたという情報も報道してないし、さらには、アメリカでザック・ダンラップさんという方が臓器摘出直前に脳死でないことが分かり、今は社会復帰していること。あるいは、一番直近では、ジャハイ・マクマスという方は、脳死ではないと思われる状態だったために、脳死による死亡宣告の取り消しを裁判所に申請していること。そういう報道していない。ということは、臓器提供に迎合するというのが、主な潮流であって、それが現在のマスメディアの行動ではないかと思うんです。その辺は不信をもっている訳です。
 3番目です。先ほど、愛実さんの状態は脳死と遷延性意識障害の間の状態だと言われましたが、私は、医学的にはそこまで言う必要はないんじゃないかなと思います。というのは、植物状態と遷延性意識障害について自発呼吸の有無は特に言及していないのが本当だと思うんですね。ですから、遷延性意識障害と言えば、いいのではと思います。ただもちろん社会生活を送るにあたって、重症で意識がなくて人工呼吸器をつけていたから訪問看護を受けられないとか、社会生活を送る上で自発呼吸のある意識障害の方と状態が違うのは分かります。そういう面では分かりますが、医学的な脳死と意識障害の状態を言う必要はないのではないかと思いました。

山崎:沢山ご質問ありがとうございます。まず1点目ですけれども、同じ重さと言った大前提は、現在同じ重さじゃないからです。在宅を考えた時の、壁の高さというか、精神的な圧迫感はすごく大きなものがありました。我が家はたった数ヶ月で終わってしまいましたが、それが2年、3年、10年続いたらどんな生活になるんだろう。未だに考えてもやはり答えは出ないです。今の状況は、積極的に、皆さん在宅しましょうと言えるほど、甘くないです。妻は本当に疲弊していました。在宅を選択するというのは、社会的な支援が十分に受けられるならばまだましだとは思いますが、現状はそうなっていない。そういう方向に行ってほしいという願いを込めて話しました。長期脳死のことも在宅をした場合の情報も十分知らされず、すごく不利な状況にあります。我が子については臓器提供はしたくないと、本音ではそう思いつつ、対外的にやるべきじゃないという考えを押し付けるつもりも私にはありません。そういう意味で、それぞれの家族がしっかりと選べる状態、在宅を選んでも過度な負担がない状態になってほしいし、情報はしっかりと家族に伝えてほしいと思います。そういう意味合いで、同じ重さであってほしいと話しました。
 マスコミがなぜ書いてないか、なぜ報道してないか。簡単な話です。知らないからです。知らない、もしくは、そこまで書いても、というところがあると思います。新聞は医学専門誌ではないので、一般の人に分かりやすく書くという基準でやっていることを、ご理解いただきたい。
 最後のご質問について。私は親であり、新聞記者でもあるという立場です。親の視点では、長女が脳死か脳死じゃないのかなんてはっきり言って生活上は全然関係ないのですが、新聞記者としてこの問題を突き詰めていこう、あるいは皆さんに知ってもらおうと思った時に、脳の状態を一言で言い表せなければ原稿を書きにくいものがあるんです。名前がないものは書きにくいんです。報道する立場では、概念がはっきりと決まっていて、それについて論じますよと明示しないと、新聞記事は成立しないし、取材する上でも何を取材しているのか分からなくなってしまうので、そういう意味でも、私自身は、概念が必要だと思うのです。

 

●私の息子は、現在生きていれば30歳になります。8歳のときに心停止を起こして、それから2年半ぐらい、全く体を動かさず、脳波もほとんどないという状況でした。病気はミオチューブミオパチーという筋肉の病気です。この病気は随意筋が動かないんです。ですから、無呼吸テストをやっても、自分で肺を動かすことができませんので、この子どもが脳死状態になったとして無呼吸テストをやっても、全く反応はしません。脳死判定をクリアしてしまうわけです。病気によってはそういう状態もあることを、知っていただきたいと思います。

 

●山崎さんの本の反響というか、同じ状況で生きておられる方からの反応―自信になったとか、勇気をもらったとかっていうことはあるんでしょうか。

山崎:正直、本に対しては反応ないですね。反応を聞くような場面もないです。過去の記事では「生きることについて考えさせられた」ということを仰って下さった方もいました。本の中にも書きましたが、やはり「生きるって何だろう」ってことを考えるわけです。こういう子たちを見ていると。ある救急の有名な先生が、「実は、若い頃、抗利尿ホルモンを患者さんに投与したことがあります。そしたら、本当だったらそのまま脱水状態になって亡くなるところが、結構長いこと生きて、それを見ていた周りの先輩からは、おまえ何やってんだって滅茶苦茶言われた」「そういう体験を通して“生きるって何だろうな”と、私自身も考えました」とメールを下さいました。医療ルネッサンスで娘について書いた時は、たくさん、涙が止まりませんでしたというお葉書をいただいたりしました。概ねお母さん方は、自分の子だったらどうだろうなと考えられる人が多いようで、「そういう生き方があることを初めて知りました」というお声も頂戴しています。

 

●私は大学4年生で、脳死・臓器移植について卒業論文を執筆中です。論文のテーマは、臓器移植法が2009年に改定されましたが、なぜ、移植拡大の方に法が改定されたのか、その要因を明らかにする、ということです。先ほど脳外科の先生や移植を推進する立場の方が議論の中心にいたということで、そういう流れはあったと思いますが、その一方で、山崎さんの報道であったり、長期脳死の子供たちの実態を伝える報道があったりとか、脳死に対する科学的な疑いが持たれたりとか、少なからず、疑問を呈するような動きもあったと私は思っていて、それを踏まえて、なぜ、移植拡大の方に法が改定されたのか、山崎さんはどのように考えておられますか。

山崎:当時の雰囲気は、臓器が必要だというお子さんが前面に出てくるわけですね、海外渡航しないと助かりませんと。そういうお子さんが記者会見を開くとみんな注目して、「かわいそうだ」「どうにかしてあげて」というレシピエントの側に立つ記事が出ます。それ自体はしょうがないことで、間違っているとは思わないけれど、それと脳死の問題がどうして一緒なのって問いたいんです。片方では、死んでいると考えられる状態の患者に無駄な治療が行われている、その一方で、臓器を欲しい子がいる。そこを繋いで何が悪いんだというのが、根底にある考え方です。それはヒシヒシ感じました。本当は別次元の話として切り離して議論してほしいのです。
 脳死状態のお子さんはテレビに出てこないじゃないですか、ほとんど。その時点ですでに一般の人にとっては情報量に格差があるんです。臓器がほしいお子さんは、何度もテレビに出て取り上げられるけど、脳死状態のお子さんは、自分でしゃべるわけじゃないし動き回るわけでもないので、目立たないんです。メディアというのは、露出度、どれだけ目立ったかがどうしても力を持ってしまうのです。
 片方の力が弱かった一方で、移植学会の先生方が定期的に新聞記者を集めてメディア向けの勉強会を開いていました。メディア戦略はしっかり整っていたのです。偉いお医者さんが、こうと言ったら、医療の知識がない記者は、そうなんだと思い、それに反論できる情報は何もないんです。私自身は、脳死ではないけど似た状態の子を育てた実体験があり、本人やご家族に取材もしていたし、それなりに知ってるつもりでいますけれども、そういう記者はほとんどいない。新聞記者はいくつもの担当テーマを抱えていて、臓器提供というのはその中の一つに過ぎません。時流で注目されているから頑張ろうという記者は、多少その瞬間は頑張る。勉強しようと思うと、メディア向けセミナーへいくわけですね。結果、メディアの受け止め方は、その方向性が強くなるのです。そういう流れにはどうしても抗えないものがあります。翔太郎君や他のお子さんを何度か記事で取り上げたこともありましたし、同じ志を持った他紙の記者と情報交換もしましたが・・・。実際に、移植受けてよくなったという患者さんが出てくると、社会としてもそういうところを支えてあげたらいいんじゃないかという意見が強くなるんだと思います。


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第6回市民講座の報告(3-1)

2015-03-16 12:10:47 | 集会・学習会の報告

第6回市民講座の報告(講演録)

 2014年7月12日、豊島区勤労福祉会館で第6回市民講座を行いました。講師は東京医科歯科大学准教授の田中智彦さんと看護師のMOTOKOさん。
 田中智彦さんの講演タイトルは<「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために>、MOTOKOさんの講演タイトルは<看護と尊厳―その人らしく生きることを支える>です。
 「人間の尊厳とは何か?」。お二人の講演は胸にしみ、大変考えさせられました。以下、計3ページにわたり講演録および質疑応答を掲載いたします。

 

【田中智彦さんのお話】


■「尊厳への問い」を問いなおす―「いのちの倫理」のために
 今日は「尊厳への問いを問い直す」というタイトルでお話しをさせていただきます。
 私たちはさまざまな問いを立てて議論をしますが、問いの立て方にはあまり注意をはらいません。そうした場合、問いの立て方自体に問題があっても、そのことには気づかれないまま議論が進められてしまいます。これは「尊厳をめぐる問い」にも当てはまります。
 そこで「尊厳をめぐる問い」のしくみについて、1)何を問うのか、2)誰が誰にどのように問うのか、の二つの観点から考えてみることにします。

 

1.「尊厳をめぐる問い」のしくみ
1)何を問うのか?
 私たちはある存在――例えば脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者――を目の前にして、その存在に「尊厳はあるのかないのか」という問いを立てますが、こうした問いには往々にして、暗黙の前提としてもうひとつの問いが潜んでいます。つまり、そのような存在は「尊厳を認めるに値するのかしないのか」という問いです。
 具体例として文献資料1をご覧ください。1939-41年にナチス支配下のドイツで、公立の精神病院に入院していた精神病患者や精神障害者が「安楽死」の名の下にガス室等で殺害され、死体は焼却炉で灰にされました。その数は10万人を超えるとされます(T4作戦)。周知のユダヤ人大虐殺は41年からですので、T4作戦はいわばその原型であり、しかしその対象は同じドイツ人だったわけです。
 T4作戦はミュンスターの司教によって41年に問題化され、やがて打ち切られることになるのですが、資料1でその司教が述べていることは事態の本質をついていると言ってよいでしょう。「生産性」や「国家・社会への貢献度」をものさしにして「生きるに値するのかしないのか」が問われ、「値しない」と判定された者には「安楽死」の名の下に死が与えられたのです。
 具体例をもう一つ。これは2005年に医学誌『移植』に掲載された論文で、「与死(死を与える)許容の原則」を提案するものです。そこでは「意識」や「人格」がものさしにされ、「意識がない」「人格がない」と判定された者には死を与えてもよい――違法ではない――とされます。今日の「尊厳死法案」と同じく、「こういう人には死を与えても合法である」とする論理です。
 サブタイトルが「人体組織等の取り扱いルールのたたき台提案」であることにも注意してください。ナチスドイツでも死体の利用が行われましたが、今日ではバイオテクノロジーによって人体の利用可能性は当時よりもはるかに広くなりました。その意味でこの提案は、ナチスドイツをも超えるような内容をもっていると言えます。

2)誰が/誰に/どのように問うのか?
 私たち問う側は「意識」や「人格」、あるいは「理性」を具えていると当然のように前提にし、そこから脳死患者や植物状態の患者、障害者を当然のように排除しています。コミュニケーションできる人たちが集まって、自分たちと同じようにはコミュニケーションできない人たちについて、その人たちを抜きにして、その人たちに「尊厳はあるのかないのか」を論じ、判定を下すという仕組みになっています。
 尊厳について議論するわけですから、問う側の人たちは自分たちは真面目でありよいことをしていると思っているでしょう。しかし実際には、「生産性」や「国家・社会への貢献度」、「人格」や「意識」「理性」といったものさしを持ちこんで、そうしたものさしを共有する人たちだけで、言い換えれば、そのものさしではそもそも「尊厳はない」「生きるに値しない」とは判定されないことがわかっている人たちだけで議論を進め、合意を形成し、法律を作り、実施するということをしている。そして問われる側は一方的に、「反論」など想定外であるかのように、ただ「判定」されるだけである。そういうしくみになっていることを押さえておきたいと思います。

 

2.「他者」を尊重する/「他者」に礼を尽くす、ということ
1)前提――忘れられがちな、いくつかの
 こういうしくみを仕方がないと片づけてしまうこともできますが、ここではそうではなく、そもそも「他者を尊重する」とか「他者に礼を尽くす」とはどういうことなのかにまでさかのぼって考えてみたい。そこであらためて確認しておきたいことは、コミュニケーションは言葉だけで交わすものでないということ、その本質は身体性を抜きにしては捉えられないということです。
 例えば「馬鹿だなあ」という言葉。怒って言っているのか、一種の愛情表現として言っているのか、顔を見ればわかります。言葉は同じでも、身体性が介在することによって、意味は違ってきます。ですから逆に、身体性が介在しないメールなどでは、意味を取り違えて喧嘩になるようなことが起こるのでしょう。ですからまた、言葉がなくてもただ身体があるだけで、コミュニケーションが成り立つということも起こるのでしょう。恋人や家族の間がそうですし、乳幼児や病人との間でもそうです。
 私たちは泣いている子供、まだ言葉を話せない子供に対して、何が理由なのかと問い質したりはしません。お腹がすいているのか、暑いのか寒いのか、それともおもちゃが欲しいのか、子供の様子からあれこれと推論して試してみる。病人に対しても、すべてを言葉にして説明するように求めたりはしません。その身体が発するサインやシグナル、徴候に目を凝らし、耳を澄ませて、病人の具合や苦しさ、求めているであろうことを何とかわかろうとします。
 いずれにしてもコミュニケーションは言葉だけで成り立っているわけではない。むしろ言葉よりも手前のところに身体があって、その身体によって、言葉によるものをも含めたコミュニケーションの全体が支えられている。あるいはこう言ってもよいかもしれません。口から発せられ耳で聴かれる言葉だけが言葉なのではない。身体から発せられ身体で聴かれる言葉もあり、しかもそうした言葉の方がコミュニケーションにとってより根本的なのだと。そのことはまた、前者の狭い意味での言葉だけで「わかる」「わかった」としてしまうことの皮相さ、危うさを示してもいます。
 もう一つ確認しておきたいことは、「他者」は「他人」とは違うということです。「他者」とは「理解も共感も絶する相手」、もう少し平たく言うなら「自分のものさしでは測ることのできない相手」のことです。
 私たちはよく「他人(ひと)の身になって」と言いますが、それは「私」がその「他人」の立場に「立てる」ことを前提にしている。言い換えれば、「他人」は「私」と互換可能であること、両者の間にはある種の共通性、一般性のあることが前提にされている。もちろんそうして「他人(ひと)の身になる」のは大事なことですし、そうできるのは人として重要な能力でしょう。しかし同時に、今見たような前提のゆえに、「他人(ひと)の身になって」はいても「自分のものさし」自体はそのままであり、少しも疑わないで終わるということが起こりえます。そこにもやはり先に見たような「わかる」「わかった」としてしまうことの皮相さ、危うさがあります。
 これに対して「他者」の場合に前提とされなければならないのは、共通性ではなく異質性であり、こう言ってよければその相手の「わからなさ」です。ではどうすればこの「わからなさ」ときちんと向き合うことになるのか――それが「他者を尊重する」「他者に礼を尽くす」とはどういうことか、につながってきます。

2)他者とのコミュニケーションの要諦
 そこで考えてみたいのが、死者とのコミュニケーションについてです。なぜなら、死者は上の意味での「他者」の最たるものだからです。文献資料3をご覧ください。
 内田樹さんは人類学上の定説として、「人間が人間になったのは、生者と自然物の中間に“死者”という第三のカテゴリーを創出したことによる」と述べます。人間が猿から分岐した地点として「火を使う」「道具を使う」「言葉を使う」などが挙げられますが、もう一つ「埋葬をする」ということがあります。そしてそこには二つの感情が示されています。一つは死体を花などで飾ることに表されるように「死者を悼む」こと、もう一つは死体を折り曲げる、死体の上に石を積むといったことに表されるように「死者を恐れる」ことです。一見、相反する感情に思われますが、その二つの間には共通するものがあります。それは、「死者は生者に影響を及ぼしうる」という信憑です。またこの信憑のゆえに、死体はもはやたんなる自然物ではなくなります。
 内田さんも指摘するように、これは霊魂が実在するといったオカルトの話ではありません。鍵となるのは「信憑」という言葉でしょう。「憑」とは「とり憑く」ことです。生者でも自然物でもない「死者」というものがいる、あると「思わずにはいられない」。死者を思い起こすこと、死者に問いかけることを「せずにはいられない」。この「そうせずにはいられない」というどうしようもなさ、それが「憑」であり、「第三のカテゴリーを創出した」ということであり、そしてまた、人間を猿から分け隔てて「人間」にしたものだということです。ですから、「正しい葬礼をしないと死者は災厄をもたらす」という信憑があらゆる人間集団に存在してきた客観的事実が意味するのは、人間が迷信の中に生き続けてきたということではなく、人間が「人間」であり続けてきたということなのです。
 したがって葬礼は、まさに生者が死者とコミュニケーションを交わす場であることになります。とはいえ、もちろん死者は語りません。生者が問いかけても答えてはくれません。その、けっして語らず答えてもくれない死者を「尊重する」、死者に「礼を尽くす」とはどういうことか。生者はいわば沈黙のうちに宙吊りにされるわけですからその状態は耐え難い。耐え難いから死者の思いを「わかったことにする」。本当は「わからない」のに「わかったことにする」。しかしそれは、死者の思いを理解しているようでいて実は「死者を厄介払いする」ことであり、死者に対してこの上なく「非礼な振る舞い」にほかならない。そうではなく、耐え難くとも「わかったことにしてしまわない」こと、帰ってくるはずのない答えをそれでも待ち続けること、それが死者を「尊重する」こと、死者に「礼を尽くす」ことである。内田さんはそう考えます。そして私もその通りだと思います。
 とりわけ医療に関してはそうですが、私たちは「わかる」こと、相手を理解し相手に共感することを、とにかく「よいこと」だと考えがちです。しかし「わかる」には、「わかったことにしてしまう」危うさが常につきまといます。「わかる」ことはコミュニケーションを断ち切ることにもなるのです。そのことは文献資料4にあるように、生者と生者の間にも当てはまります。そして死者が、生者をも含めた「他者」の最たるものであるとするなら、その「他者」を尊重する上で、「他者」に礼を尽くす上で私たちに求められること、最も大事なこととは、一方では「他者」の発するサインやシグナルに目を凝らし、耳を澄ませながらも、しかし同時に、「他者」の思いを「わかったことにしてしまわない」こと、「わかったとすることをためらう」こと、であることになるでしょう。
 とはいえ先の文献資料4が示すように、「言うは易く行うは難し」です。「待つ」ことは難しい。私たちは「待てない」。医療においてもそうでしょう。文献資料5と6は尊厳死と脳死の場合ですが、いずれも医療の、また今の社会の待てなさが浮き彫りになっています。尊厳死の名の下に「わかった」ことにして呼吸器を止め、生命を終わらせてしまう。脳死の名の下に「わかった」ことにして臓器を取り出し、生命を終わらせてしまう。なぜ心臓が止まるまで待てないのか。脳死の場合であれば、心臓が止まってからでは臓器を移植に使えないからで、一人の「他者」として脳死患者を尊重する、脳死患者に礼を尽くすことは考えられていません。優先されているのは「私たち」の都合です。

 

3.「尊厳をめぐる問い」の再考、そして転回
1)問いの「しくみ」自体が抱えこむ「他者への非礼」
 このように見てくると、「尊厳をめぐる問い」自体が他者への非礼を抱えこんでいることが明らかになります。「人間の価値」をめぐる自分たちのものさしを一方的に「他者」に当てて、それで「他者」の思いを「わかった」ことにして、その「他者」に「尊厳はない」「生きるに値しない」という判定を下している。そうした議論のしくみ自体が、「他者」への非礼となっている。ここで先の内田さんの話に立ち返るなら、私たちがそうした議論のしくみを疑わないことは、私たちにおいて人間を「人間」にしているコミュニケーション能力が欠如していること、あるいは不調をきたしていることを示していると言えるかもしれません。その意味では、「人間」の名に値するのかどうかと問われるべきはむしろ、脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者を目の前にして、「尊厳はあるのかないのか」という問いを立てる私たち自身ではないのか、ということにもなります。
 このことは、今日の生命倫理に対する批判にもつながってくるでしょう。今日の生命倫理はいわば「自己決定権と同意のシステム」です。あらゆる場面で自己決定をし、意思表示をし、同意をすることが求められる。本人ができなければ家族がしなければならない。「わからない」では許されない。どんな形であれ「わかった」ことにしなければならない。なるほど現実にはそうしないとものごとが先に進まないということはあるでしょう。ですが、曲がりなりにも倫理として「他者」を尊重する、「他者」に礼を尽くすことを本義とするなら、「わかった」ことにするのはあくまでも「便法」であるとわきまえるべきではないでしょうか。しかるに今日の生命倫理では、その「便法」であるべきはずのものが「原則」にされている。手続きを明文化して法律にすればよいとされている。本末転倒になっているのに、そのことに気づいていないのです。

2)問いの逆転――「問われている」のは誰/何なのか?
 さて、それでは私たちは「人間の尊厳」「いのちの尊厳」について、いったいどのように考えればよいのでしょうか。最後にこのことをめぐって、一つの視点を提示しておきたいと思います。
 手がかりになるのは文献資料7に引用しました聖書の「善いサマリア人」のたとえ話です。イエスが説教をしていると、それを快く思わない律法の専門家が議論を仕掛けて、「私の隣人とは誰ですか」と問いかける。この問いをこれまでの話の文脈に置いてみるなら、「私が尊厳を認めるべき人は誰ですか」という問いに言い換えられるでしょう。すると律法の専門家がイエスに示すよう求めているのは、尊厳を認めるべき人とそうではない人とを区別するものさしは何か、ということになります。そのものさしに当てはまる人なら尊厳を認めようじゃありませんか、というわけです。
 そうした問いにイエスは「善いサマリア人」のたとえ話で答えます。半殺しにされて沈黙のうちに横たわるユダヤ人を、同胞(祭司・レビ人)たちは彼らなりの理由――それは教義上のタブー(血の穢れ)かもしれませんし、ただ急いでいたからかもしれません――で見捨てて立ち去ります。そこにサマリア人が来る。当時サマリア人はユダヤ教の教義解釈をめぐりユダヤ人と対立していたと言われます。いわば「敵」であり、ユダヤ人を見捨てる理由はその同胞たちよりも大きかったかもしれません。にもかかわらず、サマリア人はユダヤ人を助け、介抱します。そしてイエスは律法の専門家にこう問い返します――「傷ついたユダヤ人の隣人になったのは誰か」と。
 「隣人とは誰であるか」という問いに、「誰が隣人になったか」と問い返す。この問い返しが問題にしているのは、「隣人とは誰であるか」というまさにそうした問いの立て方自体です。「隣人」とははじめに何かものさしがあって、それを当てはめて「この人は隣人である」「あの人は隣人ではない」と定義されるようなものではない。そうではなく、「私」が誰かの「隣人」になろうとすることではじめて、「私」とその誰かとの間に「隣人」という関係性が生まれてくる。「隣人」はそうして生み出されるものである。それゆえ、「その人は私の「隣人」であるのか否か」と問うのは、事態をまったくの逆さまに理解していることになります。なぜなら問われるべきは、「私がその人の「隣人」になるのか否か」だからです。「隣人」とはただ「ある」のではなく「なる」ものであり、しかも問われているのは相手ではなく、ほかならならぬこの「私」なのです。
 これを再びここまでの話の文脈に置いてみるなら、「私が尊厳を認めるべき人は誰ですか」という問いの立て方自体が「人間の尊厳」「いのちの尊厳」の理解として逆立ちしている、と考えることができそうです。「尊厳」とはとははじめに何かものさしがあって、それを当てはめて「この人には尊厳がある」「あの人には尊厳はない」と定義されるようなものではない。そうではなく、「私」がその人に「尊厳」を認めようとすることではじめて、「私」とその誰かとの間に「人間の尊厳」「いのちの尊厳」にもとづくという関係性が生まれてくる。「尊厳」はそうして生み出されるものである。もちろん「私」にはその人に「尊厳」を認めることも認めないこともできます。その意味で「私」は自由です。しかしまさに自由であるからこそ、「あなたはどうするのか」という倫理的な問いが、ほかならぬこの「私」に差し向けられることにもなるのです。
 このたとえ話をめぐってシモーヌ・ヴェイユは、文献資料8にありますように、ただ見るだけでは見えない人間性、それゆえに「ない」で済まされてしまう人間性を、「ある」へと転換するより高次の「見る」という行為、そうして人間性を「あらしめる」ようにするより深い意味での「見る」という行為について語っています。ヴェイユによればそれが「創造的注意」であり、真の注意にほかならない。すなわち人間性とは、はじめにそれをはかるものさしがあって、そのものさしで「ある」「ない」と判定されるようなものではなく、この「私」が関与することによって創造されるものであり、そうしてはじめて「ある」ことができるようになるものなのです。こうしたヴェイユの見解は、これまでたどってきた尊厳の話ともコミュニケーションの話とも、深く通じ合うものと言えるでしょう。
 「他者」とコミュニケーションできる能力、「他者」のうちに尊厳を、人間性を「見る」ことのできる能力――それが人間を「人間」たらしめている。「人間」の名に値するものにしている。そうであるとするなら、「尊厳をめぐる問い」がまず差し向けられねばならないのは、目の前の脳死患者や植物状態の患者、障害者、認知症や末期の患者ではなく、私たち自身であることになります。まずもって「彼ら」に尊厳を、人間性を「見る」のではなく、またそうして尊厳や人間性を「あらしめよう」とするのではなく、自分たちだけに通用するものさしで「彼ら」をはかり、「わかったことにしてしまう」私たち、そうして「彼ら」に尊厳や人間性が「ある」とか「ない」とかを判定しようとする私たちに、はたして「人間」の名はふさわしいのだろうかと、むしろそうすることで私たちは、私たち自身の尊厳を損なっているのではないかと、まずそのように問うべきであることになります。
 「尊厳」という概念をめぐってはさまざまな議論があります。その概念自体にいろいろな問題があるという指摘があり、その中にはもっともだと思われるものもあります。ただ私としては、この「尊厳」という概念を手放してしまうのではなく、再生する道を探してみたい。今日の話はその一つの試みであったとご理解ください。長い時間ご清聴ありがとうございました。


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