臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

「脳死」は人の死ではありません。「脳死」からの臓器摘出に反対します。臓器移植以外の医療の研究・確立を求めます。

“脳死”臓器移植について考える市民と議員の勉強会のお知らせ(第2回)

2010-03-28 11:29:20 | 活動予定

“脳死”臓器移植について考える市民と議員の勉強会のお知らせ(第2回)

 

日時:2010年4月14日(水)12時30分~14時30分
会場:衆議院第二議員会館・第4会議室

講演:川島孝一郎さん(仙台往診クリニック院長)
 重症患者の在宅支援医療に携わって、医師は脳死患者と家族にどう向き合うべきか!?

 川島孝一郎医師は、現在、人工呼吸器をつけた患者45名を含む多くの患者さんの往診診療を行っておられます。脳死と診断された患者の在宅生活も支援されてきました。
 医師は脳死患者やその家族にどう向き合うべきか? 一人ひとりの患者の命の尊厳とは?
 厚労省「終末期医療のあり方に関する懇談会」委員としても発言されている川島孝一郎さんのお話をぜひお聞きください。

主催:臓器移植法を問い直す市民ネットワーク

*A4版2ページの案内チラシ(ワード形式、61キロバイト)も、ここをクリックしてダウンロードしてご活用ください。


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新臓器移植法を問うシンポジウム(2010年1月31日)の報告

2010-03-07 08:26:52 | 集会・学習会の報告

2010年1月31日、新臓器移植法を問うシンポジウムを開催

 

 1月31日「新臓器移植法を問うシンポジウム-子どもの救命と脳死と移植-」を開催しました。改定臓器移植法の7月施行まで半年、休日にもかかわらず約130名の方が参加され、脳死と移植をめぐるさまざまな角度からの問題提起に耳を傾けました。
 当日は川田龍平参議院議員が出席され、小児脳死判定基準や小児の虐待の問題、親族優先提供の矛盾、知的障害者をドナーの対象としていいかなど、国会でも具体的に問題にしていきたいとの挨拶がありました。メッセージを寄せていただいたのは阿部知子(社民党衆議院議員・秘書が出席)、円より子・白眞勲(民主党参議院議員)、北神圭朗・郡和子・初鹿明博・川口浩・辻恵(民主党衆議院議員)、阿部俊子(自民党衆議院議員)の各議員です。笠浩史衆議院議員(民主党)からは当日電報をいただきました。
 パネラーは発言順に岩澤倫彦(ジャーナリスト/ニュースジャパン調査報道班・専属ディレクター)、植田育也(静岡こども病院小児集中治療センター長)、永瀬哲也(脳死に近い状態と診断された子の父親)、近藤孝(南労会・紀和病院院長)の各氏で、司会は東京海洋大学の小松美彦氏(科学史/生命倫理学)。
 以下にパネラーの方のお話の要約を掲載します。

 

 「救急と移植の医療現場を取材して」 ジャーナリスト岩澤倫彦(いわさわみちひこ)さんのお話
 C型肝炎特集の取材中、夫が妻に生体肝移植で臓器提供を求める場面に立会いました。“生きる欲望”とはいえ、臓器を求めることは究極のエゴイズムだと感じました。
 子どもの渡航移植については、報道によって募金が集まり、渡航が実現したことを単純に喜び、「日本でも小児の臓器移植を可能にすべき」という立場をとりました。しかし、その後にドナー家族を取材して、温かい体にメスを入れて動いている心臓を取り出す行為にも疑問を抱きました。 臓器移植の報道に大きく迷いを感じながら、新たな特集をスタート。渡航移植の募金に来た親子連れに、自分の子供をドナーにできるか?インタビューすると「難しい」「想像したことはなかった」という反応でした。つまり、脳死移植の現実をリアルに想像した人は少なかったのです。
 市立札幌病院の鹿野医師は、『脳低温療法と人工心肺装置』によって数多くの患者を救ってきました。彼は、日本トップレベルの治療をした上で、脳死に至った患者の家族に対しては臓器提供の選択肢を説明しています。その姿勢には共感を覚えました。
 いっぽう、沖縄県立中部病院のNICU責任者・小浜医師は、「一度フラットになった子供の脳波が戻ることがあった。僕は、脳死=死ではないと思う」と証言しています。
 臓器移植法改正に向けて、「脳死=人の死」という気運が国会の中で形成される中で、長期脳死の「みづほくん」という子どもの存在を報道しました。1歳のときに突然、脳症になり、昨年の秋(10歳)まで生き抜いたお子さんです。こうした報道に対して、移植医のグループは、「長期脳死は臓器移植のドナーとなる脳死とは違い、誤解を招く」として、BPO(放送倫理・番組向上機構)に訴えると宣言していましたが、その後は音沙汰ありません。改正案が成立した今、報道が何をすべきか考えています。

 

小松:1月17日から親族優先提供が始まり、親子と夫婦の間で指定できることになりました。本丸は7月から施行で、臓器移植法の枠内で脳死を一律に人の死と規定し、その上で臓器提供は本人が拒否の意思を示していない限り、家族の承諾だけでいいということになる。この方法によって、子どもからの心臓移植も可能になるわけです。脳死者は大半の場合、救命救急の医療現場で発生します。そこで、静岡こども病院集中治療センターの植田育也さんに、特に小児の救命救急医療現場はどういうものか、お話していただきたいと思います。

 

 「小児救命救急医療の現状と課題」 静岡こども病院集中治療センター長の植田育也(うえたいくや)さんのお話
 こんにちは。植田と申します。私は小児集中治療医学、PICUの専門医です。NICUは新生児の集中治療、ICUは15歳以上の大人の集中治療をおこなう場所ですが、PICUは新生児から15歳までが対象です。私はアメリカで4年間研修後帰国し、長野こども病院、その後静岡こども病院でPICUを作って運営しています。
 この集中治療医学の対象はその場で治療しないと生命の危険のある患者です。成人のICUの歴史は1950年代にスウェーデンで初めて作られ、日本では70年代に作られました。PICUはアメリカでは1967年に発足し、日本は未だ未整備、40年遅れています。PICUはさまざまな所から搬送されるどの患者にも人工呼吸器や強心剤を使うなど、常に集中治療を行なう場所です。
 日本の1歳から4歳までの死亡率は主要先進国中ワースト2位です。0歳の死亡率は先進国平均値の60%、大人は80%と低いのに、1歳から4歳までの死亡率は先進国の平均値の120%と高いのです。1~4歳の死亡率のワースト1位は米国ですが、米国は他殺が多いので、それを除くと日本が一番高いのです。その内訳は4割が不慮の事故で6割が病気です。この原因にはいろいろな説がありますが私はPICUの未整備の結果であると考えています。
 そもそも救急医療はどんな患者にも対応しなくてはいけないので、臓器専門の近代医療の中では底が浅いとされてきました。その中で成人中心のICU、新生児のNICUがようやく整備されてきました。現状では子どもの救命救急医療を専門に行う病院はほとんどなく、そのような命の危険にさらされた小児も頻度が低いので、その様な実態が市民に知られていません。現状では重症の子どもの治療には大人の救急医や集中治療医があたるか、小児科の医師が通常診療の合間に診るかであり、厚生労働省の医療カテゴリーでも小児の救命救急は成人と一緒でよいということになっていました。1~4歳の死亡率の高さはその結果だと考えられます。
 静岡こども病院PICUは、現在12床で医師は13名、看護師は32名、年間500人を診療し、うち救命救急患者は200名。その3分の1は事故、3分の2が病気で、ドクターヘリで広範囲から搬送されています。氷が張っている池に落ち30分間心肺停止状態でドクターヘリが収容搬送し回復した例もあります。過去3年間に溺水患者16名中14名を回復させました。今年度は、40名の新型インフルエンザ重症患者がヘリで搬送され、一人の死亡者も出さず救命しました。PICUを作ってから静岡県の子どもで当院にたどり着かないで亡くなる子どもの数は20%減少しました。
 最後に、小児の脳死を考えるにあたって、まずは小児の救命救急医療の整備を訴えたい。小児の重症患者を迅速に運び、最高レベルの救命医療が尽くされるべきで、実際はそれが出来ていない現状があります。すべての小児に最高レベルの救命医療を担保する、脳死にさせない医療を提供することが前提です。もちろん救命を尽くしても亡くなる患者さんはいます。当院PICUでも年間500名中10名くらいは亡くなります。看取りをどうするか、家族へのケアーをどうするか、それらは長いプロセスの中にあり、最後に脳死判定・臓器移植があります。脳死・臓器移植は、まずは、しっかりとした救命医療の担保なしには成り立たないでしょう。臓器移植法の施行は7月ですが、小児の救命救急医療の整備を急がなくてはいけない。チャイルドシートなどの予防も大事ですが最後の砦はPICUです。

 

 小松:以前に救急の医師に「1ヶ月に何度家に帰れるのですか」と伺ったことがあり、その答えはたった1回ということでした。植田さんが仰ったように救命医療を拡充し尽くしても脳死状態のお子さんは出る、しかし我々が言葉で知っている脳死者と実際の脳死者とは乖離しているのではないか。そこで脳死に近い状態と診断されているお子さんのお父さんである永瀬さんにお話していただきます。

 

「人工呼吸器をつけた娘と暮らして思うこと」-娘が脳死に近い状態と診断されている永瀬哲也(ながせてつや)さんのお話
 2007年5月に生まれた娘 遙は「13トリソミー(13番目の染色体が3本の異常)」という障害を持って生まれました。この病気は予後が悪いので治療の必要があるかとも言われてきた病気ですが、医師にもいろんな考え方があり、見直しの動きもあります。最初にかかった日本を代表する小児科専門病院では「人工呼吸器使用などの積極的な治療を希望するなら他の病院へ行ってほしい」といわれ、別の病院で出産しました。
 心室中隔欠損で手術をするかどうかの説明を医師から受けたことがあります。それは正確で誠意ある説明で、あとで患者家族が後悔しないように医学的にわかることとわからないことをきちんと伝えてくれました。結局迷っていた生後2ヶ月のとき、在宅への移行準備中の試験的な自宅外泊時に、ミルクを戻し心肺停止に陥りました。医師にできることは現状維持といわれ、脳死に近い状態であることを理解しました。医師団の懸命の努力で安定し、1歳前に退院、以後自宅で療養しています。この1年8ヶ月間は訪問看護の方々の暖かいサポートを得て穏やかに暮らしています。今の娘の状況は脳死なのかどうかはわかりません。CTは真っ白で意識なく、体温を調整できない状況です。脳死判定は受けていませんし、今後も本当に命を失いかねない危険な無呼吸テストをさせるつもりもありません。
 脳死の状況に近い遙の状況を聞き、親としては考えなければならないことはすべて考えなくてはいけないと思う過程のなかで無知なまま「脳死=臓器提供」ということも一度は頭に浮かびましたが、乳児でしたのでその対象にならないことをすぐに知りました。娘と家族3人穏やかに暮らしていたとき、脳死・臓器移植の報道があり、特に子どもからも脳死下臓器提供が可能になりそうと聞き、一方で動いている臓器を取り出すなどということは一体どんな理由があると許される行為なのかと思い、調べてみると、脳死を死とすることの基本的な考えや脳死判定基準は科学的ではないことがわかりました。国会における移植推進派の方の意見を聞いても、巧妙に議論のすり替えが行なわれており、疑問が怒りに変わりました。既に科学的根拠のないとされている「脳死=人の死」が、臓器の自給自足とか、「役に立たない命は役に立つ命のために使われるべき」という意見で正当化されており、功利主義・効率主義がここまできてしまったのかと思いました。
 人工呼吸器をつけて動くこともできない状態を痛々しい、自分はそうなりたくないという考えはどこから出てくるのでしょうか。そういう状況の患者を見て痛々しいというのであれば痛々しくないケアというのはどういうものかということを求めるべきでしょう。訪問看護師の方は「遙ちゃんに会うと元気が出るわね」といってくれる。遙を見て自分もがんばらなくてはならないという人がいればこんな子でも社会貢献しているのかなと、もっと親ばかを言えば、経済効果も少しはあるのかなと思います。
 私は医師は科学者だと信じている。科学者であるなら「脳死=人の死」の非科学的要素をきちんと一般人に正確に伝えてほしい。正確な情報提供がない中で脳死のとき臓器提供しますかという判断を素人にさせるのは無責任な行為である。情報提供するべき報道もニュートラルではない。「脳死=死」の考えが科学的根拠を失っている事実を報道してほしい。今後日本は経済的に衰退していくと思うが、経済合理性で人間の価値に優先順位を付けるのではなく、何を大切にしていくのかを忘れると私たちは失うものが多いのではないでしょうか。

 

小松:はたして、脳死は死と言えるのか、言えないのか。最後に、この最も肝腎な点について、紀和病院院長の近藤孝さんにお話していただきます。

 

 「脳死判定は非科学的であり危険である」 紀和病院院長長の近藤孝(こんどうたかし)さんのお話
 近藤といいます。高野山の麓の病院から来ました。日本救急医学会、脳神経外科学会は脳死からの臓器提供を推進しておりますので、私の意見は主流ではありません。私は40年医者をやっていますが、人工呼吸器をつけていても生きている限り権利も義務もあり投票用紙も届くと、患者から教えられました。
 世界で初めての心臓移植がグラビアに掲載された1968年『ライフ』誌。その後心臓移植が世界中に広がり、和田移植は30例目でした。68年のアメリカ医学会雑誌が「不可逆性昏睡」のハーバード基準を発表しましたが、それは脊髄反射もないというものでした。日本では日本脳波学会が1968年に「脳死とは回復不可能な脳機能の喪失である。脳機能には大脳半球のみでなく脳幹も含まれる」と定義して、74年に初めての脳死判定基準を作り、6項目の基準を決めましたが、その第4項目は「急激な血圧低下とそれに引き続く低血圧」で、この6項目基準は必要十分条件であると結論していました。必要十分条件ということはひとつでも抜けると必要十分条件でなくなるということなのに、1985年の厚生省研究班・竹内基準ではこの項目が外されたのです。
 そしてこの時も「脳死状態は絶対に慢性化することはない。通常、脳機能停止から1~5日以内に心機能も停止する」と規定して、しかし「本指針では脳死をもって人の死と定めていない」と結語しました。そして子どもは回復する場合が多いので「6歳以下は外す」としたのです。それが92年の「脳死臨調」でまた定義が変わり、「脳死とは脳固有の機能と身体各部を統合する機能が不可逆的に失われたことを意味し・・」とされました。このように「脳死」の定義と判定基準は、次第にあいまいになるように変更されてきました。特に小児においては24時間以降に脳波が回復する例や自発呼吸が回復する例もあり、決して科学的な根拠があるわけではありません。今回「脳死」者の犠牲の上に立つと、今度は「移植をしなくては延命できない状態の人」が犠牲になるのではないか、と危惧しています。

(後半のパネルディスカッションの要旨は次ページに掲載)


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新臓器移植法を問うシンポジウム(後半)パネルディスカッションの報告

2010-03-07 08:08:08 | 集会・学習会の報告

新臓器移植法を問うシンポジウム(後半)パネルディスカッション

 

 後半のパネルディスカッションでは、会場からの質問もまじえながらさまざまな観点から話されました。以下はその要約です。

【虐待による死亡は?】
岩澤:植田先生、小児死亡例では不慮の事故が4割とのことですが、そのうち虐待によるケースはどの程度なのでしょうか?
植田:それはわかっていない。どう見つけていくかは脳死と関係なく救命医療の大きな課題です。
小松:米国では子どもの脳死で、その3~4割が虐待が原因という統計調査があります。

【虐待を見分けられますか?】
植田:専門医として診療すればできます。脳死判定とか移植の場合、確実に虐待でないものを選別することになります。医療ネグレクトや性的虐待など解きほぐし診断して公にするのは難しいですが、それを診断しきることと脳死とは必ずしもリンクしないことを理解していただきたい。

【1歳から4歳の死亡率が高い原因は? PICUはなぜ普及してこなかったか?】
植田:大学に救急医学教室ができたのが20~30年前で救急医療そのものの重要性の認知が遅い。なかでも小児救急の現状は、大人を診る救急医が診療するか小児科医が一般の患者や病棟の患者を診ながら同時に診るという状況で、厚労省のカテゴリーも救命センターに行けばいいとされていて、その結果死亡率が高くなったのではないでしょうか。
小松:ドクターヘリはどのくらいの費用がかかりますか?また、お金はどこから出ているのでしょうか。
植田:1機年間2億円かかる、半分は国、半分を県と病院が負担。年間400回出ると、1回50万円という計算になります。現状では2億円すべて税金です。

【医療は費用対効果として計算されるべきか】
永瀬:医療は個人と病院だけの問題ではなくみんなで分かち合う社会的なもの。今後、日本が貧した時何を大事にするのか、費用対効果があがらないものは見捨てるのか、一人ひとりが考えるべきです。娘がNICUに1年いました。1ヶ月にかかる費用は数百万円単位だと認識しています。保険がきかないとそれだけ支払わなければならないし、恩恵を受けたことは良くわかっています。その上でどう考えるかと提案しています。
小松:そもそも医療が市場経済の中に入っていること自体、どうなのでしょうか。警察や消防が赤字だ黒字だという話はないが、病院の赤字は大問題になる。病院が
儲からなくてはならないという発想と施策を、根本的に考え直すべきです。
近藤:制度の違うアメリカなら永瀬さんのお子さんは莫大な金がかかり自己破産する。臓器移植も同じです。アメリカではお金のある人しか移植は受けられないし、逆に脳死の人は早く生を終わらなければいけなくなる。日本では「脳死」を人の死としてこなかった、それは唯一医者の良心なのです。ところが92年、97年には「本人の意思で脳死は死」として摘出してもよいとなり、今回は家族の承諾と変わってきた。臓器をほしい人の主張が通ることになったが、今後、社会の風潮が変わり、心臓移植より健康な人に費用をかけるとなれば移植対象者も切り捨てられるかもしれない。費用対効果を医療に持ち込むのは危ないということです。

【報道への制約はあるのか?】
近藤:岩澤さん、小児の臓器移植のためのキャンペーンが行なわれますが、老人を助けようというキャンペーンが行われないのはなぜでしょうか。
岩澤;申し込みがあれば無条件に報道するものではありません。報道するのは、社会制度に問題はないか?臓器移植法の改正は必要なのか?という問題提起をすることに意味があると思います。
小松:「民放には製薬会社のスポンサーがありますが、報道に制約がかかることはないのですか」という質問が来ています。
岩澤:薬害C型肝炎訴訟の報道については、被告の旧ミドリ十字を吸収合併した製薬会社を徹底的に批判する報道をしました。この製薬会社は、同じ局の別番組のスポンサーになっていたようですが、報道への圧力・干渉は僕の知る限り全くありません。
永瀬:臓器提供キャンペーンを日本民間放送連盟が後援している。後援することとニュートラルな報道は相反しないのですか。
岩澤:臓器提供キャンペーンのCMは、僕が関わっている報道番組に全く影響していません。あのCMは民間放送連盟の社会貢献の一環として放送枠を提供しているもので、放送局としての考えを示したものではないのです。
小松:臓器移植法改正の報道で、素人目には統制があったように見受けられますが。
岩澤:確かに、方針が決まっている新聞社もあると感じます。しかし、テレビ報道は各番組の独自性が強くて、統制などできません。今回の法改正については、自分も含めて多くのマスコミが成立しないだろうと見ていたので、報道が甘いと感じられたかもしれません。

【もし移植でしか助からない命と言われたら】
小松:永瀬さんのお子さんが移植でしか助からないといわれたら、どういう生き方、判断をされますか。
永瀬:結論からいうと助からなくても移植はしない。移植ができないと助からない子どもがいるということを理解していて、それでも臓器提供に慎重な意見を主張しているわけで、その覚悟がないのにそんな主張はできません。もし自分の娘がそうなったら、臓器移植を受けさせてあげられなかったのはこういうわけだよとお互いに天国に行ってから話します。
小松:お覚悟はいつ。娘さんが脳死に近い状態になってからなのかそれとも以前からなのですか。
永瀬:自分の娘が先に臓器提供が必要な病気になっていたら結論は違ったかもしれません。しかし、娘が今のような状況になって、臓器提供というものを調べてみたら、情報が足りない中で自己決断せよといわれる状況にあることに気づいてしまった。臓器移植をしたい親の気持ちがわからないではないが、しかし自分の主張をしていくことが自分の役割だと思っています。
小松:永瀬さんの考えについて植田さんはいかがお考えですか?
植田:難しいですね。私は妻と話したことがあります。違うシチュエイションですが、一人心臓移植をしないと助からない子があり、兄弟が交通事故で脳死になった。その時どうするか。その答えがそれぞれの方のこの問題に対する答えになるのではないでしょうか。

【命の選別が行なわれているのか】
小松:「命の選別をめぐって何が起きているのか」という質問が来ています。沖縄中部病院のERに絡めてお話してください。
岩澤:沖縄県立中部病院では、赤字を抱えながらも全ての患者を受け入れ、専門性の高い治療をしています。救急車をタクシー代わりに使う人、治療費が払えない生活困窮者も多いが、門前払いはしない。その姿勢が命を選別しないということなのでしょうか。脳死は人の死とは思えないという小児科医をはじめ、法改正の動きに現場が戸惑っているという印象を受けました。
近藤:命の選別ということだが、片方は死なしてよい、片方は移植で助けるというのは難しい問題です。東大の麻酔科医であった橘直矢氏は「犠牲者なしに科学の進歩がないのならば、進歩の方を断念しなくてはならぬ」と言っています。犠牲の上に成り立つ医療は幻想であると思います。

【臓器摘出時の麻酔薬使用について】
小松:臓器摘出のときに麻酔を使っている実態について教えてください、との質問があります。
守田:資料を整理している立場から報告します。臓器摘出時の投薬内容のわかる文献が10例あり、そのうちの9例は麻酔を使っています。法的脳死判定9例目(福岡徳州会病院)までは、摘出術を始める前に筋弛緩剤を投与し、皮膚の切開時に血圧が急上昇したからガス麻酔を投与するというものでしたが、最近は最初から筋弛緩剤と麻酔の両方をかけています。法的脳死判定30例目・日本医科大学のケースでは、臓器摘出時にドナーの脈拍が低下したので、アトロピンを投与したところ収まったと報告されています。アトロピンは脳死判定の補助検査で使う施設もあります。アトロピンの投与で脈が速くなったら脳死ではないと判断します。従って、法的脳死判定30例目の臓器提供者は、脳死ではなかったのではないかという疑問が生じます。一方、臓器摘出時に筋弛緩剤だけで済んだとする法的脳死判定3例目・古川市立病院のケースもあり、脳死判定基準を満たす患者は多様です。
小松:何のために脳死者に筋弛緩剤や麻酔をうつのでしょうか。
守田:筋弛緩剤については、臓器摘出時に脊髄反射のため体が動くので使う。麻酔については、移植医は脊髄反射で血圧の変化は起こり、それを抑制するために麻酔を使うという。脳死判定が全く間違いのないものばかりならば、この移植医の説明でいいかもしれません。しかし脳死判定に懐疑的な立場からは、本当は脳死ではないのに脳死とされてしまった患者が、生体解剖をされて痛がっている、恐怖と絶望を感じているから血圧が上がるのかもしれないと考える。両方証明はできません。

【救命が尽くされた後に脳死になった子はどのような存在か】
小松:救命を尽くされた結果、脳死に陥った子どもの命は何であるか、どのような存在と感じているか、との質問です。
植田:何であるというのは難しいですね。
近藤:吉村昭さんが脳死臓器移植を「神々の沈黙」といっておりましたが、これは科学ではなく宗教なのです。クリスチャン・バーナードは心臓移植のあとローマ法王を訪れ、心臓が拍動している子どもを、他の人を助けるために殺してもいいかと聞いている。私は殺してはならないと考えるし、犠牲を求める医療は幻想だと思います。なぜ心臓移植だけをキャンペーンするのか、人類に有効なワクチンを作るキャンペーンはしないのか、そこで医療の哲学は全然違う基準になるわけです。

【子どもの脳死判定はできるか?矛盾はないのか?推進派と慎重派のギャップは埋まるか?】
小松:植田さんに質問ですが、子どもの脳死判定はできますか。
植田:制度があればできる。私は米国でやってきたし、日本でも法律が整備されて、このようにやれということであれば、現場の人間としてやります。
小松:システムとしてできるということですか、医学的科学的に判定できるということですか。
植田:前者ですね。医学的科学的というのは議論が難しい。
岩澤:小児科学会のリーダー的存在の医師は、「当初は子供の脳死判定ができるのは全国で4施設程度」と話していました。医療体制の格差がある中で7月に実施となったときに、救急の現場で混乱は起きないでしょうか?
植田:あけてみないとわからないが、根本は医師個人の信条に関係するでしょう。脳死はないというドクターのところでは起こらない。
岩澤:起こらないというのは小児の臓器提供が難しいということでしょうか?
植田:ドクターが脳死はないと、親に言うことはないとの判断であれば、行われないと。小児科学会でアンケートをとっても小児の脳死はないというドクターは過半数いますので。
岩澤:日本では子供の脳死に懐疑的な小児科医が多いが、アメリカでは割り切っていると理解すればいいのですか?
植田:なぜ臓器を提供するのかは社会にモチベーションがあると感じました。アメリカは施設が集約化されていて、脳死の患者も移植を待っている患者も両方いるセンターのような病院では制度にのっとって臓器移植に対してサポートする。救命医は、移植も考えるようになるということだと思います。
近藤:意思表示カードがなくなると、脳死になったあと、親御さんにどう持ちかけるのでしょうか。
植田:治療の甲斐なく脳死状態になりました、臓器提供する意思がありますかと聞くことになると思います。
小松:永瀬さんのお嬢さんは脳死に近い状態とされているわけですが、今後、もし脳死が確定されたとしたら永瀬さんにとって、特別な意味を持つのか、それとも持たないのでしょうか。
永瀬:もしも脳死と判定されたら、第一に脳死判定されたのにこれだけ生きてる子がいるという主張をすることになる。でも、その主張のために危険な無呼吸テストをして脳死判定をすることはしません。第二に、脳死になったときに「もう死んでいるんでしょう」という圧力・攻撃を受けることを危惧している。これは私よりは母親である家内の方が直感的に感じている。攻撃は皆さんが思っている以上にあると思っています。
小松:脳死判定基準に矛盾はありますか。
近藤:長期脳死でそれは否定されるが、85年の竹内基準でも「脳死をもって人の死としない」と明言されています。97年には本人の意思で死とされた。基準というのはその程度のもの。臓器提供が増えない時、脳死の子どもに「なぜ臓器提供しないのか」とのキャンペーンが起こらないか心配しています。
小松:推進派はレシピエント側、慎重派はドナー側、ギャップは埋まるかという質問が来ています。
永瀬:医科学的議論と価値観が混乱している。推進派の方が長期脳死はない、次は長期脳死で無呼吸テストをした例はない、最後は長期脳死で退院した子はいない、と変わってきました。科学的な事柄がまずは混乱している。私は脳死というテーマは科学的な側面と宗教的、価値観といった側面があり、私は最後は後者を優先して考えたいと思っている。よって、まず科学的議論をする、それから宗教心、価値観に照らし合わせて考える。このようなプロセスが必要なのではないかと思います。素人の私はそのように整理しました。
小松:障害者は今後どうなるのかとの質問ですが、従来は知的障害者はドナーの対象から除外されていましたが、今回の改定で知的障害者もドナーの対象に入れるべきという議論が起きています。 それでは最後に発言をお願いした5名の方にお話していただきます。

 『長期脳死』著者 中村暁美さん】
 ご紹介いただきました中村暁美です。脳死といわれた娘と1年9ヶ月暮らしました。娘は2歳8ヶ月のとき、原因不明の発熱から急性脳症で脳死と診断されました。前向きに暮らせたのは主治医からある説明を受けたからです。私は脳死とは数日で 亡くなってしまうと思っていたので、聞いた時は絶望しかありませんでした。しかし主治医から「大人の脳死と子どもの脳死は違うんですよ」といわれました。1年9ヶ月は今となれば看取りの時間という表現になってしまいますが、娘が急性期を脱したあと明日は目を開けるかもしれないと希望につなげることができました。医師の言葉で希望になるか、絶望になるかが決まってしまうことを訴えたい。私たちは有里は死んだとは思っておりませんで、大きな病気を患ったと思っておりました。社会からの圧力や悩むお母さんがないよう、力を尽くしていきたいと思います。

【仙台往診クリニック院長 川島孝一郎医師】
 私は厚労省の終末期医療懇談会の委員をやっています。私個人は脳死は人の死とは思っていません。今、人工呼吸器をつけている方45名ほど診ています。胃瘻で人工呼吸器をつけて独居で暮らしている60代の方もいます。今の制度を使っていけば独居でも暮らしていけますので、永瀬さんのお嬢さんももしご両親が先に亡くなるようなことがあっても暮らしていけます。しかしそういう情報提供がされていないのが問題です。脳死状態と言われた13歳男子を自宅に帰しました。最後まで尊厳ある生き方だったし、人工呼吸器をつけているから延命医療でもない、重度の障害者と見る。私たちのものの見方を変えていかなくてはならない。お医者さんは脳死状態の患者を実体として説明してしまう、構成して組み替えてみることができるか、脳死状態の男の子と説明するのではなく障害者と見ても良いと、二つの見方の説明をしなければならない。医者が不十分な説明で不十分な方向に引っ張っていることが問題です。

【東京大学教授 金森修さん】
 この問題は最終的にはある種の価値判断になる。そもそも亡くなった方をばらばらにして生きている人間が使うことには違和感を感じていました。世界的には移植が行われているのは事実ですから、法律として制定するときは「臓器移植限定認可法」としての性格をもたせることが適切です。その意味では97年の法律は良くできた法律でした。しかし今回の法律は180度逆転させる法律になりました。生きているときは働き、死んだら臓器を提供するというのを、まるで国家が促進、統制するかのような法律になりました。根源的違和感と批判的意識を持ち、注意深く見続けて、可能なら法改正するべきと考えます。

 『長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』著者西村理佐さん】
 西村理佐と申します。私の娘の帆花はおなかにいるときは何の異常もなく動き回っていましたが、出産時にへその緒の動脈断絶によって10分間心肺停止になり、生後20日目に脳死に近い状態ですとの説明を受けました。脳のすべてと脳幹部の機能を失っているといわれました。2007年10月でした。「目は開かないし動かないけど元気に成長していきますよ」と主治医に言われて、それをどう受け止めていいかわかなかった。生きているか死んでいるかわからないと最初は思いました。帆花の様子を見てきて機械に生かされてるわけじゃないんだ、この子の意思で生きているんだと思ったわけです。娘の命を受け入れるまで私には時間が必要でした。心臓疾患のあるお子さんによく臓器移植しかありませんよと言われるみたいですが、お宅のお子さんは回復の見込みがないので臓器提供しかありませんよ、という時代になり、そういう先生がたくさん出てきたら、私のように時間をかけて子どもを受け入れる者もなく、家族で暮らす幸せな時間もなくなるでしょう。周産期医療の発達によって救われた命は何なのか、臓器提供するために救うのかということになってしまいます。私は永瀬さんみたいに結論が出せていないのですが、私と帆花にとって、この問題は科学であり、医学であり、宗教であり、価値である、すべての問題です。脳死者が死んでいるというのはわからない。脳死は人の死かということを皆さんには考えていただきたいと思います。

【現代医療を考える会代表 脳外科医師山口研一郎さん】
 (臓器移植法を問い直す市民ネットワークの)リーフレットに紹介されているハワイで交通事故に遭われた患者さんですが、この方は頭の怪我による高次脳機能障害で私のクリニックに来られている方です。そういう方がこれまでに600名近く受診されていますが、その中には急性期の治療の段階で医師より臓器提供を提案された方も多くいます。医療現場はそういう状況なのです。臓器移植法が施行されるこの7月からどういう社会ができるのか。死の問題、人の体の問題、心の問題が根本的に変わるんだということを深刻に考えています。昨年春に開催された慶応大学でのシンポジウムで河野太郎さんにそれをずいぶん訴えましたが、彼は事の深刻性について分からないまま法律を作ったのだと思います。この間のさまざまな社会状況を見ると、世の中の動きに反対の意を唱えると圧力をかけられる(例えば“BPO=放送倫理・番組向上機構”へ訴えるなどの報道の規制)ような時代なのだということを警告したい。

小松:最後にパネラーの皆さんから一言ずつお願いします。
近藤:もう十分お話させていただきました。
永瀬:しっかりした情報の提供をしてほしいです。
植田:現場に戻り子どもの救命に尽くします。
岩澤:報道する側としての責任を感じながらやっていきます。

小松:ありがとうございました。 最後に アンケートにご協力していただいた皆さん、ありがとうございました。概ね、いいシンポジゥムだったとの感想をいただいています。今後は宗教界の方のお話も聞きたいとか、移植推進派の人と慎重派の人の対談などを企画してほしい、などのご意見も寄せられました。

 

(事務局 川見公子)


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