─光る波の間─

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ただいま

2004-12-21 01:00:40 | つれづれ
ただいま。
メール、コメント下さったみなさま、ありがとうございました。
ひとまず告別式まで無事終了しました。
よく、事務処理などで悲しむ暇もないと聞いてましたが、ほんとに忙しいもんですね。
まあ、私は留守番や病院の支払いとか足りないものの買い出しとか、雑用ばっかりで。

「悲しむ」ということは、家族間では無かったように思います。
「悲しくない」というわけではないけれど、入院から今まで時間があり、
それぞれに受け入れる心構えが出来ていったからでしょう。

魂の抜けた体というのは、あんなにも冷たいもんなんだな。
納棺して、中に何を一緒に入れようかそれぞれ考えた。
温泉に行くとき愛用していたタオル。
当たったためしのない宝くじ。好きだったコーヒーの粉。
止めていたけど、ほんとは吸いたかっただろう煙草。
父の父、つまり私からみておじいちゃんの紬の着物。
全員の髪の毛と爪を入れた袋。

みんな仕事も学校も休んでいたから、昼夜は全員揃って食事を取る。
大晦日や元旦くらいはこういうこともあったけど、1週間も一緒というのは
いったいぜんたいどれくらいぶりなのか・・・。
甥っこなど、パジャマ姿でラーメンすすってたところに弔問客に来られて
ちっちゃくなってましたけどね(笑)

家のお寺の住職は、実はあんまり声は良くないんだけれど、
脇についた、他の寺から応援の若い和尚さん2人はえらく声が良くて、
うまいこと調和して音楽のようなお経でした。
というか、あれは音楽なんですよね。ゴスペルでした。
この声明(しょうみょう)はもうすごく練習するそうです。
式の作法も、歩く歩数だのの決めごとがものすごく細かく、試験を受けねばならないとか。
儀式を滞り無く行うことは、とても大事。
もちろんそこに注がれる思いが無ければ空虚このうえないと思いますが、
親戚友人そして今親を見送るにあたり、現世に残っている者たちが気持ちを区切って
いくためには、よくできているものなんだなと思います。

たくさんの人が集まりました。
何年も会ってなかった親戚も集まりました。弔問客同士もそうです。
かつての仕事仲間や趣味仲間が顔を合わせて話しが弾んでいます。
昔私は祖父が亡くなったときに談笑したり酒飲み笑う人々を見て、
とても不愉快に思ったことがありました。死者への悲しみの気持ちが無いと思ったから。
しかしその時父はこう言いました。「それが仏の功徳(くどく)というんだ」
仏になった者のおかげで離れていた者たちが集まって言葉を交わすことができるんだ、と。

「朝目が覚めると“病院行かなくちゃ”ってまだ思うの」と母は言う。
我が儘言い放題の父としょっちゅう口喧嘩してたけど、我が儘言えるのも夫婦だから。
血が繋がってても親子じゃできないこと、入れないものを実感しました。
「夫婦」っていう繋がりには、子供はかないませんわ。

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