2012年4月21日に上演された多田富雄作の能「無明の井」、そのパンフレットに掲載された小松美彦氏の文章を、主催者および著者の了承を得て一部変更して掲載します。
脳死・臓器移植の実相
小松 美彦(東京海洋大学大学院教授、生命倫理会議代表)
「無明の井」が主題とする脳死・臓器移植とは、はたして、いかなるものであろうか。
そもそも、心臓の拍動が停止した“死者”を用いた臓器移植は、二〇世紀初頭から試みられていた。しかし、半世紀にわたって、成功例は現れなかった。移植臓器が他人の臓器である以上、激しい免疫拒絶反応にさらされ、機能しなくなるからである。そこで、そのような反応が生じないと目された一卵性双生児間での生体腎臓移植が行われ(腎臓は一対ある)、成功例が登場する。一九五〇年代半ばの米国でのことである。ただし、健康な者の身体を他者のために切除する行為は、キリスト教の伝統倫理にもとると考えられた。また、従来の心停止後移植も、臓器の鮮度が悪いこともあり、成績は芳しくないままであった。
かくして、キリスト教倫理の別の側面、すなわち隣人愛が、「命の贈り物」という惹句を通じて強調されるようになり、移植医は免疫拒絶反応を抑制する技術革新を待望しつつ、新鮮な臓器の獲得に活路を求めてゆく。そこで白羽の矢が立てられたのが、「不可逆的昏睡」などと呼はれていた状態の患者であった。脳血管障害や窒息や交通事故などで脳を損傷したこの人々は、自力で呼吸ができないため、かつてはほどなく心停止をきたしていた。だが、一九五〇年代に人工呼吸器が誕生したことと、脳の命令系統が損なわれていても、心臓には自動拍動性が備わっていることによって、ある程度の期間は生きられるようになった。それは重度の昏睡状態とはいえ、あくまでも生者と見なされていたのである。
したがって、生きている不可逆的昏睡患者から、拍動中の心臓などを摘出すれば、確実に死に至り、それを挙行した移植医は殺人罪に問われかねない。実際、日本を含めて世界では、少なからぬ移植医が刑事告発されたのである。
そこで、一九六八年あたりから、不可逆的昏睡はまず、全身の死にイメージ的に短絡しやすい「脳死」という名称に改められた。そして、脳死を判定する“科学的”基準が策定された。しかし、脳死判定基準が脳の状態を判定する基準にすぎず、全身の死の到来を測るものではないことが省みられると、さらに、脳死を人の個体死とする“科学的”論理が捻出された。これらはすべて米国を起点として世界に伝播し、日本もその論理を踏襲する。たとえ、心臓が規則正しく鼓動しており、血が通っているため健常者と同様に身体が温かく、汗も涙も流し、排便があり、自然分娩による出産も可能であろうと、医学的に脳死者を死者と規定すれば、臓器摘出は正当化できると企図されたのである。この戦略の根底には、人間一人ひとりの徹底救命よりも効率を優先する発想と、生身の人間を臓器の集合体と見なす機械論的生命観が横たわっているように思われる。
ただし、新鮮な臓器の獲得に成功した臓器移植には、もうひとつの難題があった。免疫拒絶反応の制御である。だが、この点に関しても、一九八〇年前後に画期的な免疫抑制剤が開発・導入され、心臓移植をはじめとした脳死・臓器移植は、米国を筆頭に激増する。日本では、一九六八年に札幌医科大学の和田寿郎教授によって行われた心臓移植以来、脳死・臓器移植はタプー視されていたが、かような世界的趨勢にあって、やはり一九八〇年代初頭から解禁が図られることになる。こうして十余年間に及ぶ賛否両論の熾烈な論争の末、脳死・臓器移植を実施可能にする「臓器移植法」が一九九七年に制定されたのである。
先進資本主義国としては最後に制定された日本の臓器移植法は、論争を反映して、諸外国のものに比して臓器提供条件が厳しいものとなった。つまり、①臓器を提供する場合にかぎって脳死を人の死とし、②脳死を死とすることも臓器提供も、本人はもとより家族の承諾を絶対条件としたのである。しかし、その結果、二〇〇九年までの足かけ一三年間で、臓器を提供した脳死者は八一人、移植総数も三四五件に留まっていた。かくて、臓器不足を解消すべく、臓器提供条件を媛和する法改定が議論されるようになった。最大有力視されていた法案は、①臓器提供の有無や本人・家族の意思とは無関係に、脳死を一律に人の死と定め、②臓器提供に関しても、本人が拒絶の意思を示していないかぎり家族の承諾だけで認められる、というものであった。
私は、脳死・臓器移植そのものに徹頭徹尾批判的であったが、法改正という名の法改悪を許さないという一致点で、生命倫理の教育研究に携わる全国の主に人文・社会科学系の大学教員に呼ぴかけ、七〇名の賛同者とともに「生命倫理会議」なる団体を結成した。そして、生命倫理会議は、三回にわたる声明文発表と記者会見を行い、国会議員全員に声明文を配布した。しかしながら、二〇〇九年七月、もっとも危険視していた右の有力法案が、わずか一六時間たらずの審議で可決成立した。ちなみに、国会審議時には、法案提出者代表みずからが脳死を一律に人の死と定めた法案であることを繰り返し言明したにもかかわらず、施行直前に、厚生労働省がそのような規程ではない旨を関係機関とマスメディアに通達した。それゆえ、現在の日本では、脳死者は法的には、生者とも死者ともいえぬ宙づり状態にある。だが、そうではあっても、本人の意思が不明のまま家族の承諾だけで臓器提供した脳死者の数は、改定法施行後の一年半余で、旧法下一三年間の提供者数に迫ることとなった。なかには、メディアでは概ね秘匿されているものの、鉄道自殺を図った中学生も含まれている。
生命倫理会議は二〇一〇年、「いのちの選択―今、考えたい脳死・臓器移植」(岩波ブックレット)なる一般書を上梓した。ほかならぬ多田富雄先生からも寄稿を賜った。静謐な文体で「生きる」ということを問いかけた、その遺稿「脳死移植について」には、脳死・臓器移植は「一度始まってしまえぽ、際限なく拡大解釈が可能なことは臓器移植法の流れを見れば明らかです」という指摘がある。法改定をめぐる実情は前述のごとくであるが、移植最先進国の米国では、それを完全に凌駕しているといえる。
すなわち、脳死を死とする旧来の“科学的”論理の破綻を認める一方で、あらかじめ破綻していると見なせる新論理を再捻出した。また、臓器不足(=脳死者不足)を改善するために、脳死にすら至らぬ乳幼児の人工呼吸器を親の同意で取り外し、一時間以内に心停止すれば、再拍動の可能性を最短七五秒だけ待って死亡宣告し、その心臓を摘出し移植する方法が急増している。付言するなら、米国では一歳未満の臓器提供者の四割もが、虐待による“死者”にほかならない。そして、はては、心停止後の臓器提供者も実は生きていたことを追認したうえで、臓器摘出それ自体による死の容認を量と質いずれの点でも最良の臓器獲得策、とする見解まで唱えられているのである。
顧みるなら、脳死者は、意識がなく、微動だにせず、一〇日以内には確実に心停止に至る、と断じられてきた。しかし、二〇〇八年三月二三日、ついに米国のNBC Newsが、脳死状態時に意識があったという青年の証言を放映した。親族の判断で臓器摘出を中止された後に社会復帰したこの生き証人は、自分への死亡宣告も、臓器摘出の準備が進められていることも分かっていたが、その恐怖を伝えられず、「心中張り裂けんばかりでした」と訴えたのである(http://www.msnbc.msn.com/id/23768436/)。また、脳死者には高確率で脊髄反射が起こるばかりか、ラザロ徴候という手足のなめらかな運動が現れることがある。しかも、脳死者はかような生理状態を推持している以上、そのまま臓器を摘出すると、脈拍と血圧が急上昇し暴れ出すため、必ず麻酔や筋肉弛緩剤で鎮静化されている。さらには、人工呼吸器と経管栄養の助力で長期にわたって生きる脳死者は少なからず存在し、最長は二一年間に及ぶ。四歳のときに脳死診断されたこの米国人男子は、その後に身体が成長し、第二次性徴まで迎え、大人になったのである。同様の長期脳死の愛嬢を介護していた日本のある母親は、「娘は生きる姿を変えただけ」ど出演番組で述懐している。まさしく「ただ生きている」ことこそが、「人間の尊厳」にほかなるまい。
なふ、我は 生き人か、死に人か。
「無明の井」の中心をなすとおぼしきこの語りかけの深奥には、脳死・臓器移植をめぐる以上のような実相が控えているのである。