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臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

「和田心臓移植から50年」シンポジウム配布資料2-2、週刊金曜日2018年9月28日号掲載「脳死臓器摘出時の麻酔禁止は、誰のため?」、YouTube動画あり

2018-11-22 22:44:35 | 集会・学習会の報告

「和田心臓移植から50年」シンポジウム配布資料2-2

https://www.youtube.com/watch?v=9msNtHyn5loでは1時間2046秒以降


 

脳死と判定された人は生きている 脳死からの回復事例

守田憲二 2018/11/18


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資料1ページ目


臓器提供に関連して脳死判定の誤りが発覚する頻度   米国、1%~5%

臓器提供に関連して心臓死予告の誤りが発覚する頻度 日本、0.4%~1.8%

脳死判定を誤る原因 

 その1 脳死判定基準にもとづき厳格に行わないから
 その2 早すぎる脳死判定、薬物影響下の脳死判定
 その3 患者を傷つける検査は行わないから

脳死判定後の自発呼吸、従命、運動反応、社会復帰例

(講演は8頁まで、9頁以降は参考にしてください) 注:当ブログに9頁以降は掲載しておりません。

二つの死があるのか?医学的事象としての脳死はあるか?

生命の定義、死の定義から

正確な死の予言と臓器提供目的で検討された脳死判定基準

脳死判定から心停止までの期間の延長傾向

死の予測精度がさらに低下する要因

「脳不全」または「重度脳不全」と表現すべき

倫理

死亡宣告としての脳死判定の不安定性

「脳死はダメだが心臓死・心停止なら問題なし」は間違い

 

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 資料2ページ目以降


臓器提供に関連して脳死判定の誤りが発覚する頻度

米国、臓器摘出チームが出発しても1%は引き返している
 神戸生命倫理研究会は1989年の「米国心臓移植実態調査報告」p195において、「特筆すべき個別的な事柄として、スタンフォード大学のドナー・コーディネーターであるM・ブラウン(Registered Nurse)は、過去5年間の経験のなかで、3例の『早すぎた脳死判定』が存在したという」。p219~p220において同大学は「外科医(レジデント)・手術場ナース・ドナーコーディネーター等5人1チームで臓器を取りに行くが、約300の臓器調達経験の中で3例の『早すぎた脳死判定』があり、いったん行ったが、引き返したこともある」  
出典=「脳死と臓器移植を考える」(メディカ出版、1989年)

 

米国、人工呼吸器をはずしたら自発呼吸をする患者が5%近い
豊見山直樹(那覇市立病院脳神経外科部長):日本の脳死判定というのはかなり厳格なものとされています。
司会:玉井 修(沖縄県医師会理事、広報委員):アメリカは基準が違うんですか。
豊見山:基本的には一緒なんですけれども(中略)運用の仕方で差が出ると思います。ただし、実際には、アメリカの移植に携わるコーディネーターの方と話をしたときに、ラフな運用と感じました。人工呼吸器をはずした際は、自発呼吸し始めたのが数パーセント、5%近くあるんだよという話を聞きました。
出典=沖縄県医師会報2011年2月号p178~p197「座談会・移植医療について」

 


臓器提供に関連して心臓死予告の誤りが発覚する頻度

東京都内、家族に臓器提供を説明後=1.8%(6/341)、臓器提供を承諾後=0.4%(1/245)
 東京都臓器移植コーディネーターの櫻井悦夫によると、1995年から2017年3月までの約22年間に、東京都内からの情報で実際に対応した424例のうち、家族への説明にいたったのは341例、うち96例は承諾得られず。家族説明開始後にコーディネーションを中止した96例のうち、5例は植物状態に移行したため。
 245例の家族が提供を承諾したうち44例が提供に至らなかった。うち1例は植物状態に移行したため。
出典=櫻井悦夫:臓器移植コーディネーター 22年の経験から、Organ Biology25巻1号p7~p25、2018年

 この報告に、コーディネーション対象全例の脳死判定の有無は記載されていないため、植物状態に移行した計6例が、法的脳死判定の予定だったのか、一般の脳死診断が下されていたのか、脳死判定の対象外だったのか不明だ。しかし櫻井はp10で「コーディネーターに臓器提供についての家族対応の要請が入るということは,その方は近い将来に『亡くなる』と言う診断がされていることを意味している」と記載している。

 


脳死判定を誤る原因 その1 脳死判定基準にもとづき厳格に行わないから

3割は無呼吸テストが不完全、内科医・一般外科医・一般開業医も脳死判定
 米国中西部68施設における2011年の脳死臓器提供ドナー226例の診療録を調査した。無呼吸テストの完全な記載があったのは166例(73.5%)。無呼吸テストの完全な記載のない60例のうち、56例(93.3%)は脳死と認められる補助検査を行っていた。脳死判定した医師250名のうち20名が内科医、18名が一般外科医。一般開業医、老年病専門医、血管外科医などが1名ずつだった。
出典=Claire N.Shappell: Practice variability in brain death determination A call to action, Neurology,81(23),2009–2014,2013

 

臓器提供施設の3割は「誰が脳死判定を行えるか」「無呼吸テスト中の血液分析」をマニュアル化していない
 米国50州の臓器提供施設492か所における脳死判定基準に関する病院のポリシー、プロトコルを調査した。脳死判定対象から除外する項目に低血圧を入れている施設は56.2%、低体温を入れている施設は79.4%だった。脳死判定を神経内科医や脳神経外科医が行うこととした施設は33.1%。150施設は誰が脳死判定を行えるか記載していなかった。無呼吸テストは、66.4%の施設がテスト中に動脈血ガスの測定が必要と定めていた。 
出典=David M.Greer:Variability of Brain Death Policies in the United States,JAMA Neurology,73(2):213-218,2016

 

厚労省検証会議、基準を逸脱しても注意喚起どまり、実質は許容
 2013年5月公表の「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議 200例検証のまとめ」は、「2例で診断・治療の経過中に画像診断が行われていない」「前庭反射の消失を確認する際に他の検査で代用した事例が2例」「脳波の記録時間の30分未満は38例。標準感度のみが8例」「自発呼吸の消失の確認(無呼吸テスト)を規定を超えて継続した事例が計4例」などを指摘した。脳波記録を紛失した事例もあったが、いずれも「指摘した・・・注意喚起した・・・これらの事例についても臨床症状及び神経学的所見等から医学的に脳に器質的病変を来していると判断でき、検証事例のすべてにおいて、原疾患に対する診断・救命治療は適正に行われていた」などと許容して、今後の脳死判定に向けた注意の扱いで終始している。

 

日弁連、福岡県弁護士会から人権侵害の勧告
 
2003年2月18日、日本弁護士連合会は法的脳死1例目について高知赤十字病院に「法的脳死診断に先立つ臨床的脳死診断において無呼吸テストを実施したこと、また法的脳死判定において無呼吸テストを最後に行なわなかったことは人権侵害である」と勧告した。

 2003年3月13日、法的脳死3例目について古川市立病院に「前庭反射消失検査及び無呼吸テストは、定められた検査方法を採らなかったものであり、患者の生命徴候を見落した危険を無視することはできず、しかもそれらは患者の真意に反し自己決定権を侵害したものであり、人権侵害である」と勧告した。

 2002年3月25日、法的脳死4例目について大阪府千里救命救急センターに「臨床的脳死診断において無呼吸テストを実施したことは人権侵害」と勧告した。

 法的脳死9例目については、福岡県弁護士会が2004年3月3日、福岡徳州会病院に「臨床的脳死判定における平坦脳波の確認は、定められた検査方法を採らなかったものであり、漫然と平坦脳波と判定したもので、患者の生命徴候である脳波の検出を見落とした危険を無視することはできず、しかもそれは患者の真意に反し自己決定権を侵害したものであり、人権侵害である」と勧告した。

 

一般の脳死判定、4割は無呼吸テストを行わず、法的脳死判定に準じない施設が7割
 脳死判定は、法的脳死判定が登場した1997年以前から行われてきた。近年、法的脳死判定が登場したためと見込まれるが「一般の脳死判定、一般の脳死診断、一般的脳死判定」などと称されている。どのような表現をしようとも、医師が「この患者は脳死だ」という認識で治療方針を検討して患者家族に説明し医療を実践するならば、重大性は法的脳死とほとんど変わらない。とりわけ、脳死と判断した後に心停止した患者に、心臓マッサージや人工呼吸をしながら臓器を摘出する。あるいは人工呼吸を停止して死亡を許容する。明確に犯罪的な行為としては1968年7月23日、弘前大学第1外科の山本 実らが14歳男児を人工心肺で凍死させて腎臓を摘出した(移植4巻3号p218~p219)。さらには心臓の拍動中に麻酔をかけながら腎臓を摘出することまで、臓器移植法の制定以前から行われてきたことから、一般の脳死判定を二線級の診断が許容されるかのごとく扱うことは不適切だ。

 埼玉医科大学総合医療センターの荒木 尚、日本医科大学付属病院の横田裕行らは2017年6月の第30回日本脳死・脳蘇生学会で一般の脳死判定の現状把握のためにアンケートした結果を発表した。
 「脳死・脳蘇生」30巻1号p33に掲載された抄録によると、5類型850施設にアンケート調査票を送付、209施設より回答を得た(回答率24.5%)。回答施設の42.5%が無呼吸テストを含まない施設基準で判定を実施、法的脳死判定に準じて一般的脳死を診断していた施設は30.8%。15.8%は脳波・脳血流検査のみで診断していた。無呼吸テストを実施しない施設の59.6%は、家族説明や治療方針決定のためにはABR(聴性脳幹誘発反応)や脳波のみでよいと回答した。家族には「脳死と診断された旨を正確に伝える」と54.1%が回答した。

 以上より、日米脳死判定臓器提供施設の7割は院内マニュアル不備から診断を誤る可能性があるといえる。

 

脳死判定を誤る原因 その2 早すぎる脳死判定、薬物影響下の脳死判定
 一過性のショックで数十時間にわたり脳死判定基準を満たしうる状態になった後に、回復する患者がいる。受傷や発症から脳死判定を開始するまで数日間待つ必要があるが、日本の脳死判定基準にその規定がない。規定している海外の基準でも、24~48時間など短い。
 意識不明で人工呼吸器を装着された患者は、麻酔、鎮痛剤、鎮静剤など脳神経の機能を低下させて脳死と似た状態をもたらす薬物(中枢神経抑制剤)を投与されていることが多い。法的脳死判定マニュアルは「通常の投与、一般的な投与量であれば24時間以上を経過したものであれば問題はない」とおざなりな規定をしている。

「臨床的脳死状態で塩酸エフェドリンを投与された患者が約72時間後に心停止した。解剖して各組織における薬物濃度を測定したところ、心臓血における濃度よりも53倍(3.35μg)の塩酸エフェドリンが大脳(後頭葉)に検出された」と報告されている。腕などから採取した血液の薬物濃度と脳組織内の薬物濃度は異なる。
出典=守屋 文夫(高知医科大学法医学):脳死者における血液および脳内の薬物濃度の乖離、日本医事新報、4042、37-42、2001

 生きている患者から脳組織を採取することは許容されないから、正しい薬物濃度の測定は不可能であるし、測定できても薬物濃度による影響は個体差が大きく「薬物の影響なし」との判断は下しがたい。
 脳血流が低下すると脳に薬物が残留し、低体温療法などで肝臓、腎臓の働きが低下すると、さらに薬物の代謝・排泄は遅れる。中枢神経抑制剤が投与された患者の大部分は、脳死判定の対象から除外する必要がある。
 本資料「脳死判定から心停止までの期間の延長傾向(当ブログでは省略)」のとおり、脳死患者の心停止までの時間は当初の分・時間単位から、「循環、呼吸、内分泌機能が良好な状態に保たれていれば、心停止は何とか避けることができる」まで延びた。長期間生存のうちに薬物が代謝・排泄され、脳死判定基準を満たさなくなる患者が増える。


脳死判定を誤る原因 その3 患者を傷つける検査は行わないから
 たとえ前記1、2を反映した脳死判定を厳格に行っても限界がある。脳死判定時に患者に与える刺激より何倍も激烈で致死的な刺激が、臓器摘出時のメスによる切開、人工呼吸停止による呼吸困難で加えられるからだ。
 2007年11月、アメリカ・オクラホマ州のザック・ダンラップ氏はバイクの転倒事故で入院。脳血流検査も行われて脳死と判定され、家族は臓器提供を承諾した。NBCテレビのインタビューで、ダンラップ氏は自身への死亡宣告について「I heard it and it just made me mad inside(聞こえました、それで狂わんばかりになりました)」と語った。
 脳死判定は、患者の昏睡状態を確認するために疼痛刺激を加える。脳死判定医が患者の顔面を滅菌した針か虫ピンで突き、眉毛付近は指で圧迫して反応の有無を診る。しかし、患者に永続的な傷を残す検査は許容されないから、医師が患者に激烈な痛みを与えることはない。ダンラップ氏の場合は、最後の別れに来た従兄弟の看護師がポケットナイフでダンラップ氏の足の裏を引っ掻く、ダンラップ氏の爪の下に親族が爪を押し込む、という傷害を厭わない痛み刺激を与え、ダンラップ氏が手足を引っ込めたので脳死ではないことが示せた。臓器摘出チームは到着していたが、臓器提供は行われなかった。ダンラップ氏は2年後に結婚、2009年に1児のパパになった。(ザック・ダンラップ事件の英文と日本語訳は筆者サイト内http://www6.plala.or.jp/brainx/wrong.htm#D)
 臓器提供者の血圧、心拍は臓器摘出時に大きく変動する。「脳死判定時の疼痛刺激に反応しなかった患者が、メスで体を切り裂かれる激烈な痛みには反応している」という可能性を考慮すべきだろう。

 脳死判定後の回復例において、人工呼吸器を外した後に患者が自発呼吸をしたことがきっかけとなり脳死ではないことが発覚したケースの多いことも、無呼吸テストより致死的な刺激を行うと反応する患者の存在を示す。

 脳血流検査も行われながら脳死判定が誤っていたケースは、ザック・ダンラップ事件以外に国立成育医療研究センター病院、日鋼記念病院、奈良県立医科大学、シンシナティ小児病院、川崎医科大学、フライ地域医療センター(米国ノースカロライナ州)、千葉県救急医療センターから報告されていることを筆者サイト内http://www6.plala.or.jp/brainx/yosi.htm#3に掲載している。本資料で後述するUCLAの2歳男児も該当する。
 脳血流の低下が続くと脳神経は活動できなくなる。この時に脳死判定基準を満たす状態になるが、血流が増えてくると脳神経は活動を再開しうる。しかし、一層の脳血流低下状態が長時間続くと脳組織は壊死する。ヒトの脳組織が壊死する「血流量とその継続時間」は、人体実験ができないためわからないことが誤診の一因になる。

 


脳死判定後の自発呼吸、従命、運動反応、社会復帰例

(脳死判定を誤ったことが発覚した具体例の背後に、ショック状態あるいは薬物あるいは弱い刺激が原因で、脳死ではないことが疑われることがないまま臓器が摘出されたケースのありうることを想定してもらいたい)


脳死判定から4年半生存、指示すると足を動かしたJahi McMathさん(17歳)
 米国カリフォルニア州で2013年12月12日、13歳時に脳死とされたジャハイ・マクマスさんが2018年6月22日、肝不全で亡くなった。ニュージャージー州に転居して、家族が脳死の死亡宣告取り消しの裁判を行っていた。死亡宣告取り消し訴訟は継続する。家族によると、ジャハイさんの生存中は声で指示すると足を動かす時があった。


Jashown Bannerさん(7歳)、呼吸し、微笑み、手を動かす
 2018年6月13日付のDelaware Newsによると、昨年、米国ウィルミントンで銃で撃たれ脳死とされた男児Jashown Bannerさん(受傷時6歳、現在7歳)が自発呼吸し、現在は在宅療養中。その後、微笑んだり手を動かすようになった。入院中に医師が人工呼吸器を外すように家族に繰り返して言った。現在までの改善を見て、医師の一人は謝った。

 

Holly Robertsonさん、生後36時間で人工呼吸器を外されると即座に呼吸
 2018年6月5日付のiNewsによると、Holly Robertsonさんは英国で出産時に心肺停止、グラスゴーのPrincess Royal Maternity Hospitalで脳死とされ、生後36時間で人工呼吸を停止された。医者は「(お子さんは)重症で薬も投与されているから速やかに安らかに亡くなるでしょう」と告げたが、人工呼吸器を取り外すや否や息をした。脳性麻痺があり普通小学校のspecial unit に通っている。

 

臓器提供予定だったBrian Healさん(50歳)、現在はリハビリ中
 
2018年4月28日付のsomersetliveによると、Brian Healさん(50歳男性)が英国シャーボーンで2017年12月26日に自宅で階段から転落。脳幹死とされ、臓器提供者として登録していたため人工呼吸器で管理したところ体動と回復の兆しを見せた。2月12日に昏睡から脱却、現在はリハビリ中。

 

Taylor Reidさん(受傷時10歳)、会話ができるまで回復
 2018年4月25日付のBelfastliveによると、2016年5月に英国ベルファストでバイクレース事故により脳死宣告されたTaylor Reid君(当時10歳)は、母親は3度にわたり生命維持装置の取り外しを提案されたものの拒否、現在は会話ができるまでに回復し、さらに歩こうとしている。写真は2016年のクリスマス

 

(参考)米ラスベガス乱射事件の被害者ジョバナ・カルサディアスさん(30歳)が回復
 
2018年1月27日、ロイター通信(日本語版)は、昨年10月1日に発生した米近代史上最悪の銃乱射事件(59人死亡、527人負傷)に巻き込まれ、一時重体に陥ったジョバナ・カルサディアスさん(30歳)が奇跡的な回復を遂げ、帰宅できる見通しとなったことを伝えた。夫のフランクさんは、生命維持装置を外して臓器移植のドナーになることを医師団から打診されていたが、妻が夢の中に現れ、すべてがうまくいくと告げた。フランクさんはジョバナさんの母親に、装置を外してはダメだと電話した。
注:このニュースは脳死判定の有無は伝えていないので参考例として提示する。


人工呼吸停止+臓器提供予定に抗議して父親が病院に立て籠っている間に、息子が手を握った
 
2015年1月、米国テキサス州、George Pickering氏は息子が脳死とされ医師は人工呼吸の停止を計画、臓器提供の手配も進められていたことに抗議して、トムボール病院に拳銃を持って立てこもった。3時間の間に、息子は父親の指示に応じて数回、父親の手を握り、父親は脳死ではないと確認できたとして警察に投降。2015年12月17日付のClick2Houstonほかは、息子は意識を取り戻し父親は減刑・釈放されたと報じた。

 

脳死とされた時に内的意識があったJenny Hamannさん(判定時25歳)
 
Facing Life Nowが、脳死とされた時に内的意識のあったJenny Hamannさんへのインタビューを2015年9月から公開している(英文)http://www.facinglife.tv/episode/surprising-realities-of-brain-death-and-organ-donation-part-1/ 22分28秒のビデオのうちおおよそ11分55秒~16分22秒そして19分12秒~19分39秒に登場する。概要は以下。

 1985年にJenny Hamann(当時25歳)さんが脳死とされ、夫は臓器提供に圧力をかけられたものの承諾せず、3週間後に回復した。昏睡状態とされている時に、Jenny Hamannさんは身動きができず目を開けることができず何も言えなかったが、聞こえていた。ある看護師は、いつもJenny Hamannさんの名前を呼び、何の処置をどんな目的でしているかも話しかけてくれた。しかし、ほかの看護師(足音で分かった)は何も話しかけない。その看護師は、ある日、Jenny Hamannさんについて「誰か、これ(This thing)を動かすのを手伝ってくれない」と言った。
 昏睡、覚醒を繰り返すうちに、ある男性の声が「この患者の夫はcompletely unreasonableだ、臓器提供をしてくれれば何人も助かる」と言った。それを聞いていたJenny Hamannさんは「あなたに臓器をやるもんですか。臓器が必要なのは私よ!」と思った。医師が「この患者は脳死、助かる確率は1%しかなく助かっても植物状態だ」と話していたという。Jenny Hamannさんは、その後、看護師になった。

 

ブレーメン病院、ドナーの腹部を切開後、脳死ではないことに気付いて臓器摘出を中止
 2015年1月11日付の南ドイツ新聞は、2014年末、ドイツのブレーメン病院で、予定されたレシピエントにも連絡が行き、脳死ドナーの腹部を切開後、まだ死んでいないことに医師が気付き、急遽、臓器の摘出が中止されたと書いている。Schwere Panne bei Organ-Entnahme https://www.sueddeutsche.de/gesundheit/krankenhaus-bei-bremen-schwere-panne-bei-organ-entnahme-1.2298079 
注:この記事に上記以上の記載はない。

 

2歳児に脳血流検査で脳死宣告、人工呼吸器を外したら呼吸をしたので死亡宣告を取り消し
  
2017年12月発行のJournal of Child Neurology 32巻14号はp1104~p1117に、UCLAのアラン・シューモンによる「False-Positive Diagnosis of Brain Death Following the Pediatric Guidelines: Case Report and Discussion(小児ガイドラインに従った脳死の偽陽性診断:症例報告および討論)」を掲載した。

  重度頭部外傷の2歳男児。無呼吸テストは心拍数の急落や酸素飽和度の急落で中止、脳波は不明確と解釈。シンチグラフィーは頭蓋内血流を示さなかったので、2011年の小児ガイドラインに従い脳死が宣言された。
 両親は臓器提供を拒否した。人工呼吸器を外して2~3分後、少年は著しい徐脈とチアノーゼを呈し、皆が驚いたことに自発的に呼吸を始めた。父親が最初に気付き、看護師、集中治療医、そして他の家族も目撃した。集中治療医によると、呼吸の質は、死戦期の呼吸ではなく深くも浅くもなかった。そのような呼吸が2、3回あった後、集中治療医は人工呼吸器に即座に再接続し、死亡宣告は医療記録から取り消された。
 家族は、死亡が宣告され臓器提供が要望され生命維持を停止された息子が、明らかに生きていることに狼狽した。医師と看護師スタッフらは大変、心を痛めた。2時間後、患児の重篤な状態を熟慮して生命維持装置が再び取り除かれたが、今度は呼吸しなかった。患児は呼吸循環死で死亡が記録された。

 

55歳男性が臓器摘出の手術台上で咳をした
 2011年6月発行のCritical care medicine 39巻6号はp1538~p1542にエモリー大学医学部のAdam C.Webbらによる“Reversible brain death after cardiopulmonary arrest and induced hypothermia(心肺停止と低体温療法後の可逆的脳死)”を掲載した。

 心肺停止の55歳男性に低体温療法を行った。36.5℃に復温した後、神経学的検査では、痛み刺激への反応、対光反射、角膜反射、咳反射、自発的呼吸などの反応がなかった。24時間超の後、残りの脳神経機能も失われた。神経学的検査は脳死と一致した。10分間無呼吸テストと6時間経過後の検査により脳死を確認した。死亡が宣告され、家族は臓器提供に同意した。脳死宣告から24時間後、臓器摘出チームが手術室に到着した。
 患者が手術台に移された時、咳をしたことに麻酔科医が気付いた。急遽、脳神経外科医が呼ばれ、咳反射だけでなく角膜反射、自発呼吸も回復を確認した。
 ケアチームは、患者家族や他の医療従事者に適切な説明を提供するという課題に直面した。脳死ではないことが判明してから104時間後、患者の人工呼吸器は停止され、心肺停止による死亡が宣告された。

結論:心肺停止後の患者に低体温を導入した場合の脳死判定は注意を要する。脳死判定が行われる前に、再加温後の最低観察期間が確立されるべきである。

 

 上記以前の症例の一部は、臓器移植法を問い直す市民ネットワーク編「脳死・臓器移植Q&A50」(海鳴社・2013年第2冊)に掲載している。


 筆者サイト内臓器摘出時に脳死ではないことが判ったケースhttp://www6.plala.or.jp/brainx/wrong.htm

A,臓器摘出術開始前・脳死否定・摘出強行例

B,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出完遂例

C,臓器摘出術開始後・脳死否定・摘出中止例

D,臓器提供決定後・脳死否定・提供撤回例

E,周辺事例 

を掲載している。 

 


 以下は週刊金曜日2018年9月28日(№1202)号p48~p49の「脳死臓器摘出時の麻酔禁止は、誰のため?」です。「週刊金曜日」より転載許可を得て、ここに掲載します。(週刊金曜日の代表電話番号は03-3221-8521)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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第13回市民講座の報告(2018年3月3日) 2-1

2018-11-21 07:37:16 | 集会・学習会の報告

第13回市民講座講演録 2-1

日時:2018年3月3日(日)午後1時30分~5時
会場:カメリアプラザ(亀戸文化センター)第2研修室

 

 

講演①横山 恒(ヨコヤマ ヒサシ)さん
  (脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」副代表兼事務局長〈4月に代表就任〉)

 ≪遷延性意識障害とは?-あきらめないを合言葉に

 

講演②岡原 洋子さん(仮名)
  (脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」会員)

 ≪家族を介護して



 横山 恒さんのプロフィール

・脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」副代表兼事務局長
・全国遷延性意識障害者・家族の会副代表兼関東ブロック担当役員
・ 国土交通省主催の「被害者救済対策に係る意見交換会」メンバー
・2018年4月より「わかば」代表に

 1999年暮れに当時21歳の長女が横断歩道上でわき見運転の大型トラックにはねられ頭部外傷を負い、遷延性意識障がいとなった。千葉療護センター等の入院を経て、現在は在宅介護14年目。今は最小意識状態まで回復し週3回デイサービスに通所している。笑顔が見られたりするが、発語は未だなく24時間の介護が必要。

  

 岡原洋子(仮名)さんのプロフィール

・脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」会員
・交通事故後遺障害者家族の会
・母の介護(介護歴4年)

 

  脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」

  (「わかば」HP http://wakaba-senensei.com/index.htmlより要約)

■「わかば」は1998年、主に交通事故等で遷延性意識障がい者になった患者を持つ家族が、互いに励まし合い、助け合い、少しでも支えになることを願い、『頭部外傷等による重度後遺障がい者と家族の会「わかば」』として結成。(中略)その後、発症原因も頭部外傷の他、脳血管障害や低酸素脳症等多岐にわたり、また会員の状態像も明確にするために、2014年4月に会の名称を『脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」』と改称。
■メンタルケア、会報の発行(年2回)、会員対象に医療・福祉・介護等の勉強会、厚生労働省・国土交通省等行政機関への現状の課題の訴え等の活動を行っている。
■2018年4月より 代表:横山恒 会員家族213家族、賛助会員65名。

 

 

 

講演① 遷延性意識障害とは~あきらめないを合言葉に

                     お話 横山 恒さん

 

 本日はまず、私自身と私が介護をしている娘の自己紹介をします。2番目に「遷延性意識障害とは?」という質問に対する回答、3番目は遷延性意識障がい患者が抱える社会的課題と望み(重度障がい者にとっての悩み)、そして最後に会員の手記について紹介いたします

 

◇私と障がい当事者である娘の紹介

●私は

 私は、1949年10月生まれで現在68歳です。73年に食品会社に入社。99年に長女が交通事故に遭い「遷延性意識障がい」になりました。2000年9月に「わかば」に入会、2011年に食品会社を退社し現在(2018年3月時点)は「わかば」の副代表兼事務局長、「全国遷延性意識障がい者家族の会」の副代表兼関東支部担当役員、国土交通省の被害者救済対策にかかわる意見交換会のメンバー、社会福祉法人世田谷ボランティア協会の評議員等をやっています。

 


●娘は21歳の時、交通事故に遭い遷延性意識障がい者に

 当事者である娘は、1978年6月生まれ現在39歳で、今年6月に40歳になります。1997年4月に明治学院大学社会福祉学部に入学しました。そして1999年12月に、わき見運転の大型トラックに横断歩道上で跳ねられて受傷しました。運転手が赤信号に突っ込んできたのは、手前にあった交番の前に2-3台の車が止まっていてそこに目を奪われて気が付かなかったということです。娘が大学3年(21歳)の時でした。社会福祉学部に在籍して将来は福祉系の仕事に就きたいとこの学部に入りました。ですからボランティアとして車椅子を押してボーリング場に行ったり、不登校児とキャンプに行って遊んだり活発に活動していました。車椅子を押していたのが車椅子を押される側になった、非常に皮肉なことになった訳です。私も会社で物流担当として、物流会社ともやりとりする立場で国土交通省の委員もしたことがありました。私が頻繁に使っていたトラックになぜはねられなければいけないのか、これも皮肉に思われました。


●交通事故後の経過

 1999年12月30日、あと2日で2000年という日に事故に遭い、 国立東京医療センターに救急搬送されました。右急性硬膜下血腫、右側頭葉脳挫傷、左後頭蓋室急性硬膜外血腫、左後頭骨骨折とのことで 1月1日までに手術を3回やりました。2000年1月には 外傷後脳梗塞、深在性真菌症、 3月には重症肺炎、敗血症、敗血症ショックで血圧低下、病院から電話があって緊急呼び出しを受けたこともありました。最初の頃は痰が絡む、目が開けられない状態でした。6月には頭骨を埋める手術、8月に 外傷性水頭症で最初のシャント手術、10月に胃瘻手術をし、同月に 遷延性意識障害(症状固定)と診断されました。2001年3月に 水頭症で二度目のシャント手術をし、目の焦点が合うようになり多少体の動きが出るようになり、5月に受傷後初めてリハビリを受けました。9月に 頭の金属除去手術、11月に頭蓋形成術と手術・治療が続き、2002年4月に 国立東京医療センターを退院して河北リハビリテーション病院に転院しました。


●事故から2年以上を経てリハビリを開始、そして在宅へ

 ここまで2年間、一つの病院に居られましたが、今では考えられないことかもしれません。その間にも転院を促される話はでましたが、偶然その都度状態が悪くなりました。が一方で、転院先として10数か所の病院を当たりましたが全て断られました。動けないし痰の吸引をしなければならない。熱もでる。病院としても預かっても面倒な患者になってしまう。併せて国土交通省の運営する交通事故による遷延性意識障がい者専門病院の千葉療護センターにも申し込みをしましたが、これも20人以上待ち。それでは在宅にしようと意思決定をし、在宅までの間、前述の河北リハビリテーション病院に入院し、その間に自宅改築工事が完了して河北リハビリテーション病院を退院して在宅介護になりましたが、在宅当初には痙攣を起こして慌てたりしましたが、少し慣れてきた8月に千葉療護センターからベッドが空いたとの連絡があって入院しました。その後一時的に2003年4月に 千葉リハビリテーション病院に入院し、両足が尖足になっていましたので、これを改善するための手術( 両足矯正手術)をしました。その病院で思ったことですが療護センターはほぼ遷延性意識障害者の人でシーンとしていますが、リハビリ病院は患者さんが娘に声をかけてくれたり励ましてくれたり患者同士の交流がありました。これは良かったと思っています。その結果6月には 補装具を付け、スタンダードな車イスに乗車することができるようになりました。8月に 千葉療護センターに戻り、12月に経口食を少し始めましたが、2004年11月、 千葉療護センターは当時はリハビリがなく、これ以上の進展がないような気がして、苦渋の決断でしたが在宅介護に戻りました。


●デイサービスでの生活や電動車イスと出会い自分で決められるように

 2005年1月からデイサービスへの通所(ふらっと)に通い始めましたが、それがとても良かったと思っています。そこは自発性を重視し自発性を出すための方法を一緒に考えてくれました。センター長が「彼女は介護されることに慣れてしまっていて自発性がない。それを何とかしたい」と言われました。例えばその日は中にいたい人、外出したい人、を自分で決めさせるんですね。そこは高次機能障害の人が多く、娘は他の人を見ていて段々自分で決めるようになっていきました。今でも色々なところに連れて行ってもらっています。

 2010年10月に栃木県の花の舎病院に入院して紙屋克子先生に、お世話になりました。ここでは午前中はST、午後はPTとOT、夜の入浴時は温浴療法等リハビリ漬けの2カ月半を過ごしました。同11月には紙屋先生が発案して下さり電動車イス使用を開始(レンタル)しました。電動車いすは移動の道具と思われていますが、例えば三差路にぶつかった時、普通の介助者が押す車いすでは介助者の都合で左に曲がっていたものが、自分で右に行こうと意思決定して進む方向を自分で考えられる訳です。つまり娘にとっては意思決定の道具ではないか?と思いました。頭のリハビリにもなるのです。12月には花の舎病院を退院して在宅介護に戻りました。

 

●現在の症状と生活

 19年目を迎えた今は状態は良くなり、言葉は出ず右半身の麻痺は残っていますが、遷延性意識障害からは脱したと思います。左半身は自力で動かせますので最近はボッチャ・プール・卓球等を始めて楽しんでいます。しかし寝返りが打てないので、体位交換はしないといけませんので、妻は夜中まで起きていて、3時頃にも起きておむつ交換と体位交換をしています。24時間介護であることはずっと変わっていません。

 見守りも必要です。例えば赤信号などはみていないこともあります。食事は刻み食ですが、口に入れることに一生懸命になり、入れ過ぎてしまうので介助者がゴックンしてからとか話しかけながら食べるスピードをコントロールしながら食べさせています。時間はかかります。屎尿は失禁状態です。一方、目は動くし雑誌もTVも見ます。女性誌を買っていくと一番最初に占いコーナーから見始めるんです。「お父さんはどれ?」と聞くとちゃんと「てんびん座」を指します。時計を見て時間の認識はあると思います。いつも9時頃に寝るのですが、8時頃になるとそわそわしはじめパジャマのところに行こうとしたり、時間は分かっていると思います。常に笑顔を絶やしません。TVを見てタイミングよく笑い声も出るのですが会話はできません。意思疎通はあります。たとえば私が「ティッシュを頂戴」というと一枚取ってよこす。「もう一枚頂戴」というと又一枚よこす。「もう一枚頂戴」というと面倒なのか、箱ごとくれます。左手で数字や絵は描きますが、文章は書けません。

 今は週3回 デイサービスに通所(送迎付き・電動車イス)して、週1回ヘルパーの移動支援による外出、週2回訪問入浴 、週1回訪問医によるバイタルチェックと処方、週1回訪問看護ステーションによる訪問PT、週2回訪問マッサージ、月1回訪問歯科 、最近は前述のプール又は卓球・ボッチャを月1回始めています。年6回程度は介護者のレスパイトと他人の中での長期生活訓練のために、ショートステイを利用(施設3泊×3回/年、千葉療護センター7泊×3回/年程度)し、今日に至っています。

 

 

◇遷延性意識障がい者って?

●日本脳神経外科学会による遷延性意識障がい者の定義(1972年)

 Useful lifeを送っていた人が脳損傷を受けた後、以下の6項目を満たす状態に陥り種々の治療に対して殆ど改善がみられないまま3ヶ月以上継続した場合をいう。

  1.  自力移動が不可能である
  2.  自力で摂食が不可能である
  3.  屎尿失禁状態にある
  4.  眼球はかろうじて物を追うこともあるが、認識できない
  5.  声を出しても、意味ある発言は全く不可能である
  6.  目を開け、手を握れなどの簡単な命令にはかろうじて応ずることもあるが、それ以上の意思疎通は不可能である

  娘は、 最初は6項目を満たしていましたが、だんだん改善して最近は脱して、後述の最小意識状態に入っているのかなと思います。

 

●遷延性意識障害患者の看護学上の定義(1991年日本看護研究学会)

 脳の高次の機能を障害する何らかの原因によって自らの意思と能力では、食事、排泄、会話によるコミュニケーションなどの生活行為を確立することができず、生活全般に看護・介助を必要とする『重複生活行動障害者』 とされています。

□遷延ってどういう意味? のびのびとなること。ながびくこと。(三省堂国語辞典)
⇒したがって遷延性意識障がいとは 「脳に受けた損傷により意識障害となりそれが長く続いている状態」とも言えます。


□植物状態と遷延性意識障がいは違うの?

 同じです。実は遷延性意識障がいの定義を上述しましたが、これは「植物状態の定義」と表現されており「遷延性意識障がいの定義」というものはありません。植物状態という表現は欧米で使われているvegetative stateの直訳です。

 一方、植物状態という語源を見ると、植物的な機能だけが働いていて、動物的な機能が働いていない状態、とされています。家族としては、尊厳のある人間を「植物人間」というような表現で例えられることには抵抗があり、ただ寝ているだけという誤解も生じると考えます。リハビリをしないとどんどん硬直するし、下の世話もしなければ不衛生になるし。白雪姫の物語ですが、7人の小人は介護のためにいたのでは?と思っています。7人で分担して介護やリハビリを一生懸命していたと考えて読むと、目が覚めて「めでたしめでたし」となった事が面白く理解できませんか?

 一方、遷延性意識障がいという表現も分かりにくい、日本語として馴染みがない等の理由で、もっと分かりやすい表現について学会・家族会で検討が始まっていますが結論は未だ出ていません。「植物状態」の方がわかり易い?という意見もありました。今後、会の中でもフリーディスカッションする機会があればと思います。今後の課題です。

 

◇状態が遷延性意識障がいと高次脳機能障がいの中間だと思えるが、この状態は何ていう状態?

 うちの娘がまさにそうです。状態が遷延性からは脱しているけれど高次機能障害のような意思疎通ができる訳ではないし、就労を目指すことができる訳でもない。
 欧米では2002年から学術的用語として「最小意識状態」(minimally conscious state)と表現され広く使用されています。
この定義としては

  1. 単純な命令に従う
  2. 正誤に係らず、身振りや言語で「はい」「いいえ」が表示できる
  3. 理解可能な発語
  4. 合目的な行動(意味ある状況での笑いや泣き、質問に対する身振りや発声、物をつかもうとする行為、物を触ったりする、何かを見つめたり、目で物を追ったりする等)

以上の1~4のうち、1項目以上が存在する とされています。

 私の娘も3はできないのですが、特に1や4はできます。TVを見ていて志村けんさんのバカ殿様などとても好きなんですね。上からバサッと水がかけられたりすると大笑いする。笑いのタイミングが分かるんですね。ワンちゃんニャンちゃんの番組がありますね。ハプニング的なもの。そういうのもとても喜んで見ています。

 

◇遷延性意識障がいと脳死は違うの?

 「脳死」と混同されることもありますが、脳死ではありません。「脳死」とは脳幹を含めた全脳の機能が不可逆的障害を受けた状態で ①深昏睡 ②瞳孔固定 ③脳幹反射の消失 ④平坦脳波 ⑤自発呼吸の消失 ⑥以上①~⑤の条件をすべて満たし、更に6時間後にも条件を満たす と定義されています。
 
遷延性意識障がいと「脳死」の違いについては貴会で教えて頂いたと思います。

 

◇「わかば」の会の正式名称には「脳損傷による」と書いてあるが何故?

 脳の障がいには4つあると言われています。

  1. 発達障がい(知的障がい、自閉症など)
  2. 精神障がい(統合失調症、うつ病など)
  3. 退行性障がい(認知症、変性疾患など)
  4. 脳損傷(人生の中途の障がい;脳外傷、脳血管障がいなど)

 わかばでは発症原因が主に4.の脳損傷の方で、現在の状態像が遷延性意識障がい(含、最小意識状態)の方を対象に活動していますので、正式名称を、『脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」』としています。脳損傷の具体例としては、脳外傷は交通事故・転落・転倒・スポーツ事故・その他の事故。脳血管障がいは脳卒中(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血などの総称)等の脳血管の病気、その他には脳腫瘍・各種原因による低酸素脳症・脳脊髄炎などが挙げられます。発症する年齢は子供から大人まで幅広く分布します。

 

◇なぜ「障害者」ではなく「障がい者」と書いているの?

 一般的には「障害者」「障害」と表現されていますが、「害」という文字は三省堂国語辞典を見ると「悪い影響」と解説されており、害虫や災害等好ましくないものに付けられることの多い文字であり、わかばではこの表現は適切ではないと考え、ひらがな表記とし「障がい者」「障がい」としています。
(注)わかばでは使っていませんが、「障碍者」「障碍」と表現する場合もあります。

 

◇遷延性意識障がいって改善しないの?

 これが一番大きなテーマです。完治は難しいのが事実ですが、毎年開催されている日本意識障害学会等では、多くの意識障がい改善事例が報告されています。ネットでも「遷延性意識障害からの回復例」として多くの回復事例が紹介されています。

 わかば会員の中にも紙屋式看護術(新看護プログラム)、脊髄硬膜外電気刺激療法(DCS)、脳深層部刺激療法(DBS)、音楽運動療法等により改善し、最小意識状態や高次脳機能障がいに移行している例があります。が、保険適用になっておらず高額な費用がかかることもあります。

 今後については脳に対しても再生医療(iPS細胞・ES細胞・骨髄間葉系幹細胞移植等)、経頭蓋直流刺激(tDCS)など先進医療やリハビリ用ロボットの研究・応用が進むことに期待しています。東京理科大の小林宏工学博士の歩くための機械、「アクティブ歩行機」の講習会も4月に行います。

 「わかば」の会員同士の合言葉は「あきらめない」として、年2~3回学習会を開催し、家族の出来る口腔ケア・嚥下訓練・リハビリ・マッサージ等改善に有用と思われる、手技や情報を共有するようにしています。会員同士の情報交換で改善しているケースはたくさんあります。

 

◇遷延性意識障がいと言われ入院しているが、家族は何をしたらいいの?

 意識レベルの回復において大事なことは常に何らかの方法で五感を刺激することです。 意識障がいから脱却できた方の話を伺うと、回りでの会話は聞こえていた、或いは自分が病院に居て誰が来ているか分かっていた、という方も多くいらっしゃいます。これらから考えると「声掛け」「肉親のボディータッチ」は絶対に必要だと思います。
 「声掛け」は天気の話、当事者の興味のある話、昔話・・・・等何でもいいと思いますが、ネガティブな話はベッドサイドでは絶対にしないようにしてください。 本を読む、というのもいいようです。分かっているということを前提に話していいと思います。
 「ボディータッチ」は手や足や顔を優しく触ってあげてください。まさに「手当」なんですね。当事者にも肉親の温もりが感じられ、安心できる筈です。もしできればですがソフトなマッサージもしてあげると拘縮の予防にもなるかも知れません。1ミリずつ改善していけばいいのです。「あきらめない」というのはそういうことなんです。
 上述の他にも好きな音楽や番組を録音して聞かせたり、好きなにおいをかがせたり、本人が印象的に思う風景写真や人物写真を見せたり、女性でしたらお化粧をしたり、色々と五感を刺激する方法を工夫してあげてください。

 また、毎日の介護日記をつけ続けることをお勧めします。一気に改善するのは難しいですが、1日1日の積み重ねが後で考えると大きな改善につながっている事が多く、例えばその日記を見て3か月前と今日を比べたり、半年前と今日を比較することによって改善が実感でき励みになる事もあります。 

 併せて、ジル・ボルト・テイラー著(竹内薫訳・新潮文庫)「奇跡の脳」という本の購読をお薦めします。これはアメリカの脳科学者であったテイラー博士がある日、脳卒中に襲われ以後8年に及ぶリハビリを経て復活した、という実体験を著したものです。高次脳機能障害は残っている様ですが。この中で付録Bとして「最も必要だった40のこと」というページがありますが、非常に良いことが書いてあります。これを理解し実践してください。

 それと、どうしても当事者のことばかりに気がいってしまいますが、当事者以外の家族(特に高校生以下)の心のケアも忘れずにしてあげてください。また、介護をしているとどうしても社会から孤立してしまっているような想いになってしまうことがありますので、当会に限らず各地にあります遷延性意識障がいの家族会に入会し、同じ環境の方との交流や情報収集もお勧めいたします。

  一方で最寄りの自治体の保健福祉課又は障害福祉課等を訪問し、エリアの障害福祉サービス制度や障害年金制度・成年後見人制度等について説明を受け、必要な手続きを進めて下さい。また、堺脳損傷協会発行の「意識の回復を待つあいだに家族にできること」という小冊子もうまくまとまっていて、参考になると思います。


◇遷延性意識障がい者でも在宅で介護できるの?

 実は、「わかば」では半分以上の方が在宅介護をしています。
今の医療制度の中では入院期間が一定期間を経過すると病院の保険点数が少なくなるため、長くても3ヶ月以内に退院又は転院を病院から促されます。そうなると家族は病院を転院するか、介護施設に入所させるか、在宅介護とするかの意思決定を迫られます。しかし、遷延性意識障がいは、意識障がいと重篤な身体障がいを併せ持ち、「医療・リハビリ・介護」と高度で密度の高いケアを必要としますので、現在の医療制度では受け入れのできる病院は非常に少ないです。家族は受け入れてくれる病院を必死に探し、何とか転院できても、その日から次の病院探しが始まります。

 辛うじて療養型病院や医療的ケアのある介護施設に入院・入所しても、リハビリも受けられず寝たきりのまま置かれている患者も少なくありません。転院を受けてくれる、或いは希望を満たす病院や施設が見つからない場合は、痰の吸引が必要な障がい者でも、人工呼吸器をつけている障がい者でも、在宅介護とせざるを得なくなります。その場合、家族介護者は訪問診療や訪問介護やヘルパーに来てもらい、(可能であればデイサービス、ショートステイ等を利用しながらの)24時間の介護を余儀なくされます。しかし、医療的ケアを必要とする場合は、このデイサービスやショートステイも受け入れ先は少ないのが実情です。

 それでも、わかば会員の方も多くの方が頑張って、それぞれに工夫をしながら在宅で24時間介護をしています。むしろ積極的に在宅を選択した方もおられます。 また、在宅になって家族の「あきらめない」継続的な介護により症状が少しずつ改善し、最小意識状態や高次脳機能障がいに移行した方も少なからずいらっしゃいますが、介護者は大変です。

 在宅介護のためには家の改造が必要になる場合が多いと思いますが、改造費の一部助成制度や生活用具・屋内移動設備等の給付制度もあります。また、金銭面では在宅を条件の手当て支給制度もありますので、事前に最寄りの自治体等にご相談ください。事後になると助成を受けられないものもあります。

 また堺脳損傷協会発行の「遷延性意識障害者の在宅介護を考えている人のために」という小冊子(A5版で12頁;頒布価格100円+送料)も参考になると思ます。


 ◇遷延性意識障がいについてもっと知りたいが?

 日本評論社から河北新報社編集局編の「生きている~植物状態を超えて~」という本が2012年9月に発行されました。値段は1600円ですが、ぜひご購読ください。家族の思い、障がい当事者や家族の置かれている状況、社会資源の少なさ等がお解りになると同時に、改善事例や今後への期待等がお解りになると思います。 また、全国遷延性意識障害者・家族の会では2013年秋に同会会員アンケートを行い、その結果を「家族の歩みー遷延性意識障害者と共に生きる」(246頁)としてまとめ、その縮刷版「家族の歩み普及版」(50頁)も作成いたしました。ご希望の方は最寄りの家族会にご相談ください。

 最新情報ですが、2018年3月下旬に日本意識障害学会編集の「遷延性意識障害患者の在宅ケアサポートブック」(メディカ出版、3240円)が発行される予定です。これは高名な先生方が項目毎に分担して執筆されており、在宅とうたってはいますが入院中でも参考になる情報も少なからずあると思います。

 

◇わかば以外にも遷延性意識障がい者の家族の会はあるの?

 わかばも賛同団体として加盟していますが、「全国遷延性意識障害者・家族の会」という全国組織があり、下記の家族会が賛同団体となっています。
◆(北海道地区中心) 北海道遷延性意識障害者・家族の会「北極星」
◆(東北地区中心)  宮城県「ゆずり葉の会」
◆(栃木県中心)   栃木県遷延性意識障害者・家族の会「らいめい」
◆(首都圏・関東甲信越地区中心)
           脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」
◆(中京地区中心)  東海地区遷延性意識障害者と家族の会「ひまわり」
◆(北陸地区中心)  北陸ブロック遷延性意識障害者・家族の会「ぬくもりの会」
◆(近畿地区中心)  頭部外傷や病気による後遺症を持つ「若者と家族の会」
◆(九州地区中心)  遷延性意識障害者・家族の会 九州「つくし」
 また、交通事故被害者の家族会として以下も賛同団体になっています。交通事故裁判等につきましてはこちらにご相談ください。
◆交通事故後遺障害者家族の会 
◆交通事故被害者家族ネットワーク


◇遷延性意識障がい患者の抱える社会的課題と望み

これは貴会にも共通する課題だと思いますが、以下があげられます。

  • 障害者手帳に意識障がいの明記とそれに伴う福祉制度等の拡充
  • 全国レベルでの遷延性意識障がい者の実態調査の実施
  • 意識障がい改善に有効と言われる治療やリハビリの普及と保険点数化
  • 同一病院での入院期間の延長
  • 回復期病床の増床とリハビリの拡充
  • 保険診療でのリハビリ時間上限の撤廃
  • 医療的ケアのできる介護施設の設置
  • ショートステイの拡充
  • ヘルパー等非医療職への医療的行為緩和の普及促進
  • 障害者総合支援法の重度訪問介護の地域間格差の是正と24時間派遣
  • 遷延性意識障がい者も特定した災害時要援護者支援体制の早期確立
  • 電気料金や家庭用発電機の助成
  • 介護者なき後の不安の払拭
  • 憲法第25条にある「尊厳ある人間の人間らしい生き方」の保障

  これらは貴会にも共通する課題だと思いますので簡単にお話ししますが、

◇障害者手帳に意識障がいの明記とそれに伴う福祉制度等の拡充

 遷延性意識障がい者に渡される障害者手帳の障害名には、殆どの方が四肢体幹機能障害(1級)程度しか書いておらず、状態像が書かれていません。これだけだとパラリンピックに出ている人もこう書いてあると思います。私たちの介護している障がい当事者はそれに加え遷延性意識障がいという状態を抱えていますので、意識状態とか呼吸器を付けているなどの状態像も明記し、この状態に合わせた固有の福祉制度や受入れ態勢の拡充を望みます。

 

◇全国レベルでの遷延性意識障がい者の実態調査の実施

 宮城県・三重県・兵庫県・静岡県など、一部の県レベルでは遷延性意識障がい者の実態調査はなされたことがありますが、全国レベルではどこに何人の遷延性意識障がい者がいるのかさえ把握されておらず、3万人とも5万人とも言われています。これとて推計です。先ずは実数と状態の実態調査を実施し、把握した数字に基いて遷延性意識障がい者に対する各種施策の予算化を望みます。そのためにも上述の障害者手帳への明記が必要と考えます。

 

◇意識障がい改善に有効と言われる治療やリハビリの普及と保険点数化

 日本意識障害学会等を聴講しても、新しい治療法やリハビリによって、多くの意識障がい改善事例が報告されています。また、私たちの回りでも紙屋式看護術(新看護プログラム)、脊髄硬膜外電気刺激(DCS)、脳深層部刺激(DBS)、音楽運動療法等により改善している例が少なからずあります。これらの改善術の普及と、今はエビデンスが少ない等の理由で保険適用とならず、高額な費用がかかるこれらの治療法が保険対象とされ、誰もが受けられることを望みます。

 更に、今後についても脳に対しての再生医療(iPS細胞・ES細胞・骨髄間葉系幹細胞移植等)、経頭蓋直流刺激(tDCS)など先進医療やリハビリロボットの研究・応用の推進・普及と保険診療化も望みます。

 

◇同一病院での入院期間の延長

 現在の診療報酬制度では一定期間を超えると同一病院での入院継続が難しいため概ね3ヶ月以内に転院、退院を促されます。やっと転院先を確保できても、すぐにまた次の転院先を探さねばならず、何ヶ所も転院している方もいます。遷延性意識障がい状態の特性を考慮し長期入院が可能な制度を望みます

 

◇回復期病床の増床とリハビリの拡充

 一方、急性期病床から転院を促されると回復期病床ではなく慢性期病床(療養型病棟)への転院先しかない、という状況が増えています。これは発症から短期間での転院のため、気管切開や胃瘻等をしていたり人工呼吸器を使用しているケースが多く、この管理や体位交換・おむつの取り換え等が必要であり、回復期病床では看護師等が少ないため対応ができず、看護体制の整っている慢性期病床に移される、という背景があるためです。

 しかし脳損傷の場合はリハビリは大変重要な回復手段であり、日本意識障害学会でもリハビリ実施の効果も数多く発表されています。急性期病床の後は回復期病床に移り、そこでのリハビリの充実により遷延性意識障がいになる事を回避できるような医療体制も望みます。

 もう一点は現在の機能別病床数の偏在にも課題があります。

 2017.5.11の日経新聞に掲載された学習院大学鈴木亘教授の提言によると、現状(病床機能報告における報告)と、2025年の機能別病床数の目標値(医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会・第一次報告)は次ページの通りであり、目標に対して大きくかけ離れております。

 

現状(2017年)

目標(2025年)

  高度急性期病床

16.9万床(14%)

13.0万床程度 (11%)

  急性期病床

59.3万床(48%)

40.1万床程度(34%)

  回復期病床

12.9万床(10%)

37.5万床程度(32%)

  慢性期病床

35.4万床(29%)

24.2~28.5万床程度(23%)

    計

124.5万床

114.8~119.1万床程度

 

 回復期病床は10%しかなく入院は宝くじに当たるようなものと言っても過言ではないと思います。一日も早い回復期病床の増床と、そこでの脳損傷者に対するリハビリを含めた治療を望みます。

 

◇保険診療でのリハビリ時間上限の撤廃

 2006年より発症後180日を超え、改善の見込みが低いと一人の医師が判断した場合は、保険診療でのリハビリにかけられる時間は月260分に上限が設定されました。リハビリをしなければ手足の拘縮・痙縮は進んでしまいますし、顕著な改善がなくても現状を維持することも障がい当事者にとって重要なことです。一方で刺激を与えることは意識改善にも繋がる大切な手段です。260分でPT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語聴覚訓練)をこなすには時間が足りませんし、長い時間をかけて少しずつ改善するのが遷延性意識障がいの特徴ですので、この上限時間を撤廃することを望みます。回復期医療の拡充を望みます。

 

◇医療的ケアのできる介護施設の設置

 身辺のことが自分でできず、医療的ケアを必要とする遷延性意識障がい者に対応できる施設(デイサービス・グループホーム等)は全く不足しています。発症原因や発症年齢にかかわらず遷延性意識障がい者を含んだ医療的ケアのできる介護施設を早急に各都道府県に設置されることを望みます。

 

◇ショートステイの拡充

 在宅における介護者は24時間×365日の介護を余儀なくされています。介護者が元気でなければ良い介護はできません。介護者のレスパイト(休息)や介護者の急病等の際でも、障がい当事者が快適に介護を受けられるショートステイの拡充を望みます。更に、障がい当事者の中には痰の吸引、人工呼吸器管理、経管栄養等医療的ケアが必要な者が多く医療的な対応のできるショートステイの拡充を望みます。少なくとも国・公立病院には遷延性意識障がい者専用のショートステイ用ベッドの設置を望みます。


◇ヘルパー等非医療職への医療的行為緩和の普及・浸透

 ヘルパー等非医療職への医療的行為の緩和は2012年に可決されましたが、まだ私たちの周りの介護現場に普及・浸透しているとは言えません。一方、ヘルパー等に以前ならお願いできていた痰の吸引等の医療的行為が、制度発足以降は研修を受けていない等の理由で断られることもあります。この制度の普及・浸透のために、介護事業所等におけるこれを妨げている各種要因(費用、研修期間、報酬等)の調査・改善を含む、この制度の普及の迅速な推進を望みます。


◇障害者総合支援法の重度訪問介護の地域間格差の是正と24時間派遣

 私たちの介護する障がい当事者は在宅介護では家族介護以外にヘルパーのお世話になることも欠かせません。しかしこのヘルパーの派遣時間に地域間で大きな差があるようです。これは介護事業所の数の問題もありますが、ヘルパー派遣に対する介護事業所に支給される報酬単価の低さもありますので、これらの早急な改善による地域間格差の是正と、夜中を含めた1日24時間派遣が可能な制度化を望みます。

 

◇遷延性意識障がい者も特定した災害時要援護者支援体制の早期確立

 私たちの介護している障がい当事者は災害時には何らかの援護がなければ死に直面する最弱者です。四肢体幹麻痺ですので避難が必要な場合にも介護者一人では避難できません。また停電すると次項の通り電気を活用した生活ですので重大な危機に陥ります。災害は明日来るかも知れず、先ずはこれら遷延性意識障がい者の実態を固有名詞で把握し、有事には適切な支援ができる体制が至急作られることを望みます。

 

◇電気料金や家庭用発電機の助成

 私たちの介護している障がい当事者は体温調整が難しいため、夏は冷房・冬は暖房を24時間欠かすことができない者、人工呼吸器を使っている者、頻繁な痰の吸引が必要な者、加湿器が必要な者がおり、その他にも移動リフト、電動ベッド、電動車いす、昇降機、住居用エレベーター等を使用しています。

これらは全て電力で動いており電気代の値上げも家計に大きく影響します。また、上述の災害時対策として家庭用発電機も必要です。これらの全額とは言いませんが一部だけでも助成していただけることを望みます。


◇交通事故に伴う療護センター・委託病院の増設と協力病院の充実

 交通事故に伴う死亡者は減っていますが、一方で医療技術の進歩により重大な後遺障がいを持つ障がい者が増えていると推察できます。その中には遷延性意識障がい者も増えていると思われますし、私たちの介護している障がい当事者の発症原因としても交通事故が多くあります。これらに対し現在は独立行政法人自動車事故対策機構の運営する療護センター及び委託病院が全国に8か所(計280床)ありますが、これでは需要に対し不足しており、この増設を望みます。 また同機構はショートステイ用に協力病院・施設をネットワーク化していますが、この病院・施設に対し、更なる遷延性意識障がい者の看護技術等の教育の充実を望みます。

 一方で上記は自動車の自賠責保険を財源としていますが、交通事故ではないが同じ状態の脳損傷者のための病院・施設(長期入院が可能でリハビリをしっかり行う病院・施設)についても、これを参考に財源を含めた検討を望みます。

 

◇介護者なき後の不安の払拭

 現在介護に当たっている、障がい当事者の親・配偶者・兄弟・子等の介護者が死亡或いは長期入院する場合に、残された障がい当事者の介護や生活について大きな不安を抱えています。今の福祉環境の中ではこれに対応する終身施設(医療的ケアのできるグループホーム等)は非常に少なく、地方自治体の制度として、残された障がい当事者が寿命を全うする最後の一日まで住み慣れた町で快適に毎日を過ごし、介護者も安心して死ねる或いは長期療養できる社会の実現を望みます。人材が足りない等という言い訳を聞いている時間はなくなりつつあります。

 

◇憲法第25条に保証される、尊厳ある人間の、人間らしい生き方を求めます

憲法第25条
*すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
*国は、すべての生活部分について、社会福祉、社会保険及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
重度障がい当事者も健常者と同じように人間らしい暮らしができる共生社会の実現を望みます。

 

  

第13回市民講座の報告2-2に続きます。


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第13回市民講座の報告 2-2

2018-11-21 07:29:23 | 集会・学習会の報告

第13回市民講座の報告 2-1から「講演① 遷延性意識障害とは~あきらめないを合言葉に」の続き

 

◇わかば会員の手記より

「香(かおり)へ  横山 明美
 

  これは長くて悪い夢であって欲しかった。

  一年毎に以前のあなたは薄くなり、今のあなたが濃くなってきて、

  一体どっちが本当のあなたなのか判らなくなるから不思議です。

  眼は生まれたばかりの赤ん坊のようにきれいで、

  その頃に戻ってしまったのかと思う程です。

  お母さんはこの歳になって、あなたを一から育て直さねばならないのでしょうか。

  二十世紀も残り一日となったあの日の夜、真に悪夢のような事故で、

  あなたは危うく自分の命をもカウントダウンされそうになりましたね。

  信号無視のトラックが、幸せだったあなたを植物のように動けない

  体にかえてしまってから六年が経ちました。

  かつて福祉を学んでたあなたに与えられた物は、

  卒業証書ではなく、一級の障害者手帳でした。

  でもお母さんは信じています。

  やがてあなたが自分の力で動き出す日がくることを。


(事務局注)
 上の文章は、福島県の猪苗代町絆づくり実行委員会他主催、日本郵政公社他後援の、2005年度第4回心の手紙コンテスト「母から子への手紙 あなたに伝えたい想いがある」に横山明美さん(香さんの母親)が、交通事故によって不幸にして突然21歳で遷延性意識障がい者にされてしまったお嬢さんへの気持ちを書いて応募したところ、1572通もの応募作品の中から大賞(1編)に選ばれたものです。

 

 以上、「あきらめないを合言葉に」を副題に「遷延性意識障がいとは?」ということでお話させていただきました。

 

 

 

講演② 家族を介護して

                    お話 岡原洋子さん(仮名)


 今日は、4年前に交通事故に遭い遷延性意識障害になった母が、2年間何も食べられなかった状態から普通食を食べられるように回復してきましたので、遷延性意識障害と言われる状態であってもリハビリをすることにより食事が摂れるところまで回復するということを一つの事例としてお話させていただきます。

 

自己紹介

 まずは簡単に私と母の自己紹介をします。約4年前に母が交通事故に遭いまして、一年間の入院生活を経て、2年目から在宅介護になりました。私は正社員で働いていますので、在宅介護をするにあたり、まずは会社のそばに引っ越すことから始めました。仕事以外では、脳損傷による遷延性意識障がい者と家族の会「わかば」の役員、「交通事故後遺障害者家族の会」の役員、また市民後見人の活動などを始めるところです。

 母は現在78歳です。23年前に私の父が亡くなり、父の事業を引き継いで母が経営をしていました。飲食業でしたので休みがほとんどない状態でとにかく働きもので丈夫な母でした。

 

当時の様子

 事故当時の様子を詳しくお話しますと、2013年10月に交通事故に遭い、事故当時母は74歳でした。自転車に乗っていたところをブレーキとアクセルを踏み間違えた車に轢かれて救急車で運ばれました。外傷性くも膜下出血、脳挫傷、頭蓋骨骨折という診断でした。

 病院に駆けつけた時は昏睡状態で、頭に大量の出血をしているので今すぐ手術をしないと厳しいとのことでしたが、手術できる先生が不在で実際手術が開始されたのは4時間後くらいでした。執刀医からは「助かるかどうかはわからない。たとえ助かったとしても絶対元には戻りません」とはっきり言われました。

 手術後は、意識不明が1週間くらい続き、瞼がたまに開くようになり、2週間後にようやく開眼しました。時折り笑顔も出るようになりましたが、意識障害が残り自分が置かれている状況は理解できていない様子でした。

 約2か月後に急性期病院からリハビリ病院に移りまして、最初に入院したのは赤羽リハビリテーション病院です。当時の映像を見ていただきますが、身体的にはこのように手足がある程度動いていました。ただカニューレなどを抜去してしまうリスクから、私達がいない時は拘束されてしまい、次第に手足が動かなくなっていきました。今でもこの時の「拘束」という対応に悔いが残ります。廃用性症候群で筋力も落ち、その後水頭症にもなってしまったので、覚醒もどんどん低下していきました。

 水頭症のシャント手術を受けに最初の急性期病院に転院しましたが、その後また赤羽リハビリに戻れると思っていたのですが、経管栄養、気管切開、意識障害が理由となり再度戻ることはできませんでした。そもそも同じような理由から受け入れてくれるリハビリ病院はほとんどなく、ようやく見つかった状況でしたのでそれはとてもショックでした。でもここで断られたおかげで、もともと行きたかった初台リハビリテーション病院に行くきっかけができ結果的にはとてもよかったです。最初から初台に行かなかったのは、実は急性期病院のソーシャルワーカーさんに「初台は若い人しか受け入れていないから無理です」と言われたからなんです。自分で調べずにそれをそのまま鵜呑みにしてしまったことで、初台に行くのが遅くなったことは今でも悔やんでいます。

 

リハビリについて

 それでは、どんなリハビリをこれまでしてきたかをお話します。まずはPTですが、最初に入院した赤羽リハビリでは、端坐位や、状態のいい時は立位をしていました。おそらく母のような状態の人にはこのようなリハビリが標準だと思います。でも初台リハビリは違っていました。最初からではありませんが、状態が落ち着いてきてからは、股下からの長下肢の装具を付けて立たせ、後ろから理学療法士の先生が抱きかかえての歩行練習を毎日してくれました。足の裏を地面につけて自分の体重を支えることが脳の刺激にはとてもいいですし、尖足の防止にもなります。このリハビリが筋力維持となり、食事が食べられることにもつながっていると私は思っています。

 このリハビリは入院中だけでなく、在宅に切り替えても同じようにやってくれる先生を探して現在も毎日続けています。こちらが先週撮ってきた自宅での歩行練習の様子です。看護師や介護士だけでなくセラピストも不足していますので、当初は在宅で同じようにリハビリをするのは無理ですよと周りに言われましたが、あきらめずに探した結果、運も良かったと思いますが、毎日1時間きてくれるPTの先生と出会えました。年末年始も今年は休まず来てくださいました。

  次にSTのリハビリですが、大きな綿棒にジュースを染み込ませ凍らせたもので口の中をマッサージするというアイスマッサージが中心でした。入院中は嚥下が悪かったので、途中で中止になることもしょっちゅうでした。在宅が始まってSTの先生にも週4日来ていただけることになり、同様のリハビリを続けてもらっていました。ただ食べるようになるにはどうしたらいいのかわからないまま、同じリハビリを続ける日々でした。そんな時に嚥下リハビリ専門の先生の存在を知り、これがまさしく転機となりました。内視鏡での飲み込みテストで嚥下は悪くないということがわかり、あっさりその日から食べることがOKとなったんです。事故から約2年が経っていました。入院中には悪かった嚥下が改善されていたのは地味でも続けていたアイスマッサージ等のリハビリの成果だと思います。リハビリがいかに大事であるかを思い知らされました。

 これが昨日の母の朝食の写真です。煮物とご飯とサツマイモ、おしんことお茶。当初は口も上手に開けられず、私たちがこじ開けて食べさせるような状態でしたが、去年の夏頃からはこのように自ら口を大きく開けて力強く食べられるようになりました。





家族が思うこと

 わかばの合言葉にもなっていますが、まず一つは「あきらめない」ということです。介護をしているとあきらめそうになる場面がたくさん出てきます。命が助からないと言われた時、初台リハビリは無理だと言われた時、在宅でPTやSTの先生を入れるのは難しいと言われた時、口から食べることは無理だと言われた時、などなど。それでも、母は食べることが大好きだったので、せめてゼリー程度でいいから何か食べさせてあげたいという思いが強く、それをあきらめなかったから今に繋がっていると思います。

 家族があきらめたらその先はないです。介護は一人ではできないですし、家族だけでもできません。たくさんの方の助けをいただいてチームワークで成り立つものです。中心にいる家族があきらめないという気持ちをしっかり持っていると周りにも伝播して奇跡が起きるのだと思います。あきらめないということは、決して高い希望を持つということではなく、日々ちょっとした変化や、本人に少しでも快適な環境を作ってあげたいなど、ささいなことでいいと思います。

  もう一つは「何を信じるか」ということです。なんでも簡単にインターネットで調べられる便利な時代ですが、一方で情報が多すぎて何を信じればいいのかわからなくなります。例えば、私にとっては「胃ろう」がそうでした。現在母は胃ろうをしていますが、当初私は胃ろうについて何も知らなかったので、まずはインターネットで調べました。今思えばそれがそもそもよくなかったのですが、「胃ろうをしてまで生きたくない」などといった、ネガティブな情報が多く、それに引きずられ「胃ろうはするものではない」と私は思いこんでしまっていました。でも実際は悪いことばかりではありませんでした。考え方は人それぞれ自由ですが、自分はどうしたいのか?誰の意見を信じるのか?たとえドクターであっても、納得できないなら納得できるまで話し合い、その上で決断をすることが大事だと思います。間違っていても自分で考えて決断したことであれば、きっと後悔はないと思うからです。

  最後になりますが今年の私の目標は母の笑顔を見ることです。事故後、少しの間は笑顔が出ていたのですが、水頭症になってからは笑顔が出なくなりました。母が笑ってくれる日を夢見てこれからも母を見守りながら自分たちなりのペースで介護を続けて行きたいと思います。本日はありがとうございました。

 

 

≪追加のお話≫

●胃ろうについて

横山)私の胃ろうについての考え方をお話します。私の娘も食べられるようになったけれど胃ろうは残してあります。それはリスクマネージメントもあるんですね。必要性もあるのですが、夏場に水分を取らなくてはいけない時に、飲まない。そうすると胃ろうから水分を注入することによって、暑さ対策や水分欠乏を回避できる。最近はないのですが、痙攣が起きて口から薬がはいらないとき、胃ろうから直接注入することによって収まったということがあります。将来、もし震災など避難所に入らなければならないことが起きた時に、周りがわさわさしていると食べられない。今でも妻と二人で、集中させないと食べない事があります。そういった時、胃ろうがあればとりあえずは栄養は賄えるのかなと思っています。便利上使っているのは、ディサービスに週3回行っていますが、9時半にバスが迎えに来る。摘便はしなければならない、おしっこはさせなければならないと、結構忙しいのです。ゆっくり食事をさせる時間がない。ですからデイに行く日の朝だけはララコールを注入して栄養素だけはとる、というように使っています。私は胃ろう賛成派です。

 

横山さんから追加のお話

 これがプールの写真です。体験させたかったがおむつを付けているとだめだったですよね。世田谷で障害者のためのプールをやってくれてこの笑顔です。左手だけ動かしてやっています。

 これは、去年の暮れにヘルパーさんが喫茶店スタバに連れて行ってくれました。その時、今年を漢字一字で書いてというと「楽しい」と書いた。受傷して18年になりますが、ここまで回復するんだと厚生労働省の人に見てほしいが、こんな笑顔が出るようになりました。ゆくゆくはどこまで改善していくか分かりませんが、親がどこまで介護ができるか、親亡き後のことを真剣に考えたいし、もっと伸ばしていきたいというのが私の気持ちです。

 

和田つぎゑさんのお話

 私の夫が倒れた時に脳派がフラットだからダメですよ、いつ死んでもおかしくない状態と言われ、救命センターでも重症のところにいました。医療の方たちは本人の前でもずけずけ言う、家族にとってはそういう状況じゃないということを本日も話されていたと思いますが、私たちが訴えたいのはそこなんです。体が温かい、心臓も動いている状態を見れば、藁にもすがりたい思いなのです。介護をしていてメンタル的に落ち込んだ時にどうしたらいいか?自分はこうだったと、会報で当事者の方の声を掲載すると、「生きていて良かった」という言葉が必ず出てきます。当事者でもあったマッサージの先生をお呼びして話を聞くと、意識がない時の体験を話してくれました。リハビリも苦しいけれど生きていたいという気持ちを大事にしていきたいと思います。

 私は、夫が亡くなって17年、こうしてあげればよかったという思いもありますが、体が温かい時の気持ちを忘れられないし、その時の気持ちを大事にしたいと思います。人間の死は自然に迎えられるものでありたい。コンタクトレンズを入れたまま脳死の判定をしたとか、ドーピングにひっかかった選手がそれはコンタクトレンズの保存液が回ったせいではないかという記事もありましたし、(何とか助けてほしいと願っているのに)臓器提供と言われるのは抵抗があります。こちらの会の情報は大事です。わかばからも情報を発信していきたいと思っています。これからも宜しくお願いします。

(編集注:和田つぎゑさんは2003年より「わかば」の代表を15年間務められた。2018年4月より横山恒さんが代表に就任された。)

 

 


 

≪質疑応答≫

質問)①転院について聞きします。3か月より早く転院を迫られることはありますか。最近の状況について教えて下さい。
②療養病床が介護医療院にかわるという話がありますが、それは療養に関して影響があるのかどうか。
③リハビリロボットとはどんなものなのでしょうか。

横山)①について、相談で一番多いのは「転院先どこかないですか」という問い合わせです。しかしそれは私はお答えできませんと言っています。病院の院長や看護師が変わると全然変わってしまうことがあります。ですから、ここがいいとは言えない。娘も在宅が長くなって、病院事情はわからないのですが、3か月どころか1週間2週間でも変わるように言われる人もいる。ソーシャルワーカーの方と話すと、療養型にまわそうとするというか、療養型しか受けてくれないという現実があります。遷延性意識障害の場合はリハビリがとても重要です。早くからリハビリをやることによって意識レベルが上がってくるので、意識をどう変えるかは五感に刺激を与えることが大切だし手足の硬直をいかに防ぐかが大事なポイントです。療養型病院だと褥そうはできないかもしれないが、多くはリハビリはやってくれません。初台リハビリテーション病院はリハビリもやってくれる数少ない病院です。院長がそういう方針なのかもしれません。

②今、療養型のベッド数を減らし回復期を増やす動きがあります。現状で高度急性期病床が17万床、2025年にはこれを13万床に減らす。急性期病床が60万床を40万床に減らす。回復期病床は13万床を37万床に増やす、慢性期病床35万床を25~28万床位に減らそうと。トータルとして125万床を115万床に減らすというのが、厚労省の目標値になっている。その流れの中で慢性期を減らして介護施設を受け皿として増やすと。問題は医療的ケアの必要な人が受けいれられるか、それはよくわからない。

③リハビリロボットについては、一言で説明するのは難しい。アクティブ歩行器といって、足に装具を付けて装具を動かすことによって歩く体験を思い出させようというものです。また、「HAL」―脳派を引っ張り出してコンピューターに入力して、歩く感覚を脳派に戻して記憶させるものも。ロボットを足に付けて歩き、正しい歩き方を覚えさせるというものです。私も装具を付けて体験しましたが、私は普段猫背でだらだら歩きますが、背をまっすぐ、足をあげてとやると、1週間程度は覚えているのです。その後は元に戻ってしまいましたが、続けることによって覚えさせるというものです。装具を付けなければ歩けないのですが。

介護ロボットも進んでいます。他に、HALの延長線上ですが、腕に装具をつけて字を書くことを脳に覚えさせる。そういうロボットもあると思います。

大塚)バクバクの会の大塚です。「わかば」と我々の会はやっていることは同じだなと思いながら聞きました。
*気管切開と人工呼吸について少し話したいと思います。痰の吸引が素人ではうまくいかないこともあるので、在宅で呼吸器を付けている場合は気管切開をした方が本人にとっても介護者にとっても楽ではないかと思います。後で閉じることもできます。気管切開はしなくてもいい場合はそれで済ませられますが、決して気管切開が悪いこと怖いことではないことを知っておいてほしいと思います。

*胃ろうについては、体を維持する最低のもの、適量を補給できるから、マイナスのものではないと思います。ネガティブに捉えるのは腹が立ちますね。私たちの会は29年目になり当初の子どもたちが30歳を超えています。自立というか親亡きあとを考えなければならない。バクバクの会を設立した方は亡くなったが、その娘がアパートを借りて24時間介護、人工呼吸器をつけているのでヘルパー二人配置。24時間×2人×31日、月1488時間でやっています。現在、当事者3人がほぼ24時間ヘルパーを付けて親から自立してアパート暮らしができています。できないというのではなくやるのが当然と主張するべきです。国は施設型を削って在宅など地域に戻す政策を行っている。親亡き後を考えると厚労省や自治体に、地域で暮らせるようグループホームとかアパート暮らしの方法を、既成事実を突き付けながら、自立について皆さんと一緒にやって行きたいと思います。

 私の子どもは21歳で亡くなりました。その昔、転院先は親に捜して来いと言われました。これは医者の怠慢だと思います。医者の方が情報を持っている訳ですから、それを家族にやらせるなんておかしいです。私どもの会と共通する部分をお話させていただきました。

横山)重度訪問介護ですが、地域間格差があることがネックだと思います。各自治体に丸投げで国としての指針がないのではないかと思います。高原さんが港区で227時間、世田谷区はそこまでない。世田谷区は介護保険の対象が16万人、障害者手帳が4万人、バランスを考えるとそこまで回ってこないと思います。母は認知症でしたが、特養の空きがない。在宅で頑張って娘とダブル介護でやりましたが、自治体にどう理解させるか考えなければならないと思います。ぜひ一緒に進めていきたい。


質問)大塚さんに質問です。特に夜間とか男性の方のヘルパーがいなくて、時間数を取れてもヘルパーが来てくれない現状があります。「わかば」の場合、一人暮らししたいかと聞いても意思表示ができない、コミュニケーション障害と言われる。どうやって自立されたのかその辺をお聞きしたいと思います。

大塚)ヘルパーの不足はどこも同じだと思います。吸引やヘルパーの研修があると思いますが、自分たちで養成して増やしているのが現状です。やりたくないという介護事業所もあります。現実にはニーズがあるので、ニーズを伝えながら徐々に増やし、複数の事業所を使いながら24時間を確保している状況です。意識があるかどうかということですが、アパート暮らしをしている3人は自分の意思を表明できる人です。意思を表明できない人を施設入所なり親がずっと介護ということも不可能です。入所で生活の質を落として生きながらえることがいいのか?尊厳が無くなる訳です。意思が分からない人をほっておいていいのかということです。その年代の普通の生き方を推測しながら、この人たちを地域の中で見守りながら暮らしていけることを目指していきたいと思っています。意思のある人はそれをサポートし、意思のない人は親亡きあとを気持ちよく快適に過ごせるよう努力する、そういう方向が会の運動の方向と考えている。

横山)親が子供を介護するのはマイノリティであり、子が親を介護するのが大多数です。そういう政策が行われている、後見人制度もそうです。少数者への政策が無いのが問題です。独り立ちは、できる部分とできない部分があるのかなとも思います。悩ましい問題です。


質問)24時間ヘルパーをつけている方は、高次脳機能障害なのか遷延性意識障害なのか脳梗塞等で不自由な方なのか?

大塚)神経筋疾患の子どもが成人した人です。子どもの時代から体は動かなかったが、頭は鮮明です。ミトコンドリア筋症であるとか筋ジスの人が今、独立してやっています。

質問)多摩に電動車いすで24時間やっている人がいますが、強力なNPO法人がついています。当事者の症状によってきまるというか、遷延性意識障害と平準化するということをしないのが根っこだと思います。私の場合は妻がくも膜下で倒れ高次機能障害になりました。1年間は活発に動けたが、3年後に脳幹梗塞になった。病院にいても衰えるだけだと、脳幹梗塞は医療ケアが必要です。機能を上げる治療はなくリハビリだけですが、保証はありません。脳の障害ですから下から刺激を与えるというリハビリです。すぐに始めて成果は出ました。リハビリが重要であることが一点。重度障害と言っても症状がバラバラです。妻には徹底して吸引もしたので、肺炎にはならなかった。本人の苦しさや意思表示で柔軟にやっていく。声は出たが、体力的にカニューレ気管切開はできませんでした。リハビリは基本で、重度介護訪問ヘルパーがつくが、家族は摘便から吸引から何でもできないとだめでした。家族がやるのはおかしい制度ですが、現実には家族がヘルパーさんを教えて引っ張る現実があります。経験から在宅は工夫が必要と思いました。


質問)「わかば」の会員です。皆さんの行動力に触発されて頑張ろうと思いましたが、在宅に戻せていない現状です。岡原さんのお話を伺って、自分がどうしたいのか、何を信じるのかというお話に背中を押された気分です。岡原さんはお仕事をしながら見られているということですが、ヘルパーさんがどういう状態で入っていて、夜間も含め1ヶ月を通して介護とリハビリをどう入れているのか教えて下さい。

岡原)平日は私は9時半出勤で、ヘルパーさんは10時にきますので、9時30分~10時までの間は、近所に住む姉が来てくれます。ヘルパーさんが来てから姉は出勤です。ヘルパーさんは曜日によって違いますが、夕方6時か7時頃までいていただいています。そのあとは私が一人で朝まで見ています。体位交換と吸引は、帰宅してから12時までの間は1~2時間おきに、12時以降は2~3時間おきに行っています。重度訪問介護の時間数が月227時間なので、正直足りません。リハビリについては介護保険で利用できるのは週に2時間だけなのでそれ以外はすべて自費です。STは週4日夕食時に来ていただき食べさせてもらっています。訪問入浴が週3日、医療保険でのマッサージの先生が週5日、訪問歯科月2回で口腔ケアをしてもらっています。ドクターは週1回、訪問看護も週1回です。ヘルパーさんは日曜日以外は週6日で来ていただいています。STの時間がないときは、ヘルパーさんに胃ろうからの栄養をお願いしています。2カ月に1回、美容師さんにカットしてもらっています。

質問)それらを組み合わせて設計するのはご自身ですか。

岡原)初台リハビリで、在宅に入る前にそれらのプランを考えるよう言われました。ただ、実際は在宅が始まらなくてはイメージがつかめなく、具体的には在宅が始まってからスケジュールをたてていった感じです。自分でできない手配などはケアマネさんにお願いしたところもあります。

質問)PTを入れたいと実現するためにはどこと話すのでしょうか。

岡原)ソーシャルワーカーさんやケアマネさんにPTを入れたいと相談すると難しいと言われ、自分でインターネットで探したりしましたがネットでは見つからなかったです。運よく初台リハビリに出入りしているリハビリの先生に出会うことができて、「ぼくがやりますよ」と、言っていただきラッキーでした。

質問)地域によって違うというお話だったのですが、この地域は支えてくれる。手厚いとの情報はネットで調べるのですか。

和田)わかばの学習会で厚労省の専門家に来て頂いたが、その資料で知り得た情報は利用するとか、厚労省の方の名前を出すなどすると態度が変わったりしました。ランチの会などで聞くしかないと思います。

 私たちは中途障害者なんですね。18歳以前の受傷だと愛の手帳―療育手帳をもらえ、その他に身体障害者手帳ももらえる。それらの手帳があると利用できる制度が違ってきます。「わかば」でも要求していますが、18歳以前と以後では全然違ってくるのです。脳血管障害の方は40歳過ぎると今度は介護保険優先にされてしまいます。そうすると在宅になっても利用できるものも負担も違ってきます。高原さんは受傷された時、身体障害手帳も取っているから、介護保険で足りない部分は障害手帳で補っているのです。知らない人は介護保険だけにされてしまうから、利用できる制度が限られてしまいます。病院の言うように介護保険だけにすると在宅は大変だし負担もかかるということです。わかばでもグループホームを立ち上げてそこは障害者制度しか使えない。脳血管障害になった人は介護保険しか使えないから入れない。では障害に切り替えてくれと言っても自治体は嫌がる。障害と両方使うのも大変ですが、家族会で情報を交換して、うちの会の人は使っているのにと交渉する。そういう壁が中途障害の場合はあるのです。リハビリにしても、現状維持もできないと訴えても、制度は何を利用しているかで違ってきます。だから家族会が大事なのは、情報が入ってくることです。大変だけど会に参加されて情報を得るのがいいと思います。障害の方にもケアマネージャーをつけることができるようになったというのが相談支援事業所ですが、遷延性意識障害の状態を知っている人が少なくて、制度の利用が大変なのです。だから、大塚さんのところのように、介護事業所を立ち上げるのは大事ですが、わかばの場合、そこまで行きついていないのが現状です。

参加者)私の息子は人工呼吸器を付けていて在宅していました。「わかば」にも、脳症の会にも「バクバクの会」にも入っていました。振り返って、自分でやるしかないと思います。役所に行っても、何もしてあげられないと言われました。仮退院をして、行政を呼びました。取れた時間は月52時間でしたが、ヘルパーがいないから、使いきれませんでした。ヘルパーさんを育てながらやりました。ともかくやってみることです。

参加者)わかばの会員です。うちは1年半入院しましたが、最初半年は植物状態でした。在宅になる時、お願いしていたケアマネさんが何もしてなくて真っ青の状態でした。ヘルパーさんをどのくらいというのも後で聞いて月60時間でしたが、期待通りでなかったのです。今は一切使わず一人でやっています。在宅で4年たちました。ケアマネが何もやってなかったということに憤り、訪問も入浴もないというところから始めました。自分で探したり役場に足を運んだり、病院のケースワーカーの方が動いてくれて今に至っています。動いている中でいろんな人に出会いました。和田さんの紹介でアクティブ歩行器の先生にお世話になって週に1回通っています。学生さんと話しながら機械の開発を一緒に進めるということで勉強になっています。回復に合わせたロボットですが、尖足が治っていないとか義足だとかでスムーズに使えなかったり、アシスタントがいなかったりで、サイバーダインのHALも止まっている。歩行支援ロボットも、ホンダの“Honda歩行アシスト”や広島大学の歩行支援ロボット“RE-Gait”など歩けるようになった方用の機械もできているようです。
 医療制度にもぶち当たりました。リハビリがある病院を探しましたが、発症後2カ月以内でないと入院できないと言われました。その時は植物状態ですよ、せめて植物状態を脱した時から2カ月にならないでしょうかと訴えました。最後は運よく花の舎病院にお世話になりましたが、その病院も制度が変わって介護保険の人しか受け入れないと変わったようです。私の子が最後だったのよと言われましたが、それは違うだろうと思います。制度も声をあげて変えていければと思います。

横山)遷延性意識障害は病名ではなく状態なんですね。遷延性という意味が理解されてないので、難しいところがあります。全国会と一緒に厚労省に行ってお話しています。機会があれば、その時は皆さんも一緒に行きましょう。

参加者)各地で相談にのれる人もいるし、全国的にも弁護士が介助制度を使えるように活動しています。介助制度を変えていきましょう。


司会)受傷してから2カ月でリハビリを開始しないとできないのですか?
高次機能病院にいれられると2週間で転院させられる。紹介もされない。療養型は紹介してくれる。これはひどすぎますね。

横山)私も10か所断られ、在宅を条件に受け入れられましたが、それも2カ月しかいられませんよと言われました。

司会)あまりに問題があってどうしたらいいのかと悩んでしまいますね。

 本日は、臓器移植の問題も資料に入れていますが、脳死と遷延性意識障害の線引きは実際の医療の場ではどこでされているのか、疑問も多いです。現在は、脳死と診断されると主治医から臓器提供の選択肢が提示され、家族の意思で提供される事例が増えています。海外では回復事例も数多く報告され、国内では脳死に至った原因も発表もされず、非公開・不透明という事態が進んでいます。

 遷延性意識障がい者の方はご家族を中心とした「あきらめない介護」で回復された方も多いとのお話でしたが、一方で回復されない方もいる、その分け目はどこなのかを考えさせられました。

 リハビリが受けられない現状、医療制度、介護保険を始め様々な保険制度や行政の在り方に問題を感じた一方で、会員間の情報交換やロボット開発など、希望も感じられたお話でした。今後も、共に考えて行きたいと思います。





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第12回市民講座の報告(2-1)

2018-03-18 11:21:49 | 集会・学習会の報告
第12回市民講座講演録(要旨)
日時:2017年10月1日(日)午後1時30分~5時
会場:江東区総合区民センター第2研修室
 
講演  斎藤 義彦さん(毎日新聞記者)
≪広がる「尊厳死・安楽死」-オランダの状況を中心に≫
 


【斎藤義彦さんのプロフィール】
 1965年滋賀県生まれ。1989年毎日新聞入社。岡山支局、大阪本社特別報道部、社会部で臓器移植、安楽死、障害者の権利擁護など医療や福祉問題を主に取材。その後、ベルリン特派員として戦争後のイラクなどを取材。2011年~ブリュッセル特派員。フランスのシャルリーエブド事件などのテロの現場取材なども行う。現在、毎日新聞本社生活報道部。
 
【斎藤義彦さんの著書】
『死は誰のものかー高齢者の安楽死とターミナルケア』(2002年/ミネルヴァ書房)
 高齢者の「終末期医療」の状況を取材、「尊厳死」・「安楽死」・「脳死」をめぐる議論を包括的に紹介し、重要な論点を提示している。
「アメリカ 置き去りにされる高齢者福祉」(2004年/ミネルヴァ書房)
 家族に捨てられる高齢者の状況、ナーシングホームでの虐待、「安楽死」などの問題を紹介している。 
『ドイツと日本「介護」の力と危機―介護保険制度改革とその挑戦』(2012年、ミネルヴァ書房)
 
 
 
 
 
 
 
 広がる「尊厳死・安楽死」-オランダの状況を中心に
 
 最初に自己紹介をします。1989年に毎日新聞社に入り、大阪社会部、東京本社外信部を経て、ドイツ・ベルリンとベルギー・ブリュッセルに赴任しました。ブリュッセルでの取材対象は安全保障、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)が主でしたが、時々、介護保険や安楽死についても取材していました。これまで、安楽死や介護保険に関する本も出版しています。

                            

安楽死とは?
 最近、脚本家の橋田寿賀子さんの安楽死に関する発言が話題になっています。彼女の認識が正しいかどうかはわかりませんが、著書「安楽死で死なせて下さい」(文春新書)の中で、「周りの人に迷惑をかける認知症になったら安らかに殺して下さい」、スイスに行って安楽死したいと言っています。
 安楽死は三つに分けられますが、橋田さんが思い浮かべているのは「積極的安楽死」です。医師が致死薬を処方、あるいは注射するものです。安楽死にはこのほかにも、人工呼吸や人工栄養などの延命措置を中止する「消極的安楽死」、モルヒネを大量に与えるなど過度の鎮静によって死なせる「間接的安楽死」があります。
(記事を示して)1996年、京都の老人ホームで植物状態だった女性(83)の人工栄養を止めて死なせたことを記事にしました。「消極的安楽死」ではないかと報道したところ、当時大議論になりました。
 安楽死は違法行為ではありません。ある一定の条件下で合法と認められるものです。最近は、自然死とか平穏死とか、呼び方を変えようとしていますが、物事の本質をゆがめようとする言い換えだと思います。安楽死は他人が殺すということが基本であり、安楽死という言葉を使った方がいいのではないかと思います。
 
安楽死が認められる条件とは?
 安楽死が認められる条件とは何か。日本では1995年の横浜地裁の東海大病院事件判決で示された条件しかありません。この裁判は多発性骨髄腫の男性(78)の家族が、見ているのがつらいから何とかしてくれと医師に頼んだら治療をやめた。医師は家族にもっと楽にしてくれと言われて、鎮痛剤や向精神薬を大量に打ったが死なないので、最後は塩化カリウム製剤を打ってしまったというものでした。この行為は殺人罪で懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けています。この判決の中で、積極的安楽死が認められる条件が示されました。
●横浜地裁判決で示された積極的安楽死が認められる条件
①患者が絶えがたい肉体的苦痛で苦しむ
②死が避けられず死期が迫っている
③肉体的苦痛を除去・緩和する代替手段がない
④本人の意思表示
(1995年横浜地裁判決 東海大病院事件)
 こうした条件が示されて、安楽死が社会から認められているかというと必ずしもそうとは言えません。「積極的安楽死」については実際には行われていないのではないかとみられます。
 積極的安楽死と殺人を混同した事件も起きています。1998年に川崎市の病院であった事件では、患者本人も家族も要請していないのに、主治医が勝手に患者に筋弛緩剤を投与して死亡させました。殺人罪で有罪となっています。これは、殺人であって積極的安楽死ではありません。殺人と積極的安楽死は似ているので手が出しにくい状況です。
 一方で、消極的安楽死は治療中止の形をとったり、「看取り」と呼ばれて行われるようになっています。日本老年学会の学会員(医師)へのアンケートでは4割くらいが人工栄養や点滴を中止したと回答しています。
 間接的安楽死の実態はよく分かっていません。
 結論的に言うと、橋田さんが望むような安楽死は日本では行われていないのです。
 
 
オランダで行われている積極的安楽死
 私はベルギーに赴任してオランダへもよく行って取材していました。その実態を話すのは初めてです。まず積極的安楽死とはどういうものか、4,5分の映像を見て下さい。63歳の男性です。難病で13~14年くらい闘病生活をしている。昔は世界を飛び回るビジネスマンで働いていたが、この状態になって死なせて欲しいと、2012年8月です、シャンパンを開けて家族と過ごし、医師が来て30分で死にました。
 その時の映像をながします。
 奥さんがお別れをしています。これがお姉さんです。本人はしゃべれない状況ですが、意識はしっかりしています。これが医師です。お医者さんが作ったシャント、注射しています。致死薬ですね。肩で息をしています。間もなく呼吸が止まります。このあともう一度注射して終わりです。
 日本でオランダの安楽死を目撃されたのは皆さんが初めてだと思いますが、とても静かです。
 (別の例)この人も2006年に安楽死した人です。71歳。ビール会社に勤める優秀な人だったが物忘れが激しく、その状況を受け入れられない。生きたくないと、車椅子は嫌だと、死ぬ1年前に安楽死すると決意表明して、家族も受け入れた。ドキュメンタリーになっていますが、死の数週間前にはパーティを開いている。息子さんからお話を聞きましたが、父の意志を讃えると言っていました。左が息子です、奥さんと娘さんと共にワインを飲み、お別れして、翌日に致死薬を自分で飲んで死んでいます。
 いろんな議論がありますが、橋田さんが言うように自分の死ぬ日を自分で決めるというのはそれはそれでいいかなという気もします。一方で、認知症の人が安楽死していいかはオランダでも議論になっています。
 積極的安楽死はオランダでも刑法上は違法です。自殺ほう助も違法です。しかし2002年に安楽死法が施行され、ある条件が満たされれば違法の扱いはしない(違法性を阻却)とすることになりました。
 

●オランダで安楽死が認められる条件は
医師が
a患者の要請が自発的で熟慮されていると確信
b苦しみが耐え難く、改善の見込みがないと確信
c患者に現状と展望をよく伝えた
d患者とともに、患者の状況に関して、合理的な代替手段がない、との結論に達した
e少なくとも一人の独立した医師が患者を見る。その医師と相談、上記a-dにつき書面で意見を得る
f生命を終わらせるか自殺を支援する
 ということでないと違法になります。医師に任せるというのが条件です。横浜地裁と比べると、「肉体的苦痛」がオランダにはない。「死期が迫っている」という条件もない。そこは大きな違いです。
 
オランダで行われている安楽死は少数(全体の5%以下)だが近年増えている
 安楽死がオランダで行われている数は少数で、死者全体の5%以下です(2015年4.6%)。限られた人だけが行っています。すごくたくさんやっているようなイメージがありますがそんなことはありません。しかし今、すごい勢いで増えていて年間6000件を越えています。以前は2000件以下だったのです。その理由は法律ができる前から闇で2000件ぐらい行われていたと推定されていて、それが報告されるようになったからではないかといわれています。高齢化で死亡数が増えたのと関心が高まったとこともあります。

 安楽死には二つ方法があります。医師が致死薬を注射するか、あるいは医師が致死薬を処方して、それを本人自ら服用するかです。95,7%が医師が自宅で注射して安楽死させます。自分で薬を飲むのは少ない。場所はほとんどが自宅です。
 安楽死にはチェックシステムがあります。まず、医師は地域の検視官に通報しなければなりません。検察当局は問題があれば捜査し、刑事訴追するのですが、開始以来刑事訴追された例はありません。また全国の5地域に「地域再検討委員会」が設置されています。委員会は医師、法律家、倫理の専門家で構成されています。そこで「問題あり」とされたのは0.1%以下ということです。問題ありとされた事例は例えば30代の精神障害者が安楽死した時、子供同伴で説明した事例などです。また、腰痛で安楽死した女性がなお治療の余地があったとも指摘されました。再検討委員会は、報告を受けて問題をあれば調べるというやり方で、委員会自ら調査して実態を把握している訳ではありません。
 
認知症と安楽死
 安楽死は簡単には実行できないというのが私の取材実感です。先ほど紹介したパーティやった男性の場合、最初の医師は認知症だからと、安楽死への協力を拒否しました。この男性は結局、自分で致死薬を集めて服用しました。しかし、すぐに死ねずに3日後に亡くなった。美しく死のうと思ったのに、実情はそうではなかったという皮肉なものでした。医師の3分の2は安楽死への協力を拒否をしているのではないかとも言われています。
 なぜ認知症の安楽死が難しいのか、というと、患者の要請が自発的かどうか確信できず医師は反対する。法律上は意思表示できなくなれば安楽死したいという書面があればできることになっていますが、たいていは書いてないし、現在の本人の意思と書面との関係が不明の場合が多いからです。

 認知症の安楽死はわずか、2.3%位です。認知症の安楽死は困難だということは世界共通の問題です。スイスでは嘱託殺人は違法ですが、自殺ほう助は利己的目的でなければOKです。橋田さんが選んだディグニタスという団体は判断能力があることを条件にしています。認知症は突き返されたりする。「認知症が出たら教えて下さい。私はすぐに行くから。」と橋田さんは言っているが、難しいのではないかと思います。

●認知症が進行した女性を安楽死させたケース
 オランダで、かなり認知症が進行した女性を安楽死させたケースを取材しました。
 女性は2004年、57歳の時にアルツハイマー病と診断され、家事をやるのも大変になってくる。てんかん発作後、05年、安楽死を望む宣言書を書くことを決意。「私はアルツハイマーだが老人ホームには行きたくない」と話していたといいます。かかりつけ医は将来、安楽死することでは同意。家族がかかりつけ医と面談し、宣言書にサインした。09年に宣言書は再確認されています。しかし、2010年に認知能力が急激に低下します。かかりつけ医が驚くほどでした。かかりつけ医が訪れると女性は安楽死宣言のことは何も覚えていない。かかりつけ医は安楽死をためらいました。親族一同がかかりつけ医に面会して実行を要求しました。かかりつけ医は、別の医師が同意するなら、という条件で安楽死実行に同意した。しかし別の医師は安楽死に同意しませんでした。夫と弁護士は「宣言書があるならできるはずだ」と主張したが、事態は進みません。2011年3月、「オランダ安楽死協会」で活動する医師が同意する文書を書き、安楽死は実行されました。最初に睡眠させ、致死薬を徐々に投与したといいます。
 実行時には女性は家族のこともほとんど認識できないほど認知症が進行していました。会話も出来ない状況だった。安楽死の予定日の前日にかかりつけ医が訪れて「安楽死をやりたいのか」と聞いても「何かやってくれ」「助けてくれ」というだけでした。安楽死への協力を断った医師は「認知症でよくわかっていなかった」と話します。一方で同意した医師は「長年の経験で、患者が安楽死を望んでいたことはわかった」といいます。
 夫によると、妻は老人ホームに働きに行っていたことがあり、「老人ホームに入りたくない」 「たとえ良いケアを受けていても、自分で自分のことができなくなったら私も生きていたくない」と強く望んでいました。普通に暮らせなくなった状態は「人間的でない」と話していたそうです。夫は「(命の)保護と、自己決定のバランスを取らなければならない。自己決定は私と妻が最も重要と思うものだ」と話します。また「動物でも安楽死を受けことができる。なぜ人間は受けることができないのか」と問題提起しています。

●「死のクリニック」に協力要請したローレンスさん
 先ほど映像を見せた「ローレンス」さんという人のケースでも、なかなか安楽死できなかったのが実情です。2007年に安楽死の意思表示をしましたが、主治医に断わられました。心臓発作を起こした後、老人ホームに3ヵ所入所。いずれの施設も安楽死の実施を断りました。合計10人の医師が断ったといいます。ローレンスさんは難病の「多発性硬化症」でした。肉体的な「痛み」はなく、あるのは精神的苦痛だけです。安楽死が認められる条件にある「耐えがたい苦しみ」にあたるかどうかは議論がある。
 そこでローレンスさんは「死のクリニック」に協力を要請しました。オランダで主に安楽死運動を進めているのは「安楽死協会」(自発的な生命の終わりのための協会。英訳は「オランダ尊厳ある死」16万5000人)なのですが、そこが2012年に「死のクリニック」を設立しました。
 ローレンスさんは2012年4月に申し込み書送りました。順番は当時、51番目でした。2カ月後の6月末に看護師が来ました。主治医と別の独立した医師(SCAN医師と呼びます)、さらに精神科医も来てOKを出しました。入所先の老人ホームは安楽死実行への協力は断ったのですが、部屋だけ貸すことで折り合いがつきました。全体で30分間で実行されたそうです。
 
死のクリニック
 「死のクリニック」は、いわば安楽死を出前する組織です。安楽死を良く知る医師や看護師のネットワークです。「安楽死協会」は「安楽死のリクエストの4~5割は実施されていない」と主張しています。安楽死に反対する医師から同意を得られなかったり、条件に満たないケースがあるためです。それを「補助的に」解決するためにクリニックを設立したといいます。50チーム、各10人が活動しています。
 「死のクリニック」へのリクエストの3分の1が精神障害によって行われています。次に筋萎縮性側索硬化症(ALS)、多発性硬化症(MS)などの難病が3分の1、3番目のグループが認知症です。リクエスト数は2016年には1796件になり、うち498件で安楽死を実行しています。2013年にはリクエスト749件、実施133件で、リクエスト数は2.3倍、実施数は3.7倍になっています。全安楽死に占める、死のクリニックが実行した安楽死の割合は2013年3%から2016年8.1%と増えています。全安楽死に占める認知症、精神障害の実施率と比較すると、認知症、精神障害の安楽死ケースに占める死のクリニックの実施率は高いと言えます。安楽死に手馴れた医師や看護師が「死の出前」をやっています。ただし、安楽死の用件では、必ず、別の独立した医師(SCAN医師)に意見を聞かなければいけません。参考意見を聞く別の医師は、医師会のシステムでランダムに選ばれているため、「死のクリニック」が易々と安楽死を実行できるわけではありません。リクエストが多すぎて実現は3割程度になっています。

 死のクリニックとは

・市民団体「安楽死協会(自発的な生命の終わりのための協会)が設立

・安楽死を良く知る医師や看護師のネットワーク

・医師が拒否して安楽死が「4~5割が実行されていない」事態を解決するため

・医師、看護師ら10人でチーム。50チームが活動

 
 
 
 
 
 
 
●法廷闘争の末に安楽死した女性のケース
 「死のクリニック」の利用者で、法廷闘争の末に安楽死を実行した女性(80)の例を取材しました。2015年4月に安楽死しています。2013年10月に脳内出血を起こして2014年に老人ホームに入所しました。安楽死を希望したのですが、老人ホームから拒否されました。2014年8月、親族が「死のクリニック」に連絡。2015年2月に「死のクリニック」の医師と、精神科医が計5時間ほどみて、女性の安楽死は可能と結論付けました。担当弁護士によると女性は「こんな弱った状態では生きたくはない」と話したといいます。ところが老人ホームの施設長によると、安楽死を宣言した文書はありません。また自由に動けず、話せないのですが、生活を楽しみ、笑っている。苦しんでいることはない、といいます。ホームの主治医は「安楽死を納得できない」としています。ホーム側は「入居者のために最善を尽くすのが責務。退所は認めない」と、あくまで退所を認めなかったため、女性の弁護士は2015年3月退所を認めるよう求めて提訴します。4月に裁判所が退所を認めたのですが、ホーム側は認めないよう仮処分求めて提訴。審理がまとめられて、上級裁が退所認めました。ホームが彼女の利益を十分に判断できていない、というのが理由。結局、4月22日、女性は退所し自宅で致死薬を自ら飲む自殺の形で安楽死が実行されました。
 女性に本当に能力があったのか、議論は尽くされたとは言いがたいのが実情です。女性の弁護士は「彼女は当時の国王がだれかもわからなかった。読む事もできない。だが彼女は能力があった。彼女の権利を守った」と主張しています。これに対して施設長は「理解できない」と話します。例えば、「朝食で次にバターかお茶か、それは彼女もよく判断できた」しかし「認識能力はいろいろ。死ぬ選択は究極のものだ。だれが彼女が安楽死を望むとわかるのか? 私は間違いを犯したと思う」と話します。
この一件では、オランダのマスコミはホームを「監獄」にたとえるなど、攻撃しました。これも裁判に影響したかもしれません。
 オランダには「どうしても死にたい」というグループが存在しています。それを支えるような弁護士や政治家もいます。普通に「生きたい」「生かしたい」と考える大多数の人たちと鋭く対立している面があると思います。
 
オランダの長期介護の支出は世界でトップクラスだが・・
 介護の話をしますと、おばあさんの入所していた老人ホームは非常にきれいです。複合的な施設で、日本で言うところのサービス付き高齢者住宅(サ高住)があり、屋根つきの中庭でつながった向かい側にナーシングホームがあります。吹き抜けは非常にいい感じです。サ高住で容態が悪くなるとナーシングホームに移ります。「ナーシングホームに入りたくない」ことを理由に安楽死を望む例を紹介しました。ここに入りたくないというのはどういうことなのだろうかと考えるとなかなか理解はできません。
 経済協力開発機構(OECD)のデータによると、長期介護(障害者なども含む、一部医療含む)では、オランダがダントツの一番です。公的介護保険を世界で初めて1968年に導入しました。長期療養の費用が非常に高い。例えば日本は国民医療費が41兆円、介護保険が10兆円で、介護が4分の1。オランダは短期医療保険が400億ユーロ(5兆4000億円)、1年以上の入院など長期医療介護は200億ユーロ(2兆7000億円)と半分。かなり重視している。オランダは施設介護が中心です。自宅を売り、ケア付き住宅へ入り、重度化すれば同じ施設のナーシングホームへ-が一般的なパターンです。全く不安がない。介護が悲惨だからと日本で言うのは分かるが、オランダはそうではない。ということは…。安楽死は介護の悲惨さを理由にしていない。自分で自分の事をコントロールできないのは嫌だから死にたいという抽象的なもの。自分が自己決定できなくなったことへのいらだち、後悔が老人を安楽死へ追い立てていると言えるでしょう。
 
 
●100歳になりたくないと安楽死した女性のケース
 人生に疲れたら安楽死させてくれという動きがある。オランダ北部に住むモーク・ヘーリンハさんは99歳で、「100歳になりたくない」と安楽死を望みました。人生が完結したと考えたといいます。しかし、病気もなく痛みもないため主治医は協力を拒否。08年、ヘーリンハさんが熱帯地帯の旅行用にためていたマラリアの薬や睡眠薬約100錠を息子のアルバートさん(68)が渡した。ヘーリンハさんはそれを摂取して死亡しました。
 オランダでは自殺幇助は罪で、安楽死の条件を満たした場合のみ違法とされない。検察は息子のアルバートさんを自殺幇助で起訴。一審は有罪、二審は「安楽死の条件を考慮して行った」として無罪だった。しかし2017年3月、最高裁は「医者以外が安楽死を行う場合は、厳格な条件を満たすべきだ」として、別の地裁に審理を差し戻した。
 アルバートさんは、「人生が終わった」人は安楽死をさせるべきだと主張。安楽死協会も支持しています。しかし、安楽死の要件である「耐え難い苦しみ」があるかどうかさえわからない、死にたくなったから死なせるべきなのか議論になっています。
 
●自殺する薬を配布する運動?
 自殺する薬を配布する運動というのがあります。安楽死協会の場合は75歳以上の人で安楽死を断られた人に死ねる薬を配るべきだと主張しています。安楽死推進の別の団体は18歳以上全員に配るよう要求しています。
 実際に安楽死を自由に実践すべきだと主張する団体から薬を入手して、死んだケースも出ています。苦しみがあった訳ではないが自分で薬を入手して死ぬのです。いつでも自死できるよう、致死薬入手を支援する「地平線」がその団体のひとつです。この団体は安楽死協会の活動を「甘い」と批判しています。「地平線」は、致死薬を入手できるという電話番号を会員に教える、電話してお金を振り込むと死ぬ薬が届けられるという仕組みです。お守り代わりに致死薬を手に入れる人もいる。「自由に死ぬ権利を手に入れたい」というわけです。例えば、認知症で主治医に安楽死実施を断られ、「地平線」の支援で致死薬を入手、服用して死んだ男性(81)もいました。
 
●2016年の「安楽死法」の“改正”は棚上げになっている
 こうした流れを受けたためか2016年、当時のオランダ政府が、安楽死法の改正の意思を議会に通告しました。「熟慮の末に自分の人生が完了したと結論付けた人に対して、厳格な条件で生命を終結させることを認める」といった改正です。現行法は、苦しみが医学的でない人には安楽死を認めていない。「自分の人生が終わった」と思った人に応えていません。当時の政府の案によると、耐え難い苦しみが医学的なものでない人の要請を合法化するとしていました。要点は
・医学的な経歴を持った「生命終結カウンセラー」を創設し、特別な訓練を受けさせる。
・カウンセラーが他の医学的な手段でも本人の死ぬ意思を変えられない事を確認する。
・こうした要請は普通高齢者から来るので高齢者に限る
・第3者がチェックする
というものです。
 ところが総選挙で立ち消えになりました。4党が連立を組んだのですがキリスト教政党が2党入ることで、安楽死法改正は棚上げになりました。
 戦後、ほとんどの内閣にキリスト教系政党が入っていたが、2期間だけ例外があります。94年~2002年の第1、2次コック内閣、そして12~17年の第2次ルッテ内閣。安楽死法は第2次コック内閣で成立、施行された。前内閣もチャンスだったが、実現できなかった。
 オランダの議会は完全比例代表制なので現在の議会は13もの政党で構成されています。動物愛護党とか、50歳以上のための党、移民出身者の党などいろいろあります。極右は伸長しているが、なお寛容さは残っていると思います。カトリックが人口の3割ですが無宗教という人も42%います。
 
 取材をして、なぜそんなに死にたいのか?私は理解に苦しみました。介護にも医療にも不安はない高福祉の国なのにです。自己決定―自分で決めたいという欲望が安楽死を生んでいると思います。元々ある文化というよりは、60年代に学生運動が活発になり、キリスト教の支配をこえて自分のことは自分で決めたいという主張が活発になったという研究者もいます。
 

安楽死より多い延命措置中止
 次に消極的安楽死の話をします。医師会の示した推計によると、安楽死は全死亡の4.6%。一方で、苦痛や症状を集中的に治療したために結果的に死亡したケースが36%、緩和のための過鎮静は18%、延命措置中止が17%となっています。つまり積極的安楽死は少なく、鎮静のやり過ぎで死ぬ間接的安楽死、延命措置停止による消極的安楽死、がむしろ主役なのです。実際に消極的安楽死をどう実行しているのか、を取材すると、本人の意思が不明でも家族にも同意をとらずに医師の裁量で実行している。かなり医師の独断で行われている。おれにまかせておけ、というのは「パターナリズム」と呼びますが、それが強い。積極的安楽死が自己決定を重視するのとは対照的です。どうして医師が独断でやるのか。フィヌカーンという米国の医師がまとめた「重度の認知症の末期では人工栄養・水分補給が医学的意味があるとの証拠はない」という論文の影響があるのかもしれません。
 
「消極的安楽死」の延長にある心停止後臓器移植の増加
 こうした延命措置の停止、「消極的安楽死」の延長線上にあるのが心臓停止後の移植の増加です。移植というのは心臓停止後だと、臓器への血流が止まり、臓器が傷む。だから腎臓とか角膜、皮膚しかできない、といわれてきました。それでかなりの大議論の末、日本は脳死での移植を導入しています。ところが、欧米では心臓停止後に、肝臓や肺を移植する方法が2000年ごろから定着してきた。常識を覆す、ちゃぶ台をひっくり返すような事態です。これが消極的安楽死と臓器移植をドッキングさせた手法で、医師が判断するとできるのですね。
 
 NHB(non-heart-beating心臓が鼓動しないていない)移植とされる新たなカテゴリーです。臓器を提供する人のことをドナー(donor)と呼びますがこれまでの脳死後のドナーDBD(donor after brain death)に加えて DCD(Donor after cardiopulmonary death、心肺死後のドナー)が加わりました。
どのような手法か。流れを見ると以下のようになります
① 医師が延命措置を「無益な治療」と判断
② 延命措置停止で家族の了解を得る
③ 臓器提供の可能性を家族と話す
④ 臓器提供チームに連絡
⑤ 延命措置停止。10~50分で停止へ
⑥ 心臓停止。2~5分はそのまま
⑦ 3医師で心停止を確認
⑧ 別の部屋で待機するチームが臓器摘出
 となります。
 
 実際に取材した例を紹介します。2011年12月16日、ベルギー東部リエージュの中央大学病院に、首つり自殺をはかった男性(28)が運び込まれました。心停止後に蘇生したが脳に大きなダメージを受けています。主治医は脳死までは至らないが、健康な状態には回復しないと診断。家族に治療中止を提案した。家族は承諾。その後、医師から臓器提供の提案を受け、家族は受け入れました。20日午後3時50分、人工呼吸器など治療がすべて中止され、午後4時に心臓が停止。3人の医師が死亡を確認した。5分間の待機後、別の移植チームが作業を開始、肺、肝臓、腎臓などが摘出されました。
 取材した移植医、モーリスさんによると、「本当は脳死の方が成績が良いが心停止移植で提供数が非常に多くなった。100万人で40人になる」と話します。例えば自殺、ガス中毒、溺死などのケースで行われるといいます。また救急医のレドゥ医師によると、治療の中止は医師による決定で決まるといいます。多くのケースで本人の意思は不明で、家族に意向を聞くそうです。これで法律上は問題ないとのことです。例えば兵士の男性(30)が自殺したケースでは、集中治療室(ICU)で3週間過ごしたが、脳に血が回りにくくなっており家族に説明して治療を中止、臓器提供したそうです。レドゥ医師は「これは私たちの責務だ」と話しました。
 こうした心停止後移植は右肩上がりで増加しています。オランダは現在5-6割、英国は4割、ベルギー3割、米国16%。スペインも17%とかなりの割合を占めるようになっています。オランダを見ると心停止肺も心停止肝臓もかなりあります。肝臓で心停止は脳死例の36~60%、肺では28~76%となっています。

 心停止後移植が積極的に導入された背景には、大量の移植待機者があります。欧州最大の臓器提供ネットワーク「ユーロトランスプラント」(オーストリア、ベルギー、クロアチア、ドイツ、ハンガリー、オランダ、ルクセンブルク、スロベニア)で1万5000人の待機者がいます。つまり、臓器不足の中で消極的安楽死と移植が結びついたわけです。
 理論的な基礎になったのはオランダ・マーストリヒト医大のコーツトラ教授が95年に発表した臓器提供の新分類です。その分類によると①病院に着いたときに心停止している ②予期せぬ心停止③延命措置中止による心停止③心停止と脳死が同時に起こる-4ドナーに分けています。延命措置停止はどのように進むかというと、ベルギーの移植協会が作ったプロトコールによると、まず「医療チームで同意する」その後、「家族と相談」するが「法的な義務はない」といいます。医師の判断材料は①治療の「無益さ」②リスク、コスト、実施可能性、期待される結果、(医療)資源の「バランス」-で「治療の延長は、役に立たないだけでなく、患者に有害でさえある。治療の中止がベストの選択」と判断するそうです。
 とはいえバラ色というわけではありません。国によって考え方に大きな差があります。例えばドイツはユーロトランスプラントに参加はしていますが、心停止後移植を実施もしないし、提供も受けません。また本人の臓器提供の意思は無関係で患者の自己決定権は欠落しています。各国には患者の権利法はありますが、延命措置停止は医師の医学的判断の領域とされています。パターナリズムに陥る可能性あると言えるでしょう。また心停止後移植が多くなる事で、脳死は伸び悩む傾向にあります。心停止後移植では心臓が取れないのは最大の欠点です。成績は肺は心停止後と脳死移植で似たような結果ですが、肝臓では脳死に比べ心停止はやや定着率が悪い結果が出ています。
 
心停止後移植増加も解消しない臓器不足対策強化とは?
●オプトアウト方式導入
 心停止後移植がこれだけ増えても各国は臓器不足対策に躍起になっています。臓器提供の同意を得るのには大きく分けて二つの方法があります。特に拒否していなかったら同意したと認めるオプトアウト(opt-out)方式。逆に登録していないと同意したとは認めないオプトイン(opt-in)方式があります。ベルギーはオプトアウトで、オランダも2016年に法改正して拒否権付オプトアウト方式を採用しました。拒否する人だけ登録しておく方式です。英国ではウェールズ地域が2015年からオプトアウトを採用、スコットランドは家族の拒否権付きのオプトアウトを導入します。イングランド、北アイルランドはオプトインのままです。米国はオプトイン方式です。国・地域により大きく違う。ちなみにですが生命倫理について「欧米」のくくりですべて同じように言う人がいるが、ほとんど間違いです。

●安楽死から臓器摘出、「死のクリニック」安楽死からも
 臓器不足の中で、安楽死した人から臓器を取る試みが2005年から始まっています。延命措置停止後で移植できるなら安楽死する人からもできるはず、との考え方です。ベルギーでは05年から心停止移植として安楽死者からの移植が報告され始めました。2016年までに30件。現在では移植の4~7%を占めるまでになっています。オランダでは公式な統計はないですが、地域再検討委員会の報告書によると2012年から15年まで15件の安楽死後の移植があり、うち9件は15年とのことです。2012年から16年まで28件の移植が「死のクリニック」の安楽死後に行われたということです。「死のクリニック」が結構、担っている。安楽死で摘出した臓器は、他の心停止後の移植と同様、8カ国で作る臓器提供ネットワーク「ユーロトランスプラント」を通じて適合を調べ、配分される。しかしドイツのように受け入れない国もあります。                    
 
 
日本での安楽死は・・
 日本では安楽死はどうなのかという話をします。
 冒頭に紹介した脚本家の橋田寿賀子さんはかなり勉強されている。例えば消極的安楽死の問題では「家族のいない私が昏睡状態にでもなったら〝最善の措置〟をされてしまう」と延命措置を拒否しています。延命措置をやめても「ひと月ぐらい生きているとしたらその間がしんどい」「やっぱり私は安楽死がいいです」と積極的安楽死を望んでいる。バランス感覚もあると思います。「『高齢者の社会保障費や医療費を削減するため、安楽死を認めるべきだ』という主張は『姥捨て』につながってしまう」と指摘しています「戦争に負けて何もかもなくしたこの国に現在のような豊かさと平和をもたらしたのは一所懸命に働き続けた高齢者ですよ。苦労してきた分、国から守られ報われるのは当然です。国やお金や貴重な人手を自分のために使ってほしくないというのはあくまで私の考えです。そういう私のために『安楽死』という死に方の選択を与えて欲しい。生きるべき人と死ぬべき人を選別するなどとんでもない話です。安楽死の意思を示していない人は認知症の老人だろうと障害者だろうと生きる権利を大切にされなければなりません。私が主張している安楽死はあくまで本人が希望して家族が納得して医師や弁護士など第3者の専門家が認めれば叶えられるという制度です」。これはとても大切な考え方です。あくまで自分ひとりの選択。他人の生命を侵してはいけない。またしばしば議論に老人へのリスペクトがないのもご指摘のとおりです。橋田さんといえば、家族内の葛藤をいくつもドラマ化してきました。「家族だけに判断をまかせるとそれこそ医療費がもったいないとか早く遺産が欲しいとか別の思惑で制度を悪用される心配があります。本人の意思と家族の意思が食い違うことはしばしばあるからです。きちんとしたルールを作り、シビアな線引きをしなければなりません」。さすがこのあたりはお手のものですね。あくまで本人の意思が大事です。「迷惑をかけないためには元気なうちにはっきりと意思表示しておかなければなりません」と記しています。
 オランダの安楽死をする人たちはこんな雰囲気です。意思がとても強い。死への意思が明確で、覚悟がないと安楽死などできません
 ですが、こういう意思が貫ける人はまれです。橋田さん自身も書いていたが条件が恵まれている(夫は早くに死亡、子供なし、親戚なし、お金あり)。たいていの日本人は強い意思が持てない。人間関係も複雑だし、死への恐怖感もある。橋田さんも「薬、お医者様で出ているでしょ。飲まなきゃいいんですよね。でも、やめる勇気ないんですよ。やめたら病気になっちゃうんじゃないか。これ矛盾してますよね。やめて、もういつ死んでもいいならやめたらいいのに、苦しんで病気になって死ぬのが怖いから、一生懸命まだ飲んでるんです、常に。十何種類なんですよ、案外100まで生きてたりして」と語っています。
 オランダでもそうですが、安楽死への思いは結構身勝手なものです。自分では死ねないからだれかに手を下してほしい。しかも医者にやってほしい。というちょっと他人まかせなところもある。だからあつれきを産む。だから致死薬を配るような議論も出てくる。
 
●日本の医療界の動きー日本臨床救急医学会の「提言」
 日本では医療の動きはどうなのか。日本臨床救急医学会は2017年3月に「人生の最終段階にある傷病者の意思に沿った救急現場での心肺蘇生等のあり方に関する提言」をまとめています。それによると
① 心肺蘇生等を希望しない旨が医師の指示書等の書面で提示されても、まずは心肺蘇生等を開始
② かかりつけ医に直接連絡
③ 心肺蘇生等の中止の具体的指示をかかりつけ医等から直接確認できれば、その指示に基づいて心肺蘇生等を中止
※心肺蘇生等を望まないのであれば、119番通報に至らないのが理想
としています。あくまで医師の判断が優先されて、本人の意思は不明です。結局医師のパターナリズムで解決するということなのでしょうか。

●日本老年医学会の「立場表明」
 救急はわかりやすいが、むしろ長期医療・介護では話が複雑です。
 日本老年医学会が2012年、「『高齢者の終末期の医療およびケア』に関する日本老年医学会の『立場表明』」というのを出しています。その中で「高齢者の終末期の医療およびケアは、わが国特有の家族観や倫理観に十分配慮しつつ、患者個々の死生観、価値観および思想・信条・信仰を十分に尊重しておこなわなければならない」と日本の独自性を強調、「わが国には、専門家を信頼してすべてを委ねるという考え方や、何事も運命として受け入れるという考え方など、『自律性』を最重要視する欧米文化とは異なる『死生観』を生み出した文化的背景がある」と述べています。
 そのうえで「全身状態の悪化により延命効果が見込まれない、ないしは必要なQOL(生活・生命の質)が保てなくなるなどの理由で、本人にとって益とならなくなった場合、益となるかどうか疑わしくなった場合、AHN(胃ろうなど人工的水分・栄養補給法)の中止ないし減量を検討し、従来のやり方を継続するよりも本人の人生により益となる(ましである)と見込まれる場合は、中止ないし減量を選択する」としています。
 本人の意思確認ができる時には本人を中心に話し合って合意を目指す、とはしているものの、「本人が希望する医療・介護行為であっても、医学的観点でも人生全体を評価する観点でも無益であると判断される場合、もしくは益をもたらす可能性もあるが、重大な害をもたらすことを余儀なくされるというリスクもある場合、相手の意向であるからといって応じなければならないわけではない」と医師の判断の優先権を確保しています。
 
●無益と誰が判断するのか?中止・手控えだけに力点がおかれる現状は問題
 ただ益とは何か、だれがどう判断できるのか。必ずしも明確にはなっていません。医師や家族の一方的な生命観に基づいて必要な医療が手控えられている可能性もあります。なぜなら本人の意思が最優先にはなっていないからです。
 欧米流の個人主義を導入してもう150年以上がたっています。民法上も刑法上もあらゆる場面で個人の意思が基本とされている。医療の現場でも、いまさらインフォームドコンセントや、患者本人の意思の尊重を否定するような人はいないでしょう。ところが老年医学では突如、日本の文化が強調される。これは明らかに変で、老人だけを差別することにつながりかねません。
 欧州でみた本人の意思があいまいなままの延命措置中止の前提には、患者の権利の法制化、意思表示書の法制化、代理決定の法制化があります。たとえばドイツでは、患者の権利強化法が制定されている。成年後見人は医療の代理もできる。日本は何もない。患者の権利や患者の意思を守る努力がないまま、ただ中止・手控えだけに力点を置くのはとても奇妙です。延命措置中止の普及をする同じエネルギーで本人の意思を推し量り、尊重する努力がなされないと、バランスを欠きます
 安楽死の議論は患者の自己決定の議論として進めてみてもいいかもしれません。あいまいなパターナリスティックな消極的安楽死がある現状を変える可能性もあります。
 
 
第12回市民講座の報告2-2に質疑を掲載しています。

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第12回市民講座の報告(2-2)

2018-03-18 11:02:41 | 集会・学習会の報告

第12回市民講座の報告(2-2)


【質疑】

 
 
斎藤:補足です。子どもで安楽死をすることができる年齢は12歳以上です。12歳~16歳は親の同意が必要です。2002年~15年に難病患者だと思いますが、7例実施されています。
 
質問)オランダには国民皆保険制度はありますか。選択するのは所得の高い人ですか。
斎藤)所得と安楽死の関係は調べてはいないのですが、安楽死協会に加盟している人、集会に参加している患者は中産階級以上の人ですね。出てくる人は持ち家がある人です。オランダは国民皆保険制度で保険料は取られます。かかりつけ医制度が整備されていて、生まれてから安楽死までやってもらうのが基本です。日本のように速いスピードで治療は受けられないが、安楽死させるのも主治医がやっている。癌が多く、かかりつけ医次第というところもあります。
 
質問)安楽死を望むのは高齢者ですか、中年層でしょうか。移植用には若い臓器を集めたいのではないかと思いますが。背景など社会学的調査は行われているのでしょうか。自己決定が独り歩きするのではないかと危惧します。
斎藤)年齢は、中年以上がメインで、年寄りが増えてきていると思います。本人意思かどうかはあいまいで、認知症や精神障害者の場合は二人の医師に意見を聞いて行うとあるが、本人が事前指示すれば何でもできてしまう。精神障害や認知症の割合が増えてきていることを考えると、どこまで自己決定されているかは疑問です。認知症の人も安楽死してもいいじゃないかという世論もあります。先ほど、紹介した入所者の安楽死を拒否した老人ホーム施設長へのマスコミのたたき方が結構なたたき方で、死ぬ事を美化する面もあります。心停止ドナーの背景の研究は見たことがありません。自殺(ガス中毒や溺死)のケースで、人工呼吸器に繋がれ、止めて、提供となることが多い。自殺と考えると裕福な人だけではないだろうし家族関係などもどうなのでしょうか?家族が拒否するのは1割程度で、どこまで自己決定に基いているかは不明です。
 
質問)EUでは反対運動はないのですか?
斎藤)臓器提供や安楽死に反対する団体を捜したがなかなかない。宗教原理主義団体には一部あるが、安楽死や心停止移植に反対している人はいなかった。勝手にさせておけという文化もある。オランダには無宗教が4割で、死にたい人は死ねばいいと。死にたいという運動はあるが、反対している人はいない。アメリカではキリスト教原理主義が一定の勢力を持っていて、延命措置停止を反対している人もいる。裁判で、延命措置停止の主張が認められる例もあります。こうしたキリスト教原理主義の団体は、ベルギーやオランダの安楽死協会と厳しく対立しています。反対する市民団体はないが、キリスト教系の政治家が認めないような例もあります。移植の方は抵抗ない感じですね。
 
質問)北欧の国には寝たきりの人も少ないというが、その前に治療をやめているのですか。高齢者福祉の状況は?
斎藤)人工栄養の人が全くいないのではなく、オランダでは1割~2割、老人ホームで胃ろうの人もいる。一定数いて、いつ止めるかという議論があります。アメリカでは人工栄養は不要と主張する特異な人もいる。嚥下障害が出ても人工栄養にしないという論文がでています。それを根拠に人工栄養を止めようと主張する人がいるが、やめていいかというと疑問です。ドイツでも重度化して胃ろうをつける人もいる。どうやって止めるかという問題とそういう人がいるかいないかという議論が混同されている。いるがあっさり止めているということだと思います。存在しないというのは極端な主張だと思います。

質問)在宅介護は取り組まれているのですか?
斎藤)オランダでは高齢者の住まいを保証しています。いろいろ取材したが、在宅介護を日本のようにやっているところは見つけられなかった。一部で取り上げられている看護師中心の団体は、ボランティアなど地域の資源を集めて軽い介護をやっている。自宅で生活できないレベルになったらケア付き住宅に行く、即施設です。在宅で嫁が死ぬまで介護するというような慣習はありません。自宅のような中間的な施設を充実させて頑張ってもらうというのがケアの主流です。施設介護にお金をかけていて、ケア付き住宅の選択肢が沢山あるという感じです。
 
質問)日本のように家族が頑張るのでなくて、合理的にやっているのか、虐待はないか?
斎藤)虐待の報道はあります。ドライというか、ドイツだと家族は介護の主流ではあるが、一緒に住んでおらず時々来てご飯の準備をするなどです。出来なくなれば施設に行く。ドイツでは高齢者・障害者の入所を待つ人はほぼゼロです。自由にサービスを選択でき、苦しくなれば施設に入る、社会保障で見てくれる。日本のように家族が頑張ったり、老人ホームが整備されていなかったり、政府が制限をかけて入れないということはありません。
 
質問)新聞記事の報道に部分的なものが多いと思った。人工呼吸器を止めて行う心停止後の臓器摘出は数十年前からある。ドナー不足という報道についても、臓器移植が他の内科的・外科的治療法より優れているかどうかの確認がされていない分野で、移植医が「ドナー不足」というのをそのまま記事に書くことはおかしい。特に腎臓移植は、透析療法より優れているとの証明が、日本国内の腎臓移植患者と透析患者の間で比較して行われた研究がない。心停止後の臓器摘出も、人工呼吸器を止めても数パーセントの患者は死んでいない。そういった生々しい悲惨さがあるがその辺も触れないと、こうした移植記事が綺麗事になるのではないかと危惧しています。
斎藤)ベルギーの心停止移植はレスピレーターを止めてから蘇生してはならないと書いてあります。死戦期の微妙な時期は無視していると感じます。ぼくも批判して書いたつもりで、美しく書いたつもりはないのですが。日本の議論からいうとゆるいし、アバウトです。死の迎え方についても衝撃的ですが、心停止移植が移植システムの3分の1を占めるようになっているし更に広げようとしています。日本としても次の時代にそれが来るのではないかと書いたのですが・・。

質問)血流が固まらない為にヘパリンを入れるなどはやっていますか?
斎藤)それはやっています。心停止が来る前にヘパリンを使うのは認められていてやっています。目くらましのところがあり難しいですね。
意見)心停止前に薬を入れることで死ぬ場合もあるので、そういったことが綺麗事で終わるような記事にはしないで欲しいと希望します。
 
質問)中国における臓器移植を考える会をやっています。オランダからスイスとか、オランダからイギリスへとか、国境を越えた臓器移植はありますか。患者から違法に臓器を収奪してお金持ちに買収されるなどはないのですか?法整備はどうなっていますか?
斎藤)EUは28カ国ありますが、その中での移動はあります。プライベートな患者は自己負担になるが、EUのどこで受けようが自由です。臓器提供のネットワークで一番大きいのが、「ユーロトランスプラント」で、オーストリア、ベルギー、オランダ、クロアチア、ドイツ、ハンガリー、ルクセンブルグ、スロベニアの8カ国の中で臓器の配分が行われています。ドイツは輸入超過で批判され、そういう問題はあるが、ツーリズムは聞いたことはありません。フランスは入っていません。イギリスは独自です。受けられないという差がある場合は他の国に出るという話も聞いたことはあります。途上国に行くという話も聞いたことはありますが、多くはない。ツーリズムという考え方自体が成り立たないと思います。

質問)心停止移植の変動の原因は何でしょうか?
斎藤)年毎の変動の理由はわかりません。全体に占める心停止移植の割合は、180―220人を推移していて、そんなに増減があるわけでない。報告書を読む限り、背景は特にはないと思います。

質問)お話の中で日本は尊厳死の法制化も必要との話があったが、私は法制化には反対です。日本の文化・介護・医療を見た時に作らない方がいいと思います。6月のクローズアップ現代で救急医が人工呼吸器を止めるところが堂々と放映されました。ガイドラインを踏まえて医療者と患者家族がコミュニケーションを取ればいいのであって法律はいらないと思います。医師の中には呼吸器は一旦つけると外せないという誤解があるようです。
斎藤)患者の権利と(成年後見人などによる)代理承諾の法制化をやらないで尊厳死の法制化の話ばかりしているのはおかしいと思います。患者を守る法整備をしないで、治療をやめる法整備をするのはアンバランスです。本人の意思も分からないのに抜管するのはおかしいし、患者の権利を守ることを打ちださないでリヴィング・ウィルの話だけをするのはもう古い。患者の書面指示だけでは解決しない。法務省が成年後見制度を作る際に代理承諾は面倒なので避けたという経緯があります。成年後見人は財産管理だけが役割ではない。最善の治療のためには、代理人や家族が議論しないと患者の権利は守れないのに、そこを積み残している。その一方で治療をやめる社会はおかしいと思います。
 
質問)ドイツでは成年後見人法を改正して治療停止の考えを入れたんですね。法律全体が被世話人の権利をどう守るかの中に入っている、日本の法律はリヴィング・ウィル一枚岩で医師は免責されるとなっているので、違うなと思いました。
質問)安楽死の臓器提供には薬は使うのですか。薬を配るときの管理はどうなっているのですか?悪用されたりはしないのでしょうか。
斎藤)致死薬を処方して安楽死させてその臓器大丈夫なのかと聞くと、「それは影響あるけれど・・」という医師もいる。科学的にどうなのかは難しい。臓器が適正かは医学的検査をして配分しているから影響ないというのでしょうが、若干疑問はあります。致死薬の話は誰が管理するのか、殺人に使われたりはしないかという議論はありますが、薬を配るという法律はありません。安楽死の要件を広げて、人生に疲れたから死なせる、ということだと思います。当面改正の見込みはないと思いますが。
最近オランダでは生体移植が増えています。日本が先行し、欧州では普及していないが増えてきています。

質問)北欧は寝たきりの人がいないという印象が強いが、延命措置と薬の被害は報告されているのかどうか。介護とか医療に問題がない状況下で安楽死を望むオランダの状況で、死の自己決定という説明だけで大丈夫だろうか。他に要因はないのだろうか。
斎藤)自信を持って説明できる取材ができていないが、北欧でも寝たきりの人がいないことはないし、人工栄養を入れている人もいる。安楽死の7割は癌が原因です。痛みや苦しみが多い。死の自己決定を強調しましたが、どうしても死にたいという人がそう思っていると。苦しみから逃れたいという理由だと思いますが、根底には死をコントロールしたいという欲求があるのではないかということです。
 
質問)日本では、死にたいとか言った時そんなこと言わないで、何とか生きたいね、といいます。オランダでは、安楽死できるとなった時に、本人が望んでいるからいいねとまわりが認めてしまうのか、生かそうと頑張らないのか、どうなのでしょうか。
斎藤)地域によって違っています。南欧の方はカトリックが強く、人工栄養を止めるのをためらったり、医師が安楽死させないことも多い。本人がどうしてもというので受け入れたというのはありますが、良かったよかったではない。苦しまないで死んでくれたのが良かったということだと思います。報道で出てくる家族は安楽死運動を推進している人たちです。さっぱりしましたという人が多いが、普通の人はそうでもない。簡単に割り切っているという報道があるなら嘘だと思います。

質問)延命停止の話ですが、救急医療は変わりますか?
斎藤)向こうの人は救急車を呼ばない。日本のようにやってくれるメリットはありません。ドイツで娘がひきつけを起こして救急車を依頼したら、何で呼んだのかといわれました。大学病院に運ばれましたが治療してくれないのです。人間には自然治癒力があって治療しなくてもいいと言われました。救急医療の体制はあるがそれは余程のケースです。

質問)安楽死が叫ばれるようになると、障害者の命は切り捨てられる方向に向かうよと反対運動をしています。三井美奈さんの本では知的障碍者に安楽死が行われていると書いてありました。天国に行きたいと言ったら安楽死させられるなどの話があったが、実際はどうなのでしょうか。売春の合法化とか麻薬の合法化、働いている人はアメリカ出身と聞くが、そういう法律がもたらす社会はどうなるのかと思うが気づかれた点はありますか。
斎藤)障碍を持っていて安楽死するのは聞いたこともあるが、十分答えられない。三井さんの本ではオランダの社会や文化と結び付けすぎているかなと思います。時代の産物という面が強いのでは。患者の権利、自己決定、対宗教、自由な考えという運動全体からでてきたもので、日本で言う全共闘世代―70過ぎくらいの人がしゃかりきにやっているという印象です。合理的というか、好きなようにやって構わない、私と違う考えでも構わないという雰囲気があり、自由と寛容さはあるが、寛容さがどこまであるかは厳しいと思いますが。

質問)安楽死する人で①一人暮らしの人がいるのか、②在宅診療の人が多いのか、③長期介護の費用がかさんで安楽死を選ぶ人はいるのかの三点について質問します。
斎藤)99歳の人は独り暮らしでした。オランダで家族と同居している人は少ない。オランダはかかりつけ医制度なので、在宅の訪問診療のつながりがあります。長期介護は自己負担はありますが軽くて月に数千円程度です。応能負担で低所得の人は支払わなくていい。重いと感じるという人はいないです。国全体の介護費用を何とかしないといけないという議論はあります。地域ボランティア活動は盛んで介護予防とか軽い人のケアはされていますが身体介護まではしない。介護を地域に任せようとしても難しく、オランダは施設中心だが日本は真似してはいけないといった学者もいました。それを大胆に削減はできないが、それを死と絡めるという議論は聞いたことはありません。

質問)ALSの人は長期入院だと呼吸器つけない人が多い。施設に入らなければいけないということで安楽死を選択するということはないのでしょうか。
斎藤)地域の資源がないので、ヘルパーさんが来てくれてお風呂に入れるというのはありません。そういう発想がない。介護が必要になったら施設でしょと。在宅でいたいので安楽死というのはあるかもしれないが、高齢になってからケア付き住宅に転居するのが当たり前です。社会住宅の供給が多く、障害者や低所得の人で住宅に困る人はいない。住宅に入って、転居しながら重度に対応していくのが当たり前になっているので、自分が死をコントロールする権利の裏返しの表現と受け止めるのが適当ではと思う。

質問)医師と市民の関係で質問します。生命維持装置を止めるか否かは医師の権限という話だったが、米本昌平さんが、EUでは医学会だけで話し市民に公開しなかったからできた。日本は公開したから出来ないと言った。日本とEUで医療・医学界と市民との関係などの違いはあるか。
斎藤)市民に脳死とか生命倫理を説明するという活動は聞いたことがありません。臓器提供のキャンペーンはありますが。米本さんがいっているのは当たっているのではないかと思います。地域差はありますが、医者は威張っているという印象はあります。ベルギー北部とオランダは同じオランダ系の言語をしゃべっているのですが、ベルギー北部の医師の方がオランダより威張っていると、国境を挟んで問題になっていたりします。ドイツでは、医者が患者のえこひいきをして臓器提供が激減した事がありました。医者への信頼と臓器移植は連動していると実感しました。無視して医師が勘違いして勝手なことをすると信頼を損なうということがありましたね。

司会)じっくり聞かせて頂きました。出されたテーマを議論していかなければならないと思います。患者の権利法については、やっていかなくてはならないという点もあるし、それを進めることが安楽死を進めることにならないかという議論もあり、精神障害者の長期入院を見ると患者の権利のなさ、この扱いは何だと思うこともあり、こうしたテーマは重要であり考えていかなくてはいけないとも思いました。

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