不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第5回市民講座の報告(後半)

2014-03-30 20:31:26 | 集会・学習会の報告

死体とされた人からの臓器摘出に、なぜ麻酔や筋弛緩剤を使うのか?(後半)

 

脳死判定と脳機能廃絶との断絶
 現代の医学生向け教科書・解説書だけでなく、一般向けの単行本にも、「脳死とは、脳の機能が不可逆的に停止した状態」とだけ書き、「必ず心停止に至る状態」とは書いていない本が多いように思います。医療関係者そして一般人にも、「脳死判定基準を満たして心停止に至らないケースが増えても関係がない、意識が回復しなければ脳死であることに代わりがない」と思っている人もいます。「心停止(心臓死・個体死)に至らない症例が増えても、脳の機能が廃絶したならば人の死と認めよう」と、意識的に脳死の意味を変更しようという傾向が、移植医そして脳外科医、救急医、集中治療医の一部にあるようです。
 このことについて「脳死・臓器移植Q&A50」のQ19では、脳死と判定された後に回復した症例を掲載しています。社会復帰したケースは、ザック・ダンラップ事件以外にエミリー・グワシアクス事件を載せています。臓器摘出の直前に、脳死ではないことが発覚したケースも載せています。巻末資料には、脳死判定後に、自発呼吸や痛み刺激への反応など、脳機能の回復例も載せています。
 こうした事例は、「脳死判定基準を満たしたら人の死」とするならば、「死者の甦り」であり、脳が機能しうる状態なのに臓器を摘出するなら「人間の家畜化」になります。人間の臓器提供者と人間が食べる肉を得るための家畜を比べてみましょう。現代では、いずれはして食肉処理するための家畜に対しても、欧米から動物福祉にもとづく飼育方法・方法の採用が広がりつつあります。動物福祉を簡単にいうと、狭い畜舎に家畜を詰め込んで飼育しないことだったり、する時は可能な限り苦痛を軽減し短時間で済ませるようにすること、などです。
法的脳死・臓器摘出52例目の麻酔管理 では、人間から臓器を摘出する場合は、どうしょうか。法的脳死・臓器摘出52例目の20代女性ドナーの場合、手術時間は2時間20分でした。レミフェンタニルの投与量は手術開始時に体重1キロ当たり毎分0.06マイクログラムでしたが、手術開始後約30分の時点で体重1キロ当たり毎分0.3マイクログラムと臓器摘出術中では最も大量に投与しています。大量投与のタイミングは皮膚切開の直前にあたり、メスが体内に入る前に最大の鎮痛効果を求めたとみられます。しかし超短時間作用性鎮痛剤のため、激痛を鎮める効果は急速に薄れる模様で、その後の約70分間に投与量は体重1キロ当たり毎分0.15マイクログラム、0.1マイクログラム、0.2マイクログラム、0.06マイクログラムと増減があります。
会場写真 血圧の変動は、皮膚切開から大動脈遮断までに6回の上昇がみられます。このうち最も急激に上昇したのは手術開始後80分頃にあり、収縮期血圧が110mmHg程度から160mmHg程度にまで急上昇した。 その後、約5分のうちに再び110mmHg程度に急下降した。この血圧が最大に上昇した時に、鎮痛剤の投与量は臓器摘出術中で2番目の大量投与となる0.2マイクログラムが投与された模様です。同様の血圧の急上昇・ 急下降が、この後にも2回記録されている。開腹操作時や胸骨切開時には、鎮痛効果が少なかった模様です。
法的脳死・臓器摘出106例目の麻酔管理 法的脳死・臓器摘出106例目と見込まれるケースでは、手術時間は約1時間50分でした。大動脈が遮断されるまでに血圧は8回の上昇がみられます。
 脳死・臓器摘出は、移植用に鮮度のよい臓器を得るために行われていることですから、いきなり命を絶たれたのでは、目的にかなう臓器は得られません。臓器を摘出する直前まで、血流は正常に維持されていたほうが、移植医にとってはもっとも都合がいい。しかし、もしも痛みを感じうる人、長期生存可能な人を生体解剖しているのであれば、これは社会的弱者を動物福祉にも反する家畜的利用、長時間の生体解剖をしていることになります。

 

無麻酔臓器摘出と「臓器提供安楽死」「臓器提供尊厳死」の乖離
 脳死臓器摘出時に麻酔をかけていることについて、医者のなかには、「脳死判定を誤る可能性はあるが、麻酔をかけて臓器を摘出してもらえるのならば痛くないからいいんじゃないか」という人もいます。
 昔は麻酔をかけていた、今はかけていませんから、この医師の観念でも許容できる行為ではなくなっています。昔の、麻酔をかけていた時も、手術を開始して、皮膚切開を開始し血圧の上昇をみてから麻酔をかけるという手順です。ザック・ダンラップ事件では、死亡宣告の時点からダンラップさんは動揺していました。臓器提供者に、死に至るまでの恐怖・絶望・痛み・苦しみを感じさせないためには、脳死判定を終了した直後から麻酔をかける必要がありますが、そのようなケースは報告されていません。
 そもそも、臓器ドナーの循環管理を担当する医師は、「脳死判定は間違っていない」という前提で行動しています。脳死判定を誤ることを前提に、麻酔をかけることは臓器を提供して死ぬこと、「臓器提供安楽死」「臓器提供尊厳死」と称される行為が法的に許容される環境でなければ不可能でしょう。その場合でも、「どのような患者の状態で安楽死、尊厳死が許容されるか」ということと「臓器ドナーとしての適格性」が問題になるでしょう。従来、安楽死、尊厳死を許容可能な条件として、「死期が迫っていること」、という条件がありました。しかし、死期が切迫しているのならば、移植可能な臓器は得られにくいのではないでしょうか。

 

脳機能回復例を無視して脳死判定を擁護することは妥当か
 脳死と判定された後に、脳の機能が回復した症例を提示すると、こんな反論をする医者がいます。“脳死判定後での人工呼吸器からの離脱や意識の回復は認められておらず、結局は脳死状態が持続し心停止に至っている”と。これは厚生労働省・小児法的脳死判定基準研究班員の日下康子氏(東京慈恵会医科大学脳神経外科)は、2010年7月発行の「小児科臨床」63巻7号で書いていることです。
 米国では、ザック・ダンラップ事件、エミリー・グワシアクス事件のとおり、意識を回復して社会復帰したケースまであります。日本では正確な脳死判定例と見込まれるケースで意識を回復した患者はいませんが、無呼吸テスト2回実施例で自発呼吸した大阪大学付属病院のケース、無呼吸テストの回数の記載がないものの小児脳死判定基準を満たした後に痛み刺激に反応した奈良県立奈良病院のケースもあります。
 患者を管理する医療者にとって、患者が生命維持装置に依存して生存しており、しかも意識不明、意識が回復する可能性が低い、心停止に至る可能性が高いのであれば、「人工呼吸器なしで生存できるようになったり意識回復したりしない限り同じ」と思うのでしょう。
 しかし、私は、脳死判定基準を作った人は、その基準が使われた後の場面に想像力を欠いていると思います。脳死判定をしたら、その後は治療の中止、あるいは人工呼吸器の取り外し、あるいは臓器摘出につながるケースが多いことへの想像力の欠如です。たとえ人工呼吸器に依存せずに生存できる状態まで回復できなくとも、たとえ他人との意思疎通が可能な状態に戻らなくとも、痛みを感じさせる、患者を害することは行ってはならない、と思います。脳死判定後に自発呼吸をした、あるいは痛み刺激に反応した、あるいは他の反応があり、脳死判定基準を満たした状態とは言えない状態に患者がいたのであれば、他にも脳が部分的に機能している患者がいるはずです。脳が部分的に機能しているならば、その時点で、人工呼吸を停止したら呼吸困難で死ぬ場合がある。臓器を摘出したら、死に至るまでの恐怖、絶望、激痛を感じさせながら生体解剖となるでしょう。脳の機能回復例を軽視して、脳死判定基準を維持しようとすることは、脳不全患者を害することになると思います。

 

脳死判定は家族意思による「尊厳」死に変質した 
 脳死判定基準で脳死とされても心停止を予告できるものではなくなり、脳機能の廃絶も保証しがたくなった。
 では、今残った脳死判定の性格は何でしょうか。私は、安楽死・尊厳死の法制化に先立って、唯一選択可能な死に方、として運用されているように思います。さきほどの小児法的脳死判定基準研究班員の日下氏は2011年5月28日に開催された教育セミナー「小児の法的脳死判定の実際」で、こう喋っています。「たとえば臓器提供しないとして、この判定を用いて判定して、長期脳死となって回復する例がないということは誰にもいえないと思うのです。(中略)長期脳死のことはもちろんご存知の上で、それでも臓器提供を優先させるというのがご遺族、ご本人の意思であるとするならば、我々がその方たちの意思を受け入れないで、脳死判定を行わないというところまで踏み込めないところがあると思います。臓器提供をするかしないか、長期生存後の回復を待つ気持ちのどちらが強いのかというのは、結局、私たちが臓器提供をしてくださいというわけではなくて、ご本人あるいはご家族の意思ですので、情報提供として言えることは、この脳死判定をしたあとに回復した症例の報告はかつてありませんという事実しかないと思うのです。臓器提供を申し出た方たちの意思を尊重して判定をしなくてはならない立場としては、そのことも含めて判定基準はつくらなければいけないということです。判定基準は判定基準、ただ、長期脳死の問題もありますと、どちらも否定をしているつもりはないのです」と喋っています。「重症の脳不全に陥った患者の、本当の自然経過はわからない。臓器を摘出して死なせるか、長期生存を目指すかは家族の考え方次第」という運用をしている。尊厳死は、患者本人の意思にもとづいて行うことが検討されていますが、すでに家族の意思で実行していることになる、と思います。

 

臓器移植法の改定後に、「脳死は死んでいるとは思っていない」と言い出した救急医、脳外科医
 臓器移植法が改定されてから、これまで「脳死は人の死、脳死判定基準を満たしたら人の死」といっていたような人が、死んでいるとは思っていないと言い出しています。
 へるす出版から2011年10月18日付で発行された「臓器提供時の家族対応のあり方」において、元日本救急医学会代表理事の有賀 徹氏は「脳死をもってその患者本人が死んでいると患者の家族がすべからく理解しているとはとても言えない。つまり,言わば『死んだも同然』のように思っていたとしても,『死んでいる』との認識には至っていないであろう。現場にいるわれわれ医療者も同じように思われる。その意味で,脳死とは死を看取るプロセスにあって,救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)において言及されていることと符号する。『脳死は限りなく人の死に近い』が現状を反映する表現であろう。改正臓器移植法は『脳死は人の死である』を背景たる思想としつつも,この法律においては臓器移植の場面においてのみそのようである,という理解であろう
 市立札幌病院救命救急センター、副医長の鹿野 恒氏は「医学の世界標準として『脳死は人の死』と言われても、臨床の現場では、脳死となった患者に触れながら『脳死は人の死』と理解する家族はほとんどいない。また、当施設を訪れる学生、研修医、救急救命士、メディア関係等の方々も、誰一人として脳死の患者を『死んでいる』と感じる者はいない。それは皆が『脳死の人』と感じ、『脳死である死体』とは感じていないからである」(日本移植再生医療看護学会誌6巻1号p16~p17)
 吉開俊一氏(国家公務員共済組合連合会・新小倉病院 脳神経外科部長)は、“移植医療 臓器提供の真実”で「死とは『個体全体』に訪れるものであり、部分的なものではない。臓器が完全にダメになる場合の医学用語は、『機能の喪失』である。(中略)脳全体の機能喪失(以下、便宜上『脳死』と称する)は人の死なのか。答えは簡単、『そんなはずは無い』である。では脳死下での臓器移植とは一体何なのか。『生きている人』の内臓を摘出して、心臓を止め、体を冷たくしてご家族にお返しすることは、完全な違法行為である。しかし、『死んでいる人、つまり死体』に対し、合目的的な医療行為としてそれを行なうならば、違法行為にはならない。そこで、脳死状態の人を死んでいる(脳死体と称する死体)と法的に規定することで、心臓が拍動しまだ暖かい体を切開し、臓器を摘出することを合法化したわけである。医師の中には『自分は脳死を人の死とは絶対に思わない』と明言する人物もいる。それはそれで全く構わない。実は私自身もそう思う。なぜならば、臓器提供を前提としていない場合だからである。しかし『脳死は、臓器提供を前提とする場合、人の死と法的に規定されている』ことは客観的に理解しなければならない。そして、法の内容を理解して臓器提供に承諾する方々を、否定することはできない」とした。
 日本臨床倫理学会の機関誌「臨床倫理」第1巻が、2013年2月20日付で発行され、国立病院米子医療センター外科で移植医の杉谷 篤氏が「臓器移植・再生分野における現状と展望」を書き、こう書いています。“あえて明記しよう。死体移植は「死体」あるいは「現状では蘇生不可能と判断される状態」になってから、臓器摘出・提供を行うのである”」と。

 “蘇生不可能と判断される状態になってから、臓器摘出・提供を行うのである”とは、生体解剖を認めたも同じではないでしょうか?

 


心停止ドナーの麻酔管理例 

 

 次は心停止ドナーの麻酔管理例です。最初に触れましたが、薬剤は血流があってこそ効きます。心停止ドナーに麻酔など投与しているということは、心停止以前=死ぬ前から臓器摘出目的の処置を行っている、あるいは心停止しても心臓マッサージなどを行って血流を維持しているからこそ可能なことです。移植用臓器を獲得する目的で、心停止後と称して実際には死亡宣告を移植用の臓器獲得に都合のよいように運用していることを示します。

・第2回腎移植臨床検討会:『移植』4巻3号、p193~p252、1969年
  (p224)千葉大学第2外科の尾越氏「(臓器提供の)承諾が得られたら心臓マッサージ、それからもちろん Intubation(挿管)して麻酔器をつけてあるわけですが、それをずっと続け、手術場に運んでいきます」
 
・佐藤 博、岩崎 洋治(千葉大学第2外科教室):「我々の同種腎移植術」(『手術』22巻11号、p1109~p1119、1968年)
 我々は心停止、呼吸停止、瞳孔散大を持って死と判定しているが、死後心マッサージ、人工呼吸を行い、もはや蘇生不能と判定した時点で、家族の承諾を得ている。(中略)心マッサージ、人工呼吸を続け、家族の承諾(解剖承諾書、腎提供の承諾書)が得られたならば直ちに股動脈より大動脈にカニューレを挿入し、手術場に移す。

 

■脳死と認めた後にフェノバルビタール、ディアゼパムなど投与
・高橋 公太(東京女子医大腎臓病総合医療センター第3外科)ほか:「死体腎 donor の限界」(『移植』17巻3号、p174~p184、1982年)
 東京女子医科大学腎臓病総合医療センターおよびその関連病院で摘出した12例の死体腎ドナー。死戦期の定義は脳死と認めた時点より計算し 、ドナー10例の死戦期は13~63時間。ドナーは心停止後、ただちにヘパリン10,000~20,000単位ほかを心腔内に注入し、心マッサージを行いながら手術室に運んだ。
 フェノバルビタール(催眠・鎮静・抗てんかん剤)が36歳男性に50mg、 47歳女性に150mg、49歳女性に100mg投与。ディアゼパム(抗不安薬)は30歳男性に20mg、49歳男性に10mg、47歳男性に10mg投与された。
 


■心停止しなかったため移植医が「もっとキャンディーをあげなよ」 
・『ニューヨークタイムズ』2008年2月27日付“Surgeon Accused of Speeding a Death to Get Organs”  http://www.nytimes.com/2008/02/27/us/27transplant.html
 サンフランシスコの移植医Dr. Roozrokhが、肝臓提供予定者の死を早めたとして刑事は無罪、民事告訴となったケースでは、過量のモルヒネ(鎮痛剤)、アティヴァン(抗不安薬)、ベータダイン(消毒薬)をオーダーした。
http://www.nytimes.com/2008/02/27/us/27transplant.html?_r=1&pagewanted=2
 警察への取材によると、ルーツロフは、ドナーが心停止しなかったため、「もっとキャンディーをあげなよ」と薬物の増量を求めた。


■デンバー小児病院 心停止・心臓ドナーにフェンタニル、ロラゼパム
・Mark M. Boucek, M.D.(Denver Children's Pediatric Heart Transplant Team):「Pediatric Heart Transplantation after Declaration of Cardiocirculatory Death(心臓循環器系による死亡判定後の小児心臓移植)」(“The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE”359巻7号、p709~p714、2008年) http://content.nejm.org/cgi/reprint/359/7/709.pdf
 新生児3例の心停止・心臓ドナーに、フェンタニルを体重1キロ当たり平均4μg、ロラゼパム(抗不安薬)は同0.1gを投与して生命維持装置を停止した。

 
■心臓死ドナー候補者が、人工呼吸停止10分後に意識回復
・2008年5月24日のABCニュース“Doctor Calls Near-Death Experience a ‘Miracle’ Hospital Took Velma Thomas off Life Support -- Then She Woke Up” http://abcnews.go.com/GMA/story?id=4923465
 米国ウェストバージニア州で心停止ドナー候補者とされたVelma Thomasさん(59歳女性)が、人工呼吸器を外されてから10分後に意識を回復した。内科医のKevin Eggleston氏(チャールストン地域医療センター)によると、トーマスさんは心停止3回、脳波も17時間にわたり測定不能だった。

 もし筋弛緩剤や鎮静剤を投与されていたら、このような意識回復はありません。意識を回復した患者も、呼吸困難の状態から生還するという地獄の苦しみが強要されることになります(次頁)。

 

モナッシュ大学アルフレッド病院:心停止ドナー候補者の致死経過
・Bronwyn J.Levvey(Lung Transplant Service, Alfred Hospital and Monash University):Definitions of Warm Ischemic Time When Using Controlled Donation After Cardiac Death Lung Donors、Transplantation、86巻12号、p1702~p1706、2008年
 心臓死ドナー候補者13例のうち、抜管または人工呼吸停止後に、10例は20分以内に心停止した。3例は90分以内に心停止至らなかった、と報告されています。臓器摘出目的で死なせることを許容する決定をして、実際に死ぬであろう行為を加えたけれども死ななかった。このような患者の多くは、別紙に移されて死ぬまで観察されることが多いようですが、実際にこのようなことが起こった場合に、致死的行為を許容した家族、致死的行為に参画して見守る医療者の心理的負担は想像以上のものでしょう。人為的に心停止に至らしめらた患者の状態も、下記のデータにみるとおり断末魔の様相が伺われます。

【末梢血酸素飽和度の推移】抜管または人工呼吸停止後40分間における末梢血酸素飽和度は、1例は90%台から100%近く、1例は50%台から90%台に上昇しました。100%近く上昇した患者は、人工呼吸を停止されたために、苦しくなり、しっかりと呼吸をしたのだけれども力尽きた、ということでしょう。50%台から90%台に上昇した患者は、90分以内に心停止していません。全身状態が悪く、人工呼吸を停止したら必ず心停止に至ると思われていても、心停止を起こすとは限らない、ということでしょう。

【血圧の推移】人工呼吸停止時の血圧が100mmHg以上は7例、100mmHg以下は5例。心停止までに、血圧が低下する一方だったのは13例中3例のみで、8例は経過中1回の上昇がみられます。1例は2回上昇とみられる。人工呼吸停止後から血圧が上昇したのは、100mmHg以上で2例(160mmHg台から200mmHg台へ、140mmHg台から160mmHg台へ)、100mmHg以下で2例(80mmHg台から110mmHg程度へ、70mmHg台から80mmHg台へ)でした。


【心拍数の推移】心停止までに、心拍数が低下する一方だった患者は1例のみです。抜管または人工呼吸停止直後から毎分数拍~10拍上昇した3例のほか、数分間安定した後に毎分10拍~20拍上昇する者、9分間低下した後に7分間上昇して人工呼吸停止時の心拍数を上回る者、1~6分程度安定した後に急落する者など多様です。多くは心停止までに心拍数が横ばいになる期間が2回あった。90分以内に心停止しなかった1例は、60拍で8分間程度安定した後に一時さらに低下したが、同15分後には140拍に急上昇し、その後は下降しました。


 

■長時間血流が維持された心停止ドナー例、血圧100で心臓死した死体?
会場写真 心停止が先に発生した場合、臓器摘出準備が整うまでに心臓マッサージあるいは人工心肺を使って血液循環の維持が行われることがあります。このような状態に維持される患者は、死体でしょうか?

・池上雅久(近畿大):「心停止無脳児ドナーから成人への死体腎移植の1例」(『移植』26巻6号、p646~p653、1991年)
 1989年1月、1歳6カ月女児は蘇生を試みるも45分後に心臓死と確認された。心停止後も心マッサージにより血圧が100/50mmHg程度に維持され、心停止後115分より腎摘出術を開した。

・小山 勇(埼玉医科大学第1外科):「心停止ドナーからの臓器を移植に用いるための人工心肺下コアクーリング法、献腎移植における経験」(『移植』33巻総会臨時号、p133、1998年)
 携帯型人工心肺を用い、心停止による死亡宣告後、大腿動静脈よりベッドサイドでカニュレーション。血液を酸素化しながら全身を徐々に冷却、静脈血が15℃以下になったところで人工心肺を中止し、ユーロコリンズを大腿動脈より自然落下させる。ドナーを手術室に運び、腎を摘出し・・・17例の心停止ドナーに応用した。平均温阻血時間は32分。

 

  蘇生目的で心臓マッサージあるいは人工心肺が使用され、生還する患者もいます。移植用臓器を獲得する目的で、心停止ドナーに心臓マッサージあるいは人工心肺を使うことは、ドナーを生死の境目に置く危険性があります。この懸念を裏付ける報告を3つ紹介します。

■血液循環の維持で1週間後に心拍再開し救命された例
・河合勇介(福山市民病院循環器科):「心拍停止から1週間後に心拍再開し、救命しえた劇症型心筋炎と考えられた1例」(『心臓』40巻Suppl.3号、p127~p131、2008年) 
 67歳男性、自己心拍は停止状態で、経皮的人工心肺、体外式ペースメーカー、IABPを開始。持続入工透析、γ-グロブリンの投与、ステロイドパルス療法など施行し第6病日より徐々に血圧が上昇し始め、第8病日に心拍の再開を確認できた。第9病日にPCPSから離脱、第16病日には人工呼吸器から離脱した。

■心臓マッサージ、血流維持で、生死の境目に留め置かれる
・坂本哲也(公立昭和病院救命救急センター):「脳虚血と脳死」(『LiSA』2巻7号、p48~p51、1995年)
 意識を維持するために必要な脳血流量は、正常の50%、神経細胞が生存するために必要な脳虚血量は20%と言われているのに対し、胸骨圧迫式心マッサージによって得られる脳血流量は正常の30%以下、多くの場合10%以下なので自己心拍再開までは意識が戻らないのが通常である。しかし、蘇生術の開始が早い場合は、心マッサージのみで意識が戻る場合がある。患者は暴れて、心マッサージの術者を振りほどいてはグッタリするのを繰り返す。
 筆者は延々5時間にわたり、心静止までこの状態が続き、蘇生術をやめるにやめれなかった経験がある。自己心拍がない患者が暴れるさまは自然の摂理に反するようで、生理的な違和感を強く感じた。

・東 彦弘(東京医科大学病院救急医学講座):「体動を認めたが絶え間ない胸骨圧迫を継続した一例」(『日本救急医学会雑誌』21巻8号、p597、2010年)
 30歳男性初期研修医、仮眠中にうめき声と意識レベル低下を来し別の研修医が胸骨圧迫を開始。ソファー上より床へ降ろし、胸骨圧迫を行った。やがて傷病者に体動を認め、うめき声が聞かれ抵抗したが、頸動脈拍動を触知しなかったため、研修医が羽交い絞めにした状態で胸骨圧迫を継続。除細動で自己心拍が再開した。自己心拍再開まで16分を要したが神経学的予後が良好で社会復帰。


出血傾向を助長する薬剤ヘパリンを、全例に説明・承諾なしに投与
 臓器移植を成功させるためには、移植用臓器の血管内で血液が凝固していたら移植に使えません。このため抗血液凝固剤ヘパリンが投与されます。心停止後であっても、ヘパリンを投与して全身にいきわたらせるために心臓マッサージが行われます。
 日本臓器移植ネットワークが1995に日本腎臓移植ネットワークとして発足以来、1600例超の提供事例に使ってきたドナー候補者家族に対する説明文書「ご家族の皆様方にご確認いただきたいこと」http://www.jotnw.or.jp/studying/pdf/setsumei.pdfは、抗血液凝固剤ヘパリンは「心臓が停止し、血液の流れが止まってしまうと腎臓の中で血液が固まってしまい、移植ができなくなる場合があります。そのため、脳死状態と診断された後、心臓が停止する直前にヘパリンという薬剤を注入して血液が固まることを防ぎます」と薬剤を投与する目的のみ説明していました。血液を固まらせない作用のあるヘパリンが、外傷や脳血管障害に原則禁忌であることは説明していませんでした。
 2012年8月、阿部知子衆議院議員は「臓器移植医療に関する質問主意書、9月に再質問を提出し「通常の医療においても、薬剤の副作用についての説明が行われるのは当然である。ドナーが死亡を前提とした臓器提供が検討される場面において、原則禁忌の薬剤投与が検討される場合に、その副作用、侵襲性の大きさを説明しない文書を用いることは、ドナー候補者家族に対して不誠実と考えるが、政府の見解を問う」と指摘した。9月14日、野田総理大臣は「臓器提供が検討される場面では、ドナー候補者の家族に対して、適切な説明がなされることが必要であると考えている。このため、説明の際に使用する文書の記載や説明の仕方については、より適切な表現とするよう、ネットワークと検討していきたい」とする答弁書を提出しました。http://www6.plala.or.jp/brainx/2012-9.htm#20120914
 日本腎臓移植ネットワークが発足以来の「死体」ドナー候補者家族に、この文書は使われてきました。そのすべてにおいて、家族の承諾は適切に得られたものではなかったのではないか、という問題をこの質問主意書・答弁書の応答は浮かび上がらせました。もちろん、日本腎臓移植ネットワーク以前の、各施設が独自に承諾を得ていたケースでは、ドナー候補者家族からの承諾は、一層、適当に得られていた。法的に到底、正当とはいえない説明で、患者家族を錯誤に陥らせて違法に承諾を得ていたと考えられます。
 

脳死臓器提供だけでなく心停止後の臓器提供にも関心を
 日本では「脳死は人の死か」という論議にばかり集中し、「心停止は人の死か」ということには注目されてこなかった。その負の効果として、「脳死は人の死ではないが、心停止なら問題なく人の死だ」という先入観が形成されていると思います。議論ばかり盛んで現実を見ないものだから、臓器移植法以前からの脳死臓器摘出が7割という状況は見逃していた。昔から人工呼吸器を停止する人為的心停止ドナーはありました。凍死させて臓器を摘出する(「移植」4巻3号p218~p219)、あるいは生前に挿入したダブルバルーンカテーテル(下のイラスト)を膨らませて急性動脈閉塞による心停止ドナーの作成もあったとみられます。
挿入されたダブルバルーンカテーテル その著名人家族ドナーの例が、1993年8月、柳田洋二郎氏(当時25歳)から東京医科大学八王子医療センターの移植チームが行なったケースです(柳田邦男、犠牲(サクリファイス)、文芸春秋、1995年)。

 臓器移植法の改定後の心停止ドナーは、一般の脳死判定も満たさない、脳不全の面では比較的軽症の患者がドナーとなっていると見込まれます。そのような患者が、心停止後に臓器摘出目的で心臓マッサージを行われると、蘇生される可能性が高くなる。しかも出血性疾患の患者に原則禁忌のヘパリンを投与されたら、心臓マッサージによる蘇生効果と再出血によって激烈な苦痛、恐怖、絶望のもとで臓器ドナーとされている危険性があります。
 このような残虐行為になっている可能性があるのに、マスメディアが取り上げない理由は、「臓器移植が行われることが、移植待機患者の病状を改善する役に立っている」という先入観があるものと見込まれます。臓器ドナーとされる人の人権を擁護することなく軽んじる、そして移植待機患者の利益を優先することは間違いですが、意識回復が困難、あるいは死にゆく患者の人権は軽んじてもいいという前提があるのでしょう。
 しかし、臓器移植手術の最中に死亡した患者もいます。臓器移植を受けた患者だけのことをみても、臓器移植を受けない場合よりも、臓器移植をうけるほうが長期に生存できているのか、QOLは移植を受けたほうが高いのかさえ、脳死・臓器移植Q&A50のQ30で指摘してあるとおり、医学的に明らかになっていません。臓器移植は、単に外科医の「とにかくメスを使いたい、手術をしたい」という、患者を傷つけても構わない医師の暴走に引きずられているのかもしれません。
 和田心臓移植は、臓器提供者の死への疑問、移植待機患者に対する移植の必要性の疑問を提示しました。しかし、和田心臓移植事件だけを悪者にすることで、それ以外の「死体」臓器提供・臓器移植に同様の問題のあることを見落とすことになってきた。人権擁護、人道の面から、脳死への関心と同様に、心停止への関心ももってもらいたいと思います。

 

臓器提供と臓器移植をめぐる倫理と現実の隔絶

 最後に、臓器提供と臓器移植をめぐって期待される「倫理」と「現実」を整理しました。

 一つ目の倫理として、「患者に害を及ぼさない」「デッド・ドナー・ルール」があります。
 現実は、脳死ドナーにおいては、心停止を避けうる患者を脳死と判定し、脳機能下の臓器摘出をしている可能性がある。
 心停止ドナーにおいては、臓器摘出目的で薬物が投与されますが、薬物は血流がないと効きません、血流があるならば生体です。臓器摘出の目的で血流を再開・維持することで、脳および心臓が蘇生し、三徴候死の死亡宣告基準を満たさない内的意識下の臓器摘出になりうる。ヘパリンで再出血、激痛を感じさせながらの臓器摘出になっている可能性がある。蘇生させれば良好な再拍動が期待できる患者を、心停止・心臓ドナーとしている。
 生体間を含む臓器移植患者、すべてのドナーにかかわることですが、「従来の内科的・外科的治療法を受けた患者」と「臓器移植を受けた患者」の生存率、QOLの比較がなされていない。医学的根拠(生存率低下リスク、QOL低下リスクの提示)がない臓器移植は、臓器移植を受ける患者、生体臓器ドナーにも害を及ぼしている可能性があります。

 二つ目の倫理として、「情報を制約なく与えられ、自由意志で同意、決定する」があります。生命倫理で最も重視しているという「自己決定権」のことです。
 現実は、ヘパリンについての不適切な説明、筋弛緩剤・麻酔投与について説明しないことにみたとおりです。

 三つの倫理として、「臓器提供安楽死・尊厳死」があります。
 現実は、移植用に臓器提供可能な状態は、死の迫る終末期ではない。臓器提供そのものが、死に至る苦痛を与える行為となる。

 最後に、「民主主義の手続き」「法令順守」という倫理があります。
 現実は、臓器移植法以前からの脳死臓器摘出が多数あり、現在でも一般の脳死判定によるカテーテル挿入、ヘパリン投与など臓器移植法はザル法化しています。

 ほんとうに患者のためを思って行われている医療ならば、このようなことは現実には起こらないはずだ、と私は思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ移転、開設完了のお知らせ(2014年3月30日)

2014-03-30 15:01:50 | 活動予定

ブログ移転、開設完了のお知らせ(2014年3月30日)

 

 臓器移植法を問い直す市民ネットワークのブログは、プロバイダー「ぷらら」で2009年11月8日に開設しましたが、「ぷらら」が2014年6月30日にブログサービスを終了するため、こちらのgooブログに移転してまいりました。

 gooブログ上におけるブログ開設は2014年3月29日、移転後に体裁の確認を終了したのは3月30日です。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 (「ぷらら」上旧ブログのカウンターは3月30日現在で62,040台になっています)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする