臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

第19回市民講座講演録(2024年2月3日) 2-1 「わたしはここにいます」~“超重症児”のわたしらしい生き方の実現のために~

2024-06-24 16:33:08 | 集会・学習会の報告

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク 第19回市民講座講演録 2-1

 

「わたしはここにいます」
~“超重症児”のわたしらしい生き方の実現のために~


講演 西村理佐さん

日時:2024年2月3日(土)14時~16時45分
会場:江東区亀戸文化センター(カメリアプラザ)
会場とオンラインを併用

 

 

写真は、左が西村帆花さん、右が西村理佐さん

■講師・西村理佐さんのプロフィール
1976年 横浜生まれ。明治学院大学文学部心理学科卒業後、都内医療機関の医事課や看護対策室、さいたま市内 クリニック勤務。
2007年 帆花さん出産 臍帯内動脈断裂により新生児重症仮死「脳死に近い」と宣告される。2008年 帆花さん生後9ヵ月より在宅生活開始。
2010年 『長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活  ほのさんのいのちを知って』出版(エンターブレイン)。医療機関、大学、看護学校等で講演活動
2021年 帆花3歳~6歳までを撮影したドキュメンタリー映画「帆花」全国公開。
2023年一般社団法人ケアの方舟設立。帆花さん16歳(特別支援学校高等部訪問籍1年)。

■講演概要
 生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された娘、帆花。さまざまな医療的ケアをマスターし帆花との在宅生活を開始して間もなく改正臓器移植法が成立。我が子をどう受け止め、どのように育てていくのか、この子の人生とはいのちとは……。「超重症児」にカテゴライズされた娘は医療に管理され、障害福祉サービスにあてはめた生き方しか選ぶことができないのか。苦悩する母をよそに、たくさんの人と関わり合いながら逞しく成長する姿に学ばされてきた16年。心身共に健やかに成長していく帆花の“思い”を汲みとろうと、支援者と共に彼女の考える“わたしらしい生き方”を探る日々。「わたしはここにいます」という帆花の声にならない声に耳を傾けてください。 

 

 


 

 皆さま今日は、西村理佐と申します。帆花の母です。西村理佐さん

 帆花は今16歳になっておりまして、特別支援学校の訪問籍で、先生が自宅に来て授業をしてくださっています。昨日は節分にちなんで干瓢の勉強をしました。私は母が煮てくれた干瓢がすごく好きだったのですが、自分で煮たことはなく、そもそも干瓢が何であるか知らなくて、帆花が授業で勉強した時にユウガオの実だと初めて知りました。私も帆花と一緒に勉強しております。


 本日は、「『わたしはここにいます』~超重症児のわたしらしい生き方の実現のために~」と題してお話しさせていただきます。

 帆花が生まれて16年経ちますが、生まれた時から現在に至るまで帆花が「わたしはここにいるよ」と言っているように何度も感じています。

 それは私に言っている時もあり、世の中に対して言っていると思う時もあります。帆花が何を言いたくて、「わたしはここにいます」と呼びかけているのか、頭の隅に置いて、これから私が話すことを聞いて頂けると有難いかなと思います。

 

本日のお話

 本日のお話の内容ですが、帆花は生まれた時に「脳死に近い」と言われたわけですが、脳死ということとの関わり、そして16歳になっていますので、現在に至るまでのプロフィール、医療との関係、帆花の存在から私が学ばされてきたこと、帆花とどういうふうにコミュニケーションをとっているのか、帆花が今、「自分らしく生きたい」と願っているはずだと思うのですが、どうしたら「わたしらしく生きられるか」ということをお話したいと思います。

 

脳波は平坦、萎縮も始まっている
 帆花が生まれたのは2007年10月17日です。おなかにいるときは特にトラブルがなかったのですが、まさに生まれるという時に分娩台にあがったところ、「羊水が血で濁っている」と、そこから緊急事態になりました。待っていては命が危ないからと先生が私に馬乗りになって、おなかを押して帆花が出てきました。それが誕生の場面でした。

 生まれて10分間の心肺停止、おなかから出てきてから10分ですので、いつの時点で心肺停止していたのか分からないけれども、10分間の心肺停止後、蘇生したということです。そして生後20日目に厳しい宣告を受けました。「脳波は平坦、萎縮も始まっている。目は見えない、耳は聞こえない。今後、目を覚ますことはないでしょう。それでも元気に成長しますよ」と先生に言われました。

 これを私、主人と2人で聞いたのですが、この説明を聞いて、自分の子がどういう状態なのか全く想像がつかず、ただ素人考えで脳死という言葉を何となく知っていたので、「先生、それは脳死ということですか?」と質問してしまったわけです。その時の先生の説明は、「赤ちゃんとか子どもは脳死というふうには言わないけれど、それに近い状態と言えますかね」というふうに言われました。

 この説明で、この子がどういう状態でその後生きて行くのか、全く想像がつかなかったわけです。恐らく重い障害を抱えながらと想像できましたが、脳死に近いとなると、本当にどういうことだかわからなかったというところです。

 

「脳死」ということばの呪縛
 障害を抱えながら生きていくということにプラスして「脳死に近い」と言われたことで、私は脳死という言葉に何か呪いにかかったというか、それぐらい混乱しました。辛い思いをして、その中身が何だったのかと考えると、大きく分けて3つかなと思っています。

 一つは、人間には多数の臓器がありますが、そのうちの脳という一つの臓器の機能が失われた状態に対して「死」という絶対的な意味を持つ言葉を付けることのインパクトです。生きている人に対して「死」という言葉をつけてしまう、しかもただ一つの臓器の機能が失われているだけでということの重みについてです。


 帆花の場合は、生まれたばかりの赤ちゃんでした。赤ちゃんというのは、これから成長して行く発達して行くスタートの象徴です。そのような存在に、いのちの終わりである「死」という言葉がつけられてしまったこと。その赤ちゃんがどんな人生を送っていくのかと考えるときに、「死」という言葉のインパクトが大きかった、それが一つです。

  二つ目は、脳という臓器の絶対的存在感です。医学的に脳がどんな働きをしているのかは説明できないけれど、人間のすべてを司っている臓器が脳だというイメージがあります。加えて人間らしさの象徴というイメージもあります。人間の心ってどこにあるのかと考えた時に、心臓を指す人もいるし、心って脳にあるとイメージされる方もいます。人間らしさの象徴で、すべてを司っている存在感のある脳の機能が失われている人は生きているといえるのだろうか。あるいは死んではいないけれども、生きていないんじゃないかみたいな、そういう思いがありました。

 そして三つ目は、2010年7月に改正臓器移植法が施行されましたが、その時に大きく変わったのは、家族の承諾で15歳未満の子どもの臓器も提供可能になったことです。この改正臓器移植法ができた時には、私も帆花にかかわる何かがあるんじゃないかとすごく危惧して、どんなふうに法律が変わるのかとか、国会で通過する時にいろいろ勉強したりしました。当時、改正臓器移植法が成立したときに「脳死は人の死」のような見出しで報道がされました。正確には「脳死=死」とされるのは、臓器提供に係る場面においてのみの概念なんですが、あたかも全ての場面において「脳死は人の死」とされたかのように誤解をしている方もたくさんいると思いますし、そこがすごく問題だなと思っているところです。


 先ほど生まれて20日目に先生から宣告を受けたという話をしましたが、私たちが素人考えで「それは脳死ですか」って質問をした時に、先生が「お子さんはそういう表現をしないんですよ」と答えられた。なぜかというと、ここに関わるのですが、帆花が生まれたのは2007年でした。当時の法律では親の承諾で子どもの臓器をとりだすことはできなかったので、小さな子どもには脳死という概念は用いないという意味で、先生がそういう風な説明をされたということを後から理解しました。

 こんなことで生まれたばかりの帆花、これからどうやって育てていこうということと、脳死という言葉の呪いにかかって私も非常に辛い思いをしておりました。

 

「おかあさん!わたしはここにいます!」
おかあさん!わたしはここにいます! 生まれた時に帆花がこのような状態になってしまい、私も現実を整理できなかったこと。そして脳死という概念に苦しめられたことで、私は、うつ病になってしまったんですね。身体的にも精神的にもすごく辛かったのですが、NICUに入院している帆花に毎日、搾乳して凍らせた母乳を持って、面会に行っていました。家に居る間はうつのために布団から出ることも着替えることもできない状態だったのですが、帆花が待っていると思い、一生懸命着替えてバスに乗って病院に行くわけです。そうすると、厳しい宣告を受けた赤ちゃんとは思えない様子の帆花がそこで待っているんですね。どんな様子かというと、生まれてすぐに口から管を入れられて人工呼吸器に繋がれ、モニターやら点滴やらたくさんの管が繋がっているんだけど、スヤスヤと穏やかに眠っているように見える。眼も開いてないし、もちろん泣くこともない。けれど何ですかね?全然そのような重症な赤ちゃんに見えないのです。「おかあさん来たの?」みたいなあどけなさがあって。本当に可愛い赤ちゃんそのもので、むしろ生きる力に満ち溢れているように感じられたんですね。

 そんな帆花の様子を見ると、さっきまで家でうつで苦しんでいた自分が嘘のようにパワーが湧いてきました。でも、そもそも私がうつになったのは、帆花がそのような状態になってしまったことが原因でしたのに、当の本人は「あれ、おかあさん来たの?」みたいなのほほんとした感じで、私を迎えて励ましてくれているようで、「一体これはどういうことだろう?」という混乱も生まれておりました。

 この先、帆花がどんな風に成長して生きていくのか、全く想像がつきませんでしたし、こういう子どもが私達夫婦のところに生まれてきたことで、自分の人生に何が起きたのかも全くわからなかった。帆花を受け入れるのか、受け止めるのか、どうしたらいいんだろうということもまったく分からない。だけど会いに行くとかわいい赤ちゃんが「おかあさん、わたしここにいるよ!」と言っているように見えたのです。

 それで私がどうしたかと言いますと、この混乱の状態や、“脳死に近い状態”と宣告されたことなどについて、すぐに答えの出る問題ではないと、一旦棚上げすることにいたしました。そして、この先ずっと医療が必要で、呼吸器と共に生きていくのだけれども、それでも私たちの所に来た可愛い赤ちゃんで、彼女なりに成長していくのだとしたら、一生病院で過ごすのではなくて、とにかくおうちに連れて帰ろう、おうちで育てようと、割とすぱっと決めました。

 

帆花プロフィール
 ここで帆花のプロフィールを現在に至るまで整理したいと思います。2007年10月に生まれて、その年の年末に、生後3か月足らずで私は(主人はもう少し時間がかかったように見受けられました)、家に連れて帰ろうと決意していました。連れて帰るとなると、さまざまなサービスを利用して支援を受けながら暮らさなくてはいけない。そのためには障害者手帳を申請して、それをいただかないとサービスが受けられないんですが、当時は3歳ぐらいにならないと申請もできないと言われていました。なぜかというと、ある程度、成長して障害の度合いが固定してから手帳を交付しますよということだったのです。私が、先生達に「この子を連れて帰りたいから手帳を申請するので書類を書いていただきたい」と言ったら、「いや、ちょっとまだ産まれたばかり、生後3ヶ月だし無理じゃないか」と言われました。しかし私としては「いやいや、この子はこの先、良くなることは絶対ないから、そしてこれ以上に悪くなることもないから、もうすでに障害固定しているので、3歳まで待つことはできないからどうしても欲しいです」と申しまして、先生方、看護師さんたちも「そうか、お母さんたちがそこまでの覚悟でおうちに連れて帰りたいのなら」と、いろいろな手続きを進めて下さったのです。

 年が明けて3月に気管切開手術を受けました。先ほど申しましたが、生まれてすぐに口から管を入れて呼吸器に繋いでいたのですが、おうちに帰るということになり、喉仏のところに穴をあけてそこに呼吸器を繋ぐためのオペを受けました。

 そのオペを経て、1ヶ月後の4月にNICUという温室から一般の小児科に転科し、そこから在宅生活の準備をしました。現在では、在宅で過ごす重度のお子さんがかなり増えていますが、当時はその病院でも帆花のような重症の子がおうちに帰るのは初めてのケースでしたし、病院としての退院支援とか、ケアの指導というのもきちんと構築されてはいませんでした。私はとにかく一日も早く連れて帰りたいと思っていたので、いろんな医療系・看護系の雑誌を読んで情報を収集して、どんなふうにチーム組んだらいいのか、誰に何を頼んだらいいのか、あるいは何をそろえないと帆花は帰れないのか、おうちをどういうふうに改修したらいいのかとか、いろんなことを猛勉強して調べました。最も難しかったことは、生まれてから一緒に暮らしたことがない、しかも、“正体のわからない”帆花の体調をどうやったら把握できて、元気でいられるようにケアできるのか、どのようにおうちで育てていけばよいのかということでした。そこで私は一般の小児科に転科した帆花に朝9時から夜9時までずっと付き添いながら、帆花の様子をじっと観察して「あ、こういう時こうなんだな」とか、「こういうときは痰とってあげなきゃいけないんだな」みたいなことを誰も教えてくれない中で帆花から聞いて、こういう風にやるんだと学んでいきました。それと同時にいろんな手続きをしたり物品を揃えたりということもやりました。私の計画では、それらを全部3ヶ月間でできるという計画でしたので「3ヶ月で帰ります」と病棟に宣言し、計画を実行し、本当に準備期間3カ月で、2008年7月21日、帆花生後9ヶ月で在宅生活をスタートさせました。

 病院でも初めてのケースでしたけれども、地域でもここまでの超重症児と呼ばれるような児はいませんでした。障害者手帳は交付していただきましたけれども、例えばヘルパーさんを利用したいと役所に相談すると、「赤ちゃんなのにどうして?お母さんがいるのにヘルパーさんが必要なの?」と言われたり、門前払いされることも多く、まずは一から帆花の状態やケアの状況などを説明しながら支援を求めました。そこから役所との交渉の人生がスタートしたということです。

 あれから16年経って、帆花のように医療的ケアが必要な子が地域に増えてきたことで徐々に制度が整ってきました。しかし、帆花の場合はケアの個別性や頻度が本当に高いことから、ニーズもレアなものなので、交渉しても前例がないと現在でも言われ続けております。前例がないこと、少数の声が届きにくいことで、彼女がきちんと生活するための充分な支援を受けることは今でも難しい状況です。

 先ほどお話しました改正臓器移植法の施行が2010年7月でしたが、これが在宅生活をスタートして2年ぐらい経ち、ようやく慣れて家族3人が楽しく過ごせるようになった頃でした。そのような頃に、たとえ帆花のような赤ちゃんでも、15歳未満の子どもの臓器を親の承諾で取り出すことができるという法律が施行されたことは、本当にすごくショックでした。もしこの(家族の承諾だけで子どもの臓器が提供できてしまうという)法律が帆花が生まれた時にあったなら、私たちどうしてたんだろう?「元気に成長するよ」と先生に言われたけれども、それがイメージできずに、「私たちの赤ちゃんの臓器は誰かの役に立ててください」と言うことが善意だと判断して、帆花の臓器を差し出してたかもしれない。帆花のいのちが誰のものなのかも深く考えもせず、そして頑張って連れて帰ったらここまで16年生きてこられた帆花のいのちがそこで終わっていたかもしれないと考えると、本当に恐ろしいことだと思っております。

 

 特別支援学校小学部に入学するまでは、医療とか介護の方たちの支援を受けながらおうちで暮らしていたわけですが、発達とか成長という分野では療育センターに通うという方法があって、帆花も行ってはみたのですが、そこで療育センターのお医者さんに「帆花ちゃんが何かを習得するとは到底思えない」みたいなことを言われて、私も悔しい思いをし、結局療育というものを受けられずに過ごしました。そして2014年の4月に晴れて特別支援学校の小学部訪問籍に入学しました。基本的には先生が自宅に来て授業をして下さいますが、通学のお子さんたちと一緒に行事を楽しむとか、通学のクラスの授業に一緒に参加するという機会もたくさんあります。入学までは同じ年齢のお子さん達と関わる場面が一切なかったので、帆花もドキドキしたと思います。帆花に、お友達とかかわったり、先生と一緒に何かをやることができるのかという不安もありましたが、新しい刺激をもらったことで、学校に入ってから著しく成長してきました。

 2021年9月に医療的ケア児支援法という法律ができました。医療的ケア児支援法では、“医療的ケア児”と呼ばれている子どもたちが不自由なく暮らせるようにということと、親の負担の軽減、例えば親が働きに行けるように、みたいなことも進んではきています。しかし、先ほども申しましたように帆花のニーズがすごくレアなので、この法律ができたからといって、何か帆花の生活が変わったかというと残念ながら変わってはいないどころか、支援を求めて声をあげるけれども、それがなかなか届かない、逆に届きにくくなったという現状があります。

 そして現在、特別支援学校高等部の1年で今年2年生になります。

 一つ忘れてしまいましたが、現在、在宅で暮らす、重い障害を持ち医療的ケアが必要な子どもたちがすごく増えていますが、そういう子たちがどういう風に生活しているかというお話です。訪問看護を受けたり、ヘルパーさんに助けていただいたりということがあります。その他に「生活を支える」という意味における大きなサービスとして「レスパイト」「短期入所」というものがあります。1週間とか子どもを預かってもらって、その間に親がちょっと休息するというものです。帆花の個別性の高いケアは、実施するのに熟練が必要でして、その上、ケアの回数がかなり多いので、限られた人員体制の中での集団生活は非常に難しいです。そして、彼女なりの方法で「こうして欲しい」ということを訴えることができるのですが、それがなかなか慣れない人には伝わりにくくて、そのことで必要なケアが行き届かず、いのちに関わるようなことがレスパイト中に起きてしまったことがありまして、この11年、レスパイトや短期入所は利用できずにいます。 

 在宅生活を開始した頃は、そのような帆花の特性を理解しておらず、レスパイトについて「在宅生活継続のために必須のサービス」であるとか、「慣れたら大丈夫」、「子どもにも少し我慢させることが必要」「親離れ子離れの第一歩」などと指導されていたこともあり、私も帆花に何度もチャレンジさせていました。集団生活では看護師さんの数が限られており、一人の子供のケアにかけられる時間が少ないです。加えて個別性の高いケアを頻回に必要とする帆花には不向きなサービスであるにもかかわらず、そこに気付くことができずに、いつかは安心してお預けできるだろうとチャレンジさせてしまっていために、預けている時にいのちに関わるようなこと(痰詰まりからの酷い肺炎)が起きてしまいましたので、5歳から現在に至るまで一切レスパイトが利用できないでいます。具合が悪くて入院が必要になった場合でも、病棟の看護師さんが帆花のケアに不慣れで、ケアが十分でないといのちに関わるということで、入院すらもできない状況が続いています。

 

「医療」とカテゴライズ
 帆花のプロフィールの説明の中に、「超重症児」とか「医療的ケア児」などのカテゴライズの名前が出てきました。よく「うちの帆花は“超重症児”なんですけれど」と私も言ってしまうのですが、「超うれしい」とか「超たのしい」とか言いますね、「重症どころか、もう超重症なんだ」って、私が勝手に言っていると思われてる方が実際いるんですけど、そういうわけじゃなくて、きちんとしたカテゴライズの名前なのです。

 障害の分類として1970年代から使われている大島分類というのがあります。これは重度の知的障害と重度の身体障害を併せ持っている人を「重症心身障害児」と呼ぶという分類です。これには医療的ケアのことは含まれていません。

 「超重症児」というのは、どんなカテゴライズなのかといいますと、これは医療に関わるときの診療報酬上の分類です。ここに細かい表が出ておりますが、レスピレーター管理、(呼吸器をつけているか)、酸素吸入しているか、一日に何回吸引するか、のような医療デバイス、つまり使用している医療機器、あるいは必要な医療的ケアなどをスコアにして、それを計算して25点以上でかつ座位保持が不可能、医学的な管理が必要な状態が6ヶ月以上、ということで「超重症児」という分類がされます。これをざっと計算すると帆花は少なくとも44点ぐらいです。

 

重症心身障害児、(準)超重症児、医療的ケア児、の関係
「医療とカテゴライズ」 「重症心身障害児」「超重症児」、あるいは「医療的ケア児」というカテゴライズの関係、どこに当てはまる人なのか、ということを重ねてみると、次頁の図になります。難しいのは「重症心身障害児」に当てはまらない「超重症児」がいたり、「医療的ケア児」であっても「超重症児」ではない人もいるということです。一言で「医療的ケア児です」と言っても、どこに属するかによって、実態が全く違ってくるのです。最近ニュースで医療的ケア児にまつわる特集が組まれたりしていますが、“医療的ケア児”とひとくくりにしても、いろんな実態があるのです。この赤い四角で示した「医療的ケア児」の最下部に位置する人は、例えば吸引が必要だけど元気に歩いている、知的にも全く問題がないお子さんのイメージです。同じ医療的ケア児でも、帆花のような子もいれば、歩いていてしかも知的にもクリアですというお子さんもいるので、この分類だけではそのお子さんの実態はわからないということに注意が必要なんですね。

 医療的ケア児支援法ができたと言っても、当然その中身は、全ての「医療的ケア児」をカバーするのは不可能で、「医療的ケア児」のなかでも大多数の方のための何かから進められていく、というイメージです。この分布のなかでは帆花のような少数派は“点”であり、そこに属する人たちが求めていること、それを解決するのは本当に難しいです。帆花はこれまでいろんな支援を求めてきましたが、まずは帆花の実態を理解してもらうことから始めないと「“医療的ケア児”で、“超重症児”で」と説明しても、帆花の実態を思い浮かべてもらうことは容易ではなく、詳しく説明すると「え、そんなことあるの?」となってしまうのです。少数派は努力して実態を説明し、それを理解していただいて初めて、支援を求めるステージに立てるのです。

 いろいろお話ししてきましたが、帆花が一体どんな子なのかというイメージがつかめないかもしれませんので、2022年のお正月に公開された『帆花』というドキュメンタリー映画、私たちの日常をただ淡々と流すというドキュメンタリーなんですが、その予告編をちょっと見て頂いて、帆花がどんなふうに生活しているのかというイメージを持っていただきたいと思います。ご覧ください。

 

YouTubeで公開されている1分56秒間の予告編は、右記URLでご覧ください。https://youtu.be/5waoFEXYqJU

「私と帆花とふたりっきりな気がする」「何をしているのか確かめたい時がある」
 ご覧頂いたのがドキュメンタリー映画『帆花』の予告編でしたが、どんな風に暮らしているかイメージして頂けたでしょうか。普通に、普通の子供として、家庭で生活している様子がちょっとわかって頂けたかと思いますが、この映画を撮影したのは帆花が3歳から6歳まで、小学校入学前までの撮影期間でしたので、今から13年前です。だから今ご覧いただいた帆花は本当に小さい時の帆花です。今はもっと大きいです。

 そして暗い顔をして、私が心の叫びを吐露している場面がありましたけれど、「私と帆花とふたりっきりな気がする」とか「何をしているのか確かめたい時がある」とボヤいておりました。このドキュメンタリー映画は編集にすごく時間がかかっていて、劇場公開したのが今から3年前でした。撮影終了してから、7年経っています。ですから私の心の中も大分変わったところで、「映画が完成しました」と監督から見せられました。この「私と帆花とふたりっきりな気がする」と呟いた場面を見て、なんであんなこと言ってしまったのだろうと。これを日本全国の人に見られるのかと思ったら、すごく嫌だなと最初は思いました。しかしよく考えると、あの当時の気持ち、私たち生活の状況が、その一言にすごく込められていたので、今はむしろよかったと思っています。

 では私のこの発言の意図するところはなんだったのか。一つには、「脳死に近い状態」と宣告された混乱のまま、一旦棚上げした問題を抱えながら始めた在宅生活で、その問題に対する回答をいつもせっつかれてるような精神状態だったことです。「どうしたら答えが出るんだろう、脳死ってなんだろう」と。二つ目には、医学的には「脳死に近い状態」であるはずなのに、目の前の帆花がどんどん可愛くそしてさまざまな成長をみせてくれていた、ということです。今ご覧いただいた予告編でも時折、帆花が「うーん」などと言ってましたが、こちらが帆花に話しかけるとまるで「うん」と返事してるようで、なんとなく「いやだ」とか「いい」などはわかるし、なんとなく「今、寝てるのかな」みたいなことがわかったりとか、いろんな彼女の表出が分かってきて、「脳死とは何もわからない状態なのでは?」と、医学的見地と私が目にしてる帆花とのギャップで苦しんでいたということです。そのギャップが何なのか、その疑問をもひとりで解決しなければならないという孤独感もありました。三つ目に、24時間注意が必要でケアもひっきりなしにあったので、帆花と暮らしてるリビングだけが私と帆花の世界、主人は仕事に行くので外との繋がりがありますが、私と帆花はここだけで暮らしてるみたいだという、社会から切り離されたような孤独感もありました。そのようなことからあの時の私は「帆花とふたりっきりな気がする」と語ったのだと振り返っています。 

 さらに、「ふたっりきり」と感じていた大きな理由として“ケア”にまつわることがありました。在宅生活に向けて病院から指導されたのは、「2時間ごとに体の向き変えてね」とか、「その時に吸引してね」のような、教科書的なケア方法でした。当時の私はそれに忠実に一生懸命ケアをしていましたが、すぐに帆花の具合が悪くなっていました。せっかく苦労して連れて帰って来たのに、毎年冬になると痰が詰まって呼吸不全になったり、肺炎をおこしたりしていました。こんなに一生懸命に帆花のケアをしてるのに、どうして具合が悪くなってしまうのだろう」、「これはひょっとして帆花には不十分なケアなんじゃないか?」「“教えられた通り”、“教科書通り”は、帆花には合っていないのでは?」と、徐々に気づき始めたのです。「じゃあどうしたらいいのか」は、誰も教えてくれない。ではどうするか。本などで医学的な知識は勉強しますが、あとは帆花に聴くしかないのです。どんな時にどういう風にしたらいいのかを、一生懸命勉強しながら帆花に聴いて帆花が元気に過ごすための充分なケアを構築していた時期だったのです。24時間帆花と向き合って帆花に合ったケア方法を見出そうとすることが、あたかもいのちをかけた「ふたりっきりの世界」のように感じられていて、その心の叫びだったのです。

 

帆花にとって「医療」とは

・教科書通りの「医療的ケア」=帆花の個別性に合った方法ではない
 教科書通りのケアをしていても、元気に過ごせなかったことで、私も若かったですし、何もわからずに連れて帰ってきたので「お医者さんや看護師さんはなんで教えてくれなかったの?」などと腹立たしくもあったのですけども、病院という場所は、24時間、看護師さんも先生もいて何かあったらすぐみてくれる場所ではあるけれども、具合が悪くなった時に治療する場所だから、帆花のように日常的にケアが必要な子どもが、どうしたら元気に暮らせるのか、どんなケアが必要なのかと、その子、その子に合わせてじっくりケアをする場所では無い訳ですね。このことに私は何年もかけて帆花に合ったケアを模索している間に気づいたのです。「教えられた通りにやればいい」と最初は思っていて、それが私の間違いというか、いや勘違いをしていたということですね。

・帆花の検査結果上の「状態」=それ以上のことはわからず、近い将来のこともわからない
 今も月に一回、定期的に通院して、具合が悪ければ検査もしてくれます。帆花の状態を検査データは教えてくれますが、将来この児がどうなっていくのかは何もわからないですし、数値のことしか結局はわからない。


・「意識が無い子」=「何もわからない子」
 そして医学的には“意識が無い”という扱いを受けているわけですが、つまり意識がないとは何もわからない児ということだと思うんです。そういうふうに言われて帰ってきたけれど、ものすごくよくわかってるんですね。それは私の愛情とか親心で勘違いして言っているのではなくて、本当にちょっとしたことですけど、顔色や表情が全く変わる、すごく顔に出る子となんです。それにサチュレーションモニターを、24時間モニターを指につけていて、酸素飽和度と心拍がいつもプップップップッとモニターに出るんですが、それのアラームを自分で鳴らすんですよ。サチュレーションといって血中酸素濃度を図っている方の数値を急に下げて80とかに下げるんですね。酸素飽和度80って結構、顔色が悪いんです。「どうした!」って見に行くと100にスーッと上げるんですね。「あれー」って(講演者とともに会場からも笑い)。

 そういう話をすると「いやいや」(「懐疑的な意見」の意味)となるけど、本当にそういうことがあるんです。医学的に言ったら、何かを表出したくて「うん」って力むから、指先に力が入って(モニターが情報を)拾わなくなった数字、ということになるのだけれど、それはやっぱり帆花が何かを言おうとしてると私たちは受けとる。それがコミュニケーションなんです。だから医療で「意識がない子、何もわからない子」と言われても、ずーっと見てたらそういうことがある。勘違いとかではなくて、実際に起きているっていうことです。


・「医療的ケア児」「超重症児」というラベリング、カテゴライズ
 先ほどご説明しました医療的ケア児とか超重症児というラベリングとかカテゴライズが色々ありますが、同じ「医療的ケア児」、同じ「超重症児」に分類されるお子さんたちでも、各々の実態がそれぞれ全然違うということ。たとえば、さっき帆花が44点と申しましたけれども、同じ44点だとしても極端な話、全く同じ医療機器をつけていて同じ医療的ケアが必要だけども、吸引の回数が全く違ったりもするんです。吸引の回数が違うと、ケアにかかる時間が違うので、周りのケアの負担とかも全然違いますし、うちの子はそれがすごく多いのでレスパイトができない。同じ44点でも普通にレスパイト、集団生活ができる児もいる。ですから、いろんな制度とかサービスを利用したり、診療報酬を決めたりという時に分類は必要だけれども、はっきり言って、そこからはその子の実態は全く見えてこないということです。


・医療依存度が高ければ高いほど 「医療者」「医療型」
 帆花のように、例えば呼吸器のような医療機器がついているとか、医療的ケアがたくさんある人であればあるほど、つまり医療依存度が高ければ高いほど、医療者でないとケアできない、もし預けるなら福祉型の施設でなくて、医療型の施設、という「医療で囲う」ような流れが強まってきています。そうなると、医療依存度が高い子が在宅に帰り始めた意味がない。意味がない、というと言い過ぎですが、医療で囲うために在宅に帰って来ているわけじゃないですよね。医療依存度が高い人は医療者じゃないとだめとなってしまうと、帆花は看護師さんしか世話ができないことになってしまいます。24時間ケアが必要なのに、24時間看護師さんが来てくれるわけじゃないですし、そもそも無資格の私が彼女のケアを構築し、そのケアの大半を無資格の両親が担っているわけです。制度上は福祉の人はやってはいけないってことになっているケアも多いですけれど、決して医療者でないとできないことじゃない。親がやっているのですから。親がなぜそれを出来るかというと、子供が必要としているから、ただそれだけのことです。医療依存度が高くても在宅で暮らそうとなった時に、医療者じゃないとだめとなってしまうと、帆花のようにケアが多いと医療者だけでは制度上カバーできないため、家族の負担がものすごく重くなってしまうことになります。

 

 医療について、いろんな課題や問題がありますが、帆花が生まれた時に、全てにおいて「解決してくれるのは医療」だと、私自身勘違いしていたことも大きなことです。例えば小学校に入学して間もなく、みんなで遠足行くよとか、初めて運動会があるよ、という時に、帆花は普段自宅で学習していますが、行事の時は通学のお子さんたちと一緒にやるので、学校に行きます。運動会も学校の体育館で一緒にやるのです。どんなことをやるかというと坂道を、帆花が滑って降りてくるんですけど、その時に呼吸器がついてると危ないので、呼吸器の代わりに喉に風船のような器具を付けて手動でシュポシュポっと膨らませて肺に空気を送るバギングという方法があるのですが、坂道の横で私がバギングをしながら、私も一緒に下りてくるということをしたことがありました。初めて参加する時は、緊張しながらも、帆花は何が起きるか体験したことが無いのでよくわからずに学校に連れて行かれて、よくわからないうちにお友だちと同じようにやるわけです。しかし一度参加すると「怖かった」「でも楽しかった」というように、帆花自身の中に刻まれますよね。それが「経験」です。

 また二年生になって「(昨年経験した)運動集会あるよ」というと、“あの坂道をお母さんと転がったこと”が思い出されるのか、前日になると、ものすごい痰の量になるのです。今はカニューレの部品の具合で声が出なくなってるのですが、先ほどの予告編の中で「うんっ」て言ってましたけど、何かの行事の前の日になると「うーんっ、うーんっ」てものすごく大きな声をあげるとともにずーっと吸引してなきゃいけないほどの痰になるんです。私も何だかわからないから「えー明日、運動会なのに今、具合悪いの、休んだほうがいいね」と休ませたりしてたんです。「残念だったね、運動会に出られなかったけど秋に遠足があるからね」などと言っていたら、その遠足の前の日にも「うーん」と大声になって多量の痰が出てくる。それを繰り返すうちに「あれ?この児、具合が悪いんじゃなくて、ひょっとして興奮してるのかもしれない」となりまして。痰の多い状態で外出するのは危険も伴いますが、それだけ本人が楽しみにしているのだとしたら、休ませると逆なのでは?と。ためしに連れて行ってみようと参加させてみたら、別に何ということもなく参加できて、むしろ行事の間は全然吸引も必要なく、帰宅後も声も小さくなって、普通に戻ったみたいなことがあり、連れて行ってよかった!と思ったのです。でも行事の前日にずっと吸引をしなくてはいけないとなると、私も主人も寝れないのです。それに行事に行くと結構疲れますし、帰ってきてからも吸引などのケアしなくてはいけない。となると、行事の前日に毎回、帆花がこうなるのはちょっと困ったな、と思い始めたのです。それで病院の主治医の先生に「行事の前にこんな風になってしまうのですけれども、なんかいい方法ないですか?」と相談しました。先生は、「うーん」と色々考えてくれて、「じゃあ帆花ちゃんに『明日、運動会だよっ』て言わなければいいんじゃないですか」と先生がおっしゃったんです。(会場爆笑) それで私は「いやいや興奮するということは、見通しを持つことができているということだから、そういう帆花に秘密にすることなんて親としてはできない。先生それは無理です」みたいになったりして。

 これまで困った時に医療に解決してもらおうみたいなところがあって、やっぱり「母親」としても「ケアする者」としても自信がなかったので、危険に晒してはいけない、守らなきゃいけない、とりあえず医療に相談しなきゃみたいなことがありました。「そこは母親として判断をしていいんだ」、ということが分かるまでに結構な時間がかかったのです。

 ですから、今も申しましたような医学的見地と目の前の帆花の乖離、ギャップが、年数を経れば経るほど出てきて、それが「あっ、そっか、帆花はちゃんと帆花なりの成長発達をしてるんだ」ということを徐々に受け止められて、それが生きるということなんだと理解して来たということです。

 

一連のケア(1日10回)
 先ほどから帆花のケアがすごく個別性が高くて、頻度も高いということをお話していますが、下に載せたのはドキュメンタリー映画『帆花』のパンフレットに掲載して頂いた西村家の一日のスケジュールと帆花の一連のケア、一日10回から12回位やりますが、その中身を可愛いイラストにしたものです。

 一日10回から12回やる一連のケアというのは、何があるかというと、自力排尿ができないので膀胱を圧迫してあげておしっこを出す、ということがあります。この一年間ぐらいで自力排尿が見られるようになっています。私もいよいよ疲れてきたのかと目を疑いましたけれど、おなかを押してあげてる時に(ごめんね帆花、こんなことをみんなの前で話すけど)、おしっこが出てることがあって、そういうことも起きております。

 あるいはカフアシストって言って排痰補助装置のことですが、それを使いながら痰を出してあげる排痰のケアとか、排痰のケアをした後の吸引とか、吸引後に取り残していないかきちんと聴診して雑音があるようだったら、それも全部取り残さないようにしようとか。人工呼吸器の数値が大丈夫かなとか加温加湿器は大丈夫かなとか、このイラストに書いた色々なケアが繰り返しあります。一連のケアがだいたい40分かかります。次の一連のケアまでは、30分置きに吸引をしながら体位変換する。それが20分かかる。その繰り返しなので、日曜日は誰も支援の人が来ないで私と主人と帆花3人で暮らして過ごすんですが、私と主人が全く帆花のケアをせずに座っていられる時間はと言うと、10分良くても15分みたいなイメージです。

・命を守る=帆花の声を聴く
 ケアをどのように行うかというお話ですが、もちろん機械の使い方とか、排痰方法は看護師さんに教えていただいたり、本で勉強したり、今でも勉強して基礎的な知識は入れておりますが、最終的には、一番は帆花に聴くということがすごく大きいのです。どうしたら帆花が元気に過ごせるのかというのは帆花に、帆花の体に聴くしかないのです。こんなペースで毎日やっていれば元気にいられるよ、というスケジュールです。帆花が例えば風邪をひいたとか感染したとなると、これ以上のケアが必要になるので、ほぼ休みは無いとなります。
 この一日のスケジュールを客観的に見てると、私、こんなことを毎日やってるのかと思う訳です。“ケア”というのは、単なるケアではないんです。ただおしっこを出す、ただ痰を取るではなくて、それを通じて帆花に「今日はどう?」と喋りながらやるわけですからコミュニケーションです。そこから「あれ?帆花、最近こういうところ変わってきたのかな?」というようになるのです。スケジュールだけ見ると負担がすごいと思うけれども、そのような理由から割と日常的にできて、それだけやってはじめて帆花が元気で暮らせる、というケアなんです。医療にはいろんなカテゴライズがありますが、一番重要なのは個別性で、個別性に合ったケアを本人に聴きながらケアをやらなきゃいけないっていうことだと思います。

 このケアの中身を見たら本当に医療の度合いがすごいですが、私たちの生活の中にあるケアは「医療」ではなくて「生活」なのです。帆花みたいな児がどう生活してるか分からない人は、ひっきりなしに看護師さんが来て、なんかあればお医者さんが来て、家族は「頑張って帆花」と願っているだけのようなイメージをするかもしれないですが、そんな風に医療の人が管理しているのではありません。日常的に家族がやっていることが繰り返されているので、もちろん医学的な知識などは安全のために必要ですが、本人が元気に過ごすためには、生活の中でどうそれをやっていくかという視点がすごく大事だと思っています。

 

チームと各分野の問題点
 医療の話が続いていますが、それだけひっきりなしのケアが必要というところで24時間365日、私と主人だけでは生活が成り立ちませんので、いろんな方に支えられながら暮らしていますが、どんなチームなのかという説明になります。

 まずは基幹の病院、そこに小児科の主治医の先生がいます。そして月に1回、具合がよくても悪くても定期の通院に行っています。薬を出してもらったり、1か月間の報告をしたり。具合が悪ければ、検査をしてもらうことになります。

 そしてもう一人、訪問診療、往診の在宅医の先生がいます。帆花が産まれて16年経ち小児の在宅医の先生はかなり増えましたが、帆花が退院した時は医療依存度の高い子どもを在宅で診てくれる往診の先生はほぼいませんでした。何軒も断られたりしました。当時、私たち家族が往診の先生に何を望んでいたかというと、その地域で暮らしていく、成長していくことをずっと見守ってほしいこと、そして私が日々やっているケアの相談や帆花の成長の相談、家族がこれからどうやっていけばいいのか、生活のアドバイスをしてくれることです。そういう先生を求めていました。


 ご説明しながら何て高い要求なんだと思いましたが、そういう先生を探していたところ見つかったんですね、退院する時に。幸運にも在宅生活スタートの時に見つかりまして、現在もその先生が16年間、高速道路を使って通って下さっています。うちが転居した関係で遠くなってしまいましたが、この先生がいるおかげで、やってこられたのですね。先ほど入院させる事もできない状況と言いましたが、例えば感染して肺が悪くなった時も家で看るのですが、この先生は検査もしないし点滴もしません。一般小児科の開業医の先生で、訪問診療では帆花のみを診てくださっている先生です。私たち家族の願いをわかってくださって、ご縁があって訪問してくださっています。感染しても、私たちが構築したケアのみで元気にさせるのですが、その時に私が「この間、具合が悪い時にこういうふうにケアしました。こんな問題があったけど、これでよかったでしょうか?」というと、「それで大丈夫だよ」って。「もし○○だったらこうしてみて」みたいなことを医学的にアドバイスしてくださる。それで「あ、これで良かったんだ」と、私もだんだん知識がついてきて、自信が持てるようになりました。呼吸器の設定もアドバイス頂きながら、入院しないで何とかやってこれたという、少し珍しい関わり方ですが、帆花の在宅生活の“要”の先生です。

 そして訪問看護師さんです。看護師さんには例えば湿疹が出たとか、ちょっと変化があった時にアドバイス頂いたり、24時間繰り返されるケアの一部分、2時間ほどを看護師さんにお願いして、その間、私が少し休むみたいなことです。

 それから訪問リハビリの先生、PTと OT両方、来ていただいています。痰を出すことがすごく苦手な子なので、排痰とか痰を上げるために胸郭を動かしてもらうリハビリがメインになっています。

 以上が医療のチームの方々で、その他に障害福祉サービスを利用しています。まず相談支援員さんがいます。ヘルパーさんの利用時間数や、その他のサービスの利用の仕方などのプランを立ててくれています。困ったことがあるときも相談にのって頂く方です。

 それから医療的ケアができるヘルパーさんですね。訪問看護師さんは来てくれる時間が割とタイトですが、ヘルパーさんの方は役所に認めてもらえると割に長時間見て頂けるので、生活を支えるというところでは、本当にヘルパーさんに支えられています。

 後は学校の話です。訪問籍で週3回、一回100分の授業です。どんな授業かと言うと、多分始めて見る方はびっくりされるけど、本当に先生、毎回大荷物で来られるんです。ギターや大きなスライド用のスクリーン、ある時はボーリングやるとボーリングを持ってきたりとか、そんなこと家でやるのっていうくらい、やってくださっています。

 そして訪問入浴が週2回。帆花の場合は自宅のお風呂に入れる事が難しいので、大きな浴槽をリビングに設置して、お風呂場からお湯を引いて入れるというサービスを週2回利用をしています。

 これだけの方々に支えられながら、帆花と私たち家族は暮らしていますが、その中でもいろいろ問題があります。病院への入院が難しいということ、レスパイトとかショートステイも利用できません。24時間365日、帆花はおうちで過ごしています。こう言うとショートステイに行くことができず困っているみたいですが、もちろん親の負担は大きいですが、本人はおうちが大好きで行きたくないんですね。おうちにいたいと言ってくれているから、預けることができないことも、それならまあ良かったと思えているところです。

 先ほどもお話ししましたように、医療依存度の高い児の医療的ケアは医療職じゃないと、という側面が強いですけど、医療保険で保証される訪問看護は本当に時間数が不足していて、長くても2時間ぐらいしか居てもらえません。例えば私が具合悪くて病院行くという時に、大きな病院だと2時間で行って帰って来られません。用を足せないところがあり、時間が不足していることが問題かなと思っています。

 生活の支えという意味では、長時間居て下さるヘルパーさんがすごくありがたいです。法的にも医療的ケアの一部分がヘルパーさんが担える制度に変わりましたが、非常に限定的で「これはやっちゃダメ、ここからは看護師さんじゃないと」みたいなことがすごく多いです。例えばせっかく4時間居て下さるのに「そこはヘルパーさん、ダメだよ」っていうことがあると、来て頂いているのに、私や主人が起きてこなきゃいけないということも起こります。だからといって訪問看護の時間を増やして頂けるわけでもなく、ここは帆花が抱える大きな問題です。在宅での生活を維持するには、もう少し家族に代わってヘルパーさんにやって頂くことが必要だと考えております。

 そして学校の問題です。今年、帆花は高校二年生になりますので卒業後の話が見えてくるところです。今は学校に在籍しているので先生たちやお友達との繋がりがありますが、学校を卒業してしまうと、学びという意味ではまったくゼロになってしまいますし、社会との繋がりが希薄になってしまいます。多くの子どもたちは支援学校高等部を卒業した後に生活介護というデイサービスのようなところに通って、集団生活ができたりしますが、帆花は通うことがそもそも難しいので、おうちにずっといる生活になってしまいます。新しいことを学ぶチャンスもない、人との繋がりもなくなってしまうとなると、これは本当に大きな問題です。暮らしや身体にまつわる支援を行う障害福祉サービスがあればいいというわけではなくて、その人らしく、豊かな人生を送る意味では、学びとか、人との繋がりを保障してあげないといけないという問題がもうすぐ始まるということになります。

 

特別映像9年後の西村家(2023年7月撮影)
 先ほどは小さな帆花の映像を見ていただきましたけれども、そのドキュメンタリー映画『帆花』の監督が撮ってくれた、去年の7月の映像がありますので、そちらを見ていただきたいと思います。

(ト書き:映画撮影から9年、帆花さんは特別支援学校 小・中学部を卒業。今年の春、高校に進学した)
監督:小学校の生活を経験して、なにか印象に残っていることとかお伺いできますか?

理佐:小学校入学する前までは、帆花のケアに携わる人との関係だけだったので、同年代の子供達と交わることがそれまで一切なかったですし、先生とケアを通さない人間関係で意思疎通を測りながら何かをするということが、本人とっては初めてだったので、帆花がそれができるのかどうかということを、私もすごく心配してたんですけど、入学式、学校に着いて「おはようございます」って担任の先生が迎えに来てくれて、そこで「じゃあお預かりしますね」って先生がバギーを押してくれたんですよ。その時に大丈夫かなって最初は思ったんだけど、本人が「私は大丈夫」っていう顔をしたんですよね。それが何かすごい・・・びっくりしたし、嬉しかったし、ああ、何か、生活してくとか、生きていくっていうのは、こういうことなんだなって思ったんですよね。本人も緊張しながらではありますけど、お友達の中に混じって学校生活をやってくれて、今まで経験したことない遠足行ってメリーゴーランドに乗るとか、運動会で坂道転がるとか、私がバギングしながら一緒に転がったりしたんですけど、そういう本当に家族だけではできない体験をお友達の中でしていって、それがあっという間に小学校卒業して、中学校も卒業して、今、高校生という感じです。
 映画の中に出てきている頃は、私もどれぐらいやったら健康に過ごせるかっていうことがまだ模索中の部分があったので、だからその部分の生活に余裕があったような感じがしてますけど、入院させないようにおうちで楽しく暮らせるために必要なケアっていうのを一生懸命構築して行く中で、やっぱりどんどん生活の中でケアが占める時間というのが増えてきて、客観的に見たら相当、ほぼ何かケアしてるみたいな感じに変わってきてはいますね。あとはやっぱり成長して体が大きくなったので、一つのケアをするのに時間が掛かっちゃうっていうこともありますし、体調の揺れとかも変わってくるので、そういう意味で増えたっていうこともあります。

 

2-2に続きます


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第19回市民講座講演録(2024年2月3日) 2-2 「わたしはここにいます」~“超重症児”のわたしらしい生き方の実現のために~

2024-06-24 16:32:54 | 集会・学習会の報告

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第19回市民講座講演録(2024年2月3日) 2-2

 

(ト書き、2021年6月、医療的ケア児支援法が成立。医療的ケア児や家族の負担軽減、サービス拡充が期待された。しかし今、現在も西村家が抱える問題の解決には至っていない)
 医療的ケア児支援法ができて、学校でも安心して看護師さんが医ケア担ってくれるとか、いろんなことが進んできているんですけど、やっぱりイメージができるわけですよね。多くの人の、その大多数の「医療的ケア児」ってこういう子だって。それで「いや、うちはそこからちょっと違うイメージなんですよ」って言っても、そういうイメージが出来上がると「いや、こういうケアがあって」とか、「こういう子なんで・・・」って説明しても、医療の人でさえ、「そんなことってあるの?」とか、「そんなケア本当に必要なの?」とかって帆花の実態がどんどん通じにくくなるっていうことが起きちゃって、まずその実態を理解してもらうところの努力をしないと、その先の支援を望むステージまで行かないんですよね。でも、その知ってもらう努力って、結局こっち発信で、ケアで大変な生活して知ってもらう努力もして、で知ってもらって、やっと同じ土俵に立てるってやっぱりちょっと歪んでると思うんですよね。世界としては。もう一つ私がすごく心配してるのは、帆花が漏れているのが制度とか・・・からだけじゃなくて、このコミュニティの中からも漏れちゃうっていうこと。今後、学校を卒業して・・・ってなった時に、やっぱり外に出ていくっていうことが難しいので「わたしここにいます」っていうことをこっちからアピールして行かないと、本当に無いものにされちゃうし、ちょっと具体的なビジョンというのは、さっきも言ったけど、その学び続けられる「何か」っていうことしか思い浮かんでないので、やっぱり「ここにいるよ」っていうことを言っていかないといけない。

(ト書き、2022年映画「帆花」が公開。一般の方に広く知ってもらう機会となる。一方で映画を見た人の中には「どう受け止めれば良いか分からない」という意見もあった)
 なんかその・・・見た時に、自分の中に湧いた感情と向き合う時に、大事なのって「帆花を受け入れるかどうか」ではないと思うんですよ。だってもうそこに生きてるんだから。他のマイノリティの人だって、「何だろう、この感情・・・」と思った人と同じ命を生きているんだから、その人たちをジャッジする立場じゃないと思う。その感情が湧いた自分とどう向き合うかっていうことだと思うので、そこを履き違えると「無理」「受け入れられない」「そういう命はない」とかっていう判断・・・ジャッジになっちゃう。画面通してみたりすると、実際に生きてるっていう感情湧かないかもしれないけど、だって自分と同じ家族の中にいる一人の子供なんだから、想像してその子をジャッジするっていうことが本当にしていいことなのか、とか。

(ト書き、2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で無差別殺傷事件が発生、入所者19名の命が奪われた。理佐さんは事件が起きた時、大きな衝撃を受けた。それは「ついに起きてしまった」という感情と事件を「他人事」のように受け止める社会にたいする衝撃だった)

 ああいうあからさまな差別とか、障害者に対する敵意とかっていうことが、実際に殺人事件になっちゃったっていう衝撃はもちろん大きかったんですけど、その他に事件の受け止め方、世の中の人たちの見方っていうのがやっぱりすごく怖くて、障害のある人たちが住んでた施設の中で起きたこと、自分たちとそれこそ地続きのところで起きた事件じゃないみたいな「可哀そうだったね・・・」で終わる感じ。世の中の多くの人は、そんな自分の中に差別とかはないって思ってる。だから、その自分の中でそういう気持ちがあるってことに気づかないからこそ、関係ないことだってなっちゃってるっていうことが、あの事件で明るみに出て、まあ薄々そうだなって私が思ってたことがこう明るみに出ちゃったので、すごく衝撃的で。

 あの事件っていろんな問題が明るみに出たはずだと思ってたんですよね、私は。やっぱりその障害ある人たちが、ああいう山奥の施設にこう・・・閉じ込められた訳では無いですけど、あそこが生活の場としてあそこしかないというか。あとはなんか、親たちがやっぱり自分の家に障害のある子がいるっていうことを、あまり人に言えないとか。それはまあ、わが子が可愛くないわけじゃなくて、愛情はあったとしても世の中の人に知られたくない・・・みたいな感情とか。自分では差別とかって思ってないけど、無意識の中にある自分の中の差別の感覚っていうんですかね・・・なんじゃないかなと思って。それは何か私の中にももちろんあって、それは私は帆花が生まれた時に、もうすごく思い知ったんですよね。

 私はその、障害がある子供が自分のところに生まれてくるっていうことを夢にも思ってなくて、たぶん、自分の中にも差別っていうよりは「関係ない」みたいな、同じ人間なのに同じ命なのにっていうところで、私は生まれた帆花が生まれた時に、それと向き合わざるを得なくなって、すごく辛かったんですけど・・・別の障害のこととかをわかんなかったりして無知だったら、無意識に差別的な考えが浮かんだりもするから、全てのことが分かってるわけじゃないので、まずはその実態を知る・・・すごくたくさんあるわけじゃないですかマイノリティの問題って、でもそれを全部をみんなが知るっていうことは難しい。だけど世の中にいろんな人がいて、みんな一緒なんだっていう前提にまず立てばいい・・・だけの話って言ったら、そこは難しいですけど「みんな違うんだ」っていう気持ちでいろんな問題を見たら、関係なくないんだってなると思うんですよ。同じ世界にいる人たちの話だから、自分は関係ないってならない。で、今まで自分とは関係ないと思って聞いてたニュースとかを「え、何だろう?」ってそういう気持ちで聞いたら「あ、そうだったんだ」って知れる機会がたくさんあると思うし・・・。

 ここで暮らし始めて10年以上経って、地域の中でも帆花のことを知ってくれる人とかが徐々に増えてきてくれてはいるんだけれども、「大変そうだから大丈夫?」っていう関係・・・。それだと本当の意味の「隣人」じゃなくて、帆花も誰かの「隣人」になれる人・・・なはずなので具体的に何かって言われたらわからないですけど、あそこのマンションのあそこにほのちゃん住んでいて、ほのちゃん頑張って生きてるっていうことが、多くの人の心の中にあってくれたら、それこそ「隣人」だなぁと思うんですけど、ちょっと抽象的ですけど、あの子が誰かの人生に関わる主体っていう、だから他の人と同じなんだよっていう、お互いに関係をもてる存在だということを分かってほしいなと思って。

 なんか「帆花の意思を大事にしてやってますね」って言っていただくのはすごい嬉しいんですけど、別にそれはどこの家でも一緒っていうか、子どもの意見っていうか、どうしたいのかを聞くっていうのはたぶん当たり前のことなので、ただやっぱ言葉で言えないので、気をつけなきゃいけないのは思い込み、こういう風に帆花は思ってるんじゃないかな・・・って思ってしまう。具体的にわかるわけじゃないので、やっぱり小さかった時は想像通りだったことが成長とともに分かんなくなってきて、本人が違う・・・感じになってくることだって当然あるので、そこは大事にみんなで「どう思ってるのかね?」っていうことを、まあ確認っていうと何か大袈裟になりますけど、それは今まで通りやっていきたいし、それをあの大事にやってくれる人たちに恵まれてるかなと思います。

 

 

「いのちは大切である」というテーゼ

 去年の我が家の様子でしたが、帆花がだいぶ大きくなっているのが見ていただけたかなと思います。ここで体重をバラしたりすると怒られますけど、30キロになっています。なので、私ひとりでなかなか持ち上げることが難しくなっています。
 映画のときの私は、帆花のケアのことで悩んでいたり、医学的知見と目の前の帆花とのギャップに苦しんでいたのですが、母親として、子育てとしてやっていっていいんだと、だんだん分かってきました。元気に過ごさせてあげることができるようになってきて、その辺は自信が出てきたところで、私の中のメインのテーマが変わってきました。それが何かというと、私自身の価値観のところです。

 「いのちは大切である」というテーゼ例えば、いのちは大切であるというテーゼがあります。これに対しての明確な答えというのは、聞いたことがなくて、「かけがえがないから」とか、いのちって限りがあるから今を大切に生きなきゃいけないんだよということで「死」との関係の中からいのちの大切さを言われたりとか、あるいはどうやって生きるか、よりよく生きるか、生きる意味みたいな事に関連付けて、いのちが大切であることを説いたり、というような回答、そういうのが多いと思っています。
 この問いに対しての明確な答えを私も持っていたわけではないのですが、帆花と16年暮らしてくる中で思う大きなことは、「そこに在ること」=存在、いのちそのものが大事だということです。「そこに在ることが大事だ」ということを申しますと、いてくれて嬉しい、可愛い子供だから、どんな状態であってもそこにいてくれる事が嬉しいんだというような感情論に受け取られがちですが、そういう意味ではなくて、もちろんそこにいてくれることはうれしいし大事なんですけど、もっと物理的な話なんです。
 先程から、具合悪くなっても、うちでのケアだけで元気にしてると話してきましたけど、去年の11月に私も帆花もインフルエンザにかかってしまい、帆花はいのちに関わるような状態になりました。その時、「あれ帆花はもう、このままちょっと無理なのかな」と思いながら、私自身もインフルエンザにかかりながら必死にケアしていたんですけれども、ちょっと離れた所にいても帆花の人工呼吸器のその呼吸に合わせて、ゴッゴッという痰が上がってる音が聞こえるほど、痰がすごい状態になってしまったんですね。そんな音がしてるのに、吸引しても一切引けてこなくて、肺が炎症を起こして、いっぱい痰があるのに上げてこられず、呼吸器つけてるのに呼吸ができない状態で、どうしたらいいのか?と。
 病院に行ったらもっとパワーがあって細かい設定ができる呼吸器につなぎ変えられるけれども入院させられない。じゃあどうするか? 先ほどお話しました手動のシュポシュポ押して空気を送ってあげるバギングにしようと、酸素ボンベをバギングにつないで一晩中バギングしながら同時に肺を絞るんです。呼吸を助けてあげながら、痰を上げて吸引するっていうことを一晩中主人とやりました。
 その時に、そんなにすごい音がしていてもなかなか痰が引けないのに、私が呼吸に合わせて帆花の肺を絞ってあげると、本人も“何とか出さなきゃ”って思ってくれてるんですよ。だから私のこの手に合わせて本人も「ゴホッ」て、咳ができるわけじゃないはずなのに痰を出してくれるんです。私は母親として、もうここで帆花を失ってしまうかもしれないという危機に直面して心配で潰れそうになっていましたけれども、私のその介助に合わせて帆花が痰を出そうとしていることに、「なんていのちってすごいんだろう」と心底感じていました。「生きようとしている」というか、その「いのちの力強さ」というか。具合が悪くなると、いのちが生きてる、物理的に生きてることが、どんなにすごいことなのかということを、いつも私は思い知らされています。可愛いとか大切とか、そういう感情の話ではなくて、「そこにいのちが在って生きている」ということがいかに尊いのかということを実感しております。私たちは、普通に暮らしていると自分のいのちが生きてる、心臓が動いている、今日も歩くことができる、みたいなことに感謝することはなかなかないんですけれども、帆花がいのちの危機に瀕してる時に、それだけ頑張って生きようとしているということを体験すると、本当に「そこにいのちが在る」ことの素晴らしさをいつも実感しています。

 

これまで生きてきた“世界の不確かさ”
 そう思うと、私がこれまで帆花を授かるまで生きてきた「世界の不確かさ」ということを思うようになってきました。
「よりよく生きる」というようなことを考えてきたけれども、もちろんよりよく生きた方が良いけれども、いのちの素晴らしさに気づいてしまうと、なんかすごく陳腐なこと、偉そうなことを考えて生きてきたんだなあって思ったりもしました。“我、思うゆえに我あり”という言葉もありますけど、本当にそうなのかと思ったり、いろんなことが不確かになってきました。
そして自分が普通に生きてこられたことの特権性に気づいてしまったのです。特権性というのは、いろんな障壁を見ずに済む立場にいられるという意味での特権性ですけれども、そういうことに今まで気づかなかったのです。だから普通でいられることが、いかにその地盤が緩いかということに気づかされてきました。

 

「固定観念」の内在化、「内なる優生思想」への気づき
 自分はなるべく差別とか偏見とかがないようにと思いながら過ごしてきたはずなのに、やっぱり固定観念みたいなものが自分の中にも内在化されていて、気づかないけど、そういうことに支配されていた、自分の中にあったということに気づいています。
 子どもが元気に生まれてきて当たり前と思っていた、帆花みたいな子どもを育てる可能性は充分あったわけだけれども、しかも帆花みたいな子どもを、私が知らなかっただけでこれまでにもいたはずなのに、自分がなんかすごい世界に来てしまったみたいに思ってしまったこと。本当は地続きのところで起きていることで前からあったことなのに、と。
 そして、障害を健康な状態とか健常な状態からのマイナスという風に思っていた。でも帆花を見てたら、別に健常・健康からマイナスした状態が帆花だなんて思わないわけですね。帆花は帆花で存在していて帆花っていう子だから、障害がどうとかという風に思わない。
 「内なる優生思想」と書きましたけれども、我が子の障害を受け入れるとか、受け止めるみたいな考え方すらちょっと違うんじゃないかと思い始めています。障害を受け入れるというと、それこそマイナスなものを受け入れるみたいな形です。そうじゃなくて、それがありのままであるなら、それはそういう人だということです。こういう疑問を持ち始めてきたということです。
自分の中にも、誰かの生き方とかいろんないのちに対してジャッジするところがあったんじゃないか、ということに気づかされました。その矢印の向く方向は、誰か別のいのちに対してではなくて、そういうふうに思ってしまう自分の方に向くべきじゃないかというふうに思い始めています。

 

「意思疎通が難しい」といわれる帆花の意思とコミュニケーション
 そんな風に価値観が変容してきました。帆花は言葉をしゃべらず帆花独自のコミュニケーションの方法で私たちと生活しているわけですが、どんな方法かといいますと、リーク音(映画の予告編の中では「うーんっ」て言ってましたが、今は喉のところの状態でリーク音は出なくなってしまったのですが)、その他にも表情と顔色、あと眼の動きとか、ずっとつけているサチュレーションモニターのアラームを自分で自在に鳴らしてくれるということがあります。それが帆花の表出です。帆花が何か言ってるかと言われたら、医学的に証明できる訳ではないのですが、それでやり取りしながらこれまでやってきたことが、もうすでにコミュニケーションとして成立していると、私たちは思っています。
 これがコミュニケーションとして認められるかどうかですが、ここに書きましたが障害者権利条約では意思決定支援ということが言われていて、「必要としうる支援の水準や形態にかかわらず、すべての障害者の自律、意思および選好を尊重する支援を受けて意思決定をする仕組みを設置」しなさいと言われています。そしてそのコミュニケーションの方法は問わないと。「それができないとコミュニケーションできないから意思決定できないよ」ということではなくて、その人に合わせた支援をしなさい、それでコミュニケーションをとりなさいと、言われております。例えば表情とか顔色ということもコミュニケーションの方法なんだと具体的なところまで、国際的には言われ始めています。
 ですから私たちは一番気をつけているのは、勝手に「この子は思ってる」っていうふうに決めつけるのではなくて、「今、何か帆花言ってるけどなんだろう、こうなの?こうなの?」って聞いて、はっきりとした返事があるわけじゃないけれども「何かを思ってるね、こうなのかな、こうなのかな」って、みんなで言い合いながら帆花がどう思ってるのかを、探りながら本人に問いながら、答えが出なくても、繰り返して積み重ねて過ごしているというところです。

帆花自身が主体
 医療とか介護、障害、福祉サービス、いろんな問題がありますが、これから帆花が学校を卒業して、社会を生きる一人として生きていくということを考えると、一番大事なことは、帆花自身が帆花の「人生を生きる主体」として生きていくことだと思っています。障害を持った人が、その自分の人生を主体的に生きるとはどういうことなのかと言うと、障害者権利条約では、「チョイス アンド コントロール」が大事と言われております。自分の人生を生きて行く上で、「平等に選択できる機会が保障されていなくてはいけない」と。地域の中で生活する権利があって、意味のある生活を送ることを保障されているべきで、自分の人生を自分がコントロールしていると思えるように生活できるように支援しなさいと、言われています。
 鮮明な答えが返ってこないとしても、「こういうことができるよ。こういう方法もあるよ」と提示して、帆花が自分の人生をコントロールできるように、環境を整えてあげることを、今後も大事にしながらやって行きたいと思っています。

 

“わたしらしい生き方”とは
 帆花がどんな生き方を自分らしいと思って生きていけるかと考えたときに、大きく三つあるかなと思っています。ずっとお話ししていますが、とにかく帆花はおうちが好きで、「お家で暮らしたい」と今後も願っているのではないかと思っています。
 「在宅での支援が足りない」ことを、役所にもずっと訴えてきました。「そんなに足りないなら入所させなさい」などと言われたりもしましたが、それは全くおかしな話です。本人がお家で暮らしたいと願っているのなら、それを保証しなくてはいけないわけです。「支援が足りないなら入所させればいい」なんてとんでもない話で、障害者権利条約の19条にも書かれており、根拠があることです。

 ニつ目の本人の願いは、「信頼関係のある人と生きていきたい」、「信頼関係を築くことのできる人の支援を受けたい」と思っている。なぜそういうふうに私たちが推測しているかと申しますと、看護師さんやヘルパーさん、色んな方が支援して下さり、その全部を私は見てるわけですが、いろんな方と接している帆花を見ていると、やっぱり相手によって接し方が違うんです。「この人が来るとすごいアラームを鳴らすけど、この人が来るとアラームを鳴らさずになんか顔色を赤くする」とか、表出の方法が変わったりするんです。すごく甘えた感じになるとか、ちょっとつんとした顔をするとか、相手によって違う。それは誰が嫌い、とか信頼していない、ということではなくて、そうやって信頼関係をそれぞれの方に対して築いてるということです。自分のことに置き換えて考えても何か助けてもらいながら生きていくとしたら、やっぱり信頼を寄せられる人と生きていきたいと、そう思ってるんだろうと、そういうふうに感じています。
 そしてもう一つは、学校を卒業しても「新しいことを学んだり経験したい」ということです。色んな人と出会って、自分がその人達と関係性を築いて生きていきたいと願っているんじゃないかと思っています。それは学校の授業で見ていると、先生と新しい学びをしている時は、さっきまですごく吸引の頻回だったのに、集中したら、もう吸引が一切なくなったとかいう変化もありました。いろんな人と接して、帆花を見ていると、やっぱり認識してるんだなとわかるので、いろんな人と出会いたいんだろうと思っております。
 教育については障害者権利条約で保障されていて、「生涯教育」についても確保すると明記されていますので、学校卒業後も学びが保障される、されなければいけないと思っています。

 

“わたしらしい生き方”とは
 まとめに入ります。帆花が望んでいる新しいわたしらしい生き方を考えると、私たちは今後も思い込みに陥らないように、彼女が何を言いたいのか、なぜそういう表出をしているのかを探りながら、これを介助付き意思決定支援と言いますが、いつも「帆花どうなの?こうなの?」って言いながら、やっていきたいということです。 そして、意思決定支援をしてくださる、信頼を帆花が寄せることができる、一緒に生きてくれる支援者の方をどんどん増やしていきたい。いつか私たち両親は年をとってできなくなるかもしれないという意味でも、一人でも多くのそういう支援者を増やしていきたい。

 

法人の理念
 そうして学びと新しい人との出会い、地域でつながりを増やしていくという意味では、私は(帆花が)学校を卒業した後は、それが今の状況では保証できないと考えて、去年の7月に法人を立ち上げました。訪問カレッジ「Be Prau(ビー プラウ)」という名前です。特別支援学校高等部を卒業した帆花のように外出が難しい方々を対象に、先生がお宅を訪問し授業をする、生涯にわたって学べる訪問カレッジというものを作ろうと、準備しているところです。
 こちらがその法人の宣伝になってしまいますけれどもチラシでございまして、一般社団法人「ケアの方舟」、意味としては誰一人とりこぼさず乗せて、そして浮いているだけではなく大海原に漕ぎ出して、その人らしい人生を送れるようにという願いを込めております。

Be Prau 訪問カレッジ
 こちらが訪問カレッジ、今度の4月に開講予定で準備しているところです。帆花のように常時ケアが必要で、重度の障害をお持ちで、学校卒業後に学ぶこととか人とのつながりが薄れてしまう、という方が対象です。障害福祉サービスにしても「通う」ことが前提になっていて、通所できない人が取り残されている現状があります。その人のお身体の状態、ケアの中身によって「訪問する」というスタイルが必要です。障害福祉サービスなどは、大多数の人のために作られるので、いつも「通う」ことができる人のサービスが先で、通うことができない人は後まわし、あるいは「取り残される」ことになってしまいます。待っていられない、ということで始めようと思っております。

 

わたしはここにいます
 ここまでお話しを聞いていただきましたが、帆花が「わたしはここにいます」と言っている声が皆様に届きましたでしょうか?私が代弁する形になりましたけれども、少しでも帆花の声が、何かしらが届いたら嬉しく思います。ありがとうございました。

 


質疑

 

司会)本日は阿部知子衆議院議員と木村英子参議院議員がオンラインでご参加いただいています。お時間がないということで阿部議員からお話頂きます。


阿部知子衆議院議員)途中からしか聞かせていただけなくて申し訳ありません。そしてまたすぐでなければならないので、恐縮ですが、今伺った範囲で皆さんにお伝えをしようかなと思います。

 生きているという当たり前すぎるほど当たり前のことが、実は誰かのために死ぬ事を要求された死が、脳死なんだと思います。私は小児科医です。この問題のきっかけは30年以上小児病院に勤めていて、重度の脳障害、脳の機能不全という患者さんを幾人も幾人も診てきましたが、その患者さんを診て、亡くなっていると思ったことは一度たりともありません。ところがあるときから死んだことにしてくれと。その裏にはこの臓器を使いたい。それも、生きている臓器を使いたい。だから頭がだめなんだから、死んだことにしてくれって、あくまでも、そうしたニーズが作り出した死です。そこにある子供は重度の脳機能不全ということだけです。昔は「長期脳死」なんて言わなかったんですよね。だって10日ほどで死んじゃうと言われてたでしょう。心臓が止まると。でも止まらない。そしたら今度なんて言い出したかというと、その診断は充分じゃなかったからだと。無呼吸テストしてないからだと。いろんなこと言いましたが、結局どんなに充分だという診断をしたとしても、重度の脳機能の障害で、脳死と呼ばれている子供たちは生きているんだと思います。やはりいろんなお母さんたちがそのお子さん達に寄り添って、その存在を支えて一緒に生きていくことが、本当に素晴らしいことだと思います。私も西村さん以外のお母さんからもお話を聞いてきました。とにかく臓器をなるべく新しいうちにほしいですから、国会では、最初はいわゆる脳死は死ではないと言っていたのを、一方的に脳死を死として扱える案が出されたり、加えて本人同意なるものもどっかに吹っ飛んでしまったりしましたが、死が、生きることが根本的根源的に問われる時代ですので、西村さんたちが声を発し続けてくださっていること、帆花さんがそこに居続けてくださることを心から大事と思いますので、全部聞けなくて申し訳ないのですが、メッセージとさせて頂きます。ありがとうございます。


司会)質問がある方お願いします。
質問1)BMI ブレイン・マシン・インターフェース というのをご存知でしょうか?脳の中にチップを入れるとある程度の会話とか、発信を受け取ることができるっていうんですよ。例えば目の網膜が電子信号で読めたりできるという技術が。そういう情報だけを受けるか受けないかは別として、防衛大学のシノミヤ先生が研究していると聞いています。参考までと思い・・・。
司会)よくわからないのですが、わかる方いらっしゃいますか?私は、実際にコミュニケーションを取ってケアをする中で、感じることがあると思うのです。だから、機械で読みとれるということもあるのかもしれませんが、まずはやはり人の手が大事なんじゃないかと私は思いますね。

 

質問2)西村さんのお話の中で、帆花さんが医療の世界では意識がないと言われていても、運動会のことを話したら、興奮して痰を多く出すというお話。だから、生きている人からの脳死移植なんてそういう人権を無視する医療はやめなきゃいけないですよ。それからご両親ね、帆花さんの面倒を見るのは大変だと思うんだけども、本当に尊敬します。学校卒業しても友達と会えるような社会を作らないといけないけれど、西村さんのお話の中にあった訪問カレッジについて、もうちょっと聞いてみたいんだけども。
西村)訪問カレッジのことを充分説明できてなかったのですが、私たちは4月に開校しようと準備しています。訪問カレッジという取り組みが全国に広がり始めていまして、主に、元特別支援学校の先生方にご協力いただいたり、地域の大学生のボランティアの方とか、地域で一芸に秀でている高齢者の方とかに、おうちを訪問していただいて、そこで一緒に学んで授業していただくというものです。直に人と触れあって学ぶことが大事ですので、そういった形で準備しているところです。


質問)帆花さんは、先生ばかりじゃなくて、友達といたりすることが好きなんじゃないですか?そういう人たちの訪問とかはないのですか。
西村)そうですね。やっぱりお友達と会う機会はすごく大事ですけれども、外出が難しいというところが、本人の特性でして。今も先生に来て頂いてる状況なんですね。

 

質問3)お話ありがとうございました。大変なご苦労をされているようで、特にレスパイトのことなど、小さい頃どこも受け入れられなかったということですが、現在はどうなっているのでしょうか。インフルエンザの時は何とかご自宅で看られたそうですが、やはり重病の時に入院できる入院先がないとすごく苦しいと思うんですね。そういうレスパイト先、入院先については現在どうなんでしょうか。
西村)受け入れて頂けないというよりは、本人のいのちを守るために必要なケアが、自宅以外では保証できないというところなんです。プラス本人がお家で過ごしたいということなので、レスパイトは一切利用しておりません。で、入院に関しましては、いくら自宅で頑張るといっても、入院しなければ出来ない治療はあり、その時どうするかということです。

 実は3年前、帆花が中学2年生のときに、輸血みたいなものが必要な状態になってしまいました。当時、コロナで世の中混乱している状況で、面会ができないとか、付き添いができないとか、そういう医療の現場になっていたところに、入院しなくてはできない治療が必要な状態になってしまったわけです。入院すると、例えば針刺すとか、検査する、レントゲン撮るということは、看護師さんや先生がやるけれども、それ以外はすべて親がやらなきゃいけないわけです。そうなると自宅に居る時、帆花が元気な状態の時でも、いろんな人が代わるがわる、両親と交代してケアをしてくれてやっと24時間365日を回しているけれども、入院した途端、お母さん全部やってね、になるんです。そうなると24時間休みなく入院期間中のケアを私が一人でやるとなると、とても私も生きていられないし、私が生きていられないとなると、帆花も生きていられないということになってしまって。でも輸血しなかったら死んでしまうという状況だったんですね。私たちも非常に悩みまして、コロナで一切例外なく付き添いがダメと言われてた時だったので、主人と本当に悩んで、今までこれだけ手をかけて育ててきたのに、入院させて、輸血はできたけどケアが行き届かなくて死んでしまったとなったら、最期に会えないことになってしまう。かと言って、このままおうちでケアしても輸血できなくて死んでしまう。
 じゃぁどうするか?まず何をしたかというと、帆花に聞いたわけです。「 まだ帆花は生きたいのか」、「 まだ頑張れるのか」ということを尋ねたら、どうも諦めてる様子がない。となると、イチかバチか、病棟にお預けして輸血をお願いするしかないと思って。意を決して入院の準備をして連れていったんです。家ではこういうふうにやってますと私が作ったケアのマニュアルを添えて、救急外来の先生に見せたら、「 いや、普段元気な状態でこれだけのケアをやっているお子さんを今のこの状態でお預かりしますとは言えない。お母さん申し訳ないけど付き添ってもらえますか」って言ってくれたので、これは首の皮一枚繋がったと、私が付き添って入院することになったのです。入院になるまでの間、帆花の具合が悪い状態がかなりの期間続いていて、帆花のケアで私もほとんど寝ていない状態で付き添うことになりました。それで入院させたその日は、もちろん一睡もできず、それどころか一切座ることもできず、家から連れてきた帆花を病棟のベッドに寝かしでからずっとケアしたので、夜中に私も倒れそうになっちゃったんですね。そしたら病棟の師長さんが、「 お母さんだけでは無理だ」と言って、 「お父さんの付き添いも許可します」となりました。結局12日間入院させたんですけど、私と、仕事に通いながらの主人が2人で、36時間交代でケアをしました。主人は仕事行って、私は36時間帆花のところで一睡もせず。2日後夜に、主人が仕事が終わったら来て、私と交代して、寝ずにケアして翌日の朝、私と交代する。このサイクルの36時間交代をやったんです。病院の悪口という意味ではないんですけれども、ケアが難しいからといっても、もうちょっと助けてもらうこともできたんじゃないかというところももちろんあります。ただ、入院するとそういうことになってしまうのです。

 それで、これまでもずっと役所に訴えて、入院中も在宅で見てくれている支援者の人のケアを受けられるようにしてほしいと言ってきました。さいたま市に住んでいますが、最寄りの区役所は分かってる、どうにかしなくてはと思ってくださっていて、さいたま市本庁に一緒に行って訴えようと、ケアの様子を動画にとって市庁を尋ねました。こういうケアが必要だからどうにかしてもらえませんかと言ったら、「必要な事はわかりました。でも、それは国の制度だから、入院中の看護は病院がやるのが仕事、だからヘルパーさん入れたり訪問看護入れたりはできない、決まりだからさいたま市としてはできませんよ」と言われました。これまで何年も訴えてきてこの状況で止まっていたんですが、この入院のあと、一歩前進したかなと思うことがありました。それは、今までも厚労省に電話で問い合わせてくれたことはありましたが、電話で問い合わせても、帆花がどんな子かは電話先の人はわからないから、「無理です、そんな話あるわけないです」と言われて終わっていたのですが、さいたま市の方が、厚労省と新しくできた子ども家庭庁の医療ケアの部署の人と面会して、私から伝え聞いたたことを直接話してくれたんです。市の担当者も医療や看護の専門家ではありませんし、私から話を聞いているといっても、伝言ゲームみたいになって、どこまで理解して伝えていただいたかはわかりません。厚労省としてもこども家庭庁としても、「話はよく分かりました。だけど今のところちょっと難しいですね」と。現在もこのような状態が続いております。だからまた、この先いつ帆花が入院治療が必要な事態になるかわかりませんが、その時にどうするかという問題は、今も続いているという状況です。

 

司会)木村英子議員がお話頂けるということです。木村議員お願いします。
木村英子参議院議員)こんにちは。はじめまして。木村です。議員としてのご挨拶はご遠慮したいと思っていたのですけれども、お話を聞いて、思い出したことがありまして、一言感想を言わせていただきます。私は1,2歳ぐらいから施設で生活していたんですけれども、その時に周りはみんな障害者の人ばかりだったんですね。その中に、帆花ちゃんと同じような、寝たきりで意思疎通が難しい方もたくさんいたました。私の友達はそういう人たちが多かったんです。で、目線で自分の意思を伝えたり、あるいは指先で伝えたり、そういう人たちが多かったので、そのころの思いがよみがえってきて、帆花さんに会いたいなって思いました。まあ、機会がありましたらぜひお会いしたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。
西村)ありがとうございます。会っていただきたいと思いました。木村さんのお友達がそういう人が多かったという、普通のお話なんだけれども、お友達と言ってくれたことが、すっごく嬉しかったです。ありがとうございます。
木村議員)ありがとうございました。失礼します。

 

司会)入院とかレスパイト、それができないというのは、そういうケアをこちらの要望する慣れた人のケアを許さないというところで入院できないのですか。
西村)例えば、いろいろと難しいケアがあるんです。気管切開部からカテーテルを入れて痰を吸引するケアがあって、普通はここに入っている部品のなかしか入れちゃいけないんだけれども、帆花はそれを通過して、気管支が左右に分かれていますが、気管支分岐の先まで入れて、右、左、と入れ分けないといけないんですね。それは、看護師さんの資格を持っていてもすぐにできない。だからうちに新しく訪問看護師さんが来てくれるとなった時には、だいたい3ヶ月くらい訓練しないといけないのです。それも本当に稀なやり方なんですけれども、私がそこまでやらないと取れない子だっていうことを帆花から聞いてしまい、その練習の仕方なども私が確立したのです。入れ分けるっていう方法。それを安全に行うためにペットボトルで模型を作って、こうやると右に出るよ、こうやると左に出るよ、というように。まずそれで訓練していただいてできるようになったら、今度は本人で練習して。だいたい3ヶ月くらいは練習が必要なので、入院するとそれができる看護師さんがいないということ、その他にもいろいろ難しいことがあります。
質問者)実際、重度の障害を持っているご家族は非常に困るので、病院でレスパイトを受けてくれるようなところがあって、普段から看護師さんが慣れてくれると、いざという時も受けてくれるので、そういうところが近くにあれば一番なんですけれども、なかなか厳しいんだろうと思います。本当にご苦労されているのがよく分かりました。
司会)同じような重度の障害を持って帆花さんとほぼ同じ状態ですと言われた方もオンラインで参加されていますが、ご感想なり、ご自分のお子さんの様子なり、お話して下さる方いないでしょうか。いかがですか?守田さんからチャットにご意見が届いていますね。


守田)感想です。チャットに書いた通りですが、インフルエンザにお2人が感染された時に、理佐さんが看護されるのに帆花さんが反応されたという話に感動しました。もう一つ質問の冒頭で、脳に電極を埋めてはという話が出ましたが、帆花さんは周囲を認知されているように思うんです。ですから、体性感覚誘発電位検査という脳や神経の反応を測定する検査ですが、検査したら何らかの機能の有無が確認できるかもしれないなあと思いました。もちろんそういう検査に反応があるなしに関わらず、この方の意識があるということ、いのちに価値があるということは変わりありません。これ、感想です。

 

奥山)チャットに寄せられている質問を読み上げさせていただきます。「日本福祉大学の○○です。いろいろソーシャルアクションされていて、素晴らしいと思います。その原動力はどこから湧き出てきますか?」というご質問ですね。
西村)原動力、そうですね。原動力があるというよりは、帆花に後ろから操られているみたいな感じです。でも、やっぱり、我が子のためにとか、私と主人の生活、家族の生活を守るためにということはもちろんあって、それも原動力ですけれども、同じいのちを生きている、私たちと同じいのちを生きている子が、ただ生きるためだけにこんなに苦労する世の中にしているのは、私もその社会を作っている大人の一人として、自分の責任でもあると思ってます。誰かのせいとか、制度が悪いとか、そういうことではなくて、そういう世の中を作ってきてしまったのは、私の責任でもあります。それをなんとかしなきゃいけない。それが我が子のためにもなるというところが大きいかなと思います。 

 

司会)ありがとうございました。お話を聞きながら、帆花さんが成長したことをすごく感じました。私も一度だけですが、小さいときに、西村さんのお宅を訪問させて頂いて帆花ちゃんに会ったことがあります。そのときはまだ3歳か4歳前くらいで、ほんとに可愛い、色が白くて、柔らかくて、ピンク色の肌をしていてかわいいお子さんでしたね。意識がないとか、脳の機能不全と言うんですか、脳の機能が失われている状態でもコミュニケーションが取れないわけではない、一緒に暮らせないわけじゃない、伝わってくるものがあるんですよね。そこにいのちが在るということ、帆花さんの存在を通して、お母さん自身の価値観が変わったと言われたこと、帆花さんから教えられたということが本当にすごいと思うんです。私は、帆花さんだけではなく、脳死と診断されたお子さんにお会いしたことがありますが、背中に手を入れると何か感じるものがあるとか、入浴させると気分が良い顔になるというような、ご家族が感じ取れる何かがあり、長い間のケアから見つけておられるその子のケアの方法もあると、本日、西村さんのお話をお聞きしてさらにそう思いました。帆花さんの「私はここにいます」という声を聴く、自分たちの社会の一員として、私たちがその存在をいのちをともに認識することが大切だと思います。
 そういう思いで私たちは、現在、厚労省が進めている脳死からの臓器提供、生体移植も含めてですが、進められている臓器移植を拡大する政策に反対する活動をしています。私たちが作った冊子を受付で配布しましたが、そこに書かれている政策が現在進められています。21年の暮れに出したものですが、この内容を厚労省は、現在さらにスピードをアップして進めています。この報告を事務局の古賀さんから話していただきます。

 

古賀)市民ネットの事務局の古賀からお話しさせていただきます。厚労省の担当官とこの前話をした時に、長期脳死とされるお子さんとか、帆花さんのような人について、医系技官の人でしょうか、「終末期」っていうんですよ。医学的には終末期と呼ぶと言うんです。そういう感覚で物事が進められていくと非常に危ないと思いました。

 ところで、脳死と言うと、臓器移植法の運用に関する指針に書いてありますが、法的脳死判定までは救命に努めて、脳死と判定された段階で移植の手続きに移ると、僕らは思ってきたし、厚生労働省の運用指針、マニュアルにも、そう書いてあるんですよ。ところが、今、厚生労働省の、脳死と臓器移植に関する扱い方は、もっと前倒しして、判定以前に死んだことにして進めようとしているんです。臓器提供の選択肢を提示された患者を、どこまで救命をつくし、どこからは臓器保存に変えるか、ということが一つあります。「脳死判定をしたならば脳死とされうる状態」つまり、無呼吸テスト以外の法的脳死判定の検査をやった状態で、まだ法的脳死と判定されていない、その状態で、臓器保存術に変える。脳死判定をうまくできない施設の患者は、どこかに移送して脳死判定をさせる。ここでも、やはり判定したら脳死と判断される段階で、移送して判定するということをやっている。また、脳死になる可能性がある人の患者情報を各地域の拠点病院に集める、あるいは臓器移植の斡旋をしている日本臓器移植ネットワークに流すことを厚労省は検討するなどしています。「脳死とされうる状態」の診断後に、家族の同意を得た上で患者情報を流すという言い方を厚労省はしています。

 だから、法的脳死判定以前に、すでに死んだことにして取り扱っていこう、そういうことを厚生労働省は進めているのです。非常に危険な動きだと思います。で、審議会の議事録の中には、さらに前倒ししかねない意見も出ています。つまり、新鮮な臓器を取る、そうすれば移植の成績が上がるから。こういうことを一旦始めると、どんどんどんどん死を前倒しにして死んだことにする、さっき衆議院議員の阿部さんも言われましたけれども、死んだことにしてしまう、そういうことをやろうとしています。

 それから、「臓器提供を誇りに思える教育をする」ことが出されています。義務教育の中で。私たちが、(長期脳死と呼ばれた)重度の脳不全状態で生きる子どもたちの映像なども教材に取り上げて欲しいと言った時に、あの子達は無呼吸テストはしてないようだから、という。でも、厚生労働省の人たちは、無呼吸テストをしていないで脳死とされると診断すれば、その状態で、死んだものとして取り扱おうとしている、それは、長期脳死の人とどこが違うんだというふうに言うと黙ります。このような形でいのちの切り捨てを進めていこうとしています。

 他方、臓器移植法の運用に関する指針では、唯一の臓器あっせん機関である日本臓器移植ネットワークを通さない移植は、海外での移植だろうといけないとしています。厚労省の調査でも、海外の25カ国で、日本人543人が臓器移植していたという結果を公表していますが、中には無許可団体による斡旋があったはずなのに、ちゃんと取り締ろうともしない。厚生労働省の不誠実さと危険性が、明らかになったと感じております。

司会)ありがとうございました。あの、現在推進されている臓器移植拡大のための政策への質問と厚労省の回答ということで、本日の資料に要約の形でまとめていますので、後でお読みください。本日は西村さんありがとうございました。最後に一言ありましたらお話し下さい。

西村)そうですね。今日、川見さんからお声がけ頂くまで、当時あんなに苦しめられていたその脳死という言葉とか、その中身とか、を忘れていたわけではないですし、だけどちょっとその呪縛が解けたのかなと思っていました。けれども、やっぱり世の中の動きを考えると、まったくそうではないですね。帆花が当時脳死に近い状態だって言われたからこそ現在こういう風に元気に楽しく暮らして、苦労もあるけれどもというところを、もっと声をあげていかなきゃいけないと思いつつも、彼女自身はそれを証明するために人生を送っているわけでもないですし、長期脳死って呼ばれることも、非常に不満だと思います。「長期脳死」ということば、脳死がそもそも臓器提供に係る概念だとしたら、「長期脳死」とは、ちょっと意味がわからないですから。世の中、いのちを切り捨てようというさまざまな動きがありますけれども、この子らはそんなことに負けないで力強く、生きて行くと思いますので、私はそこに学びながら、今後も元気に頑張っていこうと思います。本日はどうもありがとうございました。 

 


寄せられた感想


1、大変貴重な講演会でした。私は帆花さんの映画や西村さんご家族のことを何も存じ上げないまま、参加を申し込んだのですが、本当に大切なメッセージを頂いたと思っています。私事ですが、最近は「脳死」や臓器移植について考えることが、ほとんどありませんでした。私には“ふつう”に生きてこられたことの「特権性」があるのだと思います。「特権性」ゆえに気づかないことが沢山あり、そのような私に対して、帆花さんが「わたしはここにいます」と声をかけてくれた気がしています。また、「“いのちは大切である”というテーゼ」に関して、「生きようとするいのちのすごさ」「生きてること自体がとうとい」という理佐さんの言葉も胸に響きました。訪問カレッジのような活動のご計画も、素晴らしいと思います。配布資料に掲載されていた厚労省政策のことも私は知らなかったので、まだまだ勉強不足です。まずは、帆花さんの「わたしはここにいます」という声を忘れずにいたいです。せっかく声をかけてくださったのだから。今日の出逢いに心より感謝します。

2、講師の西村様のこれまでの子育ての経緯、考え方や気持ちの移り変わり、今後の活動の計画など、とても丁寧に伝えていただいて、医療的ケアの必要なお子さんをもつご家族の暮し、置かれた環境、問題点、ご家族の気持ち、とても理解が深まりました。
 私自身は、まだ発達障害への理解がない時期に、問題を抱えた娘の子育てに右往左往してきた経験を持ちます。
 西村様が、最初は医療に頼る気持ちだったが、自分の子育てとしてとらえるようになったとお話をされました。医療や福祉が一番困っている所に届かないような、もどかしいような、怒りのような、ぶつけようのない気持ち。それならば私が動くしかないと、踏み出してみて、少しずつ前に進み、仲間をチームを作ってこられたこと。
 私も、西村様の経験された大変な思いには全く及ばないのですが、同じような気持ちを感じて、これまで前に進んできました。そこからの、いのちの大切さや、障がい者の人権の考え方に繋がっていくお話も、とても共感するものがありました。私は今、障がいをもつ方の作業所で支援員の仕事をしています。今日お聞きしましたお話をしっかり心に持って、毎日の仕事に向き合っていこうと思います。今日は貴重なお話しをありがとうございました。西村様、どうかお体を大切にされてください。これからも、帆花さんの暮しを一緒に見守る機会がありましたら、幸いです。

3、今 最初の30分を視聴しました。明日があるので 残りは改めて視聴します。が、「脳死」という言葉の理解のところで まずガツンと 衝撃。30分すべて 初めて知ること。命を知る 考える 機会をくださり感謝いたします。


4、後日配信で拝聴させていただきました。貴重なお話をありがとうございます。
 自分の子どもは臓器移植法改正の翌年に帆花さんに近い超重症児の状態で産まれました。超重症児の子育ての情報が欲しくて、家族の会などに入会もしましたが、自分の心身の不調から臓器移植に関する会報誌などに目を通すこともできず、初めて貴ネットワークの講座や臓器移植に関する情報をお聞きする機会になりました。
 脳に重い障害があっても今ここに生きているいのちと、ニーズとして進化している臓器移植という相反する世界のお話でしたが、私にとってどちらも改めて深く考えていくための機会ともなりました。お互いを知るためのこのような機会は必要なことだと思います。
 西村さんのお話は、自分の子ども、親としての自分たち夫婦の、これまで、現在位置、今後を思い直すこと、いろいろと思い出し、共感させられることも多かったです。
在宅生活が始まり、「天井ばかりを見つめる一生を送るのか」と塞いでいた頃に、子どもの入院先でお世話になった看護師さんが大学院に進み、その実習で我が家に来られたことがありました。その方はとても緊張されていたのですが、子どもとコミュニケーションするうちに表情が緩み、帰りは笑顔で帰ってくれたことがありました。その場には他にも訪問看護師さんなど3名がおりましたが、実習に来られた看護師さんを笑顔にしたのはうちの子どもだけでした。物も言えない、ほとんど表情もない子どもにこんな不思議な力があるのだと感動し、これまで様々な奇跡を見てくることができました。
 日々のケアは本人にとってはとても苦痛だろう、ケアをこのまま続けていくことが本当にこの子にとって良いことなのかと苦悩することもありますが、驚くほどの頑張りを見せてくれて、学校の授業や様々な方との出会い、経験の中で命の尊さを実感する日々です。
 私は、私たちはここにいるのだと発信することは本当に力がいります。でも帆花さんのために法人まで立ち上げて、未来を切り開こうとされている西村さんのお話にとても感銘を受けました。自分もマイペースですが、この世界にいる以上は微力ですが頑張っていきたいと思います。参加させていただきありがとうございました。

5、私がこの講座に参加しようと思ったのは、以前から映画等で帆花さんの存在を知っていたこと、『いのち』について、最近考えることが多くなったということです。話がそれるようですが、昨今の国際情勢、特にパレスチナのガザへの激しい空爆等で沢山の人々が命を落としている現状をテレビ等で見ていると、軽々と失われていく『いのち』の存在。『いのち』とは、いったい何なのか。どんなに健康に生まれてきても、障害を持って生まれてきても、我々は平等に『死』へ向かっていく。死の対極として、生があるとすれば、すべての『いのち』は等しく尊重すべき存在であると、わたしは思います。
 宮沢賢治の『マリヴロンと少女』という作品に、「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人は、いつでもいっしょにいるのです」というセリフがあります。すべての『いのち』を大切にする社会こそが、私たちの目指す豊かな社会ではないでしょうか。帆花さんのような存在が、未来を灯す希望でありますように。
今後もまた機会がありましたら、参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

以上


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第18回市民講座講演録(2023年5月14日) 2-1  <命は誰のものか ――ACPをめぐって> 

2023-08-11 13:25:09 | 集会・学習会の報告

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク 第18回市民講座講演録 2-1

< 命は誰のものか       

      ――ACPをめぐって >

講演 香川知晶さん(山梨大学名誉教授/日本生命倫理学会代表理事)


日時:2023年5月14日(日)午後2時~4時45分
会場:カメリアプラザ(亀戸文化センター)第2研修室
会場とオンラインを併用

 


■講師・香川知晶さんのプロフィール
 1951年、北海道生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。1995年、山梨大学助教授、2002年山梨大学医学部教授を経て、現在は山梨大学名誉教授・同大学院医学研究員、日本学術会議連携会員、日本生命倫理学会代表理事。専門はフランス哲学・生命倫理学。
 最近の著訳書としては『命は誰のものか 改訂増補版』(単著、2021、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『 人のゲノム編集をめぐる倫理規範の構築を目指して』(共編著、2022、知泉書館)、アドリアン・バイエ『デカルトの生涯 校訂完訳版』上下2巻(共訳書、2022、工作舎)、『「人間の尊厳」とは―コロナ危機を経て―』(共著、2023、日本学術協力財団)、『コロナ・トリアージ 資料と解説』(共著、2023、知泉書館)など。

 


■講演概要
 Covid-19によるパンデミックは医療をめぐる社会的差別を一挙に顕在化させることになりました。 その差別は以前から根強くあったもので、高齢者や障害者は命を助けられなくても「仕方がない」という空気を醸し出しています。 パンデミックの初期に活発に議論されたトリアージをめぐる議論を見ても、そのことは分ります。 現在、この「仕方がない」という空気は「お金がない」という経済的な理由とともに、患者本人の意思を根拠とする体裁をとって肯定され、抗いがたい力をもって人々を支配しているように見えます。
 その点は「人生会議」という日本版ACP(アドバンス・ケア・プランニング)の展開にも見て取れます。
  ここでは、映画「PLAN75」(早川千絵監督)のデストピア的な近未来がリアリティをもつような、そうした日本の現状を改めて考えてみようと思います。

 

 

命は誰のものか?
――ACP(Advance Care Planning)をめぐって

講演 香川知晶さん

 ご紹介いただいた香川知晶です。もともとはフランス哲学を専門にし、生命倫理学、応用倫理学、脳神経倫理学などもやっています。ご紹介いただいた拙著『命は誰のものか』は、生命倫理全般の、どういう問題があるかについて書いています。最近出した共著に『人間の尊厳とは』があります。日本学術会議叢書でだしていますが、多くの方が力作を寄せている良い本だと思います。関心のある方はぜひお読み下さい。


本日のお話  
1) ACPの定義(2018年)と生命倫理  
2) 物語(ナラティブ)とパラレルワールド
3) 社会政策の中のACP
  終末期から人生の最終段階へ:社会保障制度改革推進法、病院から地域(介護施設・家庭)へ
4)ACPの問題:他人を殴る棒として緊縮・財政均衡主義、強いられる自己決定
5)専門家による〈ACPは役に立たない〉という指摘
6)別の視点としてのSDH(Social Determinants of Health)
  ACP症候群・自己という病への対抗策(?)  

 

 本日の話の内容についてですが、本日は、ACPについて取り上げます。昔は外来語はカタカナ書きで表記されることが多かったですね。例えばインフォームド・コンセント(IC)、「納得と同意」と訳されますが、これは国語審議会でも悪い例としてあげられています。最近はカタカナではなくアルファベットで表記されています。例えばSDGsとか。何じゃろなというものがいっぱい出てきています。Advance Care Planningの頭文字を取ったACPもそのひとつです。
 今、医療現場は熱心すぎるほどにACPを何とかしようとなっています。しかし、ACPだけに傾きすぎているのは問題ではないのか?何となく感じる居心地の悪さはどこから来るのか?本日はそのあたりのことをお話しできたらと思います。
 ACPの定義が最初に出されたのは2018年でした。そのあたりから制度的にも取り入れる流れが強くなっている。そしてその定義は生命倫理の立場から言うと合致するのではないかと思われるかもしれませんが、良いものだと言えるのだろうか?また最近、いろんな解釈も出されていますが、取り落とされている問題があるのではないかということについてお話しします。
 パラレルワールドというのは、高齢者や障害者が抜けているのではないか、後で詳しくお話ししますが、児玉真美さんは障害者は同じ社会に生きているはずなのにパラレルワールドに捨てられているのではないかと言われています。
 また、ACPは患者さん本人の意思決定を重視しましょうというのが前面に出ていますが、その背景には医療政策との密接な関係があると思われます。その点を日本でACPが言われるようになった経過を追う形でお話しします。特に2012年の社会保障制度改革推進法の影響が強く、そこで出されている路線に基づいて医療や介護の改革が為されています。この流れの中にACPがぴったり収まるのです。そこには特定の医療経済的観点が強く働いていますが、それは賛成できない。ACPにはどこか日本の社会を居心地悪くするような要素が含まれていて、それが本人が決めたことだから、自己決定だからよいのだという形で強いられているのではないかといったことについてお話しします。
 さらに、ACPの医療の専門家の中にACPは役に立たないという人が出てきています。役に立たないというエビデンスが出てきていると。内部的にも怪しいといわれているのです。医療の専門家で、一生懸命やっている人達にとってはACPはダメだと言うだけでは納得いかないだろうと思います。しかし、別の視点を入れていく必要はあるだろうと思います。そこで、SDH(Social Determinants of Health、健康の社会的要因)が別の視点になるのかもしれないというお話をしたいと思います。

 


1)ACP(Advance Care Planning)の定義
 まずはACPの定義からお話しします。2018年3月に厚労省が発表した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン 解説編」には、ACPとは「人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス」と書かれています。これが今までのところ公式な日本版ACPの定義です。つまり、人生の最終段階の医療・ケアについて話し合うプロセスで、基本は本人による意思決定だが、家族と医療チームが話し合いに加わるというものです。
 
◇ACPと生命倫理―バイオエシックス、木村利人氏の回想
 本人の意思を重視するということだけを取り上げると、良いことのように見えます。
 生命倫理学者の木村利人さんは1970年代末、日本に初めてバイオエシックスを導入した人です。木村さんは、学者であると共にクリスチャンで運動家でもあります。『しあわせなら手をたたこう』、誰でも知っている歌ですが、この歌を作詞した人です。現在89歳、今は船で世界一周をやっている元気な方です。航海中に講演もプログラムされているそうです。
 元々は法学者ですが、お父様が亡くなるときの医療に疑問を持ったことから生命倫理を研究するようになったといいます。 「患者中心の医療」が生命倫理の目標とされますが、それをキャッチフレーズ的に「自分のことは自分で決める」事を強調されます。
 しかしこうした主張は「素人は口を出すな」という当時の医療の専門家、医学界からは拒絶反応にあったと、木村さんは回想されています。例えば武見太郎(日本医師会会長で政治的にも大きな影響力をもっていた)には、医者ではない人間が入ってきたと「素人のくせに」と露骨に嫌がられたようです。これに対して、木村さんは、医療を受けている患者は人間であって、医療者は医療の専門家であるにしても、「人間(患者)に対しては素人」だと切り返します。医療者に決められるのではなく人間である患者が「自分のことは自分で決める」、これがバイオエシックスの根本だと木村さんは言います。そして、そのことを繰り返し主張し続ける重要性を強調されています。
 ACPの基本原則が「患者本人の意思が中心」だとすると、ACPは生命倫理の目標に合致しているように見えます。木村さんは本人がどう思っているのかが重要だと強調します。本人が言っていることが、肯定できないように見える場合であっても変わらないとして、「ダックス・コワート」の事例を取り上げています。この人は事故でやけどを負い、治療を拒否したのですが、結局、救命され、顔に大きなやけど跡が残りましたが、命を取り留めました。しかし、私は助けられたが救命されなかった方がよかったと言い続けたそうです。この事例に関して、評価は難しいと思いますが、木村さんは患者の言うようにすべきだったと言っています。こうした患者の意思を重視するという生命倫理の基本倫理はACPのプロセスに重なっていると見えます。

 


2)物語(ナラティブ)とパラレルワールド
 日本尊厳死協会主催の「完全に立ち直る力」というタイトルの研究会に登壇者として招かれた松田純氏がACPについて発言しています。そこで言っていることは、医療は感染症から生活習慣病へ大きく変わったと。その中で医療自体の目的も変わった。“完全に良好であること”というWHOの健康の定義では、医療は健康を取り戻すという『治す医療』となり、治せない医療は無益とされてしまう。そうすると治療を辞めましょうという話になり尊厳死や安楽死に繋がると。この健康観はダメで、この健康観は尊厳死や安楽死に直結すると言います。この松田さんの指摘は正しいと思います。
 また、松田さんは、「医療は今や『治す医療』から生活支援と治療をめざす『治し支える医療』へ、医学モデルから生活モデルへと転換した」ことも指摘し、こうした医療の大転換は初めて起こったと言います。そして彼は、ACPの解釈として「本人らしい生き方を支えるのが医療や介護の目標になり、病と共に生きる力―絶望から生き直す力を再発見して再構築していく過程がACPである」との解釈を示しています。ACPとは、生きる自分の物語(ナラティブ)を新たに書き直し、生き直す力(レジリエンス)を回復する過程だという解釈です。現状は、本人の意思を書面に書く、それがACPになっていることに対しては、松田さんもそれはおかしい、単なる紙の問題にしてはならないと言います。この主張は魅力的な解釈で傾聴に値すると思います。
 しかし、幾つか疑問点もあります。まず、治す医療モデルから治し支える医療モデルへの転換が初めて起きたようにいうけれど、これは80年代から言われてきたことです。急に医療が今、転換したわけではありません。80年代に成人病(生活習慣病)が言われるようになり、感染症モデルから成人病モデルへの転換は起きていました。多くの本も出ています。例えば、患者の行動パターンが治療中心の入院社会復帰型から一定の病気を抱えながら社会の中で生きていく障害者型への変化が起こっているといった指摘です。松田さんの解釈で、「ACPを単なる紙の問題にしてはならない」「生き直す力を獲得していく回復する過程」というのは、深い洞察を含んだ魅力的な解釈ではあると思います。私の若い友人によると、「レジリエンスはしなやかに乗り越える力、ACPはうまく諦める、ないしうまく諦めさせる力」だというのですが、ナラティブ・レジリエンスといった流行の言葉によるACP解釈は、現実を覆い隠す美しい物語になってしまう恐れがあるのではないか、と思います。

 

 実際にその内実を見ると、違った角度からも問題が指摘できるのではないかと思います。障害のあるお子さんを持つ児玉真美さんは、日本学術会議叢書『人間の尊厳とはーコロナ危機を経てー』(共著/2023/日本学術協力財団)の中で、コロナ禍の下で、ケアラー家族として見えたのは、高齢者や障害者は同じ社会に生きているはずなのに別枠におかれた状況だったということを書いておられます。

 「在宅で暮らす医療ケア児は2020年の推計で約2万人いた。コロナ禍の中で、『医療や介護の専門職の苦境は連日のようにTVに取り上げられて感謝が呼びかけられたが、その関心が在宅で介護を担う家族に向くことはなかった』し、『パンデミックの間に、メディアで障害のある人が話題になることは目に見えて減り、社会は障害のある人への関心を失ってしまったように見える」
「日本では未だ医療崩壊が起こってもいない段階から海外の医療崩壊で高齢の感染者が治療を受けられない事態が連日報道されては『こんな時だから高齢者は医療受けられないのも仕方がない』という空気が醸し出された。『まして障害者は』という暗黙の合意が感じられた。」
「障害者や高齢者は、同じ社会に生きているはずなのに、じつはパラレルワールドに遺棄されてしまった人々。」
「医療現場でも、『医学的無益性』を理由として、障害者は排除される『迷惑な患者』と扱われている。」

 児玉さんは、障害者や高齢者が差別的に扱われ、コロナ禍ではパラレルワールドに遺棄されていたようだったことを語っています。しかし、それはコロナ禍という非常事態に限った話ではありません。児玉さんは、障害者とその家族、さらには高齢者はもともとパラレルワールドに遺棄されていたことがコロナ禍で表面化したに過ぎないことを鋭く指摘しています。そうしたパラレルワールド化している社会の中で、ACPはどのような役割を果たしているのか、考えてみる必要があります。それはACPにある種の違和感を感じる理由を探ることでもあります。

 


3)社会政策の中のACP

◇尊厳死とACP
 ACPが語られる背景に日本の場合は尊厳死の議論があります。尊厳死とACPは結びついている、それが違和感の大きな理由の一つです。
 尊厳死という言葉は日本では1970年代半ばから使われるようになりました。2006年に射水市民病院事件がおこりました。これは、7人の終末期患者の人工呼吸器を外した外科部長が殺人罪で書類送検され社会問題になった事件です(医師は嫌疑不十分で不起訴)。家族の同意はとっていたが、本人の同意は1名を除き取っていなかった、しかも外科部長ひとりの判断で行った、というものでした。射水市というのは平成の大合併で作られた富山県の市で、公的施設が統廃合され、市民病院は経営の効率化が求められていました。そうした経営の見直しの一環で、ある科の病棟が満床の場合には、他の科の病棟の空きベッドを利用することが始められていました。救急で外科に運ばれてきた患者が外科病棟が満床だったために、空きベッドのあった内科病棟を使うことになります。診ていたのは外科部長の医師で、医師は患者がもう助けられない状態なので、家族の同意を得て、装着していた人工呼吸器を外すようにという指示を出します。しかし、患者を担当していたのは内科病棟の看護師たちで、外科部長の指示に対して内科に入院している同じ病状の患者にはそんなことはしないのにと疑問を抱き、病院長に知らせた結果、人工呼吸器の撤去がストップになります。それがきっかけとなってそれ以前の人工呼吸器撤去が判明したわけです。医者は起訴されますが、結果的には不起訴になりました。その理由は遺族は「良い医者」だと追及はしなかったということです。医者の家族への説明では患者の状態は脳死に近いという説明がされて人工呼吸器を外した場合もあったことが分かっています。
 日本では、それまでに安楽死についての裁判はありましたが、治療停止が直接問題となった裁判はなかったといってよいと思います。それが、この事件をきっかけに終末期医療が改めて焦点になっていきました。その議論の過程で、尊厳死法案も取り沙汰されましたが立ち消えになったりしています。
 射水市民病院事件以降、ACPに関係する出来事を年代順に並べると、次のようになります。
2007年に 厚労省の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」ができ、
2012年に 「社会保障制度改革推進法」ができる。この法律の方向を受けて、
2015年に 「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」と“終末期”が“人生の最終段階”と置き換えられ、
2018年に 「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」へ
と続きました。このような一連の流れの中で2018年にACPが言われることになったわけです。2018年のガイドラインでは出発点の2007年のガイドラインがもっぱら終末期医療を対象としていたのに対して、対象が医療と介護と拡張され、ACPがかかわるのが医療とケアの決定プロセスとなりました。また、「終末期」ではなく「人生の最終段階」という言い方が使われるようになっています。問題は人の生き方を尊重することにあって、生きる観点から最終段階の医療を見直すというのですね。中身として、本人の人生の意志の尊重、家族も加わって医療・ケアチームとともに、医療・ケアの提供体制を決める、というものです。

 

◇ACPの出発点は「社会保障制度改革推進法」
 最初の2007年のガイドラインが、8年後の2015年になって改訂されることになったのは、2012年に成立した「社会保障制度改革推進法」が関係しています。この法律は「安定した財源を確保しつつ受益と負担の均衡がとれた持続可能な社会保障制度の確立を図るために、社会保障制度改革について、その基本的な考え方その他の基本となる事項」を定めようとするものです。法律の特色として「受益と負担の均衡」、財政均衡主義を打ち出すわけです。その背景には、少子化、生産年齢人口の減少による社会保険料の国民負担の増大、社会保障費増大による国・地方公共団体の財政状況の悪化があるとされました。この法律のロードマップでは、法制定後に「社会保障制度改革国民会議」を設置し、社会保障制度改革を国民一体となって推進することになっています。

 

◇改革の枠組みは「自助、共助、公助」
その改革の枠組みは「自助、共助、公助」です。「社会保障制度改革推進法」には、社会保障制度改革は「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意」しながら、「年金、医療及び介護においては、社会保険制度を基本とし」つつ、費用については「あらゆる世代が広く公平に分かち合う」と書かれています。見直しの対象は公的年金制度、医療保険制度、介護保険制度、少子化対策、生活保護の見直しと例外なく全てを見直すとされています。
 この法律によって医療分野における新自由主義的改革路線が設定されたと言えます。民主党の野田政権下でできた法律ですが、法律ができてすぐに成立する安倍政権が推進することになります。「自助・共助、公助」は、1980年代に地方議会の議事録にも登場していますが、そのときは「公助、互助、自助」であり、順番が違うわけです。2000年代後半に厚生白書にも登場し、2012年の「社会保障制度改革推進法」になる。もともとは災害時の問題として出ていた考え方とみることが出来ます。実際、法律に「自助・共助、公助」という言葉が次に出てくるのは、「社会保障制度改革推進法」が成立した翌年の2013年成立の「強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靭化基本法」になります。つまり、元々は自然災害のような非常事態に対応するための考え方が、通常の平時にも改革を進める道具となる概念として利用されることになったのです。「社会保障制度改革法」はナオミ・クラインに倣って言えば、日本版ショック・ドクトリンであり、惨事便乗型資本主義の法律なのです。それが2020年の管政権の所信表明演説にも繋がっています。その所信表明演説で、首相は「私が目指す社会像は自助、共助、公助、そして絆です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します。」と述べたわけです。政府が出てくるのは一番最後なのです。そうすると児玉さんが指摘するように、障害者は結局は家族・地域に投げられ、家族に殺させるシステムになっているということにもなる。

 

◇「推進法」と「人生の最終段階」
「社会保障制度改革推進法」の目的は「医療・ケアにおける『自助、共助及び公助』のより適切な配置による『人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境』の整備」とされています。これを受ける形で2015年のガイドラインから2018年のガイドラインへという政策の流れの中でACPが登場したということを確認しておく必要があると思います。
  つまりはACPはお金の心配(緊縮・財政均衡主義)と共に登場したものであるということです。島薗進さんがツイッターの中で「2010年代半ばの段階で、日本の税・社会保障は、なるべく公助に頼らない仕組みでありながら、高所得者を優遇するという、類例のないグロテスクなものだった」と言っていたのですが、これは正当な指摘だと思います。グロテスクな中に人生の最終段階もおかれているということも考えておかなければいけないと思います。

 

◇2018年のガイドライン
 射水市民病院事件で指摘された問題点を踏まえた2007年の「終末期における決定プロセスに関するガイドライン」は終末期における「治療の開始・不開始及び中止等の医療のあり方(消極的安楽死 ・治療停止・日本でいう尊厳死)を対象として出されました。その原則は患者本人の意思を尊重し、治療を中止する場合も主治医一人では決めず医療チームで決める、あるいは第三者の委員会に助言を仰ぎ方針を決定するというものです。
 2018年のガイドラインはこの基本枠組みを継承しています。その上で、枠組みを医療だけでなく介護にも拡張し、病院完結型から地域完結型へという方向をだしました。
 強調されていることは「話し合い」です。それにACPという新しい名前が付けられ、近年諸外国で普及しつつあるから取り入れようとされたのです。皆で話し合う、SDM(共同意思決定)とも言われます。

 

◇「病院完結型」から「地域完結型」への医療転換
 さらに、ACPの背景には、〈「病院完結型」から「地域完結型」への医療転換〉〈地域包括ケアシステムの構築〉という厚労省が進める医療政策の転換があります。病院が担ってきた役割を削り地域に、医療から介護への転換が進んでいます。
 病院で死にたいという人より、できれば自宅で死にたいという人も多いので、また少産多死の時代なので、全部病院で死ぬのは大丈夫なの?という声もあり、地域へという流れ自体は歓迎することなのかもしれません。厚労省のこうした医療政策の流れの中でACPがぴったり収まっている訳です。
 厚労省は、療養型病床の全廃(2024年3月)を掲げ、2014年の診療報酬改定では事実上3ヶ月を超える長期入院は不可能になり、2018年にはACPを算定要件とする診療報酬の改定を行い、医療・介護の経費削減促進のためにACPの普及を強力に推進しているのです。コロナで医療崩壊に至らなかったのは病床削減が進んでいなかったからという指摘もあるのに、厚労省はコロナ禍の下でもやはり病床削減を進めています。
 こうした緊縮財政の中で本人の意思を問う形になっている訳です。それがどういう意味を持っているのか。


◇愛称「人生会議」
 ACPを普及させるために厚労省は愛称を公募し「人生会議」という愛称を決めました。私と同年配の友人が、「俺の人生を会議で決めるのか!」と怒っていましたが、「人生会議の日」というのまで、決められています。11月30日です。なぜかというと、「いい看取り、いい看取られ」だというのです。その記念日にあわせた「“もしものとき”のための話し合い」という「人生会議」のポスターが作成されましたが、障害者団体や患者団体の反対を受けて配布が中止になるということもありました。しかし、厚労省はそれでも診療報酬にACPを組み込むように改訂し、ACPを推進しようとしてきています。

 


4)日本版ACPの問題点

①日本版ACPは終末期の医療やケアの選択にゆがめられていないか
 ACPは本来その人の人生観・価値観といったものを理解するということを目標とするものです。ACP発祥の地、イギリスでは、話し合いの対象は必ずしも「人生の最終段階の医療・ケア」に限定されず、一般的な生活や人生について話してみるというところにあります。しかし日本版ACP「人生会議」は、「人工呼吸器どうしますか?」などと、もっぱら終末期の医療やケアの特定の治療選択だけが話題にされるのは明らかに行き過ぎです。お金の問題が見え隠れしているといわざるを得ない。しかも「終末期」ではなく「人生の最終段階」と場面が拡大されていることは問題です。人生観からその人の考え方を知っておけば医療に役立つかもしれないと始まったはずのものなのにです。
 例えば公立福生病院事件。さらに、CKM(Conservative Kidney Management、保存的腎臓療法)と呼ばれるもの、またアルファベットだけの略語です。これは透析をしなければ亡くなるとはいっても、終末期にあるとは言えない患者に対する選択肢の一つとされて、近年急に言われるようになっているものです。療法とはいっても辛い腎透析療法はせずに、穏やかに過ごしてもらうというもので、当然死期は早まると考えられます。これもACPをして、選択できるというわけです。ACPは特定の医療行為をするかしないかを聞くという形になっている。しかも人生の最終段階とはいっても死が眼前に迫っているとは言えない場合も含まれている。福生事件の場合も、透析を続ければあと4年は生きられたとされる段階で、本人の意思だからということで透析が中止されています。その段階で本人の意思だからと中止した。それは医療の中の出来事としては行き過ぎではないか。そうした行き過ぎの背景には上に見た「社会保障制度改革推進法」にある財政均衡主義の影がさしているように思えてなりません。


②緊縮、他者を殴る棒
 緊縮財政は他人を殴る棒になっている、こう言ったのは岸政彦さんです。小説家でもある社会学者ですが、意思決定をめぐる現在の環境は経済的理由の圧力をまともに受けている事を以下のように言っています。
 「緊縮というものは、あるいは財政均衡主義というものは、『他者を殴る棒』でしかないのかもしれないとも思う。お金がないんだよ、という大義名分があれば、私たちはいくらでも他者を、弱者を少数者を殴ることができるのだ。だから、お金というのは愛だと、つくづく思う。私たちの社会から愛が枯渇しつつあるのだ」
〈岸正彦「権威主義・排外主義としての財政均衡主義」(『新潮』2018年12月号)〉

 人の命に関わることでもお金がないといえば、ああそうなんですか、となるような形に今の社会は作られているのではないかと思うのです。お金がないというのはどういう範囲でないのか、国の予算全体の中でないといっているのか怪しいところがあります。それにもかかわらず、この他者を殴る棒はあちこちで大活躍しているのです。

 『文學界』2019年1月号に掲載された古市さんと落合さんの対談です。抜粋すると、次のように言っています。
古市憲寿 「財務省の友だちと社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期、特に最後の一ヶ月。・・・最後の一ヶ月の延命治療はやめませんかと提案すればいい。・・・」
落合陽一 「終末期の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わる・・・。保険の対象外にすれば解決するんじゃないか。・・・・・」
古市憲寿 「自費で払えない人は、もう治療してもらえないっていうことだ」

 年寄りは治療するなというものですが、こういうのが通ってしまうのです。「年寄りは一定の年齢になったら集団自殺しろ」という人も出てきています。そういう空気が現在の日本社会には濃厚に漂っています。

 

③「人生会議」には経済的な背景とともに安楽死に道をつける側面がある
 亡くなられた橋田寿賀子さんが『文藝春秋』に「私は安楽死で逝きたい」との文を掲載して話題になりましたが、その中で橋田さんは「今病院はいつまでも預かってくれません。追い出すようなら希望する人は死なせてあげたらいいではないですか」と言っています。なぜ追い出されるかというと(緊縮で)金がないからです。そして「生まれる自由はないのだから、せめて死ぬ自由は欲しい」と橋田さんは言ったわけです。これに共感する人が沢山でました。共感するような社会背景があるからだということです。そうした中で、「人生会議」も行われるわけです。

 

④自己決定というが、一定の選択がソフトな形で強制されているのでは?
 昨年、映画『PLAN75』(早川千絵監督)が上映されました。これは75歳になると安楽死を選択できるという法律が日本にでき、それに従って死ぬ高齢者の様を描いた作品です。若い人が見ると、良いプランを日本にも定着させようとしていると思う人もいるそうです。年寄りは集団自決しろという時代です。そんなバカなと思うのですが、バカなとは思わず、良い案だと平気で口にする人たちもいるのが現実です。こういう中で行われる自己決定にどれだけの意味があるのでしょうか。その意思とは何なのか。コロナ禍でのトリアージを取り上げた番組で、人の迷惑になりたくないから若い人に人工呼吸器を使ってくれと頑固に主張する親を何とか治療を受けるように説得しようとする家族の話が出てきました。「人の迷惑になりたくない」という気持ちはよく分かりますが、だからといって、不必要なまでに治療を拒否する必要はないはずです。

⑤自己決定というが、家族の意向が反映されることが多い日本
 個人の自己決定とは言いますが、ことに日本の場合は医療の場面での決定には家族が実は大きな役割を果たしていることが分かっています。それを意識しないといけない。家族に迷惑が掛るからとの理由や家族の意向を聞こうとする医療の実態があります。そんな中でACPといわれてもと思います。

 イギリスのACPは、その話し合いの対象が必ずしも「人生の最終段階の医療・ケア」に限定されているわけではありません。もっと一般的に生活や人生について話すというものです。意思決定が必要になる場面はそれぞれ個別性をもっていて、きわめて特殊だとも言えます。ですから、逆に患者の一般的な考え方を理解していた方が、実際には役に立つはずだという発想です。

 そうした考え方と比べると、日本版ACPの場合は理解が狭すぎるのではないでしょうか。最近医学書院から、『緊急ACP』という本がでました。救急の患者さんにACPをするというのですが、救急の場で話し合いを繰り返すというのはあり得ない話にしか思えません。前書きにはACPの考え方は救急の場面にも適応できるのだということが書かれており、本の中身自体はよい本だとは思うのですが、救急とACPとを無理に結び付けなくともよいのではないかと思います。このタイトルを見ると、診療報酬の関係もあるのか、何でもACPをすればいいという発想が強すぎるのではないかと思ってしまいます。

 

 

5)専門家による〈ACPは役に立たない〉という指摘
 しかし、現在、専門家の間でもACPの有効性に対して疑問が出されるようになっています。もともとACPの推進派だったMorrisonはアメリカ医学会の雑誌(『JAMA』)に「ACPは終末期医療の質を改善せず、無益な期待をかけさせられた患者の失望を生むだけ」という論文を発表しています。大反響があったのですが、それを受けた日本の専門家たちが座談会を開催した記事が『週間医学新聞』に取り上げられていました。それによると、延命治療オンリーの時代からAD(Advance Directive、事前の意思表示)が有効だと認められる時代へ、それがより話し合いを重視するACPの段階を経て、現在はMorrisonたちの批判が出て、一種の飽和状態に達した段階にある。しかし、「相次ぐ批判があるが、ACPをやめてしまうのではなく疑問点や問題点を検討して前に進めよう」という次の段階が来るはずだという見通しが語られてはいます。

 


6)別の視点が必要では
 ACPが停滞期を脱して、次のより高い段階に移行するのがどうかは分かりません。しかし、ともかく本人の意思を確認することが重要で、ACPをとにかく取らなくてはいけないという医療やケアの専門家の一部に漂っている雰囲気を見ると、ACPは「医療専門家のためのもの」ではないか、「患者のレジリエンス(生き直す力)回復のプロセスという物語も医療・介護の専門的視点に立つ決定に回収されてしまう」のではないか、という疑問がどうしても出てきてしまいます。その意味では、ACPではなく違う視点も必要ではないかと思えてきます。何でもACPという状況に対して、別の視点の一つとなりうるものとして、SDHという概念を最後に紹介しておきます。
 またしてもアルファベットですが、SDHとは「Social Determinants of Health、健康の社会的要因」を指します。WHOの定義によると「SDH(健康の社会的決定要因)は健康のあり方に影響を及ぼす非医学的要素である。それは人々が生まれ、成長し、働き、老いていく諸条件であり、日常生活の諸条件を形作る広範な諸要因とシステムである。そうした諸要因とシステムには経済的な政策とシステム、成長するための課題、社会規範、社会政策そして政治体制が含まれている」とされています。順天堂大学の医学教育の専門家の武田裕子氏はこうしたことは現在の医学部教育では教えられていないことだと指摘しています。所得と社会保障、教育、失業と就労の不安定さ、労働環境、食糧供給の不安定さ、住居・基本的アメニティ権、初期児童発達、社会的インクルージョン、適切な質をもつ手頃な価格の保健サービスへのアクセス、こうしたSDHが世界的な健康格差、さらにいえば日本国内での健康格差に関わっていることを、コロナ禍によって我々は思い知らされたはずです。WHOがSDHの問題をコロナ禍以降の世界的課題としているのも当然だろうと思います。
 
 

ロンドンの地下鉄の地図

 これは2012年のBBCのニュースで出たロンドンの地下鉄の地図です。〇が駅のあるところで、〇の中に数字が書いてありますが、駅周辺の平均寿命です。最高はオックスフォード・サーカスの96歳ですが、その周辺には70台が並んでいます。地下鉄の駅でもこれだけ平均寿命が大きく違っている、何とかしなくてはということで話題になり、SDHが注目されるきっかけとなったものです。

 そもそも自己決定が社会的要因に影響され、早く亡くなってもらいましょうというような雰囲気が蔓延している現状の中では、自己決定と言っても本当の自己決定なのか、本人が言ったからといって受け入れられるものなのか? ACPだけで医療や介護のあり方を決めていくのではなくて、例えばこうしたSDHといった視点も入れて、社会の中での個人という視点が生きる形で医療のあり方を考えていくことが、今やますます必要になっているのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

質疑

 

質問)ACPも含めて、本人の意思に関係なくいのちを切る方向に進んでいるように思われます。コロナの状況が進めたと思うが、誰を治療し誰を治療しないという、患者を選ぶ法的根拠はあるのだろうか。イギリスでは臓器移植の法体系があるので、コロナの場合も可能というが、日本の法体系の場合、そういうことは可能なのでしょうか?むしろ治療を受けないで死んでいく人から考えると保険料を支払っているのに治療を受けられないのは違法ではないのかと思うが、どうなんでしょうか?2021年1月に厚生労働省の医系技官のトップを務めた鈴木氏が、今後の感染症対策としては誰を治療し誰を治療しないかを議論すべきといいました。病床を減らすという政策から自然にそういう議論が生まれるのかなあと思います。杉並区区長のトリアージ発言もありましたが、こういう発言がある中でどう進んでいこうとしているのかお分かりになることがあれば教えていただきたい。

香川)いずれも答えが難しい問題です。法体系でイギリスの場合は臓器移植で対象を決定することがあるからコロナの場合もいいというお話でしたが、日本の場合はそういう明確なものがないと思います。臓器提供をする側される側の医学的理由を基に区別があると思いますが、法的裏付けを与えるということはないと思います。
 コロナで治療ができない事態になったとき、大阪では高齢者は救急車に乗せない、フランスでは救急車は老人施設からの要請に応えない、ということが起きました。しかし、全員を治療できない事態があったにしても、どうして高齢者は治療しないのかということを正当化する議論はなかったのではないでしょうか。治療をしないことや開始した治療をやめて、空いた人工呼吸器などを他の人に使うのを正当化する議論は、日本でもありましたが、一律に何歳以上はだめとするような形にはならなかった。そこで活躍するのがACP、本人の意思になるわけです。人工呼吸器を外して若い人につけることを事前に本人に聞いておく、聞いておいて本人がOKすれば、たとえその人に治療を続ければ救命の可能性があっても外してよいというのです。日本の場合は、数字で年齢で分けるのではなく、本人がOKしたからというのが正当化の理由にされる。法律で決めるのではなく、本人の意思が便利に使われるのが日本の特徴じゃないかと思います。保険での治療にかかわらず治療を受けられないのは、確かにご指摘のように、差別、人権無視だと思います。それを権利の無視と分からなくする空気が醸し出されているのが、現在の日本社会なのではないでしょうか。それがコロナの時に明確になったのだと思います。
 厚労省の役人が言ったと言うことですが、そういうことを言う人は常にいるわけです。優生思想と批判されてきたし、優生思想と括ることのできる考え方は常に出てきている。それに対抗するには、こちらもそれは間違っている、おかしい、人権無視であると言い続けることしかないと思います。優生保護法がまさにそうですが、おかしいという人がいたからこそ変えられるということはあるはずです。おかしいことはおかしいと、たとえ少数派となっても言い続けることが必要だと思います。

 

質問)私は、経済が人類を滅ばすと思います。今の経済システム、人間にとって何が正解かは分からないのに経済はそれを簡単に決める。お金になるかならないかという形で。考えることをしない、思い悩むことをしない人間がふえているが、それは経済システムがそうさせているのではないか。緊急事態条項、あるいはトリアージ、そうしたものがあるといいなと思いこむ人がいて、医療界もお金になるかどうかに乗っかっている。そこから議論する必要があるのではないか。経済が人間の考え方をおかしくしてしまうと思います。

香川)同意見です。新自由主義的路線と言いましたが、その路線は人間を滅ぼすものにほかなりません。医療は経済に乗らないはずなのに乗せようとして無理をする、そこが間違っている。ヨーロッパで最初にコロナによって医療崩壊を招いたのはイタリアです。日本では医者の数は医師会がコントロールして、増えすぎないようにしてきました。医師の数が足りないという議論は昔からあったのですが、医師会は医学部の定員増に強硬に反対していました。そこで笑い話のように言われていたのは、医者の数が増えると儲からない、給料が少なくなると、イタリアのようになるという話でした。イタリアでは医者をどんどん増やしたので、医者はタクシーの運転手をしないと生活できないようになっているというのです。それくらい、イタリアは医者の数が多い国として知られていました。しかし、EUではイタリアは財政的に問題を抱えており、強力な緊縮財政を迫られ、それを大胆に実行することになります。政府が医師数を急激に減らす政策を開始したために、医者を辞める人や他国に行く人が大量に出たと言われます。そこにコロナが来たわけで、医療崩壊は起こるべくして起こったわけです。日本でも、大阪のように、保健所を統合し、保健師さんの数を減らしていたところが大きなコロナ禍に見舞われたわけです。医療や介護は何の問題もないときに合わせて縮小しておけばいいわけではない。そもそもお金だけではやれないはずだということだろうと思います。

 

質問)昔、中絶した7ヶ月の赤ちゃんが生きていて、赤ちゃんを殺す医院もあったが、殺さずに赤ちゃんのあっせんをしたという人の本を読みました。日産婦は赤ちゃん殺しを隠していたが、産婦人科学会の秘密を漏らして問題になったというのですね。どう考えれば良いでしょうか。

香川)中絶したはずの胎児が子宮外に出て呼吸をして生きていたという場合、中絶後に医者が殺したという裁判がアメリカでもありました。看護師の告発で明らかになり裁判になったという事件ですが、70年代のことです。重い障害があってときに死なせ、死産だったことにするといった話が産婦人科にはあったりもします。ただ、日産婦が隠したかどうか分からないです。
 話は少しずれますが、日産婦では近年、着床前診断の問題、受精卵の段階で調べて重篤な遺伝病があるかどうかを調べる、それをどうするかが大きな問題になっています。従来、受精卵診断による遺伝病の検査については、日産婦は対象の遺伝病を重篤な疾患に限定してきました。それが最近では、検査を希望するご夫婦の意見や置かれた立場・考えも考慮して行うようにするという形に変わってきています。ここもACPが関わるわけですが、重篤という定義に外れる場合でも検査をすることがありうるということだろうと思います。日産婦はこのようにして対象を広げているわけです。それを決めた日産婦は苦渋の選択だったと考えているようです。
 受精卵診断だけではなく、胎児診断に関しては、障害をあってはならない悪・不幸と決めつける障害者差別だとする強い批判は以前からあります。しかし、実際に検査をやりたい人がいっぱいいますし、障害者団体でも検査をして欲しいという団体もあるわけです。そうした強い反対と検査への希望との狭間に置かれるなかで、日産婦として悩んだ末に出した方針が重篤という規定に夫婦の希望も考慮するということだったわけです。ただ、従来、生殖の場面の規制に関しては日産婦のガイドラインという紳士協定だけでやってきたのですが、日産婦自身が一学会がルールを決めるというのはもはや限界に来ており、「生命倫理について審議・監理・運営する公的プラットホーム」設置を提案しています。
 そうした状況を考えると、問題点がある、ダメなところがあると考える人、疑問を持つ人は少数派なので、少数派がどう意見を反映させるのか難しいことではありますが、先ほどから繰り返していますが、とりあえず言い続けるということが大切だろうと思います。

 

質問)命の選別の話を聴けるよと言われて杉並から参加しました。杉並では前区長がトリアージ発言をしました。本日は、分かり易く説明していただきありがとうございました。作業所では中途障害を持っている人と働いています。税金を使って仕事をしている以上、世話をする側の人間として、対象の方が高齢化等の理由で辞めざるを得なくなったり、この人が作業所に来られるか職員で意見調整しながらチームで決めざるを得ない状況です。どう死ぬかということがどう生きるかに繋がっている、そういう視点が必要とのお話は私に大変よく響いたのですが、具体的には何を勉強すれば良いか教えていただければと思いました。

香川)どう生きるかについてなかなか提案は難しいのですが、ACPが元々は視点を死から生へ転換して考えてみようという志向をもっていた点は評価できると思うのですが、生きると言ったときに本人の意思だけに集中するのではなく、SDHといった社会的要因にも目を広げて、ケアを見直すことも必要だと思います。本人が満足できる枠組みを議論として狭く考えるのではなく、広い視点で、枠組みを広げて考えることが良いのではないかと思います。具体的に何がとは言えないですが、広い視点で、現状の社会保障制度でさえも考慮されていなかったりする場合もあるので、現在でもこういうのもありますよと言えるようにすることも含めて考えるのが実際には重要ではないかと思います。

 

質問)MorrisonらのACP批判は英米圏でどの程度共有されているのでしょうか。SDHにしても、WHOの健康の定義から考えれば当然のような気はするのですが…。

香川)SDHといった狭義の医学とは関わらない社会的要因が健康にとって決定的であることは、イギリスで世界で最初に結核による死亡者が減少したのが結核の治療法の開発以前に起こっているといった古典的例からもよく知られているはずの、当たり前のことにすぎません。しかし、順天堂大の武田氏の言葉にもあるように、少なくとも医者の多くは知らないし、医療の現場でも検討の埒外に置かれることが多く、そこに問題があるのです。

 

質問)生命倫理学者の木村利人さんはACPについてどのように考えておられるのでしょうか。

香川)木村さんは日本で患者中心の医療を実現することを目指して、「自分のことを自分で決める」と言い続け、実際の運動もされてきた方です。その点ではACPが患者本人の意思を尊重するものである限りは肯定すると思います。ただACPをとにかく進めましょうといった話はされておらず、現状のACPをそのままどんどん進めればいいといったような推進派とまでは言えない印象を受けました。

 

司会)日本でACPが言われるようになった流れや背景、問題点について大変分かり易くお話しいただきました。改めて講師の香川知晶さんにお礼申し上げます。脳死や臓器移植といった課題に異議を申し立てている私たちですが、益々少数派になってきています。先ほど香川さんは、疑問や問題のあることに関しては、言い続けることの意味ということを言われました。「いのちを分けない」「切り捨てない」といった観点から、脳死や臓器移植に関わる問題提起をし続ける重要性をあらためて考えさせられました。今後も市民講座を続けていきますので皆さまのご協力をお願いいたします。

 

〈チャットに寄せられたご意見〉
・ACPに欠けているのは客観的な病態の評価、臨床診断に関わる領域ではないだろうか。経済的な問題、バイアスが先にたって、さらにそうした暴力をごまかすため、人生観という抽象的概念を持ちだしていると思う。
・どんな障害があっても命ある限りいのちを大切にしたいと看護師になりました。脳死からの臓器移植に反対する運動の中で尊厳死という言葉を知り、尊厳死法案に反対してきました。ACPは法案なしに、するすると臨床に入ってきました。そして疑問を持たない看護師が多いことに気持ちの悪さを感じています。注意していないとここというところで足下をすくわれそうです。
・「詐術としてのインフォームドコンセント」ドキッとする表現。そうでないものにするにはどうしたら良いか?
・「他者を殴る棒」という表現は的確でインパクトがあります。なぜこのような考えが出てきたのかそれは社会保障というものの限界、資本主義の限界だと思います。ミサイルを買う金があっても病気の治療を削るのはとんでもないことだと思います。

 

 

写真は市民講座会場の様子。当日は会場参加とオンライン(事後配信含む)を併せて約70名の方にご参加頂きました。会場参加の方からの質問が次々に出て時間切れとなってしまい、オンライン参加の方にマイクを回すことができませんでした。

 

 

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第18回市民講座講演録(2023年5月14日) 2-2 事務局からの報告

2023-08-11 13:24:32 | 集会・学習会の報告

第18回市民講座講演録(2023年5月14日) 2-1 <命は誰のものか ――ACPをめぐって>別ページで開く

 

 

第18回市民講座講演録(2023年5月14日)2-2

事務局からの報告

 

 

 厚労省は2023年7月より、「脳死が強く疑われる患者の毎月の人数を医療機関から日本臓器移植ネットワークに報告する新制度の試験運用」を始めました。ドナー拡大の為の施策を次々に展開する厚労省。では、実際の臓器移植現場は?その実態について事務局の守田憲二さんが報告しました。以下に、当日の資料を掲載いたします。

 

 

 

「脳死見込みの 71 例当たり 1 例は誤診、作られる脳死、命の選別の実態」(守田憲二)


 脳死または心臓が停止した死後に臓器提供が検討されるドナー候補者において、心臓死が不可避との予測の誤り、または脳死見込み、脳死判定の誤りが、ドナー候補者数の何例に1例発生しているのか検討しました。情報源は臓器移植法を問い直す市民ネットワークが作成した冊子“「脳死」って本当に死んでいるの?「臓器移植推進」って本当に大丈夫?”の5ページから7ページ「各国で脳死ではないことが発覚」の段落に掲載している情報です。(以下5月14日から一部の表現を変えています)
 韓国では5年間の潜在的脳死ドナー8120例のうち1232例が脳死ではなく、さらに親族から脳死臓器提供の承諾を得た2718例のうち33例が脳死ではなく、さらに実際の脳死臓器提供者2400例のうち1例が脳死ではありませんでした。累計で1267例に誤りがあり、これは6.4人に1人(1267/8120)の脳死疑いを誤ったことになります。東京都では22年間に臓器移植コーディネーターが424例のドナー情報を受けて、患者家族341例に脳死後および心停止後の臓器提供について説明したが、このうち5例が植物状態に移行し臓器提供の承諾を得られず、さらに家族が臓器提供を承諾した後に1例が植物状態に移行したため臓器提供に至らなかった(植物状態に移行した時期が不明確なため、スライドでは臓器提供の承諾後と臓器摘出直前の両方に掲載しています)。累計では6例に誤りがあり、これは70.7人に1人(6/424)の死亡予測を誤ったことになります。厚労省資料の「ドナー情報の分析」は、日本全国で5年間に家族から臓器提供の承諾を得られた573名のうち、7名について臓器提供に至らなかった理由を「その他」としています。「その他」が何なのか記載されていませんが573名中7名、1.22%は韓国とほぼ同率です。テヘランでは685人からの脳死臓器摘出直前に1人が脳死ではなかったと発覚したことは、臓器摘出施設に移送された臓器摘出直前のドナー候補者なので誤診が少ないのは当然でしょう。スタンフフォード大の臓器摘出チームが、脳死臓器摘出に出動したのに「早すぎた脳死判定」のため約1%も引き返したのは粗雑な脳死判定が多いためと推測します。

 

 

脳死判定前から患者家族の承諾なしに行われてきた命の選別=臓器提供を見据えた患者管理


 脳死判定を誤ったとの情報があったら、他に誤診していたけれども最後まで発覚しなかった患者がいた可能性、そしてドナー候補者そのものが人為的に発生させられている可能性も検証すべきです。2004年に神戸大学医学部附属病院の鶴田早苗副院長・看護部長は次のように書いています。「筆者は以前勤めていた大学病院で20年前も死亡後の死体臓器移植(主に腎臓移植)にかかわっていました(集中治療室、手術室において)。もちろん“脳死による臓器移植”法のできるずっと前のことです。この時、ドナー側の治療に当たる救急医や脳外科医とレシピエント側の移植医の考え方の違いや移植の進め方に倫理的な問題を感じていました。今は現場の細かなことに直接関与はしていませんが、伝わってくる臨床現場の話のなかで“根本的に今も変わっていないなあ”と思うことがあります。(中略)脳死移植医療においては、例外はあっても、移植医にとっては実績を積んでいくことは重要であるし、一方で脳死判定を受けるドナー側は納得のいく尊厳死のプロセスをとりたいと考えます。移植医にとっては移植できる可能性があれば、脳死判定前からその準備(循環動態のコントロール等)をしていくのは常識であり、そうしなければ成功しません。数日前から情報は飛び交います。しかし表向きはプロトコールにそった移植の流れで進められます。ドナーやレシピエントの家族は、当然このような舞台裏は知る由もありません」(鶴田早苗:高度先進医療と看護、綜合看護、39(4)、47-50、2004)
 2022年3月に日本救急医学会など6学会と日本臓器移植ネットワークは「臓器提供を見据えた患者評価・管理と術中管理のためのマニュアル(以下では同マニュアルと記す)」を公表しました。同マニュアルは、「臓器提供の可能性がある脳死患者管理」について、治療チームが“救命は不可能”と考える場合、患者家族が治療の結果を受け入れ終末期の方針を決定するまでに、多くの臓器が提供できる様に、少しでも良い状態で移植患者につなげる様に患者管理を行う、として臓器提供目的での各種薬剤の投与、各種検査や処置を推奨しています。同マニュアルの研究協力者である渥美医師は「脳保護のための治療では、浸透圧利尿薬を用いて血管内容量を下げ、できるかぎり頭蓋内圧を下げるべく管理する。しかし、臓器保護のためには十分に補液し臓器血流を維持するという、補液の観点からすると真逆の管理を行うことになる」(渥美生弘:臓器提供に関する地域連携、救急医学、45(10)、1270-1275、2021)としていますので、臓器提供を見据えた患者管理が脳保護に反することは明らかです。医師が重症患者について「治療しても重大な後遺症が残りそうだ、再び納税者として復帰できない確率が高い」と判断した場合に、患者本人の意思推測や患者家族への説明・承諾もなく、医師が「臓器を提供して死んでもらったほうがよい」と命の選別を行う、そのような病院を増やすことにつながるマニュアルと懸念しています。
関西医科大学総合医療センターは「脳死ドナー管理経験と蘇生医療の進歩の中でカテコールアミン・抗利尿ホルモン使用により小児・若年者の脳不全長期生存例を経験した」と報告しています(岩瀬正顕:当施設での脳死下臓器移植への取り組み、脳死・脳蘇生、34(1)、43、2021)。移植用臓器を確保する目的で医療従事者が行う処置により、人為的に脳不全を悪化させられて臓器提供を医学的に強要された医原性脳死患者だけでなく、医原性意識障害患者までも発生させ続けているのでしょう。

 


日本臓器移植ネットワークは、本来のあるべきインフォームド・コンセントができない


 生命が危ぶまれる患者の救命に反する処置をすることは傷害です。医師が患者を傷害した後に、そのことを隠して患者家族に臓器提供の選択肢を提示することは、犯罪の隠蔽として厳禁すべきです。
 ここで人体組織を収集している3つの機関のドナー候補者に向けた説明用文書を比べます。
日本赤十字社は「献血の同意説明書」のPDFファイルを同社サイト内で公開しており、献血に伴う副作用等について頻繁に発生する「気分不良、吐き気、めまい、失神などが0.7%(約1/140人)」から、滅多に発生しない「失神に伴う転倒が0.008%(1/12,500人)」まで書いています。
日本骨髄バンクも“ドナーのためのハンドブック”のPDFファイルを同バンクサイト内で公開し、骨髄採取、麻酔に伴う合併症と重大事故を記載しています。死亡例について国内骨髄バンクでは2万5千例以上の採取で死亡事故はないが、海外の骨髄採取で5例、日本国内では骨髄バンクを介さない採取で1例、計6例の死亡例があることを知らせています。
日本臓器移植ネットワークは臓器提供候補患者の家族に提示する文書「ご家族の皆様にご確認いただきたいこと(以下「ご確認いただきたいこと」)」を同ネットワークサイト内で公開していません。しかし2022年9月発行の単行本「臓器移植におけるドナーコーディネーション学入門(へるす出版)」が「ご確認いただきたいこと」を掲載しているので確認できます。この文書は、心臓死予測を誤る確率、脳死判定の誤診率を示していません。医師が患者家族に「脳死とされうる状態なので心停止は避けられない可能性が高い。法的脳死判定を行ったら診断が確定します」と説明する時に「この診断は80例~245例あたり1例は間違える」と言うと臓器を提供する人が皆無になるからでしょう。


 〈質問への回答〉
 チャットに質問「『詐術としてのインフォームド・コンセント』とは、ドキッとする表現。そうでないものにするにはどうしたらいいでしょうか」をいただきました。
 私は、社会の構成員に対する情報提供が正しく行われる・インフォームドされたならば、現在の死後(脳死または心臓死)の臓器提供を許容する法律は制定できなかったと見込みます。立法に至らない、社会に許容されない行為ならば、医療としての存在も許容されないため、詐術を行う機会も生じません。心停止後の臓器提供を許容した角腎法、脳死臓器提供を許容した臓器移植法の制定が誤りだったと考えます。(守田)

 

 


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第17回市民講座の報告(2021年11月6日)≪加速していく命の線引きと切り捨て ――安楽死・『無益な治療』論・臓器移植のつながり》 2-1

2022-03-09 15:48:00 | 集会・学習会の報告

臓器移植法を問い直す市民ネットワーク 第17回市民講座講演録 2-1

日時:2021年11月6日(日)午後2時~4時30分 オンラインセミナー

 

≪加速していく命の線引きと切り捨て

――安楽死・『無益な治療』論・臓器移植のつながり

講演 児玉 真美さん(フリーライター/一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事)

 

 

【児玉真美さんのプロフィール】

 1956年生まれ。広島県在住。フリーライター。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。1987年生まれの長女に重症心身障害がある。単著に『アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』(生活書院)、『死の自己決定権のゆくえ―尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』(大月書店)、『殺す親 殺させられる親―重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(生活書院)、『私たちはふつうに老いることができない 高齢化する障害者家族』(大月書店)など。共著に『〈反延命〉主義の時代―安楽死・透析中止・トリアージ』(現代書館)、『見捨てられる〈いのち〉を考えるー京都ALS嘱託殺人事件と人工呼吸器トリアージから』(晶文社 2021年10月下旬刊行予定)。 

【講演概要】

 第1回市民講座では、世界の議論や出来事を紹介しながら、安楽死、「無益な治療」論と臓器移植をめぐる議論は一つの流れになろうとしている、とお話ししました。あれから10年――。この間、3つの議論はそれぞれに広がりながら相互の繋がりを深め、命の選別と切り捨てを加速させてきました。日本でも衝撃的な事件が起こり、「死ぬ権利」を求める声が高まっています。10年という年月を意識しつつ、安楽死、「無益な治療」論、臓器移植という3つのテーマに沿って、そこで何が起こってきたのかを振り返り、今の時代がどこへ向かおうとしているのか、現実を見据えて考えたいと思います。

 

 

 

はじめに

 児玉です。本日は宜しくお願いいたします。

 ちょうど10年ほど前の2012年6月に、こちらでの講演をさせていただきました。実は私にとって、このような大きな場で講演する初体験でした。ものすごく緊張して、当日、会場の最寄り駅に着いたときに、このまま帰ろうか、立ったまま5分くらい悩んだくらいでした。まだPPTも使えなかったので、原稿を書いて、2週間くらいかけて全部覚えました。朝のウォーキングの時にぶつぶつ言いながら覚えるのですが、気が付くと夢中になって、身振り手振りがついていて、はっと我に返って恥ずかしかったのを覚えています。

 

 

2,2012年6月16日第1回市民講座では

 たぶん前日だったと思うんですけど、覚悟を決めるために山へ一人ドライブに行きました。で、ランチを食べていたら、日本で初めての小児からの脳死臓器移植が行われたと言うニュースがテレビに流れました。愕然としていたら、すぐに携帯が鳴って、当時バクバクの会の副会長だった穏土ちとせさんでした。二人とも衝撃のあまり、言っていることはお互いに訳が分からないのですが、それでも誰かと話していられることが救いでした。それくらい、いよいよ来た、という衝撃が大きかった。

 今回、川見さんから10年経ったからもう一度というお話をいただいて、すぐ思い出したのが、その時のことでした。その穏土さんがもうこの世におられない。その後、バクバクの平本あゆみさんも亡くなって、時が流れたことを痛感します。

 また、あの時レストランで呆然とした時の衝撃を振り返ると、今、厚労省で知的障害者等からの提供が議論されているということにも、10年の年月の重さ、苦さを感じざるを得ません。

 第1回の時のタイトルは〈一つの流れにつながっていく移植医療、“死の自己決定”と“無益な治療”論~臓器移植“先進国”と言われる国で起こっていること~〉でした。「移植医療」と「安楽死など死の自己決定権」、それから「無益な治療論」の3つが、どんどん接近してきて一つに合流していく、というお話をさせてもらったのですが、今回このお話をいただいて、過去の情報など改めて振り返ってみたら、ちょうど10年前の2011年から2012年のこの頃がいろんな意味で分水嶺だった、という気がします。

 ただ、お気づきかどうか、実は10年前と今とでは、私の講演タイトルの語順が違い、臓器移植が今回は最後に来ています。10年前も臓器移植の問題にさほど詳しかったわけではないのですが、当時は一応グーグル・アラートに臓器移植をふくむ沢山のキーワードを設定して、毎日大量の英語情報を読み込んでいました。ところが、世の中の変化のスピードがすさまじく、何もかもを追いかけていられなくなって、一つずつアラートを落としていくしかなくなりました。2013年の秋にちょっと力尽きて、最初のブログを一旦やめているので、たぶんその頃に臓器移植のキーワードも落としたんじゃないかと思います。

 それで、移植医療については手がついていなかった時期が長くて、前にブログに自分で書いたことまで頭から消えていたりします。今回、準備に当たって改めてブログ記事を読みなおしたり、そこからたどって、いくつか論文を読んだりしてみました。でもやっぱり10年経つと、忘れていることも多く、何より自分自身の老いが重いなぁと感じているところです。

 

 

3,『アシュリー事件』

 最初に、10年前にお話したことの背景を簡単に振り返ってみると、ちょうど第1回の市民講座の前年2011年に『アシュリー事件』という本を出しています。生命倫理関連で書いた初めての本でした。

 アシュリー事件というのは、米国の重症児の女の子から手術で子宮と乳房を健康であるにもかかわらず切除してしまい、ホルモン療法で身長を止めた、という事例が2007年に倫理論争を巻き起こしたものです。その事件との出会いがきっかけで、障害と医療と倫理問題を調べるようになりました。

 第1回市民講座の後の懇親会で、この本の副題に「新・優生思想」とあるが「新」とついている意味は何か?と、問われたのを覚えています。それについては、一応次の3点と整理しています。

 優生政策というのは、かつては国家施策として進められたわけですが、今は、

①圧倒的な技術力を背景に、

②個々の自由意思による自己決定・自己選択として行われ、しかも、

③それらがグローバルな新自由主義経済の下で市場原理に委ねられてしまう。

その結果として、とても見えにくく、コントロールが及びにくいところで命の選別というか線引きと切捨てが進んでいるんじゃないか。

 副題のもう一つのフレーズである「メディカル・コントロール」については、本文で「生きるに値するいのち、治療に値するいのちと、そのための資源として使い捨てられるべき命、そんな線引きの一切が医療に全権委任された世界」と説明しています。

 

 

4.広がる“コントロール幻想” もう人の身体も能力も命も思い通り?

 その頃に描こうとしていた世界のありようというのは、簡単にまとめてみると、要点はこんなことかなと思います。

 人体はカネになる資源になってしまった。それから科学技術をめぐる利権がこれまでのどの時代にもなかったほどに肥大化している、ということ。あたかも人の体も能力もいのちすら、もう如何ようにも操作コントロールできるかのような幻想が振りまかれて、その幻想で人々の欲望を掘り起こしてはマーケットが創出され、そのマーケットが次々に消費されていく。そういう経済構造が出来ているのではないか。

 たとえば、生殖をめぐる技術の発達によって、知的障害のない子どもを生みたい、病気にならない子どもを生みたい、頭のいい子、背の高い子がほしいという欲望が掘り起こされていく。その後、ちょうど第1回市民講座の直後に、皆さんもご存知のように、DNAを自由に切り貼りできるゲノム編集技術、クリスパーキャス9が登場して、遺伝子の改変をめぐる議論は一気に別の段階に進んだという感じがします。

 結局、これらを総じていえば、お金持ちが科学技術の恩恵に浴するために、貧しい人たちがバイオ資材として、あるいは奴隷労働の提供者として犠牲に供される世界ができてしまっている、ということだろうと考えています。

 

 

 

 

 

5.「死ぬ・死なせる」への力動(命の選別と切り捨て)

 その一つの表れとして、死ぬ、死なせるという方向に命を押しやっていこうとする力動が生じている。

 そこには2つのレベルがある。一つは、個々人のレベルで、先の「コントロール幻想」で掘り起こされていく欲望の究極の形として、死も自分でコントロールしたいという欲望が高まってきている。もう一方には、社会や政治のレベルで、効率や生産性によって人の価値を測る、そして一定の人たちを生きるに値しない命として選別し、切り捨てていこうとしている。

 この二つのレベルの動きがからまりあって「死ぬ・死なせる」という方向へと命を押しやっていく一つの強力な力動を形作っているように思います。その駆動の両輪となっているのが、ひとつは「死ぬ権利」を主張する議論と、もう一つが「無益な治療」論。

 また、この2つの議論はそれぞれに移植医療とのつながりをずいぶん深めてきました。今日、主にお話したいのは、ここの10年間でこの3つの周辺で何が起こってきたか、ということです。                                   

                                            

 

 

 

 

 

6.「死ぬ権利」の考え方

 まず、「死ぬ権利」という主張ですが、簡単に言ってしまうと、自分がいつどのような死に方をするかは自分に決める権利があるんだ、という考え方で、その権利を行使するために、具体的には医師に毒薬を注射して殺してもらう、これが積極的安楽死ですね。あるいは自殺するための毒薬をお医者さんに出してもらって自分で飲んで死ぬ、これが医師による自殺幇助といわれているものです。それは権利なんだ、だからそれを認める法律を作ろう、というわけです。 

 

 

7.積極的安楽死and/or医師幇助自殺が合法化されているところ

 10年前の第1回市民講座の段階では、安楽死と医師幇助自殺が合法化されていたところは、7か所だけでした。今は、安楽死と医師幇助自殺、両方で17か所増えて、全体で24か所となっています。

 2009年あたりと2016年あたりに大きな波があって、それ以降、続々ドミノ状態となっています。他に、ややこしい紆余曲折はありますが、ドイツの裁判所で2020年2月に死の自己決定権を合法と認める判決が出ている。オーストリアでもそうした判決があって、先月、自殺幇助合法化法案が議会に出されました。両国とも大きなステップが踏まれたということかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8.転換点としてのカナダの合法化(2016)

 2016年のカナダの合法化が大きな分水嶺となったように思います。ここで法律の文言が変わりました。もう安楽死でも自殺幇助でもない。両方を一緒にしてMAID(Medical Aid in Dying)。そのまま訳せば、死ぬときに医療の助けを借りることです。これによって安楽死も自殺幇助も緩和ケアの一端として法的に位置づけられたと私は感じました。このあたりを境に、いろんな国の議論でも、類似の言い換えが当たり前になっていきました。

 それから、カナダはこの時、条件付で上級職の看護師にも薬剤師にも実施を認めました。薬剤師は自殺ほう助の方だと思います。ナース・プラクティショナーに実施を認めているのはカナダが初めてではないですが、この後で世界に広がりを見せていきます。そして、カナダでは合法化からわずか4年で、対象の拡大が決まりました。実際にはコロナ禍の影響でごたごたしたので、法改正は今年3月に行われました。合法化の当初は終末期の人限定だったのが、今回の法改正で、重病や重い障害のある人に対象が拡大。精神障害のみの人を含めるかは決着つかず、2年先送りになっています。

 そのほかにも、プロセス上の細かい要件がいろいろ緩和されています。署名の立会人の人数が減ったり、一定の人には待機期間がなくなったり、最近の傾向の一つとして、新たに合法化するところでも、すでに合法化されたところでも、こうした細かい手続き上の要件の見直しが行われて、じわりじわりと、よりアクセスしやすく、という方向に向かっています。 

                                         

 

 

 

9.オーストラリアの「すべり坂」

 「すべり坂」というのは、慎重にと言いながら、ある方向に足を踏み出すと、そこは足元がすべりやすい坂道になっていて、いったん足を滑らせたら最後、どこまでも歯止めなく滑り落ちていく、というたとえです。新たなところが合法化すると、どこかがゆるくなっていく、という現象が顕著になっていて、わかりやすいのは最近のオーストラリアです。

 ヴィクトリア州が17年に合法化した際には、一般の人では余命6か月以内の人に医師幇助自殺のみ認められ、自分で薬を飲めない重度障害者に限って余命12か月から安楽死を認める、という条件だったものが、2年後に西オーストラリア州が合法化した際には、余命の要件は同じですが、どちらの人も安楽死が可能となりました。

 その後、タスマニア州と南オーストラリア州の合法化と続き、今年9月に、クイーンズランド州。クイーンズランド州では、どちらの人にも余命12か月と、要件を前倒し。さらに、他の州では、医療サイドから安楽死の話を持ち出すことは禁じられているのですが、クイーンズランドでは医師から話を持ち出してもよいことになった。これは教唆の恐れがあるんじゃないでしょうか。

 このように、どこかで動きがあるたびに、じわじわとラディカルになっていく感じがしています。        

 

 

 

 

 

10.スイスの自殺幇助ツーリズム

 次に、いくつか、いわゆる先進国の状況をお話しします。外国人でも合法的に自殺幇助が受けられて、自殺ツーリズムで有名なスイス。

 第1回の市民講座の時(10年前)には、外国人を引き受けるのはディグニタスだけでした。そのディグニタスでは、終末期ではない人、重度障害者、健康な人の自殺幇助まで行われているということを紹介しました。その段階では私は知らなかったのですが、実はその前の年11年に、ライフサークルという、もっとラディカルな自殺幇助機関ができていました。これがスイスの自殺ほう助の一つの節目となったように思います。

 ディグニタスを立ち上げたのは高齢の弁護士でした。医師でないので、あくまでも外部の医師が処方した薬物を自分のところに来た患者が飲む、それを支援するというやり方でした。しかしライフサークルをやっているのは医師なので点滴が使えます。医師が入れた点滴のストッパーを患者が自分で開放して自殺する。より安楽死に近い方法になりました。これで、障害のために自分で薬を飲み下せない人でも自殺可能になりました。また、この医師は、終末期でない人たちへの自殺幇助にとても積極的な人です。

 このライフサークルに、2018年にTVクルーが入りました。連れてきたのは、「死ぬ権利」の活動家と一緒に記者会見をやって自殺した豪の科学者グッダールさん。それでも、この人の時には、彼が書類に署名したところまで撮られて、その後TVクルーは部屋の外に出された。

 ところが同じ年の11月に、日本人の小島ミナさんがライフサークルで自殺し、それを撮影したNHKが19年6月2日にNHKスぺシャルとして放送した際、死の瞬間まで映されました。多くの組織が声明を出して批判していますが、あれは放送倫理違反だと私も思います。

 

 

11.2019年8月グッダールさんの事例に触発されてさらにペガソス誕生。

 グッダールさんの事例は世界中で大きく報道されましたが、その影響力は大きく、この事例に触発されたスイスの人たちが、19年にさらにペガソスという団体を立ち上げています。HPには、健康状態にかかわりなく、自分がいつどのように死ぬかを決めるのは個人の権利だと謳っています。世界で最も安楽死がしやすい国と言われるオランダからも自殺希望者が押し寄せているという情報もあります。

 ディグニタスからライフサークル、そしてペガソスのこの対象者像へと考えると、スイスのすべり坂は世界のこれからを示唆しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12.ベルギーとオランダこの10年

 ベルギーとオランダのこの10年について簡単に。法律の「耐え難い苦痛」という要件に精神的な苦痛を含めているので、いろいろ衝撃的なできごとが起こってきました。12年には、生まれつき耳の聞こえない40代の双子の男性が、近く目も見えなくなることが分かって絶望して二人揃って病院で安楽死。性転換手術の失敗で絶望した人の安楽死も認められたり。両方とも12年のできごとです。

 オランダでは、この年に機動安楽死チームがスタートしています。安楽死を希望しても引き受けてくれる医師が見つからないという人がいて、その需要に応じるためにできた制度で、医師と看護師が車で自宅にやってきて安楽死を引き受けてくれる。この制度ができて安楽死が急増したとも言われています。両国とも、精神障害者や認知症の人の安楽死件数が増えています。

 すっかり有名になったのが2016年のコーヒー事件です。オランダの高齢女性が、認知症になって、まだ軽症の時に、今後、重症化して介護施設で暮らすくらいなら安楽死を望むと事前指示を書いていました。実際に入所すると、意志確認に対しては否定的だったけど、施設の医師は苦しんでいると判断して、入所からわずか7週間で安楽死させました。施設の医師は生活の場にいる人ではないので、入所して2ヶ月でその人のことがどれだけ分かるのか疑問です。しかも当日はコーヒーに鎮静剤を混入して飲ませ、点滴に抵抗すると家族に押さえつけさせるという強引なやり方でした。

 批判も出てオランダで初めて医師が起訴された事件になったけど、善意にもとづいての行動だったとして、昨年、無罪が確定しました。すると、びっくりしたことに、それを機に新しいルールができました。事前指示がある認知症の人はその後は意思を確認する必要はないというのです。安楽死の時期は医師が決めてよい、しかも不穏が予想されたら食べ物や飲み物にこっそり鎮静剤を混ぜて飲ませてもいいとなりました。

 昨年は、オランダ議会は75歳以上の高齢者なら重病でなくても認める方向の法案が出されました。17年に続いて2度目です。まだ法案は通っていないと思いますが、この先繰り返されて、いずれ通るのかもしれません。

 

13.オランダでは知的/発達障害者も

 オランダでは知的障害のある人、発達障害のある人にもすでに安楽死が認められ、実際に行われています。英国の医師らの調査では、医師の個人的な価値観が影響しているとの指摘もでています。

 ベルギーでも、精神障害に苦しむ女性が安楽死を望み、直前に発達障害と診断されていた。にもかかわらず医師は安楽死を認めたが、まず発達障害の治療をすべきだったと家族が訴えた訴訟もあります。

 障害のある人が生きるための支援を権利として求める声はなかなか聴いてもらえないのに、こうして死ぬ権利だけはたやすく認められていく。しかも、いったん死ぬことが権利だとなれば、障害のない人に認められることが障害のある人には認められないのは差別だ、という論理が成立してしまう。そういう意味では、死ぬことを権利とする考え方そのものに、すべり坂が内包されるのではないかと思います。

 

 

14.安楽死は臓器提供と既に直結(ベルギー・オランダ・カナダ)

 日本ではほとんど議論になりませんが、ベルギーとオランダとカナダでは安楽死はとっくに臓器提供と直結しています。もちろん安楽死と臓器提供の意思決定はそれぞれ独立していなければならないとか、順番も安楽死の意思決定が先でなければならないとガイドラインはあるのですが、両方とも自己決定であれば、手術室のすぐそばで安楽死させて、心停止から数分間待って臓器を摘出する。両国合わせると2016年までに40人以上との報告があります。ただし、始まりはベルギー2005年、オランダ2012年なので、それに比べるとカナダは2年あまりで30人という、すごい勢いです。安楽死を希望する人の多くはガン患者だけど、ドナーになれないので、安楽死後ドナーの多くはALSなど神経筋肉疾患の人、それから精神障害者です。

 安楽死は、いつどこで誰が死ぬかが分かっていて、新鮮な臓器が効率的に採取できる稀有な状況な訳です。2020年のある論文には、交通事故が減って脳死ドナーの減少が問題になっている中、安楽死後臓器提供は、ICUの生命維持中止事例に次いで、有望なドナー・プール増大策だと、書かれています。「ICUの生命維持中止事例に次いで」とあるところが、「無益な治療」論と移植医療のつながりの話になるわけですが、これについては後で詳しくお話しします。

 こうなると、いっそ生きているうちに麻酔をかけて臓器をとらせてもらってはどうかという話が出てきます。臓器提供安楽死を検討する論文が初めて出たのは2010年でした。今では関係学会で議論されていると聞きます。

 

 

 

 

15.「すべり坂」の警告

 こうした状況に、オランダやベルギーで当初は安楽死を推進してきた医師から「すべり坂」に対する警告が発せられています。テオ・バウワー医師は、自分たちは終末期で耐え難い痛みのある人への例外的な救済策として合法化したのに、対象は、もともと自殺リスクが高い人たちに歯止めなく広がってきたと指摘しています。安楽死という選択肢があれば安心材料になって自殺は減ると言われたが、実際にはオランダの自殺者は増えていると。その背景としては、死ぬことが問題解決の方法として社会に受け入れられていったからでは、と言っています。

 今後は終身刑の囚人や親が望む障害児に広がるだろう、と予測する医師もいます。どこの国でも、監獄の人口密度と囚人の高齢化に困っている。その手っ取り早い問題解決の方法なのだなと思います。

 それから、安楽死の議論には医療コスト削減の問題が付きまとっています。カナダの対象者要件緩和の審議にも、参考情報として、予算局から医療費削減データが出されました。

 このように海外の実態について知れば知るほど、人口調整や社会保障コスト削減、人体の資源化と有効利用などの意図が透けて見え、政治と経済からの要請に押されて、制度化された安楽死が、社会のお荷物とみなされる人たちを都合よく始末するためのツールに堕していくリスクが懸念されてしまう。

 

 

16.日本でも「安楽死」を望む声

 この10年間、日本でも安楽死の合法化を求める声が、くすぶり続けてはいたけれど、とりわけ、この5年間で安楽死という言葉が世の中にわっとあふれてきました。2016年の相模原障害者殺傷事件、その翌年の橋田寿賀子さんの著作、さらに、先にお話した小島ミナさんのライフサークルでの自殺を取り上げたNHKスペシャル。そして、京都ALS嘱託殺人事件が報道されました。ご存じのように、安楽死を望むALSの女性とネットで知り合った医師が2人で金銭で請け負って、殺害したという事件です。

 こういうことがあるたびに、日本でも安楽死を合法化すべきだという声が巷にあふれる。気になるのは、これらの折々に議論になる安楽死の対象者は終末期の人ではないことです。日本の安楽死の議論は、このように終末期の人をすっ飛ばして、最初から健康な高齢者だったり、終末期ではない重度障碍者の安楽死を合法にしようという議論です。これ、議論の前に前提のところで滑ってしまっている、しかも誰もそのことに気づかない。

 なぜ、この議論はこんなに簡単に滑るのか、なぜ我々はそのことにこんなにも無自覚なのか、というところにこそ、この問題の本質的なあやうさがあるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

17.「死ぬ権利(積極的安楽死)」=「医療によって殺してもらう権利」?

 日本でも「死ぬ権利」という言葉も頻繁にみるようになったので、生きる権利があるなら死ぬ権利も認めろというのは分かり易いようですが、死ぬことが権利になるとはどういうことかを、ちょっと考えてみたい。

 そういう権利が仮にあるとして、それを誰が保障する責を負うのか。国家の意思として、あるいは社会の総意として、医療に殺すことを認めたり委ねる、ということをしていいのかと考えてしまいます。政治権力と医療が手を結んで行われた人権侵害は歴史上、枚挙にいとまがありません。

 一方、個々の医師にとっても、これは大変なことです。私の講演を聞いてくれた麻酔科医が、言われたことがあるのですが、「安楽死と同じ薬を使って毎日仕事をしながら、自分はいかに死なせないかに神経を集中してきた、だから、その発想を転換することが想像できない」。こういう医師にとっては、殺す行為を求められるのは苦痛ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

18.安楽死が「患者の権利」となれば、医師は「殺す」ことを義務付けられる

 実際、安楽死を合法化した国では、殺すことが事実上、義務付けられるという面がある。やりたくなければ自分で手を下すことまで強要はされない。ただし、患者から求めたあった場合には、やってもいいと用意のある医療職の情報を提供したり紹介する義務を負う。

 カナダでは、合法化された際に、キリスト教系のホスピスが自分のところではやらない、という方針を立てたところ、安楽死は合法的な医療サービスだから、やらないなら政府の資金を引き揚げる、と言い渡されたという事例が訴訟になりました。

 このように、安楽死が権利になるということは、希望する人には提供されるべきサービスになるということ。

 

 

19.制度化された安楽死における医師の強大な権限

 昨年、カナダのある判決では、「最高裁が合憲と認めた上で立法府が制度化したものである以上、MAIDは合法的な医療サービスであり、利用するのは個人の権利だ」と明確に書きました。オランダやベルギーの法制化の当時は、きわどい医療行為をする医師への免責という意味合いが大きかったと思うのですが、ここにはっきりとみられるように、安楽死を患者の権利とする方向に変化してきています。

 そのカナダの判決では、もう一つ、とても重大なことが言われている。日程まで決まった夫の安楽死を止めようと妻が起こした裁判で、妻は「夫は終末期ではない」、認知症気味だったので、その混乱の中で決断したことであり「意思決定能力が無い」と訴えました。そこで、争点は2つになりました。男性の病状が本当に法律の条件を満たしていたか。男性に意思決定能力があったか。判決は、どちらについても判断する権限は裁判所にはない、という立場をとりました。法律によって、それらのアセスメントは医師の専門性に委ねられているというのです。

 実際、オランダのコーヒー事件に限らず、ずいぶん乱暴なことが行われて家族が訴えた事例もあるのですが、いったん合法化されると、手続き上よほどの逸脱がない限り、医師の判断や行為が法的責任を問われることはないですね。つまり、誰は死んでもいいか、誰は死んではならないかを決めるのは、医師だと。まさに、最初のところでお話した、メディカル・コントロールの時代と言えます。

 

 

20.「死の自己決定権」の一方で増大する医師の決定権「無益な治療」論

 「無益な治療」論というのは、本来は、終末期や臨死期の人に、医学的に無益な延命はやめようという話だった、いわばまっとうな議論だったものが、QOLの低い人への積極的治療や生命維持を無益とする方向に対象者が拡大してきていて、安楽死と同じすべり坂が起きています。

 最もラディカルとされるのは米テキサスの事前指示法で、10日間だけ転院先を探す猶予を与えた後で、10日で見つからなかったら生命維持を引き上げてもよい、というものです。でも、この法律は「無益」を定義していないのですね。その判断は医師の専門性に委ねられている。ここも安楽死制度と同じです。

 これに対して、障害者運動からは、無益の判断には医師の個人的な偏見が影響している、と懸念の声が上がり続けています。実際、それが疑われる事例が数多く報道されています。10年前には抗う家族からの訴訟が次から次へと報道されていました。具体的な事例については拙著『死の自己決定権のゆくえ』と『殺す親 殺させられる親』にいくつも書いていますので、良かったら読んでください。

 こういう事例が今またコロナ禍で増えているという気がします。後でまたちょっと触れますが、無益論には、トリアージの議論とも地続きの問題があります。

 安楽死法制化の一方でこうした無益論が広がっているということは、合わせて考えたときどういうことでしょうか。QOLが低すぎると医師がみなした患者では、生きるという方向の自己決定は認められないということだと思います。自己決定権が認められるのが「死ぬ」の一方向に限定されているとしたら、そんなものが本当に権利なんでしょうか。

 

 

 

21.安楽死と同じ「すべり坂」が起きている

 さっきお話したように、無益論でも、安楽死と同じ滑り坂がさまざまに起きています。

 カナダに、たくさん訴訟が起こっている無益論の最先端の病院があって、その病院の医師が裁判で証言した言葉を報道から拾うと、「この患者は救命しても元の機能レベルには戻らないから治療は無益である」、「救命・延命しても、24時間要介護状態になって施設ケアが必要になるから、治療は無益である」と。

 本来、個別具体の医学的議論のはずのものが、いつのまにか、こんな話になる。治療の無益じゃなくて、QOLを根拠に患者を選別する、患者の無益論に変質している。しかも無益論というのは、それは医師が決めることだ、という立場です。つまり医師に決定権があるという議論なんですね。一方の安楽死の議論は患者に決定権があるとする立場ですから、そこに決定権の対立があることが大事な点だと思います。

 

 

22.コロナ禍でのトリアージの議論(米) 

 コロナ禍でひっ迫する病床や人工呼吸器やエクモなどの医療資源をどのように分配するか、という議論が出てきており、ここに今お話しした「無益な治療」論が潜んでいると私は思います。

 米国ではどんな議論になっているか。詳しくは「地域医療ジャーナル」に書いていますが、ここでは、エゼキエル・エマニュエルという、非常に影響力の大きな倫理学者を中心に10人が去年5月に出した論文を紹介します。

 キーワードはfair allocation。タイトルにあるように「公平な分配」。これ以外にも、いくつかの論文を読

んでみたのですが、もちろん年齢で線引きしろという人もいるけど、多くの学者は、公平を説いてい

るんです。年齢とか障害の有無とか性別などの患者の属性で一律に線を引くのは差別だから、やっちゃいかん、と書いている。そうではなく、全ての患者に 公平な基準があてはめられるべきだ、と主張する論文が大半です。

 ところが、不思議なのは、全ての人にその公平な基準があてはめられた結果どうなるかというと、結局のところ、これまで無益論で切り捨てられてきたのと同じ人たちが排除されて終わる、という、まるでロジックの手品というか、そういう不思議さがあります。

 エマニュエルらの論文では、コロナ禍で限られた資源を分配する際に重視すべきだと主張している4つの価値があげられています。

①利益の最大化。具体的には最も多くの命を救う、あるいは救命後に生きられる年数を最大化することです。一方に持病があって救命されても数年しか生きられない人がいて、片方に救命後に40年生きられると思われる人がいたら、後者が優先される、ということ。

②人々を平等に扱うこと。これが、さっきの、属性によって別扱いするような差別をしてはいけないという話。

③手段(道具)的価値。社会にとってその人がどのような道具としての価値を持っているか。最前線

の医療職や、社会インフラを担う、エッセンシャルワーカーのこと。ただし、エマニュエルらは「専門性が高く代替えが困難な人たち」と言っている。例えば、ロックダウンの時でもごみを収集してくれる人たちだって、エッセンシャルワーカーだけど、専門性が低いから誰でもできる、代替え可能だから含まれない、ということだろうと思います。

 手段的価値に関しては、また別の論文で、「これまでに多くの命を救ってきた人、医療によって助けてあげれば、これからも人の命を救ってくれる人を優先しよう」という主張もありました。多くの人は、こういうのを聞くと、納得してしまう。でも、そこに障害のある人を配置してみると、ずいぶん怖いことにならないでしょうか。

④最も恵まれない人の優先。worst offを「恵まれない」と訳してみましたが、この表現は訳すのが難しいけれど、ニュアンスとしては「最も分が悪い状態に置かれている人」。誰のことを言っていると思いますか? 障害のある人たちとか、貧しい人のことだと思いませんか。一瞬、私もそう思ったんだけど、全然違うんですよ。コロナで死んだらどれだけ多くのモノを失うか、という観点なんです。80歳の年寄りはもうこれまでに人生を十分に生きて楽しんできたからコロナで死んでも失うものは少ないけど、まだこれから人生を楽しめるはずの若い人が死んだら、失うものははるかに大きい。そういう論理です。論文には障害者のことは出てこないけど、この論理で行けば、障害のある人はもともとQOLが低い人生を送ってきていると見なされるので、死んだって失うものは少ないととらえられるのかなと推測します。 

 

2-2へ続く


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