臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第14回市民講座のお知らせ(2019年5月18日)

2019-03-31 10:23:54 | 活動予定
第14回市民講座のお知らせ

心停止後の臓器提供は問題ないのか?
~生体解剖の恐れあり!~

 
 講師:守田憲二さん(フリーライター)
 日時:2019年5月18日(土)14時~17時
 会場:カメリアプラザ(江東区亀戸文化センター)5階第2研修室
 交通:JR総武線および東武亀戸線「亀戸」駅 北口より徒歩2分
 資料代:500円
 主催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク
 
              
<会場地図>

                                 
 昨年、市民シンポジウム「和田心臓移植から50年 加速されるいのちの切り捨て」を開催しましたが、一人ひとりの講師のお話をもっとじっくり聞きたいとの意見がたくさん寄せられました。
 そこで、次回市民講座では、資料を準備して頂きながら、時間的な制約で取り上げることができなかった「心臓が停止した死後の臓器提供」の検証について、守田憲二さんにお話しして頂くことになりました。ぜひご参加ください。
  
講師の守田憲二さんより内容紹介    
 約半世紀前に「脳死」という新たな概念が登場しました。体が温かく髪の毛や爪も伸び成長もする「脳死」の状態を「人の死」と受け入れられない人でも、「昔から行ってきた三徴候死(心停止、呼吸停止、瞳孔散大)を確認するなら問題はない」、さらには「脳死での臓器提供はダメだけれども心臓が停止した死後の臓器提供(心停止後の提供)ならいいだろう」という人がいると思います。
 しかし三徴候死、心臓死にも曖昧さはあります。生から死への移行は連続的で、移行に要する時間は個体差が大きく、相当な死後変化、腐敗現象を観察しないうちに臓器摘出、解剖あるいは埋葬を行うと「生体解剖」あるいは「早すぎる埋葬」という事態を引き起こすこともあり得ます。
 ドナー家族から得た臓器提供の承諾が、現状では法的に無効ではないかということは、2018年9月28日付の週刊金曜日掲載の「脳死臓器摘出時の麻酔禁止は誰のため」に書きましたが、市民講座ではそのあたりについても問題提起したいと思います。
 他人の臓器を必要とする臓器移植は、人権侵害を引き起こす可能性が高いため、過剰に実施されることがないように他の治療法と優劣を比較し続ける必要があります。臓器移植を行う以上は、患者の生存率向上と高いQOLを実現していることを社会に証明し続けることが移植医の責務です。ところが、腎臓移植は生死不明の移植患者が多く、日本国内のデータで透析療法との比較も行われていないなど医学的根拠が薄弱です。臓器移植を推進する医学的根拠は、どれほどあるのでしょうか?
 このように「救急患者・脳不全患者への救命は尽くされているのか?」「臓器提供者(ドナー)は本当に死んでいるのか?」「臓器移植は必要な患者に行われているのか?」という疑問は、和田心臓事件だけにあるのではなく、すべての臓器移植、そして「心臓が停止した死後の臓器提供・心停止ドナー」についても検証されるべきことと考えています。
 和田心臓移植事件の報道で「医学的・倫理的・法的に問題なのは和田心臓移植だけ。それ以外は問題が無い」との庶民感情が作られ、移植医は和田寿郎ただ一人を悪役に仕立てて、自ら行う臓器獲得行動・移植医療の評価についての検証を行わない傾向もあります。和田心臓移植以降に、適切な医療が行われているのか、問われるべき対象は一層拡大しているのではないでしょうか?
 次回市民講座では、胎児ドナー・無脳児ドナー・心停止ドナー・そして臓器移植法制定以前から行われていた脳死臓器摘出の実態を取り上げ検証します。


以下は2018年9月28日付の週刊金曜日掲載の「脳死臓器摘出時の麻酔禁止は誰のため」




 

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公立福生病院への抗議文

2019-03-13 04:22:02 | 声明・要望・質問・申し入れ
2019年3月12日

 福生病院組合 管理者 加藤育男 様
 公立福生病院 院長  松山 健 様

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク


透析を必要とする患者を死に追いやる病院運営に抗議します


 私たちは、脳死判定基準を満たしたら人の死とすること、および「脳死」からの臓器摘出に反対し、臓器移植以外の医療の研究・確立を求めて活動している団体です。
 私たちは、2019年3月7日付『毎日新聞』をはじめとする各種の報道により、貴病院において、20人にも及ぶ患者が透析導入をあきらめ、あるいは、透析を中止して死亡していることを知りました。とりわけ、昨年8月16日に、透析の再開を求めながら死に至らされたとされる44歳女性のニュースには、大きな衝撃を受けています。
 
(1)患者を死へと誘導する医療および病院運営は容認できません。直ちに改めて下さい。
 腎臓を患う患者にとって、透析治療が必要と診断された場合、ほとんどの患者が、人生に対する不安や絶望を感じてしまうでしょう。医療スタッフは、そのような患者に対して透析治療で人生に希望が持てるように、励まし、支えて治療に当たることこそが求められます。
 透析の導入あるいは実施そのものが患者の生命に危険をもたらす場合以外において、透析を導入しなかったり、それまで行ってきた透析を継続しないことは、患者を死へと誘導する行為であり絶対に容認できません。
 44歳女性への透析取り止めを判断する際に、病院は倫理委員会を開催していなかったことも報道されています。患者を担当した医師個人の生命観によって患者の生命を左右してしまわないように、複数の医療関係者の合議が必要なことは、過去の不適切な終末期医療の反省から指摘されている事です。

(2)透析の再開を希望した患者の意思を無視して死亡させたことは許されません。
 日本透析医学会の「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」ですら、「医療チームが見合わせた維持血液透析は,状況に応じて開始/再開される」として
・患者の全身状態が改善し,維持血液透析を開始または再開できる場合.
・患者および家族が維持血液透析に対する治療方針に関する自己決定を変更した場合
を例示しています。
 ところが毎日新聞記事によると、2018年8月16日午後5時過ぎに死亡した44歳の女性は、15日には明白に透析の再開を求めたことが報じられています。女性は、死の当日(16日)の午前7時50分の発信で「とうたすかかか」という7文字をスマホに残し、これは「父ちゃん助けて」という夫に向けたSOSだったのではないかと記されています。この必死のSOSに対して、外科医は鎮痛剤を注入し、その後、患者は死亡したと報道されています。
 患者の最後の意思を無視して死なせたことは、殺人にも相当する行為であり、絶対に許されません。

(3)患者の意思を恣意的に選別することは許されません。
 前記患者を担当した外科医は、「正気な時の(治療中止という女性の)固い意思に重きを置いた」と語ったことが報じられています。これは担当医の恣意的な判断です。助けを求める患者の訴えを「正気でない」と無視する行為は、苦しむ患者の人権を認めない、法的にも人道的にも絶対に許されない行為です。こうしたことがまかり通れば、「認知症」「精神障害者」「知的障害者」とされた人たちの意思、人権も踏みにじられていくことになります。
 
 このような事実が報じられているにも関わらず、公立福生病院は、3月8日付の声明で「密室的環境で独断専行した事実はございません」とコメントし、反省の意思すら示していません。

 以上、私たちは、透析患者を死に追いやる病院の運営と医療の在り方に大きな衝撃と憤りを覚えるとともに強く抗議するものです。

                                    


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